061 冒険者と悪食の山椒魚①
※残酷な表現、描写が含まれていますので閲覧する際は注意をお願い致します。
丁度、冬の明けた時期。
とある孤島の洞窟。
人間位の大きさをした山椒魚が、産卵の為に洞窟へと辿り着いた。
その生物は両生類であり、皮膚に鱗が無く粘膜に覆われている魔物。
ただ、その魔物が普通の山椒魚と違うところは、人の言葉を話すと言う事だった。
「...栄養ハ十分。コレナラ、次ナル王ヲ、産ム事ガ出来ル」
身篭った山椒魚は、言うなれば女王。
次世代の王を産む為に、外敵の居ない場所を探し出し、ようやく水辺へとやって来たのだ。
「アノ栄養ノ高イ餌...“アレ”ハ美味カッタ...」
通常、言葉を話す魔物は、魔人と呼ばれて人の形をして居る事が殆どだ。
だが、此処に居る魔物は、言葉を話す事は出来るが山椒魚の姿そのもの。
まだ魔人にはなりきれていない中途半端な魔物と言ったところだ。
そして、その女王が言う“アレ”とは何なのか?
「我ガ王ガ産マレタアカツキニハ、同ジ“アレ”ヲ喰ワセテヤラナケレバ!アノ有象無象二群ガル美味イ“アレ”ヲ!!」
女王が思い描いている“アレ”とは、此処に辿り着く際に偶々(たまたま)出会って喰べたもの。
それは、この孤島に住んでいる原住民。
偶然遭遇した人間の事だった。
群れを成し無数に存在して居るが、それは簡単に殺せる生き物であり、一際美味い餌だと認識する。
今後、王の成長の為には、「“アレ”ガ大量ニ必要トナル」と感じた。
すると、産卵の為の場所を確保し、丁度動きを止めた時、女王のお腹が痛みだした。
「ウウ!?」
産卵が始まったようだ。
水辺の流れの無い止水場。
女王から、数珠状に繋がった寒天質に包まれた無数の卵が排卵されて行く。
「嗚呼ァア!!」
叫び声が尋常では無かった。
普通の産卵と違い、何処かその様子が可笑しい。
かなりきつそうに息んでいる女王。
お腹辺りの痛みが激しいようだ。
「オ腹ガ...!?マサカ、産マレテ間モ無イト言ウノニ、卵ノ中ニ居ルト言ウノニ、ソノ全テヲ破コウトシテイルノカ!?」
“産まれる時は卵から”と言うのは常識の中での話。
ただ、喋れる魔物が居る時点で、そんな常識などは崩れ去っていた。
「グ八ッ!?」
激痛と共に血を吐き出す女王。
突如、“それ”が誕生した。
卵に覆われていた殻を破り、更に女王のお腹をも破った。
周囲に飛び散る内臓と血飛沫。
「王ノ誕生...我ガ生命ノ代ワリ...」
女王の薄れ行く意識の中、自身の裂かれたお腹から現れた、全身を血に濡らした山椒魚。
産まれて間も無いと言うのに、その威風堂々とした姿を目の前にし、自然と嬉しさが込み上げていた。
卵の殻を、女王の腹を破ると言う、強靭な生命力を感じて。
それのせいで自分が死ぬ事になろうとも、もはやどうでも良かったのだ。
女王としての使命は、王を産む事だけで、育てる事では無かったから。
自身の死との引き換えに誕生した新たなる山椒魚の王。
(...)
その視界に光が差し込むと、ぼんやりと周囲の様子が解って来る。
現状、言葉や感情を表現する事は出来無いが、意識はハッキリしているようだ。
それに、身体も思い通りに動かす事が出来そうだ。
なら、どうするのか?
山椒魚の王は、産まれてからずっと、いや、母胎の中に居た時から一つの欲求に支配されていた。
[喰イ尽クセ!...喰イ尽クセ!!]
