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ラグナロクRagnarφk  作者: 遠藤
新世界・少年期
51/85

050 棄てられた奴隷と貧民窟⑧ ~結託と決着~

※残酷な表現、不愉快な描写が含まれていますので閲覧する際は注意をお願い致します。

「ぶはっ!?...ここは?」


 全身に怪我を負っている赤髪の男が目を覚ます。

 いや、頬を叩かれた事によって無理矢理起こしたのだ。

 両頬はパンパンに膨れ上がり、これ以上は無理と言うくらいに腫れ上がっていた。

 そうして赤髪の男は目覚めて直ぐ、自分の頬を優しく確かめた。


「貴方に聞きたい事がある。丁度、僕と同じくらいの男の子を探しているんだけど...知っているでしょ?」


 丁寧な口調で聞いているが、相手からすればこれ程怖い事は無かったのだと。

 先程まで戦い(?)を繰り広げていた(手も足も出ずに一方的な攻撃をされた)相手が、自分の身体に馬乗りになってマウントを取っているのだから。

 目に見えて体重差があると言うのに、身動きを取る事さえも出来なかった。

 どう見ても子供だと言うのに、その行動はえげつないものだと認識してしまう。


「くっ!?お前は一体何者なんだ!?」


 頬が腫れ上がり口がまともに動いていなかった。

 その所為か、笑ってはいけない場面だと言うのに、ところどころ「ホフホフ」と聞こえてしまう。

 うん。

 少しやり過ぎたようだ。

 だが、赤髪の男は必死に抵抗し、話を続ける。


「俺達の仲間に手を出しておいて、さらには子供を拐うつもりなのか!?」


 僕がその言葉を聞いた瞬間。

 心臓の鼓動は「ドクン」と一際大きく波打つ。

 えっ?

 今こいつは、何と言ったのだ?

 

「僕が...子供を拐うつもり....だと?」


 「ドクン」

 大きく心臓が脈打つ。

 ああ赤髪の男が可笑しな事を言っているようだ。


 僕が子供を拐うつもりだと?


 それは違うだろう...


 先に拐ったのは...


 お前なのだから。


 「ドクン」

 僕の心臓から灼熱のマグマのように沸々と沸き立つ血液が身体中を巡る。

 どうしても抑え切れない怒りが僕の内側から外側へと、身体と言う殻に内包されていた魔力が合わさって禍々しく溢れ出す。


「...何を、言っている?」


 「ドクン」

 体内に燃え上がる感情とは反対に、周囲を凍えさせるような無慈悲なもの言い。

 その酷く冷え切った目で相手を見据え、胸ぐらを掴んでいる手には力が入る。

 今にも、その喉元へと手を持って行き、果汁を搾る取るように軽く捻り潰してしまいたい。


「...拐ったのは...お前だろう?」


 「ドクン」

 子供が出せる声では無い。

 いや、出して良い声では無い。

 その言葉に込められた思い(感情)は、発した言葉だけで相手の精神を蝕むもの。

 心臓を鷲掴みしているような、そんな生命の危機を覚えさせて。


「くっ!?」


 僕から放たれた魔力に気圧されてしまい、必死に絞り出す声。

 その声と同時に息を吸い込む時、「ヒィッ」と甲高い笛のような音が鳴る。


「なっ!?お、俺はそんな事をしていない!」


 「ドクン!」

 鼓動の音が先程よりも更に大きくなった気がする。


 していないだと?


 一体、どの口がほざいているのか?


 「ドクン!」


 ああやはり...


 やり過ぎた事なんて無かった...


 「ドクン!」


 いっその事...


 このまま...


 「ドクン!」


 僕の中で普段感じた事の無い、黒く闇い感情。

 怒りや憎悪と言った様々な感情が入り混じり、目の前の相手を跡形も無く消しさってしまいたい気分だ。


 ああ何だか...


 「ドクン!!」


 僕が、僕じゃないみたいだ。


「まっ、待ってくれ!本当なんだ!俺達は依頼されただけなんだ!拐われた子供を取り返すようにと!」


 相手が必死に言い訳(説明)を始めた。

 これは生命の危機を感じれば当然の行動。

 誰だって何も出来ずに死ぬ事など望んでいないのだから。

 足掻いて、足掻いて、必死に足掻いて生き残りたいのだ。

 どうしようも無く、死んでしまうその直前まで。

 僕だって逆の立場なら、自分の生命が助かる為ならば何だってやるだろう。

 ただ、赤髪の男が言った「拐われた子供を取り返すように」の部分が気になってしまい、僕の頭から離れなかった。


「拐われた...子供?」


 「ド...ク」

 鼓動の音が静かになって行く。

 僕の手に込められていた力も次第に緩んで行く。

 いつの間にか黒く、闇い感情は薄れており、心臓の音も緩やかなものになっていた。


「ああ!そうだ!俺等は誘拐された子供を取り返しただけだ!」


 成る程...

