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ラグナロクRagnarφk  作者: 遠藤
新世界・少年期
52/85

051 棄てられた奴隷と貧民窟⑨ ~再会と再開~

「エッケ...ザックスだと?子供の名前はエッケザックスと言うのか!?」


 ザックの救出後、教会へと戻る帰路にて、ギュンターが驚いた様子で僕に聞いて来た。


「ええ。確かに奴隷館の店主はそう言ってましたよ?」


 ギュンターもその場には居たのだが、僕から放出された魔力による圧力で地面に平伏していた。

 その場の圧力に耐える事で精一杯だった為、話を聞いている余裕が無かったのだ。


「まさか、そんな事があるのか?...ルシウス!なら教会に戻る前に、その子供と一緒に寄って欲しいところがある!」


 半ば捲し立てるようなもの言いで僕にお願いする。

 しかも、ザックが必要らしい。


「えっ?ザックも一緒に?」

「ああ。“エッケザックス”も一緒にだ!」


 そうして、僕達がギュンターに案内された場所は何処かの放牧場。

 その柵の中では、馬が気持ち良さそうに駆け回っていた。


「ここは...馬の放牧場?」

「ああ、そうだ。その子供が本当に“エッケザックス”なら此処に来る事が必要なんだ...」


 ギュンターは周囲をキョロキョロと見渡しながら、僕にそう話す。

 何処か落ち着きが無い様子だ。

 どうやら、人を探しているらしい。


「お~い!エリル!」


 ギュンターは、遠い場所から柵越しに大声で叫んだ。

 自分の居場所を知らせるように必死に手を振り、遠く離れた場所で馬のお世話をしている人物へと。

 どうやら、その人物こそがギュンターのお目当ての人らしい。

 相手は女性のようだ。


「!?...ギュンター!?」


 その女性が僕達に気が付くと、何故この場所にギュンターが居るのかと驚いていた。

 今、取り行なっていた作業を止め、一目散に僕達の方へと駆け寄って来る。

 そうして離れた場所から僕達が居る場所に近づいて来る女性。

 その金髪の髪が風になびいて揺らいでいた。


(何だろう?...誰かに...似ている?)


 ふと、僕はその女性を見た時にそう感じた。

 僕達の目の前まで走って近付いて来た女性は、全身で大きく呼吸をしながら息を整えている。

 その汗ばんだ表情で、ギュンターへと話し掛ける。


「ギュンター...こんな場所まで来て、どうしたの?」


 ハァハァと息を切らして呼吸も整っていないのに、ギュンターが此処に現れた理由の方が気になるみたいだ。

 両膝を内に曲げながら、膝の上に両手を乗せて中腰で屈んでいる。


「エリル、久しぶりだな...どうしても、エリルに会わせたい人がいるんだ」


 ギュンターは女性の状態が落ち着くのを待ちながら、ゆっくりと話し掛ける。

 そのおかげもあってか、エリルと呼ばれる女性は呼吸が整い身体を真っ直ぐに起こした。


「私に...会わせたい人って...?えっ!?」


 すると、ギュンターはその腕に抱えている、布を巻きつけた子供をエリルに見せる。

 エリルも自身に会わせたい子供と言う事で、何か思い当たる節があったのだろう。

 その不確定な自分の思いを確信させる為にも、恐る恐る子供の顔を覗いて行った。


「ああ...まさか!?」


 エリルは両手で口を押さえて、身体全身を震わせていた。

 それは今にも崩れ落ちそうな様子。


「なあ、エリルが言っていた“弟”って、この子じゃ無いのか?」


 ギュンターはエリルを真っ直ぐ凝視めてその核心を問う。

 探し人は目の前にいるのでは無いのかと。


「ああ!...ザック!?どうして...?どうしてここに、エッケザックスが居るの!?」


 それまでに堰き止められていた感情が溢れ、エリルはその場で泣き崩れた。

 やはりそうだったのかと、自分の感覚が合っていた事も相まって。


(弟だったんだ...そうか。ザックには家族が居たのか)


 ザックの本名は、エッケザックス。

 記憶を失ったザックは、他の事は何も思い出せなかったと言うのに自身の愛称だけは覚えていた。

 それに、目の前の女性がザックと愛称で呼んでいる事を聞いた時、二人の間を結んでいる見える筈の無い家族の絆と言うものを感じる事が出来た。

 血の繋がった家族との再会と言う事らしい。


「確か、放牧場の借金のかたに、弟が奴隷になったって言ってたよな?それで、エリルはエッケザックスを買い戻す為に、お金を貯めていたんだよな?」

「あっ...あ」


 エリルは感情が先行してしまい、巧く言葉にする事が出来無い。

 声にならない音が、その場でこだましている。


「もうすぐお金が貯まるからと、また一緒に暮らせるからと、そう言っていたよな?」


 エリルの鼻を啜る音。

 声にならない声。

 そのどちらも本人の意思で制御が出来るものでは無く、勝手に出てしまうものだ。


他人ひとの為の涙...大切な人への...家族に対しての想い?)


