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平成最後の町並みは、年越しの時と何か違う

 薄い鈍色の雲が、助手席の窓から見えるビルや家を雲の色に染まっている。今日は午後から雨の予報で、今にも降りそうだ。

 運転している父は、歩道にあふれかえっている歩行者が車道の往来にも足を踏み入れて運転の邪魔でうんざりしている。信号で止まった。


「人多すぎやろ。今日」

「年末だからやないの。天皇さん退位する日」

「なるほどな。言えとる。けど、年末より人多すぎやろ」


 父はハンドルに指二本コツコツ叩いて、人の多さに辟易している。スマートフォンを開くと『平成最後の日』とどの記事も大見出しでライブ中継や解説をしている。三一年ぶりに年号が変わるというのにみんな大はしゃぎで特集もしている。

 世間は大騒ぎしているのに、俺たちと来たらいつもの買い物の帰り。後ろには食料品が入ったビニール袋とついでに買った家電製品が後部座席に人の代わりに寝転がっている。まるで年越しのための備蓄みたいだ。


 難波の高島屋前の分岐点に入ると人の数がより増し、色も変化している。マルイの信号の所でまたひっかかった。

 横断歩道を歩いている人の中に鼻が高い赤茶色の髪の欧州系の人がいた。みんな長袖なのに、半袖とリュックを背負っているので周りからよく浮いている。窓を少し開けると映画の宣伝のコマーシャルの中にそれに負けないほどの中国語の大きな声が混じっていた。

 やはり外人も増えてきたな。俺が小さい頃は外人はほとんど見かけてなかったのに、ここ数年で外国人を見かけるようになった。特に中国人、スーパーでも中国語が聞こえてきて、誰が日本人か中国人かわからなくなる。それが良いか悪いか、よくわからない。別に犯罪を犯しているわけでもないし。迷惑をかけているわけでもない。ただ、耳に入ってくるのが違う言葉だから印象に残りやすい。

 信号が青になると父はブレーキからアクセルに切り替えて発進させた。御堂筋とは違い、高島屋の前の道路は一車線分しかなく先に進めずのろのろ発進だった。おまけに歩行者や自転車が側道を通過するので余計に足止めを喰らう。

 このあたり、休日でもこんなに人はいなかった。たぶん二〇〇〇年代ぐらいは。その頃の高島屋も、ガラス張りのスタイリッシュな見た目でなく、大理石の柱が積み上がってその屋上に宇宙を模した球体が乗っていたのが今も記憶に残っている。今は消防法のおかげでないが、屋上遊園地でよく遊んでいたっけ。俺の高島屋はあの大理石の柱だ。


「ダイソーの所でちょっと買いもんするから待っといて」

「わかった」

「お前、いつ出るつもりや?」


 買い物の話から唐突に家を出る話に変わった。


「住むところは決まったけど。どこも高い」

「バブルのころと比べたら、安いけどな。まあ今は給料低いから相対的に高いんかもしれんけど」


 バブル。たしかバブル景気って平成のころだったよな。あの頃は給料も高くてええ時代やったろうな。貯金もすぐたまって、家もすぐ借りれるほどに。羨ましい限りだ

 なんさん通りを少し抜けて、アニメアイドルのポスターが入り口に張られたゲームセンター前に車を止めると、父はシートベルトを外した。


「まあ、ゆっくり考えときや。ほな頼むで」


 父がバタンと運転席のドアを閉まる音が車内に響いた。バックミラーで父の細い背中が遠ざかっていくのを見送ると、ポケットに入れていた書類の紙を広げる。引っ張り出した契約書の空欄にボールペンで自分の名前を埋めていく。

 いよいよ家を出ていく。新元号と共に家を去っていく。早く出ていきたかったが、なかなか貯金がたまらず通帳とにらめっこする日々が続いていた。

 ようやく目標金額もたまり荷物とか色々纏めてGW明けに出ていく算段と相成った。家電製品もそのために自分の金で買ったもの。でも、免許持っているくせに運転がへたくそだから、父に車を出してもらった。まだ大きい道路は無理やろと言われたのが出発前に耳に残っている。


 ペンが止まった。自分の誕生日欄の所でつまづいた。なんで元号でなく、なんで和暦なんて使うのだろうか。いちいち逆算せんといかん。めんどくさい。

 携帯を弄って、自分の生まれた平成の和暦を検索するとフロントガラスから雨音が一つなった。見ると、いつの間にか霧雨が降っていて、フロントガラスに薄い水の幕が張っている。前がどうなっているのか見えなくて、運転席に上半身を乗り出し、ワイパーを作動させた。


 ワイパーのゴムがギュッと音を立てる。すると、景色がおかしいことに気付いた。最近拡張された難波の歩道が昔の狭い歩道に戻っていた。人通りも外国人の姿もなく、一人一人の顔が判断できるほどなぜかまばらで淋しい。

