058 彷徨いの精霊人⑥
精霊人の子供は、ピギィと言う名前らしい。
傷付いて倒れていたその時は、予断を許さない状態だったが、さくらの歌のおかげで、細かい裂傷や簡単な打撲なら治療する事が出来た。
そして、教会に連れて来てからは、骨折などの治療の為に、添木を当てて安静にして貰っている。
状態の酷い部分が上半身に集中しているので、問題無く歩く事は出来る。
本人は、何故怪我をしたのか、何故あの場所で倒れていたのかは、覚えていなかったが。
「プロネーシス。ピギィの着ている服や、身に付けているアクセサリーは、精霊人特有の物?」
『はい。マスター。身に付けている服に関してですが、どうやら服の繊維から魔力を発しております。絹の様な滑らかさで極上の糸ですが、金属よりも硬い性質を持っております。そして、アクセサリーに関してですが、こちらは、宝石や金属の加工が施されており、それぞれに魔法陣が刻み込まれております。ゲーム時代では見受けられなかった技術が使用されており、精霊人特有の物だと推測されます』
ピギィが着ている服は、僕達が居る国マギーケーニヒライヒと比べると、格段に上質な素材で、上質なデザインをしている。
ただ、僕がピギィを見つけた時は、服が汚れ過ぎていた為、その事に気付く事が全く出来なかった。
(この服の凄いところは、土や泥、血などで汚れてはいたけど、服そのものがほつれたり、破れたりしていなかった事なんだよね。それも、まさか魔力糸が使われていただなんて...僕達が住んでいる国よりも、技術力は上。それも、だいぶゲーム時代に近い?)
魔力糸。
ラグナロクがオープンしてから一年で現実化した事を考えれば、後期から運用されたアイテム。
この魔力が込められた糸で作られた衣服は、とても丈夫で、とても軽くなる事が特徴。
鎧とは、また違った防御力を誇り、機動力を確保出来る上に、デザインも自由に作成出来る事が強みとなっている。
これにより、装備品(衣服)の多様性が生まれ、自由度が増した。
(それよりも...)
ピギィの髪型も、服装も、ボーイッシュ(一人称も僕)だった為に、僕は、ピギィの事を男の子だと思っていた。
(まさか、ピギィが女の子だったとは...ピギィの服を脱がせて、裸を見てしまった時は、流石に、僕も焦ってしまったけど...まあ、これは僕のせいじゃ無いし、不可抗力だから仕方無い...よね?)
僕とさくらで、ピギィの身体の汚れを落とす為に、お湯を沸かしてお風呂の準備を行った。
そして、お風呂の準備が出来たところで、僕がピギィの汚れている服を脱がせた時に、それが発覚したのだ。
僕は、骨折した上半身を上手く動かせないピギィの代わりに、身体を洗ってあげるつもりが、とんだハプニングが発生してしまった。
これは、ピギィが抵抗しなかった事も原因だ。
僕は悪くない。
...筈だ。
そして、身に付けているアクセサリーだ。
ピアスや、ネックレスと言った装飾品。
どちらも精巧な細工で、しかも、単体で魔法具としての役割を担っている代物。
だが、その刻まれている魔法陣は、プロネーシスの記憶に無い魔法陣らしく、どんな効果を持っているのか解らないそうだ。
ただ、プロネーシスが言うには、その魔法陣は、かなり拙いものなのだと。
「やはり、そうなんだ!それに、ピアスには、ガラスが使われているよね?これが加工による物なら、ガラス容器も手に入れられるのかな?」
『はい。マスター。使用されている物は、ガラス、銀、金、宝石と言った物です。但し、ガラスの入手については、技術交流が出来れば、ですが」
問題はそこなのだ。
アナスターシアも言っていた事だが、この国の有史以来、マギーケーニヒライヒに精霊人が訪れた事など一度も無いらしい。
それなのに、何故この国に精霊人が居るのか?
どうやって此処に来たのか?
