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憂愁の箱庭 ー正アクイナス帝国始末記ー

作者: 武内 修司

カクヨムに転載しました。

加筆しました。こちらで独自に育てていきたいと思います。

プロローグ

 遙か未来。人類は太陽系より新たな生存圏を求め飛翔の時を迎えた。何次にも渉る宇宙開拓団は、それぞれ設定された目的地へ向け旅立ち、各々がそれぞれの地に立脚したそれぞれの統治体系を構築していった。

 数世紀が経過した頃、アクイナス帝国は膨張政策により他国、地域への侵攻を開始、あるいは降伏させ版図に加え、あるいは領地の一部を割譲させた。帝国のそれ以上の拡大を恐れた各国、地域は連合し、反帝国戦線を形成した。両者は激突するも雌雄を決するに到らず、以後は衝突と休戦を繰り返す状態となる。その間経済的、文化的交流は活発化していった。

 時の流れと共に権力の腐敗や征服した地域の独立運動、反乱等で帝国は衰退し、それを待ち侘びていたかの様に反帝国戦線連合軍は”解放戦争”を仕掛けた。開戦と同時に海外資産を凍結され苦境に陥った皇室の戦意は低く、帝国軍は敗走を続け、遂に帝国本星の恒星系まで追い詰められたのであった。しかし、そこには帝国最後の切り札が存在した。直径二十キロメートル余りの人工惑星、”殲滅要塞”である。巨大なビーム兵器に無数の対空、対艦兵装、主力艦船二百隻余りが停泊可能な港湾施設、機甲師団数個分が常駐可能な基地を内包し、難攻不落の要塞であった。が、しかし。

 結局のところ、”殲滅要塞”は一度も戦火を交える事無く戦争終結を見た。マジノ線宜しく迂回した連合軍は短時日で本星を攻略したのである。何をする暇もなく本星は占領され皇帝フェリポ・マクシムⅢ(三世)は退位、全軍に戦闘停止、武装解除命令が発令された。本来ならば、”殲滅要塞”もその命令に従う筈であったが…驚愕すべき事に独立を宣言したのであった。その経緯を簡潔に述べるならば。

 ”殲滅要塞”には皇帝の次男が司令官として赴任していた。父の退位が発表された時、共和制への移行を予測した彼は、父と長兄(皇太子)の居場所を確保するため無謀を承知で正アクイナス帝国の成立を宣言したのである。この扱いについて、共和国移行準備委員会と連合軍代表団、正アクイナス帝国全権委任団の三者間で協議が行われ、元皇帝及び皇太子の居場所を確保する、という当初の目的は達成されなかったものの、アクイナス共和国の保護国状態として一応の独立が承認され、”解放戦争”は終結したのであった。勝利した連合軍側も、これ以上の戦争継続には耐えられなかったのである。それより百年余りが経過し、正アクイナス帝国は第三代皇帝ハナ・クリスナⅡ(二世)の御世となっていた。


第一章

 満面の笑顔を浮かべた若く、溌剌とした女性の司会者が、ヘッドセット越しに呼ばわった。

『皆さーん、本日はですねー、このキャノンランド元首、ハナ女王陛下が皆さんにご挨拶下さるそうでーす!』

それが巨大なドーム数カ所に埋設されたスピーカから大音量となり降り注ぐや、彼女の立つステージ下方、十メートル程に広がる巨大プールに集う水着姿の老若男女数千人から、一斉に歓声と拍手が沸き起こる。

『でもねー、ハナ女王はとても気紛れなお方なんでーす。皆さんのー、陛下のお出ましを願う声が無いとー、帰られてしまうかも知れませーん!』

わざとらしくステージ上手かみてに視線をやる。ステージ上の全ては背後の巨大モニタに映し出されていた。どっ、と笑いが起こる。

『それでは皆さーん、大きな声でー、女王様ー、って呼びましょー。せーのー!』

幾分バラバラな呼び声。心配そうに上手を見遣る。再び促すと、先程より大きな声となる。三度目の呼び声のとき、上手で誰かが見切れた。笑い声。小走りに女性は近寄り、恭しい態度でその少女をステージ中央へ誘った。

『皆さーん、ご紹介しまーす。我らがキャノンランド元首、ハナ女王陛下でーす!』

紹介された、瀟洒なドレス姿にきらびやかな宝飾をあしらった錫杖を手にしたその少女が喋り出す。彼女もヘッドセットを装着していた。

『我が王国に集いし皆様方よ、遠路はるばるよくぞお越し下さった!と、そうでもない方々もおられるかな?』

幾度目かの笑い声。

 そのツインテールの愛らしい少女をスコープ内に捉えつつ、スキンヘッドの巨躯の男は時を待っていた。

『さて、これは秘密なのだが、実は今、王国には余とこの者、二人しかおらぬのだ。皆出稼ぎに出ておっての。王国は貧乏なのだ。近衛兵の一人とて雇う事も叶わぬ』

『あの、女王様、それは大変問題では?』

司会者が女王の方へ身を乗り出してくる。笑い声を遠くに聞きながら、男は窓辺に立射姿勢で構えた狙撃銃の照準を、女王からそちらにずらした。引き金が、引き絞られようとした、その時。

 ノックの音は三回。彼らの合図とは異なっていた。撃鉄が落ちる寸前で引き金を戻した男は、鋭い視線を右側に送った。双眼鏡を手にした観測手が、それに応え双眼鏡を置くと腰から拳銃を抜いた。今、二人が居るのは使用されていない小さな倉庫であった。仲間が他に数人、周囲を警戒している筈であったが…。

 ゆっくり、観測手は扉へ近付いていった。ノックが止むと、不気味な程の静寂が訪れていた。ドアノブへと手を掛けた、とたん。

「んぐっ!?」

金属を研磨する時の様な音と共に、観測手の背中から日本刀の様な切っ先が生えていた。その刃は蛍光灯の様な光を淡く放っていた。

「高周波振動剣…」

驚愕と共に呟く観測手。磁界に反応し高速度で振動する粒子を刃に塗布したその剣は、扉と彼を構成する結晶構造を、耳障りな音と共にいとも容易く切り下ろしてゆく。切り口から黄緑色の液体を流しながら、腰まで切り裂かれた観測手は膝を折った。扉にキスする様に寄り掛かる。

「!」

その有様を、狙撃銃を扉へと向けつつ見守っていた男の前で、扉の蝶番部分に光が走る。と、扉を蹴飛ばし何者かが突入してきたのであった。右手に剣を握り、左手のバックラーの様な盾を翳して。

