048 棄てられた奴隷と貧民窟⑥ ~バイバイ~
「貴方達に、頼みたい事があります」
身形の整った男性がそう話し掛ける。
だが、その男性がいる場所は、その格好とは酷く不釣り合いな場所だ。
それもその筈で、此処は、イータフェスト領の貧民窟。
壁も天井も壊れている、ボロボロの廃墟の中に居るのだから。
どうやら、室内に家具らしい家具は置いていない。
それに似たような物を配置してあるのだが、どれも手作りで歪な形をしていた。
「...そんな格好をしたお偉いさんが、こんな場所にまで来て、一体俺に何の用だ?」
紅蓮に燃えるような赤髪の男性が問い返す。
この男性は部屋の中の一番良い場所に、何処からか持ち込んだ長い木をソファー代わりに座っていた。
股を大きく広げた状態で、その片方の膝に肘を乗せて拳を握っており、更にはその拳の上に顔を乗せている。
それは、周囲を自然と威圧するような傲慢な態度。
「ええ。とある筋から貴方は困っている人の力になってくれると伺いましたので、どうか我々を助けて欲しいのです」
身形の整った男性が赤髪の男性に懇願して行く。
その男性の格好から考えると、お願いしている相手よりも立場が上(貴族関係者)なのは明白だ。
だと言うのに自分よりも立場の低い相手に低姿勢でお願いしていた。
それは如何にも、何の力も持たざる弱者のように。
「ふざけるな!!金持ちが何しに来やがったんだ!?」
「オレらに助けて欲しいだと!?」
「テメェ、ふざけた事をぬかすな!!」
赤髪の男性の周囲に立ち並んでいる男達が叫んだ。
この血気盛んな男達は、身形の良い男性に対して今にも飛びかかりそうな様子。
だが、こいつ等は所詮煽り役にしか過ぎない男達。
名前すら無いモブA、B、Cだ。
「いちいち騒ぐな」
赤髪の男性が顔を乗せていない方の右手を上げて一言。
たったその一言で周囲は静まり返った。
すると、赤髪の男性は姿勢を起こして背筋を伸ばす。
そうして身形の良い男性へと真っ直ぐに向き合った。
「...オレに助けて欲しいとは、どう言う事なんだ?」
その言葉を聞いた身形の整った男性は、「おお!私の話を聞いて頂けるのですか?誠にありがとうございます」と、頭を深く下げる。
そして、地面を向いたまま相手に自分の顔が見えない角度で醜く笑った。
(クックック。どうやら事前に聞いた通りの人物。ヴァイパーと違って悪事に手を染める事などしないようですが、困っている人を見捨てられない偽善者...一体、お前は何様のつもりでそんな事をしている?まさか、正義の使者気取りのつもりなのか?)
心の中で黒く歪んだ感情が渦巻いていた。
心象の後半に行くに連れ、冷たく底冷えすような怒気を孕んだ感情が沸々と沸き上がる。
だが、その感情を表情や態度には微塵も面には出さない。
「実は...我々と一緒に暮らしていた奴隷が、居なくなってしまったのです...」
身形の整った男性がとても悲しそうに話す。
だが、その時。
赤髪の男性は、ある言葉に反応して周囲に威圧を生んだ。
「奴隷、だと!?」
怒りが込められたその言葉は、声をゆっくり発音しながらも勝手に魔力を放出して行く。
威圧や殺気を放つとは魔力を放出する事なのだ。
相手の覆う魔力よりも放出された魔力の方が大きければ、それが威圧なり、もしくは殺気となり相手を蝕む。
(やはりと言いますか、奴隷と言う言葉に反応しましたね。見るからに、廃墟に住む数人は奴隷の身分。嫌悪感が勝るのは仕方の無い事です。ですが...)