明確な意思が身体を突き動かす。
自身を成長させる為の栄養が欲しいのだと。
その一つの意思が感情を支配し、それだけを追い求めさせる。
周囲には女王だったものの残骸。
産まれたての無数の卵。
誕生したばかりの“それ”は、餌を見付けたとばかりに、それらを貪り始めた。
そして、消え行く意識の女王の最期の願いと重なる。
「サア...私ノ全テヲ...オ喰ベ...」
女王は、自身を喰われる快感に酔いしれながらも、その存在を消す事となった。
その最中、終始微笑んでいた姿が不気味だ。
[喰イ尽クセ!...喰イ尽クセ!!]
欲求が収まらない。
食べても、食べても、全く満足が出来無いようだ。
何かが足りない...
栄養なのか?
美味しさなのか?
いや...そのどちらもが足りないようだ。
[喰イ尽クセ!...喰イ尽クセ!!]
周囲には、餌がもう無い。
この場の餌は喰い尽くした。
だが、食欲が収まらない。
心の衝動が駆け巡り、ずっと何かが物足りないまま。
そう言えば、自身が女王の腹の中にまだ居た時、栄養として流れて来る一際美味しかった“アレ”。
“アレ”さえ食べれば、どちらも満たす事が出来るだろう。
そう思った時、山椒魚の王は既に行動へと移っていた。
“アレ”を探し出し、その全てを食い尽くしてやろうと...
「この辺りは、いつ来てものどかだな」
腰に剣を携えた男性が周囲の景色を見て呟いた。
緊張した様子は全く無く、魔物が存在している場所に居ると言うのに腕を伸ばして欠伸する始末。
だらしの無い大粒の涙が、目から零れていた。
「...先輩は、ここへ何度も来た事があるんですか?」
ローブを纏った少し小柄な男性が、両手で杖を抱えたまま周囲をキョロキョロとしている。
剣士とは反対に、何処か不安げな表情が晴れないまま。
如何にも冒険者に成り立てと言った様子。
「ああ、ここには依頼を達成して、報酬を受け取ったら毎回来るようにしているんだ。お前は冒険者になったばかりで右も左も解らないだろうけど、落ち着いて旨い飯が食える場所なんてそうそう無いかならな」
基本、冒険者は様々な場所で依頼を請け負う事になる。
探索、採集、討伐と、一度依頼を受ければ日数が何日も掛かる事は当たり前だ。
その場合、殆どは携帯食頼りで、味の期待出来ない保存物ばかりを食べるはめになる。
その反動があるせいか、依頼を達成した後は美味しい物が食べたくなると言うものだ。
そして此処は、海辺と言う事で取れたての新鮮な魚が食べられる場所。
「それに、ここは海に面した領地カッパフルスで一番安全な場所って言われているんだ。出て来る魔物だってお前一人でも倒せるようなFランクの魔物のみ。それなら安心して旨い飯が食えるってもんだろう?」
少し偉そうな態度の剣士。
新人の冒険者に、自身が経験して得た知識をレクチャーするよう流暢に話している。
「...確かに、安心してご飯が食べられる場所は限られていますもんね」
此処は魔物が居る世界。
安心出来る場所など限られている。
領都のように大きい場所なら、それに合わせた防衛が敷かれている為、その分安心が出来ると言うもの。
だが、小さな町や村となると、いつ魔物に襲われるか解らないのだ。
魔法使いの男性は、そんな小さな村出身の冒険者。
痛い程に理解している。
「まあ、此処は海に囲まれた離れ孤島。近くの村まで二~三日掛かるけど、そんなに強張らなくても大丈夫だって!俺の冒険者ランクは、何ランクだ?」
今一度、安心させる為の確認。
この地域に出現する魔物はFランクの魔物のみ。
それを踏まえた上で、自信満々に魔法使いの男性に問い掛けた。
「先輩の冒険者ランクはDランクです...出現する魔物がFランクだけなら...全然余裕ですね!」
思い出したと言うのは変な話だが、不安に苛まれていた状態だと何に対しても疑心暗鬼になると言うもの。
だが、常識的に考えて、Dランクの冒険者がFランクの魔物に負ける道理は無い。
そこでようやく、自身に蔓延っていた不安が取り除かれた。
「だろ?何かあったら俺に任せとけって!」
「ドン!」と胸を叩き、誇らしげな態度。
笑った口元から覗く白い歯が眩しい。
「はい!その時はお願いします!それに、先輩がそこまで旨いと言う魚...とても楽しみです!」
冒険者は遠征の多い職種だ。
その為、食事の殆どは干した肉やピクルスと言った保存食ばかり。
新鮮な魚を食べられる事自体が貴重なのだ。
「ああ、これからもの凄え旨い魚を捕まえてやるからな?楽しみにしておけよ!」
想像をしただけでも涎が出ると言うもの。
口を「ジュルッ!」と鳴らし、魚を捕らえた後の事を妄想する。
さて、どう食べようかな?
