065 古代遺跡と聖遺物③
「ロジーナ!!」
眠りに就いていた筈の男性が突然叫んだ。
ロジーナ?
誰の事を言っているんだろう?
「...!?」
目が覚めた男性は、朧げながらもキョロキョロと周囲を見渡している。
全く知らない場所に居る事で、かなり困惑している様子だ。
「目が覚めたようですね?」
僕は、その困惑している男性へと話し掛けた。
相手を落ち着かせる為に、現状を理解して貰う為に、そして、僕達が相手の状況を確認する為に。
「此処は...何処なのだ?」
興奮状態の中、目がバキバキに見開いている男性。
だが、手当てを受けている自分の格好を確認して助けられたと言う事を悟った。
それなら相手に悪意は無いだろうと、話し合いが出来る相手なのだろうと、現状を理解する為の行動に移っていた。
「ここは、領都イータフェストから離れた場所にある教会です」
「...教会(?)...だと?」
これまでに教会と言う単語は聞いた事があるが、自分自身と関わった事が一度も無いと言った反応。
まあ、相手の身形を考えれば当然なのかも知れない。
目の前の男性は、僕達が普通に生活をしていれば、先ず関わる事など無い貴族様なのだから。
「はい。丁度オークションの帰り道、傷付いている貴方を見付けたので、勝手ながら此処まで連れて来て手当てをさせて頂きました」
目の前に居る男性は、オークションで聖遺物を落札した男性。
まさか、こんな形で関係を持つ事になるとは想像もしていなかったけど。
オークションも終わり、自分達の落札物を確認し終えたところ、教会への帰り道で偶然見つけてしまった。
その場に残った、大破していた馬車。
死亡していた馭者と馬二頭。
その場から消えていた聖遺物。
周囲には複数の足跡。
それらの事を考慮すれば、オークションの帰り道に野盗に襲撃されたのだと言う事が考えられる。
直接本人に聞いた訳では無いが、状況的に考えてもその可能性が高いだろう。
「...そうか。君に助けられたのだな...。先ずは、お礼が遅くなってしまい、すまなかった。私を助けてくれてありがとう」
想像していた貴族様とは違って、傲慢な態度が一才見られなかった。
目に見えて一般人だと解る相手にも、こうして頭を下げてくれているのだから。
「そうだ!!私以外に、他に生き残りは居なかったか!?」
「ハッ!」と思い出したように声を荒げた。
そう言えば、オークションの時、この男性は歳の離れた女性と一緒に居た。
もし、うわ言で叫んだロジーナと言う名前がその人物の事を指しているのだとすれば、あの場所に女性は居なかったのだが。
「ええ...残念ながら貴方以外には生き残りは居ませんでした...」
「!?」
それを聞いた男性は、ショックのあまり、黙って下を向いて瞼を深く閉じた。
その時、自分の表情を他人に見せないように手で隠しながら。
だが、身体が勝手に震えてしまっている。
「ぐっ...はあ、くっ」
堪え切れない悲しみが感情を支配しているようだ。
表情は隠しているけど、その思いまでは隠し切れていない。
涙が下に零れ、ベッドを濡らしている。
「...」
僕は、それを見ている事しか出来なかった。
それは、相手が何を思って、何を感じているのかが解らないから。
闇雲に口を挟んでも、相手の気持ちに添える訳では無いから。
「すまないな...取り乱して。生命が助かっただけでも、ありがたい事なのにな...その事については感謝をしてもしきれない」
内に溜めていた感情を外へ放った事で冷静となる。
生命のありがたみを噛み締めていた。
「だが...私の一人娘...ロジーナが...」
その言葉が表しているように、その男性の悲痛な表情が表しているように、その女性は掛け替えの無い存在だったのだろう。
娘の顔を浮かべては、再度、涙が滲んでいた。
「ちょっと待って下さい!先程、貴方以外に生き残りは居ませんと伝えましたけど、それは、あくまでも生き残りであって、あの場に女性は居ませんでしたよ!?」
ようやく伝える事が出来た事実。
会話の難しさでもある。
感情が定まっていない相手との対話は、纏まりが無く紆余曲折してしまう。
ただ、やはり男性がロジーナと呼んでいる相手は、オークションの時に男性の隣に座っていた女性で間違い無さそうだ。
「なっ!?それは本当か!?確かに、女性は居なかったのだな!?」
男性からすれば、一筋の光明が差し込んだ思い。
語気は強まっているが、それは生きているかも知れないと言う希望があっての事。
目に輝きが戻っていた。
「ええ。あの場には大破された馬車、怪我を負った貴方と、既に殺されて亡くなっていた馭者一名と黒馬二頭です。それ以外は誰も居ませんでした」
男性だけ殺さずに生かしたと言ったところだろう。
心臓を一突きされていた馭者。
頭を刺されていた黒馬二頭。
明らかに襲われて殺されているのだ。
「殺されて...いた?...うっ!!」
殺されたと言う言葉を引き金に、当時の状況を思い出し、頭を抱え始めた男性。
男性は、薄れ行く意識の中、襲った相手の会話を聞いていた。