 それは他人を思っての行為であり、家族ならではの想いだと知らされる。

 僕には、それがとても羨ましくもあり、寂しくもあった。

 その様子を、ただただ黙って見守る事しか出来なかった。


「この子供は既に奴隷の身分を解放されている。此処に居るルシウスが助けてくれたんだ」


 ギュンターは、ザックが死ぬ一歩で捨てられた事、誘拐をされた事は話さなかった。

 余計な情報を与える事など、マイナスでしか無いからだ。

 言わなくて良いこともあれば、知らなくて良いこともあるのだと。

 それにザック自身も、その両方の事実を解っていないのだから。


「これで、また...家族一緒に暮らせるな?」


 ギュンターが優しく微笑み、エリルの目を真っ直ぐ見て笑った。

 エリルとザックの二人だけになってしまった、家族を思って。


 エリルの家系は、代々馬主経営する事で、その生計を立てて来た。

 それは街を代表する程の名家として。

 だが、それは親の親世代までの話で、今では落ちぶれた牧場主だ。

 そして、母親は5年前に他界している。

 それはザックを産んで直ぐの事。

 身体の抵抗力が弱まっているところに風邪を拗らせてしまい、治療と言う“治”の文字の概念すら無い、この世界では成す術が無く、そのまま見殺しとなってしまったのだ。

 ただ、残された家族は悲しんでいる暇など無く、残された子供を自立させなければならない。

 生きて行く為には働かなければ、子供達を食わせて行く事も出来無いのだから。

 そして、父親とエリルとザックの三人で生きて行く事となったのだが、牧場の経営は悪いまま。

 毎月の売り上げが赤字の為、借金が更に膨らむ事に。

 だが、借金を返せる当てなど無い。

 そんな時に目を付けられたのがザックだった。

 男は、労力として重宝されるからだ。

 ましてや、買った主人の好きなように教育が施せる子供なら尚更なのだと。

 こうしてザックが、借金のかたに売られてしまったのだ。


「ザックは、家の事情のせいで、私達の勝手のせいで、奴隷となりました。当の本人は、望む事すらも、否定する事すらも、出来ずにです」


 この街では、この国では、奴隷制度が定められていた。

 お金の為に、生きて行く為に、身売りをする事など良くある事なのだ。


「これもまた身勝手な話ですが、ようやく経営が軌道に乗ったところで、ザックを買い戻そうとお金を貯めていたのです。父親は、その時の心労が祟って、先月亡くなってしまいましたが」


 もはや、今のご時世、普通に育てた馬では売れない。

 そこでエリル達家族が新しく着手したのが、馬の能力を強化して育てる事。

 馬の丈夫さや馬力と言ったものだ。

 それらを育成する事に着手したのだ。

 そして、それが結果に繋がって来た頃、父親は過労で亡くなってしまった。

 大きな牧場に娘一人。

 その弱みに漬け込んだのがヴァイパーで、先日の抗争のきっかけに繋がったのだ。


「これでようやく家族と一緒に暮らせます...このお礼は必ずさせて頂きますので...本当に...ありがとうございます」


 勝手にザックを奴隷にしておきながら、勝手にザックを買い戻す。

 そんな身勝手な話を聞いている僕としては納得が出来る事では無いし、ザックの事を考えればとてもやるせない気持ちだ。

 だが、エリル自身は悪く無いのだとも感じている。

 それは父親の判断でそうなった事であり、エリル達が生きる為にはお金が必要だったからだ。

 奴隷と言う立場も、この世界では当たり前の事で仕方が無い事。

 気持ちだけでは、ご飯は食べられないし、生きて行く事は出来無いのだから。


(エリルさんが、ザックを思う気持ちは本物だ...それに、僕には解らない事だけど、血の繋がった家族と暮らせる喜びは、きっと計り知れないものがあるんだろうな...)


 それでも、今の僕には家族と呼べる人が居てくれる。

 だが、そこには血の繋がりが無いのだ。

 僕はその事に対して、本物の家族と言うものに恋い焦がれたし、実の母親と父親と暮らせたら「どうなるんだろうか?」と言う葛藤があった。

 母親に父親と言った血の繋がりのある家族と一緒に暮らしてみたい気持ちばかりが募っていたのだ。


(僕が一度も経験した事の無い...本物の家族には...)


