057 彷徨いの精霊人⑤
「今日は、秋の味覚のサツマイモや栗、リンゴやブドウと言った物を採集しに行こうか?」
いつも通り、さくらと待ち合わせをしていた僕。
合流するなり直ぐ、恵みの森で秋の味覚を採集する事を提案した。
「それって...食べ物なの?」
さくらからすれば、どれも初めて聞く名。
恵みの森を探索していなければ、これらの食べ物を手に入れる事など出来ていなかっただろう。
野菜や果実が実るのに、必要な条件を度外視で育つ恵みの森で無ければ。
「そうだよ。サツマイモや栗は、上手に焼ければ、素材の旨味が増して美味しい食べ物だし、リンゴやブドウは、果実と言って、そもそもが甘い食べ物なんだ」
サツマイモは、長期保存が効く食べ物で、腹持ちが良い食べ物だ。
栗は、お米さえあれば、栗ご飯が炊けていたけど、今のところ、ご飯を食べる事は出来そうに無い。
森の中をくまなく探せば、何処かしらには稲がありそうだけど。
それに、シロップにつければ甘味にもなる食材だ。
リンゴやブドウからはジュースが作れるし、蒸留や発酵をすれば、お酒やお酢も作れる。
今回のメインは、どちらかと言えば、果実採集がメインで、お酒やお酢を作る事が目的だ。
料理の幅を広げる為にも必要な調味料なのだ。
「そうなの?甘いって...蜂蜜、みたいな?」
今のところ、教会に存在する甘い食べ物は蜂蜜だけだ。
それ以外は野菜がメインで、お肉が少々保存してある位。
「蜂蜜とは、違った甘さかな?なんて言うか...口当たりが、サッパリしている甘さ?」
蜂蜜は確かに甘いが、同時に水分が欲しくなる甘さ。
それは果実と比べた性質の問題の為、どちらも甘い事には変わらないのだけど。
果実を食べても、口直しに水が飲みたくなる人もいるのだから、結局は人の好み次第なのだろうけど。
「へえ、そうなんだ」と言って感心をする、さくら。
「でも、ルシウスがそこまで言うなら、食べるの楽しみだね!」
さくらは、「フフフ」と笑った。
この笑顔は、その時、その場所でしか見られない笑顔。
何故なら、笑顔を文字で括ると一つの言葉でしか無いが、その笑顔には種類があるからだ。
爆笑。
満面の笑み。
笑顔。
微笑み。
照れ笑い。
苦笑。
嘲笑。
冷笑。
失笑。
まだまだ、他にも色々あるが、このように種類を上げればキリが無い。
それに、僕も相手も成長すれば、同じ笑顔だとしても見え方が変わる。
それは一期一会の出会いのように、その瞬間だけの笑顔なのだ。
「じゃあ、早速、恵みの森に向かおうか?」
「うん!」
僕達はいつもどおりに山を登って恵みの森を目指す。
だが、その山道は、四季により景観が変化をしている。
夏の時期は、青々しい緑が辺り一面に広がっていたが、今はその色を変えて、季節の移ろいを教えてくれる。
赤、オレンジ、黄色が混じった、何処か哀愁を感じる景観だ。
「森は紅葉しているのに、相変わらず、ここだけは変わらないんだよね...でも、桜の樹を年中見られる事は嬉しいな」
恵みの森の広場。
此処だけは、季節や天気に左右されない空間。
通年、桜が咲いている事が一番の特徴だ。
僕が、一番好きな樹でもある。
だけど、「毎日咲いていたら希少性が無くなって飽きるのでは?」と思うかも知れないが、僕は好きなものを毎日見ていたいタイプ。
しかも、飽きるどころか、見るポイント(視点)がその時の感情によって変わる為、尚更好きの感情が増して。
「何だろう...何か、変な反応がある?」
僕が常時、広げている魔力圏に、得体の知れない反応を感じた。
丁度、桜の樹の下辺りに。
「あれっ?ルシウス!誰か、人が倒れているよ?」
その大きな桜の樹の下に、人が倒れていた。
先行していた、さくらがそれに気付き、離れている僕へと教えてくれた。
「えっ?人が倒れている?(じゃあ、これって、他人の反応だったのか)...でも、ここは僕達教会の者しか来ない筈なんだけどな?」
僕は疑問に思いながら頭を掻いた。
此処には五年と半年程住んでいるが、今迄この場所で他人に会った事が無かったからだ。
離れた場所から、さくらの下へと急ぐ。
すると、さくらが言った通り、桜の樹の下には横たわっている他人が居た。
「これは...少し、不味い状態かもな」
それは、身体中が痣だらけで、着ている服も泥だらけだった。
その内面が見えている訳では無いので、外見でしか判断をする事は出来ないが、明らかに憔悴している事が解る。
ただ、その人物は普通の人では無かった。
(プロネーシス?この子の状態、解るかな?)