これは初めから予想していた反応だ。
事前に調べたチームの特性上、相手の性格上、こうなる事は解っていた。
「ええ...立場上は奴隷なのです。ですが、私の主人は一度もそのように扱った事がございません。それは勿論、私もです」
身形の整った男性が頭の中で描いたストーリーはこうだ。
主人は慈善家であり、虐げられた弱者を助け、理不尽に振舞う強者を挫く人物なのだと。
その志上、一人でも多くの虐げられた子供を救いたいのだと、強制させられている奴隷の身分から解放したいのだと、自らが率先して止むを得ずに奴隷を買っているのだと。
何故ならば、金だけは無駄にある貴族だから。
「奴隷は...食事をまともに摂る事が出来ますか?睡眠をしっかりと取る事が出来ますか?理不尽な命令に背く事が出来ますか?...見たところ、ここには同じ境遇の人が何人もいるみたいですね?」
奴隷と言う“もの”が、どう言う“もの”なのか?
それは者にはなり得ず、物になる“もの”。
その事実を周囲と共有するように、共感するように言葉を紡いで行く。
「...」
すると、その言葉を理解して赤髪の男性の怒気が薄れて行った。
それは周囲で騒いでいた人物達も同じようにだ。
皆が皆、奴隷と言う“もの”がどう言った“もの”かを痛感している事だから。
いや、実感している事だからだ。
何も言えずに、その沈黙だけが、男性の言葉だけが空間を支配していた。
「だとすれば、皆様は奴隷と言うものがどう言ったものかを知っている筈です。その答えを解っている筈です。私の主人はそれを見かねたからこそ、止むを得ず奴隷を買っているのです。奴隷が人として少しでも自由に生きられるようにと!少しでも楽しく生きられるようにと!」
これらは全て嘘から出た方便。
もしくは、戯言だ。
思ってもいない事を平気で口にする男性。
だが、その喋り方、タイミング、声の抑揚、動作、表情。
それら全ての動作を、絶妙な加減で巧みに操っていた。
まるで、世紀に名を残す究極の詐欺師のように。
「ああ...あんたの言っている通りだ。奴隷に人権など無い...それにあんたのその涙を見れば、嘘を言っていないと解るよ」
まさかの泣き落とし。
それに見事に騙された赤髪の男性。
先程までの威圧的な態度は形を潜め、同情心から来る優しさが溢れていた。
(クックック...ヒャーヒャッヒャッ!私が嘘を言っていないと解るだと!?何も解っていないんだよ!お・ま・え・は!!そう!な・に・も・な!!)
「すまないな。名乗るのが遅くなったが、オレの名前はギュンターだ。あんたの依頼、受ける事にするよ」
相手の心情を悟ってか、このまま放って置く事など出来無い。
ギュンターは心で感じた事を、思った事を直感で実行する人物だから。
まあ、その所為で薄汚れた大人に見事に騙されてしまっている訳だが。
「...一体オレ達は何をすれば良いんだ?」
この男こそが、イータフェストの貧民窟を束ねる人物。
先日、屋台通りで抗争を起こした人物であった。
「これは、これは、ギュンター様。依頼を受けて下さり、ありがとうございます。申し遅れましたが、私は、シャーザと申します」
恭しくお辞儀をする男性。
だが、この身形の整った男性こそが奴隷を物として扱っている人物だ。
奴隷館で働いているからこそ、奴隷と言うものを熟知していた。
それは立場も、境遇も、環境も含めて全てを。
そして、先程自分が言った事を強制的にやらせているのが、何を隠そうシャーザ本人だ。
主演俳優のように役になりきり、演技をしていた。
「実は、我々と一緒に暮らしていた子供が居なくなってしまったのです...これがもしも一時の事なら問題はありませんでしたが、我が屋敷には誰かに荒らされた形跡がございました...どうやら、その事からも子供が連れ去られてしまった事は事実のようです」
その言葉全てが嘘となる。
シャーザがザックを見かけたのは、前回ヴァイパーを探すついでに偶々見かけたあの時の一回だけだ。
その後は、シャーザの主人である狐顔の男に報告し、ギュンター達を利用する計画を練っていたのだから。
「拐われたのか?」
ギュンターの怒気が再び膨れ上がって行く。
「はい、そのようです。子供を連れ去った人物が何処に居るかは存じ上げませんが、どうか、私達の子供を救い出して欲しいのです」
「そんな事をするなんて...許せねえ!許せねえな!!そんな糞ヤローは!!オレのこの手でそいつを見つけ出して殺す!!」
眉間には皺が寄り、こめかみに太い血管が浮いている。
そして、爆発したその感情が周囲を威圧した。
この空間が急に息苦しくなるような、押し潰されるような、そんな不快感を伴って。
「...シャーザさん。その子供の特徴を教えてくれないか?それさえ解ればあとはこっちでやってやる」
こうしてシャーザの作戦は見事に嵌った。
上手く行った事を心の中で嘲笑い、これからこいつ等を利用し尽くすのだと。
それは最後の一滴まで搾り取るように最大限利用してやるのだと。
「あ、ありがとうございます!ギュンター様!!それでは、説明させて頂きます。先ずはこちらの人相書きを見て下さい...」
シャーザは、事細かに特徴を伝えて行く。
予め用意させていた人相書きと共に...
