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顕現

 どこにでもある住宅街。その中の一軒――俺の暮らす家は今現在、非日常に支配されていた。


 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。


 当時十才だった俺の胸中はその感情のみを浮かべ続ける。

 目の前には致死量の血を流し倒れ伏せる母親。

 その心配など思考の片隅にもない。


 目の前の男へ――母を刺殺した男へ許しを乞うように視線を向ける。

 その男は母の血で濡れたナイフを握りしめ、刃先を俺へと向けていた。

 

 どうしてこんな事になったんだろう。 


 うちは母子家庭なため貧乏だ。

 仕事でいつも帰りの遅い母親。それが今日は帰ってくるのが早かった。だから一緒に台所で晩御飯を作っていたのだ。


 そうしたらインターホンが鳴った。

 母親が玄関に出るとしばらくして悲鳴が聞こえてきた。母親のものだ。

 慌てて駆けつけるとそこには倒れ伏せる母親と血濡れたナイフを持つ男。


「え……」


 気づいたら座り込んでいた。腰がぬけてしまったのである。


 鼻を刺激してくる鉄の臭い。見たこともない程に赤一色な景色。

 狂気に満ちた男。


 そのどれもが幼かった俺の思考をフリーズさせるのには充分だった。

 しかしその硬直も長くは持たない。


「あ……」


 目が合う。血走った男の目と視線が交わってしまう。

 それを合図にしたかのように、俺の思考はぐるぐると回り始めた。

 

 母さんはこの男に殺されたのだ……。そしてこの男は俺も……。


「お前も殺す……」


 静かに、でも確かに男が近づいてくる。


「いや……いやだ……。殺さないで……」

 

 必死に後退るが腰が抜けた子供だ。男が歩くスピードの方が早い。


 着実に縮まる距離。死の危険。


 加速する思考の中で、俺はただ死にたくないと連呼している。

 それしかできない。


 目の前にまでやってきた男がナイフを振りかぶる速度が、イヤに遅く感じられた。


「うああああああああああああああああ――ッ!!!!」


 叫びながら俺は――



 気がつけば骸の上に馬乗りになっていた。

 


 あとで聞いた話によれば、あの男は俺の父親らしい。俺が生まれてすぐに離婚していたため気が付かなかった。

 母親に金を借りようとしたが断られたため襲いに来たと言うのが警察の見解である。

 当の男は死んでしまったためこれ以上詳しい事は知り得ない。


 あの男は――俺が殺した。


 殺した時の事は覚えていない。

 ただ気づけば俺の手には男がもっていたはずの赤色に煌めくナイフがあり、俺の下にある彼の体には無数の刺し傷があった。


 その時からだろうか。

 

 死が怖くなったのは。

 いや、元から怖かった。ただ現実感が無かったのだ。

 少しだけ身近に感じられるようになっただけ。


 ただ、それだけ。



――



 現在


(だっる)


 時刻は午後四時過ぎ。

 俺は教室で今日最後の授業を受けていた。


 今年十七歳になった俺は、この殻山からやま高校へと入学したのだが


(完全に高校選択を間違えた)


 悔やむがもう遅い。

 殻山高校はこの辺どころか全国でも有数の進学校だ。故に授業のレベルも高い。


(ダメだ。さっぱりわからん)


 今日で入学から丁度一年と半年。

 完全に取り残されていた。


(この前のテストもビリだったしな……。やっぱ俺にこの高校は無理だったのか?)


 そもそも俺がこの高校に行ったのはこの付近では珍しくバイトOKだったからに他ならない。

 孤児の俺にとって大学へ行くための貯金は大切なのだ。

 いかに奨学金があるとは言え金があるに越したことはないしな。


「えっとここの問題を……独那ひとりな君」


 黒板の前に立った初老の先生が、チョークで書かれた問題を指示棒で指しながら言った。

 俺はその言葉を右から左へと受け流――したいのだが、独那と言うのは俺の事なので無視する訳にはいかない。


 立ち上がり黒板へと歩みを進めながら問題を見る。

 

 うん、わかんない。


 数学の授業なので数式が書かれているんだと思うのだが……、古文並に理解ができない。


「すいません。わかりません」


 俺が口にすれば、先生は眉を顰めた。


「この時期でそれはちょっと大変ですよ……?」

「すいません……」

「まあいいです。じゃ、独那君に代わって――」


 代わりの生徒が呼ばれ、そいつと入れ替わるように俺は席へと戻る。


 こういう時アニメなら美人のクラスメイトや、愉快な友人が小声で答えを教えてくれたりするんだろうが、俺にはそういう類の人間がいない。

 友人すらもいない。


 放課後の殆どをバイトに費やす俺など友人ができるはずも無かった。


(いや、そんなことより根本的な、俺個人の問題だな)