取れ立ての魚は、丸焼きで十分旨い。
だが、後輩を連れて折角此処まで来ているのだ。
それなら、贅沢に塩焼きにでもしようか?
塩は値段が張る調味料だが、冒険者の先輩として後輩に振る舞いたい。
うん、それが良い!と決心した瞬間、魔法使いの男性が背後の離れた場所で止まっていた。
(あれ!?先を行き過ぎたか?...いや、違うようだな。立ち止まって一体どうしたんだ?)
後方を振り返り、何故立ち止まっているのかを確認する。
何だか震えている?
それに、何かに驚いている表情?
「先輩、あれ...」
魔法使いの男性が、恐る恐る右手を上げて何かに指を向けている。
その指が向く先をなぞって視線を動かして行く。
「ん?どうしたんだ?」
進むべき道の遥か先。
そこには四足歩行で蠢く、人間の二倍はあろうかの魔物が居た。
あれ?
あんな魔物見た事が無いぞ。
この地域に生息している魔物では無い...
と言うか、あんな動き速かったっけ?
あ...もう目の前に居る?
「...山椒魚?」
そう認識した時。
Dランク冒険者の男性は、山椒魚の口の中に飲み込まれていた。
それが、その男性の最期。
間も無く魔法使いの男性も、その全てが喰べられた...
裏山の桜が咲く広場。
僕とメリルで個別訓練を行っている最中。
「では、そろそろメリルさんも、次の段階へと進みましょうか?」
「次の段階?」
今は休憩中。
訓練に入る前準備として、魔力強化を施した上での剣の素振り。
一本一本真剣に取り組む事で訓練の質を高いものに仕上げている。
闇雲に振ったところで、効果が薄ければ訓練の意味が無い為だ。
その為、「ハアハアと息を切らした状態で僕の話を聞いている。
「ええ、魔力を纏った状態での身体強化にも慣れて来ましたし、何も考えずに三〇分程度なら魔力維持が出来るでしょう?」
個別訓練を開始してから半年程が経っている。
基本、技術の習得自体はそこまで難しいものでは無いが、技術の昇華は難しいもの。
それこそ人によって成長速度や熟練度が変わり、訓練するからと言って誰しもが達人の域にいける訳では無いのだ。
まあ、魂位が上昇すれば素の状態での身体能力で技術を補えてしまうのだが。
「ああ。ルシウスのように一日中魔力を纏う事は無理だが、三〇分程度なら何とかな...」
比べる対象が、僕、さくら、ギュンターと少数の為、それぞれの技術力に雲泥の差を感じているようだ。
まあ僕自身も、メリルの成長率の良し悪しが解らないのでハッキリとした事は言えない。
だが、それでもセンスが良い部類に入る事は間違い無いと思う。
「それは十分な事ですよ?多勢と戦う場合その限りではありませんが、例えば、生死を懸けた一対一の戦いで三〇分以上戦う事などありますか?」
しょんぼりとしたメリルを励ます為の言葉。
実際に剣を持った斬り合いとなれば、一瞬で勝負が着く事が殆どだろう。
現状、即効性の回復手段が無い今では、身体の何処かに怪我を負った瞬間、ほぼ勝敗が着いてしまうのだから。
そして、そのまま殺される事だろう。
「...うむ。確かに、それもそうだな。...と言うか、それなら相手が多かろうが、一対一を繰り返せば良いのでは無いか!?」
脇道に逸れた会話の答えを見付けたと嬉しそうに話す。
流石の脳筋理論だ。
まあ、間違いでは無いが、正解では無い。
環境や状況によって、一瞬にして前提が覆るのだから。
「メリルさん、話が脱線しています...話を戻しますが、これは新たな戦闘法の習得です。意識せずとも魔力を纏う事で身体強化が施せる状態を維持出来るなら、その上の段階へと進みましょうかと言うお話です」
話の本筋に戻る。
メリルのやるべき事は、僕と討論する事などでは無く、自身を成長させる事なのだから。
「上の...段階?」
魔力による身体強化。
メリルは、これだけの行為でも極めれば物凄い強さを発揮すると感じているようだ。
実際に、自身の動きが軽やかになった事からも、力強さが増した事からも体感している事。