「ルシウス...?まだか...?おおきなき」
「ザック。あと少し登れば見えて来るよ」
僕達は山登りをしている最中だ。
思った事を直ぐ何でも口に出してしまうザック。
道中、同じ言葉を何度も繰り返し聞いていた。
「さくら...おなじなまえ...みたい...はやく!」
僕達の目的は、桜の樹を見に行く事。
前回、街に行った時、ザックが最も気にしていた事だからだ。
「ザック君。もう少しで広場に着くから頑張れるかな?」
さくらがザックに問い掛ける。
ザックは初めての山登りを体験し、息を「ハア。ハア」と切らしていたから。
既に限界が近く、拾った木の枝を杖代わりに進んでいた。
「さくら...なまえ...おなじ...きになる」
「ザック、ほら!あそこまで登れたら、もう広場だよ!」
僕、さくら、ザック、この三人で山登りをしていた。
僕は目的の場所が見えた事で、ザックを励ますように声を掛けた。
その山の傾斜が途切れる部分。
森で覆われたこの山は、広場部分から光が差し込んでいた。
道標みたいなその光は、とても綺麗で、とても輝いていた。
「あと、すこし...あと...すこし!」
僕達は、光のカーテンを潜って行く。
「ついた!!」
光のカーテンを抜けたその先。
一歩踏み出したそこは、様々な種類の花が咲き誇る広場となっていた。
中央には一つの巨大な大樹がそびえ立ち、いつ来ても、どんな時でも、その大樹からは満開の花が咲き誇っている。
それは、此処だけ外界から隔離された空間のように、季節を問わずに一年中。
「うわあ!!」
ザックは、目の前に広がる光景に目を奪われていた。
幻想的で、とても魅力的な光景に。
「あれこそが、ザックが見たがっていた桜の樹だよ」
「さくら...いっしょ」
空間を彩るように桜の花びらが舞う。
その光景に、ザックは口を開けたまま魅入っていた。
(この光景を最初に見た時はそうなるよね。ああ、“目を奪われる”とは、こう言う事だったのかってね)
「すごい...!!」
ザックは感動に浸っていた。
思考を置き去りにして目の前の景色だけを堪能するかのように。
僕もそれに感化された影響か、今この時を、この光景を、記憶に深く刻んで行く。
「...ねえ、さくら?さくらの声が...さくらの歌が聴きたいな?」
僕は目の前の光景を忘れない為にも、無性に、さくらの声が、さくらの歌が聴きたくなった。
「私の...歌を?...それは、何でも良いの?」
僕の急なお願い。
その事に少しは戸惑うかと思ったが、さくらは他に何も言わず、僕のお願いを快く受け入れてくれた。
「うん。さくらが唄ってくれるなら...何でも」
「解った。でも、改めてそう言われると、何だか恥ずかしくて唄い辛いね」
普段、気分が高まれば、自然と歌を口ずさむさくら。
だが、改めて僕から「歌って」とお願いする事で、それは嬉しい様な、恥ずかしいような、何だかこそばゆい気持ちになったみたいだ。
さくらは一度、深呼吸をしてその気持ちを切り替えて行く。
この時、一瞬で表情が一変する。
歌に対して真剣で誰よりも真摯なさくらは、その唄い出しから、その初動から、歌を大切にしている事が伝わって来る。
息を吸い込み、気持ちが整ったさくらが唄い始めた。
「♪♪♪〜」
それは、元の世界で言うバラード。
歌詞も解らない初めて聴く歌なのだが、その言葉の一音一音がハッキリと聞こえる。
その表情に、その動作に、その歌声に、自然と惹き込まれてしまう。
(ああ...僕が聴きたかった声だ。それにこの空間も相まって、さくらの歌がとても心地良い)
目を閉じながら唄う様も、笑い掛けながら唄う様も、行き過ぎた独りよがりの感情を込めるのでは無く、歌そのものに表情を彩る感じだ。
(...何だろう?...この身体の中から、勝手に温かくなる感じは?)