「馬鹿が!」

男が銃を連射する。何者かは盾で悉くを受けた。盾に弾丸が命中したとたん、ぽろりと落下する。

「運動量吸収甲鈑か!」

男がそう呟いた時には、剣の間合いに入っていた。振り下ろされた剣が右肩に食い込む、と見る間に鎖骨を切断し心臓近くまで達した。観測手と同じ黄緑色の液体が溢れ出る。銃を取り落とす。

「ぐあっ!」

「…貴方達は完全交換体、ですか。高価な体ですね」

剣を引き抜きながら、突入してきたその男は、微笑を浮かべながら呟いた。未だ若い。二十代であろうか。童顔なので更に若く見える。しかし、彼の着用した軍服はアクイナス共和国軍少佐のものである。

「貴様…統治顧問団の…」

「ええ、まぁ」

微笑を浮かべたまま、剣を鞘に収める。その動作はほぼ日本刀の扱いと同じであった。ズボンの左腰に止められた金具で纏められた大小の(刀と脇差し、の様な形状の)鞘を見る限り、そのまま武士の様である。次に左手のスイッチを操作すると、盾は腕時計状の装置の中に折り畳まれ、消えた。

「ハナ・クリスナⅡ皇帝陛下暗殺未遂の容疑で身柄を拘束します」

この言葉を聞いた男は、唇の端を僅かに歪めた。

「…ここに居るのが俺達だけだと…」

「ああ、見張りの方達ですか?多分、ここへは駆けつけられないでしょうね」

腰の剣を一つ叩く。皆斬った、という事であろう。

「そうかい…」

男がそろり、そろりと左手を伸ばしていた後ろ腰から、拳銃を引き抜く。しかし、相手は気付いていた。抜く手も見せぬ早業で、左腕前腕部を剣が斬り飛ばす。

「ぐあっ!」

男の体は殆どが人工物(脳や脊髄、いわゆる中枢神経系を除く)であるが、痛覚はある。各器官が異常を検知し、エラーを痛みとして電気信号に変換、神経へ伝達するのである。

「会話中に感心しないなぁ。大人しくしていてくれないと、こうしなくちゃならなくなるんですよ?」

再び剣を一閃。男の上体が揺れる。向こう脛から滑り落ちた。

「ぐあぁぁぁ、てめえぇぇぇ!」

立ち上がる事も出来ず、もがく男。罵詈雑言を撒き散らす男を鬱陶しそうに見下ろしていた彼は、切り落とした腕を取り上げた。拳銃をもぎ取る。

「うるさいですよ」

左手を、男の口に突き入れた。

『そこで、皆様方にお願いがあるのだが。今ひとときだけ、我が王国民となってはくれまいか!?』

散々王国の窮状を愚痴っていた女王が、そうプールに呼び掛けた。

『どうですかー、皆さーん!?』

割れんばかりの拍手。それが収まるのを待ち、女王は鷹揚に頷いてみせる。

『良かろう。では王国民となったからには、早速税金を支払って貰うぞ!』

『女王様、それでは詐欺ですー!』

どっと笑い声。

「女王ですか…本当は、皇帝なのですがね」

彼は、窓外を眺めやると小さく呟いた。と、イヤホンマイクから人の声がする。

『カイム少佐、こちらミリナ中尉。こちら警戒活動中。そちらは?』

「ああ、こちらは片付いたよ。一人連行する。誰か寄越して」

『了解しました。それ以降は?』

「状況終了だよ。後は帝国側に任せて、撤収しよう」

『了解しました、以上』

通信は途切れた。ステージ上では、司会と女王が軽く取っ組み合いを演じている。

『税金を取り立てるのじゃあ!王国は破産寸前なのじゃあ!』

ドレスを掴まれながらも、女王はステージの後方へ走り出そうとする。

『女王陛下、どうかお静まりを!』

ドレスが裂けた。実際には早着替えの仕掛けであったが。女王はワンピースの水着姿になる。錫杖を司会に預け、ステージ後方のウオータースライダーへ駆け寄り飛び乗る。螺旋状に回転しつつ、プールに設けられたステージ上に、すっくとフィニッシュを決めた。

『皆の者よ、税金の話は嘘じゃ!王国民としてこの一時を、心ゆくまで楽しむが良い!』

ステージ後方から花火が上がる。女王が右へずれると、司会がウオータースライダーで降りてきた。かなり露出の多い水着姿であった。

「…いつ見ても贅沢ですね」

完全武装した兵士達に抱えられ連行されてゆく男を尻目に、窓外を見詰めながらカイムと呼ばれた彼は呟いた。この完全な人工環境の中で、燦々と降り注ぐ陽光を表現するべく天井に設置された全天照射パネルを全て、開園時間中常時点灯し、これだけの水をただ遊興のためだけに惜しみなく使い、空気浄化装置に負荷の掛かる花火を打ち上げる。これほどまでに贅沢な施設は、この正アクイナス帝国領内でもここキャノンランドのみであろう(ランド内には、他にも様々なアトラクション施設が存在する)。キャノンランドは、今や帝国最大と言ってよい財源であった。

「少佐、撤収します」

「…そうだね」

拍手と歓声の中、バックダンサー達を背景に両手を振りつつ愛嬌を振りまいている女王を見下ろしながら、おざなりの返答をする。呼び掛けた銀髪の女性(カイムと同年代であろう)は、怜悧なその表情を僅かに険しくした。

「少佐、長居は無用です」

「そうだね、ミリナ中尉」

振り返ると足早にミリナの横を擦り抜け、扉のない戸口へと向かう。その背後に、静かに彼女が従う。

 倉庫の窓のほぼ真正面、巨大モニタの上に腹這いの二つの人影があった。

「状況終了の様です」

頭部に装着したスコープで倉庫の窓を見下ろす角度から観測していた全身黒ずくめの女性が、傍らで狙撃銃を構えた、同じく全身黒ずくめの女性に報告した。スコープ越しに他の窓を警戒していた彼女は一つ溜息をつき、スコープから右目を外した。

「…また、先を越された」

悔しさの滲む声は、未だ若々しい。二人とも同年代であろう。

「警戒を続行しますか?」

「いや。彼らは取り零すまい。通常任務に戻る」

「了解」

スコープを外し立ち上がる。狙撃銃を構えた女性は、銃を置くと伏射姿勢を解いた。

二脚を畳み傍らのケースに仕舞う。首元のスイッチを操作すると、服の形状が変化する。縮んでゆくマスクの下から現れた顔は、どちらも若く凛々しい、かなりの美人である。銃のケースを手にした方はダブルのスーツの男装に、もう一方は軍服姿に。