 この男は程が良く利用されただけのようだ。

 もしかすると、本当にそう言った事態もあり得たのかも知れないけれど。

 但し、その依頼を受けた相手が貧民窟スラムに住むようなこいつ等で無ければの話だ。

 何故なら、正式な依頼を冒険者ギルドに出す方が信頼も信憑性もあるのだから。

 だと言うのに、敢えてこいつ等を使う理由など一つしか無いだろう。

 それは、この依頼が秘密裏に進めて行く悪事だと言う事だ。

 それにもともとザックは街に捨てられていたのだ。

 死ぬ一歩手前の状態で。


「それは、誰に頼まれた事だ?」


 赤髪の男を問い詰めて行く。

 すると、僕との話し合いが出来た事によって、此処が勝負所だと感じたようだ。

 「生きられるかも知れない!」と、そんな希望を掴むように必死に言葉を紡ぐ。


「シャ、シャーザとか言う野郎だ!貴族か何かのお偉いさんみたいだ!ちょ、丁度今さっき子供を渡したところなんだ!」

「だから...か。ザックの反応が消えた理由は」


 これで、魔力圏の範囲からいつの間にかザックを含めた二名の反応が消えた事が解った。

 そして、ザックを誘拐させた黒幕についてもだ。

 すると、途端に僕は「スーッ」と頭が冷静になり、先程まで感情を支配していた敵意や怒りと言った感情が消えていた。


「では...その依頼主のところへ案内してくれますか?」


 僕は赤髪の男の身体を無理矢理起こす。


「...依頼主のところへか?お前を案内すれば良いのか?」


 こうして最初から話が通じるなら、相手の仲間を壊滅状態にした事は完全にやり過ぎだったろう。

 だが、こいつ等も良く調べもしないでザックを連れ去っているのだから自業自得だ。

 知らなかったから。

 他人に頼まれたから。

 そんな言い分が通用する話では無いのだから。

 こうなったのは至極当然の仕打ちであり、因果応報と言うものだ。

 もし、この事で僕がこいつ等を殺したとしても、文句の言えない行いなのだから。


「ええ、お願いします」


 僕はこの騒動の元凶を断つ為、赤髪の男に依頼主のところへと案内させる。


(さあ...他人を利用してまで、裏でコソコソとしている黒幕退治と行こうか!)




 僕と赤髪の男達がやり取りをする少し前へと時間を遡る。

 此処は貧民窟スラムの入り口。

 この場所にとても似つかわしく無い馬車が停車した。

 中から現れたのは身形の整った紳士風の人物。

 シャーザだ。

 ギュンターの仲間から連絡を受けて、わざわざ子供を受け取りに来たのだ。

 ただ、この時、何故貧民窟スラムの入り口で停車をしたのかと言えば、単純に馬車が通れる道が此処には無かったからだ。

 どうしても、この場所からギュンター達が居る廃墟まで歩いて行かなければならないのだ。


「くっ...此処は本当に臭い場所ですね」


 シャーザは鼻にハンカチのような布を当て、苦い表情を浮かべる。

 その表情から読み取れるのはウンザリと言った感じだ。


「この場所も、此処に住うゴミ共も、悪臭でしかありません」


 シャーザは貧民窟スラムの住人を人間だと思っていない。

 ゴミ捨て場(貧民窟スラム)に捨てられたゴミ(住人)の認識。

 依頼を出していなければ、こんな場所など生涯訪れる事も無かっただろう。

 心底嫌そうに貧民窟スラムの中へと入って行く。


「フッ。ですがゴミならば、いちいち消えたとしても問題ありませんからね」


 鼻で笑うシャーザ。

 ギュンター達には嘘を吐き、ザックの事を誘拐されたので連れ戻して欲しいと依頼をかけた。

 だが、シャーザ本人も、ザックがどのように生き延びたのかを解っていなかった。

 あの時、偶々ザックを見掛けただけなのだから。

 それならば。

 生きているならもう一度利用すれば良いし、生き延びたなら病気の完治例として手元に置けば良い。

 これで依頼が失敗したとしても、ギュンター達が死ぬ事になったとしても、シャーザは本気で問題無いと考えている。

 どちらも使われるだけの存在で、居ても居なくても良い存在なのだから。

 むしろそうなった場合「ゴミを減らしたのだから感謝して欲しい!」と思う性格だ。


「ああ。全く嫌になりますね。ゴミに頼む事になるとは...」


 貧民窟スラムを進み、目的地の廃墟へと辿り着くとシャーザは豹変する。

 ゴミ(住人)を人間として扱うように、分け隔ての無いとても紳士な人間を演じて。

 準備が整うと、廃墟の裏口から扉をノックする。


「失礼致します。シャーザです」


 こんなところでそんな事をしても通じないのだが、癖になっている事なので条件反射だ。

 (そう言えば此処では意味がありませんでした)と思い出し、扉を開けて中に入る。

 その際、律儀にも「お邪魔致します」と声をあげ。

 そして、中に居る人物へと話し掛ける。


「シャーザです。ギュンター様はおられますか?」


 すると、ギュンターの仲間がこちらまで来て迎えてくれる。


「シャーザさん!わざわざ来てくれてありがたいっす!今ボスを呼んで来るので、お待ち下さい!」

(言葉遣いもまともに出来無いゴミが、その口で私の名前を呼ばないで欲しいものだ...ああ。それに口が臭すぎる...我慢をしなければ...)