歌を聴いていると、自然と身体のヘソの部分から込み上げて来る温かさ。
それがとても心地良いものだ。
「♪♪♪〜」
桜の樹の周辺には、色とりどりの精霊が輝いていた。
歌に合わせて演出されたスポットライトのように周りを照らしながら。
さくらが、リズムを取りながら唄う様子は舞いの表現に近く、観ている者へと“何か”を訴え掛けて来る。
それは、想いなのか、想うなのか、人によって違う事だが。
それに、無理矢理歌を聴かせると言った厭らしさは無く、自然と聴き入ってしまう魅力に長けたもの。
更に言えば、楽器や演奏も無いと言うのに、歌以外の音が聞こえて来ると言う不思議。
「♪♪♪〜」
「からだ。あたたかい?」
ザックも僕同様に身体の中から心地良くなっている様子だ。
さくらは胸の前に手を組んで、祈るように想いを込めて行く。
すると、ギアが上がるように徐々に力強く、唄っている言葉に想う気持ちやその感情が爆発して行く。
歌そのものが、芸術だと思わせる魅力に溢れながら。
「♪♪♪〜」
(...ザック自体が光っている!?いや、光に包まれているのか?これは...一体、何が起きている!?)
「いたみ...とれる?」
ザックの傷付いた身体には全体を覆う光とは別に、傷に合わせて小さい光が収束していた。
それは、癒しの聖なる光。
効果は微小になるのだが、確かに傷付いた身体を治癒する光だった。
(回復効果だって!?歌に属性魔法が乗っているのか!?)
「きもち...いい」
身体中にあった軽度なミミズ腫れのような傷や擦り傷が、あたかも傷付く前の何も無かった状態へと戻って行く。
但し、目に見えて(一cm以上の)大きい傷はそのままであったが。
(やはり、思ったとおりみたいだ!!さくらは、歌に属性魔法を乗せられるんだ!! )
僕は、さくらの歌の力(魔法)を目の当たりにして興奮する。
さくらと魔力操作の訓練を始めてから属性魔法を乗せられるかを検証して来たからだ。
それは、もともと歌によって身体強化をしている、さくらがいてこその話になるのだが。
(しかも、まさかの上級属性だって!?魂位や職業の設定を無視しているとは!!)
ゲーム時代では、職業を選択して魂位を上げる事で魔法やスキルを覚える事が出来た。
だが、さくらはどう見ても魂位が低い状態だ。
それなのに、それらを無視して回復魔法を使用していた。
上級属性で、しかも聖属性となれば、通常職では覚える事が出来無いにも関わらずだ。
これは、ゲーム時代ではあり得ない事だった。
魂位を一定値上げてから上級職に就かなければ無理な事だったから。
まあ、そもそも歌う事で、身体強化が出来る事自体あり得なかった訳だが。
「...綺麗だ」
心の声が、口と言う檻を破って外に出ていた。
惹き込まれる表情や表現は、さくら自身が既に持っている魅力。
もし、同じ歌を違う人が唄えば、それは全くの別物に感じるものだろう。
優しさも、心地良さも、力強さも、自然と同調してしまえる共感力。
さくらだからこその歌だった。
「♪♪♪〜」
そして、歌がクライマックスへと向かう。
すると、周囲に流れる雑音は無音となり、音の無い世界でさくらの歌だけが聞こえて来る。
その声には感情が溢れた音が、歌には魔法が乗って僕達を包み込む。
興奮して心臓はドキドキしていると言うのに、頭の中は澄み渡りとてもクリアな状態。
そして、苦しさを全く感じさせない波の中に居るような心地良さ。
これは録音された音を聴いただけでは決して辿り着けない境地。
目の前のライブだからこそ、得られる感覚や感情だ。
(さくらの歌を聴くと、自然と感情が揺さぶられる...それは良い意味でも...悪い意味でも)