 ただ、今では本当にアナスターシアの事を母親だと思っているし、教会や孤児院の仲間達が家族だと思えている為に、最近ではそんな考えなど浮かばなくなったが。

 それを踏まえて考えてみれば、ザックには血の繋がりのある家族が居るのだ。

 当然、家族と暮らせる方が嬉しいだろうと。


(ザックとは、短い間での関係だったけど、こんな感じで、お別れするのは寂しいな...それに、メリダ様なら、もっと悲しいんだろうな...)


 ザックの面倒を一番見ていたのがメリダ。

 そして、その思い入れも人一倍強い筈だ。

 手の掛かる弟のような存在で、それこそとても可愛がっていたのだから。

 僕は教会に戻って、この事をメリダに説明しなければならない。

 その事を考えると、とても憂鬱な気分に陥った。


(でも、メリダ様自身、常々言っている事だ。家族と暮らせる事が、どんなにありがたい事なのかと。どんなに嬉しい事なのかと。私達は血の繋がりの無い家族ですが、その事を大切にしなさいと)


 僕はその言葉を思い返すように、そして、言い聞かせるように、ザック達と別れる事にした。

 家族水入らずの感動の再会なのだと、二人の邪魔をしないように。

 その際、ギュンターとは、この件が落ち着いた頃にでも僕達の仲間として一緒に働く事を約束して。

 僕は一人寂しく、教会へと戻って行った。

 もう、すっかりと日も落ち、暗い闇へと包まれたそんな時間に。




 教会の外には、僕とザックの帰りを待つ、さくらとメリダが立っていた。

 そして、僕に気付くや否や、二人同時に名前を叫んだ。


「ルシウス!」

「ルシウス!!」


 それまでの二人の表情は、不安や心配から強張っていたもの。

 眉間に皺を寄せて、苦しさに耐えているような表情だった。

 それが、僕を見る事で、一気に明るくなった。

 僕は、そんな二人の前へと急いで駆け寄った。


「...ただいま」


 僕は、そう言って二人の前で笑った。

 自分の家に、自分の居場所にと、戻って来れた事を実感して。


「...おかえり」


 さくらが笑顔で迎えてくれた。

 僕は、この笑顔を見て、自身の荒れていた感情が、様々な思いが渦巻いていた感情が、スーッと平坦に落ち着く事を実感する。

 ああ。

 この笑顔が、僕の心を一瞬で癒してくれるのだと。


「おかえり...なさい」


 メリダは、涙を流して言葉に詰まりながらも、僕が無事に帰って来た事を笑った。

 目は腫れて赤くなっている。

 その様子からも、今の直前まで泣き続けていた事が解る。

 だが、僕は説明をしなければならない。

 此処にザックが居ない事を。


「ザックは...やはり、見つからなかったのですね?」


 周りをキョロキョロしながら、とても弱々しい声で僕に聞いて来る。

 僕が一人で戻って来た事からも、頭では解っているけど、その事を聞かない訳にはいかない。

 覚悟はしていたと、そんな表情だった。


「それが、メリダ様。実は...」


 僕は、今回の経緯を二人に説明し始めた。

 ザックが連れ去られてしまった事。

 その過程で出会ったギュンター達の事。

 ザックを誘拐させた奴隷館の事。

 そして、ザックに家族が居た事を。

 その時、全部の内容を細かく説明するのでは無く、二人に不安を感じさせない為に、話の一部をかいつまんで話した。

 わざわざ危険があった事を、二人に報告する必要は無いのだから。

 ギュンター達と戦闘になった事も、奴隷館での出来事(店主を無惨に殺した事は覚えていない)も、事細かに話す必要は無いのだから。


「と言う事で、ザック捜索を手伝ってくれたギュンターさんから、その事を聞いて、ザックを本当の家族の下へと、連れて行く事になったのです」

「そうだったのですね...ですが、ザックが無事で居たのなら、安心致しました」


 メリダは、ザックに会えない事がとても悲しそうだったが、直ぐに表情が切り替わった。

 それは、ザックが無事だった事を知って。

