表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/13

04:はじめての食事

 出された物を食べてはならぬ。

 約束を破れば、可哀想な娘よ。

 お前は二度と家には帰れぬ。

 この危険で恐ろしい場所に捕らわれるのだ――。



***


 

 着替え終わったジャネットは、トムとジョンが座っている食卓の前に出た。

 その姿に、ジョンはギョッとした。服が体に合わないのは仕方がないが、靴を履かず、裾をまくり上げているせいで、足首どころか脛まで露わになっている。

 なんて、はしたない。それに――と、ジョンがトムに目をやると、若い男は顔色は変えず、うんざりとした調子で言った。


「靴を履いてこなかったのを忘れていた」


 用意しよう、と呟いて、ジャネットに座るように手で指示し、「早く食べるんだ」と言うと、目の前の少女に興味が無さそうに、食事をはじめた。

 ジャネットは出された食事をじっと見ているだけだった。

 堅いパンと冷たい肉しかない。

 そのせいで、食が進まないのだろうと二人の男は思った。まさか食べ物と認識していない訳ではあるまい。

 トムは「食べなければ、働く力が出ないから、しっかり食べなさい」と厳しく言った。すぐにも親が迎えにくるはずだが、それまでに少しでも働くことの厳しさを体感させることで、自分がどれだけ恵まれているのかを分からせ、外の世界に冒険に出かけようなどと言う甘い考えを改めさせるのが目的だった。だが、これでは働く前に倒れられてしまう。


 男二人に見つめられたまま、ジャネットはしばらく、冷たい食事を見つめていたが、トムがもう一度「食べなさい」と促すと、ついにそれを口にした。

 その様子は”覚悟を決めた”というのがピッタリだった。


 貧しい内容の食事とは言え、そこまで意を決して食べるほど粗末なものではない。

 食べてみれば美味しかったのだろう。お腹も空いていたのに違いない。ジャネットは夢中で食べはじめた。



***



 食事が済んだら、すぐに仕事が始まった。

 トムはジョンに世話を任せ、どこかに行ってしまった。自分で保護したと言うのに、無責任な行動ではあるが、ジョンにはその心情が汲んでもあまりあった。

 無骨な老人も、少女の扱いが上手いとはいえなかったが、それでもなんとか裸足の彼女に出来る仕事を見つけた。


 トムが昼に戻ってくると、ジャネットは真剣な顔で、木べらを使って挿し木で増やした多肉植物を、小さな鉢に植え付けていた。

 通り過ぎようとして、彼女の歌う様な調子の声が聞こえる。小さな苗に話しかけているようだ。


「はじめまして、可愛い子。私はジャネットよ。さぁ、今日からここがあなたの新しい土地。深く根を張り、大きくなりなさい」


 手元はあぶなっかしいが、慈しむ様子で一つ一つの苗を丁寧に扱っている。

 足を止めてしまったトムに、ジャネットが気付く。


「あ! トム!」


 トムの眉が寄るが、ジャネットは我関せずと植え付けたばかりの鉢を持ち、満面の笑みで駆けつけた。


「これ、この子たちは何と言う植物? どこから来たの? こんな葉が厚い植物、初めて見たわ!」


「――水分をたくさん含んでいるんだ。

この植物はとても乾燥した地域に育つから、水を蓄えておきたいのだと考えている。

この植物が育つ場所は、一年に数回しか雨が降らなくてね」


 研究者の性として、質問されるとトムは答えてしまう。


「雨が降らない? それでどうやって生き物は生きていくの? そこは呪われた土地なの?」


「いいや、そういう気候なだけだ。この世に、呪いなんてないよ。そこに住む人たちに失礼だ。

人も植物も、少ない水をやりくりして暮らしている。たまの雨の日となれば、どこからともかく、一斉に生き物たちが現れる。

まさに生命力の爆発とも言える景色で、それはそれは見事な景色だった。

逆に、毎日、雨が降り続くような場所もある。そこでは、見たこともない大きな木が――」


 ジャネットの空色の瞳が輝いていた。

 トムは自分が家出娘の冒険心を萎えさせるどころか、掻き立ててしまったことに気づく。


「”呪いの森”には、虫や動物を食べる植物が生えているって本当?」


「食虫植物のこと?」


 面倒臭そうな調子ではあるものの、トムはジャネットの好奇心を心地よく感じていた。


「なぜ虫を食べるの?」


「土からの栄養が足りないからと考えられる。

ここの土で育てると、食虫する必要はないようだから、補助的な役割なのかもしれない」


 ジャネットはトムが説明するたびに、驚嘆の声が上げ、さらなる質問が始まる。

 またもや新しい疑問が出てくる。トムにも答えられない問いもあり、彼自身も新たな発見が生まれる。


「すごいわ。

みんな、それぞれの場所で生きていく為に工夫をしているのね」


 王立植物園別園が”呪いの森”と呼ばれているのは、生えている植物の珍しさや奇怪な姿からだった。自分たちには理解出来ない生態に、多くの人たちは忌避感を抱きがちである。それなのに、ジャネットにはそれがない。植物は水と栄養を得て、繁殖する。その方法と姿が、その土地に合わせて変わっているだけだ。とても単純に、しかし、深い理解を示したのだ。

 トムはいつしか彼女と話すのが楽しくてたまらなくなった。

 もともと、こうやって人と話すのが好きだった。


 ジョンはいつまでも来ないトムとジャネットを探しに家から出たが、二人が楽しそうに話すのを見て、声を掛けるのを躊躇した。

 そのおかげで、その日の昼食は、いつもより遅くなった。

 近隣の村から兵士の食事を作りに来てくれる女性は、ガーデナー親子の為の分も温かいスープを用意してくれていた。人数が突然、増えたことに戸惑いつつ、興味をもったものの、うっそうと茂る木々は彼女の視線を遮った。