『はい。マスター。少々お待ち下さいませ』
プロネーシスは、僕が広げている魔力圏の上から、再度、中心部から魔力を広げた。
それは目の前の人物をCTスキャンするかのように、レントゲンをとるかのように、相手の状態を把握する為に。
『マスター。魔力で触診をした結果ですが、目の前の子供は、精霊人である事が判明しました』
僕が得た、違和感の正体は精霊人にあった。
続けてプロネーシスが、その精霊人の状態を説明してくれる。
『肉体の状態ですが、完全骨折が、右手薬指、右手小指、右前腕、右鎖骨の計四箇所。不完全骨折が、左前腕、左上腕の計二箇所。裂傷が、喉、右前腕、右上腕、右脇腹、左大腿部、右脛の計六箇所。打撲が、細かいのも合わせまして計一二箇所。そして、右肩に関しては脱臼している状態であり、内臓の方も何箇所が傷付いております。生命に別状はありませんが、早めの治療が必要な状態でございます』
この症状だと、誰かと一戦交えて、ボコボコにされたような状態。
もしくは、虐待を受けていたのかも知れない。
身体や着ている服が泥だらけなので、案外そうなのかも知れないが、どちらにせよ、子供相手にここまでするとは、容易に、卑劣で最低な人物が想像出来る。
「子供...って言うか、それよりも...精霊人だったのか...だから、人と違う感覚だったのか...いや、それだけじゃあ無いのか?」
この世界に転生して、初めて目にした異種族。
ゲーム時代には好き好んで使用するプレイヤーが沢山居たけど、現実となったこの世界で、初めて目にした。
だが、こんな形で出会いたくは無かったが。
それと、僕には、目の前の精霊人の体内魔力の流れが、何処か普通では無く、言葉には出来ないけど、何だか可笑しく感じた。
「エルフ?って何?」
さくらが、初めて聞く言葉に興味を示した。
そして、目の前で傷付いている人物を、とても心配そうに見つめている。
「大丈夫なのかな?...痛そう」と眉尻を下げて。
「精霊人は...光の精霊族。自然と豊かさを司る種族で、人間とは違って一般的な寿命が存在しないんだ」
「私達と...違うの?って、寿命が無いの!?」
さくらが驚く。
それはそうだ。
人間には寿命があり、しかも、簡単に死んでしまうのだから。
「そう。でも、長く生きられる事が良い事とは限らないみたいだよ。正直、僕には寿命を気にせずに生きられる事が羨ましいけど。どうやら長く生き過ぎると、何処か物事に対しての意識や干渉力が低下するんだって...それに、精霊人でも生きて行く楽しみを失えば、心が枯れて死んでしまうみたいだよ」
精霊人は、人間よりも能力値が高く万能な種族。
それは見た目も含めて、肉体的能力や魔法能力も。
しかも、精霊族の為、人間と違って老化現象がほぼ起きない。
生きる気力や糧があれば、何千年、何万年と平気で生きて行けるのだ。
但し、そんな精霊人でも、回復が出来ない程の肉体的損傷を受ければ死んでしまうし、生きる活力が無くなれば枯れて死んでしまう。
「そうなんだ...私には、長く生きるって事が想像つかないけど...そんなに長く生きられたら、どう思うのかな?」
今はまだ、生まれてから五年程しか経っていない。
身体も、精神も、まだ成長している段階で未熟な状態。
その為、何年後と言う未来自体が想像出来無いのだ。
それは、子供と大人では一年の捉え方が違う事を意味する。
こう言った法則がある。
『生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)』