 これからザックは、本当の家族と一緒に居られるのだから。

 そう相手の事を思い遣って、心から嬉しそうに笑った。


「ルシウス。ありがとう」


 その言葉自体が、感謝を表す言葉なのだが、メリダのその言葉には、言葉以上の感謝と言う気持ちが込められていた。

 普段、何気無く使っている相手の行為に対しての、条件反射のような“ありがとう”では無い。

 その一文字一文字に、意味を纏わせたような、感情を込めた丁寧なもの言いだ。


「はい。メリダ様」


 僕は、メリダの言葉に対して謙遜をしなかった。

 相手の本気の思いに対して、僕は真摯に受け止めたかったからだ。

 謙遜は美徳と言う言葉がある。

 だが、謙遜は嫌味と言う言葉もある。

 当然、時と場合による使い分けが必要なものだが、僕は、相手の本気には本気で応える。

 相手がいい加減なら、僕もそれに合わせた適当で応えるが。

 その思いを噛み締めるように、少しの沈黙が続いた後、僕は新たな話を切り出した。


「後日、お礼を伝えに、ここまで来てくれるそうです。その時がお別れの挨拶となりますが、これが最後になる訳では無いのです。いつでも会いに来れますし、会いに行く事も出来ます」


 僕達は、ザックを保護しただけの関係で、血の繋がった家族では無い。

 ザックに家族がいるならば、家族と一緒に暮らす事の方が良いだろう。

 それが形だけの家族で無いならば。

 ただ、ザックの家族が見付からなかったら、僕達はザックの家族として一緒に居ただろうけど。

 これは形上のお別れの挨拶で、永遠の別れでは無いのだから。


「解りました。ザックと離れる事は...寂しく無いと言ったら、それは嘘になりますが、でも、本当の家族と一緒に暮らせるなら、それが一番良いと思います。此処には、家族と暮らしたくても、暮らせない人だけしか居ませんから...」


 何処か、遠い目をしているメリダ。

 本人が実感している事なのだから、尚更そう思うのだろう。

 血の繋がりと言う、唯一無二なものを感じて。


「では、もう遅い時間ですし、教会へと戻りましょうか?」


 暗闇の中、周囲にはキラキラと星が輝いている。

 いつの間にか、こんな遅い時間で、そろそろ僕達も就寝する時間となっていた。


「「はい」」


 僕もさくらも、返事をして教会へと歩を進めた。

 だが、メリダはその場から動かない。


「あれっ?メリダ...様?」

 

 僕は振り返って恐る恐る「どうしのたのですか?」と伺いを立てるが、それでもメリダは動こうとしなかった。

 すると、メリダは後ろ姿のまま、その場で口を開いた。


「どうか、二人は先に戻っていて下さい...私は、もう少しだけ、此処に残ります」


 その声に、後ろ姿は、少し震えていた。

 僕は何か声を掛けようと、メリダに手を伸ばすが、途中で「ッ!?」とその場で思い止まった。

 その手は、何か見えない壁に遮られたかのように、その場で空を切って。

 

「...」


 僕には、メリダに掛ける言葉が思い付かなかったのだ。

 それに、その心情を考えれば、今は一人になりたいのだと、メリダの身を案じて。


「さくら...先に戻ろうか...」

「うん...」


 僕とさくらは、メリダをその場に置いて、先に教会へと戻った。




 一人、自然の中で夜空を見上げるメリダ。

 他人に見られたく無い思いや、感じて欲しく無い思いがあったのだろう。

 その気持ちは、一人で消化するしか無い。


「ザック...無事で良かった」

 

 メリダの目から流れる煌き。

 それは、夜の暗闇の中で一際目立つ光。

 星のような輝きを放っているが、何処か儚く、一瞬で溶けて消えてしまう雪の結晶のよう。


「ああ...夏なのに...寒いですね...」


 その言葉は、体感温度を表しているのか?

 それとも、心の内を表しているのか?

 夜の中に一人で佇む、メリダの後ろ姿からでは解らなかった...




