062 彷徨いの精霊人⑩
「準備が出来たみたいね。じゃあ、中に入りましょうか?」
アゼレアを無事に連れて来てくれた事のお礼。
その、おもてなしの準備が整ったと知らせてくれるシルフィ。
「うん!」
「はい!」
それを聞いた僕達は、扉を開けて部屋の中へと入った。
両開きの扉を手前に開けると、広々とした空間が広がっている。
「うわあー!!きれい!」
さくらは、部屋の中に入って直ぐにそう思った。
目の前に広がるのは、自分達の国では見た事の無い煌びやかな景色。
そして、その景色に負けていない着飾ったアゼレアとアゼレアの母親。
「待たせてごめんね。こういった格好は、普段しないんだけど...どうかな?...変?」
自分に自信の無いアゼレア。
自意識と、自身が持っているポテンシャルが乖離している。
普段、ボーイッシュな格好をしている事も、そんな不安の表れなのかも知れない。
「わあ!アゼレア、かわいい!!」
さくらは、見た事も無い華やかなドレスを見て、また、そのドレスに負けていないアゼレアを見て、素直にそう感じた。
目を奪われて、アゼレアに釘付けだ。
「いや、変じゃないよ。とても似合っている」
幼いながらも、流石は王女。
雰囲気がガラリと変わり、王族としての風格が漂っている。
アゼレアの宝石のような翠髪翠眼を際立たせるドレスや宝石。
下品では無い、眩い程の煌めきを放っている。
「本当...に?エヘヘ。天使様にそう言ってもらえると、嬉しいな」
ドレスを着ているせいか、女の子らしさが際立っている。
指の先から足の先の意識まで、しなやかさを感じる。
「どうでしたか?精霊人の国は楽しめましたか?」
アゼレアの母親が確認をして来る。
僕達には、おもてなしの準備をする為に、わざわざ時間潰しをして貰ったのだから。
その時間潰しがつまらないものでは無く、中身のある楽しいものになっててくれたら嬉しいと、そう思って。
「とても楽しかったです」
僕は、気取ってる訳では無いが、相手の目を真っ直ぐに見て、口角を上げただけの笑顔で答えた。
子供らしからぬ態度だが、こんな時でも周囲に気を張っているからだろう。
癖になってしまっている。
「はい!最後に行った滝が、とても迫力があって、とても綺麗でした!」
さくらは、思った感情をそのまま伝えた。
自分達が住む場所では見られない景色。
その興奮が収まらない。
「まあ!それは良かったわ!」
アゼレアの母親は、僕達の笑顔を見て心から喜んでいる。
どうやら、長く生きていると、自分の行いで喜びを得る事よりも、他人の行いで喜びを得る事の方が、より嬉しくなるようだ。
自分の満足感を更新する為には、以前よりも一〇〇%を上回っていないと満足が出来無い。
だが、人に与えた喜びや、人から与えられる喜びで得られる満足感は、その限りでは無いのだ。
自分だけに閉じこもっていた精神が、周りに開かれた瞬間。
アゼレアの母親は、今までに感じた事の無い満足感を得ていた。
「では、席に着きましょうか?...改めてになりますが...アゼレアを助けて頂き、本当に、心より感謝致します」
食事の席へと着いて、アゼレアの母親の一言目。
皆の視線が、自然とアゼレアの母親に集まっていた。
「些細な、おもてなしとなり、皆様のお口に合うかは解りませんが、どうか、食事を愉しんで下さい」
食卓を囲むのは、女王、アゼレア、シルフィ、さくら、僕。
王族との食事は緊張が伴うもの。
だが、この場での食事は、マナーにうるさい訳では無い。
自由に食事を愉しんで良いのだと、いわゆる無礼講と言うやつだ。
給仕が食事を運んで来る。
「先ずは、森の恵みをふんだんに使用した前菜から召し上がって下さい」
フルコースの始まり。
前菜→スープ→魚料理→ソルべ→肉料理→サラダ→チーズ→フルーツ→デザート→カフェ・ブティフールと言う順番で料理を堪能する。
この時、前菜の前に、突き出し(お通し)が提供される場合があったり、サラダが前菜の後に提供される場合がある。