「では」

二人は敬礼を交し、モニタを各々別の階段から下りていった。


 正アクイナス帝国第三代皇帝ハナ・クリスナⅡは、同帝国最後の皇帝となる運命であった。百年前、帝国独立に関する協議の中で、同帝国は近々発足するアクイナス共和国の保護下に置かれる事、帝国は第三代皇帝の廃位、退位、あるいは崩御まで独立国として認められ、それ以降は共和国の一州として帰属する事、等が決定され、”正アクイナス帝国処分条規”が締結されたのであった。”殲滅要塞”は未だ健在であり、大戦力を有していた。何より巨大ビーム兵器は大いなる脅威であった。これ以上の戦争継続を望まない連合軍としては、ある程度の譲歩はやむなしであった。一方帝国としては、独立宣言をしたものの本星からの様々な支援無しには活動継続は不可能であった。もしそれらが途絶したならば、一年と保たず全滅であろう。水や酸素、食料その他種々資源と、足りているものよりそうでないものの方が圧倒的多数であった。それらの提供の交換条件として、帝国の寿命にリミットを設けられる事を承諾せざるを得なかったのであった。さて、その様な状況ではあったが、帝国は独立国家としての自立の道を模索し始めた。そのためにはまず経済力であるが、元来要塞である領土に産業と呼べるものが有る筈もない。そこで第二代皇帝フランク・シャルⅡ(今上皇帝の父である)の発案で、観光業を振興する事となった。共和国の同意を得、祖父より帝国皇室に贈与された莫大な外国の凍結資産、その一部を解除する交渉を行い、そうして引き出した資金でキャノンランドを建設したのである。その敷地は元軍事基地であり、資材等は一部、要塞の設備を解体、流用した。そのため結果的に結構な安価で建設する事が出来た。その後も同施設は拡張され、今や全宇宙的に有名な観光スポットとなっているのであった。


 暗闇の中に、オレンジ色の薄暗い光が射し込んだ。誰かが部屋の扉を開いたのであった。

「Cー5(チャーリーファイブ)、戻りました」

戸口で、ひょろりとした男が低く抑えた声で報告した。観光客らしい、カジュアルな格好である。室内に進むと暗闇の中に溶け込む。

「Cー6、戻りました」

続いて背の低い、子供の様な男が入ってくる。否、声も含め完全に子供である。やはり観光客然とした服装である。二人は親子という体で出掛けていたのである。扉が閉じられ、室内は再び闇に沈んだ。

「ご苦労。観測結果を」

二人が着席するのを待っていたかの様に、落ち着いた大人の男の声がする。

「はっAー1(アルファワン)。やはり、皇帝一行はオテルドルレアン宮に移動する模様です。皇室警護隊車輌の出入りが活発です」

「指示通り移動ルート全てに置き土産をしてきました。まぁ、今頃は全て回収されているでしょうが」

置き土産とは、自律型自走地雷の事であった。親役はともかく。報告する子供の声と、その内容のギャップは甚だしい。

「…上出来だ。これで我々の皇帝暗殺シナリオによりリアリティが加えられる…ブラヴォーチームは残念だったが」

「まさか、ランドの武装警備員にやられるとは…」

「いや、皇室警護隊では?」

少々剣呑な親子の会話。

「いえ、どうやら別の組織が動いた様です。傍受した限りでは、Bチームの身柄は皇室警護隊に渡っていない模様ですから」

また別の、少し甲高い、中性的な男性の声。

「本当か、Aー3?とすれば、どこが…」

「恐らくは、統治顧問団だろうな」

A-1のその一言に、息を飲む音がする。統治顧問団とは、正アクイナス帝国の健全な国家運営を補佐するという大義名分のもと、アクイナス共和国が組織し送り込んだ、大使館的役割も持つ国政関与のための機関である。規模を問わず、どの様な政策もこの機関の同意を得られなければ実施困難であった。カイム達もここに所属する駐在武官であった。

「…それは、タカツカサの?」

「多分な。目にした事はないが、高周波振動剣の使い手と聞く。となれば、こちらもそれ相応の装備で迎撃しなければ」

「「「了解!」」」

三人分の声が重なった。


第二章

 そこは、皇帝の居ます場所としては、酷く簡素な部屋であった。テニスコート程度の広さの、正アクイナス帝国霊廟である。長方形の短辺には、初代と第二代、二人の棺が安置され、肖像画(油絵の具で描かれたものである)が飾られている。室内は異様に暗い。蝋燭五十本余りの明りのみを照明としているからである(蝋燭はカプセルに入れられ、独自の空調装置内で点火、消火が可能である)。簡素ではあるが、帝国領内にあってもこの上なく贅沢な部屋であった。中央の初代皇帝の左側は空いており、第三代皇帝の崩御後、その棺が安置される筈である。いま、その最後の棺に納まる筈の少女は、棺の前に傅いていた。

「お祖父様、お父様、暫くの間留守に致します。安寧をお守りできぬ未熟をお許し下さい」

深々と頭を垂れる。今、室内には彼女の姿のみがある。霊廟に入室を許される者は、極めて限定される。その部屋は、帝国の記憶を留める最後の砦なのである。たとえ政体が変わろうと、その部屋のみは残される事が取り決められていた。

 背後の、重厚そうな木製の扉がノックされた。

「陛下、準備が整いまして、御座います」

女性の声。それは、狙撃銃のスコープを覗いていた者のものであった。

「…今暫く、待つがよい」

少女は床の錫杖を手に立ち上がった。再び頭を垂れ、踵を返すと扉へ静かに歩み寄っていった。


 皇帝が平時起居するエルマンド宮は、官庁街の真ん中に鎮座する。元来は要塞防衛司令本部であった建物を改装、増築したものである。そこにはまた、皇室警護隊本部が設置されていた。

「はぁ…面倒臭いね。報告書なら転送したのに、何故呼び出すかね」

エルマンド宮の廊下を歩きながら、カイム少佐は愚痴を吐いた。

「テロリスト達の身柄引き渡しに念を押すためだったのでしょう?」

付き従うミリナの答えに、カイムは鼻を鳴らした。

「ふん。そんな事は言われなくてもしてあげるよ。こちらの取り調べが済めばね」

「しかし少佐、取り調べと言っても…」

「ああ、一人しか無理だろうね。みんな生体ユニットがダメになっていたし」

「…それは少佐が剣で養分供給系を破損したからでは?」

カイムが左手を掛けている高周波振動剣を一瞥する。

「仕方がないだろう?完全交換体なんて、何がどこにあるか判らないし…」

その様な二人の会話に割り込んだ者があった。

「カイム、カイムではないか!?」

未だ幼さの残るその声は、キャノンランドで来場者に語り掛けていた少女のものであった。小走りに近付いてくる足音。声の主を熟知している二人は、立ち止まって踵を返すなり、恭しく頭を垂れた。