 心の中ではこいつらの事を嘲笑っている。

 そして、同時に途轍も無い嫌悪感を抱いて。

 本当なら今直ぐにも全身を掻き毟りたい程に苛ついている。

 こんな汚い場所に何故来なければ行けない?と。

 此処の空気を吸うだけで自分が汚れてしまうと。

 こうなると廃墟の中に居る事を拒んで、外で待つ事にするシャーザ。

 ただ、表情にはそれを微塵も出さないように、鉄仮面のような笑顔でひた隠す。

 すると、赤髪の男ギュンターが子供を抱えてやって来た。


「おお、ギュンター様!何やら早速、子供を取り返して頂いたそうで?」


 本来ならば、建物の中で落ち着いて確認すべき事だが、シャーザはそれすらも我慢が出来そうに無かった。

 わざわざ貧民窟スラムに足を踏み入れているのだ。

 依頼をかけた手前、そうせざるを得ないのだが。

 どうしても妥協出来るのは此処までだと線を引いて。


「ああ。あんたが言っていた子供だ。今は気を失っているが、この子で間違い無いだろう?」


 ギュンターがそう言って子供を見せて来る。

 ああ。

 確かにそれで間違い無い。

 それにどうやら健康状態が良くなっているようだ。


「ギュンター様。ありがとうございます!確かにこの子供で間違いありません。これで私共の主人もお喜びになられます!」

「そうか。それは良かった」


 その時シャーザはギュンターの評価を見直した。

 今回、偶々依頼を頼んだ相手なのだが、実はとてつもない有能なのでは思い始めて。

 それは依頼をかけてから数日しか経っていない事。

 頼んでおいてだが、子供の詳細が解らない状態で子供もギュンターも無傷な事。

 それ等が合わさって、このギュンターなる人物は唯のゴミでは無く、出来るゴミなのでは?と。

 それにギュンターの他人に物怖じしない態度も一役買っていた。

 これ等は全部、偶然の賜物で奇跡に近い確率なのだが、そんな事を知る由も無いシャーザ。


「ギュンター様。これが今回の報酬です」


 シャーザは金貨が入った袋をギュンターに渡す。

 そして、更に自分の懐から布ザイフを出し、報酬とは別に金貨をもう一枚手渡した。


「迅速な依頼達成ありがとうございます。これは私からの気持ちです。是非受け取って下さい」

「な!?シャーザさん良いのかい?」


 ギュンターは報酬が増えた事に驚く。

 何故増えたのか理解していないが。


「ええ、構いません。私の気持ちですので。どうか今後も何かありましたら宜しくお願い致します」


 丁寧に頭を下げてギュンターに畏るシャーザ。

 だが、その裏では、心の中では、如何にゴミを利用してやろうか?

 如何にゴミを使い潰してやろうか?

 そんな気持ちを隠して頭を下げていた。


(とんだ拾い物ですね。使える物なら、私の手足として使えなくなるまで、動いて貰おうではありませんか)


 心の中で想像して笑う。

 まるで、言う通りに行動する玩具の人形を手に入れたかのように。

 すると、廃墟の中が騒がしくなった。

 どうやら、ギュンターも中から大きな音が聞こえ、しきりに中を気にしている様子。

 もう取引が終わるところだが、未だ取引の最中である。

 シャーザを見送るまで、律儀にもギュンターは此処から離れ無かったのだ。


「シャーザさん。こちらこそ宜しく頼みます」


 深々と頭を下げるギュンター。

 一方は利用する事を。

 一方は仕事にあり付ける事を。

 お互いの事を理解しない勘違いが生み出したやり取り。

 ギュンターは生活の為の食い扶持の為ならば、悪い事に加担しなければ何でもやるつもりだから。

 仲間と一緒に生きて行く為ならば。


「ギュンターさん。子供を取り返してくれてありがとうございました」


 シャーザも中の異変に気付いたので早めに切り上げる。

 廃墟の中へと視線を動かし「どうぞ対処に行って下さい」とそんな雰囲気で。


「では、私は此処で失礼致します」

「ああ、シャーザさん。気を付けてくれ」


 ギュンターはシャーザの心意気を汲み、内心有難いと感謝する。

 だが、シャーザが此処から見えなくなるまで、その頭を下げ続けた。

 そう。

 此処までが僕とギュンターが戦う前のやり取りだそうだ。

 黒幕の居場所まで、案内をする最中に、ギュンター達貧民窟スラムの仲間の事、依頼主とのやり取り、その両方を事細かく教えてくれた。


(そうか。ギュンターも苦労していたんだ。ただ二人の会話の「今後も宜しく」とはお互いに違った意味なんだろうな...何だか可哀想に思えて来た)


 ギュンターの見た目や態度とは異なる仲間思いの性格を知り、僕達と似たその境遇から既に同情の心が生まれていた。

 それはギュンター達も、僕達と何も変わらずに必死に生きて来ただけなのだから。

 それも教会や孤児院よりも、もっと最悪な環境で。

 死が日常茶飯事の中で、仲間と協力し合う事だけで生き延びて来たのだ。


(本当に...生きるのって、難しい)


 ギュンター達は見た目にそぐわない正義感があった。

 その劣悪な環境に居た筈なのに誰一人として腐っていない。

 そして、ギュンターはメリルと同じ位に強い。

 しかも固有の戦技アーツ持ち。


(頑張って生きて来たのに...それが報われない人生なんて哀しいよ...)


 僕はこの騒動が終われば、彼等の力になろうと心の中で誓った。

 生きる事の楽しさを知って貰う為に。

 一緒にそれを知って行く為に。


 そして、此処からは子供を受け取った後のシャーザの行方。

 シャーザはギュンターから子供を受け取ると、その細腕に抱えて何とか馬車へと戻った。


「ふーっ」


 疲れから馬車の中で深い呼吸を一つ。

 直ぐに腕をダランと解放させた。


「まさか、子供の居場所も解らなかったのに、こんなに早く見付けるとは...あのゴミには対象を見付ける特殊な能力でもあるのでしょうか?」


 依頼をしてから直ぐの発見。

 これがギュンターの能力によるものならば、上手く利用すれば有効活用出来る。

 自分が望むものを見付ける事が出来るかも知れないのだから。

 まあ実際は解らないので、憶測でしか無いのだが。


「それにしても...何故こんなに状態が良くなっているのか?」


 シャーザは子供をマジマジと見つめる。

 奴隷時代は最低限の食事しか与えていなかったのだから。

 その時は、子供ながらほぼ骨と皮だけの状態でいつ倒れても不思議は無かった。

 それがどうした事だろうか?