現代では、『ベジタブル・ファースト』と呼ばれる習慣。
野菜を先に食べる事で、血糖値の急激な変化を防ぐ効果がある為だ。
野菜に含まれる食物繊維には、不溶性食物繊維と水溶性食物繊維がある。
特に、水溶性食物繊維は、でんぷんを消化、吸収する速度を遅らせる働きがあり、最初に食べる事で血糖値が緩やかに上昇して行き、太りにくい身体づくりへと繋がるから。
但し、この時、野菜なら何でも良い訳では無く、糖質が多い根菜やイモ類は別となり、『カーボラスト(糖質が最後)』が重要となる。
そして、野菜を先に食べる事で、口を良く動かす(良く噛む)為に満腹中枢を刺激してくれるからだ。
ただ、此処では、昔ながらのフランス式のフルコースとなり、突き出しを省いた前菜からのスタートとなる。
(前菜は、キッシュから始まるのか。レアもそうだったけど、精霊人は、完全なベジタリアンって訳じゃ無いんだな)
調味料が使用されていないから、味気はそこまで無いが、卵やほうれん草、ベーコンと言った材料で作られているキッシュ。
一応、牛乳は使われているのかな?
ベーコンに塩気、調味料に胡椒やナツメグ、具材に生クリームや、野菜の旨みを凝縮したコンソメなどが加われば格段に美味しくなるだろう。
今度、提案してみようかな?
そんな事を考えながら食事をしていると、アゼレアの母親が僕に向かって口を開いた。
「...レアから、先程お伺いしたのですが...どうやら貴方は、レアとお互いに裸を見せ合った関係みたいですね?」
突然の、神妙な面持ちでの発言。
そして、食事の最中での、いきなりの発言。
思わず食べている物を「ブー!」と吹き出しそうになった為、僕は慌てて口を押さえた。
言い分には御幣があり過ぎるが、確かに事実ではある。
「なっ!?えっ?」
動揺している感情が、自分では制御出来ない。
まさか、精霊人の女王が、そんな言葉を口にするとは思っていなかったからだ。
「バッ!」と、慌ててアゼレアの方へと向き直すと、ただただ、恥ずかしそうに照れていた。
(なっ!?アゼレアは、一体母親に何を話したんだ!?裸を見たって、お風呂に入っただけじゃないか!!それに、一緒にお風呂に入ったのは、僕だけじゃ無いだろうが!?)
一度目の時、故意では無いが服を脱がせたのは確かに僕だ。
それに関しては、全く言い訳の出来無い事で、一〇〇%僕のせいだろう。
しかし、その時だって、さくらが一緒に居たのだ。
僕一人だけでは無い。
それに、それ以降の事はどうだろうか?
広めの浴槽を作った事により、アナスターシアを含め、さくらも、アゼレアも、何故か一緒に湯船に浸かるようになったのだ。
(毎回毎回、時間をずらしても、湯船に入って来るのはアゼレアの方だぞ!?)
精霊人は、一生を添い遂げる人だけにしか自身の裸を見せる事が無い。
僕は、その話を聞いてから、アゼレアの為を思ってお風呂の時間をずらしているのに、本人は全く気にしている様子が無い。
むしろ、積極的に、一緒に湯船に浸かろうとして来るのだ。
その掟自体が嘘なんだと思わせる程に。
(さくらも何か言ってくれ!って、気にしている様子が全然無いじゃないか!)
さくらの表情を見ても、普通に食事と会話を楽しんでいるだけ。
裸を見た位で何が悪いの?と言った感じだ。
そりゃそうなんだけど...アゼレアの母親の表情を見ると、それでは済まない感じを受ける。
本当に、久しぶりの事になるのだが、背中にゾクゾクとした冷たい感覚が走った。
何?
僕は、此処で殺されるのか?
「まさか...二人がそう言った関係になっていたとは知りませんでしたが、歳は関係無いものです。その事については祝福致しましょう」
ああ、成る程。
この人、アナスターシアと一緒で、“天然さん”なんだ。
あまりにも他人と感覚がズレている人なんだね。
「天使様...宜しくね」
アゼレアが笑いながらそう言った。
その笑顔は、はにかんでいるようにも、悪戯っぽく支配的な笑顔にも見える。
えっ?