ただ、極める為には何年掛かるか解らないし、一生懸けても出来無い恐れを感じている。
そこに加えての、更にその上の段階の知らせ。
その事実を知って驚きが隠せないのだ。
「はい。魔力を使用し、常時身体強化を施した上での戦闘法です。メリルさんは魔法が使えますよね?」
技術は常に進歩、進化して行くものだ。
覚えた事をそのままにしていたら他者との競争に負けてしまう。
負けない為には技術の昇華、新たな技術の習得への挑戦が必要となる。
「ああ。幾つかの魔法は、貴族院に通っていた時に習得している。だが、詠唱がある為に実戦では使えないと言ったのはルシウスでは無いか?」
職業による魂位上昇とは別の方法での魔法やスキル習得。
どうやら貴族院では魔法を教わる事で習得が出来るらしい。
魔術書による魔法習得と似たようなものなのかな?
それは現状僕には解らない事だけど、実際にメリルは魔法が使える。
ただ、今のままだと宝の持ち腐れ。
使わないのは勿体無い。
「...まさか、ルシウスみたいにマナで魔法陣を作れと言うのか!?」
メリルの表情は、今までに見た事が無い程焦っていた。
自分にそんなところまで求められているのかと思い、精神的負荷が過ぎるようだ。
一体、どれ位の魔力量があれば、あんな芸当が出来るようになるのだと。
「いえ、違いますよ。あの方法はハッキリ言って非効率の極みで魔力の無駄使いです」
メリルの場合そんな真似をする必要が無いのだ。
僕とは違って、正規の方法で魔法が使用出来るのだから。
あれは、僕が呪文による詠唱、又は、魔力による属性変化で魔法が発動出来無い為の処置なのだから。
「それに、僕が言った「実戦では使えない」とは、戦闘中詠唱に夢中になる事です。実戦の中で動きを止めたらどうなるかは解りますよね?」
戦いの中での停止。
それが意味する事は、もっとも残酷な結果を生む事。
古代遺跡での大蛇との戦い。
一瞬の迷いが身体の動きを硬直させ、始まって直ぐ何も出来ずに気絶した。
あれが、メリル一人だったら、間違い無く食われて死んでいた。
「そうなれば...格好の的になるだけだな。だがらこそ、詠唱中は他の仲間が守るんだろう?」
パーティとなれば、前衛と後衛に分かれて役割を分ける事が出来る。
魔法は強力な攻撃だが、発動までは時間が掛かるもの。
その為、前衛が魔法発動までの時間を作ってあげるのだ。
「まあ、相手の力量が自分達よりも低いなら、それで問題無いとは思います。ですが、メリルさんは、もっと根本的な部分で思い違いをしていますよ?常識と言う慣習に囚われ過ぎですね。もしくは、それが当然だと言う思い込みかも知れませんが」
相手と一対一で戦う場合、攻撃の種類を増やす事が勝利に繋がって行く。
それは多対一で戦う場合でも、多対多で戦う場合でも変わらない事。
だが、これは相手との力量差が同等、もしくは優勢な場合に限るのだ。
自身が相手するものが各上の場合、そんな常識は通用しなくなってしまう。
圧倒的な個の力は、有象無象の数の力など遥かに凌駕するのだから。
「思い違い...だと?...私が魔法を放つ為には詠唱が必要なんだ。それは変えようが無い事実...何だ?何を間違えていると言うのだ?」
顎に指を当てて悩んでいる姿が凛々しく見えるのはメリルだけかも知れない。
ただ、長年沁みついた考えや常識は、中々変える事が出来無いもの。
自分では別方向から考えているつもりでも、結局、自身の範疇の中でしか考えられていないのだ。
「ええっとですね、詠唱が必要な事は今のところ仕方無い事です。今は現状どう足掻いても変える事が出来ません。僕が言っているのはそう言う事では無くて、詠唱の仕方です」
そう。
魔法が発動する為には詠唱が必要な事。
現時点での能力では仕方無い事なのだ。
それなら、詠唱ありきで改善をしなければならない。
「詠唱の仕方...だと?何だ、逆立ちでもすれば詠唱が早くなるとでも言うのか?」
ズレてはいるけど、これが感覚肌の天才の発想と言ったところか?