それを必死に思い出そうとしている。
「そうだ...あいつらは複数いたんだ。聖遺物を手に入れる為に襲ったのだと。そして、我が娘ロジーナを連れて行くと...」
そう言うと、再び震え出した男性。
だが、今度は悲しみによるものでは無く、怒りによるもの。
抑え切れない憎しみが、身体の外側へと溢れ出ているのだ。
「あの野盗どもが!必ずや、私を襲った事を後悔させてやる!そして、娘を連れ去った事をその生命で償って貰おうぞ!例え、それが地獄の果てだろうが必ず探し出してやる!!」
思いを言葉にして意思を乗せる。
敢えて怒りの感情を口に出す事で、やり遂げる決意を表明したのだ。
男性の表情は、目の周りの毛細血管が今にも切れてしまいそうな程の感情の爆発。
到底許す事など出来無い行為であり、断罪を行うべき所業。
眉間に皺を寄せながら、殺意を周囲にばら撒いていた。
(相手の事を許せないよね...と言うか、許したくも無いだろうし...)
もしかしたら、相手にも事情があったのかも知れない。
本当は、やりたくてやった事では無いのかも知れない。
相手の意思全てを確認出来る訳では無いので解らない事ではある。
これは野盗に成り下がってしまった人物が悪いのか?
それとも、野盗が生まれてしまう環境が悪いのか?
“罪を憎んで人を憎まず”。
こんな言葉があるのだが、実際に被害者となった場合、そんな気持ちで済ませられる訳が無い。
被害を受けた者からすれば、罪を犯した加害者など憎くて仕方がないものなのだから。
「...そう言えば、聖遺物が他にもあるとか言っていたな。探させる為に娘を使うとか、そのような事も...」
拐われた女性に盗まれた聖遺物。
一人だけ生かされた男性。
記憶の会話通りなら、犯人は、もう一度男性に接触して来る事が考えられる。
「すまないが、貴方は見るからに冒険者だろう?正直、初めて会った人物にこんな事を頼むのもどうかしているが、私を助けて頂いて縁もある。どうか、貴方には娘の救出を手伝って欲しいのだが、良ければ頼まれてくれないか?」
突拍子も無い救出依頼。
だが、この男性は、立場を振りかざして上から偉そうに命令している訳では無い。
これが、貴族特有の傲慢な態度が見受けられるなら話は別だが、僕のような人物にも畏まった態度で対応してくれている。
それに、僕が目指している、弱きを助け強きを挫く英雄ならば、この話は断らないだろう。
折角の貴族様と繋がるチャンスでもある訳だし。
「ええ。私で良ければお手伝いをさせて下さい」
「おお!それは、とてもありがたい話だ!感謝する」
男性は、嬉しそうに笑みを浮かべた。
すると、「ええっと、漆黒の仮面(?)の...」と言い淀んでしまう。
僕は、相手に舐められない為にも、姿を隠したまま話を進めていたのだ。
そう言えば、お互いに名乗っていなかったな。
「私は、ルシウスと申します。ここイータフェストで、冒険者をさせて頂いております」
「そうか。先に名乗らせてすまなかったな。ルシウス。私は、アウグスト・ヘアツォーク・ヒンドゥルヒだ」
どうやら目の前の人物は、この国が始まって以来、由緒正しく続いている貴族の家系ヒンドゥルヒ家の人間。
ヘアツォークと言う事は、爵位のあるお偉いさんで公爵と言う事だ。
「では、すまないが、一旦我が家に戻っても宜しいかな?娘を救出をする為の、諸々の手続きをさせて頂きたい」
「ええ。では、そのまま依頼を受ける事になると思いますので、私の方も、仲間と一緒に行動をしても宜しいですか?アウグスト様を救出した際に、私達は四人で行動をして居ましたので」
アウグストを襲った連中は、全く未知となる野盗。
その住処も、人数も、構成比も解らない相手だ。
だが、僕、さくら、メリル、ギュンターの四人さえ居れば、難無く対処出来る相手だと思う。
「ああ。それは構わないよ。これは自分でも言葉に出来無い感覚なのだが、何故か君の事は信用出来るし、私が見て来た冒険者の中で、よっぽど頼りになる気がするのだ。伊達に長い事生きている訳ではないと言う事だよ」
「そう言って頂き、ありがとうございます。では、他の皆を読んで参りますので、揃い次第、アウグスト様の邸宅へと向かいましょうか?」
さて、これからどんな事が起きるのかが全く想像出来無い。
だが、最優先事項は、アウグストの愛娘ロジーナの救出だ。
これは冒険者としての正式な依頼でもあるが、英雄として当たり前の人助けでもある。
何だか、心が燃えている。
絶対に助けて見せる。
「うむ。では、宜しく頼むぞ」
その言葉を皮切りに僕達は全員が集った。
皆には簡単な経緯を説明して、娘の救出を手伝う事を話して。
襲った相手を許せないと、救出の手伝いを快く了承してくれた。
これで気持ちの準備は万端だ。
後は、それを成功させるだけ。
「では、向かいましょうか?」
それぞれが返事をし、僕達は集団で移動を開始した。
道中、馬車が壊されてしまっていたので、歩いてアウグスト邸へと向かって。
「あそこに見えるのが、我が邸宅だ...」
あれ?