宜しくって、どう意味だ?
宜しくには、僕の知らない意味が他にあるのか?
「その事については、私の方から、とやかく言う事はありませんが、話の中に出ていた、そのお風呂とやらには興味があります。私達の国では、水浴びをする習慣しか無かったので知りませんでしたが、レアから聞いた話だと、どうやら極上のものらしいですね?」
話を聞いて想像したアゼレアの母親は、その表情が蕩けたものに。
ただ、精霊人は、元々湯船に浸かる文化が無い。
お風呂など面倒なだけになってしまう気もするのだが、気のせいか?
...アゼレアが、気に入って湯船に浸かっていた事からも、そうとは言い切れないか。
(なるほど。そっちが本題だったのか。...これは、浴槽が欲しいってところか)
わざわざ、この場で僕にそれを伝えたと言う事は、残り時間を考えても、それをどうにかして欲しいと言う事。
僕に、王族に相応しい浴槽を用意しろって?
「聞けば数分で、湯船に浸かる事が出来ると言うではありませんか?貴方には、大変申し訳無いのですが、この国でもお風呂に入れるようにして頂ける事は可能ですか?」
やはり思った通り。
本題は、お風呂だった。
「はい。作る事に関しては問題ありませんが、場所と材質が問題になって来ると思われます」
浴槽自体は、状況を選ばないのであれば直ぐに作れる物。
肝心なのは、何処に作るか?
どの素材で作るか?
「必要になるのは、水捌けの良い場所。そして、直ぐに水が用意出来る場所で無ければ、お風呂場としての役割を上手く果たせません。後は、水をお湯にする為に火を使用するので樹の中では無い方が良いかと」
お風呂を用意するとなると、後処理を考え無ければならない。
この場所が霊樹の中と言う事もあって、通常の樹とは違うのかも知れないが、排水処理が施せないと、床(樹)は水で腐って行く。
それに、お湯を用意するとなると、火を使用する事になる。
樹の中で火を使用する事は、あまりにもリスクが高い。
燃え広がったら、一瞬にして壊滅してしまうからだ。
そして、身体を洗うとなると、水(お湯)を貯水しておく事が必要になる。
「成る程。...霊樹の中で環境を揃えるだけでも、大掛かりな準備が必要になると言う事ですね?火に耐性がある霊樹ですが、使用済みの水をどうするか...魔法陣の刻印技術が活かせれば良いけど、まだ確率されていない技術...」
流石は精霊人の女王。
僕が言おうとしている事を瞬時に理解してくれた。
(魔法陣の刻印技術?)
確かに、道具に魔法陣が刻印出来れば、魔法具として使用出来る。
だが、精霊人の国で刻印されている魔法陣は、ゲーム時代に比べてかなり低位の物で、僕達が知らない物だ。
しかも、一つでその効果を発揮するのでは無く、複数を合わせる事でようやく発揮する事が出来る代物だ。
(アゼレアのアクセサリーが良い例だよね...一つ一つでは、その効果を発揮する事は出来な無いけど、三つのアクセサリーを装備する事で、魔力を部分集約させて抑制する。刻印技術は...発展途上も、いいところだもんな)
ゲーム時代では、ホーム拠点を拡張をする事で最低限の魔法具作成が出来た。
後に、刻印師と差別化を図る為に、オリジナル要素(効果の自由度)がふんだんに追加されたのだが、それでも、アゼレアが身に付けているアクセサリーよりは、遥かに良い物を作成する事が出来た。
「後は、王族が使用すると言う事で、浴室の素材が重要になるかと思います。僕達の方で使用している物は木材で、お湯に濡れると香りが漂う材質を使用しています。同じ物で良ければ、直ぐに用意出来ますが...他の材質で、僕達が用意出来る物となると、石材くらいですかね?」
現代製のガラス繊維強化プラスチックや、アクリル素材などは、勿論の事、用意する事が出来無い。
天然物の大理石を加工するか、ヒノキやヒバと言った木材を加工するか、そのどちらかだ。
