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ラグナロクRagnarφk  作者: 遠藤
新世界・少年期
61/85

060 彷徨いの精霊人⑧

 アゼレアが精霊人エルフの国に戻れるようにする為、次元の穴の調査を始めて、ほぼ一ヶ月が経った時。

 ようやく、調査に進展があった。


「これは、空間が揺めいている?...次元の穴で間違い無い?」


 魔力圏を最大限に延ばして、恵みの森をくまなく探索していたところ。

 今までは、そのような反応すら全く感知する事が出来なかったのに、その日に限り、次元の揺らめきを感じる事が出来た。


『はい。マスター。アゼレアの話通り、桜の樹の下に次元の穴が出現したようです』


 アゼレアの記憶が戻り、どうやってこの国に辿り着いたのかを詳しく聞いたところ、次元の穴を通ったら、気が付くと恵みの森の広場に、その桜の樹の近くに居たのだと。

 情報は、それだけしか無かった。

 その曖昧な情報を頼りに、山全体を闇雲に探すしか無かったのだ。

 ようやく、その事が身を結ぶ時が来た。


「でも、今までに、こう言った次元の穴の出現は無かったよね?それが何故、急に?」


 僕が此処で暮らすようになって、五年と八ヶ月。

 恵みの森に行くようになってから二年程。

 その間に一度も、恵みの森に次元の穴が出現した事は無かったし、それ以前も、そう言った話を聞いた事は無かった。


『おそらくですが、ギルドコアへの魔力供給が関係あるのかも知れません。これは、結果からの推測になりますが、アゼレアがこの国に来た日は、マスターがギルドダンジョンに潜っていた日。ギルドコアに新機能を追加した日でございます。ギルドコアを拡張する事で、副次的な効果が誕生したのかも知れません』


 そう。

 僕達は、結果から逆算するように曖昧な答えしか導き出す事が出来なかったのだ。

 次元の穴が出現した日は、ギルドコアに魔力供給を行い、ギルドダンジョンを作成した日。

 それらに関係する事は、ギルドコアを拡張したからだと。

 これらの結果は、確証が何も無い事。

 ただの推測であり、結果から無理矢理、結び付けただけの事なのだ。


「そうなんだよね...この次元の穴の出現から推測しても、そう考えられるだろうって事しか解っていないんだよね...」


 確実な事は言えないのだが、これで、精霊人エルフの国に戻る算段は整った。

 ただ、こればかりは、次元の穴を通ってみないと、何処に辿り着くのかは解らないが。

 

『申し訳ありません、マスター。ただ、次元の穴の出現は、朔日が関係していると考えられます』

「朔日が?」


 朔日とは、朔の瞬間を含める日を表す。

 朔とは、月と太陽の視黄経が等しくなる事、また、その時刻の事を意味している。

 現代的な定義での新月しんげつと同義である。

 朔日を月の始まる日「一日」とする。

 月の始まりは「月立ち(つきたち)」が転じて「ついたち」と言うため、朔日は「ついたち」と訓読みし、「朔」だけでも「ついたち」と読むそうだ。

 これらの事は、プロネーシスの記憶にある情報から教えて貰った。


『はい。マスター。前回アゼレアが此処に来た日と、本日次元の穴が出現した日を照らし合わせると、同意点は朔日になります。また、これも確実な情報ではありませんが、その可能性は高いと考えられます』

「なるほど。これは、周期で開く次元の穴って事か。ゲーム時代にも、限定クエストを行う為に、同じような周期で開く穴があったもんね?」


 ゲーム時代にも、一週間に一度、一ヶ月に一度、四半期に一度などの限定クエストがあった。

 これらの限定クエストは、次元の穴が出現する日に限り挑めるクエストだった。


『はい。マスター。ゲーム時代では、曜日限定、日蝕の時期、満月の時期、季節限定で次元の穴が出現しておりました。今回は、その日蝕に関係があるようです』


 朔日の日は、日蝕が起きる日。

 月が見えなくなる事が、次元の穴の出現条件。


「取り敢えず、一度次元の穴を通って調べて見ようかな?僕なら、プロネーシスが居るから大抵の事は何とかなりそうだし、やばかったら、直ぐに引き返せば良いもんね?」

『はい。マスター。今日一日でしたら、次元の穴が閉じる事は無いと思われます。危険な場合に辿り着いた場合、即、引き返せば問題ありません。もし、一度通った事で次元の穴が閉じてしまった場合は、全力で逃避行動をサポート致します』


 ゲーム時代は、その日一日に限り次元の穴が出現していた。

 だが、現実化した事で、更に経年した事で、それがどう変化したのかが解らない。

 そのまま変更無いままかも知れないし、もしかしたら、次元の穴を通る事で消えてしまうかも知れない。

 そして、次元の穴が消えた場合、元の場所には戻れずに、その場所で孤立する事になってしまう。

 もし、孤立した場所が魔物ひしめく場所なら?