例えばだが、今の僕が五歳で、もし、その先の未来の僕が三〇歳だとすれば、五歳の僕は三〇歳の僕の三〇分の五しか生きていない。
一年は、三六五日なので、その三〇分の五となると、六〇日となる。
これは、五歳の僕にとっての六〇日と、三〇歳の僕にとっての一年が、同じ感覚だと言う事を言っているのだ。
(子供と大人の感覚のズレなのか...精神的な時間の捉え方なのか...感覚って、不思議だよ)
こればかりは当然、僕も大人になってみないと解らない感覚である。
僕は、ふと、精霊人の子供へと視線を移す。
目の前の精霊人も、見た目で言えば僕達と変わらない年頃。
ただ、成長速度は人間と違う為、その実年齢が何歳なのかは解らないが。
(見た目だけじゃあ、解らない事も沢山あるんよだな...)
目に見える情報と、目に見えない情報。
どちらも重要な情報であり、その片方だけを、その表面上だけを捉えてしまうと、そのものが持つ本質と相違が出てしまう。
見た目は真面目なのに、裏では非道な事に手を染めている人物。
見た目は不真面目なのに、裏では慈善行為、慈善活動に勤しむ人物。
(まあ、外見に、その人の人間性が表れる事も間違いでは無いんだよな...表情には、その人の性格が出るし。話し方には、その人の接し方や、気遣い。姿勢には、その人の自己管理力が出るのだから...)
ただ、目に見える情報で言えば、精霊人の子供は身体的特徴として、やはり耳が尖っていた。
そして、僕には、この子供が男なのか、女なのか解らないが、その性別すら超えた美しい顔立ちをしている。
僕には、さくらの方が美しく見えているけど。
「どうなんだろうね...僕一人(独り)だけだったら生きていても、つまらないとは感じると思うけど...だけど、もしも...長い悠久の年月だろうが、さくらと一緒に居る事が出来るなら、僕は大歓迎だけど」
厳密に言えば、僕にはプロネーシスがいる為、一人になる事は無い。
それを考えれば、まだ平気なんだろうけど、プロネーシスは、あくまでも精神体の一部なのだ。
僕は、一人(独り)で生きて行く事など、絶対にしたくない。
誰か他に、教会の皆が、仲間が居れば良いけど、一人(独り)でいる事程、寂しい事は無いのだから。
転生前の人生で経験した孤独を、僕は、もう二度と経験したく無い。
「...」
直ぐに、言葉を飲み込めていない様子。
それは、時間を止められてしまったかのように立ち竦んで。
この時のさくらは、僕が言った、「さくらと一緒に〜」と言う言葉が、頭の中でグルグル渦巻いていたらしい。
ようやく言葉の意味を理解したその時。
「...えっ!?」
僕には聞こえ無い心の音で、さくらの頭の中で「ボンッ!」と爆発音が鳴り響いた。
咄嗟に両手で口を押さえて、真っ赤に高揚した顔を隠して。
もし、この時、僕がさくらの表情や態度に気付いていたら、さくらの全てを良く見ておけば良かったと、心の底から後悔していただろう。
たが、僕はその事に一切気が付かず、目の前の精霊人を傍観して見ていた。
今は気を失ったように寝ているが、目の下は黒く窪んでいる。
もしかしたら、ここで倒れるまで寝れて無かったのかも知れない。
瞼が腫れているので、泣いていたのかも知れない。
肌も、唇も水分を失い、カサカサに渇いている。
元々肌が白いので解り難いが、青く生気の無い顔色をしている。
「取り敢えず、教会に連れて行こうかな?どうして、こんな場所で倒れていたのかが気になるけど...」
思い立ったら、直ぐに行動へ。
