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10:希望と言う名の絶望

 旅の途中で手に入れた。

 美しい薔薇、一輪。

 甘い香りのする風が、彼の船を進ませる。

 辿り着いたその場所は、とても素敵で楽しい所――。

 


***




「伯母は私に”人を好きにならない”と約束させた」


 寝物語に、トムはジャネットに話しはじめた。


「なぜ?」


「人を好きになれば、子どもが出来るかもしれないだろう?

王家の血を引かない、王家の子どもが増えるのを、伯母は許さない」


 窓の外の嵐は止んで、細い月が出ていた。満月の夜にジャネットが来てから、まだ次の満月を見てはいなかった。そんな短期間に、あれほど守ったニミル公爵夫人との約束を破るほど、彼女に心惹かれるとは思わなかった。

 本能だと言い逃れようとしたが、無理だった。

 ジャネットを知れば知るほど、彼女を愛おしいという気持ちを自覚させられた。彼女だからこそ、約束を破ってしまったのだ。


「どうしてそんな約束、しちゃったのよ!」


 ジャネットが怒った。トムの胸元から覗く空色の瞳は、そこだけ夜が明けたかのようだ。しかし、夜の時間は残されている。トムはジャネットの銀の髪を梳いた。まるで月の光を手にしたような気分になる。


「母を人質に取られた。もしくは私自身だ」

私が死んだら母が悲しむ。母が死ねば……私が」


「やっぱり分からないわ。

そんな脅しに、なぜトムは屈したのよ。誰も助けてくれなかったの?」


 トムを助けてくれる人間は、多く居たであろう。

 従兄弟である国王アルバート、同じくウィステリア伯爵ランスロット、他にもたくさん。

 

「そうだね……でも、私はその時、ひどく厭世的な気分になってしまっていた」


 あの灼熱の船で自分がさらってきた植物を全滅させた記憶。南の島での心豊かな生活。

 母を安心させたいがため、帰ってきたものの、もう海には出られないのならば、自分はどうしたらいいのだろうか。貴族の生活は、彼の精神を救ってくれるとは思えなかった。


「我儘な話だが、母の近くでありながら、どこでもないどこかに行きたかった」


 ニミル公爵夫人からの衝撃的な告白を聞いた彼は、自分の動揺を両親に悟られない為もあり、かつてストークナー公爵家で務めていたジョン・ガーデナーに会いに行くことにした。

 ジョンは王立植物園の別園、つまり今、トムとジャネットのいる所で園丁をしていた。


『トーマスさまが苦労して持って来た植物です。私が責任を持って育てましょう』


 腕利きの園丁は、未知の世界から持ち込まれた植物をなんとか根付かせようと、心を配っていた。


「私も……私こそ、彼らに責任を持たなければならないのではないかと思った。

彼らはもうここから出られない。出たら生きていけないもの。逆にその生命力の強さ故、在来の植物に影響を与えると封じ込められているもの。

だから私もここで彼らと共に過ごそうと決めた」


 両親も、周りの人間も、トムの気持ちを慮って、その決断を受け入れてくれた。彼の変調は漂流の精神的な打撃が引き起こしたのだと思われ、それが和らぐまで、好きにさせた方が良いと判断されたのだ。しばらくすれば、彼の元の陽気な性格からすれば、きっと元気に戻ってくると信じて――。

 今では彼の事情を従兄弟たちも知る様になるが、当時、それを聞かされたのはジョン・ガーデナーだけだった。


「ここに閉じこもっていれば、他の人間に会うこともない。そうすれば、人を――愛せずに済む。伯母の希望通りになるし、私自身も贖罪を果たせるはずだった」


「全然、分からないわ」


「……ジャネット……」


「だってトムは私に教えてくれたじゃないの。

植物は様々な方法で繫殖するんだって。種を飛ばすもの。虫や鳥に運ばせるもの。山火事を利用するものだっているんでしょう?

