捨て身の復讐
彼女の獲物は拳らしい。
尋常じゃない程の力が込められた右手が俺の顔へと放たれた。
顔を右へ逸らす事で回避したが、そこを狙うように左ストレートが繰り出され直撃してしまう。
「ぐっ……」
漏れ出た嗚咽を聞いた少女が嬉しそうにその顔を歪め、手を緩めるものかと追撃を開始する。
俺もそれを大人しく受けてやる義理はない。
後ろへ飛んで追撃を躱す。
五メートルほど離れた場所で向かい合う俺と少女。
嵐の過ぎた後のように静かな沈黙が、呼吸の音を際立てていた。
本当に嵐が過ぎていればいいのに……、過ぎてないどころかまだ突入してきたばかりである。
(強いけど……この前のハルバード使いや剣さんよりは遥かに弱い……)
その証拠に殴られた顔のダメージがあまりなかった。
痛いのは痛いがそれだけ。
立ち上がれるし戦闘に支障はない。
「今度はこっちから行くぜ」
沈黙を破り俺は突撃する。
彼女の前まで接近し殴りかかろうと振りかぶった。
身を守るためガードの体制を取る少女。
このままでは例え殴ってもガードされダメージを与える事はできないだろう。
だがそれでいい。はなから少女を殴るつもりはないのだ。
「オラッ――!」
「!!」
地面を殴る俺を見てその可愛らしい顔が驚愕へと変貌する。
地面を殴った理由は一つ。
宙へ浮くためである。
殴りの力を利用して上へ跳ぶ。
丁度少女の真上まで来たあたりで踵落としを決めた。
幼いからだろう。まだ小さなその頭に俺の大きな足が直撃した。
「いつっ!!」
顔を地面へと叩きつけられ、悲鳴を上げた少女を尻目に再び後ろへ跳躍する。
距離が取れたら倒れ伏せる少女を見、いつでも動けるように警戒しながら構えた。
……不意をつけさえすれば俺も顕現者と戦えるって事か。
この少女は特異能力を使ってこなかったし……。使ってくるような奴とは戦えないだろうがね。
俺も早く特異能力を覚えなければならない。
「くそっくそっ――!!」
件の相手はというと。
目を釣りあげ、凄まじい剣幕で睨みつけてきながらふらふらと立ち上がっていた。
「もう立ち上がるなよ。お前が本気で俺を狙うなら俺もお前を本気で殺すぞ」
「上から目線で偉そうに言うんじゃねえ!!!」
俺の言葉に反発するように声を張り上げた少女は、懐から一つの注射器を取り出した。
そしてそれを自身の首へと突き刺し何か薬品のようなものを注入しはじめる。
(……何だ?)
何を注入している……?
麻薬か? 兵士に使わせて恐怖心を消すとかなんとか聞いたことがあるし。
だとしたら厄介だな。
何があるかわからない。
だからこそ
「先手必勝!!」
右拳を握りしめ駆ける。
何の薬かは知らない。でもその効力が出る前に無力化してやれば問題無い筈だ。
そう思っての俺の突撃。
しかしそれは遅かったようだ。
「――!」
突如彼女の周りを透明な壁が覆う。
俺はそれに衝突し――押し戻されるように弾き飛ばされた。
(柔らかい壁……いや……ぶつかった部分が濡れてる……。なるほど……水の壁か)
俺の予想を肯定するかのように水しぶきをあげながら、水の壁が崩れ落ちた。
彼女が能力を解除したらしい。
「ここからが本番よ……っ!!」
苦しげな表情、苦しげ、というよりは目が血走っているため、狂気に満ちたみたいに見える。
そんな顔をしながら言われた言葉に呼応するように水の棒が顕現した。
その数五本。
長さは三十センチ程で、先へ行く程細くなっており、円柱型をしていた。
それが少女の真上に浮いているその様は、幻想的ともいえる。
もっとも、それに見惚れて動きを止めてしまえば次の瞬間には死ぬのだが。
「水聖槍――!!」
その声を皮切りに、水柱が俺めがけて飛んできた。
「うお!?」
顔めがけて飛んできた一本目の柱をしゃがむ事で避け、しゃがんだ隙きを狙って襲ってきた二本目三本目を右へ転がりながら回避。
そして立ち上がりながら後ろへ跳び、四本目と五本目も回避した。
水柱は速い。
が、今の俺ならついていける速度だった。
(この水はあの娘の特異能力だよな……? あの薬を使った直後に特異能力を使ってきたって事は、能力発動を補助する薬なのか……?)