 何故か以前よりも肉付きが良くなっており健康状態も良くなっているのだ。


「それに...傷が消えて...いる?」


 シャーザは人に触れる事を極端に嫌っている。

 特に自分がゴミだと認識している物には尚更だ。

 だが、今はそれを気にしている場合では無かった。

 身体に刻まれていた細かい傷が消えているのだから。


「まさか...治療手段があるとでも?」


 医術も医薬も発展していない世界。

 魔法はあれど、現状回復魔法を使える者がいない。

 だが、子供の身体に刻まれていたミミズ腫れのような切り傷は、流石に大きいものは残っているが小さいものは全て消えていたのだ。


「ん〜。これは豊潤な香りがして来ました」


 「スーッ」と鼻から空気を吸い込む。

 そして、顔を横に振りながら匂いを確かめるように。


「それも、飛びっきりに金の成る匂いが。クフフフ。これはお店に戻ったらじっくり調べる必要が有りますね」


 口が三日月を描くように笑う。

 いや嗤っている。

 狂ったように歪な表情で。

 こうして自分のお店へと戻って行ったのだった...




 貧民窟スラムでの戦いからその数分後。

 僕はギュンターに案内されて、今回の騒動の依頼主であるシャーザのところへとやって来た。


「此処がシャーザが居る場所だ。此処まで来て...どうするんだ?」

「ここって...ギュンター?ここがどんな場所なのか知っている?」


 僕はその建物の外観から解る事、看板に書いてある文字を読んで解る事、それらを見て純粋に疑問に感じてしまった。

 何故「あれ程正義感の強いギュンターが手を貸したのだろう?」かと。


「どんな場所って...主人がどうのこうの言ってんだから、お貴族様の家なんだろう?」


 腰に手を当てながら反対の手を差し出してギュンターがそう答える。

 「馬鹿にするなよ?それくらい俺でも解るさ」と少し得意げに。


「...じゃあ、ギュンターは、あの文字読める?」

「文字(?)って何だそりゃ?...っと言うかよ、どれがその文字って奴なのかも解らねえよ」


 ギュンターがその場で目を細め必死に文字と言うものを探し始めた。

 そうか。

 そうだったのか。

 此処は現代社会では無かった。

 僕はそもそもの事を忘れていたのだ。

 この街の、この国の識字率の低さをだ。

 誰しもが認識している事だと、そう当然に思って。


「ギュンター...これは奴隷館って書いてあるんだ」

「はあ!?奴隷館だと!?」


 ギュンターは声を大にして驚く。

 今の今までシャーザの話を信用しており、奴隷を保護している心優しき貴族だと思っていたからだ。


「ここは奴隷を売っているお店。確かにギュンターが言われた通り、奴隷は保護しているのかも知れないけど、それは商品としてだよ。決して善意では無い」


 僕はギュンターにそう説明する。

 奴隷を売っているお店なのだから、最低限の保護はされるのだと。

 ただ、それは商品が売れる為の保護なのである。


「...」


 ギュンターは言葉に詰まってしまい無言となる。

 自分が奴隷売買に加担していた事が解り、思いの外ショックが大きかったのだろう。


(と言う事は、シャーザは再度ザックの事を奴隷として売るつもりなのか...)


 それが解った時、先程ギュンターと対峙した時に蓋をしたばかりの感情から再度、憎悪にも似た嫌な感情が沸々と沸き上がり始めた。

 ああ...

 此処まで最低の相手なら、「いちいち本人に話を聞く必要はあるのか?」と。

 話し合いをせずに、「そのまま罰を与えても良いのでは無いか?」と。

 僕はそんな闇い気持ちを抱えたまま、店内へと入って行った。

 すると、中から身形を整えた若い男性が迎え入れてくれた。


「いらっしゃいま...!?」


 だが、直ぐにこちらの格好を見ては、僕達がお客様では無いと言う事を決め付けてきた。


「...此処は、お前達のような人物が来られる場所では無い!!もし、間違えて入ってしまっただけならば、これを差し上げますから今直ぐに出て行きなさい!」


 若い男性が僕達にそう伝えると、指で銅貨をピンと弾いた。

 どうやら、僕達を物乞いか浮浪者のどちらかで見ているようだ。

 確かにみすぼらしい格好をしている訳だが、見た目だけで判断するとは、なんて失礼な奴なのだろうか?

 まあ、この世界では金持ちが敢えて平民のような格好をする者など居ないだろうけど。

 すると、ギュンターが一歩前に出る。


「お前は何を勘違いしているんだ?俺はシャーザに用が合って此処に来ているんだ。依頼を受けたギュンターと言えば解るだろう」


 ギュンターが堂々とそう答える。

 そして、ギュンターが名前を告げた瞬間、相手の態度が一変したのだった。


「ああ、成る程。貴方がね...」


 相変わらず上からの物言いだ。

 だが、そんな格好をしているのだから気が付かなくても仕方無いだろうと言った感じだ。

 一応、先程までの態度を改めて申し訳無さそうにはしているが。

 