どうすれば良いのかを本能的に感じているかも知れないが。
「ああ、惜しいですね!考る方向は合っています。逆立ちをする訳ではありませんが...詠唱中いちいち止まる必要はありますか?何ならもっと言えば、声に出す必要はありますか?」
声色の変化と、間をたっぷりと取った説明。
理解して欲しい部分を際立たせて、相手に解り易く強調する。
「!?」
「...ようやく理解してくれましたね?何も考えずに魔力を纏った身体強化が出来るようになって、初めて次の段階へと進めるのです」
何事にも段階が存在するものだ。
ものによっては、その段階を飛ばして習得出来る事はあるが、基本は一段ずつ上に登って行くのだ。
「そう言う事か!?止まらず動きながら詠唱をすれば良いのか!しかも、声を出さずに頭の中で!」
一を聞いて十を知る。
自ずと最終段階へと考えが辿り着いた。
「はい、その通りです。一番解り易いのは、さくらの戦闘の仕方を思い浮かべて下さい。どうしていますか?」
戦闘法の理想。
さくら自身、まだまだ改良の余地は残されているが、剣と魔法を併用したメリルの目指すべき理想の姿だ。
そして、その理想の姿を思い浮かべられる事は、成長の経過にプラスを生む。
筋力トレーニングをする際、理想の身体を思い浮かべた場合とでは、その効果に差異を生む事と一緒だ。
「歌いながら動き回り、その上更に魔力を巧みに操作しているな。行動が一つだけに限定されているのでは無く、同時に様々な事を展開している...と言う事は、あれが私の目指すべき姿。なるほど。私も同じ事が出来るようになれば良いのだな?」
明確な目標が出来た瞬間。
剣で戦いながら魔法を放つ。
それも、剣と魔法のどちらかに偏るのでは無く、絶えず動き回り行動停止する事が一切無くだ。
「ええ。その通りです。それをする為に並列思考、または同時展開と言った行為が必要となります」
メリルに必要な事は、集中力と状態への慣れ。
如何に、相手だけに集中が出来るか?
如何に、平常心を保ったまま行動が出来るか?