それが解らないのだ。
「そうなんだよね...精霊人が何処に住んでいるのかも解っていない事なのに、どうやって精霊人の国に行くんだって話になるからね?僕自身、魔法陣のおかげで魔法が使えるようになったけど、あれだけ魔力消費しても、下位魔法一発で魔力枯渇状態になってしまうから、転移魔法なんて、夢のまた夢だよね...」
現時点での僕の魔力量は、下位魔法を何十発、何百発撃っても問題無い程の魔力量がある。
それが、呪文による魔法発動に限るなら。
その通常とは違う、正攻法では無いやり方を行うだけで、僕の魔力の、ほぼ全てを消費してしまうのだ。
魔力を操作して、空中に魔法陣を作成し、無理矢理、魔法を使用する。
この僕のやり方が、如何に非効率で、無駄が多い事は、容易にお解り頂けるだろう。
それを踏まえても、僕が魔法を使用出来る歓びには変えられないのだが。
『はい。マスター。ですが、確実に前進しております。如何に非効率だろうが、如何に無駄が多かろうが、マスターが思い描く英雄への道。その一歩を踏み始めたのです』
千里の道も一歩から。
僕が思い描く英雄は、魔法も格闘も両方をこなせる英雄。
人の何倍も魔力を消費して魔法を発動している僕だが、その魔法を自由自在に使いこなす。
この大きな目標に向かっての、始めの一歩を踏み出したのだ。
後は、コツコツと積み上げて行くだけだと。
(精霊人の国...行ってみたいよね)
ピギィの記憶さえ戻ってくれれば、何か解るのかも知れない。
「ねえ、天使様?」
ピギィが僕の顔をマジマジと覗いて、そう話掛けて来た。
今では、エメラルドのような輝きを放つ、その翠眼。
救出した頃の、光の無い、くすんでいた瞳が嘘のように。
「ピギィ...僕の名前は、ルシウスだって教えたでしょ?」
僕は、ピギィに呆れたように返事をした。
これはピギィ本人が、僕の事を天使族だと解っていて、そう言った訳では無いからだ。
ピギィが、僕を最初に見た時の印象が強すぎる為に、ただ、その印象を引きずっているだけに過ぎない。
何度名前を教えても、僕の事を天使様と呼んでいる。
「だって...天使様は天使様だもん。それに、天使様は、僕を迎えに来てくれたんでしょ?」
ピギィが僕の態度に、少し拗ねるように言い返した。
僕がピギィの前に現れたタイミングと言い、窮地から救い出してくれた事実と言い、それ(天使様だと言う事)以外の何があるのかと。
ただ、ピギィの話した言葉には、決して、聞き逃す事が出来無い言葉がそこにはあった。
「え?...ピギィを迎えに来てくれたって、どう言う事?」
“僕を迎えに来てくれた”。
一体、その言葉にどんな意味があるのか。
「だって、僕は籠の中の鳥だから...」
ピギィが話した言葉尻に合わせて、その表情も、その態度も沈んで行く。
影が帯びたその眼差しは、儚くも、今にも消え入りそうな雰囲気だ。
「籠の中の鳥?...ピギィ?それは、どう言う事なの?」
通常なら、籠の中の鳥のように、身の自由が束縛されている状態のたとえ。
また、そのような境遇の人を表す言葉。
「僕は...精霊人の国で...自分の部屋から出る事が出来なかったんだ」
その時の事を思い出すように、何処か遠くを見つめている。
ピギィの発する声も弱々しく、全身の虚脱感が激しい。
「部屋の中から出る事が出来無いって、それって、自分の意思じゃ無くて?」
それは故意なのか、他意なのかで、そのものが持つ意味合いが大きく変わってくる。
どちらだとしても、本人には何かしらの辛さが伴っている事ではあるが。
「僕は...どうしても魔法が使えなかったんだ...オドを操作しても、体外に放出する事が出来なかったし、呪文を唱えても、魔法が発動する事が出来なかったんだ」
どうやらピギィは、魔法を使用する事が出来無いらしい。
確かに、ピギィの体内魔力の流れが不規則だ。
僕がピギィに感じている違和感も、この部分に起因している。
(魔法が発動出来ない?それって、僕の症状と同じって事?)
僕も、つい先日まで魔法が使用出来なかった身だ。
ある方法を使用する事で、それを乗り越える事が出来のたが。
『いいえ。マスター。マスターの場合ですが、体内、体外の魔力操作が出来ております。但し、魔法を発動すると言う現象のみが発揮されないのです。これは、魔法現象のみが遮断されているような、そんな感覚だと思われます』
僕の場合は、不思議な事に、魔力自体は使用出来るし、自由に操作も出来る。
ただ、自分だけでは、魔法と言う現象が起こせないと言う事。
(確かにそうか。理由は解らないけど、僕の発動する魔法のみが切り離されているような、そんな感じだもんね...まあ、魔法陣による魔法が発動出来たから良いんだけどさ)
僕の魔法が発動出来無い現象。
それを見事に改善してくれたのが魔法陣。
教会に隠蔽されていた魔法陣に魔力を流す事で、僕が魔法を発動出来た事により、この考えへと辿り着く事が出来た。
『ピギィの場合ですが、体内魔力が停滞しており、一部分に集約されています』
(そうなんだよね...魔力は揺らいでいるのに、故意にその場所に押し止められているような...呪いのような状態に似ているよね?)