今、溜息をした?
自分の家に帰って来たと言うのに、何だか浮かばない表情。
どうしてだろう?
(わあ、凄い広さの家...)
そこは、この国で見た事も無い程の豪邸。
広大な敷地を保有し、門から邸宅まで随分距離があるみたいだ。
庭と言うより、広場だ。
いつもは馬車で門へと入場するのだが、僕達は此処まで歩いて来ている。
門の横の管理室へと向かった。
すると。
「旦那様!?歩いて帰られるなんて、一体どうなされたのですか!?馬車はどうされたのですか!?」
迎え入れてくれる門兵だが、その様子は慌ただしい。
通常ではあり得ない帰宅方法だからだ。
「それに、その方達はどちら様ですか?」
「ウー、ワン!!ワンッ!!」
門兵は武装をしていないが、傍に動物を何十匹も従えている。
その全てが大の成人男性よりも遥かに大きい狼。
凶悪な鳴き声が重なり、耳に響いて来る。
「セアド。その事は後で説明する。それよりも、屋敷に戻りたいので迎えを寄越してはくれないか?」
「ハッ!旦那様。直ちに」
セアドと呼ばれる門兵は、先程までの疑問を飲み込んだ。
見知らぬ僕達に向かって警戒している狼を黙らせ、その場で伏せさせた。
魂位の程度にもよるが、動物を思いのままに従わせる事が出来るテイマー職のようだ。
慣れたコミュニケーションで、指一つで指示を出す姿は格好良い。
「では、耳を塞いで下さい」
ジェスチャー付きでお願いをされた。
僕達が耳を塞いだ事を確認すると、徐ろに空に向かって発煙筒のような魔法具を発射させた。
「バン!」と言う爆発にも似た音が二度続けて鳴り、赤い煙を立ち上げて空高くまで昇って行った。
すると、時間にして一〇分程。
大破されていた馬車と同じ型の馬車が二台、門へと到着した。
到着するなり否や、一方の馬車の扉が開かれて、中から執事服を身に纏ったご老人が現れた。
「旦那様!帰りが遅いので心配しておりましたぞ!!まあ!?怪我をされているではございませんか!?それに、お嬢様の姿が何処にも見当たりません。お連れの方も見た事が無い方ばかりです。見たところ冒険者の方だと思われますが、一体が何があったと言うのです?」
主人を心配している事は伝わって来る。
ただ、物凄く早口で一人で喋り続けているのだ。
表情の変化。
一挙手一投足で変化する仕草。
何だか、台風のような人物だ。
「待て、待て、待て!ダーヴィッツ!少しは落ち着くのだ!先ずは、屋敷へと案内をしてくれ!説明は馬車の中でする」
相手の勢いにたじろいでいる、アウグスト。
心なしか話を聞いただけで疲弊している?
「左様でございますか?それは大変失礼致しました。ですが、どうも聞きたい事が先行してしまっていたようです。それもこれも旦那様がお帰りにならず、一日屋敷を開ける事に原因がございます。我ら従者一同は、夜も眠りに就く事が出来ず、今の今まで一才眠る事無くお待ちしておりました。しかし、アウグスト様の無事をこうして確認出来た事は幸いでございます」
ダーヴィッツは、淡々と喋り続ける。
一体、何処で息付きをしているのだろうか?