 僕とさくらはメリダを置いたまま教会へと戻って行った。

 その際、片時も離れずにメリダの傍に居てくれたさくらへとお礼を伝える。


「さくら、ありがとう...メリダ様の傍にずっと居てくれたから、僕は心置き無くザックを探す事が出来たよ」


 ザックの行方が解らなくなった時、僕は二人を残してザックを探しに出てしまった。

 これは、メリダから頼まれた事を優先した結果だが、あの場に二人だけを残すと言う事は十分に身の危険性があったのだ。

 法律も秩序も制定されていない街で、女性と女の子の二人だけを残してしまったのだから。

 しかも、二人して誰しもが目を惹いてしまうような見目麗しい人物。

 これがもし、ヴァイパーのような人物に見つかっていたのなら間違い無く襲われていた事だろう。


「正直、さくらとメリダ様の二人だけにする事は、不安だったけど...」


 さくらの全身をマジマジと凝視めた。

 あの場に二人だけを残した不安が、ずっと心に引っ掛かっていたのだが、どうやら、誰かに襲われた形跡などは無さそうだ。


「...無事、教会に戻れていて安心したよ」

「うん!ルシウスに言われた通り、私頑張ったよ!」


 僕の話す言葉に、しっかりと耳を傾けてくれるさくら。

 その何気無い態度が、とても嬉しく感じるものだ。

 そして、さくらの言葉は子供らしい無邪気な思い。

 言われた事を言われた通りにやり遂げたと言う純粋な気持ちの表れだ。


「ありがとう、さくら...そうだ!僕のお願いを無事に達成してくれたから、約束を果たさないとね!僕に何かして欲しい事やさくらが望んでいるものは何かある?」


 これは、僕がザックを探しに行く為、二人だけにしてしまった時にした約束。

 さくらが望む事を、欲しいものを、僕が出来る範囲で叶えると言った約束だ。


「私が望んでいるもの?そんなものは無いよ...ルシウスが無事に戻って来てくれる事が、私が望んでいる事だから」


 一切の迷いが無く、そう言い切ったさくら。

 子供と言えど物欲がある筈なのに、それらに何一つ触れる事が無く。

 もしも、僕が逆の立場だったのなら、あれも欲しい、これも欲しいと、煩悩だらけだ。

 ちなみに、今一番欲しいものはヒーローに変身する為のベルト。

 これは周りに年齢がバレないように、見た目で侮られないようにする為のもので、僕が漆黒の仮面として活動する為に必要な物だ。

 まあ、その内作る予定ではあるけど。


「...」


 さくらの言葉を聞いて、今までに感じた事の無い衝撃が全身を駆け巡った。

 望みが叶えられる場面で、自分の欲望よりも他人への思い遣り。

 そんな言葉を、そんな思いをどうして持てるのかと。

 僕がこれまでに人から求められる事など一度も無いし、ましてや帰りを待って貰った事も一度も無い。

 そんな真っ直ぐな想いを伝えられた事がとても嬉しくもあり、それ以上に恥ずかしさもあった。

 この初めて思う感情は、一体何なのだろうか?


