056 彷徨いの精霊人④
※残酷な表現、描写が含まれていますので閲覧する際は注意をお願い致します。
「???!?」
(うぅっ!?)
レアは溺れている。
それは水の中では無く、地上で。
「??...」
(あっ...)
足を動かし、動かせど、その場で踠いているだけ。
手を伸ばし、伸ばしても、何処にも届かないもどかしさ。
身体中の酸素が零れてしまい、意識が遠のいて行く。
どうやらこのまま、何も出来無いらしい。
「??...」
(んっ...)
助かりたいのに、思い通りに動かせない。
助けて欲しいのに、思い通りに動かせない。
足掻いても、足掻いても、そこから抜け出せない。
「??...??」
(はあ...はあ)
このまま暗闇に飲み込まれてしまったら、どうなるのだろう?
そのまま何もせずに身を任せたら、どうなるのだろう?
もう、頑張る必要は無いのかな?
もう、苦しむ必要は無いのかな?
ただただ、身体は精神に引っ張られて沈黙をして行く。
「!?」
あれっ?
耳が聞こえない?
声も出なくなってしまったのか?
何だか徐々に、目が見えなくなって行く。
そして、身体の感覚が消えて行く。
「...」
その時、感覚はもう無い筈なのに、何かの光を感じた。
それはとても温かい光だ。
沈み切った暗い感情を、明るくしてくれる優しい光。
「...??」
(...光?)
すると、身体の痛みや苦しい気持ちが、次第に薄れ始めた。
そして突然、目が「パッ」と覚めるレア。
どうやら、何かを抱えたまま寝ていたようだ。
身体はこじんまりと小さくなり、母親のお腹の中にいる胎児のように丸まっていた。
「??...」
(うっ...)
身体の痛みは、まだ残っていた。
間接が軋み、何だか自分の身体では無い感覚。
頭が「ボー」っとする。
状況を把握しようと、脳が処理をしているが、上手く思考が働かない。
その思考が停滞しているような、その感情が追い付かないような、とても不思議な感覚だ。
周囲を見渡しても、心此処に在らずで、ただその光景を傍観しているだけだった。
「???...????」
(ここは...家の中?)
目が開き切らない、その視界で、解る事だけを考える。
どうやら先程までの体験は夢の中で、気付いたら知らない家の中で寝ていたようだ。
自分が何故、此処に居るのかを覚えていない。
どうやって此処に来たのかも覚えていない。
「????...??????????...???!???!?」
(どうして...ここにいるんだろう?...あれっ!何これ!?)
レアは起き上がろうと、寝ている身体を起こしたが上手く動けなかった。
そこで、ようやく気付いた。
自分の手足が縛られている事に。
「?????????!?」
(何で縛られているの!?)
今、自分が置かれている状況が解らない。
知らない場所で、どうしてこんな状態で居るのかを。
すると、「ガタッ!」と言う物音が聞こえ来た
(何の音!?)
突然の事で驚き、レアは物音が聞こえた方を伺い見る。
すると、何か別の音が聞こえて来た。
「んっ...」
そこには、椅子に座りながら寝ている、知らない男性が居た。
体勢的に寝苦しそうだが、「ムニャムニャ」と口を動かして寝ている男性が。
(誰!?いったい、僕に何が起きているの!?)
その男性を起こしてしまう事は、そこから何が起きるのか予想がつかない為、あまりにも怖い。
声を出せない状況のレアは、頭の中で叫んだ。
「ピィ...?」
すると、レアのお腹の方から弱々しい鳴き声が聞こえた。
だが、レアは手足が縛られている為、身体を上手く動かせない。
そもそもが、起きてから体調はずっと良くない状態なのに、その上での拘束。
首だけを上手く動かし、お腹の方を覗き見た。
(...ピギィ?)
紅い鳥を抱えていたレア。
どうやら、その紅い鳥の事は覚えていたみたいだ。
「ピギィ...」
何故か、紅い鳥ピギィの元気が無い。
(どうしたのだろう?)と考えていると、ピギィはその状態で必死に動き出した。
(えっ!?どうしたの急に?)
ピギィは、懐でゴソゴソと動き、手足を縛っている布を嘴で解いて行く。
ベッドの上で「ガタガタ」と音を立てながら。
「んっ?...」
その音に反応をする男性。
だが、まだ目は覚めていない。
音が大きすぎると、男性が目覚めて何をされるか解らない、今のこの状況が怖い。
(ピギィ...僕を助けてくれるの?)