僕は、傷付いて倒れている精霊人の子供を、あまり動かさないようにと、ゆっくり背負う。
「ルシウス、その子、大丈夫かな?」
僕は、この子の怪我を治せる訳では無い。
今の状況で出来る事など、高が知れている。
僕が出来る事なんて、教会に運ぶ事位しか無い。
「大丈夫だよ。教会に運んで、ゆっくり休んで貰えば良くなるから」
さくらも、この子の為に、何かの力になりたいと考えていた。
自分が出来る事は「何かあるのか?」と。
「私が...何か出来る事、あるのかな?」
さくらは、精霊人の状態を見て、感情移入をしてしまったのだろう。
そして、自身が何も出来ない不甲斐無さも相まって。
今にも泣き出しそうな表情で、瞳がウルウルと濡れている。
「それだったら...さくらには、歌って欲しいかな?」
「歌...を?」
こんな状況で、何故、僕がそんな事を言ったのか、さくらは解っていない。
傷付いて苦しそうにしている人が、さくらの目の前に居るのに、そんな場違いな事をして良いのかと。
まあ、そう思うのが普通かも知れないけど。
「そう。さくらの歌を。さくらの歌には周りを元気にする力がある。僕もさくらの歌を聞くと、いつも元気を貰えるし、頑張ろうってやる気が出て来るんだ。だから、さくらには、いつも通りに歌って欲しいんだ」
さくらの歌には、感情に左右されて、魔力が、魔法が乗っ掛る。
その効果は様々で、まだ定まった効果を発揮出来る歌は身体強化のみだけど。
だが、周りの傷を癒せる歌もあるのだ。
それに、僕達まで精霊人に合わせて暗くなる必要は無いのだ。
僕の経験談でもあるのだが、辛かったり、苦しかったりしている時の方が歌が身に沁みる。
生きて行く為の活力を、元気を与えてくれて、それが自身の力となるのだから。
「うん...解った!」
さくらに、そう理由を説明すると、歌う事を快諾してくれた。
その沈んでいた心情を切り替えて、普段通りに歌い始めてくれる。
「♪♪♪~」
(これで、この子も...元気になってくれると良いんだけど...)
持ち上げた精霊人は、見ため以上に軽かった。
この時、僕が背負うまで、精霊人の鼓動や、全身の筋肉の強張り方など、不安に満ち溢れている事が伝わった。
だが、僕が背負ってから少し時間が経つと、その不安や緊張が、ゆっくりと解かれて行く事が解る。
それが安心したからなのか解らないが、僕の背中へと、その全てを委ねるように寄り掛かって来た。
(子供一人で...しかも、精霊人が、何故ここに居たのかは解らないけど...相当、怖い思いをしたんだろうな...でも、もう、大丈夫だからね)
僕は、精霊人の子供を背負って教会へと運ぶのだが、怪我の状態からも、身体を揺らさないように気を付けた。
ガタガタした山道なので、揺らさない事はとても難しいのだが、地上スレスレを浮遊させて、あたかも歩いているように見せながら揺れを防いだ。
「♪♪♪~」
さくらの歌に魔力が帯び始め、周囲に心地良い空間が広がっていった。
そして、精霊人の周りにと、煌びやかな光が傷を覆うように纏わり付く。
(さくらの心情が乗っているのかな?傷をどうにかしてあげたいって気持ちが)
その聖なる光は、精霊人の身体の中へと浸透して行く。
心地良い温かさに包まれた精霊人。
すると、煌びやかな光が作用して、軽い裂傷や打撲は目に見えて治り始めた。
傷が塞がって行くその光景は、いつ見ても不思議な光景だ。
この治り方が、修復なのか、復元なのかは解らないが。
そして、肌の血色も徐々に良くなっている。
「...??。...???」
(...んっ。...うん?)