勿論、両方にメリット、デメリットが存在している。
大理石となると、希望する浴槽の大きさによって準備に手間が掛かるが、一度施工が終われば、手入れがし易く、長い事利用が出来る。
これが木造となると、比較的早く浴槽を作る事は出来るが、手入れが面倒で、腐り易い。
「そうですね...精霊人の中には、木を切り取る事に抵抗を感じる者がいます。出来るならば、石材での作成をお願いします」
森と共に暮らして来た精霊人。
霊樹の周囲に住まう精霊人が良い例で、森の木を切らずに高床式住居で暮らしている事からも解る。
ただ、僕はこの時、霊樹に住んでいるのに、そんな事があるのかと疑問に感じていた。
霊樹自体が切り抜かれて出来た住居だと思っていたから。
どうやら、それは勘違いで、精霊人は一切手を加えていないらしい。
ギルド拠点に近いもので、最初からスペースが出来ていたのだと。
しかも、霊樹の成長と共に、中のスペースも拡張されて来たらしいのだ。
「そうですか...でしたら、こちらの方で用意をさせて頂きます。ただ、取り付ける作業となると、次回に次元の穴が繋がった時となりますが、それでも宜しいでしょうか?」
流石に石材の加工となると、今日の、この後の短時間では終わらない作業。
石材を運ぶだけでも時間が掛かる作業だ。
「ええ。どうか、それでお願い致します。場所に関しては、こちらの方で、霊樹の麓の湖に接する水浴び場を改良させて頂きます。次回、レアの天使様がこちらに来られるまでには、準備をしておきますね」
「レアの天使様」と言う言葉を強調するアゼレアの母親。
その悪戯っぽい笑顔は、流石は親子でソックリだ。
目尻の下り具合や、口角の上がり方が一緒。
「なっ!?女王様まで!?」
フフフと笑う姿までそっくりだ。
明らかに、おちょくられている事は解るのだが、嫌な感じを全く受けない。
話し方のテンポや、物腰の柔らかい言い方がそうさせるのだろう。
「全く、もう!」と、自然に呆れてしまう感じだ。
何だ。
二人は、ちゃんと繋がっているじゃ無いか。
誰が何を言おうが、自分達では気付かなかろうが、二人は血の繋がった親子なんだと。
二人の所作や立ち振る舞いを見ていれば、それが良く解る。
僕達は、会話を続けながらも食事を愉しんだ。
「...どうでしたか?お食事の方は、お口に合いましたか?」
フルコースの提供が終わり、食事でのおもてなしが一段落した頃。
味の確認など、半ば、社交辞令のようなものだ。
振る舞われた料理に対して、不味いなんて言える訳は無い。
だが、そんな事を抜かしても、提供された料理は美味しかったと思う。
改良の余地は沢山あるのだけれど。
アゼレアの母親は、僕達の満足行く表情を確認すると、笑顔を浮かべた。
そして、そのまま続けて話し出した。
「...私達、精霊人が、誰かと交流を持つ事は初めての事です」
皆がこの時、この場の空気が変わる事を感じ取った。
自然と、黙ってアゼレアの母親の話を聞こうと注目するように。
「それは、あまりにも他の種族とは、寿命の長さが違う事があげられます。私達は、私達だけで暮らす事が最善なのだろうと考えていました」
他にも長命の種族は居るには居るが、それは精霊種だったりと、自分達に近しい者だけだ。
亜人種は見た事があるが、その時に見た感じでは、交流を持ちたいと思わせるものが何一つ無かった。
人間に至っては尚更で、会った事が無いにも関わらず、風の噂で聞いた程度で、生まれては直ぐに死んでしまう生き物だと聞いていた。
それに、文献に残る、天使や悪魔などは見た事が無い。
誰かと交流を持ったところで、死にに行く相手とは価値観も違ければ、精霊人達の為になる事は無いだろうと。
「ですが、それも今日までの事です。実際に、貴方達と対話をして見なければ、そう思わなかった事でしょう。一緒に食事を召し上がらなければ、解らなかった事でしょう。アゼレアが、此処から居なくならなければ、解らなかった事でしょう」