「これは皇帝陛下、ご機嫌麗しく」

女王の時とはまた異なる錫杖と服装の彼女こそ、正アクイナス帝国第三代皇帝ハナ・クリスナⅡであった。その背後に控える男装の麗人は、巨大モニタ上で狙撃銃を構えていた女性であった。平静を装いつつ、二人に向けられる視線には敵意が宿っている。

「直るがよい。此度は何の用かな?まさか貴公が要人警護でもあるまい?」

まるでカイム達がふらりと遊びにでも来た様な口ぶりである。

「ははは、これでも仕事なのですよ。アーリア司令と、帝国領内に侵入する不逞の輩の情報共有について、少々打ち合わせを」

「そうであったか。アーリアは神経質になってはいなかったか?またその不逞の輩がしでかしおってな」

皇帝はカイム達の活動を聞かされていない。いかに保護国とはいえ、他国の軍隊が自国民保護等の目的以外で動くのは問題がある事、何より皇室警護隊の威信、存在意義に関わる事等により秘密とされているのである。

「陛下、お急ぎを」

背後から侍従たる男装の麗人が、引き離そうとするかの様に急かす。

「そう急かすでない、アリス。時間はかからぬ」

「どちらへお出でですか?」

行き先については熟知していたが、自然さを装うため訊ねる。

「うむ、離宮へな。いつもの事ではあるが、煩わしい事よ」

微かに眉根を寄せる。

「陛下、お聞き分け下さい。ここでは敵の攻撃により市民や観光客等に被害が」

「判っておる。それではカイムよ、またの機会にの。今度はあの、居合い抜きと言うのか、あれをまた見せてはくれぬか?」

「相応しき場所が与えられましたならば」

人好きのする笑顔と共に答えた。

「そうであるか。用意をしよう。ところで、このまま離宮へ共に赴いてくれるならば心強いのであるが」

「陛下…」

侍従は少し咎める様な口調で言った。

「はは、戯言じゃ、許すがよい。では行くぞ、迎えが待っておる」

再び頭を垂れたカイム達の横を、歩み去ってゆく。

「これから先も、こういう目に遭うんだろうね」

未だ十代である皇帝の背中を見送りながら、ぽつり、呟くカイムに。

「ならば、いっそ退位なされば宜しいのです」

それは帝国の終焉を意味していた。

「そうだね…私達が敵になる前にね」

とても小さく、カイムは呟いたのであった。


 大型旅客船”アークエンジェル”は、定刻通りに第六港湾区に進入した。かつてこの正アクイナス帝国が”殲滅要塞”と呼ばれていた頃には、軍艦がひしめき合う様に停泊していた宇宙港は、今や各国からの客船が舳先を連ね、優雅さを競っている。この港湾区は客船専用であり、停泊用設備など、大幅な改修が行われていた。

 ”アークエンジェル”周辺に、自動タグボートが集合し始めた。船腹に取り付き、指定された桟橋まで誘導する。接岸するや、来客用エアロックに桟橋から延びてきた通路チューブがドッキングした。エアロックを出た乗客達は、チューブを通る間無重力状態を楽しむ事となる。そうして桟橋に降り立った人々の中に、その女性は居た。褐色の肌に黒い瞳と髪、パンツスーツ姿のその女性は、軽やかな足取りで入国カウンターへ向かった。その後を二人のスーツ姿の男達が少々間を置き追跡していた。

 入国カウンターは桟橋内にある。何本かのレーンのうちどれかに並び、順番が来ると脇の機械にパスポートを翳す。瞬時に暗号化された個人情報や入国許可証などの情報を読み取り、顔や指紋などの照合のために使用される。もし書類に不審点や、照合結果が”ペルソナ・ノン・グラータ”(好ましからざる人物)であった場合など、カウンターは閉鎖される。入口側の扉が閉じ(出口側は最初から閉じている)、警備兵に連行されるのである。同時並行で実施される危険物所持検査に引っかかった場合も同様である。

 入国審査を難なく通過した女性は、最後に荷物受け取り用のカードを渡された。それを手に荷物受取所へ向かう。そこには、カード挿入口と足元にコインロッカーよりも一回り大きな扉があるだけの、無愛想な装置が何台も並ぶ部屋であった。そのうちの一台のカード挿入口に渡されたカードを挿入すると、暫くの後下の扉が開き、旅行鞄が一つ出てくる。取っ手を伸ばすと、それを滑らせつつ出入り口へ向かった。二人の男は、手ぶらのままイヤホンマイクに何事かを小声で呟きつつ、やはり少し間を置き追跡を続行したのであった。


 何重もの重厚な扉で閉鎖されていたゲートが開く。そこから先は、離宮であるオテルドルレアン宮へ続く一本道である。ゲートの構造からして察せられる通り、正アクイナス帝国最後の砦であり、関係者以外一切立ち入り禁止の区画であった。開かれたゲートを、何台もの装輪装甲車が通過してゆく。その車体何カ所かに、大小様々な盾と王冠をあしらったエンブレムが描かれていた。皇室警護隊であった。ゲート向こうは薄暗く、道路両側には一切建物の類は無く、アーケード状の歩道が続いている。そこには警備兵達が展開し、屋根の上には機関砲座が等間隔に並んでいる。警備兵や機関砲座を除き、帝国領内の市街地はどの階層もそこと同様な構造であった。帝国領は、玉葱状の構造を持っている。半径数キロメートルある中核部より、外側に十六~二十五の階層があり、一階層の地上部の高さは四十メートル余り。地下構造も含めれば五十メートル余りとなる。元来が軍事施設であるので頑丈に出来ており、ある階層で大爆発が起きようと他の階層へはまず影響は及ばない。宇宙港などは数階層ぶち抜きとなっている。中核部は巨大ビーム兵器と附属設備、反重力炉や汚水処理、空気浄化設備などの生命線が集中配置され、最重要機密かつ最重要警戒区域となっている。

「いつ見ても、つまらぬ光景であるな」

窓外(装甲車に窓はないので、周辺警戒用カメラの映像を、窓枠状のモニタに映しているのであるが)を眺めながら、溜息混じりに皇帝は呟いた。彼女の座乗する装甲車には、皇室警護隊のエンブレムの他、ツタ模様の装飾が施されている。彼らの使用する車輌は、防御力のみならば戦艦並みなどと言われており、おおよそ個人携帯用の兵器などでは、撃破は困難なのであった。

「陛下…」

向かいから声を掛けられ、そちらへ首を巡らせる。

「何か?」

目の前には、あの侍従が着席していた。二人ともソファに腰掛けているが、殺風景な車内では浮いている。

「どうか、あの様な発言はお慎み下さい」

「あの様な、とは?」

問い掛けられ、侍従はチラリ、運転席の方を見遣った。警備兵二人が向かい合わせに長椅子に腰掛けている。テーブル上のスイッチを操作すると、警備兵達との間にシャッターが降りてくる。二人きりになったとたん、侍従が話し出した。