ピギィの魔力は、丹田だけに集約されていた。
それは不自然な程に、その場所から動かす事が出来ずに、まるで、呪いを受けて魔法を封じられたかのように。
『はい。マスター。どうやら、ピギィが身に着けているアクセサリーが関係あるかと思われます。私の記憶に無い魔法陣ですが、ピギィの状態を観察した結果、魔力の妨害が働いているようです。魔法具と言うより、役目的には魔呪具に相当するものだと思われます』
魔法具の中で、相手に強制的にデバフを与える道具は魔呪具と呼ばれていた。
バフ 魔法や、スキルや、アイテムを用いて、攻撃力や敏捷性などの能力を上昇させる事。
デバフ 魔法や、スキルや、アイテムを用いて、攻撃力や敏捷性などの能力を弱体化させる事。
(魔力の妨害?魔呪具って、一体誰がそんな事を?)
『それでしたら、ピギィ本人に聞いてみれば、宜しいかと思われます』
確かに、それが早い。
魔呪具を装備している本人が目の前に居るのだから。
「ピギィ?そのピアスや、ネックレスは誰に貰ったの?」
僕は、ピギィが身に付けている装飾品を指差しながら、ピギィに聞いてみた。
ピアスも、ネックレスも、ピギィの翠髪翠眼に合わせて彩られた物。
エメラルドを主軸に、周りにはガラスが装飾されており、金や銀の縁で加工されている。
現代の洗練された技術とは比べる事は出来無いが、魔法効果を持っている事を考えれば、価値としては現代の物を遥かに凌駕する代物。
「えっ?このピアスとネックレス?これは、僕が三歳になった時にお母様に頂いた物だよ?」
ピギィは、当時の事を思い出しながら嬉しそうに僕に話してくれた。
先程までの沈んでいた気持ちが急転し、あたたかい眼差しを含んで。
「ん!?ピギィの母親から...貰った物だって?」
僕は、その言葉を聞いて頭の中がこんがらがる。
母親が娘に、魔呪具を渡す意味を考えて。
「...」
僕は言葉が出てこない。
もしかしたら、ピギィの母親は何も知らずに、プレゼントの意味合いを込めて渡したのかも知れない。
もしかしたら、ピギィの母親はそれすらも知った上で、敢えて娘に渡したのかも知れない。
だが、これが後者だった場合、悪意があるもの。
僕はそれを感じ取って、ブルっと身体が震えた。
「これが、どうしたの?」
ピギィが僕の反応を伺うように、下から顔を覗いて来た。
首に掛けているネックレスを手に持ちながら。
「ピギィ...そのピアスとネックレスを外して、魔法を使用してくれないかな?」
僕には、ピギィの母親の意図が解らない。
だけど、それを外しさえすれば、ピギィは魔法が使えるのだ。
「えっ?でも、これはお母様から頂いたもので...僕の為になる物だって...」
ピギィは、僕の外してと言う言葉に反応して、それを拒否するように身構えた。
「何で突然、そんな事を言うの?」と。
(僕の...為?どう言う事だ?何かの意味があるのか?)
僕には、ピギィの母親の言葉が、本当なのか嘘なのかが解らない。
現に、ピギィが身に付けている装飾品は魔呪具なのだから。
「もし、そのピアスとネックレスを外せば、ピギィが魔法を使えるって言ったらどうする?」
呪いの効果は、体内魔力を強制的に抑制する事。
装備している間は、ピギィ本人の意思では魔力を操作する事が出来無い。
「えっ!?これを外せば魔法を...?でも、お母様は、僕が成人するまでは外しちゃダメだって...」
母親に言われた言葉。
見ず知らずの他人の僕が言う言葉よりも、それは何倍も信じられるもので、何倍も信じる事に値するものだ。
(成人するまでは外してならないって、余計に謎だな...どんな意図が合ってそんな事を言ったんだ?)
ゲーム時代に無かったものは、既に幾つもある。
さくらの歌にしろ、ギュンターの固有戦技にしろ。
断定は出来無いが、魔呪具と成人と言う関係にも何か効果があるのかも知れない。
それが良い事なのか、悪い事なのかは解らないが。
「ピギィは、籠から飛び出して、羽ばたきたかったんじゃ無いの?ずっと、囚われたままで良いの?」
ピギィの行動指針。
それは自分の殻を破ることで、自由に動き回る事。
僕は、ピギィにそれを思い出させるように、ピギィ本人が心の底から渇望している思いを問う。
変わりたいのか?