 そんな事を考えながら机に座り込んむ。

 

 聞こえてきた椅子の軋む音はまるでこれから起こる事を予期しているかのように、日常が軋む音にも聞こえた。





 学生達の騒々しい声が鼓膜を震わせる。

 下校時間の校門の前なので仕方ないと言えば仕方ないだろう。


(久しぶりに今日はバイト休みだな。暇だし本屋でも行くか)


 なるべく学生が通らない道を通って本屋へと向かう。

 ある程度まで学校から離れると、運動部のうるさい声も聞こえなくなっていた。


 その静寂を満喫しながら歩いていると後ろから声をかけられた。

 

「すいません……」

「ん?」


 枯れた、と言うよりはしわがれた声の方へと振り向いても人影は見当たらない。

 

「すいません」


 再び下からその声をかけられ、目線を下へ向ける。

 老婆がいた。


 元々の背の低さと曲がった腰が合わさってかなり小さく見える。そのせいで俺の視界に入らなかったのだ。


「黒亀病院はどこですか……?」

「ああ。それなら……」


 老婆の問に答えようとした言葉を止める。


 病院はここから一キロとそんなに離れてはいないのだが、ここからだと道順がややこしい。

 どうせ案内することになるんだろうなぁ……。暇とはいえめんどくせえ。


「すいません今急いでるんで」

「そう……ですか」


 悲しそうに言う老婆。

 まあ知った事じゃないが。


「ふむ。黒亀病院なら私が案内しましょう」


 俺の目の前、老婆と俺は向き合っているため老婆の背後から歩いてきた女性。

 黒髪ロングで、何というか大和撫子みたいな感じの人だ。


「ほんとですか……?」

 

 と嬉しそうに尋ねる老婆へ、女性が微笑みながら返す。 


「勿論です。困った時はお互い様ですからね!」

「ありがとうございます」


 何やら寒――いや、いい感じの空気になってきたな。

 老婆はこの女性に任せていいだろう。

 俺はササッと本屋へ行きますか。


 踵を返し、本屋への歩みを再開させる。

 

 しかしいるんだな。あんな正義感溢れたっていうか、偽善者っていうか。

 カッコイイというか恥ずかしいというか、あんな奴。


 不思議と早足になったその足が、本屋へ急ぐための物なのか、自己弁護する自分への恥からくるものなのかは俺自身にもわからなかった。

 


――



 暗い。

 本屋から出ればもう時刻は七時過ぎ。

 日が完全に沈んで真っ暗になっていた。


 パッケージ買いが楽しすぎて時間を取られてしまった……。

 二千円くらい持ってなんの本を買うか迷ってる時間が人生で三番目くらいに楽しいんだよな。

 あんまり店内にいすぎると万引きするつもりと思われるが……。


「ふう……」


 息こそ白くはならないものの、充分過ぎる程に肌寒い。

 それは10月という中途半端な季節のせいだろう。

 冬服を着る季節でもないのに、夜は冷える。これだから秋は嫌いなんだ。夏が一番いい。


 金属音がした。

 小銭が落ちる音だ。

 

 財布のファスナー締め忘れてたのか……? 拾わねえと。

 足元に十円玉が落ちているのを確認し身を屈ませる。


 その時だ。


 強烈な風のような何かが頭上を擦り、そして破裂音が聞こえた。

 

「――!?」


 後から訪れた衝撃に思わず振り返れば、心臓がいつもより早く鼓動を始めるのに気が付いた。

 暴れるように、締め抜けるように、苦しく動くこの鼓動。

 これには覚えがある。死を予期した時の鼓動だ。


  屈まなければ確実に頭を直撃していた軌道。

 俺の直感は直撃していれば死んでいたと訴えかけてきているらしい。


 頬に滲み出る冷や汗をそのままに、俺は目の前のそれを睨みつける。


 衝撃は目の前ののそれが触手のような(恐らく)腕をムチのように叩きつけてきたからだ。


 威力は凄まじい。

 俺が偶然回避したため行き場を無くした腕が家の塀へと当たっていたのだが、見事に砕けていた。


 それ――黒い生物。

 

 夜というのも合わさって鮮明には見えないが、四足歩行の動物だろう。

  四足歩行とは言っても犬や猫みたいな感じではない。

 ケンタウロスが近い。

 

 その生物には手足含めて六本存在していた。

 蜘蛛のような四本足の造形の黒色な下半身に、人間と言うには余りにも歪で、しかし人間としか言いようのない、骨格の捻れた同じく黒色の上半身。

 