良い意味では、自然(強制的)に感情移入が行える為、自分の知らなかった感情の全てまで引き出してくれる点。
歌(曲調)に左右される事だが、自分の知り得なかった快感を得られる。
悪い意味では、感情移入がほぼ強制的に行われる為、自分では感情を抑える事が出来無い点。
泣こうとしてい(泣きたく)なくても、勝手に泣いてしまう。
それ程の影響力が、さくらの歌にはあった。
「♪ーーー!!」
そうして歌の最後の一音が止んだ時。
然も刻が止まったかのような静寂に包まれた。
「 」
それは、思考も、挙動も、感情の起伏の全てが止まった。
白い無垢なる空間。
この場が、その空間に支配されていた。
「...どうだったかな?」
歌い終わったさくらが、僕達に恥ずかしそうに聞いて来る。
だが、僕達が泣いている表情を見て、「えっ?えっ?」と戸惑ってしまった。
僕は、その言葉を聞き、ようやく我に帰る事が出来た。
(...さっきの感覚は、何だったんだ?集中の極地『ZONE』に達した時の、あの感覚に似ている気もするけど...)
ザックの方を見れば、「...おねえちゃん」と謎の言葉を発し、大粒の涙を流して泣きじゃくっていた。
歌の歌詞(言葉)を解っていない筈なのに、その音色と抑揚の二つだけで感情を刺激されたみたいだ。
その様子からも、ザックはそれ以上喋る事が出来そうに無かった。
僕が代わりに問いに答える。
「...大好きだよ」
僕は、さくらを真っ直ぐ見つめて答えた。
自分の中で、今一番支配している感情をそのまま伝えて。
「...え?」
さくらは大きく目を見開いて動きそのものが止まる。
それは脳の処理能力がオーバヒートし、「ボン!」と煙が上がったように。
「とても温かくて...とても優しくて...包み込まれるように心地良くて...でも、力強さがある...いつまでも、どんな時でも、ずっと聴いていたい。そう想っているよ」
僕自身、感情の処理が出来ていない為、自分がどんな表情をしているのかも解らなかった。
伝えたい言葉もチグハグで、間違い無く普段通りには喋れていなかっただろう。
自分でも、何を喋っていたのかを覚えていないのだから。
熱が冷めて行くように感情の起伏が緩やかに変化し、火照った僕の意識が段々とハッキリしてきた時、さくらの動きが止まっている事に気が付いた。
「...あれっ?さくら?ザック?」
どちらの反応も無い。
どうしたものかと思い、二人の顔の前を「おお〜い」と手を振る。
だが、それでも無反応だった。
どうやら、僕だけが正気に戻り、二人は未だに上の空。
地に足を着く事が出来ず、宙をフワフワと浮いている感じだ。
お互いに、いや三人共だが、心が満たされた事で“心此処に在らず”の状態だった。
(二人共どうしたんだろう?まあ、ザックが見たがっていた桜の樹は見れた事だし、あとは素材を回収して教会に戻るだけだから問題は無いだろうけど...)
目的は、あくまでも素材回収。
そのついでに桜の樹を見に来ており、ザックを連れて広場に立ち寄っただけなのだ。
「...じゃあ、素材を回収して教会に戻ろうか?」
話し掛けても未だに反応が無い二人。
あれ?
これは、正気に戻るまで待ってないと駄目なのか?
(もしかして、二人とも動け...あっ、大丈夫そうだ)
立ち尽くしている二人は意識が無いようで意識があり、無意識のまま僕の後ろを付いて来た。
これなら何とか帰れそうだ。
(...でも、歌による回復効果が発現したのは新たな発見だな。どうやら、ゲーム時代とは仕様が違う訳だけど、まるっきり違う訳でも無いようだ。ただ未だに、僕自身の魔法が使用出来無いその原因が解らないけれど...やはり、この世界が、独自進化をしているって事なのか?)