それとも、変えたいのか?
「それは...いやだ!!僕は...自由に飛びたいんだ!!」
ピギィの瞳には、自身が渇望している、自由になりたいと言う意思が宿り、煌めく力が込められていた。
濁りの無い宝石のように、純度の高い輝きを放って。
「じゃあ、ピギィ。一度、試してみよう?」
僕は、ピギィに優しく笑い掛けた。
ピギィのその思いに応えたい。
望んでいない悪影響など排除してしまえばいい。
心から望む思いを実現するのだと。
「...うん!!」
ピギィは両手を握りしめ、力強く僕に返事をした。
自分が行動をする事で、変えるのだと。
「ここでなら気にせずに魔法を使用出来るよ。じゃあ、ピギィ。試してみて?」
僕達は、恵みの森の広場へと移動をしたところ。
ここでなら、魔法を試すには持ってこいの場所であり、魔力が溢れている環境もピギィには優しい。
「うん!」
力強く頷き、呪文の詠唱を始めたピギィ。
この時、問題無く体内の魔力が属性変化をしている。
(体内の魔力の流れが淀み無い。それよりも、ピギィは普通の人よりも魔力量が多いのかな?これは...封じられていた分、踠き続けた分、魔力量が増えているのか?)
僕やさくらと比べると、魔力量はそうでも無いが、子供の身でありながらも、メリルやギュンター達、大人と同程度の魔力量を保有していた。
魂位によるものでは無い、純粋な保有魔力量だ。
そして、ピギィの呪文の詠唱も終わりに近付き、魔法名を唱える。
「ウィンド!!」
放たれたのは初級風魔法。
前方へと突風を起こし、相手を吹き飛ばす魔法だ。
すると、ピギィの前方には、草が舞いながら突風が吹き荒れた。
「うそ!?...魔法が出来ちゃった!!」
ピギィは、自分がやった事に驚いている。
今まで、どんな工夫を凝らしても魔法を発動する事が出来無かったからだ。
それも仕方の無い事で、身に付けている魔呪具により、強制的に体内魔力を抑制されていたのだから。
「天使様!?魔法が出来たよ!!」
ピギィが満面の笑みを浮かべて、僕の方へと振り返ると、とても嬉しそうに駆け寄って来た。
そして、その勢いのままに、僕へと飛びついて来た。
「わっ!?ピギィ!?」
二人して、勢い良く地面へと寝転ぶ。
この飛びついて来た勢いは、ラグビー選手のタックル位あったんじゃ無いのか?
そう思わせる程の威力を誇っていた。
地面が天然のクッションで、草が敷き詰められていたから良かった。
「ピギィ...苦しいよ」
ピギィは、よほど嬉しかったのか、僕にしがみつくように力一杯に抱きついている。
だけど、そうなる事は仕方が無い事だ。
「天使様...天使様。僕にも...やっと、魔法が出来たんだよ」
ピギィの目には涙が流れている。
グズッと鼻を鳴らしながら、声にならない声が漏れ出ている。
嬉しさの感情と、解き放たれた枷が崩壊して。
自身が思い描いて魔法を、ようやく使用する事が出来たのだから。
(そうだよね...これ程嬉しい事は無いよね。待ちに待った魔法で...心から望んでいた魔法なんだから)
僕も魔法が使用出来るまで、ずっと試行錯誤と、研鑽を繰り返して来た。
魔力は使えるのに、魔法が使えない。
何がいけないのかも、その理由が解らずに。
その時の焦燥感も、消失感も尋常じゃないものだった。
魔法のある世界で魔法が使用出来ない絶望感は、とても苦しいものだった。
それが解放されたのなら、泣き崩れる事も無理は無い。
(こうなると...ますます解らないのは、「何の為に魔法を封じていたか?」だよな...これは本当に、ピギィの為になる事だったのか?)
ピギィが母親から魔呪具を受け取って、伝えられた言葉は「ピギィの為になる」だった。
これが意味する事は、一体何なのだろうか?
「天使様...ありがとう...」
僕が天を仰ぎながら考え事に耽っていると、ピギィが馬乗りの状態のまま、お礼を伝えた。
そして、僕の頬にキスをする。
「わっ!?ピギィ!?いきなり、どうしたんだよ!?」
僕は、そのあまりにも突然の出来事に動揺してしまった。
「え?何か、おかしい事?」
僕一人で慌てているが、ピギィは、その事に対して何も動揺をしていない。
僕の上に乗ったまま、ピギィの両手は僕の両肩を掴んで、上から首を傾げている。
すると、突然、その表情を変える。
一瞬目を伏せた後、唇を甘噛みし、恥じらいながらも僕の事を凝視め始めた。
「精霊人は、生涯を共にする人(旦那)にしか裸を見せてはいけないんだ。僕は、天使様に裸を見られたから...」
その声は、照れも、期待?も込められているもの。
子供なのに、女性らしい仕草へと変貌をしていた。
(嘘だろ!?精霊人には、そんな掟があるのか!?)