どちらか一つでも欠けた場合、その戦闘法が出来なくなるからだ。
「だが、そんな事が可能なのか?未だかつて、魔法職を専門にしている者でも動きながらの詠唱(魔法発動)など見た事が無いぞ?しかも、その詠唱を言葉に発しないだなんて!?」
これまでの長い歴史の中で積み重ねて来たもの。
それをぶち壊して、新しい事を確立させるのだ。
だが、頭の中では理解していたとしても、実戦するとなるとまた別の話。
無理難題を叩きつけられた現状に困惑している様子だ。
それなのに、メリルは思い浮かべる理想の姿が頭から離れず興奮が収まらない。
心臓が勝手にドキドキと鼓動していた。
「魔法を使うには、繊細な魔力操作が必要になりますからね。ただ、メリルさん?魔法を発動する際、呪文を唱える事で強制的に魔力変換を行ってるのですが、“詠唱が不完全だと魔法が発動しない”って思っていませんか?」
開拓者は言った。
常識はぶち破るものだと。
時代によって定義は更新されて行くのだ。
「思っているも何も...現に、呪文の詠唱を間違えると魔法は発動しないだろうが...」
「当たり前の事を言わなくても良いだろう?」とそんな表情だ。
出来無いものは何をしても出来無いのだと、自らが常識や限界の壁を作っている。
「!?...まさか、発動するのか!?」
またしても、自分は凡才なのだと痛感する。
凝り固まった考えは、先程辞めようと考えていたのにだ。
「ええ、その通りです。まあ、実際にやってみる方が早いですね。では、先ずは正しく呪文を詠唱して見て下さい」
メリルのような感覚肌の場合、理論を説明したところで実際にやってみないとその感覚が掴めない。
これは頭の良し悪しが関係するのでは無く、人それぞれに合わせた成長の仕方だ。
メリルの場合、実際に体感する事で感覚をアップデートして行くだけの話。
すると、メリルは言われた通りに魔法を発動させるべく、姿勢を正して身構えた。
「風の女神 ウィンダールヴ 大気と気圧 変化と流動 神々の祝福に 大いなる力を 乱吹け ヴィント!」
呪文の詠唱と共に、体内から収束する魔力。
それらは緑色の光へと変化し、メリルの前方に風の塊を生み出す。
詠唱が終わり魔法名を唱えた瞬間、風の塊は勢い良く前方へと吹き流れた。
「ゴォー!」と言う音と共に地面の草や花を揺らして何メートル先も進んで行った。
風魔法の発動だ。
「流石ですね!威力も精度も完璧なものです!」
ゲーム時代に使用していたものと変わらない効果。
それにアゼレアが使用したものと一緒だ。
ただ、メリルが唱えた呪文のおかげで、僕の中でも呪文が違えど魔法が発動するものだと確信へと変わった。
アゼレアが発した呪文は精霊人語で、しかも魔法名はウィンド。
メリルが発した呪文はこの国の言葉で、魔法名がヴィントなのだから。
「フフフ!ルシウスに褒められるとは嬉しいものだな。だが、私にとってこの魔法なら、もう失敗しようが無いものだぞ?」
呪文の詠唱をする事での魔法発動。
メリルが何年も掛けて確実に発動出来るようになったもので、それまでに、失敗も成功も何度も経験しているもの。
魔力さえ足りれば、どんな状態になっても放てるように費やして来たのだ。
「失敗する事が目的ではありませんよ?では、呪文の一部を変えて貰いましょうか?“風の女神”を“風の神”。接続詞の“と”を“の”に変えて詠唱して下さい」
目的は失敗する事では無く、呪文が違えど魔法を発動させる事だ。
ただ、明確な差異を確認したいので、敢えて失敗するように仕向ける。
メリルも結末が解っている事。
「やれやれ。失敗しても知らんぞ」と言った様子で渋々呪文の詠唱を始めた。
「風の神 ウィンダールヴ 大気の気圧 変化の流動 神々の祝福に 大いなる力を 乱吹け ヴィント!」
先程と違い、何処か詠唱に力が無い。
まあ、それも仕方無い事で、失敗すると解りきった事を張り切ってやる人物などいない。
此処で真剣に取り組んでいたら結果は違ったのに、ある意味今までの習慣を真剣に取り組んでいたからこその結果だ。
愚直なまでに真っ直ぐだからこそ。
一応、体内魔力の揺らぎはあるのだが、魔力変化は起きなかった。
「やはり、発動しないでは無いか...」
魔法名を唱えても、何も現象が起こらなかった。
だが、ちょっとした期待はしていたのだろう。
直前まで何かが起きて欲しいと期待する、そんな風に目を輝かせていたのだから。
「では、もう一度ですが、今度は詠唱が成功した時と同じ様に魔法が発動するイメージを浮かべたまま、失敗した方の呪文を詠唱して下さい。この時、意識を言葉に囚われるのでは無く魔法が成功したイメージだけを正しく思い浮かべて下さいね?」
今度は同じ方法で、ちょっとした意識付けを行う。
先程、「真剣に取り組んでいたら結果が違ったのに」と言う事を実践する。
如何に、思考の柔軟性、概念に囚われない考え方が重要かを感じて貰うのだ。
「同じ...呪文を?成功の...イメージ?」
同じ呪文を詠唱したとしても、結果は変わらないのでは無いか?
