069 古代遺跡と聖遺物⑦
古代遺跡最上階。
このフロアに到達した瞬間、周囲には異様な雰囲気が漂っていた。
(...この階層は、通常よりも魔素が濃いのか?)
古代遺跡で魔物が死んだ際、魔物が保有している魔力をダンジョンコアが吸収する事で古代遺跡として維持されている。
古代遺跡から魔物が居なくならないのはその為なのだが、低位の古代遺跡となると、解き放たれた魔力を効率良く全て吸収出来る訳では無いのだ。
その残滓が霧散して行き、魔素(体外魔力)へと変化されるのだ。
(どうやら、魔物の総数が少ないようだし...やはり、危惧していた事が実現しているようだね...魔力圏に引っ掛かる一つだけ強大な反応)
この階層に到達して感じた事は、これまでの階層には魔物が溢れていたのに、この階層に限ってはそれが無いと言う事。
生体反応は一つだけで、それもかなり巨大なものだ。
それを証明するように、古代遺跡内では、ズルズルと地面を引き摺るような音が響き渡っていた。
(この地面を這うような動きからしても、蛇型の魔物で間違い無いな...しかも、この階層に反応があるのは一匹だけ...他は喰い尽くされたのか)
この階層には、強大な反応が一つだけで他には見当たらない。
蛇型の魔物が古代遺跡内を徘徊し、再生産する魔物を喰い殺しているようだ。
それは見境無く、同種族も、他種族も。
弱肉強食の世界で、その一匹だけの魔物が生き残り、魂位を上げて種族進化を済ませた。
(離れた場所に居ても、その存在の強大さが威圧を生み出している...)
その魔物が放つ魔力は凶々しく、ネットリとした陰湿な雰囲気を纏っていた。
「ねえ、ルシウス...何だかここ、息苦しいよ...」
魔力感知に鋭敏な、さくらが、その魔物が放つ魔力を感じ取ってしまい、とても苦しそうな表情を見せる。
(さくらは凄いな...魔素が濃いこの場所でも、相手の魔力を正確に感知出来るなんて)
この階層に限れば、他の場所よりも魔素が濃い為に相手の魔力を感知する事は難しい。
通常、魔素が濃い場所では、レーダーをジャミングするような電波妨害に似た魔力妨害が働くからだ。
それを難無く乗り越えて相手の魔力を感知してしまうのだから、賞賛しかない。
「確かに、何だか寒気を感じてしまうな...」
メリルは、本能的に生存危機を感じているようだ。
いや、それはギュンターもか。
「ああ、ブツブツと身体が反応しやがる。それに、首の後ろ辺りか?この階層に来てから、ずっと嫌な感じが離れねえ」
全身鳥肌が立っているギュンター。
今は強がって笑っているが、表情も引き攣ったままで何処かぎこちない笑顔。
目の焦点も定まっていない。
(野生児の天才二人も、生存本能による危機察知をしているようだ...戦えるのか?)
まだ、魔物と対峙していない状態でこれだ。
目の前で魔物と対面したら硬直してしまいそうな勢い。
『マスター。どうやら、相手もこちらの位置を把握したようです。相手の場合は、視力に頼らない、動物の体温を感じ取る赤外線感知器官(ピット器官)によるものですが、これはマスターの魔力圏に近いものです』
蛇は、一部の種に、赤外線を感じ取る赤外線感知器官(ピット器官)を唇にある鱗(上唇板、下唇鱗)や目と鼻孔の間に持っている。
赤外線とは、可視光線の赤色より波長が長く(周波数が低い)、電波より波長の短い電磁波の事。
人の目では見る事が出来無い光だ。
解り易いのは、サーモグラフィーから覗いた映像が一番想像し易いだろう。
ちなみに、耳孔や鼓膜は退化している為、地面の振動を下顎で感知している。
(確かに、僕達の方へと向かって来る動きが速まったようだ。後は、皆が動けるか...だね?)