衝撃の事実。
だが、あれは不慮の事故。
ピギィの汚れている身体を清める為のもので、決して、裸を見る為の行為では無い。
「天使様...」
ピギィのその手が、僕の頬を優しく撫でる。
心臓がドキドキしている事が、自分でも解る程に。
「責任、取ってくれるんでしょ?」
その時のピギィの表情は、少女特有の無邪気さと、女性らしい妖艶さが入り混じっていた。
未成長だからこその急成長。
何故、そんな表情が出来るのかが解らない程に。
「ピギィ!僕達は、まだ子供だよ!?生涯を共にするとなると、色々と必要なものがあるでしょ?それに、結婚は好きな人とするものだって?」
生涯を共にする。
僕がこの間に知ったばかりの結婚と言うやつだ。
プロネーシスが言っていた言葉は、男女共に寄り添う覚悟があるものが行う契約だと。
今の僕には、そんな事が考えられないし、考えたくも無い事。
ピギィの思いには応えらない。
「大丈夫だよ天使様!僕は天使様の事が大好きだから!それに、僕は、精霊人の女王の娘。必要なものなら直ぐに用意出来るよ!」
ピギィの嘘偽りの無い、真っ直ぐな言葉(思い)。
最初見た時の印象とは、違い過ぎる現状。
ボーイッシュな事に変わりないが、目の間にいる人物は、女なのだ。
「なっ!?精霊人の女王の娘だって!?」
ただ、僕には、それよりも気になった言葉があった。
ピギィの母親が、精霊人の女王だと言う事。
此処は聞き逃しては駄目だ。
「うん!エヘヘっ。これで、天使様とずっと一緒に居られるね?」
ピギィにとっては当たり前の事なので、母親が精霊人の女王だと言う事に関して、呆気無く「うん」の二言で終了させてしまった。
いや、その返事は、僕が求めている言葉では無い。
だが、ピギィは、そんな事などお構い無しに、そのまま僕へと抱きついて来た。
「な!?...」
思い描いた会話のやり取りが出来無い。
このままピギィの事を受け入れては不味い事になるし、話を流されても不味い。
どうにしかして、話題を変えなければならないし、ピギィが魔法を使用出来なかった真相を探らなければならない。
「ピギィ!?それよりも、ピアスとネックレスの事を考えないと!?」
その真相を探る唯一の手掛かり。
魔呪具であるアクセサリーだ。
「ピアスと、ネックレス...?」
ピギィは身体を起こすと、魔法を使用する為に外していたピアスとネックレスを手に取った。
「これがどうしたの?」と僕に見せるように。
よし!
話題をそらせる事に成功し、話の本筋に辿り着いた。
此処からは、僕が選択する言葉を間違わない様にするだけだ。
「それは、ピギィの母親、精霊人の女王様に貰ったものなんでしょ?」
魔呪具をプレゼントした人物。
精霊人の女王様でもあり、そして、ピギィの母親でもある。
では、一体何の為に、魔呪具をピギィにプレゼントしたのか?
「そうだよ。成人するまでは、外してはダメだって...」
今までのピギィが話した、プレゼントを貰った理由。
一つ目の理由が、ピギィの為を思っての事。
二つ目の理由が、成人するまで身に付ける事。
この二つの関連性が何なのか?
それが解らない。
「...アクセサリーを外したら、魔法が使えたって事は、ピギィの母親が、ピギィの能力を封じていたって事でしょ?」
僕は、解り易くピギィに説明をした。
何故、ピギィが魔法を使用出来無かったのかを。
「!?」
ピギィは、そこでようやく気が付いた。
母親に貰ったものこそが、魔法を使え無くした元凶そのものだと。
「えっ!?それって...どう言う事?何で...お母様が?」
事実を理解して狼狽える。
それは、信じていた人に裏切られた事で、心が苦しくなって。
母親は、ピギィが魔法を使用出来ずに苦しんでいた事も理解している筈。
それなのにだ。
ピギィに外しては駄目だと、貴方の為だと言って魔法を封じた。
「ピギィは...それを貰った時に、他に何かを言われなかった?」
これが善意から来るものなのか?
悪意から来るものなのか?