彼らはトムを使ったのかもしれないわよ。

珍しい植物のフリをして、トムを使って遠くの地まで自分たちを運ばせたの。

そこで繫殖出来れば大成功。失敗しても……それはよくある話だわ」


 トムは絶句してジャネットを見た。そんな考え方、したことがなかったのだ。


「現にここで大繁殖して困っている植物があるんでしょう?

その子たちは成功したのね。新しい領土を得たんだわ。

……もっとも、そうね……追い出された子たちは可哀想に――」


 今度はジャネットが沈黙し、しばらくしてから口を開いた。


「でも……外に出たい気持ちも分かるわ。私もこうして、外の世界に根付くわけだし」


「――っ!」


「あら、なぜそんな顔をするの?」


「約定を破ってしまった。伯母は私を許さないだろう。私は構わないが、君に危害を及ぶのだけは避けたい」


 そうすれば守れるかのように、トムはジャネットをきつく抱いた。人を避けてきたはずなのに、そこに飛び込んできた美しい薔薇を、摘み取らずにはいられなかった。またも彼は、他人の土地に咲く花を、勝手に奪ってしまったのだ。

 彼女の親になんと説明する? 父親はいないらしいが、では母親はいるのか? 結婚させて下さいと言えるのか? トムは自問自答をした。


「苦しいわ」


「ごめん……でも、どうすればいい? 青い薔薇が出来なければ、伯母は私たち父子を許してくれない」


「青い薔薇?」


 ずっとこだわっていた薔薇の品種改良は、トム自身の望みでは無かった。ニミル公爵夫人が彼を嬲る為に出した条件だった。

 

「伯母は言った。

私たち父子は青い薔薇だと。エンブレア王家の紋章は薔薇。しかし、薔薇に青い色は存在しない。だから青い私たちは薔薇ですらない、何かなのだと。すなわち王家の人間ではない、と。

もしも――もしも、薔薇に青が生まれたら……私たち父子を認めようと。私を、母の元に返してくれると」


「どうしてその人の許しが必要なの? 別にその人がトムを認めようと認めまいと、なんだって言うの? そんなのトムになんの関係もないわ」


「そうだね……その通りだ……。

そんな風に思えれば良かった。でも、出来なかった。

王家の血をひいていないのならば、なぜ、私は幸せな子ども時代を奪われなければならなかったのか。

両親はなぜ、子を失った苦しみを味合わなければならなかったのだろうか。

あの人はそれを、私たち親子が王族であると偽ったせいだと言う。王家の人間ではないくせに、王族として振舞っている。その罰だと――」


 トムは目を瞑った。

 自分たちのあずかり知らぬことで、自分たちの存在を否定されるばかりか、罪とまで断じられた。

 それからトムは、青い薔薇を生み出すことに執着し始めた。もしも青い薔薇が生まれたら、何かが変わるかもしれない。それはニミル公爵夫人が与えた残酷な希望だった。叶えられるはずのない希望に手を伸ばし、もがき苦しむ。それは絶望だ。


「嫌な人」


 端的にジャネットはニミル公爵夫人を評した。それからトムの背中に細い手を回す。


「大丈夫。青い薔薇は咲いたでしょう」


「あの薔薇のことかい……?」


 ジョンから聞いた。あの薔薇はどうも本当に青くなったらしい。


「そうよ。その人に見せてあげればいい。青い薔薇は咲くんだって」


「ジャネット……」


 微笑むジャネットに、トムは曖昧な笑みを浮かべる。あの薔薇をもって青い薔薇が咲いたと言えるのだろうか。


「本当だって!」


 ぎゅうっと背中を抓られるが、しっかりと筋肉がついたトムの肉体に、ジャネットの力ではなんの痛みを感じさせることは出来なかった。


「青い薔薇はあるの……大丈夫。きっと上手くいくわ」


「……ああ……」


 抓る代わりにジャネットが背中をさすったせいで、トムは心地よい眠りに落ちて行った。ジャネットが現れてから、トムははじめてぐっすりと眠ることが出来た。

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