息苦しい空間に、嫌な緊張感が漂っている。
皆、身体が思う通りに動かないようだ。
「皆!注意をして下さい!魔物はそろそろこの部屋へと到達します!東西南北に分かれてスペースを十分に使用して下さい!」
僕がそう指示を出すと、それぞれが自分達の返事をして言われた通りに散らばった。
相手は魔力圏で探知した結果、全長二〇mを超える大蛇。
角に追い詰められた時、逃げる事が難しそうな為、大部屋全体を活用出来るように四散して戦う事を選んだ。
「キシュー!!」
大部屋へと、長い舌をチョロチョロと動かして現れた大蛇。
その巨大さから、蛇と言うよりは龍のように見える。
大蛇は部屋に入るなり上体を起こし、コブラのように身体の前方を直立させた。
紅い蛇の目が不気味に輝いている。
「おい!ルシウス!?俺達は、コイツと戦うのか!?」
ギュンターが、その巨大さに、魔物が放つ強大な魔力にたじろぐ。
自身が想像していた範囲を、ゆうに超えていたみたいだ。
「何だ、この大きさは!?神代の化け物とでも言うのか!!」
メリルが記憶する中で、これ程巨大な魔物とは遭遇した事が無い。
情報としてだけ知っている巨大な魔物は、文献に載っているような古の魔物だけ。
それはメリル本人が低位の魔物としか遭遇していない事を示唆していて、この国全体が比較的安全な地域と言う事を表しているのだが。
「...何だか、魔力が怖いよ...黒くて...暗くて...痛い?」
さくらは、大蛇の放つ悪意のある魔力を浴びてしまった。
その感覚は、身動きをさせないように手足を縛り付けられ、頭を上から押さえつけられた状態で、死なない範囲の痛みを永遠に与えられているかのような、そんなねちっこさ。
感情の鋭さが仇となってしまったようだ。
「皆!動きを止めるな!!」
皆が、蛇に睨まれた蛙と同じように足を止めていた。
それは為す術の無い恰好の的になる事を示している。
「キシェー!!」
一瞬の出来事だった。
上体を起こしていた大蛇は、真正面に立っている僕へと、その身体を突進させて来たのだ。
(なっ!?速い!!)
全身筋肉の大蛇。
瞬発力が凄まじく、その巨体に似合わない素早さを発揮していた。
しかも、部屋の壁など気にせずに、その身体を勢い良くぶつける。
それはほんの一瞬の出来事で、「ドゴーン!」と言う激しい衝突音が部屋中に響き渡った。
「ルシウス!?」
部屋の西側に位置していた、さくらが咄嗟に叫んだ。
初見の身体が強張った状態では、目視で反応出来る速さでは無く、気が付いたら攻撃が終っていた状態。
僕が壁にそのまま潰されたように見えてしまったらしい。
だが、僕は突進よりも速く身体を捻り、大蛇に蹴りを入れた反動でその攻撃を避けた。
ただ、その蹴りを入れた感触は、ゴムのような弾力と鋼鉄のような硬さを併せ持っていた。
(なっ!?全身が筋肉の塊じゃないか!これでは打撃じゃ全くダメージを与えられそうに無いぞ...)
頭から壁に勢い良くぶつかった大蛇だが、ダメージは無くケロッとしていた。
「さくら、大丈夫だよ!それよりも、自分達の役割を忘れずに回避行動優先で!!」
今は、まだ相手の能力が解らない状況。
大蛇の能力を分析しながら、注意を払いながら戦闘しなければならない。
(こいつは、ゲーム時代に見た事が無い魔物...なのか?)