この状況にヤキモキしながらだが、それでもレアは、ピギィが必死に、この状況をどうにかしようと動いてくれている事が嬉しかった。
自分の為に何かをされるありがたみを、この時に初めて気付いた。
「ピ...ピィ」
手を縛っていた布が解かれた。
これで両手を動かせる。
早く此処から抜け出さぬくてはならない事を解っているが、レアは自由になった両腕で、ピギィを精一杯に抱き締めた。
そして、ピギィにだけ聞こえる声で、心からのお礼を伝える。
「???...?????」
(ピギィ...ありがとう)
自分の不甲斐無さや、一人では何も出来なかった悔しさ、それでも助けてくれたピギィの優しさ。
様々な感情が、絵の具を混ぜ合わせるように一つの感情へと合わさって行く。
ありがとうと言う、その最大限の感謝へと。
「ピ、ギィ」
弱々しい声は変わらずだが、なんだか嬉しそうな鳴き声だ。
ピギィと意思疎通が出来ている訳では無いので、本当のところは解らないけど。
それでも、この感覚を共有出来ている気がする。
(あっ、早くここから出なきゃ!?)
丁度、窓から日も差し始め、部屋の中が明るくなって来た。
このまま日が昇れば、男性の目覚めも近いだろう。
レアは急いで、足を縛っている布を自力で解いて行く。
だが、その焦りが今まで以上に「ガタガタ」と音を立ててしまった。
「んっ?...あん?」
男性が目を覚ましてしまった。
ただ、まだ椅子の上で動けずにいる。
「???、???!!」
(ピギィ、行こう!!)
レアはピギィを抱えると、急いで家の中から飛び出した。
家を飛び出すと直ぐ、森に囲まれていた。
自分達の姿を眩ますには丁度良さそうだと、迷わずに森の中に入って行った。
「なっ!?...おいっ!!」
そこでようやく男性は、目の前の事態を把握した。
折角の一攫千金の好機を、みすみす逃す訳には行かない。
「待ちやがれ!!」
頭に血が上ってしまった男は、目の前の子供を、商品として売る事を一時的に忘れてしまう。
怒りが理性を上回り、相手を無性に傷付けたくなってしまう。
その勢いのまま、男性は弓矢を肩に携え、短剣を手に取った。
「クソが!クソが!クソが!クソがっ!!」
家から出て行く、もの珍しい姿をした子供。
男性はその後を、目が血走りながら追って行く。
「勝手な行動を取りやがって、ふざけんじゃねえ!!]
男性を良く見ると、熟練のハンターのような雰囲気を纏っていた。
武器の扱いにも精通しており、逃げて行くレア達を追う様子は、獲物を追いやるハンターそのもの。
「逃げ出すなら...殺してやる!!」
森の中の行動を熟知している男性。
その僅かな痕跡を見逃さない。
それは昨日、雨が降った事もあり、地面が多少ぬかるんでいた。
家を出た後の子供の足跡が残っていたのだ。
「足跡を残しているなら、追跡は簡単なんだよ!」
男性の目と口が、三日月を作る。
「ニヤア」と大きく口を開けて、猟奇的な笑顔で。
「????。...???...??????。????。??...??」
(ハアハア。...ピギィ...ありがとうね。ハアハア。私の...為に)
森の中を闇雲に逃げているレア。
走りながら喋っているので、途切れ途切れの言葉になっている。
だが、どうしても走りながらでも、その感謝の気持ちをピギィに伝えたかった。
もしかしたら逃げられない事を、助からない事を悟っているのかも知れない。
「ピィ」
出会った頃よりも、明らかに衰弱しているピギィ。
どうやら所持している魔力が減っているようだ。
ピギィが精霊種なら、この状態はかなり危険な状態。
今にも消え入りそうな、そのまま霧散してしまいそうな、そんな儚さを感じてしまう。
「????、??????...????。????...????」
(ここから、逃げ出せたら...ハアハア。その時は...ハアハア)
必死に走っている。
息を切らして、呼吸をする事も辛いのに。
肺が悲鳴を上げ、脳へと酸素が行き渡らない。
だが、止まる事は出来ないのだ。
子供ながらの思慮だが、もし止まったら、もし捕まったら、間違い無く酷い目にあう事が確定しているのだから。
それは殺される事も含めて。
「???...????。?????...???????」
(ピギィ...ハアハア。僕の友達に...なってくれる?)