精霊人は、僕の背中でゴソゴソと動き始めた。
細かい傷が治り、痛みが和らぐと、その意識がゆっくりと目覚めて行く。
瞼を徐々に開き始めた精霊人の子供。
その瞳は、宝石のエメラルドのように燦々と輝く美しい翠眼。
そして、同じ色をしている、絹のような光沢を伴う翠髪。
確かに、人外の美しさである。
「...??...?????」
(...天使...様ですか?)
背中におぶっている精霊人の子供が何か言葉を喋っている。
聞いた事も無い言葉だ。
僕は、その事に慌てて精霊人の方へと振り返った。
(何か言葉を話している?これが精霊人語なのか!?)
僕には、その言葉が何を意味しているのかも伝わらない。
ただ、この時に、世界に様々な言語がある事を理解した。
やはり、と言うべきか、プロネーシスと想定をしていた事だ。
「...???、?」
(...綺麗な、顔)
精霊人の子供は、振り返った僕の顔に触れて、そう言った。
触れているその手は、何処か貴重な宝石に触れるような、そんな優しい手つきで。
その時、歌っていたさくらが、「ビクッ」と身体を動かし、片足が地面を擦って「ジリッ」と音が鳴った。
何だろう?
動揺している?
(僕の顔に触れて...どうしたんだろう?)
僕には、精霊人の言葉が解らなかった。
ただ、ゲーム時代、僕はキャラクターメイキングをした時に、名前(ルシフェルと言う名前)負けしないようにと、世界中のモデルや俳優、ありとあらゆる文献や資料を参考にして、顔や身体の黄金比等を整えた上でキャラクターを作成していた。
これは正直、自分で調整を出来るからこその行為であり、それがゲームだったからこその造形美だ。
但し、その状態が現実となると、その意味合いは大きく形を変えてしまう。
自分で言う事は、とても恥ずかしい事だが、まさに天使に相応しい、眉目秀麗な見た目をしているのだから。
「...??!??、????!?」
(...えっ!?あ、誰ですか!?)
突然、精霊人の子供は、僕の顔に触れていたその手を引っ込めた。
僕の背中へと寄り掛かった身体を起こし、離れようと暴れだした精霊人。
ようやく目が覚めた事で、その意識がハッキリとしたのだろう。
現状に怯えて目がキョロキョロ動いている。
「待って!...先ずは、落ち着こうか?」
僕は、伝わらない言葉を必死に叫んだ。
暴れている相手の気持ちを落ち着かせる為に、精霊人の子供を地上へと下ろして。
そして、「貴方に危害を加える事は無いですよ」とアピールして、両掌を相手に見せる。
だが、ビクついている精霊人は、両手を胸の前で構えて、防衛の姿勢を崩さない。
「僕は、ルシウス」
名乗る事で、相手の警戒を解く。
僕は自分の名前を伝えて、さくらの方を見てアイコンタクトした。
すると、意を介してくれたさくらが、同じように名乗ってくれた。
「私は、さくら」
そう笑顔で答える。
ただ、僕には何となくだが、いつもの笑顔と違う感じを受けた。
普段なら満面の笑顔の筈なのに、この時ばかりは、少し唇を噛み締めているように見えた。
さくらの心情までを、僕が正確に解る事では無いのだけれど。
「???...??の言葉?」
(これは...人間の言葉?)