 捻れたと言うのは文字道理の意味だ。

 螺とまでは行かないが、捻れている。

 

 腕の先へ手はなく、ムチのように叩きつける事に特化しているようだ。

  

 そして顔は楕円。

 黒色ののっぺらとした楕円に、目が一つだけデカデカと右側を下へ傾けさせ付いている。


 ……なんだこいつ……。


 見た事もない生き物だ。

 しかも俺を攻撃してきた。


「グキャアアアッッ!!!」

「うお!?」


 再度ムチのような手を俺へと振るってくる。

 俺の右側からやってきたその攻撃をしゃがむ事で回避して、やり過ごしたのを確認すればそのまま駆ける。

 逃げるのだ。


 何かよくわからないが、逃げるのが一番だろう。


 暗く染まった住宅街を俺は走り抜ける。

 ひんやりとした風が肌を刺激してきて身震いが起きそうだ。


 後ろを見れば生物がちゃっかり追ってきていた。

 カサカサカサカサと音が出そうなその姿に、ちょっとした嫌悪感がでてしまう。


「ビギャアアアアアア!!!」

「追ってくんな死ね!!」


 しばらく鬼ごっこを続けていると目の前に人影が見えた。


 見た感じ仕事帰りのサラリーマンだろう。


「おい!!」


 乱暴だが、後から声をかける。


「えっ、あっはい?」


 振り向くサラリーマン。


「すまん、囮になってくれ」


 その腕を掴み、後ろへと放り投げた。

 体勢を崩し倒れ込む彼へ、黒色生物が肉薄する。


「えっ……なに……この生き物……」


 しかし生物はリーマンをガンスルー。

 俺へと一直線で向かってくる。


 マジかよ……。


 走る速度を早める。

 あたる冷風はその強さを増すが、運動しているわけなので特に寒さは感じない。

  

「ちっ!!」


 鞄の中に入っていた筆箱を取り出し、生物へ投げるも効果がない。

 当たりはするが無視して向かってくるのだ。


 何事にも終わりが存在するように、この逃走とて例外ではなかった。



「くそ……!!」


 追い詰められた。

 前と左右には住宅の塀。つまりは行き止まりだ。

 

「グギュギュ」

「死ね」


 ジリジリと迫ってくるそれ。

 

 心臓の高鳴りは増し、死の宣告を告げてきているようにも聞こえた。


 もしあの腕の攻撃を受ければ……。

 塀を砕く威力だ。

 俺なんか簡単に殺されるだろう。


 死ぬのか……? この生き物に殺されるのか……? なんで襲われているかもわからずに……?

 

「だ、誰か……助け――」


 言いかけた所で止まる。

 

 かっこ悪ぃ……。何誰かに助け求めてんだ。

 俺は今まで一人でやってきただろ。

 今日だって老婆心の助けを求める声をを拒否したじゃないか。


 誰も助けない。

 代わりに誰からも助けられない。


 自分の事は自分でやる。


 母さんが死んだときそう決めたじゃないか。


「死んでたまるかああああああ!!!」


 拳を握りしめ、生き物へと殴りかかる。

 サンドバッグを殴った時のような感覚が襲い、痛みが走る。


 素人が殴った場合、殴った側もダメージを受けるという話を聞いたことがあるが、本当だったらしい。


「ぐ――っ!」


 が、それを耐え拳を振り切った。

 吹き飛んだのは生物ではなく――俺。

 

 視界が回転し俺の意思とは無関係に落下する体。

 冷気とは別の寒さ――恐怖を感じる間もなく地面に叩きつけられる。


「いづ!?」


 何が……。いや……。なんてことはない。


 俺は生き物の顔へ向けて殴った。

 しかしそれはノーダメージだったらしい。腕では無く前足で蹴飛ばされ、吹き飛んだのだ。


 仰向けに倒れている俺の視界に映るは見下ろしてくる生物。


(くそが……。くそが……。……つか腹いてえ……)


 蹴られた腹が痛む。

 手で抑えようとするが手が動かない。


(あったけえ……)


 口元が暖かい。

 口から出てきた暖かいそれがは頬を伝い顎周りを包む。


 こたつに入ったかのような幸福感。


 ……血だ。

 吐血した血は顔の周りに血溜まりを作るほどの量をほこっていた。


 吐血するって事は内臓がいかれたのか……?

 

(……そりゃ手が動かないわけだ……)


 薄れ行く意識、もう何もかもがどうでもよく――



 なるわけねえだろうが。



(糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が!!!!)