喋らなければ良いものを、走る事だけに集中をすれば良いものを、どうしても感情を抑えきれずに言葉を紡いだ。
それも、涙を流しながら。
レアは、目が覚めてからずっと精神が不安定な状態。
いや、それは昨日、独りになった時からかも知れないが
「ハアハア」
起きてからずっと、身体は不自由で思い通りに動かない。
地に足が着かずフワフワしている状態だ。
足を必死に動かしているのに、その感覚よりも空回りしてしまう動き。
地を踏みしめる時、その一歩が深く地面に沈み込んでしまうような感覚。
地を駆け抜ける時、その一歩が上空へと飛び跳ねてしまうような感覚。
そんなチグハグな感覚が、身体の動きを狂わして。
「クソガキが!!」
やはりと言うか、当然と言うか、大人の一歩と子供の一歩は全然違った。
出遅れて後ろから付いて来ていた筈なのに、男性はレアに追い付いており、弓矢を構えていた。
「止まりやがれ!」
男性は走りながら弓矢を構えているのに、その狙いが一切ぶれていない。
体幹もさる事ながら、森の中での走り方を熟知している。
頭(目線)の高さ、上半身が全く動かない。
「??!??!...?...」
(わっ!?あ!...ぶ...)
男性が放った矢は、見事にレアの内太ももを掠るように射抜いた。
バランスを崩したレアは、前のめりに転がって行く。
だだその時でも、ピギィを抱えたまま離さず、なんなら衝撃を与えないように身を挺している。
ゴロゴロと勢い良く、泥まみれになりながら転がる。
顔にも口にも泥が付着し、口の中にも泥が進入してしまう。
その食感は、落ち葉が枯れた後に水分を含んだ酸味から、泥のジャリジャリとした食感。
それがとても気持ち悪い。
「さあ、これで!もう逃げられねえな!」
男性は、いつの間にかレアの傍に居て、レアが転がる勢いを足蹴に止めた。
「何を抱えているか知らねえが、目障りなんだよ!!」
すると、レアが抱えている紅い鳥が邪魔なのか、加減を一切抜きに蹴飛した。
ピギィの悲痛な叫び声だけが、その場にこだました。
「??!??!?」
(やっ!ピギ!?)
「お前は!!俺の物だろう?」
男性は、レアが全てを話す前に遮り、レアのお腹に足を乗せて力を込めた。
そして今度は、短剣を構えた。
「主人を差し置いて、勝手な行動をしちゃあ...駄目だろう?」
「??!?」
(痛っ!?)
短剣をレアの喉元に突き付けた。
すると、レアの喉からは、赤い血が垂れ始めた。
「逃げなければ良かったものを...ガキだからと言って、容赦をする訳が無いだろう」
お前が逃げるからこうなったのだと、レアを洗脳するかのように諭して行く。
あたかもレアが悪かったように。
そもそも男性の行動が卑劣であり、絶対的に悪い行動なのにだ。
「...??...????」
(...ごめ...んなさい)
精神的に不安定なところに、肉体的な痛みも伴って、正しい判断が出来無いレア。
それに自分だけならまだ良かったのだが、ピギィにも手を出されて傷付けてしまった。
その罪悪感が、更にレアの精神を蝕んだ。
「お前が何を喋っているか、俺には解らねえけど、まあ、いいだろう」
偉そうに上からのもの言い。
そうして、喉元に突き付けている短剣を引いた。
だが、剣を引く際に、許す代わりのお仕置きとして、踏んでいる足を振り上げて、再度お腹を踏み潰した。
「ガハッ!」とレアの口から胃液が飛び出る。
「何だ...良く見れば、綺麗な顔をしているじゃないか」
その時に、レアの顔をマジマジと見つめた男性。
普通の子供では無い、美しさを感じ取る。
だが、その事でより男性の嗜虐心を煽ってしまった。
「ふはははっ!!この綺麗な顔をグチャグチャにしたら、どうなるんだろうな?豚の顔のように潰れるのか!?」
この森で狩る事が出来る豚。
鼻が平らで上を向いているのが特徴だ。
それはさも足で踏んで潰したかのように。
「まさか、自分にこんな一面があるとは知らなかったよ...癖になりそうだ」
ブルブルと身体が震えて、何処か気持ち良さそうな男性。
子供を痛めつけて、汚れているその姿に、極上の快楽を覚えていた。