「...すまなかったな。それも含めて説明をしよう。..君達はそちらの馬車に乗ってくれ。ああ、ルシウスだけは私の馬車に一緒に乗って、経緯の説明をして貰っても良いか?」
まあ、そうなるよね。
しかし、随分癖の強いご老人だ。
ちゃんと会話が出来るのか?
「はい。かしこまりました。では、私だけ、そちらにご一緒させて頂きます」
僕がそう伝えると、アウグストは喜んでいた。
まるで、お互いに犠牲を受ける生け贄として、同じ苦痛を共有する同志として、意味の解らない意思疎通が生まれていた。
相手は貴族様。
そんな風に頼まれたら断る事など出来ず、逃げる事すら出来無いのに、本当に酷い御方だ。
「うむ。宜しく頼むぞ」
アウグストは、ダンディで素敵なオジサンだ。
年齢は五〇代を超えているのに、体型を維持しているし見た目も若々しい。
だが、それは普段の話であり、この時までの話だ。
(嘘だろ!?...ウィンクって初めて見たぞ!)
僕は生まれて初めて、ウィンクと言うものをされた。
これがもし、同年代の友達だったのなら、相手が異性だったのなら、こんな事など微塵も思わなかっただろう。
吐き気を催す程に気色悪いと。
いや、これは相手も精神が崩壊寸前なのだ。
テンパっている事は明らかだ。
目の焦点が合っていないのだから。
ああ。
ダーヴィッツと乗る馬車の中は、地獄への招待状らしい...
「旦那様が仰ったように、旦那様宛に手紙が届いておりました。読み上げますか?」
ダーヴィッツへの説明も終わり、屋敷の中で待機して居たところ、アウグスト宛に手紙が届いていた。
(確か、アウグストさん達を襲った相手は野盗って言ったよね?)
『はい。マスター。記憶の中では間違いございません。ですが、手紙を書けると言う事は、相手に教養があると言う事。どうやら、単純な盗賊相手と言う事では無さそうです』
一般人の識字率がそれ程高くない国で手紙を書ける言う事は、相手に教養があると言う事。
しかも、娘を誘拐して強請るほどの狡賢さがある相手。
「ああ、頼む」
アウグストの表情が引き締まった。
表情の奥では、煮え沸る怒りを堪えている感じだ。
「親愛なる、ヒンドゥルヒ家へ。貴殿が落札した聖遺物は我々が頂戴した。だが、どうやらまだ未発見の聖遺物が残っているらしい。その最後の聖遺物は古代遺跡に眠っているそうだ。そこで、よく考えて欲しいのだが、貴殿の娘ロジーナは我々が預かっている。これで、私達が言いたい事は伝わったかな?では、一週間の期限を設けよう。もし、期限を過ぎるようなら、娘がどうなるかは保障が出来ない。一週間後に、最後の聖遺物を用意し、娘と交換しようでは無いか。場所は追って連絡する。...以上が手紙の内容です」
ダーヴィッツが音読をしたのだが、あまりにも相手になりきった読み方なので、皆の感情を逆撫でして来る。
「ふざけるな!!」
アウグストは怒りのあまりに、机をドン!と叩いた。
物に当たらずにはいられなかったようだ。
机を叩いた後は目が血走り、興奮が覚めやらない。
「...野盗が、聖遺物を欲しがる理由は何ですか?」
僕は疑問に思っている事をアウグストに尋ねた。
僕が知っている聖遺物と呼ばれている装備品の効果は微小なものだから。
「...聖遺物は、この国が建国される前から存在していると言う事を知っているだろう?」
アウグストは、鼻息が荒いのを無理矢理収めた。
ここで物に当たっていても、ロジーナは戻って来ないからだ。
「ええ。古代遺跡に眠る、古代文明の遺産ですよね?」
「ああ。その通り。この聖遺物と呼ばれる装備品は、長年の研究の結果、同じタイプの装備品を身に纏う事で特殊効果を得られるのだよ」
アウグストは、その場から立ち上がり、僕達を見渡した。
「今発見されている聖遺物は全部で四種類。兜。鎧。首飾り。そして、最近見つかった剣の四種類だ。聖遺物である、これらの装備品。鎧と兜を装備すれば、その耐久値が増加し、首飾りを追加する事で俊敏性が増加する事が解っている」
装備を重ねて行く事で、合わせる事で特殊効果を生むコレクション装備。
こられの品はピンからキリまであり、この聖遺物は底辺を表すキリになるのだが。
「実は、これらの聖遺物は国の研究機関に保管をされていたのだが、つい最近、何者かの手によって全てを盗まれてしまったのだ」