「先程までの御無礼、大変失礼致しました。直ぐにお呼び致しますので、どうかこちらでお待ち下さいませ」


 男性が僕達にそう伝えて頭を下げると、直ぐにシャーザを呼びに行く行動を開始した。

 奴隷館の中にはシャーザ専用の仕事部屋が作られていた。

 それは店主であるフクスに次いで権威の高い人物がシャーザになるからだ。

 社長がフクスなら副社長がシャーザと言った感じだろう。

 男性が部屋の前に辿り着くと、ドアを「コンコン」と2回ノックして中の様子を伺う。

 すると、部屋の中から「入れ!」と声が掛かった。


「シャーザ様、失礼致します」


 男性が扉を開け、部屋の中に入ると直ぐ一礼をして頭を下げた。

 この時、シャーザから声を掛かられるまで頭を下げたままだ。


「良い。頭を上げよ」

「はっ!」


 完全なる縦社会。

 これは行き過ぎているようにも感じるが、立場の低い者には人権と言うものが無い為、仕方無い事なのだ。

 下の立場の者には意見や権利など、何一つ認められていない。

 失礼な事をすれば、その場で仕事がクビになる。

 ましてや、その生命すら首を切られてしまう。

 簡単に人が死ぬ社会なのだ。


「...一体、どうしたのだ?」

「はい。シャーザ様。それが、ギュンターと名乗る者がこちらまでお見えになりました。どうやら例の依頼について、シャーザ様に御用があるみたいです」


 男性がシャーザへと説明する。


「ギュンターが此処に来ているだと?先程、子供を受け取ったばかりなのに...?」

「ええ。とにかくもの凄い剣幕で、それもとても急いでいる感じでした」


 男性がシャーザにそう告げると、「ピクッ」と何か不安を感じだらしい。

 このまま普通に応対しては面倒になると。


「解りました。では、直ぐに向かいます。その場で待って頂くように伝えて下さい」

「かしこまりました。ではそのように伝えて参ります」


 男性はそう言うと、シャーザの前で一礼し部屋を出て行った。

 そして扉が閉まると。


(どうやら子供に関しての嘘がバレたようですね。これもギュンターが持ち得る能力のおかげとでも言うのでしょうか?)


 一度取引が完了した後で、直接お店に来ているのだ。

 そうなると、依頼の内容についての事しか考えられない。

 報酬は当初よりも多めに渡しているのだから。


(理由は解りませんがどうやら依頼内容の嘘がバレたようですね。こうなると...何か不味い事になりそうですね。確か...ギュンターは非人道的な行いを嫌っていましたね)


 シャーザが以前に、様々な依頼を頼んでいたヴァイパーなら金さえ払えば何でもやってくれた。

 それこそ他人の誘拐から殺しまで全てを。

 だが、ギュンターはヴァイパーと違う。

 貧民窟スラムで暮らしている御山の大将の筈なのに、何故か悪い事(犯罪に繋がる事)をしたがらない。

 そして、仲間にも一切させていないのだ。


(子供を探した出した能力があると言う事は、私が此処で逃げたとしても見つかってしまうでしょう)


 シャーザはギュンターの能力を勘違いしているが、此処で逃げ出したとしても良い事は無い。

 後で見つかった時の方が制裁が何倍も面倒になるのだから。

 それならば。


(それならば...フクスのせいにしてしまいましょうか。私は何も知らず、ギュンターと同じように利用されたのだと!)


 他人への擦り付け。

 これは言わば言った者勝ちなのだ。

 現代社会のように物的証拠や状況的証拠によって裁かれる世界では無く、身分や立場が高い者の裁量次第なのだから。


(ああ、今度は!フクスに犠牲になって貰いましょう!私の生き様の糧へと!!)


 シャーザはこれまでも他人を騙して、陥れる事で今の地位を築いた。

 そしてこれからも、それが変わる事無く他人を利用して地位を向上させる。

 何故なら、他人に心の中を見られる事など無いのだから。


(さて、いつものように成りきれば良いだけです。圧倒的馬鹿な弱者へと!)


 シャーザは演技する。

 他人の些細な機微に気付けない世の中で、情報と言う武器が出回っていない世の中で、当たり前のように他人を騙して。

 そうして部屋を出て行った。


 奴隷館のエントランス。

 思ったよりも広く、ゆったりと寛ぐスペースが有り、如何にも高級な調度品が置かれている。

 此処は会員制のお店らしく、会員証が無ければ中へと入る事が出来無いらしい。

 すると、一際身形の良い男性が垂れ幕の扉を抜けて現れた。


「大変お待たせ致しましたギュンター様。...一体これは、どのような御用件でしょうか?」


 堂々と現れた男だったが、その表情は少し困惑していた。

 何をしに此処に来たのかと。

 すると、シャーザを見るなり直ぐにギュンターが怒鳴り付ける。


「シャーザ!?良くも騙しやがったな!?」


 それは当然そうなる。

 依頼内容を騙されていたのだから。


「ヒ、ヒィ!?な、何を仰っているのですか?」


 シャーザは怯えている。

 それも騙したと言う事が、全く身に覚えが無いように。


「奴隷の子供を保護しているだと!?此処は奴隷を売っている店じゃねえか!!」


 今にもギュンターはシャーザに飛び掛かりそうだ。

 僕はその勢いを身体を掴んで止めた。


「ギュンター!先ずは落ち着いて下さい」


 大の男が子供に静止されている絵面。

 それはとても不思議な光景だった。

 ギュンターは「でもよ!」と言った感じで許せない気持ちが前面に出ていた。

 だが、子供がギュンターを睨み付けると、それ以上子供に逆らう事はしなかった。

 

(な、何だ!?あの子供は何なんだ!?ギュンターを力で黙らしただと!?)


 シャーザは目を丸くしながら驚いている。

 そして全身に鳥肌が立つような、身の危険を知らせるセンサーが働く。


(何か...可笑しい...この子供は何かが可笑しい!!こいつは普通じゃない!!)