「カイム少佐に、離宮までの同行を希望する様な事をおっしゃいました」

「そうであったな」

「もし、あのお言葉を口実に、あの者達が離宮まで同行してくる様な事となれば、いかがなされたおつもりですか?」

「余は心強い、と言った筈であるが?」

侍従は小さく溜息をついた。

「陛下、以前も申し上げた通り、あの者達は我らの味方では御座いません。いつ背馳するやも知れない、潜在的な敵に御座います。今回の暗殺も、あるいは彼らが手引きした可能性も御座います」

その可能性は極めて低い事を知りながらも、皇帝が事情を知らないのを良い事にそう吹き込む。

「…つまり、余自ら暗殺者の手引きをする事になりかねない、と?」

「僭越ながら、そう愚考いたします」

「…なるほど、一理あるやも知れぬな…ところで、もしアリスよ、貴公の推測通りにあの者達の計画が推移したとして、余を手に掛けた後どうなるのであろうか?」

「最初から、死は覚悟の上かと」

「あの者達は、あるいはな。では、その後は?」

「帝国軍統合参謀本部は、全軍に対し共和国への戦闘準備命令を発令するでしょう」

「”正アクイナス帝国処分条規”は無視して?」

「陛下が暗殺されたならば、当然の措置です」

「では、もし余が退位した場合は?」

「もし他国からの圧力によるものと見なされるならば、同様の事となりましょう」

「そうであるか…ところで、その時帝国領内におる他国民はどうなるのであろうか?まさか余を退位させ、あるいは暗殺しておいて、国民は素直に帰国させて貰えるなどと、無邪気に信じてはおるまいよ?」

「それは…ですが、国民を人質に取る様な事をすれば、救出部隊との衝突は避けられません。最悪人質に多数の死傷者が出る事となるでしょう。そうなれば、我々はどの様な報復を受ける事となるか」

「そうであろうな。我らは滅びるかも知れん」

開かれた右手を見詰めつつ独白した。その愛らしい面に悲哀が漂う。しかし、その目は伏せられる事も彷徨う事もなく、忠誠心の固まりの様な侍従へ、つ、と向けられた。

「もし、あの者が害意をもって向かって来たならば、余の力を発動させたとしても、恐らくは敵うまい。所詮我らは、結局は誰かの思惑により生かされているにすぎぬ」

傍らの錫杖を、右手で掴む。

「余は帝国民に棄てられるまで退位はせぬ。殺されもせぬ。帝国が共和国の一員に、平穏のうちに移行できるよう皇帝であり続ける」

「陛下…」

今にも零れ落ちそうな涙を堪えつつ、両手で顔を擦り、頬を叩く。苦心して平静の表情を取り戻すと、侍従は再びテーブルのスイッチを操作し、シャッターを収納したのであった。

 やがて装甲車は停止した。検問所であった。先頭の装甲車に搭乗していた班長がIDカードを提示し、警備兵がハンディターミナルで確認すると、ゲートのシャッターが上げられ、バリケードが道路内に引き込まれる。車列は敬礼に見送られながら、オテルドルレアン離宮の正門を目指したのであった。


 カイムのオフィスで彼はミリナの報告を聞いていた。今回の暗殺未遂に関する調査報告であった。

「あの者達は”ワイルド・ウィーゼル”のメンバである事が、腕のタトゥーから判明しました」

タトゥーと言っても、意識的に浮かび上がらせるタイプのものである。

「あそこかぁ。まぁ、傭兵団と言うより暗殺者集団だからね」

「はい。未だ人数及びメンバの素性は不明ですが」

「それは取り調べ次第かな。準備はまだ?」

「出来次第、連絡が」

「そうか。ところで、彼らがキャノンランドに武器を持ち込んだ方法は?」

「チューブを利用したものと思われます」

「証拠が?」

ミリナは一つ頷いた。キャノンランドは重要な施設であり、皇帝もキャストとして出演する事があるため、さりげなく厳重な入場チェックが行われる。ゲートから危険物を持ち込む事はほぼ不可能と言えた。ランド内にも警備員はもちろん、キャストに扮した皇室警護隊の警備兵が配置されているのである。

「地区担当の物流管制センターから提供されたチューブの稼働状態を精査した結果、ランドの荷物集配所を出た生鮮食料品用コンテナに、不審な動きが見られました」

「不審な動き?」

「はい。約1分間、停止していた可能性が。不自然な加減速が記録されています」

チューブとは全自動の貨物輸送網である。領土全体を網羅し、設定された区画毎の物流官制センターで監視、制御している。もちろん区画を跨いでコンテナを流通させる事も可能である。

「つまり、その1分間に武器を便乗させて貰ったと?アクセスハッチの開閉状況は?」

「記録されています。ランド外とランド内で」

「ふぅん。仲間がランド外で武器を仕込んで、ランド内に客として入場し、受け取ったのが彼らか」

「あるいは、ランド内に協力者が?」

「身元調査は厳重にやっている筈だし、そうでなければ良いんだけれどね。何れにしろ、チューブのアクセスハッチのセキュリティを強化するよう忠告しよう」

「やはり”帝国義勇兵”の仕業でしょうか?」

”帝国義勇兵”とは、アクイナス帝国軍の元軍人、その子孫(共和国軍の現役軍人など含むと推測される)などが、共和国打倒及び正アクイナス帝国排除を謳い結成したテロ集団である。彼らにすれば正アクイナス帝国は帝国を冒涜する許し難い存在である、という事らしく、領土侵攻作戦計画や暗殺計画を幾度となく実施し、悉く失敗してきていた。計画阻止のその裏には、カイムの実家であるタカツカサ家も深く関与してきたらしいのだが…

「どうだろうねぇ。あそこはあくまで自力で行う事に固執してきているからなぁ。まさか、メンバって事もないだろうし」

と、ミリナのイヤホンマイクに着信があった。

「…了解。少佐、準備完了との事です」

「了解、行こうか」

椅子を立ったカイムは、ミリナを従えつつオフィスを後にしたのであった。

 耐爆ガラスの向こうには、さして広くない部屋があった。その中央には担架状の台が置かれ、その上には円筒形の透明なケースがあり、液体が満たされている。その中に吊され、たゆたっているのは、人の中枢神経系であった。テロリストの完全交換体から摘出したものであった。ケースの下から伸びたチューブ類が、脳幹近くに設置された人工循環器に接続されている。ケースの下には、四本の支柱に支えられた何本かのリングがケースを囲う様に設置されている。その上方には幾つものマニュピレータが見切れていた。