プログラムされたゲームの設定とは違い、出来る範囲の限度が無くなったのかも知れない。
例えば、今回の歌のように、歌う事で魔法を発現する事。
ゲーム時代で言えば、魔法の発動方法は二通りだけで、呪文の詠唱→魔力変換→魔法発動、もしくは、魔法陣→魔力注入→魔法発動が絶対だった。
詠唱短縮、詠唱破棄と言った発動までのショートカットが出来るこの流れは変わらない。
だが、その流れを歌を唄う事で魔法を発動している。
これは、誰しもが出来る事では無いと思うが、現にさくらはやってのけたのだ。
僕自身の魔法使用不可については解らない事だが、以上の事を踏まえても、この現実となった世界が、独自進化をしている事が容易に想像出来てしまう。
(でも、それなら...ようやく古代遺跡探索の目処も立った訳だ)
ギルドコアによる古代遺跡作成。
これは現状、魔法による回復手段が無い為に延期していた計画だ。
念の為、商業ギルドで他の回復手段があるのか探して見たけれど、どうやらそれも無さそうだった。
まあ、いずれは必ず挑戦していた事でもある。
ただ、回復薬や回復魔法が普及されていない世界では、怪我=死に結び付く。
それは、病気も含めてだ。
一応、薬草自体は恵の森で発見しているので、道具さえ揃えば回復薬は作成が出来る。
まあ、その道具を揃えるのに時間も費用も掛かる事を考えれば、結果的に大幅な短縮に成功していた。
(これで目的(史上最強の英雄)に向かう為の魂位上げが出来る!!)
僕は、そんな事を考えながら素材を回収して行った。
相変わらず二人は終始ボーッとしたままで僕の後ろを付いて来るだけだ。
もしかすると、さくらはいつもより顔が赤いので熱があるのかも知れない。
それにザックは自分の世界に篭ったように、何か独り言をブツブツ言っている。
この事からも早く教会に帰る事が得策だろう。
(まあ、とにかく、教会へと帰ったら二人にはゆっくり休んで貰おう)
今の僕が出来る事は、二人に休養して貰う事だろうと。
良く食べて、良く寝る事が一番。
そう信じて教会へと帰って行った...
そして、次の日。
二人は、すっかり元気な状態へと戻っていた。
良かった...
ただ、さくらだけ、僕と目が合う時にサッと目を逸らされている感じを受けた。
(...さくらに何かしたかな?...まあ、僕の気のせい(?)なら良いんだけど。まあ、これから街に出掛けるんだ。僕が何かしていたなら謝って仲直りしよう)
今日は街に行って何をするかと言えば、前回、街へ行った時、一騒動があった為に、串焼きを食べた後はそのまま帰る事になった。
その為、教会や孤児院で必要な布が買えなかったのだ。
今日は、その買い直しと言う事になる。
「皆さん。本日購入する布は、白い生地の物と灰色の生地の物です」
メリダが僕達に確認を取って行く。
目的の布を購入するのだが、教会にて、幾らお金に余裕が出て来たと言えども、節約をする事は当たり前になっている。
違う色の生地を、それぞれの最も安いお店で購入しているのだ。
「いつも通りですが、二種類の色の生地を購入します。それぞれの生地は、違う店で購入する事になりますが、今回は、時間の短縮も兼ねて二手に分かれましょうか?」
一応、前回から日が経っていると言えど、街の中に長居する事は危険だと考えたメリダ。
少しでも街に居る時間を省略する為に、二手に分かれて行動をしようと提案をする。
それは、大人以上にしっかりしている僕が居た事も起因していた。
ただ、この判断が、後々に取り返しの付かない事態を招く事になるとは誰も思っていなかった...