 「ワナワナ」と震えるシャーザ。

 今までシャーザは他人を見抜く力だけで、他人に寄生する事だけで生き抜いて来た。

 それまでの生命の危機も、自分の感覚を信じ抜く事だけで乗り切って来たのだ。

 そのシャーザの生命線と言える感覚が、今までで最大の危険を知らせている。

 このままでは生命が、人生が途切れると。

 だが、この時の表情はギュンターから襲われそうな立場だった為、違和感が全く無かった。


「貴方がギュンターに、子供を連れてくるように依頼したシャーザさんですか?」

「は、はい。我々の主人から頼まれましたので、私がギュンター様に依頼させて頂きました」


 シャーザに悪びれた様子は無かった。

 悪い事をしたと言う罪悪感が微塵も見えなかったのだ。

 それよりも今の状況に怯えきっている。

 主人に頼まれたから、依頼をかけた事はそうせざる負えなかったのだと。


(どうやらこの男も利用されただけか...奴隷館で働いているだけの筆頭販売員って言ったところか)

 

 僕は既にシャーザの手中に嵌っていた。

 騙されている事など、この時微塵も感じて無かった。


「僕はこの街で、捨てられて死ぬ直前の子供を保護したのですが、どうやらその子供は元奴隷だったらしくて...そちらの手違いで済めば良いのですが...主人のところへ案内して頂けますか?」


 釘を刺す。

 正直、命令されて動いただけの人物にこんな事を言っても仕方無いのだが、僕も今回の事には腹を立てている。

 今だったら子供を返してくれるだけで済まそうと簡潔に話した。


「は、はい!」


 シャーザは僕の有無を言わせぬ迫力に圧倒されていた。

 本来なら主人を立てて守らなければならないのだが、そんな事も考えられなかったのだろう。

 ぎこちない動きで主人の下へと案内を始めた。

 僕達は垂れ幕を潜り店内へと侵入する。

 その店内には男女関係無く、奴隷の種類によって、犯罪奴隷、借金奴隷、敗戦奴隷、特殊奴隷と管理されて売られていた。

 更に個人毎に等級が付けられて、まるでペットショップのように、造形が美しい者や能力が高い者には高級な値段が付けられて。


「何だよ...これは!?」


 ギュンターは怒りに震えている。

 他人が売り物にされている事は知っていた。

 自分の仲間にも数人だが、奴隷だった者がいる。

 だが、目の前で人間が売り物として並んでいる姿を見るのは初めてだった。


「クソッ!!こいつらが何をしたって言うんだよ!?」


 尤もだ。

 この中の何人かは本人が望んでいないのにも関わらず、強制的に奴隷になった者がいる。

 中にはどうしようも無く、奴隷になるべくしてなったイカれた奴もいるけども。


「あいつら奴隷を助ける為に、仕方なく買ってるって言ってたけど...これじゃあ逆じゃねえかよ...!あいつらこそが奴隷を売ってるじゃねえか!?」


 此処でようやく、本当の意味で騙されていた事にギュンターは気付く。

 言葉を聞いただけでは騙されている事を実感出来ていなかったらしい。

 まあ、それも仕方ない事。

 生きる為に自分の目で見たものだけを信じて来たのだから。

 但し、そのおかげで此処まで生きて来られたのも事実である。


「クソッ!!巫山戯やがって!!絶対に...許さねえ...」


 怒りが振り切れた事で、逆に冷静になったギュンター。

 これは怒りを溜めているのだ。

 爆発させるその瞬間まで。


「此処が主人の部屋です。今開けますので...」


 扉をノックするシャーザ。

 中から「入れ」と声が掛かった。

 扉を開けると部屋の中では狐顔の男が、机に向き合って書類仕事をしていた。

 集中しているせいか、こちらに気付いていない。


「フクス様。お客様がお見えになりました」


 シャーザは白々しくそう伝えた。


「お客様...だと?そんな約束はしていないのだがな...」


 書類仕事に区切りを付けて顔を上げる。

 フクスはその時にようやく異変を感じ取った。

 目の前にいる不自然な三人の組み合わせに。


「なっ!?何だお前達は?シャーザ!!これはどう言う事だ!?」


 フクスは目の前の状況を飲み込めていない。

 自分の腹心に、スラム街の不良、そして一際背の低い子供が居るのだから。


「フクス様。貴方が依頼した子供の事についてお伺いしたい事があるそうです」


 シャーザが弱々しい声でフクスに告げる。

 それはまるで、我関せずと言った様子。


「子供の依頼だと!?そ、それはお○△□!?」


 フクスは慌て過ぎている為、後半何を言っているか解らなかった。

 僕は前に出て、そのフクスなる人物に問いただす。

 この時、ギュンターを問いただした時と同じように、僕の心臓が「ドクン」と勝手に鼓動を大きくしていた。


「...子供を連れて来るように頼んだのは何故ですか?」


 「ドクン」

 僕は既に、目の前の人物が依頼の指示を出したのだと当たりをつけていた。

 ただ、本当はシャーザ発案になる事なのだが、僕はそんな事を疑う余地も無く、直接フクスへと理由を聞いてしまったのだ。

 この時、相手の発言をもっと注意深く意識していれば良かったのだが...