「始めて下さい」

ミリナの合図に一つ頷き、男性のオペレータがコンソールを操作する。ケース内の液体が、ぼんやりと青く輝きだした。リングから放射された電磁波に反応し、発光しているのである。これが彼らの取り調べであった。

「何か出てくるといいねぇ」

ミリナの横でケースを見守るカイム。

「ほんの僅かでも、記憶を抽出出来れば…」

生身や身体の一部を人工物と交換した不完全交換体に対してはまた他の記憶抽出方法が存在するが、外部からの干渉等から特別に脳などの生体ユニットを保護されている完全交換体には、この方法が一般的であった。

「依頼主が判れば最高だけれど、せめて仲間が判ればね」

「アブシデ協商同盟加盟のいずこか、でしょうか?」

「かもね。”解放戦争”の時だって、傭兵にちょっと戦わせて、しっかり連合軍の尻馬に乗ったんだしね…ただ」

「この時期に、ですか?」

考え深げなカイムの胸中を、ミリナは忖度した。

「うん、そうなんだ。それが疑問なんだよなぁ」

右手で顔をさするカイム。この疑問の背景には、アクイナス帝国皇室の莫大な資産の帰属という問題があった。 ”解放戦争”の敗北によりアクイナス帝国最後の皇帝フェリポ・マクシムⅡが退位した後、正アクイナス帝国皇帝フェリポ・マクシムⅢが即位すると、その父である元皇帝が国外の資産、その大部分を新皇帝に贈与すると言い出した。皇室には長年優秀な資産運用担当者が仕え、その資産を膨張させ続けてきたのであった。今や個人資産として贈与するにあたり、巨額の税金納付や、国庫から皇室へ拠出されてきた諸経費の返納などが行われたが、それでもなお世界に多大な影響を与えうる程の資産が贈与されたのであった。連合諸国は、それが反連合活動に投入される可能性を盾に取り、未だ全面的な資産凍結解除に反対している(贈与時の税金などは一部解除して貰い支払った)。とはいえ、実のところこの莫大な資産を、連合諸国で仲良く分配しよう、という魂胆が垣間見えていたのである。そのためアクイナス共和国に対し、その凍結資産放棄を要請していたのであった。未だ後嗣のないハナ皇帝の崩御により、直系相続人の途絶えた皇室の資産は、アクイナス共和国の国庫に納まる事となる(そう”正アクイナス帝国処分条規”に規定されている)。そうなる前に共和国に凍結資産放棄を確約させ、その後ハナ皇帝には退場を願う、というのが連合諸国、とりわけ最大の凍結資産を抱えるアブシデ協商同盟にとって最良のシナリオの筈であった。未だ共和国は個人資産に関する事だからと、要請を拒み続けていた。この図式を裏返せば、共和国も同様だからであった。連合諸国に資産凍結解除を行わせた後皇帝に退場願うならば、莫大な資産はそのまま国庫に納まるのである。帝国にとって共和国は味方と言い切れないのであった。以上述べてきた背景により、カイム達は暗殺時期が尚早と判断し、不審に感じていたのであったが。

「でもまぁ、もっと別の動機もあり得るしね。”解放戦争”で辛酸を嘗めさせられたとか、あるいはそもそも反乱を企てた元帝国民だとか」

「しかし、今更暗殺を?」

「そうだねぇ…まぁ、これでヒントが得られればいいけれど」

「記憶抽出開始しました」

オペレータの操作で、耐爆ガラス上に映像が表示される。ザラつき歪みのある映像は、細切れで脈絡がない。

「後で補正、精査しないと」

少々うんざりした様にミリナが呟く。その間にも映像は流れ。

「ん?」

カイムが声を漏らしたとたん。

「何だ!?」

オペレータが焦燥の声を上げた。

「どうした?」

「人工循環器が発熱して!」

ケースを見れば、液体が泡立ち始めている。

「不味い、止めて!」

ミリナの指示の間に、人工循環器が閃光を放ち、破裂した。ケースに穴が空き、噴出する液体と共に、挽肉状と化した中枢神経系が流れ出す。

「あーあ、これで引き渡せる犯人はいなくなったね」

「事故、でしょうか?」

「いや、恐らく取り調べ対策の自爆装置だね。条件で自動的に発動するのか…まぁ、昏睡状態にしてあったんだから、意識的にって事はないか」

オペレータの呼び出した研究者らしい男達が後始末する様子を眺めながら、カイムは腕を組んだ。と、イヤホンマイクが電子音を鳴らす。

「ん、誰かな?」

ミリナに目で席を外す事を伝え、部屋を出て行く。

 廊下に出、胸ポケットの情報端末を取り出す。画面には、褐色の肌の、同年代らしい女性の顔。

「カルロ…」

久々に目にするその顔を、カイムは少し眉根を寄せて眺めた後、通話ボタンを押したのであった。


皇室警護隊司令アーリア・ケイツは激昂していた。ブチギレ、と言ってよかった。

「ここまで愚弄するか!」

モニタを投げ飛ばすぎりぎりのところで理性を保ち、デスクを拳で叩く。モニタには、テロリストを引き渡せない旨のメールが表示されていた。

「何故我々に先んじて動けるのでしょうか?」

正面で直立している男の副司令が問い掛ける。

「知るものか!知っていたなら先んじられる筈がない!」

ほつれた髪を直す。

「やはり、タカツカサ家独自の情報網が構築されている、という噂は本当でしょうか?」

「…その噂が本当ならば、我々は既に共和国の統治下にあるのと大差ない、という事か…」

荒くなった息を整え、口惜しげに呟くと両手で頭を抱えたのであった。


第三章

 夜時間の繁華街は、観光客の親子連れや、男女様々な組み合わせのカップルなどで賑わっていた。帝国領内は極めて治安が良い。犯罪を犯したとしても逃走が容易ではなく隠れ場所も限定される。また警察機構も謹厳実直であった。それに関しては、領内に暮らす国民がそもそも少なく(五十万人余り)、建国時の事情から軍、警察関係者が多数を占め、観光収入による潤沢な国家予算のため給料も良い点が大きいであろう。更にはある種の危機感に起因する一体感も強いのであった。と、それはともかく、今や正アクイナス帝国は安心して遊べる、宇宙に浮かぶ夢の箱庭として国際的に定着しつつあったのである。

 繁華街を通る車列(全て電気駆動車である。帝国領内で排気ガスを垂れ流す化石燃料車を走行させる事は許されない)は、遅滞なく流れていた。離宮への道路と同様ながら、両側には建物が並び歩道のアーケード上に機関砲座は無いが。歩道は空気圧低下などの緊急事態にはシャッターが降り、簡易シェルターとなる。車道の下をチューブも走っている。