「すーっ....はあぁぁぁ」
深く呼吸をしているのだが、興奮を抑えられないのか、白目を向いて光悦とした表情を浮かべている。
レアはそれを目撃し、他人から与えられる恐怖を、底冷えする感情を、初めて実感した。
悪魔を見た事が無い筈なのに、目の前のそれが悪魔なのだと。
「さあ、どうしてくれようか?このまま...快楽のままに、殺してしまおうか?」
男性は短剣を振り上げ、思考が定まっていない。
下の方からと、上の方からと、その両方から込み上げて来る快楽が、唯一の理性を消し飛ばしているからだ。
目が据わっているその表情は、無表情なのに何処か笑っている。
「それが...良いよな!!」
男性は、抑えきれない感情のまま、抑えたくない感情のままに、レアの頭へと短剣を勢い良く突き刺した。
「ピギィー!!」
「なっ!?」
その時、ピギィの身体が赤い魔力に包まれて、男性へと突撃した。
男性の狙いは見事に逸れて、短剣が地面へと突き刺ささった。
そして男性は、握っていた短剣を手放されて、数m先へと突き飛ばされた。
「ピィ!!ピギィ!!」
ピギィから、赤い魔力が変換された火の塊が、男性へと三つ放たれた。
それは通常よりも紅い火の塊で、火の球となって。
「ボウ!」と音を鳴らし、空気を燃やす火の球。
「ギャー!!」
男性に着弾すると、身に着けている服を燃やし、そしてその身を燃やして行く。
着ている服が肉体に絡み付き、余計に燃えて行く痛みを与える。
肉は爛れて、こんがりと焼けて行く事が解ってしまう。
「うあああああ!!!」
身体の水分が蒸発して行く。
髪の毛は焼けて頭に張り付きながら、やがて燃え尽きて頭の地肌が露出する。
内臓はドロドロに溶けながら身体の内側で一つに混ざって行く。
手などの肉が薄い部分は骨が剥き出しになり、炭化している。
他人が燃える様を、生き物が燃える様を、初めて目にしたレア。
その焦げて行く臭いも相まって、込み上げて来る吐き気が止まらない。
「???!」
(うっぷ!)
喉元まで気持ち悪さが込み上げて来るが、寸でのところで堪えた。
ピギィが傍に来てくれたから。
「ピギィ...」
ピギィを覆っていた魔力はいつの間にか消えており、その肉体が薄れて霞んでいた。
魔力を限界まで使ってしまったのだ。
「ピ...イ」
それでもレアの身を案じているピギィ。
だが、周囲は燃えがる火のせいで、その火は森へと引火して行く。
瞬く間に燃え広がる火の勢いは物凄い物があり、レア達を炎で囲んで行く。
「???...????????...???????」
(ピギィ...こんなになるまで...何で僕の為に?)
出会ったのは昨日の事。
なのに何故こんなにもレアの事を守ってくれたのか?
レアには解らなかった。
既に、炎に囲まれて逃げ場の無いレア達。
そして火がこんなにも熱い事を知らなかったレア。
喉が渇くは、煙が苦しいはで、呼吸が上手く出来無い。
これは諦めにも似た感情で、ピギィとの最後の時間を大切にしようと考えた。
「ピギイ!!」
レアの質問には反応しないピギィ。
ピギィは最後の力を振り絞て、此処から抜け出す為の魔力を開放した。
すると、炎に囲まれていた森は、ピギィから放出された魔力が一本の通り道を作り出し、レアが進むべき道筋を示した。
「???!!???????!?」
(ピギィ!!そんな事したら!?)
レアは、ピギィの所持魔力が空になる事を案じた。
精霊が所持している魔力が空になると、どうなるのか?
答えは、存在が消えてなくなるから。
「ピギ...ィ」
ピギィはレアを見て、その意思を託す。
「此処から抜け出して生き残ってくれ」と、そんな意思を。
そして、精霊の存在が霧散してしまった。
「?、??...??...」
(あ、あぁ...ああ...)
涙が止まらない。
その優しさを感じて。
ピギィは、その形を維持出来なくなり、その場からいなくなってしまった。
此処に残ったのは、燃え上がる森と、炎が避けて行く一本道。
「...?、????」
(...あ、あれは?)