 紛争をしている場所なら?

 極寒の大地なら?

 灼熱の大地なら?

 このように考えれらる危険は無数にあるのだが、それでも、次元の穴に入って確かめなければならないのだ。


「よし!アゼレアが自分の国に帰る為にも、調べてみるか」


 僕は、迷い無く次元の穴に飛び込んだ。

 そうだった。

 この地に足が着かず、宇宙空間を移動しているような感じ。

 懐かしいな。

 反対側の次元の穴からは、光が差し込んでいる。

 そろそろ出口が見えて来た?


「光の先は...わっ!?」


 光を抜けた先。

 そこは大自然が広がる、圧倒的に広域な森が広がっていた。

 僕が出た先は、それを上から見下ろせる大樹の中腹で、枝分かれしている幹の部分。

 いきなりの不安定な場所で、落ちそうになってしまったのだ。


「危なかった!浮遊出来ると言え、流石に、この高さから急に落ちるのは怖いな...」


 僕は、心を落ち着かせた後に、周囲を確認する。


「良かった。次元の穴は残ったままだ。周りは...」


 見渡す景色は、アゼレアに話を聞いていた通り。


「霊樹...湖...見渡す限りの森」


 霊樹と呼ばれる巨大な樹が、精霊人エルフの住処となっており、周りには湖が広がっていた。

 その周囲を囲むのは、紅葉を済ませた彩り豊かな森。


『マスター。この霊樹ですが、何処かその形式が、恵みの森の桜の樹と酷似しております。互いの大きさは違いますが、挿木をしたかのように生樹パターンが一致しております』


 そう言えば、アゼレアも同じような事を言っていた気がする。

 大きさは全然違うのだけれど、桜の樹の方がより霊的な力を感じるのだとか。


「生樹パターンが?...なんだろう?それは、恵の森の桜の樹と、この霊樹が共鳴したから次元の穴が繋がったって事?」

『ええ。その可能性は高いと思われます』


 ただ、此処にある霊樹は、桜の樹では無い。

 なのに、個人を特定出来るDNAのように、その生樹パターンが一緒なのだ。

 見た目は全然違うのに、樹の種類そのものが違く見えるのに、不思議だ。


「確かに、雰囲気と言うか、魔力の波長が似ているかも...でも、これで次元の穴が、精霊人エルフの国に繋がっている事が解ったね。もし、定期的に次元の穴が繋がるようなら、交流が出来るかも知れないね。ただ、こればかりは、相手次第になるんだけれど...」


 アゼレアの着ている服や、身に付けているアクセサリーを見て、是非、その技術交流を、技術(商品)売買を行いたい。

 こちらから提供出来るものは、恵みの森に生えている果物や野菜、調味料と言った資源になるのだが。

 但し、これは精霊人エルフの人々が納得してくれればになるのだが。

 

「あれっ?一箇所だけ、クレーターのような場所が出来ている?」


 湖の近く一箇所だけ、不自然に森がハゲたように、草木の生えていない場所があった。

 そこは、生命の息吹が全く感じられない場所。

 まるで、大地そのものが死んでしまったかのように。


「何だろう?...魔力残滓の感じからしても、嫌な感じが残っているな...」

『マスター。これは、魔力の波長パターンからも、アゼレアの魔力暴走の痕だと思われます。但し、恵みの森の広場で起きたものよりも、遥かに規模は大きいですが」


 恵みの森で起きた、魔力暴走の威力の一〇倍はあろうかと言う大きさ。


「...やはり、そうなんだ」


 暴走の痕を目の前にする事で、尚更、アゼレアの母親が魔呪具をプレゼントした理由が伝わる。

 この大きさだと、犠牲者も出てしまったのでは無いかと思わせる大きさだ。


『マスター。これからどうしますか?』


 魔力暴走の痕に、気を取られて数秒。

 僕が気落ちする前に、プロネーシスが次の行動を伺ってくれた。


「...どうしようかな?アゼレアが言っていた風の精霊シルフに話だけでも伝えて行くか、それとも、直接アゼレアを連れて来た方が良いのか...」


 迷っている事は、一ヶ月近くも行方が解らず、姿を眩ましていた人物アゼレアが現れた時、どう言った対処をされるかだ。

 アゼレアに関しては、問題無く受け止めてくれるだろう。

 だが、僕達が一緒に居た場合はどうなるのだろうか?