僕達は、それを理解しなければならない。
見えている事だけで判断をすると、相手の思いや、意図とはズレてしまい、その本質を見失ってしまうから。
「...解らない...解らないよ!どうしよう!何も思い出せないよ!?何で僕がここにいるのかも!?何で僕一人だけなのかも!?」
頭を抱えて錯乱するピギィ。
繋ぎ合わせる事の出来無い、記憶の断片だけが頭の中を迷走している。
(ピギィの記憶は、ずっと混濁しているんだよな。精神的なショックが大きかったのか、部分的に消失している)
ストレス性の記憶障害。
やはり、ピギィの身に何かがあった事は確かだ。
「ピギィは...何か覚えている事ある?」
僕は、その原因を探究して行く。
その事が、ピギィの為になる事だと信じて。
「ピギィ...?僕が...覚えている事?」
自分の名前を繰り返した?
それも疑問を持ちながら?
これは何かの暗示か?
ピギィは、自身が持つ記憶の迷路を順を追って解明して行く。
「ねえ、天使様?僕って...何か、持っていなかった?」
ピギィが何かを思い出したように、自分でも曖昧な事を、僕に尋ねて来た。
それが何かと言う事は、本人には思い出せないのだが、何か持っていた筈のものを消失している事だけは感じているようだ。
「ピギィ?何かって、どう言う事?...それが解らないと、僕にはどうしようも無いけどな。...でも、ピギィと、恵みの森の広場で出会った時には、何も持っていなかったよ?」
ピギィは、恵みの森の広場にある桜の樹の下で、その身一つで倒れていた。
さくらが先にピギィを見つけて、僕が後からピギィの下へと向かったのだが、その時にピギィは何も持っていなかったし、その場所には何も落ちていなかった。
これは魔力圏を広げている僕だからこそ、確信を持てる事だ。
「そうなんだ...でも、天使様?僕は、何かを持っていた気がするんだ。それも、僕にとって何か大事なものを...!?」
ピギィはそう言うと、突然、頭を押さえ始めた。
脳に痛みが駆け巡っているようだ。
何かを思い出そうとしたのだが、脳がそれを拒絶した為に起きた痛み。
ズキッと不意な痛みが訪れ、キューッと頭に針を刺されたような、そんな痛みが尾を引いている。
ピギィは、その痛みに抵抗するように、もがくように苦しみだした。
「ピギィ!?大丈夫か?」
僕は、地面に仰向けに倒れている身体を起こして、僕のお腹の上に乗っているピギィにそっと寄り添い、その身体を支えた。
その時、ピギィの身体は、とても細かく身震いを繰り返していた。
「天使、様...大丈夫...だよ」
目の端からは、涙が零れ、眉間に皺が寄り、歯を噛み締めている。
明らかに痩せ我慢をしているピギィ。
だが、これが精神的なものから来ている痛みなら、僕にはどうする事も出来無い。
僕に出来るとしたら、傍で寄り添う事位しか出来無いのだ。
どうしたら良いのかと解らない僕だったが、僕自身が苦しんでいる時にアナスターシアにされた事を思い出す。
(確か...お母様にはギュッと抱きしめられたっけ?それだけで、痛みや苦しみがかなり楽になったっけ?)
僕は、頭を押さえて苦しんでいるピギィを、その上から包み込むように、最初は優しく、そして徐々に力を込めて行きながら、ギュッと抱きしめた。
「ピギィ...大丈夫だよ。僕が...傍に居るから」
ピギィの呼吸は、荒いものだったものが段々と落ち着いて行く。
震えていたその身体は、段々と震えが止まり、その身体に込められていた無駄な力が解かれて行く。
涙も止まり、安らかな表情へと変わって。
「あり...が、とう。天使様」
ピギィが言葉を全部発し、苦しみが和らいだその時、ピギィの身体から光が放たれた。
虹色に輝く光。
(あれっ?この虹色の光って...僕の魔力の波長に似ている?ピギィの身体から...いや、違うな。ポケットの中?)
ピギィがポケットの中に持っているものから光が放たれている。
ピギィもそれに気付き、ポケットの中のものを取り出した。
それは何かの結晶。
核にも似たその塊に、翼の細工がされている宝石のようなもの。
「これは...あっ!?」
ピギィがそれを取り出した時、頭を撃たれたように激しく後ろに逸らし、天を仰いだ。
目は見開いて、口は情け無く開いたまま。
記憶の断片が頭の中にて高速で処理されて行く。
目が小刻みに上下に揺れている。
こめかみがピクピクと動き、それまでの出来事を思い出すように。
すると、それまで虹色の光を放っていた結晶が徐々に薄れて行き、淡い光と共に結晶が空中へと霧散した。
それは、周囲の魔力に混ざるように、桜の樹へと向かって。
(何だ!?今の現象は?)