全てが公に記録されており、一つの場所で保管されていた物。
巨額の金さえ払えば、全てを買い取る事が出来るが、国の発展を考えれば、寄贈する事が正解なのかも知れない。
何故なら、その効果を特定し、他の装備品にも同じような効果を付与出来る可能性が高まるから。
ただ、アウグストの場合は、本気で娘にプレゼントをしようと考えていた親馬鹿なのだけれど。
「今回の犯行も、同一の人物の手によるものだろう。いや、一人では無く組織によるものだったな」
アウグストが、複数の相手に襲われた事からも解る事。
そして、これまでの聖遺物の紛失を照らし合わせれば、計画的な犯行だと言う事が伺える。
「冒険者ギルドには、既に依頼手続きを済ませてある。そして、其方達に受けて貰う為の手続きも完了したとの事だ」
別の執事が、アウグストに耳打ちをし、その事を知らせてくれた。
貴族のみが出せる、特別依頼らしい。
「今日は、もう遅くなってしまったな。其方達はこれから帰るとなると一苦労だろう?依頼を受けて貰うお礼に、其方達に献上する馬車を出して教会まで送っても良いのだが...それなら、どうだ?此処に泊まっていくのは如何かな?」
事の経緯を話し終えたアウグストが提案する。
確かに、これから教会へと帰るとなれば、日にちを跨いでしまいそうな時間帯だ。
だが、僕もさくらも偽りの姿で此処にいる。
正体がばれてしまうと、依頼自体を取り消されそうだ。
「ありがたい、お申し出ですが...!?」
「いやあ、こんな素敵なお屋敷に泊まる事が出来るだなんて、こちらから願ったりですよ!なあ、ルシウス!ご厄介になります」
ギュンターが、僕の話に被せるように喋り出した。
そこに悪気は無く、僕の喋り出しに気付かなかっただけ。
声の大きさもギュンターの方が大きいので、自然と掻き消されてしまった。
「それは良かった」
アウグストが微笑み、提案を受理された事を喜んだ。
すると、指を「パチン!!」と鳴らし、男女一名ずつの執事を呼ぶ。
「君達の世話は、この二人が担当する。直ちに客室へと案内するように。くれぐれもお客様に、万事粗相の無いようにな」
こうした立ち振る舞いを見ていると、とても威厳のある人物だ。
背筋も真っ直ぐ伸びているし、指示の出し方も迷いが無い。
「では、自分の家だと思って気楽にしてくれたまえ」
すると、執事が僕達の前へと歩みを進めた。
「さあ、こちらへ。ご案内致します」
手を広げ、進むべき方向を示してくれた。
僕達がそれに合わせて動き出すと、誘導するように前を歩き出す。
所作がいちいち格好良い。
「では、こちらが、ルシウス様達のお部屋でございます」
僕とギュンターの組み合わせで、とある部屋へと案内された。
案内されるまでの通路に客室が幾つもあり、その広さが伺える。
ちなみに男女別々の組み合わせで、さくらとメリルは反対側の部屋へと案内されていた。
「何かございましたら、こちらを鳴らし、直ぐにお申し付け下さいませ」
男性の執事から呼び鈴を渡された。
どうやら隣の部屋で待機するようだ。
一礼をした後、扉を閉めて出て行った。
「うわー!凄え部屋だな!!部屋の中にも扉があるじゃねえか!!」
客室の中に、リビング、トイレ、風呂場、寝室と分かれている。
豪華ホテルのような一室で、とても豪華な内装だ。
「部屋に風呂場が付いてる!これは、なんてありがたいんだろう」
そこかしこに魔法具が設置されていた。
明かりを灯せるランプ型の魔法具。
温度を調節し、自在にお湯を出す事が出来るシャワー型の魔法具。
洋式の水洗トイレ型魔法具。
まるで、ホーム拠点に追加設置された魔法具のように。
だが、これなら部屋の中で変装を解いてゆっくりくつろげる。
「うわ!飯まで置いてあるじゃねえか!!」
部屋のテーブルの上には、金属製の皿の上に蓋をされて食事が置いてあった。
中身は良く解らない豆料理。
ギュンターはバクバクと食べていたが、味は...ノーコメントでお願いします。
すると、「コンコン」と扉がノックされた。
「どうぞ」
僕は、部屋を開ける許可を出した。
すると、先程この部屋まで案内をしてくれた執事が、部屋の中へと入って来た。
「失礼致します。ルシウス様、旦那様がお呼びです」
頭を下げながら、僕にそう伝えた。
呼び出し?