「こ、子供を?それは悪魔の呪いの子供...エ、エッケザックスの事か?」


 「ドクン」

 フクスはこの時、答え方を間違えた。

 子供の事ばかりに意識がいってしまい、シャーザとの共謀の事を言いそびれてしまったのだ。

 ただ、その時にシャーザの事を話していたとしても、あらゆる手を使ってシャーザは言い逃れをしていた事だが。


「エッケザックス...それが本当の名前だったのか...」


 「ドクン」

 ザックの本名エッケザックス。

 記憶障害になっても覚えていたのは自分の愛称だったのだろう。


「何故、一度捨てた筈の子供を、しかも奴隷と言う身分から解放した筈の子供を連れ去ったのだ?」


 「ドクン」

 僕は自分の言葉遣いが荒くなっている事に気が付かなかった。


「そ、そんなものは決まっているだろう!悪魔の呪いが解け、商品が生き延びているのだから当たり前だろう!」


 「ドクン!」

 商品だと?

 こいつは...


 「ドクン!」

 ザックの事を商品と言い放った。

 人間として扱うのでは無く、売り物なのだと傲慢な態度で。


 「ドクン!!」

 僕はその瞬間、それまで抑制されていた理性の箍が外れた。

 目の前の視界が暗くなるような、何よりも暗い闇に覆われて。


(ああ...こいつがザックを連れ去った...屑か)


 此処にいる他人ひとに対して僕の感情は冷え切っていた。

 グチャグチャと渦巻く闇い感情が僕の中を支配して。

 僕が普段感じる感情とは程遠い、何処か得体の知れない感情が芽生えて。


『マ...』


 僕のもう一つの人格であるプロネーシスの言葉は途中で途切れていた。

 いや。

 多分だが、意識的にこちらで遮断したのだ。

 だが、僕はそんな事すらも覚えていない。

 後になって思い返しても、この時の記憶がスッポリと抜けている感じだ。

 意識は無いのに身体は勝手に動いている。

 この時既に、僕の人格は何か違う者へと切り替わっていたのだから。


「...他人を喰い物にする卑しい屑が」


 闇い感情が表へと出る。

 周囲に漏れ出す魔力は血のように赤黒く、周囲のもの全てを、何もかも飲み込んでしまいそうだ。

 瞳の色まで変わり、赤く、血のような朱殷しゅあん色に変わって。

 

「自由を奪われ、強制される...自分では何一つ選択する事が出来無い、そんな悔しさを知っているか?」


 僕はフクスに向けて掌をかざす。

 すると、フクスは息苦しそうに悶え出した。

 喋る事の自由、動く事の自由を奪われて。


「なっ、何をするんだ...お前は!?」


 周囲に居る人間もこの空間に支配される。

 その場で地面に平伏し、身動きが封じられてしまう。


「おい?これは...どうしちまったんだよ...」

「ぐっ!!立つ事が出来ません...」


 ギュンターもシャーザも、ただただ巻き添えを食らってしまった。

 特にギュンターは自分が溜め込んでいた怒りを発散出来ずに、それよりも、もっと巨大な憤怒にのまれてしまった。

 こうなってしまえば、自身が持っていたちっぽけな感情よりも空間を支配する程の感情が優るのは当然だ。

 僕は続けてフクスへと問い掛ける。


「他人の痛み...他人の苦しみ...他人の悲しみ...お前は理解しているのか?」


 僕から溢れる魔力が、フクスに絡み付く。

 それは禍々しくも刺々しい。

 そして、フクスを圧縮するように段々と押し潰して行く。

 身体中を締め上げて、関節は可動域を超えて曲がり始めた。

 「ビキビキ」と骨が軋む音が気持ち悪い。


「そんな...事は...私には...関係...無い!」


 フクスは負けじと意地を張った。

 利用出来るゴミ(他者)ならまだしも、利用されるゴミ(奴隷)などに持つ感情は無いのだから。

 ゴミがどうなろうが知った事では無いし、どうしようがこちらの勝手なのだと。


「そうだろうな...ならば“私”にも関係無い事だ...お前が死ぬ事などな!!」


 感情が振り切れる。

 フクスに向けた掌を握り潰すように力を込めて行く。

 すると、フクスに絡み付く魔力が勢い良く縮小を繰り返し始めた。

 曲がっては行けない方向へと骨は折れ、皮膚という肉から骨が飛び出す。

 内臓はひしゃげてジュースのように血が絞れて滴る。

 「グチャグチャ」と醜い音と共に身体が小さく圧縮されて。


「グアァァァ!!」


 最初に聞こえた時は断末魔の叫び。

 だが、徐々に声にならない叫び声となって部屋の中に響き渡る。


「この世に後悔も残さず、跡形も無く“死ね”!!」


 僕は完全に手を握り締めた。

 フクスを包んだ魔力は縮小を始めて目に見えて小さくなり、最終的には爆発するように「パン!!」と弾け飛んだ。

 そして、その周囲にはフクスの身体を構成していた成分が液体と混じって飛び散る。


 僕はこの時。

 初めて他人を殺した。

 その時の感情は怒りに支配された醜い感情。

 だが、後悔は全くしていなかった。

 後で思い返したとしても、特に精神が病む事も無いだろう。

 他人を殺していると言うのに罪悪感も無い。

 “殺していいものは、殺されていいもの”なのだから。

 ただ、僕はそう簡単に死ぬ(殺される)つもりは微塵も無く、易々とそんな事もさせないのだが。


「ウヴォロオロ!!」


 「ビチャッ」と地面に吐瀉物が散乱する。

 シャーザが堪らず吐いてしまったようだ。

 ギュンターは血の気が引き、呆然としている。

 ギュンター本人も他人を殺した事はあるのにも関わらず、圧倒的な脅威を目の当たりにして。

 目の前の光景はそれ程悲惨で、精神的に辛く厳しいものだったから。

 僕はシャーザへと命令する。

 それはお願いでは無く、一方的な強制である命令をだ。


「シャーザ。ザックの居る場所へと案内しろ」


 他人を殺したと言うのに平然としている僕。

 それを見受けてシャーザは更に恐怖する。


(あまりにも...あまりにも平然としている?人間をこのように殺す事が...当たり前だと言うのか!?)