「そうですね...私とザック。ルシウスとさくらの二手に分かれて、それぞれの布を購入しましょうか?では、先に買い物が終わった方は、広場の池前で待ち合わせを致しましょう」
待ち合わせ場所は、前回、串焼きを食べた広場。
此処ならば解り易いし、迷う事も無い。
「では、ルシウスには、生地の購入代金をお渡し致します。心配はしておりませんが、くれぐれも無くさないように注意して下さいね」
これは、落として無くす事よりも、盗まれて無くす事への注意。
街の中にはスリが多く、気付かない内にお金を盗まれていた話なんてザラだからだ。
「はい。メリダ様。確かに受け取りました」
メリダから預かった硬貨袋を大事に懐にしまう。
まあ、スリを働くようなそんな輩がいたら、逆に返り討ちにしてやるけどさ。
それに魔力圏を広げれば対策はバッチリだ。
「さくらは、ルシウスから離れてはダメよ。ルシウスは、さくらをまもってね」
メリダが何かを企んだように優しく微笑んだ。
どちらも恋愛について良く解っていない子供ながらも、少しでも二人で居る時間を作ってあげようと。
僕は言われるがままなので、そんな企みに気付きもしなかったけど。
「では、メリダ様、行って参ります」
「メリダ様、行ってまいります」
僕とさくらは、メリダに頭を下げて別れの挨拶を交わした。
購入する生地のお店は、メリダ達が行くお店とは丁度、逆方向で真反対側。
「じゃあ、さくら、行こうか?」
さくらに手を差し出した。
僕は、メリダに言われた事を忠実に守る。
まあ、言われたからでは無いのだが、僕がさくらを傷付けた時に誓った事も含めて、僕達が離れない様にする為、更にはさくらを護る為だ。
「うん!」
さくらは、笑顔でそう言って僕の手を迷い無く受け取った。
その笑顔は、向日葵のように明るく咲いた笑顔。
この時のとても嬉しそうな表情が、一瞬にして僕の気持ちを明るくしてくれた。
(...良かった。さくらに避けられている訳では無かったみたいだ)
此処まで街へ向かっている時、目が合う度に逸らされていた訳だが、僕を避けての行動では無かったようだ。
(でも一体何故、目を逸らされていたんだろう?)と疑問が浮かぶが、取り敢えずは「フーッ」と深呼吸。
良かったと心から安心する事が出来た。
こうして僕達は手を繋ぎながら目的地へと向かった。
「...二人に何があったかは知りませんが、変に拗れないようにしませんと」
メリダが僕達の仲微笑ましく歩く後ろ姿を見て呟く。
二人は恋愛が解っていないからこそ、それこそ真っ直ぐに育って欲しいからこそ、余計な感情を植え付けさせ無い為にも。
(ザックには申し訳ありませんが、嫉妬や恨みと言った感情は性格を捻じ曲げてしまいますからね。まあ、二人からすれば、その感情すらも関係無いのかも知れませんが...)
メリダには、二人がそう言ったものを超えた絆や運命のようなものを感じていた。
まあ、実際に僕とさくらは、お互いの魂を共有しているのでそうなる訳だが。
「では、ザック。私達も行きましょうか?」
「うん!たのしみ!」
メリダ達は僕達を見届けてから、自分達の買い物へと向かう。
だが、丁度その時。
二人の背後で暗躍する人物達が居たのだった...
僕達が二手に分かれる数分前。
「なあ、おい!?アイツ見てみろよ!」
革のジャンパーに、革パンツを履いた男が、何かを見付ける。
「何だよ急に...って、アイツは依頼を受けた子供か!?」
同じ格好をしている、もう一人の男が気が付いた。
それは、シャーザから子供を取り返して欲しいと依頼を受けていた、ギュンターチームのメンバー。
チームメンバーは、その子供の似顔絵を全員が明確に覚えるまで叩き込まれていた。
その為、依頼を受けた子供の顔を見間違う訳が無いのだ。
「...何でこんなところにいるんだ?拐われたんじゃ無かったのか?」
一人は、疑心暗鬼に陥っていた。
何故、対象者が平然と街の中を歩いているのか?
これなら依頼をせずに、自分で見付けられたのでは無いのか?