何それ欲しい。特異能力が使えない俺に欲しい。
独那の予想は正しかった。
ハルバード使い――舞の妹である結は薬物で強制的に顕現者となっている。
それが通常状態。
この状態では特異能力は使えない。
その状態から重ねかけるように薬物を摂取する事で限界を超えての力行使が可能になるのだ。
しかしできないものを強制的にできるようにしているのだから、勿論限界はある。
十分。
それが今の彼女の、限界突破状態での活動限界だった。
しかしそれでも、それだけやっても、独那より強いレベル止まりなのだ。
剣や舞には遠く及ばない。
これこそが薬物強化体の限界。
そしてその限界を突破することはできない。
それで充分だった。
目の前の男を殺せるのなら、例え自身の限界が底知れていても構わない。
結はそう思っていた。
「はははっ。遅いな。その程度の水なら簡単に避けれるぜ?」
煽るように少女へ小馬鹿にした笑みを送る。
これで冷静さを欠いてくれればいいんだけど……、やはりそううまくは行かない。
「なら。今度は二倍速で打ち出してあげるね」
「――は?」
少女のその言葉の意味を理解する間も無く、俺の頬に痛みが走る。
手を当ててみれば血が出ていた。
少女から打ち出された何か頬を掠ったのだ。
何か――水柱。
見えなかった。
射出されたそれを認識する暇がなかった。
つまりはこういう事か。
これが彼女の全力で。
俺じゃまだまだ到達できない高み……。
剣さんが見下ろしている光景。
俺が見上げている光景。
つまりはそういうことかよ。
「ははは。……冗談キツイぞ……」
強化体の限界。
しかしそれは独那を屠るのには充分過ぎる強さだ。
「今度は五本一気に行くね」
少女が言えば、その周りに五本の水柱が顕現する。
あの速度で五本――。
確実に殺され――
「そこまでだ。君の相手は私がしよう」
不意に訪れた声に、射出は中断された。
「剣さん……!」
「あぁ。君からのメールを受けて飛んできたよ」
声の主――剣さんの到来に俺は思わず安堵する。
少女と接敵した時、剣さんにヘルプのメールを送っていたのだ。
今更この人に助けられることに抵抗はない。
申し訳ないとは思うが、俺の命がかかってるんだ。
自分勝手だろうがなんだろうが構っていられるか。
「さて、君の相手は私がしよう」
俺を庇うように、少女との間に立ち拳を構える剣さん。
特異能力を使う様子はない。
「お前は――ッ!!」
「……?」
剣さんの顔を見、その顔を怒りへ変貌させた少女を見て、彼女は首を傾げた。
「剣さん。そいつ……ハルバード使いの妹だそうです」
「……なるほど」
「くたばれぇぇっ!!!」
五本。
少女の叫び声共に撃ち出された水柱。
しかしそれは剣さんによって跡形もなく粉砕された。
凄まじい勢いで穿たれた拳で水が吹き飛んだのだ。
俺の頬に水柱だった水がとびちり、思わず息をのむ。
流石だ……。早い。
「はははっ……化物が……。特異能力を使わずに舐めプレイってわけ……」
肩で息をしながら皮肉げに少女が言った。
「私の特異能力は『果て』へ向けたもの。人間に使うつもりは無いんだ……。だから拳を収めてくれ。私は君を殺したくない」
それに返された優しげな言葉。優しさにも多々あるが、少なくとも今使われたこの優しさは、対等なものに向けるものでは無く、子供へ向けるような物であった。
「……ッ!!」
それが少女の逆鱗に触れたらしい。
ビクリと体を震わせ、眉間の皺を深くする。
しかし剣さんの態度は変わらない。
「早く降伏してくれ」
「何で……」
「私は君を殺したくないんだ」
「何で……ッ!! お前ら自称正義の味方はみんな揃いに揃って上から目線なんだよ!!!」
少女は懐から注射器を取り出し、再び薬物を己へと投与する。
彼女にそこまでさせるのは、俺達への憎しみなのだろう。
目が血走る。
白目の部分の九割が赤く染まっていた。
恐怖を感じる配色だ。
「いく――ッぞ!!」
爆ぜた。
そう思えるほどの風圧が俺を襲う。
それは少女が突進してきたことによる衝撃だというのだから驚く他ない。
(あの薬には身体能力を強化させる効果もあるのかよ!? いや……別の薬か? この速度剣さんでもやばいんじゃ――)
先程の薬といま摂取した薬は別物である。