精霊人の子供は言葉を理解し、僕達と同じ言葉を話し出した。
その理由が何故かは解らないが、言葉が通じるなら、此処からは意思を共有するだけ。
「...君は、どうして、ここで倒れていたの?」
僕は、その核心を問う。
何故、精霊人がこんな所に居て、そして、この場所で倒れていたのかを。
「僕が...倒れて、いた?...え!?ここはどこ!?」
精霊人の子供は急に姿勢を正し、バッと周囲を見渡した。
どうやら自分でも解っていないらしい。
何故、此処に居るのかを。
(状況を解っていない?...どう言う事だ?...ただの迷子...なのか?)
だが、目の前の子供は、自分の事を“僕”と言っていた。
僕には、精霊人の子供の見た目が中性的の為、性別がどちらなのか解らなかった。
どうやら、目の前の精霊人が、男の子だと言う事は解った。
「君は、何も覚えていないの?」
僕は、精霊人の子供が記憶喪失になっているのかが気になり、探りを入れてみる。
「何...も?僕は、何でここに居るんだろう?...でも、名前は覚えていると思う」
曖昧な返事。
だが、受け答えの感じからも、記憶喪失では無く、一部の記憶障害なのかも知れない。
精神面で、きっと何か大きな負担があったのだろう。
その部分に関係ある出来事を思い出さないように、脳が遮断しているのだと思われる。
「じゃあ、君の名前は?」
僕は、精霊人の子供に名前を尋ねた。
すると、僕の目を真っ直ぐ見て答えた。
「ピギィ」
精霊人の子供は、そう名乗った。
「そうか。ピギィと言うのか。じゃあ、ピギィ、良く聞いて欲しい。君は、この山の広場で倒れていたんだ。それも、かなり酷い状態で。それは解る?」
「僕が、この山に...倒れて、いた?ダメだ。何も思い出せないよ...。身体は...ぐっ!?ダメだ...急に痛みが...」
ピギィは、咄嗟の事で身体を動かしていたが、僕やさくらが、ピギィに対する害意が無い事を知ると、突然、痛みを思い出したかの様に苦しみ出した。
それはそうだ。
見た目上の裂傷や打撲が治ったと言っても、骨折は、そのままだし、肩も脱臼したままなのだから。
「どうやら、痛みを思い出してしまったんだね...それで、解ったと思うけど、ピギィは、今すぐにでも休まなければ、ならない状態なんだ。その為に、僕達のお家に運ぶ途中だったんだ」
「ぐっ!...うぅ...」
ピギィは、痛みでそれどころでは無かった。
額には脂汗が滲み、苦痛な表情をずっと浮かべている。
「目が覚めて欲しく無かったけど、これは仕方ないか...」
寝ている状態で運べていたら、ピギィ本人にとっても良かったと思う。
それが、意識がハッキリしてしまったせいで、痛みも思い出すし、教会に運ぶのも一苦労となる。
「ルシウス、ピギィは大丈夫なの?」
さくらが、目の前で苦しんでいるピギィを見て心配する。
さくら自身も、熊に殺されかけて経験がある事だが、痛みばかりはどうしようも出来ない事だから。
「暴れられたら困ってしまうけど、ピギィは僕が背負って運ぶから、さくらには、また、歌って貰っても良いかな?さくらの歌があれば、心も落ち着くと思うし、痛みも和らげるから」
「うん!それなら任せてね!...♪♪♪〜」
さくらは、嫌な顔を一つも見せず、ピギィの身を案じて、再び歌を口ずさんだ。
それは先程よりも、ピギィの心を落ち着かせるようにゆっくりと、優しく。
すると、それに呼応するように、さくらの歌に乗る魔力が、ピギィを優しく包み込むように周りを囲んだ。
「ぐっ!...っ!?...痛みが...」
痛みで苦しんでいた表情も、ゆっくりと解かれて行く。
スッーと心地良い空間に包まれたピギィは、全身の無駄な力が抜けて行き、その場で尻餅をつくように座り込んでしまった。
「♪♪♪〜」
(...歌?...心地良い魔力...暖かい)
ピギィ本人に痛みが無くなった訳では無いが、目を閉じたまま静かに堪えている。
歌に包まれている心地良い状態に、その身を委ねている感じだ。
僕は、その状態のピギィを動かさないようにして、再び背中におぶった。
「じゃあ、行こうか?」
僕は、さくらと目配せをして、再び山道を下り始めた。
背負っているピギィは暴れる事もなく、僕の背中でそのまま静観している。
(安心する背中...心が温かい...)