(いきなり、僕達がアゼレアを連れて来た場合に、「精霊人エルフの皆が僕達を受け入れてくれるのか?」なんだよね。話が通じずに、誘拐犯だと思われたら、その場で粛清を受ける可能性があるし、だけど、その場で救出した事が伝われば、交渉で優位に立てる事も事実なんだよね)


 出来れば、僕は精霊人エルフと交流を持ちたい。

 服飾技術から、アクセサリーの細工技術を教えて貰う。

 もしくは、それらの完成品を買取りが出来るようにしたいのだ。

 その為に、アゼレアを救出した事が解って貰えたのなら、交渉ごとに優位に立てるのだと。


「先ずは、アゼレアがいないと話にならないか...それなら、戻ってアゼレアと一緒に出直す方が良いか」

『ええ。マスター。アゼレアが居ない事には、交渉する事も出来ません。一度、元の場所へと戻り、アゼレアを連れて再度こちらに訪れましょう』


 次元の穴を通って、僕達の国へと戻った。

 アゼレアも、今では、すっかり僕たちの生活に馴染んでいる。

 畑仕事を手伝ったり、石鹸作りを手伝ったりと、新たな機会に触れ合える事が楽しいみたいだ。

 孤児院の皆にも大人気で、その容姿も合わせて注目の的になっている。

 特に、アゼレアに熱を上げているのがフランク。

 どうやら一目惚れらしいのだが、未だに本人に話しかける事も出来ていないようだが。

 僕は、教会の広場で石鹸作りを手伝っているアゼレアを見付けた。


「アゼレア!ようやく、次元の穴が現れたよ!これで、精霊人エルフの国に帰る事が出来るよ!」

「えっ!?天使様!僕、帰れるの?」


 突然の知らせ。

 アゼレアが、待ちに待っていた事だ。

 精霊人エルフの国に帰る。

 その喜びが溢れて、嬉しそうにはしゃいでいる。

 その一方で、逆に悲しそうな表情を浮かべている人物が居た。


「アゼレア...帰ってしまうの?」


 その人物とは、さくら。

 折角お互いに仲良くなれて、もっと色々な事を共有したいと思っていた矢先。

 それが、出来なくなる事を思い、悲しんでいる。


「...うん。お母様に会いたいし、ちゃんと謝りたいから」


 向こうでは、大慌てでアゼレアの事を探しまわった事だろう。

 アゼレアが、突然居なくなってしまったのだから。


「...そうだよね...アゼレアのお母様も心配しているもんね」


 さくらは、グッと自分の気持ちを堪えた。

 アゼレアの帰りを待っている人が居る事を思って。


「そうだ!さくらも一緒に来れば良いんだよ!そうすれば、寂しく無いよ!」


 アゼレアが、突拍子もない事を言う。

 それなら、さくらが一緒に来れば良いんだよと。

 二人で行けば、寂しく無いでしょ?と。


「それは、そう出来たら嬉しいけど...」


 さくらが、僕の顔をチラチラ見ながら様子を伺っている。

 ははーん、これは、僕にどうにかして欲しいと、そういう事なんだね。

 心配は何も要らないよ。


「次元の穴だけど、多分これから定期的に繋がると思うから、お互いに、会いに行く事が出来ると思うよ?」


 そう。

 今生の別では無いのだ。


「そうなの!?」

「本当に!?」


 二人して驚く。

 そして、お互いの手を取り合い、飛び跳ねるように喜んだ。


「じゃあ、これならいつでも、さくら会いに来れるね?それに、天使様にも!」


 アゼレアの屈託の無い笑顔。

 向こうでは同年代の友達が居なかったので、余計に嬉しいみたいだ。


「そうだ!それなら、一度、僕の国に行こうよ!」

 