 車列の車間距離は、ほぼ一定であった。自動運転による人為的ロス解消の成果であった。その中にカイムの乗用車もあった。運転席に一人、しかしステアリングは収納され、スーツ姿の(当然大小も帯びていない)彼は、腕を組みぼんやりと前を眺めている。その表情は、やはり少々険しめである。カーナビモニタの表示は、間もなく目的地に到着する事を示していた。

 バー”アースライト”のカウンターで、カルロは先にグラスを傾けていた。

「あら、お久しぶり」

コースターにグラスを置く。

「そうだね、少々驚いたけれどね」

隣に着席するカイム。

「そうだった?どうしたの、険しい顔をして?」

「…正直、悪い予感しかしないんだけれど」

言って同じ物を、とバーテンダーにオーダーする。

「あら、お言葉ねぇ。元恋人に対して」

悪戯っぽく微笑むカルロを睥睨し、溜息を一つ。

「タカシを振るのに突然言い出した事でしょう?あの後少々面倒な事になったんだけれど?」

グラスを取り上げ、半分ほど呷る。

「あら、本気だったって思わなかった?」

下から顔を覗き込んでくるのを、視線を外しつつ右手で髪を撫でつける。

「学校時代はともかく、現場に出てからも何度か尻拭いさせられたし」

「あら、私のお尻を拭いてくれたかしら?」

「ふざけないでよ。早く用件に入って。昔話するために呼びつけた訳じゃないでしょう?」

「そうね」

微笑みが消える。居住まいを正すと、再びグラスを傾け。

「実は、相談があるの」

「相談?」

「ええ。私がアブシデ協商同盟圏内で凍結資産の管理人をしてきたのは知っているわよね?」

「うん」

「今回は任期終了で帰国するのだけれど、少し気掛かりな事があって」

「どんな?」

「向こうで親しくして貰っていた資産家の経営していた会社が倒産してね。破産管財人が入ったのだけれど、その人が会社の資産をつまみ食いしているらしいのよ」

意味ありげにカイムを見詰める。

「…へぇ、それで?」

その意味を読み取り、カイムは先を促した。

「その会社の資産を狙っている同業他社は複数存在するのだけれど、彼らに知られては不味い訳ね。この事実を知っている者にも黙っていて貰わないと」

「何か、きな臭いね」

「そうなのよ。本来なら、司法当局に介入して貰うところなんでしょうけれど、そちらの方に顔が利くらしくて、なかなかね。だから、貴方のところでどうにかしてくれないかしら?」

「私達のところで?」

「貴方の力でもいいわ」

耳元に口を近付け、囁く。少し身を引くカイム。

「いや、アブシデじゃねぇ、大した役には立てそうにないよ?」

小さく首を振った。

「あらそう?残念」

肩を竦めてみせるカルロ。

「ところで、他にあちらで出来たお友達がいるみたいだけれど?」

さりげなく背後をチラ見する。店の戸口で一度見回したとたん、その男達には気付いていた。まずはその雰囲気。次に完全交換体から発する、特有の微かな科学薬品臭。事故や病気などで体の一部を失ったとしても、再生医療の発達により欠損部分の補填が容易となった時代、敢えて初期費用、維持費の高額な人工物を使用するメリットを取る者達の職業は限定的といえた。軍隊では個人装備として宇宙服とパワードスーツの機能を一体化させ耐弾、耐衝撃性能を付与した装甲外殻が一般化しており、完全交換体化するのは軍内でも一部の特殊部隊や、非合法な活動を行うテロリスト達と相場が決まっていたのである。また、ごく一部には特殊な事情により生身の肉体を捨てざるを得なかった者達もあったが、彼らが後者に当るとは思われなかった。そして不自然なライター。テーブル上のそれが、煙草を吸う筈のない彼らに不要な物であると一目瞭然であった。恐らくはカメラであろう。

「あら、友達じゃなくてストーカーならいるけれど。こちらも悩みの種よね」

上着のポケットから何か取り出し、カイムのグラスに落とす。カイムはグラスを右手で包んだ。

「じゃあね、楽しかったわ」

立ち上がり、一人出て行く。それを追い、男達も席を立った。一人残されたカイムは、グラスからカルロの置き土産を摘み上げた。それは透明なケースに収められたメディアであった。ハンカチを取り出し包み込んでポケットに納めると、カイムも席を立ったのであった。

 駐車場には、彼の乗用車以外停まっていなかった。帝国領内でも飲酒運転は犯罪であるが、まず逮捕に到る事はない。運転などまずしないのであるから。

 鍵を開け、運転席に滑り込む。電源を入れるとライトが点灯する。その光の中に、二体のヒトガタが入ってきた。ロボットの様なメタリックの外観のそれを、カイムは熟知していた。装甲外殻。戦時中でもない限り、街中で目にする事はまず無い。天井に右手が伸びる。

『おい、お前!』

ヒトガタが、加工された声で呼ばわった。その一体は正面を、もう一体は運転席の横へ素早く移動する。窓ガラスが叩かれた。

「はい?」

面食らった様に、開いた窓から顔を出した。

『お前は、バーで女と会ったな?』

「そりゃあ、バーはそういう所でしょう?」

とぼけてみせると、ネクタイを掴まれた。

『下らねぇ事言ってんじゃあねぇ!あの女から、何を渡された!?出せ!』

「ちょっとちょっと!落ち着いて…」

狼狽した様な声を上げながら、右手は車内をまさぐり。

「!」

ネクタイから手が離れる。装甲外殻の胸部から、短剣の柄が生えていたのであった。耐弾性に優れる装備も、高周波振動剣にはさして効果がない様である。車に凭れ掛かってくるのを、カイムはドアを開け倒した。

『てめぇ!』

前を塞いだ装甲外殻が走り出したのと、乗用車が走り出した(一時的に手動運転に切り替えた)のとはほぼ同時であった。装甲外殻はボンネット上に乗り上げ、組んだ両手を振り上げるとフロントグラスへ打ち下ろした。通常ならばヒビで白くなる筈が、衝撃を吸収され微動だにしない。

「悪いけれど、この車には皇室警護隊用並みの防御力があるんだ」

車内から飛び出しざま、言いつつ右手の剣を振るう。振り上げられた両腕が甲高い金属音を上げ、合掌状態のまま転げ落ちる。

『おうぅ!』

苦痛の声を上げながらも、ボンネットの上から向こう側へ転げ落ち二撃目を避ける。しかし両腕を失った状態では、立ち上がる事もままならない。その隙を、カイムは逃さない。背後から、立ち上がりかけたその両脚を薙ぎ払う。