僕の隣で歌ってくれている、さくらは、ピギィの状態を確認するように、度々その表情を覗いている。
(表情が、明るくなってる!...良かった!)
そうして、無事に山を下りる事が出来た。
だが、問題は此処からだ。
教会の皆に、精霊人を受け入れて貰えるか。
「...そうなのですね。では、治るまでは此処でゆっくりして頂きましょうか?
うん。
あっさりと、受け入れられた。
いやあ、流石はアナスターシア。
これは聖母ですね。
「でも、珍しいですね。精霊人がこの国に現れるだなんて...」
この国の歴史が始まって以来の交流になるのかも知れない。
様々な亜人が訪れる事はあっても、精霊人がこの国に来た事は無いのだとか。
何でも、精霊人自体が他人種と交流を全くしない種族らしい。
アナスターシアがそう教えてくれた。
「ルシウス?ピギィは、これで良くなるかな?」
さくらが不安そうに、僕に聞いてくる。
完全に骨が折れている状態だから、完治するまでには、通常なら二〜三ヵ月掛かるのか?
幸い、骨折の箇所が腕に集中しているから、歩けるようになるのは、そんなに時間が掛からないだろう。
後は、薬草と、さくらの癒しの歌が、どれだけ効果を発揮するかによって完治のスピードが変わる。
「うん!さくらの歌のおかげで、ピギィの状態も、だいぶ良くなっているからね!」
さくらの歌のおかげで、裂傷や、打撲の症状が軽くなっただけでも、かなりの進展だ。
後は、ピギィの身体や、着ている服の汚れを落としてあげないとな。
「...丁度、浴槽も作ったところだし、お風呂に入れるか」
「お風呂...?浴槽って...ルシウスが木から作っていたやつ?あれは、どうやって使うの?」
お風呂と言う聞き慣れない言葉に首を傾げた、さくら。
此処では、水浴びが基本だからだ。
お湯を使っているのはアナスターシア位になるのか?
(魔法がある世界でも、水が貴重な事は変わりないからね。純度の低い水魔法の水は、飲めるものでは無いし、不純物が沢山混じっているらしいから、仕方無いよね。まあ、教会でも、裏山の川水が無ければ、お風呂は贅沢過ぎて、作ろうとはなっていなかったけど...)
此処では、水を確保する事も大変な世界。
更に、お湯にするとなると、かなりの手間なのだ。
温泉が湧いてくれれば楽だけど、地中に源泉があるとは限らない。
それに、今の僕の魔力量じゃあ、そんな地中深くまでは掘れないのだ。
「あれは、浴槽にお湯を貯めて、人が入る事によって身体の血行を良くする物だよ。疲れが取れたり、心が落ち着いたり、それで、温かくて気持ちいいものだよ!」
「あの浴槽にお湯を入れるの?じゃあ、すごい量のお湯が必要になるんだね!」
さくらが、お風呂がどう言った物なのかを理解して驚く。
浴槽の大きさにお湯を貯める為の必要な水が、どれ位の量になるのか頭の中で計算したからだ。
「それに、ピギィが着ている服も、その汚れを落としてあげないとね」
血が混じった汚れ。
果たして、汚れを落とせるかな?
「じゃあ、お風呂の準備をしようかな?さくらも手伝って貰っても良い?」
「うん!」
僕達は、ピギィの為にお風呂の準備に取り掛かった。
だが、何故こんなところに精霊人が居たのか?
その理由が最大の謎だ。