 アゼレアが、さくらを誘った。

 いつでも行き来が出来るなら、このまま一度、一緒に精霊人エルフの国に行ってみようと。


「うん!アゼレアが育った国、私も見てみたい!」

「じゃあ、決まりだね!そうしたら、天使様も一緒に行きましょう?」


 アゼレアに言われなくても、僕は最初からそのつもりだった。

 今後の事を考えても、精霊人エルフとの交流は必要不可欠なのだから。


「うん。解った。それじゃあ、このまま向かおうか?準備は出来ている?」

「僕は、何も持っていないから大丈夫だよ!」

「私も、大丈夫だよ」


 アゼレアは元々、その着の身一つで此処に来ている。

 お世話になった人達には挨拶をすべきなのだが、次元の穴が出現した場合は、何も言わずに帰って良いとなっている。

 いつ出現するかも解らないし、本当に帰れるのかも解らないからだ。


「じゃあ、恵みの森に向かおうか」


 そう言って、僕達は恵みの森の広場へと向かった。




「これが、次元の穴?」


 さくらが、初めて見る次元の穴に、得体の知れない感覚を覚えた。

 穴の先が全く見えないから。


「そう!僕は、これを通って此処に来たんだ!」


 アゼレアは、自分が入った穴の事を鮮明に覚えていた。

 ユラユラと空間が揺らいで、光も吸収しているような、そんな次元の穴を。


「これを通れば、アゼレアの国に行けるよ。用意は良い?」


 僕は、二人の顔を見渡し、次元の穴の侵入する確認を取った。


「ルシウス。手を繋いで貰っても良い?」


 さくらが不安な表情で、僕にそう聞いて来た。

 此処を通るには、一人では怖いと。


「それなら僕も!天使様、手を繋いでも良い?」


 アゼレアは、一度通っているので、怖さは無い筈。

 単純に、さくらに便乗しただけのようだ。


「うん。じゃあ二人とも手を出して貰って良い?」


 此処で、しっかりと二人の手を繋ぐ。

 次元の狭間で迷子になったら洒落にならない。


「じゃあ、行こうか!」

「「うん!」」


 三人で手を繋ぎながら、次元の穴を通った。

 次元の穴は、フワフワしていて面白い。

 どうやら、そう思っているのは僕だけらしいのだが。

 二人の手を握る力が強くなっている。

 慣れない緊張からも、無駄に力が入ってしまっているのだろう。

 だが、もう直ぐ出口だ。

 光の先へと抜けて行く。


「きゃっ!?」


 さくらが、声を出して驚いてしまった。

 次元の穴を抜けた先は、幹と枝を繋げている不安定な場所で、足を踏み外してしまったのだ。

 だが、僕は、此処に一度来ているので、こうなる事を予想していた。

 踏み外して落ちそうになった、さくらを抱き寄せ、寸でのところで救出した。


「大丈夫だよ。僕が居るから」


 目の前に直ぐ、さくらの顔がある。

 その吐息も、瞬きも、鮮明に写す距離に。


「...ありがとう。ルシウス」


 抱き寄せているせいか、さくらの胸の鼓動が伝わって来てしまう。

 ドキドキと早く脈を打っている、その鼓動を。


(ドキドキしてしまうのも解るよ...この高さは、流石に怖いからね)


 木の破片が下に落ちたのだが、下に到達するまでが長かった。

 もし、此処からバンジージャンプをしたら、とても楽しそうだ。


「むー!そうやって、さくらばかりズルいんだ。僕だって...」


 突然、頬を膨らませて、僕達の事を見ているアゼレア。

 何だろう?

 機嫌が悪い?

 すると、ドキドキが落ち着いた、さくらが、アゼレアに話し掛けた。


「ここが、アゼレアの国?広くて、高いんだね?でも、凄く綺麗な場所だね」


 目の前に広がる景色は、高い展望台から覗いているようだ。

 視界一杯に広がっている紅葉した森。

 この高さからでも、水の透明度が解ってしまう湖。

 そして、此処に聳え立つ霊樹。

 この景色は、まさにこの場所でしか見られない景色なのだから。


「うん!良い場所でしょ!ここが、僕が住んでいる国なんだ」


 誇らしげに自慢をするアゼレア。

 だけど、その言葉には悪気も嫌味も無く、純粋に凄いと思わせてくれる場所。

 そう思うのは当然な事だ。


「あの上がすぐ僕の部屋だよ。取り敢えず、部屋の中に入ろうか?」


 そう言って、僕達は、アゼレアの部屋へと移動した。

 部屋の中は埃一つ無く、清掃がされている。


(綺麗に部屋の中が保たれている?...誰かが毎日来て、掃除をしているんだ)