 シャーザは胃の中の物を吐き出して、喉が焼けている状態。

 声を出す為に水分が欲しいのに、気軽に飲める物がこの場には無い。

 口の中は渇いているのに、無理矢理生唾を飲み込んで声を出せる状態へと戻す。


「ゴクッ。...はあはあ。」


 この数秒の出来事で、顔はやつれ正気の無い顔へと変貌していた。

 シャーザは身体の内側から、焼けた喉から無理矢理声を絞り出す。


「は、はい!今直ぐに」


 当初シャーザが、僕から受けた感覚は奇しくも当たっていたのだ。

 ただ想定以上の結果で。

 この時、死と言う概念を、他者から植え付けられる恐怖を、深く心に刻まれて。


(こいつは...子供の皮を被った悪魔だ...決して逆らっては...いけない。それは欺いても...いけない。助かりたければ...今後関わってはいけない)


 そうシャーザは心に誓って。


「...子供の居る場所は此処です」


 ザックのところへと案内された僕達。

 ギュンターに至っては終始無言。

 僕達が案内された場所は牢屋にも似た部屋。

 そこにザックは閉じ込められていたのだ。


「開けろ」


 端的で明確な言葉。

 もはや子供と大人の立場が逆転している。

 だが、そんな事よりも、僕の感情を損なわないように素直に命令に従うシャーザ。


「は、はい!」


 手が震えながらも鍵を開けるシャーザ。

 その姿は情け無いもので、最初に僕達を欺こうと思案していた感情は何処吹く風。

 従能な下僕へと成り下がっていた。


「ザックは...寝たままか」


 色々と騒動があったが、気持ちよさそうに寝たきりのザック。

 図太い神経と言うか、知らないまま解決されて、丁度良かったのかも知れない。


「丁度良い。このまま連れて帰るか」


 この時には、僕は自分の意識を取り戻していた。

 先程までの記憶は曖昧だが、気持ち良さそうに寝ているザックが目の前にいるのだから、

 とすれば騒動は無事に解決出来たと言う事。

 ただ一緒に居るギュンターの表情は曇っていたが。


「フフッ。何も知らずに寝ているんだね...」


 騒動があった事など何も知らない、昼寝をするかのように寝ているザックを抱えた。

 その寝顔がとても心地良さそうだった。

 そして僕はザックを抱えたまま、ギュンターと一緒に奴隷館の外へと出た。

 その時、シャーザはその場で崩れ落ちてしまい、暫く立てそうに無かったので放って置いた。


(シャーザとは多分、二度と会う事も無いだろうから)


 今後、自分から奴隷と関わる時は救う時だけだろう。

 好き好んでこんな嫌な場所には来たく無いものだ。

 二人で外に出ると、今は日が落ち始めた夕方。

 地平線の向こうで赤く染め上げる太陽が揺れている。

 ユラユラ揺れている光はとても綺麗だった。


「ギュンター。ありがとう。これで無事にザックを連れて帰れるよ」


 僕はギュンターにお礼を伝えた。

 すると、驚いたように返事をした。


「な!?お、お前はさっきの事はどうでも...!?」


 ギュンターがあたふたと慌てる。

 僕はその様子に、その言葉が気になったので繰り返し聞き返した。


「さっきの事...?」


 だが、ギュンターはその事をはぐらかすように、思い出す事を止めるように、その会話を止めた。


「いや...それはもう良い...か」


 そして直ぐに話を切り替えて、今日あった事を振り返る。


「こちらこそ、本当に悪かったな...俺のせいでこんな事をさせてしまって...」


 ギュンターは本気で謝っていた。

 元を正せば、子供を連れて来たのはギュンターの仲間で、それも拐ったと言うよりも偶然発見した事なのに。

 連れ去ったと言う事は事実だが。

 そして、仲間の責任はリーダーである自分にあると男らしく認めて。


「ギュンター。良ければ、僕のところでちゃんとした仕事を始めて見ないですか?」

「ちゃんとした...仕事だと?」


 さっきの光景が鮮明に記憶されているギュンターは僕の言葉が信じられない。

 ちゃんとした仕事と言われても、他人を簡単に殺すような奴の言う事。

 同じ事を強要されるのでは無いかと。


「そう。僕達は畑仕事から、物作りまで色々としているんだ。ギュンター達も手伝ってくれるならば、大事な仲間達と一緒に食べて行く事に困らなくなると思うよ?」


 先程とは違った、刺の無いもの言い。

 それに仲間の事を案じてくれている事が、ギュンターの心へと刺さった。


「仲間も...か?」

「ええ。貧民窟スラムで一緒に暮らしている仲間も含めてです。実は...僕達もギュンターと同じように親の居ない身なんだ。まあ、ギュンター達よりは環境が良い場所で育っているけど、皆の気持ちは十分に理解しているよ?」


 ギュンター達を放って置く事は出来無い。

 その見た目や態度は誤解を生んでしまうものだが、性根は仲間を思い合える優しいもの。

 環境に左右された結果、今のギュンター達の価値観があるのだから。

 だったらその環境を整えてあげれば他人は変われる。

 苦しい環境に居ても、悪事に手を染めてこなかったギュンター達ならば間違う事は無い。


「そうか...それなら。仲間達も一緒なら、仕事をさせてくれないか?」


 この日僕は、教会や孤児院の家族以外に、初めて仲間が出来た。

 それも、今後お互いに信頼し合える仲間が。

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