 殺意を込め生き物を睨みつける。


 死にたくない。俺は死にたくない。

 ふざけんな。なんで死ななきゃいけないんだ。

 なんでこんななんの生き物かわからないようなやつに殺されなきゃいけないんだ。

 実の父親にだって殺されたくなくて殺したんだぞ。


(ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな!!!)


 俺の殺意など気に留めてもいないようで、その触手のような腕を振りかぶる。俺へ振るうつもりだろう。


(…………ッ)


 ……何だ

 熱い。体が熱い。サウナに入った時なんて比にならない熱。

 何かが込み上げてくる。何かが塗りつぶしてくる。  

 俺の心を、体を。意識を。

 黒い何かが――


「大丈夫か!?」


 その腕が俺に振るわれる事は永久として無かった。

 なくなったからだ。

 根本から切り取られ、空中を舞い地に落ちる。


 その切られた腕の落ちた音で俺は我に返えり、その存在を意識できた。


 女性だ。

 黒髪ロングで、大和撫子といった風貌の女性。


「もう大丈夫だぞ」


 その女性の両手には二対の剣が握られており、血のようなものが付着している。

 あの剣で切ったのだと予測できた。


(これは……夢か……?)


 謎の生物に殺されかけ、剣を携えた女性に助けられる。

 あまりに現実感と乖離した光景を前にして、そういう疑問が出たのも仕方ないだろう。


「今助けてやる」


 生き物と俺の間に俺を庇うように立ちながら放たれたその言葉が、ある種衝撃に近い何かをもたらした。


「な……んで……」


 絶え絶えの声で、何とか声を出す。

 

 聞こえるかどうかもわからない程か細い声。しかし彼女には届いていたようだ。


「なんでって、助けるのは当然だろう」

「――ッ」


 思い出した。こいつあの時老婆を助けてた女だ。

 当たり前……?助けるのが……?


「――参る」


 一瞬だった。

 女性が言えば風が吹きあれた。


 それが彼女の駆けた衝撃によるものだと理解できたのと生き物の体が分解されるのはほぼ同時。


 この女は僅か一瞬で、あの生き物を三枚におろしたのだ。

 剣を持っているとは言え、芸当だろう。


「大丈夫――ではなさそうだな。今すぐ病院へ運んででやる」


 彼女のここちらへ歩み寄るその姿はまさに正義の味方。


 ――な。


「だから安心しろ。私がお前を殺させはしない」


 聖母の如し笑みを浮かべこちらを安心させようとしてくる。

 良い人だ。善人だ。命の恩人だ。


 ――けんな。


「ふざけんなッッ!!!」


 叫ぶのと同時に、俺の中の黒い感覚が鮮明になっていくのを感じていた。


 震える足を動かし立ち上がる。


 糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が。ふざけやがって……。

 こいつが……。この女が……この女だけじゃない。他の人々が誰かの為に動くたびに、俺が間違いだと、俺の生き方が間違いなのだと言われているような錯覚に陥るのだ。


 一人で生きてきた。一人で生きていかざるを得なかった。


 それをこの女に否定されたような。そんな被害妄想に近い感情。


 ――黒く、深く。


「なんで助けたんだ!!!」


 死にたくはなかった。

 でも、こんな風に助けられたくもなかった。

 

 俺は俺のままでいたかった!!


 叫べば口から大量の血が漏れ出す。しかし、言わずにはいられなかった。


 八つ当たりだ。命の恩人に対してなんて失礼なんだろう。


「私が何か気に触ることをしたのか? なら謝る。すまない」

「――ッ」


 爆ぜた。 

 胸のうちに広がっていた黒い感覚が外へと弾け飛んだ。


「ぐがああああああああ――ッッ!!!」


 俺は到底自分の出したものとは思えない大きな声をあげ、その衝撃で近くの住宅の窓ガラスが割れる。


「これは――私と同じく顕現者……。今顕現したのか!!」


 そんな俺を見、距離を置く女性。なやらに言っているようだが、俺の耳には届かない。

 

 思考が黒色に染まっていくのがわかった。


 八つ当たりしたら相手に謝られた情けない自分。

 

 それが黒く塗りつぶされ無くなっていく。

 俺という概念が虚ろになっていく感覚。


「あああああああァァァァッッ!!!」 

 

 脚に少し力を入れたら簡単に跳んでいた。 

 開いていた女との距離がゼロになり、俺の右拳が振るわれる。

 彼女はそれを剣の腹で受け止め衝撃を受け流すように後ろへと跳ぶ。


 そして着地と同時に剣を構えていた。


 距離が空いたか……。まあまた詰めればいい。


「おい少年!! 答えろ!! ……だめか……暴走状態になっている……!!」

「だまれええええぇぇぇぇ!!!」


 もう一度距離を詰め殴りかかる。

 