魔法が成功したイメージを思い浮かべたところで何が変わると言うのだ?
メリルは、そんな戸惑った表情を見せている。
だが、〈ルシウスが言う事だ〉と考えを改める。
目の前の事に、失敗する姿を思い浮かべるのでは無く、成功の姿を思い浮かべる。
呪文が違えど、魔法が発動するものだとイメージして。
「風の神 ウィンダールヴ 大気の気圧 変化の流動 神々の祝福に 大いなる力を 乱吹け ヴィント!」
メリルの詠唱する呪文は、正規の呪文と違い紡ぐ言葉が間違っている。
それなのに、先程とは違って詠唱に力が込められているおかげもあり、魔法を発動する為の詠唱が成立しているのだ。
魔力の収束が始まった上で、さらに属性変化までもが起きている。
緑色の光の煌き。
突風が吹き流れた。
「なっ、発動しただと!?呪文の詠唱が不完全なのに!?」
魔法が発動する事を信じて真剣に取り組んだ行動だが、実際に魔法が発動すると、その結果に驚きを隠せない。
自分の常識が崩れて新たな常識が構築された瞬間。
鳥肌が立ち、武者震いが止まらない様子だ。
「...事象に対して抽象化、普遍化し、思考の基礎となる基本的な形態となるように、思考作用によって意味づけられたものが概念となります。そして、言葉とは、心の中に概念としてイメージ出来る要素(単語)を組み合わせて、新しい概念を構成し、自分や他人に伝達する事の出来る機能だと思って下さい」
概念と言葉の関係。
それを理解する為の説明なのだが、いまいち反応が鈍い。
もしかしたら、メリルの知らない言葉で説明しているのかも知れない。
「では、此処に花があります。何を思い浮かべましたか?」
此処からは、想像と感覚の共有。
言葉が持っている機能(意味)の確認だ。
「...それは、色鮮やかな美しいものだろう?」
意外な感性を垣間見た。
メリルが持つ隠し切れない乙女の部分が浮き彫りとなったようだ。
ただ、自分で言って恥ずかしいのか、照れて様子が何処かたどたどしい。
「では、花と言うものを一旦忘れて下さい。...もう一度質問します。此処に色鮮やかな美しいものがあります。何を思い浮かべましたか?」
先程とは違う質問を聞く。
だが、これはメリルの答えから導かれたもの。
果たして、答えからの逆算が花に辿り着くのか?
「!?」
花から思い浮かべるものと言う質問からメリル自身が導き出した答え。
だが、問いと答えが引っくり返るだけで、連想するものが全く違った。
「これで何となく伝わったと思います。これは、言葉を相互理解している事が前提ですが、花と言う単語さえあれば、多少の差異はあれど他人と共通認識として共有が出来ます」
此処で大事になる事は、相手も同じ機能(言葉)が使えると言う事が大前提。
同じ言語の言葉を相互理解している場合に限るのだ。
だが、相互理解している場合の言葉は、それ自体で意思を共有する事が出来る。
「...」
険しい表情で押し黙っている。
メリルにとっては少々難しい話だ。
言葉だけを聴いていた場合なら理解出来なかった事だろう。
でも、自分で実際に体感した事で、言葉が持つ力を理解する。
「ある地域での考えですが、言葉には不思議な力が宿っており、その不思議な力を言魂と言います。人が声に出した言葉は、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられているのです。善い言葉を発すると福事が起こり、悪い言葉を発すると凶事が起こるのだと」
ある地域とは日本の事だが、此処には無い世界の話だ。
日本の場合、言魂より言霊と書く方が多いだろう。
言葉には霊的な力が宿っていると考えられている為、言霊。
祝詞と呪詞。
「言魂...」
初めて聞く言葉なのに、何処かしっくりと来ている様子。
言葉が持つ力で励まされた事があるからこその理解。
