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01:”呪いの森”のトム

 ああ、お姫さん。

 あの森に近づいてはいけないよ。

 あそこは”呪いの森”。

 かつて我々のものだった古の土地に、我々が見たことのない生き物が住む。

 とても危険で恐ろしい場所になり――。



***



 その日は、満月が夏至と重なった夜だった。

 赤みがかった月が照らす荒野を、小さな影が走る。高い塀の前で立ち止まり、逡巡するが、すぐに隙間を見つけて入り込む。

 後から追ってきたと思われる影も、同じく続いた。


 

***


 

 鳴子が侵入者を知らせた時、トム・ガーデナーはまだ起きていた。

 すぐさま武器を取る。と言っても、それは草木を手入れするのに使う、鉈であった。

 二階で寝ていた”父親”のジョン・ガーデナーも飛び起きたようだが、その支度を待たずに、トムは走り出した。


 ここはエンブレア王国の王立植物園に付属する施設で、特に植物採集人プラントハンターと呼ばれる人々が世界中を周って集めた、珍しい植物を育て、研究している場所であった。別園とだけ呼ばれているそこは、十年前に荒野の中に作られ、いつしか森のように植物が繁茂するようになった。中央には、贅沢にも全面が硝子に覆われた温室まであり、世界中から集められた植物が植えられていた。そのどれもが見たことのないような不思議な形をしている上に、植物でありながら、虫や動物を食べるものさえいると言う。園長である彼、あるいは彼女は偏屈な人間で、一度も人前に出たことがない。

 貴重な植物が盗まれないように、また、不用意に繫殖しないように、高い塀が巡らせてあり、周囲は国から派遣された兵士が厳重に守っている。

 そのせいで王立植物園別園は、周辺の人々には疎遠で、ともすれば忌避すべき存在として認識されていた。彼らはそこを”呪いの森”と呼び、子どもたちは近づかないように警告するのであった。

 

 だが、珍しい植物ならば、きっと金になるに違いないと思う盗人たちには関係ないようだ。

 度々、侵入が試みられていた。


 今夜もそうであろうと、うごめく人影を見たトムは思った。


「何者!?」


 誰何の声を上げると、緑色の外套を羽織った男たちが、襲いかかってきた。


「ここにあるものは、お前たちが扱いきれるものじゃないぞ!」


 警告を発してみても、それがどうしたと言わんばかりだ。


「トム!」


 そこにジョン・ガーデナーも合流してきた。白髪の老人ではあったが、長年の庭仕事で屈強な身体つきをしており、鍬を持つ姿は恐ろしい。

 侵入者たちはすぐに及び腰になった。

 そうこうする内に、警備の兵士たちが駆け付ける。


「怪我はないか、トム?」


「平気です。父さんは?」


「私は大丈夫だ」


 父親には優しい声を出すトムだったが、警備の兵士たちには冷やかだった。


「園内を荒らすのは止めてくれ。ああ、そこ、下に花が咲いている! 踏むんじゃない!」


「おおっと!」


 暗い上に、至る所に貴重な植物が生えていることもあり、警備の兵士たちは身の置き場に迷った。


「仲間が侵入した者を追っている。

我々はまた持ち場に戻ることにするので、何かあったら呼んでくれ」


 そこで兵士たちは、早々に撤収することにした。

 朝になって「あれを踏んだ」「あの茎を折った」「あの果物を食べた」と言われてはたまったものではない。もっとも、最後の案件は、兵士の責任である。

 今宵の警備隊長は、特に一週間前に加入した兵士が何かくすねていないか確認した。木々に実る果物は一見すると美味しそうで、新入りは道端に成っているそれを失敬する感覚で持っていってしまうことがあったからだ。

 「美味しかったでしょう?」と聞かれれるだけならまだしも、稀に「お腹痛くなりませんでしたか?」と聞かれることもある。下手をすると、朝を待つ前に、もう一度、トム・ガーデナーの元に助けを求める羽目になることすらあった。

 この植物園に生えている植物は、生態が判明していないものばかりで、下手に手を出すと、その身をもって痛い目にあう。その噂が近隣に広まり、”呪いの森”と呼ばれる由来の一つにもなったのだ。


「加勢、ありがとうございます」


 ジョンが丁寧に挨拶すると、いえいえ、と警備隊長は愛想笑いをした。

 別園ができてからずっと勤めている園丁のジョン・ガーデナーは、大柄だが気が良い老人で、兵士たちや近くの村人たちとも上手く付き合っていたが、三年前にやって来た息子だというトム・ガーデナーはまったく反対の性格をしていた。船乗りをしていたというだけあって、よく日焼けした立派な若者で、整った顔立ちは賢く優しそうではあった……第一印象は。しかし、実際に接してみれば、どうにもこうにもとっつきにくく、嫌味な男であるというのが、警備兵たちの共通した印象となった。