「でも...さくらのおかげで、僕は頑張れたんだよ?さくらが居たから、ザックを探しに行けたんだ」

「そう...なの?」


 僕の言葉に対して、さくらは考えるように首を傾ける。

 ああ、本当に欲が無く、僕の事をいの一番に考えてくれていたんだな。


「そうだよ。さくらのおかげなんだ。だからこそ、僕に出来る事で何かお礼がしたいんだ」

「...じゃあ、それなら...」


 必死で何かを探している。

 その様子は対価を求めて行動した訳では無いのだと、改めて十分に伝わるものだ。


「そうだ!それなら、ルシウスの演奏で唄ってみたい!」

「え!?僕の演奏...で?」


 僕は、アナスターシアから楽器を習っていた。

 それはハープに似た楽器で、『ゲフュールハルフェ』と呼ばれる楽器だ。

 幾重にも張り巡らされた弦を、指で弾く事で音色を鳴らすものだ。


「そう!ルシウスの演奏で、一緒に!!」


 その瞳には一才の陰りが無い。

 キラキラと輝く眩しい瞳だ。

 然も、希望の光のように周囲にまで影響を与えてしまうエネルギーを持つもの。

 ああ、本当に唄う事が、音楽が好きなんだと伝わって来る。


「...まだ、上手に弾けないけど...それでも良いの?」


 僕は3歳の頃からアナスターシアに楽器を習っているが、演奏となると勝手が違うものだ。

 自分一人で気ままに楽器を弾くのと、誰かに合わせて楽器を弾くのでは、難しさが全く違う。

 そんな簡単に出来る事では無い。


「うん!!ルシウスの演奏が良いの!!」


 さくらの歌を考えれば、僕が足を引っ張る事は明白だ。

 一定のリズムをキープし続ける事すら難しいのに、音を繋げて演奏するとなると尚更なのだ。


「そうか...解った。うん!じゃあ、日を改めて一緒に演奏しようか!」


 その思いに応えられるかは正直解らないが、さくらの気持ちには応えたいと思っている。

 約束を果たす為にも、僕だってずっと練習して来た事なのだから。


「うん!じゃあ、約束だね!!」


 さくらが手を差し出す。

 これは、お互いに契約をする為の儀式(そんな大層なものでは無く、唯のポーズではあるのだが)。

 僕は、さくらの手に指を絡めて約束を誓う。


「「約束!」」


 こうして僕達は約束をしたところで別れ、それぞれお互いの部屋へと戻って行った。

 この約束を果たす為にも、僕が出来る最高を目指して頑張らなければと、胸に刻んだ。

 そして、僕が部屋へ戻ると、その扉の前には、アナスターシアが僕の帰りを待っていた。


「ルシウス...お帰りなさい。今日は、大変な一日でしたね?」


 アナスターシアの口から出て来た言葉は僕の身を案じるもの。

 夜が遅くなった事を怒るのでは無く、一人で危険な行動をした事を怒るのでも無かった。

 純粋な労いの言葉だ。

 そう笑顔で言うと、僕を包み込むように優しく抱き締めた。


(あ、お母様の良い匂いがする...ああ。凄く落ち着く...あたたかい)


 僕の一日の疲れが全て吹っ飛ぶような、温かく、暖かい腕の中。

 アナスターシアの甘く清潔感のある匂いが、僕の心を落ち着かせて。


「お母様...ただいまです」

「ええ、ルシウス。良く頑張りましたね」


 その言葉一つで、僕の全てが報われると言うものだ。

 心を浄化してくれる抱擁と共に。

 アナスターシアは僕を抱き抱えると、そのまま部屋の中へと入った。

 僕の身体は汚れたままなので申し訳無い気持ちで一杯だったけど、アナスターシアは、そんな事を微塵も気にしていなかった。

 片方の手を僕の頭の上に置き、髪に沿ってスーッと滑らしては、頬に軽く手を当てた。

 目の前に僕と言う人物が居る事を確認するように、優しく触れて確かめるように。


「ああ、良かった。ルシウスが無事なようで」


 アナスターシアは、メリダから事の顛末を聞いていた。

 そして、この時間まで遅くなっているのだ。

 心配しない訳が無い。


(お母様...)


 僕は、アナスターシアの行動が心の底から嬉しい。

 子供が親の愛情を確かめるようにワザと危ない事をする場合があるが、僕は今までにそんな事などした事も無かったし、出来なかった事だ。

 今回は偶々そうなってしまった訳だが、こう言ったイレギュラーが発生しない限り、このような機会を得る事が出来ていなかっただろう。

 自分から我が儘を言って迷惑を掛ける事などしたくは無いし、駄々をこねて嫌われる事もしたく無いのだから。


(心配掛けて...ごめんなさい...)


 どうやら、アナスターシアの思いが僕の心を安らかにさせてくれたようだ。

 気が付けば意識が無くなっていたのだから。

 僕は心の充足や身体の充足を感じて、いつの間にかアナスターシアの腕の中でぐっすりと寝ていたのだ。


「あらまあ...ルシウス。おやすみなさい」


 アナスターシアはそう言うと、僕に優しく微笑んだ。

 そして、天を仰ぎ見る。

 それは何かを見るように、何かを視るようにだ。


「...運命が、動き始めたのですね...」


 最後にそう呟いて...




 次の日、僕が目を覚ますと、ベッドの上でアナスターシアに抱き抱えられてい寝ていた。

 アナスターシアは力が強く無いが、僕の事を関節を極めるようにガッチリとホールドしていた。

 うん。

 これは動けそうに無い。

 僕は、そのままアナスターシアの腕の中で、昨日の出来事を振り返りながら、アナスターシアの目覚めを待つ事にした。

 そう言えば、プロネーシスとの会話も久しぶりにした気がする。

 その時、何処か、ぎこちない感じを受けたのは良く解らなかったけど。


「あらっ、...ルシウス?...目が覚めていたのですか?」


 僕が目覚めてから三〇〜四〇分程、自分の世界に入っていると、ようやく、アナスターシアが目を覚ました。

 「起きていたのでしたら、私の事も起こしてくれれば良かったのに」と、アナスターシアが言うが、僕にそんな事が出来る筈が無い。

 それに、アナスターシアの腕の中が本当に心地良かったから、そんな気も起きなかったのだ。


「今日は、先ず始めに身体を清めるのですよ?もし、身体に疲れが残っているようでしたら、ゆっくり休む事が必要ですからね?それに自由時間になったのなら、ルシウスの好きな演奏を弾きますね」