 清潔を維持しなければ、こうはならない。

 アゼレアの帰りを願っている人が居るのだ。


「帰って来れたんだ...やっと...僕の国に」


 部屋の中へと入ったアゼレアは、これで本当に帰って来れたのだと実感をした。

 途中、次元の穴が出現しなかった期間は、「もう、精霊人エルフの国に帰れなくても良いや」と強がっていたけれど。

 多分、覚悟をした思いであって、本心から来る思いでは無かった。

 今の自然に溢れた言葉こそが、素直に思った感情であり、アゼレアの本心を表しているのだから。

 肩を少し震わせながら、喜びを噛み締めている。


「アゼレア。良かったね」


 その思いを感じ取った、さくらが、アゼレアに声を掛けた。

 やはり、家族と一緒に暮らせる喜びは、何ものにも変え難いものだからだ。


「うん。ありがとう、さくら」


 二人は歳も同じなので、仲良くなるのに、そう時間は掛からなかった。

 それに、お互いに似ている部分が多いらしい。

 好きなものに対しての好みとかが。


「...アゼレア?母親のところへと向かう?」


 部屋に入って直ぐの事。

 休める暇も無い程の時間しか経っていない。

 だけど、アゼレアの母親は、アゼレアを心配をしている事が考えられる。

 僕が何か失敗した時に、アナスターシアが悲しむのと一緒で、早く安心させてあげる事が一番なのだから。


「それが、天使様。こちらからだと、部屋を開ける事が出来ないんだ...」


 そう言われたので、僕は扉を見た。

 すると、部屋の扉には、取手も鍵穴も無かった。


(なっ!?この状態だったら、籠の中の鳥って思っても仕方無いじゃないか!?普通に...閉じ込められているよ...)


 アゼレアが口にした、ものの例え以上に、幽閉された状態だった。

 外にも出られない。

 好きな事も出来無い。

 出来るのは、窓から外を眺めるだけ。

 それは天使を求める訳だ。

 自由に空を飛びたいと思う訳だ。

 今回の事は、なるべくしてなってしまった状況なのだろう。


「あれ?この部屋に、何かが近付いて来ている?大きさ的に...妖精位の大きさかな?」

「!?」


 僕の広げている魔力圏に何かが反応した。

 その言葉を聞いたアゼレアの反応を見れば、以前に話してくれた風の精霊なのかな?


「きっと、シルフィだ!シルフィなら、お母様に話を通してくれるよ!」


 どうやら、風の精霊のシルフィが近付いて来ているようだ。

 ただ、これは僕達が部屋に居る事を知っての行動では無い。

 その移動スピードを考えても、パトロールの一環と言ったところだろう。


(来たらビックリするんだろうな...一ヶ月ぶりの再会になるのか?後は、僕達の事が正しく伝われば良いけど...)


 懸念する事は、人間との交流があるのかどうかだ。

 現在、僕達が住んでいる国マギーケーニヒライヒでは、精霊人エルフを見た事が無いし、交流があった歴史も無い。

 もしかしたら、他の国では交流があるのかも知れないが、その部分がまだ解っていないので何とも言えないのだ。

 そんな事を考えていると、窓から緑色の光を纏った精霊が顔を出した。


「!?」


 その精霊は、空を飛びながらクルクル動いていたのに、窓の外からこちらを覗いた瞬間、ピタッと動きを止めた。


(ものの見事な二度見...本当に、一瞬にして表情が切り替わるんだな)