何の用だろうか?
「解りました。では、案内をお願い出来ますか?」
「はい。承りました。では、ご同行をお願い致します」
そう言って案内をされたのは一際豪華な部屋。
アウグストの私室だ。
「ルシウス、良く来てくれた。大した用では無いのだが、どうだ?一つゲームでもやってみないか?」
豪華なガウンを身に纏うアウグスト。
だが、それが似合ってしまう程の気品や佇まいが溢れている。
成金では無い、根っからの金持ちだけが放つ余裕。
「ゲーム...ですか?」
だいぶ遅い時間だが、アウグストは眠れなくなってしまったのかな?
ロジーナの事を考えると、気が気では無いだろうし、紛らわしたいのかも知れない。
「ああ。シャッハと言うゲームなんだが、ご存知かな?」
テーブルの上に、盤上のような台が見える。
(...シャッハ?)
僕が聞いた事が無いゲームだ。
見たところ、盤上で競い合うゲームなのかな?
『マスター。チェスの別名です』
(ああ、チェスの事か。ゲーム時代にもミニゲームであったね)
プロネーシスが直ぐに捕捉をしてくれた。
『シャッハ(チェス)』
シャッハ(チェス)は、白と黒の駒をお互いに動かして争うゲーム。
そして、相手の「キング」と言う駒を追いつめた方の勝ちとなる。
このシャッハ(チェス)では、白の駒が先手となり最初に駒を動かす事が出来る。
シャッハ(チェス)の駒は、全部で6種類。
●ポーン(兵隊)
●ナイト(騎士)
●ビショップ(僧侶)
●ルーク(戦車)
●クイーン(女王)
●キング(王様)
ポーンは「兵隊」。
将棋で言う「歩兵」にあたる。
最も弱い駒だが、大きな力を秘めている。
ポーンは、移動する動きと、相手の駒を取る動きが違う。
ポーンは、前の方向へ一マス進める。
最初の位置からの移動のみ、二マス進む事も出来る。
但し、目の前に他の駒があった場合は、進む事も、その駒を取る事も出来無い。
ナナメ前に相手の駒があった場合、その駒を取る事が出来る。
ポーンは駒を取る時だけ、ナナメ前に進める。
相手のポーンの動きは、こちらとは逆になる事が注意だ。
黒のポーンにとって「ナナメ前」とは、こちらから見ると「ナナメ下」になる為。
ナイトは「騎士」。
将棋で言う「桂馬」にあたる。
駒の形は、騎士が乗る馬の形をしている。
ナイトは、将棋の桂馬の動きに似ている。
しかし、その動きは桂馬よりも激しく、前後左右に桂馬の動きが出来る。
ナイトは、移動元と移動先の間に他の駒があっても飛び越す事が出来る。
移動先に相手の駒があった場合は、相手の駒を取る事が出来る。
味方の駒があった場合、そこへは移動出来無い。
ビショップは「僧侶」。
将棋で言う「角行」にあたる。
駒の形は、僧侶の帽子の形をしている。
ビショップは、ナナメ方向なら何マスでも進める。
進んだ先に味方の駒があった場合は、その手前で止まる。
駒を飛び越す事が出来無い。
相手の駒があった場合は、相手の駒を取る事が出来る。
ルークは「戦車」。
将棋で言う「飛車」にあたる。
駒の形は、古代の戦車、車輪の付いた塔の形をしている。
ルークは、縦方向と横方向なら何マスでも進める。
進んだ先に味方の駒があった場合は、その手前で止まる。
駒を飛び越す事が出来無い。
相手の駒があった場合は、相手の駒を取る事が出来る。
クイーンは「女王」。
ルークとビショップの動きを合わせ持つ最強の駒。
駒の形は、女王の冠の形をしている。
クイーンは、縦方向、横方向、ナナメ方向に何マスでも進める。
進んだ先に味方の駒があった場合は、その手前で止まる。
駒を飛び越す事が出来無い。
相手の駒があった場合は、相手の駒を取る事が出来る。
キングは「王様」。
将棋で言う「王将」にあたる。
駒の形は、王様の冠の形をしている。
キングは、最も大切な駒で、自分の分身。
キングは、縦方向、横方向、ナナメ方向に一マス進める。
移動先に相手の駒があった場合は、相手の駒を取る事が出来る。
味方の駒があった場合、そこへは移動出来無い。
キングは、相手の駒に取られる場所へは移動出来無い。
[駒の並べ方]
黒の駒は、白の駒を鏡に映したような配置になり、お互いのキングが向き合う形となる。
シャッハ(チェス)盤の向きは、右下のマスが白になるように置く。
[チェック]
チェックとは、次の一手でキングを取りにいける状態。
簡単に言えば、「相手のキングを攻撃している」と言う事。
将棋で言う「王手」に該当する。
チェックをされた時は、キングを取られないようにしなければならない。
[チェックの回避]
チェックを回避する方法は全部で三つ。
一.キングを安全な場所に移動させる。
二.チェックしている駒とキングの間に、他の駒を割り込ませる。
三.チェックしている駒を取る。
[チェックメイト]
チェックメイトとは、今の一手でゲームが終わった事を意味する言葉。
実際のゲームで、必ず言わなければならないと言うルールは無い。
だが、とても格好良い言葉なので、キメ顔を作るチャンスでもある。
では、どのような状態をチェックメイトと呼ぶのか?