頭の中では、様々な事を自由に描く事が出来る。
だが、実際に見たもの、体験した事で無ければ、解らない事や伝わらない事がある。
机上の空論では無いが、自分達の為になると想定していた事があまりにも現実的では無かったようだ。
「決めつけて閉鎖的になるよりも、お互いの利点を活かす事の方が、余程有意義になるのだと知りました。私達には、長く生きた分だけの情報としての『知識』が蓄積されています。貴方達には、それらを上手に利用する事が出来る『知恵』があります」
『知識』とは、知ること・知っている内容のこと。
『知恵』とは、物事の筋道を立てて、正しく処理していく能力のこと。
両者の違いを簡単に言えば、『知識』を使って、問題を解決していく能力が『知恵』だと言える。
(『知識』とは、人が頭の中に入れるデータの事で、『知恵』は、そのデータを使って問題を解決していく能力の事。精霊人がデータを沢山持っていて、僕達がそのデータを上手く使える。お互いに協力すれば、足りない部分を補い合えて、両者共に利点が生まれるって事だよね)
いくら『知識』が多くあったとしても、『知恵』を使わなければ、物事に対処する事が出来無い。
なぜなら、データは、あくまでもデータであり、単なる情報の蓄積だからだ。
逆に、いくら『知恵』を使おうと思ったとしても、『知識』が乏しければ、何をどうすれば良いのかを導けない。
持っているデータ(選択肢)が少ないから、当然と言えば当然なのだが。
(そう考えると、プロネーシス単体で、それをやってのけるのだから凄い事だよな...プロネーシス、ありがとう)
『マスターのお役に立てたのなら何よりです』
精霊人なんかが、目じゃ無い程の情報量を持っている。
そして、それを最大限に活かせる、知識と知恵の集合体、プロネーシス。
アゼレアの母親が言う知恵は、プロネーシスによるものだ。
「どうか、お互いの為にも、これから宜しくお願い致します」
「はい。こちらこそ、宜しくお願い致します」
僕達は、お互いに頭を下げあった。
一方的では無く、お互いに納得をした上での取り引き。
こうして、最高の形で、精霊人との交流を持つ事が出来た。
今後が楽しみだ。
次元の穴を抜けて、僕達の国へと戻って来たところ。
僕とさくらは、暗くなり始めた山道を下っている。
今日はアゼレアを送る為に、予め遅くなる事を伝えてあるので、怒られる心配は無い。
「ルシウス?何だか、夢の世界みたいだったね?」
さくらは、先程までの事が現実だったのかと信じられない様子。
フワフワと宙を浮かんでいるような、そんな高揚感に包まれている。
「うん。あんな幻想的な場所は、ここら辺じゃ見れないからね」
少し肌寒いが、星が煌めいている夜空。
僕達は、二人で手を繋ぎながら、空を見上げて歩いている。
何だか、先程までの楽しかった空間に、後ろ髪を引かれている感じだ。
このまますんなりと、教会に帰りたく無い、そんな気持ちだった。
「ねえ?ルシウス?」
先程と声色が違う。
急に畏まった真剣な物言い。
何かを思い詰めているように見える。
さくらの足は止まっていた。
「...どうしたの?」
僕も足を止めて、お互いに向き合う。
その時さくらは、手を繋いでいない方の手を胸の前で握っていた。
眉が下がり、切なさと苦しさが入り混じった、そんな不安げな表情。
「ルシウスは...アゼレアの事、どう思っているの?」
言葉と言葉の間が、緊張を生んでいる。
そして、言葉尻がとても弱々しい。
この場を支配しているのは、パンパンに膨らんだ風船が、今にも目の前で張り裂けそうな、そんな息苦しさ。
「アゼレアの事って...どう言う意味?」
アゼレアは、新しく出来た友達だ。
人間では無い、精霊人。
歳は同い年で、女の子。
お風呂が好きで、食べる事がもっと好き。
僕が解るのは、そんなところかな?