いま摂取した薬物は脳の枷を無理やり破壊させる物。
肉体へのダメージを完全に度外視し、ただ身体能力を高めるためだけの薬。
しかし――それをもってしても。
「降伏してくれ」
剣さんへは届かなかった。
何が起きたかはわからない。
ただ俺の目には左腕を掴まれ静止した少女の姿が写っていた。
ただ左腕を掴まれているだけである。
それなのに少女の動きは止まっている。
「君は凄い。『果て』以外には使わまいと決めていた私の特異能力を使わされたんだ。……だから降伏してくれ」
いや違う。
左腕を掴まれているだけじゃない。
剣さんの剣が少女の足に刺さっていた。二対の剣が片足に一本ずつ。まるで地面と足を縫い付けるように。
「くそっ……」
悔しそうに少女が項垂れる。
それを降参の意と受け取ったのだろう。
剣さんは特異能力を解除した。
刺さっていた剣が消え、傷口からは血が吹き出る。
「君は強かった。誇っていい」
しかし警戒を完全に解いたわけでは無いらしい。
少女の左腕を掴んだままそう讃えた。
「……んなよ」
「む?」
「油断すんなよ!? クソ女!!!」
叫んだ少女。
彼女は水の刀を顕現させ、自身の左腕を切り裂いた。
そして後ろへ跳び剣さんから距離を取る。
「な……何を……」
切り取られた左腕を持ったまま、この場の絶対優位者が驚愕の声を顕にした。
無理もない。
と言うか俺も驚いてる
ピ。
「はははっ……そういう顔が見たかったの」
傷口を抑え、大量の血を流す。
それでもなお少女は笑っていた。
ピ。
ピ。
ピピ。
……?
なんの音だ。どっかで聞いたことあるような電子音。
少女の左腕から聞こえてるような――
「――ッ!! 剣さん!! その左腕を離してください!! 早く!!」
「え――」
遅かった。
鼓膜を揺さぶる轟音に耐えながら俺は歯を噛み締めていた。
あの音はハルバード使いが自爆したときの音と同じだった。
とっさに顔を両腕で覆ったが、両腕が焼けるように熱い。
少女の左腕が爆発したのである。
顕現者に通用する爆弾とか言うやつを体内に詰めていたのか。
もし誤作動したら自分もろとも死ぬじゃねえか。何考えてやがんだ。
それにこの威力。
恐らくハルバード使いが用いた爆弾より威力が高い。
「ぐっ……ぅ……」
煙が晴れ、剣さんが姿を表した。
酷い有様だ。
服は焼け、後ろからはよく見えないが所々破けていると思う。
それに鼻につく異臭。
肉が焼けた臭いだ。剣さんが浅くないダメージを追っている証ともいえる。
しかしそれでも、あの爆発を受けても。
彼女は倒れる事なく立っていた。
「凄まじい……爆発だな」
「……あの爆発でまだ意識があるの? 凄いわね」
熱風から身を守るためだろう。水の壁で自分を覆っていた少女が、関心したように呟いた。
剣さんは凄い。
俺があの距離で受けたら確実に死んでいた。
彼女は生きている。意識がある。立っている。
対して相手は片腕の無い少女。
剣さんの勝ちは揺るがない。
「でもこれで終わり」
俺のその自信も、吐き出された少女の言葉をもって打ち砕かれる。
射出された水柱。
とてつもない速度だ。でも剣さんなら避けられ――
「グッ――!!」
なかった。
なんのアクションを起こすことなく貫かれ、膝をついた。
ぽたぽたと垂れ落ちる鮮血。
「やっぱりもう戦う力は残ってないか……。でもまあ。あの爆発で立っていられたんだもん。凄いわ。だから降参して?」
小さな悪魔が意趣返しのように笑みを浮かべる。
顕現された五本の水柱。
それは首を横に振れば撃ち出すという無言の圧力だった。
「ふっ……断る……」
「でしょうね。じゃあ死んで。お姉ちゃんの仇よ」
「――ッ!!」
声にならない悲鳴をあげ、その身に複数の穴を開けた。
剣さんにに突き刺さった水柱と、体との隙間から血液が飛散する。
「は……?」
俺はただその光景に首を傾げる事しかできなかった。
何だこれは……。剣さんが負けたのか……? 嘘だろ……?
「さて……今度はあんたよ」
横たわり、静かになった剣さんを確認した少女が俺へ視線を向けた。
一歩、また一歩と近づいてくる。
「やめろ……。来るな……来るな……ッ!!!」
――やばい。やばいやばいやばい。
ただその焦燥感だけが俺の頭を駆け抜けていた。