チェックをされたら、チェックを防ぐ手しか打てない事を「チェックの回避」で記載している。
その時、チェックを防ぐ手がなかったら?
それをチェックメイト(詰み)と呼ぶ。
相手をチェックメイトすれば、勝ちとなる。
ゲームはそこで終了する。
[ステルスメイト]
チェックされていないのに動かせる駒がない事を、ステイルメイトと言う。
ステイルメイトになれば、引き分けとなる。
シャッハ(チェス)のルールではパスが出来無い為、ゲームはそこで終了してしまう。
■勝ち
・ チェックメイトした時。
・ 相手が降参した時。
■引き分け
・ ステイルメイトになった時。
・ お互いがチェックメイト出来る戦力を失った時。
・ どちらかが引き分けを提案して、相手がそれを受け入れた時。
・ 五〇手の間、駒の取り合いが起こらなかった時。
・ 三回、盤上が同じ形になった時。
これ以外に、シャッハ(チェス)には特殊ルールがある。
特殊ルールは全部で三つあり、覚えておけばゲームを有利に進める事が出来る。
一.プロモーション … ポーンを強力な駒に昇格させる。
二.アンパッサン … 二マス進んだポーンを特殊な動きで取る。
三.キャスリング … キングを入城させて防御を固める。
[プロモーション]
ポーンは、最奥まで進む事が出来れば、強力な駒へと昇格する事が出来る。
この特殊ルールをプロモーションと言う。
将棋の「成る」と似ている。
プロモーションした後は、ゲームが終わるまで、そのままプロモーションした駒で居られる。
プロモーションでポーンが昇格出来る駒は、次の四つ駒。
●ナイト
●ビショップ
●ルーク
●クイーン
プロモーションを行う時点で、相手がこちらの駒を沢山手に入れている事が殆どなので、取られたクイーンの駒を再使用する。
もしも、同じ色のクイーンが二つ存在するような状況になった時は、ルークを逆さまに置いてクイーンの代わりとするのが一般的。
[アンパッサン]
アンパッサンは、二マス進んだポーンを特殊な動きで取る事が出来るルール。
ポーンは、最初の位置からの移動のみ、二マス進む事が出来る駒。
しかし、慌てて進んだ為に、実は一マス目に残像を置き去りにしているのだ。
この残像は、相手のポーンにだけは見つかってしまうのだ。
この残像を取られてしまうと、その本体も消えてしまう。
これをアンパッサンと言う。
残像は、ポーンが二マス進んだ直後にだけ現れる。
相手の次の一手が終われば、残像は消える。
アンパッサンが起こるのは、残像が残っている間だけ。
ポーン以外の駒は、たとえ残像がいるマスに移動しても、残像を取る事が出来無い。
勿論、残像に移動を邪魔される事は無い。
[キャスリング]
キャスリングは、キングを一瞬で安全な位置へと移動させるチェスの特殊ルール。
一手で安全な陣形を作る事が出来るので、防御面でとても役立つルールなのだ。
キングは、縦方向、横方向、ナナメ方向に一マスしか進めない駒。
しかし、ある条件さえ整えば、「キャスリング用の移動出来るマス」が現れる。
キャスリングは、キングとルークの共同作業。
キングがルーク側に二マス動き、ルークがキングの反対側へと移動する。
キャスリングだけは、一手で二つの駒を動かす事が出来る。
キャスリングをするには、いくつかの条件が必要となる。
・キングとキャスリングをするルークが、一度も動いていない事。
・キングとキャスリングをするルークの間に、他の駒がない事。
・チェックされていない事。
・キングが通過するマスと、到達するマスが攻撃されていない事。
「シャッハは、駒取りゲームの事で宜しいですか?」
ゲーム時代、何度も対戦したミニゲームだ。
正直、最初の頃は負けがこんでいたが、ゲームに慣れ始めた頃や、序盤の鉄則を覚えてからはすっかり負けが減り、通算成績で勝ち越している。
現実化する手前の最終段階では負け無しだったと思う。
対戦相手にも世界チャンピオンが居たとか噂にあったけど、真相は解らない。
「おお、そうか!やはり知っておったか!其方の受け答え、話し方、佇まい、どれも非凡なものであるからな。これは貴族の嗜みの遊戯なのだが、間違い無かったようだ。其方は貴族院出身なのであろう?」
アウグストが嬉しそうに語っている。
自分に見合う遊び相手を見つけたかのように、とても楽しそうだ。
(貴族院?)