 アナスターシアは教会や孤児院での仕事がある為に一日休む事は、ほぼ無かった。

 毎日働いているし、毎日自由時間を堪能しているのだ。

 それはさくらにも共通している事だけど、本当に音楽が好きなのだ。

 一日に一回は、絶対に楽器に触れるし、歌を唄う。

 それが、アナスターシアの日課なのだ。


「はい。お母様。ですが、一日しっかりと寝たら身体は元気になりましたよ」


 これは、元の世界に居た時では考えられ無い事だった。

 転生前は寝たきりの身体と言う事もあったが、身体の疲れや痛みは毎日感じていたものだ。

 寝ても、その疲れや痛みが取れる事は無かった。

 その場から動きたくても自分の意思では動けなかったのだ。

 だが、この身体に転生してからは、どんなに疲れていたとしても、睡眠さえ取れば翌日に疲れや痛みが残る事などほぼ無いのだ。

 唯一、恵の森で熊の魔物と戦った時くらいだろう。


「そうですか。でも、無茶をしてはいけませんよ?」


 目覚めて直ぐに手で僕の顔を触れた。

 その温もりが、また心地良かった。


「はい。お母様」


 二人で笑い合う。

 僕とアナスターシアには血の繋がりが無いけれど、これが家族なのだと言う絆を感じる事が出来て。

 そして、少し時間が経てば、鐘の音と共にメリルとメリダが部屋に入って来る。

 朝の支度で、いつも通り見慣れた光景。

 こうして僕達の日常が再開して行くのだった。




 後日、さくらとの約束を果たす為、僕が演奏して、さくらが唄う事を約束していた日。

 此処は、裏山の桜の樹が生えている広場。

 ある意味いつも通りの場所で、二人だけの場所だ。


「じゃあ、ルシウスは、好きなように演奏してね?」

「うん。解った」


 僕は、さくらに言われた通り、自分が出来る演奏を始めて行く。

 だが、その前にプロネーシスにお願い事をする。


(プロネーシス。BPM一一〇位で刻める?)

『はい。マスター。私にお任せ下さい』


 BPMとは、テンポを表す単位だ。

 これは、一分間に刻む拍数の事で、BPM六〇ならば一分間に六〇回。

 そして、BPM一一〇なら一分間に一一〇回と刻まれる。

 僕の頭の中に、テンポを刻む音が『チッ。チッ』とメトロノームのように鳴り響いた。

 プロネーシスの能力のおかげだ。

 僕はそのカウントに合わせるように、リズムを刻んで行く。

 こうして、自分の中で演奏の準備が出来たところで、さくらに視線を交えて「せーの」と、心の中で呼吸を合わせた。

 僕は、ゲフュールハルフェの弦を弾き、ミドルテンポのスピードで音を奏でて行く。


「♪♪♪〜」


 演奏が始まった。

 一応、脳内メトロノームのおかげで、リズムは何とかキープ出来ている状態だ。

 だが、弦の位置の把握や僕自身の運指が完璧な訳では無い。

 僕はまだ、それらを目視して確認しなければ、ちゃんとした演奏が出来無いのだ。


(これは...さくらには、歌い辛い演奏だろうな...)


 僕の演奏は、滑らかな演奏には程遠いもので、拙く、ぎこちない演奏。

 だが、出来無いなりにも、一生懸命に強弱は表現している丁寧な演奏ではあった。


(でも、僕が今出来る事をやりきるだけだ!)


 生演奏で歌唱するとなると、その難しさは、本人のアカペラで歌う事よりも何倍も難しい。

 それは他人のテンポに合わせなければならないのと、二人の鳴らす(唄う)音階が噛み合わなければならないからだ。

 決して自分のテンポで、自分の好きなように歌える訳では無いのだから。


「「♪♪♪〜」」


 だが、あっさりと、それを難無くこなしてしまう、さくら。

 耳の良さ、他人への共感性、音楽を好きだと言う気持ち。

 そのどれもが傑出しているからこそだろう。


(これは凄いな...僕が足を引っ張っている事は確実なのに、さくらの歌に引き上げられるように、僕の演奏も良くなっているのか?)


 初見だと言うのに、自分の知らない演奏に合わせて唄う難易度と言ったら計り知れない。

 さくらは事前の打ち合わせが全く無い状況から、曲を構成する音階の進行方法も共有していない状況で、見事に一発で合わせてみせたのだ。

 これが如何に凄い事で、どれだけ飛び抜けている事なのか?

 これをスポーツで例えれば。

 野球で言えば、ピッチャーの投げられる球種を全く知らない状態でバッテリーを組み、突然、投げて来る変化球を、完璧にキャッチングするようなもの。

 それも、次々と変わる変化球を一度も後逸せずにだ。

 サッカーで言えば、新しいチームに移籍したばかりで、デイフェンスラインを統一させてオフサイドトラップを確実に決めるようなもの。

 しかも、ボールを奪取するや否や、相手エリアまで駆け上り、此処だと言う場所にドンピシャなセンタリングを上げて、ゴールに繋がるアシストを叩き出して。

 それくらい相手との阿吽の呼吸が、仲間との連携が必要なのだ。


(さくらと一緒に音を紡いでいる...!!これが...こんなにも嬉しくて、こんなにも楽しいだなんて!!)