 居る筈が無いものを見て、口を大きく開けたままフリーズしている。

 時間にしては、数秒も無い事なのに、本人は刻が止まったかのように感じていた。


「レア!?何処に行っていたの!?それに、この人達は!?」


 僕達がアゼレアと一緒に過ごすようになってから、精霊人エルフ語を教えて貰った。

 まだ、全部を理解している訳では無いけど、どうやら、アゼレアの愛称はレアと言うらしい。

 風の精霊は、突然の事で驚きながらも、今の気持ちが定まっていない感情を思いのまま叫んだ。

 そして、そのまま部屋の中へ飛びながら入って来る。

 身振り手振りの動きが大袈裟で、その百面相のような表情が騒がしい。


「シルフィ!ただいま!」


 アゼレアは、レアの話を無視した訳では無いのだが、先ず初めに、自分が何よりも伝えたい気持ちを言葉にした。

 やっと、帰って来れたのだから。


「...レア」


 シルフィは、アゼレアの言葉を受け取って、その温度差を感じ取ったのか、自分だけが騒いでも仕方無いと思い直した。


「そうね...先ずは、レア。お帰りなさい」


 先程とは打って変わって、しんみりとした表情のシルフィ。

 ただ、レアが無事に戻って来た事を受けて、笑顔はとても優しいものだった。


「うん。シルフィに、また会えて嬉しいよ」


 その言葉には、様々な思いが込められていたのだろう。

 独りで彷徨っている時に、死を認識してしまった。

 魔力が暴走した時は、普通に生きる事が出来ないと感じた。

 次元の穴が閉じていた時は、もう自分の国には帰れないと考えた。

 その経験が積み重なっての、「また会えて」なのだ。

 心から嬉しいに決まっている。

 その時、シルフィから見たアゼレアの表情は、以前と違って見に纏う悲壮感が無くなっていた。


「レア...そうなのね。色々な事を経験したようね。無事に帰って来てくれて、私も嬉しいわ」


 シルフィは、アゼレアの頭の近くまで飛んでは、その小さな手で精一杯に撫でた。

 百聞は一見にしかずを体験して来たアゼレア

 その様々な経験がアゼレアを成長させていたのだから。


「へへへ」


 アゼレアは笑った。

 子供特有の無邪気な笑顔。

 照れが感情を超えてしまったような、胸の奥がこそばゆいような、そんな笑顔で。


「...さて、レア?そろそろ説明して頂戴。貴方は何処に行っていたの?」


 気を取り直したシルフィ。

 アゼレア以外の人物(僕とさくら)を見回しながら、アゼレアに問い詰めた。

 その時、部屋の中のテーブルの上に腰掛け、僕達との目線を合わせてくれた。


「シルフィ。どうやら僕は、違う国に転移してしまったんだ」


 アゼレアが、事の始まりから説明をして行く。


「転移ですって!?転移って、一瞬にして違う場所に行ける転移の事!?」


 シルフィは慌てている。

 それもそうだ。

 転移魔法は特殊属性に位置する空間魔法。

 その使い手は限られているし、精霊人エルフでも使える人物など居ない。


「そう。今も、窓の下の枝の根元に次元の穴が出ているんだ。僕は丁度一月前に、その穴を通って違う国に転移したんだ」


 アゼレアがそう説明すると、シルフィは窓の外を見る。

 確かに、部屋の直ぐ下の枝の根元部分に、空間の揺らぎによる穴が出現していた。


「何よ、あの穴!?昨日までは、ずっと無かった筈よ!」


 シルフィは、アゼレアが居なくなってから、毎日周囲を探していた。

 部屋の中から、部屋の外。

 住まいである霊樹全体。

 その近辺を。


「私は、レアが居なくなった事を知ってから毎日探していたのよ?」


 シルフィが、アゼレアが居なくなった事を知ったのは翌日。

 次元の穴が閉じてしまった後だったのだ。


「僕にも解らないけど、この穴は、太陽と月が重なる、朔の日だけに出来るんだって」

「朔の日だけに?...蝕が関係あるのかしら...」


 一瞬にして朔日の象徴を捉えるシルフィ。

 直感が冴え渡っていた。


「そうみたいだよ。周期によって他の場所と繋がる次元の穴みたいなんだ。僕は、その穴を通って、今一緒に来ている二人の国に出たんだ。独り彷徨う事になってしまった何も知らない僕を、二人が助けてくれたって訳なんだ」