『マスター。目の前の魔物に該当するデータが存在しておりません。この世界独自の進化体。もしくは、突然変異による変異種かと思われます』
蛇と言っても様々な種類が存在している。
現実世界では、三,〇〇〇種類以上いる蛇の中で毒を持っている毒蛇は二五%を占めている。
実在する蛇の中で世界最大の大きさは一〇m程のニシキヘビやアナコンダで、毒蛇となると五m程のキングコブラとされている。
だが、目の前に居る大蛇は、そのどれにも該当しない種類の魔物で、しかも、ゲームにさえ登場していない魔物だ。
「どんな、能力があるか解らない...捕まったら最後だ」
蛇は、自身よりも大きい獲物でも巻き付いて窒息死させる事が出来る。
ニシキヘビやアナコンダなどは、獲物を窒息死させた後(もしくは、締め付けて心臓の鼓動を止めた後)に丸呑みするのだ。
「なっ!?キャッ!?」
東側に位置していたメリルが突然声を上げた。
大蛇は壁にぶつかった後、背を向けたまま振り返りもせずに上体だけを起こし、その場で尻尾を振り払ったのだ。
目で確認せずとも、この部屋の中を熱源だけで把握している大蛇。
メリルの位置を正確に認識し、尻尾を鞭のようにしならせて振り払った。
魔力で全身を強化しているのにも関わらず、剣を間に挟んで衝撃を受け流そうとしたのに、その質量の大きさに通用する事など無かった。
「ガハッ!!」
メリルは壁に叩きつけられてしまい、その衝撃が全身を駆け巡った。
その際、肋が何本か折れてしまい、その場で吐血する。
「メリルさん!?」
大蛇が侵入して来た入り口付近の北側に位置していたギュンター。
メリルが傷付いた事で、怒りの臨界点がブチッと軽く超えた。
「テメエー!巫山戯るな!!」
今までに聞いた事も無い、怒気を帯びたがなり声。
赤髪が逆立ち、全身に紅い魔力を身に纏う。
倒れているメリルを助けるべく、その場へと急いで駆け寄った。
「メリルさんを傷付けた尻尾など切り刻んでやる!!虎襲連撃!!」
爪を立てるように両手を広げ、尻尾を攻撃する。
魔力を込めたその攻撃は、鋭い斬撃となり大蛇の身体を切り刻んで行く。
怒りで我を忘れているギュンターは、体力や魔力を一才気にせずに攻撃へと振り切っている。
(あの攻撃でも傷が浅い?だが、切り傷が焦げているのか?)
ギュンターが使用出来る固有戦技が、ゲーム時代の戦技に火属性を加えたもの。
それと同じ要領で、通常の戦技にも無意識に火属性を加えているギュンター。
大蛇の身体を焼きながら切り刻んでいた。
「キシェー!」
大蛇の鳴き声が部屋の中にこだまする。
傷自体は浅いもので、何ら大蛇の動きを制限するものでは無い。
だが、此処何年も傷付く事など無かった大蛇は、久しぶりに痛みを感じたようだ。
そして、その攻撃を嫌がった大蛇は身を翻し、頭をギュンターの方へと向けた。
「♪♪♪〜」
そこへ、さくらによる支援攻撃。
歌って舞いながら、自身から放たれた四つの魔力球を操作して大蛇へとぶつける。
ギュンターの方へと意識が割かれていた大蛇の無防備の顔面にクリーンヒットする。
「ギィー!!」
攻撃の衝撃がそのまま上体を揺らした。
僕は、更にその攻撃に続くようにと、自身が操作出来る魔力球を鋭く尖ったものへと変化させた。
(打撃が効かないのなら!)
両手を横に広げ、よろけている大蛇に狙いを定める。
空中に浮かぶ幾つもの魔力矢。
的の中心を確実に射抜くように、全ての魔力矢に意識を通わせる。
「狙い撃つ!マギープファイル!!」
相手の視覚を奪う為に、少しでも脆い箇所を狙う為に、大蛇の眼に狙いを絞って魔力矢を放った。
ピット器官で熱感知をしている相手。
資格を奪ったところで意味は無いかも知れないが、有効な攻撃を遠慮無く与えて行く。
そうして空中に浮かぶ魔力矢は、スパイラル状に回転して勢い良く対象を貫いた。
「キィー!キィー!!」
痛みを感じている大蛇。
その場でのたうち回るように身体を波打った。
すると、その巨体を縮小させては、その場でとぐろを巻き始めた。
(これは...一体何をする気だ!?)
勢い良く渦巻いた大蛇は、その縮小させた身体を爆発させるように、突然シュルシュルと尻尾を広げて振り回した。
周囲に巻き起こる風。
同時に、刃のような鋭い風圧を生み出した。
「なっ!?」
全員が不意を突かれた形。
ギュンターに倒れていたメリルは尻尾に弾き飛ばされ、僕とさくらは尻尾を避けたは良いが風の刃に切り刻まれた。
「キャー!!」
「ぐはっ!!」
すると、大蛇は部屋の中央へと陣取り、舌を「シュルシュルシュル」と動かし始めた。
それは、生物としての格の違いを見せつけるように。
弱肉強食の世界で、捕食者としての絶対強者の余裕の現れ。
初めから抗う事が間違いなのだと、教えられているように。
(ちっ!こんな攻撃をしてくるなんて!!あれじゃあ軽い竜巻じゃないか!?プロネーシスみんなの状態は!?)