 まるで昔の光景を見ているような……

 また雨がガラスに細かい雨を塗りつけると、二本のワイパーがそれをふき取る。景色が変わった。恵美須町の交差点だ。

 子供たちが車の側面からスニーカーを蹴って走っているのが見えた。その子供たちが行く先には、青い看板がビル一面に飾られている今はなきソフマップ。子供たちはビニールカーテンの中に入るとゲームのおためしを必死に遊んでいる。交差点の向かい側にはナカヌキヤ。今のディスカウントストアの走りでいつの間にか撤退してしまった店だ。


 これは、昔の、平成のこの街の記憶?


 またワイパーが動くと今度はさっきと打って変わって寒々しいビルの前だ。

 電気屋と看板が掲げられている。どの店舗も、シャッターが下りていてゴーストタウンのありさまだ。人っ子一人いない。一体ここはどこなのだろうか。

 あれ? ふとどこかで見たことがあったことを思い出して、首を上げて目の前のビルに目を凝らした。

 オタロードのアニメイトなどが入っているビルだ。そうだ。この通りは、昔、いや平成だからそんなに昔じゃないけど、こんなに淋しい通りだった。

 今では車一台が通れないほど人やコスプレメイドが、歩行者天国でないのに闊歩している通り。けど昔は、いいのか悪いのか何も邪魔されず車が通れる通りだった。


 大きく変わったな。この街も。


 ワイパーがまた動くと、また場面が変わった。どうもこのワイパーは平成のこの街のシーンを写しているようだ。今になってどうしてこれが動くのかと考えようとするが、懐かしさが勝ってしまった。


 年末の特番で今年の振り返りをテレビでやっていた、けどあまり見る気が起きなかった。そもそも年末年始自体に何も思い入れがなかった。普通の休み感覚でラインにとりあえず『あけおめ』と入れるだけで特別な感情が湧かなかった。

 一年が短すぎたんだ。昨日の新聞を見てもすぐ最近のことだから感情が湧かない。でもそれが十年、二十年も経ったら。過去の出来事に、昔になる。

 俺は釘付けになって平成の大阪を見ていた。まるで昔の名作映画を見ているかのように。

 

 次々と切り替わっていく平成の大阪。今ではもう見ることができなくなったものが多すぎる。

 三十一年。平成の世は昭和と比べたら半分以下の年月だ。でも、やはり大きく変わっていった。映像を見るたびに、鼻の奥でその時の匂いが自動的に生成されて涙腺が緩んでくる。


 これが懐かしいというのか。なんかおっさんになったみたいだ。まだ二十も半ばなのに……


 ワイパーがまた動くと、今度はさっきと異なり父が夜の道を車で走っているシーンを映していた。

 どうしてこの場面が? と疑問に思うが父は今と異なり、皺は少なく、後部座席越しにでもわかるほどがっしりとした父の背中。もうあの頃は戻ってこない、忘れていた父の背中が確かにそこにあった。


 俺はどこかで見たことがあった。この場面を。何故か。


 そして父が赤い街灯がパッパッと照明がついたり消えたりするように夜道を走りながら、口を動かしているのをフロントガラスの反射で見えた。


――楽しみだな。お前が運転するのを。



「オトン!」


 ドンっと音が鳴ると画面は消えてしまった。


「えらい雨や。急に降りよった」


 父は、さっきの映像と違って皺がくっきりとあり痩せこけている。さっき購入したであろうダイソーのビニール袋には雨粒がついていた。

 ワイパーは未だに動いていたが、フロントガラスには今の難波しか映していなかった。


「……オトン大丈夫かいな」

「ああ、小雨やから問題ないわ。車動かすわ」


 父がシートベルトを締めようとすると、俺は口を開いた。


「オトン、俺してもええか」

「……ええで」


 交代して、俺が運転席に座る。父は助手席だ。

 シフトレバーに力を入れて、PからD入れて発進させる。だが、途中で車が走ってきたのでブレーキペダルを踏んだ。今度こそとペダルを外すが、また車が来たのでまたペダルをべた踏みした。

 がくんと車が大きく揺れた。こんなにガクガク揺らしたためか、父は眉をひそめた。


「ええかっこしたかったんかいな」

「……ん。まあ、新年やしな。俺も変わらんといかんとちゃうなかって」


 照れ隠し気に髪を弄ると、父はサイドミラーを指さした。


「ミラーよく見て。――今やハンドル切って!」


 アクセルをゆっくり踏んで、車一台しか通れないほどの狭い道を抜けていった。

 平成の時にはもう一台分通れたこの車道を。俺の運転で。


 平成よ。さようなら。

 

 令和よ。おめでとう。

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