「呪文と言うものは、その言魂と同じで、言葉を組み合わせる事で不思議な現象を起こします。言葉から発する(想像する)概念が、魔力を変換させて事象へと具現化する行為。この補助がある事で魔法が発動するのです」
魔法の無い現実世界でも、言葉があれば、相手の事を励ます事も出来れば、傷付ける事も出来る。
それ程精神に左右する機能を持ち、偉大な力を持ったものだ。
「呪文を介した魔法の発動が失敗する場合、殆どは、言葉の組み合わせが歪、もしくは欠けている場合に起こります。これは、多くは潜在意識、深層心理が大きく関わっており、想像した概念から事象への変化が正しく行われていないからです」
殆どの結果は、それまでの経過によって導かれたもの。
そこには、まぐれで成功する場合があっても、失敗する場合、必ず原因がある。
その失敗の原因を理解、追求すれば、反対に成功へと導く事も出来るのだ。
魔法と言う現象については、理解力、想像力がものを言う。
「と言う事は、魔法の現象(結果)さえしっかり想像出来ていれば、多少言葉が歪だったり、欠けていたりしても、経過を補って発動する事が出来るのです」
火は熱い。
水が冷たい。
これらは当たり前の事で共通認識だが、実際に本人が体感したからこその理解でもある。
それが持つ本質を知っているからこその、想像、結果の補完だ。
「そう言う事か...これは、また凄い定義の確立だな。この国の誰しもが知らない知識であり、誰しもが欲する知識と言う事だ。...アナスターシア様が仰っていた神々の寵児とは、何も大袈裟な事では無いようだな...」
神々の寵児。
麒麟児。
神童。
他人によって感じる事は様々だが、辿り着く答えは一緒。
世界の常識をぶち壊す者で、他者と比較する事が出来無い人物。
アナスターシアが保護した時から、僕が神子だと言う認識は変わっていない。
「えっ?何か言いましたか?」
ゴニョゴニョと独り言のように喋っているメリル。
正直、僕には何一つ聞き取れなかった。
「いや、何でも無い...ルシウスのおかげで光明が見えたと言ったところだ。ありがとう。それで、私は何から始めれば良いのだ?」
強くなる事を希望して僕に師事を仰いでいる。
成果はしっかりと出ているのだ。
まだ自信には繋がっていないけど。
「説明が長くなってしまいましたが、メリルさんの場合、実践して行った方が覚えも良いですからね?では、早速新たな訓練を始めましょうか。先ずは、魔力による身体強化を維持したままで魔法を放つ訓練です」
習うより慣れろ。
格言は役に立つもので、実際にそう言った事が多い。
後は、本人がやるだけなのだ。
「身体強化を維持したまま...だと?」
身体強化は、常に魔力を消費している状態。
その上で、魔法を使用する為に更に魔力を消費するのだ。
その労力や疲労の苦しさが目に見えている。
「メリルさんは、既に魔力強化を施した状態で戦闘を行える程の技量があります。今度は、その状態を維持した上で、魔力消費を重ねる事で魔法を発動して下さい。これが第一段階となります」
何もこれで終わる訳では無い。
まだ、段階の序の口なのだ。
「ふーっ...。第一段階の時点で、随分と無理難題なものに思えるが、ルシウスが言う事だ。私にも十分に出来る事なのだろう?そして、最終段階が、動きながらの、詠唱の黙読での発動なのだろう?」
覚悟は決まった。
目指すべき理想も思い浮かんでいる。
ならば、そこを目標に突き進むだけだ。
「はい。その通りです」
「そんな笑顔で言われてもな...だが、その期待には見事応えたいと思うぞ。もう...負けたくないからな」
笑顔で言われても?
可笑しいな。
自分では笑っているつもりは無かったのに。
「...では、メリルさんの魔力が尽きるまで頑張りましょうか!」
魔力枯渇の恐ろしさなど、これから何度も直ぐに味わう事になるのだ。
メリルのその姿を想像し、何故か自然と笑ってしまう僕が、其処に居た。