ピギィが居なくなった跡には、紅い宝石に、羽根が細工がされている結晶が残った。
魔物の核とは違う、今までに見た事も無い結晶だ。
「???...?????」
(ピギィ...ありがとう)
レアはその結晶を手に取り、ピギィが作り出した道を進んで行く。
その手に、最大限の感謝を込めて。
「これは、また凄いな...一撃こそ無いが、手数が多い」
メリルが目の前の戦闘を見て、驚いている。
「相手に何もさせない...凄え」
ギュンターが目を見開いて、目の前の戦闘から少しでも自分の参考になりそうな攻撃を探している。
「俺が出来る動きは...。そうか、此処で相手の虚を突いて...」と、ブツブツ呟きながら。
今はギルドダンジョンの中で、魂位を上げる為に、戦闘経験を積む為に、フォレストリザードと戦っている。
皆に、少し余裕が出て来た事もあり、一対一の戦闘をしているのだが。
「マナで作り出しす攻撃が、こうも凶悪だとは...これは、対複数の方が効果を発揮するのか?」
メリルは拳を握りしめ、同時に汗も握りながら戦いに魅入っている。
「一撃は私の方がある..。だが、近寄れるのか?」と、その人物との戦闘のシミュレーションを頭の中で描きながら。
そして、ギュンターもメリルと同じ様に頭の中でシミュレーションを行なっていた。
「相打ち覚悟で、最短距離を突破するか?...ちっ!あの接近戦が厄介だな」
丁度今、フォレストリザードが魔力による攻撃を掻い潜ったところで、その人物の接近戦による攻撃で仕留められた。
ギュンターが考えている通りに実行したフォレストリザードは、その人物に返り討ちにあってしまった。
そして、その人物とは。
「...どうだった...かな?」
さくらが少し疲れた様子で、僕に戦闘の評価を尋ねて来た。
「今のは、かなり良かったね!歌いながらなのに、歌も途切れる事無く、あれだけ動き回れているのだから!」
今の戦闘を行なっていたのは、さくら。
歌う事によって体内の魔力を練り上げて、さくらの周囲に魔力で出来た魔力球を幾つも作り出す。
その魔力球は、さくらの舞う動きに合わせてフォレストリザードに発射されて。
僕達が、「〇〇しながら」と言う並列思考の訓練を行って来た成果が出たのだ。
「歌いながら、フォレストリザードの動きに合わせる事は出来ているよ!でも、最後の接近戦になった時、歌が止まってしまった事は残念だね」
フォレストリザードが魔力球を掻い潜って近付いた時、さくらはナイフによる攻撃で仕留めた。
だが、この時さくらは歌っていた行為を止めて、接近戦だけに集中する事になってしまった。
これはまだ、「〇〇しながら」の行為が一つだけに絞られてしまうからだ。
歌いながら魔力球を練り上げてフォレストリザードを攻撃する事(さくらの場合、歌う事で魔力球が勝手に作り出される。その為、舞う事で攻撃が自動的に行われる)。
近付いて来たフォレストリザードの攻撃を避けながらナイフで攻撃をする事。
この様に、一方的に切り替えをしてしまったのだ。
「うん...頭では解っているんだけど、実際に、近寄られると焦ってしまって...」
歌を止めない。
これが、さくらの課題だった。
「でも、あの動きの中で歌えている事が凄いんだけどね」
正直、動き回りながら歌う事は、かなりの労力だ。
ダンスをする様に舞うだけで、息は切れるのだから。
その上で、歌を載せている。
呼吸をする事も、歌う事も、どちらも口を使用している。
肺に空気を取り込む息付きのタイミング、息を吐き出す歌。
どちらかのバランスが崩れれば、動きも、歌も、その時点で精彩を欠いてしまうのだから。
「さくら、初めてであの動きは凄かったよ」
僕はさくらの頭を撫でながら褒めていた。
今の戦闘が、本当に凄かったのだ。
「...」
唇を甘噛みしながら褒められて嬉しそうな、さくら。
下を向いたまま裾を握りしめ、声にならない声で悶えている。
頬が桜色に紅葉している姿が、とても可愛らしい。
(歌と魔力変化の親和性は相変わらず...後は威力や、動きの精度になるのかな?)
