第13話『桔梗の花』
梅雨が到来した。
自然が豊かな虹ヶ丘には紫陽花が咲き乱れ、雨が降ればカエルが鳴きカタツムリが顔を出す。雨は好きとは言い難いけれど、この時期の風巡丘にはどの夢でも通っている。
誰もいない風巡丘には、私の傘を叩く雨の音しか聞こえない。空が灰色に染まっていていつもと全く違う光景を見せている風巡丘を少し歩いて茂みに向かうと、目当ての花々はきれいに咲き誇っていた。
「君たちはいつもそう。こんな雨の中でも……いや、こんな雨の中だからこそ、綺麗に咲いてるね」
雨に濡れてこそキラキラと輝きながら咲いているのは、綺麗な紫色の桔梗の花。この花の花言葉は、永遠の愛。
私は小さい頃から桔梗の花は好きだった。多くの花々は雨が降れば花弁を閉じてしまうのに、この花は雨の中でも綺麗に咲くのだから。まるで、逆境の中でこそ精一杯輝こうとする強さを感じさせてくれる。
その理論でいけば紫陽花こそ好きなんじゃない? とよく言われたけれど、私は小さな花を一生懸命咲かす桔梗の花のほうが好きだと答え続けた。でも、修平くんに教えてもらう前までは花言葉を知らず、ただの好きな花でしかなかった。
「あれは、三度目の修平くんとの恋だったかなぁ…………」
体感的には何十年も前のことだけど、私はあの時のことを鮮明に覚えてる。あの時修平くんが桔梗の花の花言葉を教えてくれた時から、私の桔梗の花へ対する見方は大きく変わった。
――――あの時の夢で、私は初めて、桔梗の花が好きということを修平くんに伝えた。
この、おそらく虹ヶ丘で一番綺麗に桔梗が咲き乱れている場所を見つけてくれたのも修平くん。修平くんは私が桔梗の花が好きだということを知って、わざわざ虹ヶ丘を隅々まで駆け回って一番桔梗の花が綺麗に咲き乱れる場所を探してくれたんだ。
そして私を雨の中連れ出し、この場所へ連れてきてくれた。この場所で修平くんは、とある話をしてくれたよね――――。
「懐かしいなぁ。あの時の夢も、特にお気に入りの夢の一つだったなぁ」
私は現時点でどれくらい桔梗の花を眺めていたのだろう。この雨の中でも綺麗に咲き乱れる花々を見ながら今までの膨大すぎる思い出を振り返っていると、時間の流れを忘れてしまう。
でも、さすがにそろそろ身体が冷えてきたかな。私は帰ろうと振り返った。
「……巡?」
「えっ、修平くんっ!?」
傘を差した修平くんがちょうどこちらへ来ているところだった。
「どうして修平くんがこんな所にいるの?」
「ああ、散歩だよ」
「こんな雨の日に?」
「そういう巡こそ、なんで雨の日にこんな場所に居るんだよ」
「……私は、これを見に来たの。私、桔梗の花が好きだから」
何も隠す必要はない。桔梗の花々を指差した。
すると修平くんは、ほうほうなるほどと頷いた。
「それなら納得だ。つまりこの場所が、桔梗の花が虹ヶ丘で一番綺麗に咲き乱れてる場所ってことだな?」
「うん、正解だよ。さすが勘がいいね」
「実を言うとな、俺は虹ヶ丘で一番桔梗の花を楽しめそうな場所を探して散歩してたんだ」
「えっ…………」
どうして? この夢の私は桔梗の花が好きだなんて言ったことないのに。
「最近の巡を観察してれば、巡が桔梗の花が好きだってことくらい分かるよ。どこかに桔梗の花が咲いてると巡はいつも見ていたし、巡が使ってる本の栞とかペンのデザインも桔梗の花。三日前に隣町にデートしに行った時だって、花屋さんで桔梗の花を見てたし、ガラス細工屋さんでも桔梗の花の置物買ってただろ? 巡は分かりやすいからな!」
「そっかぁ。修平くんは私のことよく見てるんだね」
「当たり前だろ。それで俺は、桔梗の花について調べてみたんだ。そしたら、俺も桔梗の花が好きになった」
「えっ」
「桔梗の花言葉は、永遠の愛。そうだろ?」
それで俺は桔梗の花について調べてみたんだ。からの流れに私は驚いた。
だって、完全にあの時の…三度目の恋の時の流れと同じだから。あの時の私は、花言葉までは知らなくて、この言葉を聞いた時にすごくびっくりしたし感動した。
今の私は全て知っている。でも、あの時と同じように答えよう。
「え、そうだったの?」
「知らなかったのか?」
「うん。桔梗の花は確かに好きな花だったけど、それは花自体が好きなだけで、花言葉までは知らなかった。でも、今の話を聞いて、桔梗の花がもっともっと好きになったよ」
「それは良かった。永遠の愛、まさに俺と巡にぴったりの花だと思うんだ」
「うん、そうだね。私と修平くんにぴったりの花」
修平くんは真剣な眼差しを向けてくれた。私は涙が溢れてきた。
でもこれは悲しみの涙じゃない。今の私は幸せでいっぱい。
「それで俺は巡と一緒に綺麗な桔梗の花を見たくて、ぴったりの場所を探し回ってたというわけだ。でも、巡は既に知ってたんだな」
ああ、なるほどね。やっぱり修平くんはあの時と同じで、この場所を探してくれてたんだ。
そうだよ、私はこの場所を既に知っていた。でもね、この場所を教えてくれたのは修平くんなんだよ。
「うん、私はこの場所が大好き。虹ヶ丘で一番綺麗な桔梗の花が見れるこの場所が、とってもとっても大好き。またこうして修平くんと、この場所で桔梗を見れるなんて、夢みたい……」
「また……?」
「ううん、なんでもないよ! ただ、まさかこんな形で修平くんとここに立てるなんて思わなかったから」
「俺もだ」
修平くんはハンカチを取り出して私の涙を拭ってくれる。そのハンカチの柄も、桔梗の花。
「なあ、巡」
「うん」
「この場所で、改めて約束しないか?」
「約束?」
「そうだ。前に隣町で、俺と巡の夢が同じだということが分かっただろ? これからもずっとずっと一緒に楽しく過ごそうって」
「うん」
「俺達の夢も愛も永遠に続くように。もう一度約束したいんだ。いいか?」
「うん、もちろん!」
私と修平くんは桔梗の花が咲き乱れる中で手を繋ぎ、互いに見つめ合う。
「巡、俺は永遠にお前を愛する。この先もずっとずっと一緒だ」
「私もだよ、修平くん。私は永遠に修平くんを愛して、この先もずっとずっと一緒に居るよ」
私と修平くんは互いに唇を重ねた。
ああ、まるで結婚式みたい。この世界がマトモな世界であれば、きちんと一緒に大人になって本物の結婚式を挙げられたかもしれないね。でも、この世界でそれは叶わない。
だからこそ、今こうしてこんな気持ちになれることが嬉しい。
雨の中、桔梗の花は雫をキラキラと輝かせながら咲き続けている。