『はい。マスター。メリルは、今の攻撃で気を失っております。ギュンターは、壁に叩きつけられて右肩、右鎖骨を骨折しております。さくらは、裂傷による出血で動きが二〇%低下しております』
メリルを除けば、まだ何とか戦える事が出来る状態だ。
だが、こちらの方が断然分が悪い。
そして、大蛇はその好機を逃さなかった。
「キシュー!!」
気絶しているメリルに狙いを絞り、身体を巻き付けて窒息させるつもりだ。
尻尾が勢い良くメリルへと伸びて行く。
僕の鼓動が「ドクン」と胸打つ。
離れた場所から、助けに入る事が出来無い不甲斐無さ。
言葉では説明出来無いが、僕の中に存在する得体の知れない何かが「キューッ」と締め付けられる感覚。
目が余計に見開いて、眉間に皺が寄っていた。
間に合わ無いと解っているけども、脚には力が込められ、精一杯動かしていた。
「させるかー!!」
丁度その時、メリルの近くに居るギュンターも動いていた。
傷付いた身体に鞭を打ち、その攻撃を止めに入る。
だが、先程の我武者羅な攻撃で、体力も魔力も尽き掛けている状態。
それでも、ギュンターは目の前の出来事を黙って見過ごす事など出来無い。
自身の思い人なのだから尚更だ。
「うおぉー!!!」
メリルへの尻尾の巻き付けを身代わりするギュンター。
元々、大蛇からすれば全員を喰らうつもりだった。
対象が他の者に変更になろうが構う事は無く、言ってしまえば、喰らう事さえ出来れば誰でも良いのだ。
「シャー!」
自身の身体よりも太い尻尾が、ギュンターに絡み付いて来た。
残り少ない魔力で全身を強化しているのに、大蛇の締め付ける力の方が遥かに強い。
「ぐぁああ!!」
身体が押し潰されて行く感覚に支配された。
その時、無理矢理身体を巻き付けられているので、自身の腕や手などが間に挟まり身体に食い込んで行く。
肘が肋を圧迫し、指が太ももに食い込む。
潰れるように肺が押され、上手く息をする事が出来無い。
最初はギシギシと身体が鳴り始めていたのに、次第にボキボキと骨が折れて行く嫌な感覚をじっくりと味わう。
すると、頭の中の酸素が欠乏して行き、目がギュルンと上を向き始めた。
苦しい筈なのに、痛みをシャットダウンする為の脳内麻薬がそれを和らげ、意識を失う中で心地良さを感じた程。
ギュンターは、そうして気を失った。
「てやー!!」
僕は、ギュンターに巻き付いている尻尾を、魔力で形成した刃“マギークリンゲ”で斬り落とす。
その太く逞しい尻尾は筋肉の塊だが、僕の最大まで魔力を凝縮した刃は、それをいとも容易く切断した。
ただ、ギュンターは、尻尾に巻き付かれていた攻撃から解放されると、その場でグデっと倒れ込んでしまった。
「ギェー!!」
尻尾を切り落とされた大蛇が鳴き叫ぶ。
その時、赤が濁ったドス黒い血が周囲へと飛び散った。
すると、痛みに発狂した大蛇は、暴れ狂うように口の中から得体の知れない液体を噴射し始めた。
その液体が床や壁に付着すると、「ジュー」と泡が立ち床や壁の表面を溶かしてしまった。
「なっ!?こいつは毒まで持っているのか!?」
蛇の中では一部、口の中に毒牙を所持している種類がいる。
その中でも更に珍しい、毒牙から生成された毒液を噴射する蛇の種類、コブラなどが存在するのだ。
毒腺の穴から、標的を正確に狙って毒液を命中させる事が出来てしまう程。
目の前の大蛇は、様々な種類の特性を兼ね備えたハイブリッド種となる。
噛めば出血毒で壊死させて、吐けば神経毒で麻痺、又は身体を溶解させる。
「シャー!」
僕とさくらは、大蛇が繰り出した風の刃により身体に傷を負っている状態。
毒液の噴射は、それだけでかなりの脅威となる。
「さくら!あの液体に触れては絶対ダメだ!!毒にやられて死んでしまうぞ!」
僕は、さくらにそう伝えながら、気絶しているメリルとギュンターを一箇所に集め、二人を守るように前に出た。
迫り来る毒液は、こちらに近付く前に魔力球をぶつける事で相殺させ、時々噛みつこうと突進して来た場合は、二人を抱えてその場から離れる事で。
「うん!解った!」
さくらは、自身の身体の痛みを誤魔化して、暴れ狂う大蛇を魔力球で牽制しながら毒液を回避して行く。
その際、傷付いて倒れているメリルとギュンターが目に入り、また自分が何も出来なかったと悔やんでいる様子だった。
だが、こんな時でも、自分の事よりも他人の事の方が心配なのだ。
少しでも二人の状態が良くなって欲しいと自身も危険な状況の中、歌う事で回復して貰う事を選んだ。
「♪♪♪〜」
緊迫した状況の中で癒しを伴った歌声。
危機的状況が集中力を増し、その動きを鋭敏にさせた。
そして、僕の動きを真似するように、噴射された毒液には魔力球をぶつけて対処し始めた。
(この状況下で、そう判断出来る対応力!凄いな!本当に頼りになるぞ!)