「その力に、衝動に身を任せるんじゃない!! 私も経験があるからわかる! その黒いような感覚は辛い!! しかし!! 抗えるだけの強さを持った者にしか顕現しないはずだ!!」

「だからああああああぁぁぁぁ!! 黙れよおおおおぉぉ!!!」


 女の言葉なんてどうでもいい。

 今ここでこいつを殺して証明してやる。俺は正しいって。

 この女のやり方の結果この女は死ぬ。

 つまりは間違えだ。


 生きた俺が正しい。


 俺を助けたお前の間違えだ。


 俺は……俺は……俺の生き方は……


「ただしいんだよおおおおおぉぉ!!!」


 右手を思い切り振り切り、それがしゃがむ事で回避されたのを確認した。


 しゃがんだ女の顔はちょうど俺の膝あたりにある。


「ぐはっ!?」


 可愛らしい悲鳴を上げ背中から倒れこむ女。

 俺の膝蹴りが顔に直撃した結果だ。


(こ……この少年……何というポテンシャルだ……。私が力に顕現してから半年……。その半年で培ったちからに匹敵するほどの――いや、今やるべきは思考ではなく、彼を止めること……)


 寝転がる女を踏みつけようと足を下ろすが、転がることで避けられた。


「少年!! しっかりしろ!! 君は何のために生き何を成してきた!! 自己をしっかりともて!! さすればその黒い衝動に打ち勝てる!!!」


 何のために生きて……? 死なないためだ。

 何を成してきた……? そのためには父親を殺した。


 俺は正しい。正しくなくちゃだめだ。


 だから。


「おれはまちがってなんかねえんだよおおおぉぉ!!!」


 八つ当たりのように、溢れ出る焦燥感を目の前の女にぶつける。


 彼女が立ち上がった隙を狙い噛み付こうとして、ふと思う。


 人間の歯じゃ致命傷にはなりえない。


 なら――


 黒い何かが俺の体を纏い、変貌させていく。

 牙だ。この女を殺しうる牙が俺の口から生えた。

 ならそれで噛み付くだけだか、そう簡単にはいかないだろう。きっとこの女の抵抗がある。


 次の手を考えながら彼女へ肉薄する。


 ――そして。


「え……」


 吹き出した。噴水のように大量の血が彼女の首から吹き出したのだ。

 俺の噛みつきに何の抵抗もせず受け入れ、致死量に近い血を流していた。


「な……んで……」


 まるで血の気が引くように黒い感覚が薄れ、思わず問いかけてしまう。


「間違えなどと、この世界にあるものか。ただ相容れぬかそうでないか。それだけしかない」

 

 戸惑う俺を抱きしめ、女が言った。

 

 優しさのこもった声で、まるで聖母のような慈悲深さで。


「俺は……」

「何があったかは知らん。何を思っているかも知らん。ただその衝動に負けるな。私を殺すのならその衝動ではなく自らの意思で向かってこい。その時は正々堂々死合ってやる」

「……お……おれ……は……!!」


 抱きしめるその腕を払いのけ、距離をとる。

 

 俺は俺だ。

 誰かに助けられるなんかゴメンだし、助けるののもゴメンだ。

 そして、誰かに助けられないと生きていけないのも等しく俺だった。


 おれは間違ってなんかいない。

 今でもそう思ってる。


 だけどこの女は俺以上に正しく――そして


「ははは……凄えや……あんた……」


 俺が口にした頃には、黒い感覚などとうになくなっており、思い出したかのように口から血が吹き出していた。


 意識が薄れ、足がふらつく。


「安心してそのまま倒れろ少年。どうせ私もこの出血だ。すぐに倒れる。私の仲間が救護に来てくれるはずだ」

「そりゃ……頼もしい……」


 痛みはなかった。

 殆ど意識がとびかかっていたからだろう。

 頬がアスファルトの大地に付き、自分が倒れ込んだのだと理解する。


 それから完全に意識を手放すまで、そう長い時間はかからなかった。



――



 何やら電子音のようやものが聞こえてくる。

 つんとする薬品の臭いと合わさって、ここが病室なのだと理解した。


「ここは……」


 目を開け、体を起こす。

 

 個室のようだ。

 済におかれたかなベッドに俺は横たわっていた。


「生きて――たのか」


 あの女の人に八つ当たりして、怪我させて、それで倒れて。


 とんだ恥さらしだ。


「情けねえ……」


 呟いた俺の言葉は誰に聞かれるでもなく、乾いた部屋の中へと消えていった

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