「どうって...ルシウスってば、アゼレアとばっかり一緒にいるんだもん...」
悔しそうな、寂しそうな表情。
さくらには、アプロディアと一緒にやらなければならない事があり、どうしても一緒に居られない日があった。
反対にアゼレアは、教会で保護してから、一人だけずっと手持ち無沙汰で、ずっと自由時間が続いている感じだ。
最初に助けたのが僕とさくらと言う事で、必然的に、僕と居る時間が長くなったのだ。
何故、さくらの方へと行かなかったのか、未だに不思議に思っているけど。
「そう、かな?僕は、さくらと一緒に居る方が全然多いと思うんだけど...」
僕の初めての友達は、さくらだ。
それこそ、お互いに予定がある時を抜かして、友達になってからは、ずっと一緒に居る。
もっと言えば、生まれも一緒だし、育っている場所も一緒で、僕にとっては特別な存在だ。
ただ、お互いに一緒に居るようになってからだと、九ヶ月位になるのかな?
アゼレアは、出会ってから一ヵ月位しか居ないと思うけど?
「そういう意味じゃ、ないんだけどな...」
さくらは、お互いの捉え方が違うと困っている。
僕の方は、これまでの総合で考えていて、一緒に居る期間の事だと捉えている。
だが、さくらの方は、もっと物理的なもので、一緒に居る時間の事を言っている。
アゼレアよりも一緒に居れる時間が少ない事から、不安な気持ちを感じてしまうのだと。
自分の居ない知らないところで、二人だけで共有している何かが羨ましいのだと。
相手の気持ちが、自分以外の誰かに向いてしまうことを恐れてしまう。
自身では制御する事が出来無い、相手に対して焦がれるような気持ちを抱いてしまう。
さくらは、ヤキモチを妬いているのだ。
ただ、それが僕に伝わっていないと、伝わらないんだと、嘆いてしまった。
「うう...ルシウスには、伝わらないよ...」
「フーッ」と深い溜め息。
一度瞼を閉じて、気持ちを切り替えた。
「え?どう言う事?」
さくらの行動や、言動の意味が解らなかった。
この時の僕は、恋愛のレの字も知らなくて、男と女の違いを言葉以上に深く認識していないのだから。
「ううん、何でも無い。それよりも...もうすぐ、冬が来ちゃうね?」
風が冷たい。
頬をそっと撫でた。
これからやって来る季節は、僕達にとって最悪な冬。
現代と違って、暖房設備が整っていないこの場所では、まさに地獄のような寒さ。
家の中に居るのに、凍えてしまいそうになるのだ。
「...うん。そうだね」
考えるだけで、憂鬱だ。
雪が降った日には、何も出来なくなってしまう。
雪景色は、目を見張るものがあるが、積もった雪のせいで教会から出られなくなってしまうのだ。
「うう...何だか、寒いね」
空気は澄んでいて、夜空を鮮明に映し出している。
だが、強い風が吹く度に、冷たい空気が全身を包み込む。
さくらの身体が震えている。
握っている手も、指の先が冷たい。
「大丈夫?...なら、こうすると、暖かくなるよ」
「!?」
僕は、握っている手を引いて、さくらの身体を引き寄せた。
そして、そのまま、さくらを包み込むようにギュッと抱き締める。
眠る時、アナスターシアに抱き締められると直ぐに暖かくなり、良く眠れる事を思い出して。
「どうかな?暖かい?」
「...」
あれっ、反応が無い?
何だか、身体が硬直している?
でも、身体は暖かくなっているようだ。
...いや、熱くなっているのか!?
「わっ!身体が、熱いけど大丈夫!?」
急激な体温の変化。
もしかして、風邪を引いて熱が出てしまったのか?
「うん。大丈夫。でも...このままでいて貰っても良い?」
いつの間にか、さくらの表情が明るくなっている?
どうやら、暗い気持ちが晴れたようだ。
そっか。
そうだったんだね。
さくらは、そんなに寒いのを我慢していたんだね?
気が付かなくて、ごめんね。
じゃあ、急いで教会に帰らないとだね。
「身体も、心も、とても暖かいよ...ありがとう。ルシウス」