 アゼレアが僕とさくらの顔を確認して、シルフィにそう説明した。

 ただ、自分が襲われた事、魔力が暴走した事は伝えなかった。


「そうなのね。二人がレアの事を、此処まで連れて来てくれたのね。...二人は、人間なのかしら?」


 一ヶ月と言う期間。

 子供独りでは、安全に過ごす事が到底出来無い期間だ。

 誰かの助けがないと、運が良くないと生きてはいけないのだから。

 シルフィは、その窮地を救ってくれたのが、僕とさくらだと納得をしてくれた。

 ただ、僕達を見て不思議な表情を浮かべた。

 人間を見た事が無いシルフィ。

 人伝にどう言った種族なのかは聞いている。

 精霊人エルフの国の文献にも残っている。

 見た目で言えば、聞いた通りの、見た通りの人間に見える。

 でも、何かが違く感じているようだ。

 流石は精霊と言ったところ。

 僕は天使族。

 さくらも、僕と魂の回廊が繋がった事で、突然変異ミュテーションしているのだから。

 ただ、僕はそれを明かす気は無いし、さくらは知らない事。


「天使様だよ!それと、僕のライバル!」


 アゼレアが真剣な表情でそう答えた。

 結局、僕が何度名前を教えても、天使様としか呼んでくれなかった。


(さくらが、ライバル?...それって、二人は何のライバル何だろう?)


 初めて聞いた言葉だ。

 さくらとアゼレアの二人がライバルだなんて。

 何を争っているんだろうか?


「天使?...ああ、レアが思い描いていた王子様の事ね。確かに、ダントツで格好良いわね」


 レアが思案していた絵空事の人物。

 どうやら僕は、ピッタリの人物だったらしい。


「シルフィは、ダメだからね?」

「!?」


 いつもよりも、低音の声が鳴り響いた。

 アゼレアの表情は笑顔なのに、僕には、何故か笑っているように見えなかった。

 それ以上に、何処か怖さを含んでいるように感じた。

 思わず、背筋がブルッと震えてしまうような。


「わ、私は、関係無いから、だ、大丈夫よ」


 シルフィはそう言ったが、声が震えていた。

 どうやらこの時、レアの狂気にも似た思いを感じ取っていたらしい。

 周囲を凍てつかせるような、嫉妬を孕んだ感情を。


「そう?なら良かった」


 急変する雰囲気。

 ...いつも通りのアゼレアの笑顔だ。

 さっきのは、見間違いだったのかと思わせる態度だ。


「でも、アゼレアが無事だったのなら、これで女王様も、一安心が出来るわね」


 シルフィが話題を戻し、アゼレアの母親の話を持ち出した。


「お母様...が?」


 その言葉を聞いて、アゼレアの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。


「ええ、そうよ。レアが居なくなってから、毎日悲しんでおられたわ。毎日違う場所へと足を運んでレアを探しに行ったり、夜は不安で眠りにつく事も出来ず、此処のところずっと快眠が出来ていないわ。どうしようも無い時だけ意識が途切れるように寝てしまう、そんな感じだわ」