 温かいスープはジャネットを満たした。

 午後は三人で村から届いた肥料を運ぶことになった。ジャネットの靴が用意出来たので、外を歩けるようになったのだ。昼食を作る女性が頼まれ、朝から村中を探して持って来てくれた。ジャネットの足を守ることになったのは、羊毛で作られた緑色の柔らかい靴だった。

 女性が少々、大袈裟に吹聴したせいで、巡り巡って、後日、”呪いの森”の新しい住人は、とても小さな足の持ち主らしいという話が伝わった。「なんでも人形用の靴だったらしいよ!」人々は、その正体を妖精――”良き隣人”ではないかと噂するようになり、ますます”呪いの森”を恐れるようになる。


 誇大表現とはいえ、ジャネットの身体は実際、華奢で、足は子どものように小さかった。トムはジャネットに厳しく当たらないといけないと思い直したものの、どうやっても、一人ではとても重い肥料の袋を運べなかったので、ジョンが片方を持った。ジョンにとっては足手まといで、作業は遅々として進まない。その代わりに、トムが二人の倍以上を運んだ。

 結局は、ジャネットは邪魔な存在なのだ。しかし、この家出娘は一向に懲りる様子がない。

 その日の夜は、疲れて夕食も食べずに、肥料の臭いをつけたまま、自分の部屋の隅で寝てしまった。

 ジョンは可哀想に思い、次の日の朝早くに火を焚き、湯を沸かしてジャネットに差し入れた。トムは何も言わなかったが、その日の朝食は牛乳に卵がついた。

 それからも男二人はジャネットを持て余し続けた。彼女は小さな刃物ですら持つのを恐れたので、軽作業であっても任せられないものが多かった。下手に怪我をされても困るので、無理強いも出来なかった。植え替えに適した苗も、そう何個もない。

 考えた結果、トムは自分の標本を整理させることにした。標本の貴重さと、慎重な取り扱いを教える。標本が入っている木箱は重いが、責任はもっと重いのだ。

 ジャネットは初めて仕事をした時と変らぬ真剣さで、それに向かった。いろいろな植物を見られるのも楽しかった。それに添えられるトムの書きつけを読むのも興味深い。

 夜ともなれば、トムもその仕事をしたので、二人は向かい合って作業をした。灯火の下で、ジャネットは丁寧に”竹”と呼ばれる植物で作られた攝子ピンセットを使い、乾燥させた植物を台紙に貼っていく。”竹”は軽くて丈夫な上に、当たりが柔らかく、弾力性に富んでいるので、繊細な標本も損なわずに掴める。ジャネットの手を傷つけることもない。

 灯火が揺れるたびに、ジャネットの姿が浮かんだり、陰ったりする。いまだ大きい男の服を無理やり着ているジャネットなのに、なぜか身体に沿った服よりも、より一層、その華奢な体型が際立って見えた。昼間と違って、手元が暗いのだろう、少し苦戦している白い指は、微かに震えていた。トムの手は完全に止まっていたので、ジャネットが顔を上げた時、それを見とがめらたのかと、”園長”たる彼は焦った。

 幸いにもそうではなかった。ジャネットは自分の仕事に忠実だった。


「さっき貼った植物と、同じに見えるけど、重複したものは貼らなくてもいいはずよね?」


 差し出された標本を見たトムは、頭を振った。


「そうかもしれないが、よく見ると、花弁の付き方が違う。これは違う種類の花だ。

だけど、こっちは、同じ種類の花」


「――全然、違うじゃないの!」


「いいや、花びらが八重だからそう思うけど、ここを見てご覧。ほら、同じだろう?」


 ジャネットがトムの手元を覗き込む。


「本当だわ」


「……」


 突然、トムが黙ったので、ジャネットはどうしたのだろうかと思った。


「同じ花なのに違う見た目で、違う花なのに同じように見える……」


「え?」


 トムはじっと標本を見つめ続け、不意にそれを置くと、机の上を片付けることすらせずに、自室に戻ってしまった。


「もう! なんなの!」


 ジャネットも集中力が切れてしまった。自分の場所だけ整頓すると、用意された納屋に戻った。


「ただいま、青い薔薇。今日はなんだか疲れたわ」


 あのトムの青い薔薇は、一週間経っても美しいままだった。それどころか、前よりもずっと青くなっている。その事実を、荷物を運び出し、簡易的な寝台を入れて以来、決して出入りしなくなったトムもジョンも、知ることは無かった。


 時々、不機嫌な様子になるが、最初に会った時よりも、トムはずっとジャネットに打ち解けるようになった。

 彼はせがまれて、自分が見て来た”外の世界”の話をするようになる。いつしかジャネットと二人で作業できる夜が来るのを楽しみにするようになってしまうほどだった。それどころか、仕事の合間の時間を見つけては、昼間、ジャネットを温室に案内しはじめた。ただし、あの青い薔薇が咲く薔薇園は避けた。ジャネットも薔薇よりも、他のものに興味を示しているから、いいだろうと理由を付けた。トムは彼女にあの薔薇園を見せるのが恥ずかしくなっていた。また、ジョンに対し、「もうすぐ帰るのだから、その前に、見たいものは見せてやろうと思っているだけだ」と、自分から弁解した。そして、ジャネットを返す宛てがついたとも言った。


 彼女は再び”閉じた世界”に戻る。それをトムは哀れに思った。苦労はしたが、自分のように”外の世界”を見て来たのらば、諦めがつくだろうに。

 ここは”外の世界”のものに溢れた”閉じた世界”であり、自分もまた、封じ込められている。ジャネットが喜んで見ている”外の世界”は、本当の”外の世界”ではないのだ――。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