 非番の者たちは、近所の村の夏至祭に参加して、飲めや歌えやの楽しい夜を過ごしていると言うのに、くじ運が悪かったせいで当直となり、こうして助けにくれば、感謝の様子も見せず、とっとと出ていけと言わんばかりのトムに、見せつけるように張り出した枝にぶつかっていく者もいた。


「さぁ、もう休もう。こんな夜遅くまで起きているなんて。身体に悪い……」


 ジョンがトムに声を掛けた。


「夜の間に、整理しておきたい標本があったので……」


 それは嘘で、彼の標本は昨日の夜と同じ状態だった。

 トムは空を見上げた。いつまでも粘っていた太陽が沈み、赤い月は、高い塀をようやく超えた。朝はもうすぐやって来るはずなのに、トムにとってはそれが永遠とも思える長さに感じられた。


「少し園内を歩いてきます。

今夜あたり、あの月夜に咲くという花が開いているかもしれない」


「まだ咲くには早い。昼間見た時は、蕾は固かった。

怪しいやつらが、残っているかもしれない。

草木や花ではなく、トム……トーマスさまのお命を狙っている輩かもしれません」


 完全に人の気配がなくなったのを確認して、”父親”は”息子”に恭しく言った。


「誰が? 伯母上? いいや、あの人は私が約束を守る限り、私の命を狙ったりはしないと誓った。

だから心配は要らないよ。少しだけだから……”父さん”は先に寝ていて」


 親しみと愛情が籠った”父さん”という呼びかけは、しかし、相手の不安や気遣いを拒絶するものだった。

 トムはそのまま、鬱蒼とした木々の間に消えて行く。

 ジョン・ガーデナーはしばらくそこに佇んでいたが、夜風に身を震わせ、小さな家の二階にある寝床に戻った。

 トムが昼間、ひどく嫌な思いをしていたのを知っていた。寝付けないでいるのも分かっている。今は一人になりたいのだろうという”親心”だった。



***




 風が雲を運び、赤みを帯びた月を隠してしまった園内を、勝手知ったるトムは迷うことなく進んだ。

 薔薇の香りが鼻腔をくすぐる。そこは一般的な目で見ても比較的まともな場所で、所謂、普通の薔薇園に見えるだろう。

 昼間にも来て、嫌な思いをさせられた場所なのに、また足が向いてしまった自分に苦笑していると、そこに自分以外の何かの存在を感じとった。


「誰かいるの?」


 静かな問いかけに、小さな影が震え、ポキっと音がした。

 瞬間、塀に囲まれた園内に、強風が吹き荒れた。

 風で葉っぱ同士がこすれたにしては不自然な、悲鳴のような音が上がる。

 まるで「ああ、薔薇を折った」「薔薇を折ってしまった」「折った」と叫んでいるようだ。


 トムは眉を顰める。


「薔薇を折ったのか?」


 刺のある言い方に、人影は焦ったように弁解した。


「そんなつもりはなかったのよ!

とても良い香りだったから、匂いを嗅ごうとしただけ!

あなたが突然、話しかけたりしなかったら、折ったりはしなかったわ!」


 雲が移動し、月が再び現れた。

 この国では月は美しいからといって、あまり眺めてはいけないものと言い伝えられていた。月を長く見ていると、精神が月に持っていかれるという。

 だが、東の果ての国に行けば、その認識が一変するのを、トムは知っていた。人々は月を見るために夜遅くまで起きて、その姿を愛で、捧げ物をし、詩まで作る。月にはこの世ならざる美しいお姫さままで住んでいるそうだ。

 

 そんな月が照らしだした人影は、一人の女性の姿だった。まだ、少女といってもいいかもしれない。その狭間の若い娘だ。

 トムは、彼女の中に自分の求める全ての”色”が存在していることに驚く。

 一部を細かく編み込んで花冠のように額に巻き、残りは背中に垂らしている髪の毛は、まるで冴え冴えとした冬の月のような銀色。彼をまっすぐ見つめる瞳は、春の空を映したような明るい水色だった。トムに咎められ、不満そうに尖らせている唇は紅色の薔薇のように鮮やかで、肌は染み一つ無い乳白色の薔薇のように瑞々しい。

 先ほどの侵入者と同じ、緑の外套を羽織っているが、こちらの縁には金糸で複雑な模様の刺繍が施されている。左手には同じような模様が施された金の腕輪。いい家の娘なのだろう。上品で美しい顔立ちをしている。

 ただし、外套の下は白いドレスを着ているが、少し前にエンブレア王国で流行ったコルセットの無い、薄手のものだった。その上、靴も履いておらず、逃げる為に必要だったのだろうか、裾を腰に巻いた帯に挟んで、膝までたくし上げていた。足を見せるなんて淑女のする格好ではない。荒野を歩いてきたはずなのに、一つの土の汚れもついていない白い脛は、ともすれば扇情的であるはずなのに、どこまでも清楚で無垢だった。

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