正直、今の僕達は劣勢。
それもかなりの。
四人の内二人は気を失っている状態で、残りの二人は全身に切り傷がある状態。
全員が助かる為には、動けないメリルとギュンターを守りながら戦わなくてはならないのだから。
さくらもそれが解っているようで、どうすれば良いのかを瞬時に理解した。
すると、僕の代わりを行うように、メリルとギュンターの前に出て目配せをした。
(僕の代わりをしてくれるのか!?)
さくらが、そう言葉にした訳では無いが、視線や行動で相手の考えが伝わった。
これは、魂の回廊が繋がっているおかげで余計にそうさせるのかも知れないけど。
(それだったら、僕は大蛇だけに専念出来るぞ!!)
僕は、さくらに二人を任せる事で大蛇を倒すべく前に出た。
相手も手負いな事は間違い無いのだから。
眼は破壊され、身体には切り傷、そして、切断された尻尾。
後一歩のところまで来ている。
それならやり遂げるだけだ。
「シャー!!」
きっと、大蛇も生まれて初めて此処まで傷付いたのだろう。
尻尾から血が垂れ流れてのたうち回っていても、噛み付いたり毒液を噴射したりで、必死に生き残る為に抵抗しているように見える。
「お前も生き残る為だけに必死だったんだな?だが、それは僕達も同じ事」
生き残る為に、自分の生命を守る為に、相手の生命を奪うのだ。
「生命を奪う覚悟だって、生命を奪われる覚悟だってある。だけど、生命を簡単に奪われるつもりなど無い!」
大蛇は狙いを絞らせない為、身体を必死にくねらせ、毒液を噴射しては牽制している。
近寄らせない為にも、獲物を仕留める為にも、なりふり構わずにだ。
僕は、その攻撃を避けながら大蛇の身体を登って行く。
魔力剣で大蛇を斬っては、身体の強度を調べるように。
だが、大蛇の頭に近付くにつれて、その強度が増している。
現時点での僕の力では、尻尾の時の様に頭を斬り落とす事は出来そうに無かった。
「お前もそうなのだろう?生命を奪われたく無いからこそ、他人の生命を奪って来たのだろう?」
「ドクン」と鼓動が高鳴り、抑えられない気持ちが高揚している。
普段は隠している背中の魔力翼も、自身の抑えられない魔力が溢れてしまい、片翼のみだが具現化されていた。
さくらは、歌いながらそれを目撃し、心の中で(...翼?...きれい)と感じていたそうだ。
普段の僕の魔力波長とは異なる、金色の翼が広がる事を見て。
歌にも自然と感情が乗り、その声量が増して行く。
今までに出した事が無い、自身の音域の限界を超えてだ。
「♪♪♪〜!!」
音と魔力の調和。
幻想的な光景が空間を支配した。
この時、自分では気付けなかったが、片翼と同じように片方の瞳だけが金色に輝いていたそうだ。
「ならば、私がお前の生命を奪ってみせよう!その肉体も!その精神も!その全てを!!」
僕(?)は、大蛇を斬る為の魔力剣から突く為の魔力槍に変化させた。
頭を斬り落とす事が出来無いならば、何度も何度も貫けば良いだけだ。
「貫け!マギーシュペーア!!」
僕は、手の先から伸びる魔力槍を大蛇の脳天に突き刺した。
何度も。
何度も。
それは何度も。
相手の動きが止まるまで何度も。
底知れぬ渇望を潤す為に、相手の生命を奪うまで何度でもだ。
すると、次第に大蛇の抵抗する力が弱まり、その巨体が地面へと沈んで行く。
「ドスーン!!」と大きな音を鳴らし、大蛇は地面へと叩き付けられた。
土埃が上空に盛大に舞うと、金色に光る魔力残滓が土埃に反射し、部屋全体がキラキラと煌めいた。
やがて、大蛇の活動その全てが停止した。