僕が見た事も無い現象に驚いている時、ピギィが徐に口を開いた。
「...そうだったんだ。そう言う事だったんだ。...ピギィは、僕を助けてくれた精霊だったね...僕はアゼレア...アゼレア・アールヴヘイム」
すると、一際大きい大粒の涙が両目から零れた。
先程までピギィと名乗っていた精霊人は、その全てを思い出した。
自分が何故此処に来たのかも。
自分が何故此処で倒れていたのかも。
自分が何を失ったのかも。
「ピギィ?...じゃ無いのか。アゼ...レア?」
僕は戸惑っている。
目の前の人物が変わる瞬間を目撃して。
話し方や言葉遣いは変わっていない。
変わったのは、その雰囲気だけで、何処か、凛とした態度をしている。
何かの決意が込められた瞳をしていた。
「そう。僕はアゼレア。天使様...思い出したよ。僕が何故、此処に来たのかも。僕が何故、此処で倒れていたのかも。そして、僕が何故、記憶を失っていたのかも」
新たにアゼレアと名乗る精霊人の少女。
アールヴヘイム?
ゲーム時代の精霊人の世界、アルフヘイムが関係しているのか?
「僕は、精霊人の国で、自分の部屋に閉じ込められていたって話しをしたでしょ?それも、魔法が使えなくて。今は、天使様のおかげで魔法が使えるようになったけど、その時は、ずっと気持ちが沈んでいたんだ。」
自分の事を語り始めたアゼレア。
籠の中の鳥と比喩した自分。
その事が本当に苦しくて、何の為に生きているのかが解らなかったそうだ。
「僕がね、部屋に閉じ込められている時。...部屋の中には沢山の本があったんだ。本を読んでいるとね、僕はその物語の主人公になる事が出来るんだよ?色んな冒険をしたり、色んな魔物と戦ったり、色んなご飯を食べたり...本の中の僕は、とても自由なんだ」
物語の主人公に、自身を重ねて擬似体験をする。
僕も、良くやっていたな。
動けない僕の代わり、世界を自由に動き回ったり。
英雄のように、格好良く身体を動かして困っている人を助けたり。
見た事も無い食べ物を想像して、「こんな味なのかな?」とか、「あんな味かも?」とか。
想像が膨らんで、僕は、何にでもなる事が出来た。
「本に出て来るような様々な人物。僕は、そのどれにも会いたくて、そのどれにも友達になって欲しくて、様々な種属の言語を覚える事にしたんだ...今なら、精霊人語。ドワーフ語。人間語。獣人語。この四つだったら、自由に話す事が出来るんだよ?」
アゼレアは笑いながら、そう話した。
その苦労が、とてつもない事なのは容易に伝わる。
僕は、この国の言葉を覚えるだけでも大変だったのだから。
アゼレアの場合はそれが四つもだ。
「僕の友達に、風の精霊のシルフィーネと言う友達がいるんだ。いつも、僕の話を聞いてくれて、僕の事を励ましてくれていたんだ。シルフィはね、空を自由に飛び回っているんだよ?羨ましいよね...」
ああ。
この感覚は凄く解る。
僕が病気で、病院に居た時は、ほぼベッドの上で寝たきりだった。
窓から見える外の景色は、とても自由なものだと、とても素敵なものだと、そんな風に僕の目には映っていた。
同い年位の子供が自由に遊んでいると、それが羨ましくて、同時に悔しかった。
「空を自由に飛び回れたら、きっと僕の世界は広がって、もっと楽しく生きられるんじゃないかって。精霊人以外の種族に出会って、色んなお話をしたり、一緒に遊びに出掛けたり、一緒にご飯を食べたりさ」
一人で、独りだったんだな。
アゼレア?