一対一の戦闘を初めて経験したさくら。
フォレストリザード相手なら、全く問題無かった。
だが、これは、ほぼ最弱の相手だからこそ。
魔力球の数こそはあれど、一撃の威力は足りないし、弾幕としては物足りない。
そして、相手よりも動きが速いからこその接近戦への移行。
咄嗟の事とは言え、それで間に合うのだから。
これが、魔力球を物ともしない魔物なら?
これが、さくらよりも動きが速い相手なら?
この様に、課題はまだまだ沢山ある。
だが、本人もそれを解っている為、褒められたからと言って決して満足しない。
「...歌がブレてしまっている...動きもカクカクしているし...」
さくらは、戦闘の反省点をブツブツと呟いていた。
自分でも納得いっていない事を、直ぐに振り返りをして次へと繋げる。
この向上心が、本当に格好良いし、尊敬が出来る。
「まさか、私達の中で一番戦闘が上手いとはな...さくら、凄かったぞ!」
メリルが、自分達と比べてさくらの動きや戦闘方法が良かった事を褒めた。
「ああ!やるじゃねえか、嬢ちゃん!まさか、歌にあんな力があるとは思って無かったな!俺でも出来るのか?」
ギュンターが、さくらの行動を振り返って褒めている。
自分には出来無い戦闘方法。
さくらを真似して歌いだすが、「♪♪♪~」特に、何の代わり映えもしない、普通の歌だった。
だが、参考になる事が一杯あった。
「攻撃を繰り出す事で、相手の動きを限定させる事は、かなり有利。俺も参考にさせて貰う!」
戦闘を自分で行う時と、側から観戦している時では得られるものが違う。
自分で何かを作り出す事はとても難しい事だが、相手を見て学び、真似をする事は比較的早く成長が出来るのだから。
「...ルシウス?お前の戦闘も見せてくれないか?」
メリルが、そう僕に尋ねて来た。
「ルシウスなら、どう戦うのか?」と。
「僕の戦闘...ですか?...参考にはならないと思いますが、それでも良いのですか?」
「ああ。それで構わない」
僕に真剣な表情で返事をしたメリル。
同じ対象と戦う事で、今の自分との力量差を感じたいみたいだ。
「解りました。では、次の戦闘は、僕が行きますね」
そう言って、フォレストリザードとの戦闘を待った。
此処はダンジョンの中。
一定時間ごとに、魔物が生み出されるからだ。
(さて、どうしようかな...本気で終わらせるか、それとも...。よし、決めた!これで行ってみよう!)
僕は静かに笑って、その時を待った。
すると、ダンジョンから生み出されたフォレストリザードが前方から僕達に近付いて来る事が解った。
「前方からフォレストリザードが来ます。僕は、このまま戦闘に入るので、皆さんは見てて下さい」
「戦闘に入るって、まだ、相手が見えて無いぞ!?」
メリルは、僕が何をするのか解らず驚いている。
目視で確認しても、二〇m先に(それ以上は暗くなっていて見えない)居ないのだから。
「ルシウス?一体何をするつもりなんだ...」
僕は未だに魔法が使えない。
体内で魔力を属性変化させる事が出来無いからだ。
だが、魔力操作は出来る。
それにプロネーシスもいる。
「魔力操作を繊細に...プロネーシス、補助を頼む」
いつか教会で聖典を読み上げた時に、僕の魔力が魔法陣を満たす事で効果を発動した事がある。
と言う事は、僕自身が属性変化をさせる事が出来なくても、何か代わりに属性変化をしてくれるものがあれば、魔法が使えると言う事だ。
僕はフォレストリザードに右手を伸ばし、掌を相手に向けた。
「魔法陣を構築...」
「マナが...何かを模っているのか?」
魔法の使用方法は二つ。
呪文を詠唱して(詠唱短縮、無詠唱とあるが)魔力を属性変化させる事で魔法を発動する。
もしくは、魔法陣に魔力を満たす事で属性変化を起こさせて魔法を発動する。
僕は掌の前方へと魔力を集約させて、プロネーシスが記憶している魔法陣を構築させる。
「フォレストリザードに...目標を設定」
「...なんだ、あのマナの量は!?」
空中で魔法陣が浮かび上がり、綺麗な幾何学模様を描く。
それをプロネーシスが補助をし、相手までの距離、魔法の指向性、発射角を調整する。
この魔法陣を構築しているものは魔力。
ならば、魔法陣が描かれた当時に魔力が満たされた事になり、魔法が発動するからだ。
僕の身体から抜けて行く魔力が尋常じゃない。
多分、普通に魔法を使用するよりも、その何倍も魔力を使用し、かなり非効率な魔力変換だ。
(くっ!こんなに魔力を消費するのか?魔力が抜けて行く事が気持ち悪い...)