「ルシウス!凄いね!一人でやっつけちゃったよ!!」
さくらが、僕の下へと駆け寄り嬉しそうに笑っていた。
だが、僕には何を喋っているのか、疲労により言葉を理解する事が出来なかった。
身体中が痛い。
魔力も尽きかけている状態。
まさに満身創痍と言ったところ。
身体に鞭を打つ事で大蛇の頭上から地面へと降り立った。
「大丈夫?私に捕まって?」
さくらが、その小さな身体で僕を支えてくれる。
僕が地面へと降り立った時に、足に力が入らずよろけた姿を見て心配してくれたからだ。
「...」
口を必死に動かしたが、言葉が出て来ない。
それでも、「ありがとう」と口を動かして精一杯に微笑んだ。
「どう致しまして」
満面の笑みで返事をくれた。
どうやら、言葉に出来なくても想いは伝わるものだ。
僕は、その事が無性に嬉しかった。
ああ。
さくらの顔を見ると、心が安らぐ。
一緒に居ると、気分が舞い上がる。
何だか解らないけど、とても心地良い。
気が付いたら僕は、目を閉じて、その事を噛み締めていた。
「...」
そうして、ホッコリとした気持ちを心に留めた。
メリルとギュンターの二人が心配だ。
さくらの癒しの歌のおかげで、遠目からでも二人が多少なりとも回復している事は確認出来た。
まだ意識は戻っていないが、時期に目覚めるだろう。
後は聖遺物を入手すれば完了だ。
『マス???...」
あれっ?
プロネーシスが何か喋っている?
この時、僕の意識は極度の疲労の為に薄れていた。
だから、背後で起きている異変に気付けなかったのだ。
プロネーシスはそれを必死に伝えてくれていたのに。
活動を停止していた筈の大蛇。
それが途端に、その全身を覆う外皮がひび割れ出したのだ。
脳天を貫かれて一度は生命を失った筈なのに。
すると、ビビビッと一瞬の内に外皮が破け、中から新しい大蛇が誕生した。
蛇は、脱皮をする事からも「死と再生」を象徴する生き物。
この変異種は一度限り、それを行う固有能力を持っていた。
「シャー!!」
鳴き声を聞いた(認識した)時には、もう遅かった。
僕の身体を支えてくれていた、さくらは、その鳴き声と共に尻尾で払われていたのだから。
「えっ?...さく、ら?」
隣に居た筈の、さくらの姿が見当たらない。
僕がそれを認識した時、僕の鼓動は「ドックン!!」と大きく鳴らした。
そして、初めはゆっくりだったものが次第に速まって行く。
「ドックン!」
勝利をしたと思い、無警戒で無防備な状態。
僕達の意識外から大蛇による強力な一撃。
「ドックン」
さくらは、近くに居ないなら一体何処に居るのか?
そう周囲を見渡した時、さくらは壁に叩きつけられて頭から血を流していた。
「ドックン」
目に付くのは不自然に折れ曲がった脚。
僕の頭の中は酷く混乱している。
「ドクン」
この場所で、この街で、この国で、唯一回復を出来るのは、さくらだけなのに。
すると、心の底から湧き水のように暗い感情が込み上げて来る。
「ドクン!」
その当人が怪我を負ってしまったら、他の誰にも治す術が無い。
隠と陽が混じる感情。
「ドクン!!」
そうして、陽を完全に覆い尽くした隠。
僕の心は抑えられない衝動に支配された。
目の前で僕の大事な人を傷付けられたのだから。
「こ、コ、殺、殺して...やる!!!」
全身の筋肉が膨張し、異様に浮き上がる血管。
抑えられない衝動が考えるよりも先に身体を動かした。
魔力に感情が乗り、激情のような殺意が渦巻く。
そうして大蛇に反撃をしようと動いた時。
何故か、僕の身体に激痛が走った。
「...?」
この痛みは何だ?