僕も一緒だったよ。
友達と遊びたかったし、友達と学校行ったり、友達とご飯を食べてみたかった。
親も居ない。
友達も居ない。
そんな生活は、生きる意味を見失なうよね。
「このまま、窓から飛び出したら、本当に空を飛べるのかもって思ったんだ。そしたら、窓の外には、黒い穴があって、空間が歪んでいたんだ」
アゼレアは相当思い詰めていたようだ。
もしかしたら、死を覚悟してたのかも知れない。
「何故か解らないんだけど、その穴に入れば何かが変わると思ったんだ。僕が憧れていた天使様に会えるかも知れないって」
天使は翼のある種族。
空を自由に飛び回りたいアゼレアだからこそ、天使に憧れたのかも知れない。
自分に無いものを望んで。
「そう覚悟を決めて、穴の中に飛び込んだんだ。そうしたら、この場所に辿り着いたの」
どうやら、アゼレアは空間転移をしたらしい。
アゼレアが穴と呼んでいるものは、次元穴。
ワームホールと呼ばれるもので、何処でもド○みたいなもので、一瞬で移動出来るものだ。
但し、その行き先は固定されているものなのか、それとも、入る度にランダムで移動してしまうものなのかは解らないけど。
「ここに辿り着いた僕は、魔力に溢れているこの場所に圧倒されて、自分を縛る枷が無くなったと思って、浮かれてしまったんだ。僕は何も持っていないのに」
見知らぬ土地で、見知らぬ場所。
旅行に出掛けた時の高揚感に似ているのだろう。
僕は旅行をした事が無いけど。
「僕は当ても無く、自由に歩き回ったんだ。それは半日程掛けて、全くの方向感覚も解らないままに。そうなると、迷子になってしまうよね?お腹も空くし、喉も乾くし、疲れも溜まって動きたくなくなるし、そんな時に雨が降って来たんだ...」
子供の行動力の凄いところだ。
歩く事を覚えた子供が、疲れても歩き続けるように。
走る事を覚えた子供が、何処までも走り続けるように。
自電車に乗る事を覚えた子供が、自転車で日本横断をするかのように。
そんな好奇心に誘われて、自分の満足感を満たす為に。
「僕が歩き疲れて動けなくなった時に、天から光が降り注いで、僕を助けてくれる天使様が迎えに来てくれた!って思ったけど、実際はそんな事が無くて、ただ、天気が晴れただけだったんだ。でもそこで出会ったのが、紅い鳥のピギィ。本当は何て言う名前なのか解らないけど、ピギィって無くからピギィって名付けたんだ」
紅い鳥で、ピギィと言う鳴き声。
何処かで聞いた事があるし、何処かで見た事がある気がする。
「ピギィが居たから、僕はここに戻って来る事が出来たんだ。途中で、怖い思いもしたけど、ピギィが...僕を...守ってくれて」
途中で泣き崩れてしまったアゼレア。
感情が抑えられなかったのだろう。
嗚咽しながら、胸を押さえている。
僕は、自分でも解らない事だが、アゼレアを力一杯に抱き締めていた。
共感をしてしまう感情。
同調をしてしまう精神。
アゼレアが持つ、その苦しさを和らげる為に。
「ごめんね...天使様。ありがとう...天使様」
アゼレアの表情は、泣き腫らして酷く崩れてしまったもの。
他人に見せられる表情では無いし、見せたく無い表情だ。
でも、その心が解ってしまう僕。
いつの間にかアゼレアと一緒に涙を流していた。
「ピギィは...僕を助けたせいで...結晶になってしまったんだ。今は、もう...消えて無くなってしまったけど...ピギィ...あり...が、とう」
悔しさも、悲しさも、そのどちらも心にへばり付いている。
忘れる事は出来無いし、忘れたくも無い。
自分の不甲斐無さ、自分の無鉄砲さを戒めにして、変わらなきゃいけない。
ピギィの為にも、自分が成長をしなければと、アゼレアは心に誓ったのだ。
(アゼレア...苦しかったよね。辛かったよね。自分ではどうしようも出来無い不甲斐無さ。自分の無鉄砲のせいで起こしてしまった事。生きるのって...難しいよね)
その紅い鳥に見覚えがあった僕。
それは、さくらと此処を訪れた際に生み出された霊獣。
その時に包まれていた光が虹色だった。
となれば、先程の、虹色の光にも合点が行く。
だが、そうなると解らない事が霊獣の結晶化だ。
ゲーム時代では、霊獣や精霊は、一度死んでしまえば、二度と復活が出来ない。
それが、死ぬ事により結晶化する何て初めての事。
尚更、その現象が謎を呼ぶ。
光と共に消えた事も含めて。
「天使様。ありがとう。天使様のおかげで、落ち着く事が出来たよ」
アゼレアが濡れた頬を拭いながら、心が落ち着いた事を伝えた。
目を真っ赤に、瞼を腫らして、笑顔を無理矢理作りながら。
そして、アゼレアは立ち上がり、空を仰いだ。
「...アゼレア?」
「僕は...どうすれば良いのかな?自分の国に...帰れるのかな?」
その表情が、僕の記憶に焼き付いて離れ無い。
哀愁と、愛執が入り混じった、アゼレアの故郷を思う表情が。
エメラルドの宝石言葉は、「幸福」「幸運」「愛」「希望」です。




