歪な希望
力を込め踏み込んだ右足が黒く変色し、その形を人ならざるものへと変貌させるが今はそれを気にする余裕はない。
いつもより力が込められる。
その事実だけで充分だった。
「おら――ァッ!!」
振り抜いた右腕が柔らかな感触にあてられた。
少女が咄嗟に展開した水の壁だろう。
壁が邪魔をするのなら壁ごとぶち抜けばいい。
右腕に力を込めた。
ビキビキと咀嚼音にも近い音が腕から鳴り、その姿を黒色へと変色させる。
赤黒い血管のような筋が所々に入っており、左腕、右足と同じく形も変わっていた。
爪は伸び獣のように。
皮膚には鱗のような物すら垣間見える。
まるで引っ掻く事を重要視する為と言わんばかりに手が肥大化しそれに伴い握り拳もいつもより大きくなる。大きさは三倍程だろうか。
「い゛――ッ!!?」
可愛らしく悲鳴をあげて吹き飛ぶ影。
水の壁を破壊され攻撃をその身でもろに受けた少女のものだ。
そのまま地面へ落下し、軽く悶えていた。
「……お、お前……っ……それは……その姿はなんだ……」
怯えた表情で少女が問いかけてくる。
なんの事だ? と首を傾げていたが、時期に理解した。
顔に手を当てて見れば異物のようなものの感触がある。
恐らく牙だ。
俺の犬歯が異様に長く飛び出しているのらしいが、そんなに怯えなくていいじゃないか。
「ただの牙だろ? 特異能力で生えてきたんだ」
「……クソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソが!!! もう手加減なんてしない!! 後悔すんなよな!!!」
「しまっ――」
俺がそう思った時にはもう遅かった。
少女はもう一本注射器を取り出し自らへ打ち込む。
「ぶっ――ぐぅ……っ!!」
目、鼻、口から血を吹き出し、それでもなお消えぬ闘志を向けてくる少女に、俺は思わず後退ってしまった。
「そこまでして俺を殺したいかよ」
「当たり前よ……。限界の限界を超えた私の能力を見せてあげる――!!」
突如として出現し撃ち出された五本の水柱。
それを全て躱しきる。
確かにさっきより速度は上がっているが、今の俺の反応速度は更にそれを上回っている。
「囮だばぁぁぁか!!」
水柱は囮だったらしい。
五本目を躱し、隙のできた瞬間を狙うように少女が飛び出してきた。
彼女の右ストレートを右手で受け止め、蹴り上げられた左脚を左手で受け止めた。
お互いに見動きが取れない状況となる。
俺は両手を塞がれ、彼女は手と片足を塞がれている。
両足で立っている分俺の方が有利なのだが、だからといって迂闊には動けない。
この少女は片腕がないからと言って甘く見ていい相手ではなかった。
「囮とか……よめてたんだよ」
実際は思い切り虚をつかれたのだが、虚勢を張る事にした。
頬を釣り上げ、小馬鹿にしたように少女を笑う。
「そうか。じゃあこれもよめてた?」
俺の煽りなんて気にも止めてないらしい少女が指をさした先――俺の後ろには二本の水柱があった。
「しまっ――」
両手は完全に塞がれている。
防ぐのは無理だし、跳んで離脱も不可能だ。
今ここで射出されたら確実に俺の背中に突き刺さる――。
やばい。やばい。やばい。
ここまでか。俺じゃこの娘に勝てなかったか。
剣さんを守れなかったのか。
俺の背中を狙つ水柱を睨みつけ、諦めかけた、希望を捨てかけたその時だった。
後ろで倒れ、俺を見ていた剣さんと目があった。
何かを言おうとしていたが言う体力すらないらしい。
ただ分かった。
その目はこう言っていた。
諦めるな。君は生きろと。
俺に希望を投げかけてくれていた。
「射出。死んじゃえ」
「死ねるかあああああぁァァッ!!!」
突き出した。
両方の脇腹から各一本。計二本の腕が突き出し撃ち出された水柱を掴み止めた。
その腕の色は真っ黒。黒めいている左腕や右腕。右脚とは度が違う黒さ。
「なっ――!!」
「喰らえッッ!!!」
驚愕で身を硬直させた少女の体を、水柱を投げ捨てフリーになった真っ黒な右腕で殴りつける。
この新しく生えてきた腕は元の腕より力があるらしい。
その小さな体は、軽々しく吹き飛んでいった。
「ぐ…、がぁ……っ…………はぁ……はぁ……ぐっ…、」
倉庫の壁に叩きつけられた少女。
どうやら薬の効果が切れたみたいだ。
苦しげに息をあげたまま、反撃してくる気配がない。
彼女へ向かって一歩、また一歩と歩いて距離を詰めた。
その際、少女の能力の残骸だろうか。所々にできた水溜り。
そこにうつった自分を見た。
目は充血し、頭からは黒く禍々しい角が生えていた。
黒い牙も生え、手足は黒く変色し、脇腹からは二本の腕が生え阿修羅を思わせる四本腕。
足に関しては人間の足というよりはダチョウやヒクイドリのほうが近い。
とても人とは思えない風貌だった。
「はははっ……お前の能力は希望を力と変える能力だって……?」
「……」
少女の言葉に無言で肯定する。
「そんな……そんな歪な物が、希望の形なのかよ――」
鈍い音が聞こえた。
少女の体を俺の真っ黒な腕が叩きつけたのだ。
死んではないと思う。
意識を手放し横たわる少女を見て少し不安になるが、大丈夫なはずだ。
勝った。
なんとか少女に勝て――
「あれ……」
気が抜けたせいだろうか。
体に力が入らない。
豪快な音をたてて倒れ込んでしまった。
特異能力も自動的に解除されてしまったのか、脇腹から生えた真っ黒な腕は姿を消し、手と足の変色変形も元に戻っていた。
でもよかった。
少女に勝てた。剣さんを守れた。
それだけで充分だ。
そんな勝利の余韻を邪魔するかのように、五人の人間が倉庫へと入ってきた。
その人間は皆、機動隊のような特殊な武装に身を包んでいる。
「な……んだ……」
切れ切れの声で問いかけるが返答はない。
彼らは三人で俺を囲み、残り二人で剣さんを囲んだ。
「ブートンさん。俺です。どうやら薬物被検体の……結でしたっけ? は負けたみたいです。俺達がこの顕現者を連れて帰りますね」
俺を囲む三人のうちの一人、恐らく五人のリーダーだと思わしき男が右耳を抑えながら言った。
インカムでも入っているのだろう。
……なるほど。こういう事か。
あの少女は何らかの理由で俺の捕獲を命じられた。
そんでもって失敗したからこいつらが突入してきたのか。
不味いな。いくら顕現者が対人では強いって言っても、見動き取れないんじゃ話にならない。
「おい。拘束しろ。連れて帰るぞ」
リーダー格の男の命令。
それに周りの人間も頷き――
「まさか俺が出ることになるとはね、いやまぁ、剣の介入に独那の覚醒。想定外が続けば仕方なしか」
皆一斉に振り向いた。
視線の先は倉庫入り口。そこに立つ人影だ。
その人影は――
「任せとけ独那。今助けてやる」
「ヨキさん!!」
ニヒルな笑みでそう言った。