いつの間にか僕を貫通している牙。
そして、真っ赤に濡れた身体。
噴き出す血が止まらない。
『バイタルサイン、異常値を計測。血圧、脈拍、体温、呼吸、どれも増減幅が異常です。マスター?マス...?』
あれ程の激情が、身体から零れ落ちる血と同じように消えて行く。
僕と言う意識が消えて行く恐怖。
否が応にも死と言う現実を突き付けられた。
[...いいのか?]
まだ僕は何も成し遂げていない。
折角、自由に動ける身体を手に入れたのに。
夢にまで見ていた英雄には程遠い。
もっと、もっと生きていたいのに。
[奪われたままでいいのか?]
心を満たす黒い感情。
苦しさの中、更なる闇が蠢き始めた。
これは...誰の声だ?
何処から聞こえているのかが解らない。
[奪われるなら、奪えばいいだろう?]
僕の知らない、欲に塗れた感情が黒い心を上書きして行く。
湧き上がる止めどない欲望。
そうか...
奪われる位なら、奪ってやれば良いんだ。
相手がした事と同じように。
肉体も、精神も、その全てを。
『体内魔力が暴走。基準値を遥かに超える魔力が生成されております。このまま不安定な状態で...』
プロネーシスの言葉を聞いたのは、それが最後だった。
僕以外の僕が蠢く。
「うがぁぁあああああ!!」
殺意に忠実な獣のような咆哮。
とても人間が出せる叫び声では無い。
すると、全身にバチバチと弾ける金色の魔力を身に纏い始めた。
先程は片翼のみだった魔力翼も、今度は完全なる両翼。
それは瞳にも言える事で、両眼共に金色に輝いていた。
その異変を感じ取った大蛇は、噛み付いていた牙を引き離し、距離を取ろうと離れて行った。
「がっ!!」
翼を上手に使い、空中へと飛び立つ。
その両翼は、「シュコー」と周囲から体外魔力を吸収し、活動エネルギーに無尽蔵の魔力を生成して行った。
羽ばたくごとに両翼から金色の魔力が溢れ出す。
その金色の魔力に触れた仲間達は、傷付いた身体が一瞬で元通りに戻った。
僕自身の傷付いていた身体も回復を始め、むしろ戦闘前よりも良い状態だ。
「...」
暴れ回る大蛇を睨み付ける。
僕はそのまま空中で勢い良く両手を広げ、両翼から生み出される無尽蔵の魔力をコントロールし、部屋全体に無数の魔力塊をびっしりと埋め尽くした。
魔力を凝縮させて密度を高めて行く。
魔力塊は次第にその形を変え、鋭く尖った槍を形成して行った。
「がうがうがうがう!!」
全てを破壊したい衝動。
底知れぬ欲望に、満たされない渇き。
私から大切なものを奪ったのはお前なんだ。
だったら、お前の存在全てを奪っても良いのだろう?
それは一度で終わらせるのでは無く、存在も記憶も無くなるまで全てを消失させる。
「がぁー!!!」
大蛇の周囲を囲むように空中に浮かび上がった無数の魔力槍は、その一声で一斉に解き放たれた。
目にも止まらぬ速さで大蛇へと刺さって行く。
第二波、第三波と、それは何度も何度も繰り返された。
だが、全身を串刺しにしても、まだ終わらない。
すると、大蛇に刺さっている無数の魔力槍が連動し、二本一対で魔力が反発し合い爆発を生み出す。
大蛇の全身至るところで爆発が生じ、原型を残さずに弾け飛ばして行く。
「ぐごがごご!!」
原型が解らなくなった位の、その程度で終わらせる訳が無かった。
奪うと言う事は、相手の全てをだから。
胸の前で魔力を何度も圧縮させ、高密度な魔力へと凝縮させて行った。
同時に、周囲に結界を張る。
そうして魔力球に重力を持たせ、更に加重を繰り返し縮退球を作り上げる。
これは、光すら抜け出せない超質量エネルギー。
僕は、それを大蛇へと放った。
普通、狭い空間で(と言うか地球上で)これを放てば、僕達も巻き込まれてただでは済まない。
だが、同時に結界を展開させて縮退球との間に別次元を作り出している。
結果、縮退球は大蛇だけを飲み込み、その存在すらも、その記憶すらも、その全てをこの世から消し去った。