対象者を偶然見付けた訳だが、何処か府に落ちない疑問が受かんでいた。
「おい!そんな事は、どうでも良いだろう!目の前に対象者が居るんだから、連れて帰れば金が手に入るんだぞ!?」
対象者とは、ザックの事だ。
二人からすれば、鴨がネギを背負って来た訳だ。
この言葉は、自分にとって有利になる上手い事が重なった時に使われる言葉だ。
由来は、鴨鍋にネギは付き物であり、鴨が自分でネギまで背負ってやって来れば、すぐに食べられて好都合である事からだ。
多くは、お人好しが、こちらの利益になる材料を持って来る事を言う。
もう一人は、大した労力を支払わずに、目の前に利益となる材料があるのだから、その気持ちが舞い上がると言うものだ。
「メンバーで分けると言っても、報酬は金貨だぞ!俺達がどんなに頑張っても見る事が出来無い金貨だぞ!」
シャーザが依頼した報酬は、前金で金貨一枚(100万ガルド)。
成功報酬で金貨二枚(200万ガルド)。
貧民窟で暮らす者にとっては、まさに一攫千金。
「ああ、そうだな。迷う暇なんて最初から無かった。子供を連れ戻して、サクッと依頼を終わらせようぜ!」
「ああ。これで俺達も腹一杯飯が食えるな!」
自分達が、本当は何をしているのか解っていない二人。
人知れず、悪事に手を貸している事に気付かない。
ただ...
ただ。
自分達が必死に生きる為に行動をしただけ。
一生に一度の幸運が、目の前に参り込んで来ただけ。
そんな二人に、確かに悪意などは無かったのだから。
「良し。万が一逃げられたら面倒だから、お前は回り込んで、そっち側からフォローしてくれ!」
「了解!まあ、子供一人だ。失敗する方が難しいだろう?」
二人の会話を傍から聞いていると完全に誘拐犯のそれであり、これから拐いますよと明言しているもの。
だが、本人達からすれば(依頼内容通りなら)子供を取り返すだけの話なのだ。
何にしろ、二人の見た目が悪かったのと、教養を持たないその言動(言葉遣い)の所為で勘違いをされてしまう事に。
“子供を拐った”のだと。
「じゃあ、連れて行こうか!雇い主様のところへとな!」
「おう!」
そして、先程の場面に戻る。
「では、ザック。私達も行きましょうか?」
「うん!たのしみ!」
メリダが僕達の方を見届けてザックから目を離している一瞬。
二人は、ザックを挟むように音も無く前後に立った。
すると、背後に立っていた方が、ザックを背後から両手で締め上げるように口と両腕を抑えつける。
「!?」
ザックは声を上げる暇も無かった。
そして、前に立っていた男が、周囲の視線を遮るようにザックを隠して行く。
此処までが本当に一瞬の出来事だった。
二人はザックを捕まえてすかさず、人通りの少ない路地裏へと駆け出してしまったのだ。
これは街を知り尽くしている者の地の利を活かし、見事な手際で完遂した。
周囲の人間に一才気が付かれる事無く、ザックを連れ去ってしまったのだ。
「そう言えば、ザックの服も新調しないといけませんね?ふふふっ。今のサイズではあまりにも...」
メリダがザックの方へと向き直した時。
そこでようやく、最悪な事態に陥っている事に気が付いた。
先程まで楽しく談笑していたザックの姿が無い事に。
「!?...ザック、どうしたのですか?ザック?隠れているのですか?」
最初は子供の悪戯で、意味の無い突発的な隠れんぼをしているのかと思ったそうだ。
強いて言えば、大人に構って欲しいが故の行動なのだと。
だが、待てども、周囲を探しても、ザックの姿は見当たらなかった。
「ザックー!?何処に居るのですか?」
気品漂うメリダの行動では、あり得ない行為。
人前で大声を出し、形振り構わずに必死で探していた。
大粒の汗を掻き、土埃で服を汚し、息を切らせながら。
メリダにとってザックは、それ程大切な人物になっていたのだ。
「ああ...ザック、何処に行ってしまわれたのですか?ザックー!!!」
こんな状況でも周囲の手助けが無い。
街の住人は、厄介事には我関せず。
これだけ沢山の人が居ると言うのにだ。
街の中に、メリダの悲痛な叫び声だけが響いていた...
向日葵の花言葉は、「あなただけを見つめる」「あなたを幸せにします」「あなたは素晴らしい」「愛慕」「崇拝」「情熱」と言った意味があるそうです。