身体の中の魔力が急激に消化され、徐々に身体の力が入らなくなる。
立っている事もやっとで、何処か吐き気を感じている。
だが、僕には皆の先頭を進むと言う見栄がある。
情け無い姿など見せられず、そんな態度など微塵も感じさせてはならない。
涼しい表情を保ったまま、あたかも、これが当然のように演出する。
「燃やせ、フォイヤークーゲル!」
魔法陣に魔力が満たされた時、それと同時に僕は叫んだ。
現れた魔法は、赤く燃え上がる球状の塊。
それが連続で三つ、フォレストリザードに向けられて勢い良く放たれた。
「魔法だと!?しかも、フォイヤークーゲル!?」
これはゲーム時代で言うなら、ファイヤーボール。
火属性魔法で設定されている位階が、下から二番目の魔法。
魔法使いなら直ぐに覚えられる魔法だ。
だが、どうやらこの世界では違うらしい。
王族や領主が従えている魔法騎士が使用出来る魔法で、いわゆるエリートが使用出来る魔法なのだと。
その事を知っているメリルが驚きながら、後になって教えてくれた。
(やはり、ゲーム時代とは差異がある。魂位と能力、覚えられるスキルや魔法が乖離しているのか?)
疑問に思う事は多々あるが、僕が放った魔法はフォレストリザードに見事命中した。
その火の塊がぶつかる勢いで身体に穴を空け、周囲を燃やしている熱がフォレストリザードの身体を燃やしたのだ。
そして、その身を全て燃やし尽くした。
魂の光だけ僕へと吸収され、残ったのはフォレストリザードの消し炭。
うん。
身体の力が漲る。
魂位が上昇している。
「こんな感じですが、参考になりましたか?」
僕は、そう皆に聞いた。
すると。
「馬鹿な!?こんなもの、どうやっても参考にならないぞ!?ルシウスが使った魔法は、魔法騎士に選ばれる者が使える魔法!!私達が束になっても敵わないような相手だぞ!?」
メリルは興奮している。
僕があり得ない事をやってのけたのだと。
「ルシウスはやっぱり凄えな!!あの模様が何か関係あるのか?それにしても、あの力...なんて威力だ...」
ギュンターはブルブルと震えている。
それは興奮して武者震いの様な勇ましさと、それと対峙した時の恐怖を感じて。
「ルシウス、凄いね!!私も出来るようになれるかな!?」
さくらは僕を尊敬の眼差しで見つめている。
僕としては、師匠として情け無いところは見せらないから、なんとか体裁は保てたかな?
そして、その魔法に対する憧れにより、自身でも使ってみたいと切望している。
多分だけど、さくらなら直ぐに使用出来るようになると思う。
しかも、これが歌う事で発動出来るなら、その脅威は僕なんかの比じゃ無い。
さくらが戦闘で使用していた魔力球が、全て魔法に置き換わると考えれば、その脅威が容易に想像出来るだろう。
(やっと、魔法が発動出来た...プロネーシスのおかげだよ!ありがとう!)
『いえ。これはマスターの力です。マスターが此処まで頑張って来られたからこその、魔法です。今はまだ、マスターの身体がこれ以上の負荷に耐えられそうにありませんが、魂位を上昇させれば、解決出来る事だと思われます』
そう。
このような魔法の発動の仕方は、通常では無い。
魔力変換は非効率だし、デタラメな魔力を消費する。
魔法陣を構築する計算式も、プロネーシスが調整してくれているからこそ使用出来ているが、僕の脳がその負荷に耐えられていない。
現に、脳の毛細血管が切れて鼻血が溢れている。
思考も靄が掛かったみたいに、その機能を発揮していない。
だが、僕が憧れていた魔法が、夢に見ていた魔法が、ようやく使用出来たのだ。
やっと。
そう、やっと。
此処から始まるのだ。
僕が望んだ英雄への第一歩が。