 時には、自分の力以上に、能力を発揮する事がある。

 それは、その事象に熱中していて、やる気が向上している時に脳内物質アドレナリンが溢れている状態の時。

 それは、追い詰められた時に、極度の不安や恐怖から脳内物質ノルアドレナリンが溢れている状態の時。

 これらはゾーンと呼ばれる状態、又は、フローと呼ばれる状態だ。

 今回の場合だとそれ以外の方法となり、相手の能力に引っ張られて強制的に底上げされている状態であるが。


(頭が冴えて行く!考えるよりも、先に身体が動く感じ!この高揚感!!堪らない!!)


 極限状態に追い詰められた時に、分泌される神経伝達物質エンドルフィン

 もしくは、食事をした時や性行為の後、自身が癒しを感じた時に分泌されるものだ。

 麻薬で意識が飛ぶ時の高揚感は、どうやらこの感じと似ているらしい。

 神経伝達物質エンドルフィン=脳内麻薬とも言うから間違いでは無いのだろうけど。


(!!)


 今までは楽器の弦の位置、自身の運指を見ながらで無ければ、演奏をする事が出来なかったのに、今では、そのどちらも把握した状態で演奏している。

 この高揚感に包まれた状態で、僕はさくらを見た。

 それは、演奏だけに集中している状態では決して見る事の出来無い光景。

 僕の演奏と一緒に、さくらも楽しそうに唄っている姿だ。

 二人で呼吸を合わせて、二人で織りなす演奏。

 それも、相乗効果によって、より楽しいものへと昇華させて。


「♪♪♪〜」


 ああ...

 この歌も、もうクライマックスだ。

 この楽しい時間も、そろそろ終わってしまうもの。

 そう思った矢先にさくらの唄が終わり、僕の演奏だけが残った。

 

(あっ...感覚が鈍って来てるな...音と指の動きがズレ出して...意識が遅れている...?)


 僕が終わりをハッキリと認識した時、自身を支配していた高揚感は急激に減少し、感情の波が平坦となって行く事が解った。

 音の先と、意識の先を、合わせる感じでは無く、音の後と、意識の後が、勝手に遅れてしまう感じ。


(悔しいな...最後まで、リズムキープする事も出来無いだなんて)


 正直、僕が次に同じように演奏したとしても、また同じような状態に到達出来るとは不思議と思えなかった。

 技術不足の僕では、もう一度この状態で演奏出来るとは到底思えなかったのだ。

 それは、今のようにさくらと一緒に演奏したとしてもだ。


「♪〜」


 演奏が止まった。

 振り返ってみれば演奏は酷いもので、グダグダにリズムはブレてしまい、何度も音を外してしまった。

 僕にとって、反省しか残らない演奏だ。


「ふふふっ」


 さくらは、口を押さえて笑った。

 その悪戯っぽい表情が、とても可愛くて僕の視線を釘付けにする。

 

「ところどころ上手くいかなかったけど...でも、とても楽しい演奏だったね!」


 終わり良ければ全て良し、と言う言葉がある。

 だが、今回それは当て嵌まらない。

 僕が上手く出来たところは始まりでも終わりでも無く、さくらに能力を引き上げられた中間の演奏だけ。

 それが解っている上で、演奏として何も纏まらなかった上でのさくらの発言だ。

 僕はその言葉を、僕に気を遣っての言葉だと思った。

 だが、さくらの表情や態度を見ていると、どうやらそれは違ったらしい。

 言葉の語気が弾む感じに、その視線やその表情。

 さくらは本当に、本当に楽しんでくれていたみたいだ。

 これは、失敗や成功と言った結果とは掛け離れた感覚の部分で、相手との相性や共感性によるフィーリングによるものらしい。


「今度もまた、ルシウスの演奏で一緒に歌わせてね!」


 この言葉が、今後を左右する程の僕の指針となり励みとなった。

 次こそは最後まで楽しく演奏しようと。

 そして、もっとさくらには楽しんで貰おうと。


(次こそは、最後までこの感覚を維持出来るようにしよう!そして、さくらにもっと楽しんで貰えるように!!)


 僕の心に火が着いた瞬間だった。

 いずれ、さくらと同じように周囲をも巻き込める力を持てるようにと。

 それは空気を取り込んで更に燃え上がって行く炎と成れるようにと。

 そう心に誓った瞬間だった。

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