初めて聞く言葉だ。
でも、心の中で、とてもワクワクしてしまう響き。
何でだろう?
『マスター。貴族院とは、貴族だけが通う事の出来る学校です』
学校...
だからか。
僕は、学校の思い出が全然無い。
一度はちゃんと通ってみたいものだ。
だが、通えるのは貴族だけらしい。
残念。
「...」
黙るつもりは無かったのに、物思いに耽ってしまった。
「いや、すまなかったな。皆まで言わなくても良い。其方は冒険者の身。素性を聞く事はご法度だったな」
冒険者は自由を保障された身。
ランクによって程度はあるだろうが、完全な実力社会なので、身分も関係無いし、素性も関係無い。
必要なものは、能力のみなのだ。
「では、そろそろ、始めようか?」
「はい。宜しくお願い致します」
アウグストが、白と黒の駒を一つずつ手に取りシャッフルする。
白を選んだ方が先攻となる。
シャッハ(チェス)は先攻が絶対的に有利。
出来れば、白を選びたい。
「さあ、選びたまえ」
「では、右手で」
「...其方が、黒。後攻だな」
僕が選んだのは黒い駒だった。
残念...
相手は自信があるようだし、勝利は厳しそうだ。
「では、私から...」
アウグストが駒を動かす。
だが、序盤で行う定跡の動かし方では無かった。
センター支配。
マイナーピース展開。
キャスリング。
メジャーピース展開。
そのどれにも当て嵌まっていない。
まあ、これが全てでは無いから、対局を進めてみないと解らない事もあるけど。
もしかしたら、そんなに強くないのかも?
「...」
駒を動かして数分。
互いに駒を動かして行く。
すると、その力量差により次第に優劣が浮き彫りになり始めた。
「...まさか...こんな事があるのか?...ここまで一方的な展開だと?」
シャッハ(チェス)を競技レベルまで持って行っている現実世界では、序盤での進め方、中盤での進め方、終盤での進め方、これらの戦略がとても大事になって来る。
細かく練り上げられた戦略は、一つのミスで簡単に勝敗が着いてしまうゲーム。
どうやら、そのレベルにも達していなかったようだ。
アウグストは、ゲーム自体には慣れているのだろうが、そのプレイは闇雲と言う言葉が似合う。
「これで、チェックメイト」
「ありえない...マギーケーニヒライヒ、ナンバーワンの打ち手の私が、こんな一方的に負ける事なんて、ありえるのか?」
嘘だろ!?
アウグストは、この国随一の打ち手らしい。
世界中の棋譜を閲覧出来る現世では、子供でも遥かに強い棋手は存在していた。
まあ、定跡も知らないなら無理も無いが。
「冒険者として活動する程の能力を持ちながら、戦略を練らせても一流なのか?」
一人で、勝敗の着いている盤面を見てブツブツと独り言を喋っている。
「...ルシウス...其方は一体、何処の貴族なのだ?」
いやいや。
僕は貴族では無いのに、何故そんな勘違いを?
「ふーっ。ゲームに付き合って貰って悪かったな。だが、とても有意義な時間を過ごす事が出来た。ルシウス。ありがとう」
満足と言った表情を見せるアウグスト。
負けはしているが、何処か清々しい態度だ。
「いえ、こちらこそありがとうございました」
僕は、丁寧に頭を下げた。
これは印象が悪くならないようにする為と、後で何か言われたら困ってしまうからだ。
「では、ルシウス。明日から、聖遺物の入手と娘の奪還。頼んだぞ!」
僕は知る由も無かった。
この時に、アウグストが秘めた思いを。
(...ルシウス。今回の依頼を完遂したあかつきには、ロジーナと婚約させても良いかも知れん!)
そう、心の中で笑っていた。