 女王としての職務は果たさなければならない。

 しかし、手の空いた時間は、全てアゼレアの為に動いていたらしい。

 睡眠を取るにしても、自分の意思で眠るのでは無く、無意識に気を失って。


「お母様...私のせいで...」


 アゼレアには、その言葉が一番堪えてしまった。

 やはり、自分が知らないところで、自分の為に動いてくれているのだ。

 普段だと、会話を交わす事も中々出来無い。

 愛情表現も、あまり受けて来なかった。

 それに対する反発心もあっての、自由を求めた行動だった。

 だが、そのせいで母親の愛情を裏切った。

 そして、母親を苦しめてしまった。

 今にも泣き崩れそうな、アゼレア。


「レア。大丈夫よ。私が呼んで来てあげるから。そうしたら、女王様にちゃんと謝るのよ?」


 シルフィが、アゼレアの周りをクルクル回り元気付ける。

 一ヶ月居なくなってしまった事は仕方無い。

 無事に帰って来れたのだから。

 後は、母親を安心させてあげるだけなのだと。

 アゼレアの部屋の鍵は、外から掛けるタイプの部屋なので、中からでは母親の下には行けないのだ。

 最初から、シルフィに何とかして貰うしか、方法が無かったのだ。


「うん。ありがとう、シルフィ」

「そうよ。レアは笑っている顔が一番素敵よ!じゃあ、行ってくるから待っていてね」


 シルフィの本心だ。

 泣き顔で悲壮感を漂わせるよりも、笑顔で幸福感を纏っていた方が、アゼレアには似合っている。

 子供なのだから、無邪気に楽しんで欲しいと。

 そう言い残し、シルフィは窓から精霊人エルフの女王の下へと向かった。


「...あんなにも狭く感じた場所なのに、今だと、その感じ方も違うんだね...僕は、守られていたんだ...」


 アゼレアは、つい一ヶ月ぶりの帰省となるのだが、窓の外を眺めながら、自分の育った場所を噛み締める。

 籠の中の鳥。

 そう思っていた筈の感情は、いつの間にか消え去り、今ではその見え方も違った。

 決して、自由を奪われ閉じ込められていたのでは無く、アゼレアの体質を鑑みての処置だったのだ。

 本当に大切なものを守る為の、自分の最愛のものを大切にしている、掌中の珠のように。


(部屋から出られなかったら、そう思っても仕方無いよな...ましてや、自分の母親が一国の女王となると、コミュニケーションも上手く取れ無かっただろうし...)


 母親の感情が感じられていたのなら、アゼレアの寂しい気持ちが伝わっていたのなら、きっと、こう言った結果にはならなかっただろう。

 だが、アゼレアは感情に蓋をして本心を隠し、母親は愛を込めた贈り物を渡すだけで意味を伝え無かったのだ。

 お互いの、その思いが、ちゃんと共有出来ていれば、寂しさや悲しさと言った感情は抱かなかったし、母親から愛情を注いでいる事が伝わったのに。


「...」


 シルフィがアゼレアの母親、精霊人エルフの女王を呼びに行き、少し時間が経った頃。

 突然、アゼレアの部屋の扉が鍵をあけて開いた。


「!?」


 アゼレアは、その音にビックリし、扉の方へと振り返った。

 そこに見えるのは、アゼレアが成長をすれば、何年後かにそうなるだろうと想像が出来る容姿の女性。

 気品溢れる美しい女性だ。

 成る程。

 その女性が、アゼレアの母親で、精霊人エルフの女王。

 扉を開けて、その場でアゼレアの事を凝視めていた。


「お母さ...!!」


 その言葉を遮るように、アゼレアの母親は、アゼレアの下へと駆け寄り抱き寄せる。


「アゼレア!!ああ...ぁ。良かった...本当に...無事で良かった」


 心からの思い。

 目から涙が溢れ、否応無しに崩れてしまう表情。

 そこには、精霊人エルフの国の女王としての顔は一切無く、アゼレアの母親としての顔だけが映っていた。

 きつく。

 精一杯きつく、アゼレアを抱き締めている。

 ただ、それは痛みの伴わない、思いが込められた精一杯の抱き締めだ。


「お母様...ごめんなさい」


 アゼレアが最初に伝えた言葉は、感情が入り混じってしまい上手く言葉に出来無い気持ち。

 自由を奪われ閉じ込められていと思っていた事。

 勝手に居なくなった事。

 母親の愛を信じられなかった事。

 そして、母親を悲しませてしまった事。

 それらに対する気持ちを、全て乗せた謝罪だった。


「...良いのですよ。レアが無事だったのですから」


 言葉の少ない思いだが、母親には、それらの思いが伝わったのかも知れない。

 抱き締めているアゼレアの頭を撫でながら、頷いている。


(アゼレアが戻って来て、本当に嬉しいんだろうな...よく見ると、目の下にはクマが出来てるから、ずっと寝れていなかったんだろうな)


 アゼレアの母親には、目の下に青っぽいクマが出来ていた。

 その青クマの主な原因は、疲れや睡眠不足による目元の血行不良によるもの。

 アゼレアが居なくなった事で、しっかりとした睡眠が取れていなかったのだろう。


「レア。ごめんなさいね。...私のせいで苦しめて」


 今度は、アゼレアの母親が謝った。

 部屋の中に閉じ込めた事。

 部屋から抜け出したく成る思いを持たせてしまった事。

 愛は込めたプレゼントの意味を伝えなかった事。

 そして、アゼレアを苦しめてしまった事。

 同じように、“ごめんなさい”と言う言葉にそれらの思いを全て乗せて。


「お母様...お母様!!」


 思いを伝えるには、その全てを話した方が伝えられるのに、「ごめんなさい」と短い言葉だけで、それだけの事で伝わってしまうと言う不思議。

 伝えたい事が伝わらない言葉の筈なのに、親子だからこそ伝わった言葉。

 すると、アゼレアも我慢していた感情が溢れてしまう。

 嗚咽を交え、涙が止まらない。

 しばらく二人は、人目も気にせず、お互いが居る事を喜ぶように、お互いの絆を確かめるように、ずっと抱き締め合っていた。

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