『ぐぁぁぁ』

途切れた手足をばたつかせると、黄緑色の液体が飛び散った。

『死ねぇ!』

仲間が短剣をそのままに、ボンネット上に跳躍した。そのままカイムに躍りかかろうとして、しかしカイムに先んじられた。こちらも両脚を薙ぎ払われ、二体は仲良く転がった。

「丁度良かった。これで引き渡せる犯人が出来たよ」

短剣を引き抜こうと左手を伸ばし、それを掴もうとしてくるのを切り払うと短剣を引き抜いた。運転席に横たえられていた鞘に大小を収める。トランクを開けると騒々しい二体を放り込み、手足は後部座席へ。黄緑色に床が少し汚れるが、気にする風もない。ドアを閉め運転席に回り込み、乗車するとトランクを閉めた。ドアを閉め自動運転に戻しカーナビの行く先にエルマンド宮を指定すると、車は静かに走り出した。

 カイムの乗用車が、交差点の先頭で停まった。交差する道路に車が流れようとし始めたその時、不意に警報が鳴り響いた。何者かが重大な交通法規違反を犯したのである。車の流れが即座に止まる。向こうの対向車線から、他の車と衝突するのも構わず一台の黒い車が飛び出してくるのが見えた。その上空を、警察のドローンが追跡している。車はカイム車へと突進してくる。そのまま正面衝突した。相手はボンネットをひしゃげさせたが、カイム車はびくともしない。

「はは。普通の車で、これに正面からブチかましてくれるなんてね」

右手を天井に伸ばす。長方形の蓋を開くと、中からは頼もしい相棒が姿を現す。窓の外では、車を飛び出した二人の男(カルロを尾行していた)が機関銃を乱射していたが、運動量吸収甲鈑製のボディは銃弾を悉く路面に転がしていた。フロントグラスも同様である。左手の盾を展開し、剣の柄に手を掛けカイムが飛び出そうとした、と。一人の胸に、大きな穴が空いた。もんどり打ち倒れる間にも、もう一人も同様の運命を辿る。見れば、交差点の向こう側、対向車線に仁王立ちとなり拳銃を構えているカルロの勇姿が。

「雄々しいねぇ」

警察のフローティングカーがようやく到着したのは、その直後であった。

 男達は未だ生きていた。完全交換体の面目躍如である。護送車に収容、連行されてゆく傍ら、カルロとカイムも事情聴取を受けた。カイムは身分証を示し、自分がテロリストに命を狙われており、危機一髪のところをカルロに救われた事、男達の仲間を生け捕りにし、皇室警護隊に引き渡すためエルマンド宮へ向かっていた事などを説明した。男達の目的は仲間の奪回であろうという推測を添えて。カルロの拳銃は正式な所持許可を得ており、ドローンの映像からもその使用は緊急避難措置として正当と判定され、二人は間もなく解放されたのであった。

「あーあ、やっぱり悪い予感は当ったなぁ」

運転席でカイムがぼやくと。

「あら、私は疫病神?」

少し拗ねてみせる様に、助手席のカルロ。

「そこまでは言わないけれど、ね」

小さく溜息をつく。警察署を出た後予定通りカイムはエルマンド宮に寄り、生け捕りした者達を引き渡したのであった。今はカルロをホテルまで送る途中である。

「ところで、何で皇室警護隊なの?」

興味津々、といった風で訊ねてくる。

「そうだね…今抱えている事件に関係していそうだからね。さっきの君の話で、どうやら見えてきた様だよ」

「何が見えてきたのかしら?」

「それは…それより、帰国の準備はどう?統治顧問団への挨拶回りは?」

無理矢理話題を切り替える。共和国出身の彼女は、統治顧問団の推薦という形でアブシデ協商同盟担当資産管理人に就任したのである。

「明日よ。今日は真っ先に会いたい人が居たし」

カイムの頬に、軽くキスする。

「私を唆しても、大した役には立てないよ?」

「あら、残念」

くすり、と笑う。と、次の瞬間には真顔に。

「また陛下の暗殺未遂なのね?タイミングが悪いわ。帰国の挨拶なんて出来るのかしら?」

「…タイミングが悪い、ね…少し、帰国が遅れるかもね?」

「陛下には申し訳ないけれど、それは困るのよね。早く返答があればいいのだけれど」

エルマンド宮に寄った際、カルロはアーリアを通じ最後の活動報告及び帰国の挨拶のためのスケジュールをくれるよう依頼していた。返答を直接貰えるよう、情報端末の番号も教えてあった。

「ああ、そうだ。さっき預かった物を返さないと」

ポケットに伸ばしかけた右手を、カルロは制止した。

「いいわ、コピーだから。持っていて」

「いいの?重要な物でしょう?」

無言で頷くカルロ。そうこうするうち、乗用車はホテルの正面玄関前に停まった。

「それじゃ、またいつか」

助手席のドアを開ける。

「…ねぇ、私の部屋に、今夜泊まらない?」

「悪いけれど、明日も仕事だしね。宿舎に」

「私じゃ、ダメなの?」

カルロの方を見遣れば、真顔で見返してくる。

「…冗談だったら、感心しないよ?」

「…冗談だと、思う?」

瞳が潤みだす。暫し見つめ合った後、硬直していたカイムはドアを閉め、カーナビに駐車場行きを指示したのであった。


 暗闇の中、会話する四人の声がした。

「Cチームも君達を除き、全滅か…」

「計画は台無しです、A-1…」

口惜しげなC-5の声。カイムとカルロの活躍により、Cチームは機能不全状態と化していたのであった。

「事ここに至った以上、作戦中止を進言しては?」

C-6が躊躇いがちに言うが。

「それは無理だ。この作戦が失敗となれば、依頼主も我らも終わりなのだからな」

A-1の、言下の否定。

「ならば、Aチームも召集し、全力で!」

「忘れましたか?彼らには退路確保という重大な役割があるのですよ」

苛立つC-5を宥める様なA-3の声。

「では、我ら四人で襲撃を!?」

「充分可能と考えるが?標的さえ確実に仕留めれば、後は時を見極め撤退するのみなのだからな」

「…了解しました。標的の動向は?」

「既に拝謁日時の問い合わせメッセージを捕捉しました。応答も間もなくです」

「その時まで、行動を控えるよう。装備の点検を万全にな。例の邪魔者に対する装備も調達してある」

「おお、それは!のこのこ出て来たなら、報復の絶好のチャンスですね!」

幼い声がはしゃぐ。

「子供用は用意してあるので?」

「調整済みですよ。後で試着して下さい」

「話は以上。解散!」

A-1の号令一下、暗闇の中に蠢く者達の音だけが響いた。


 翌朝。情け容赦ない光量を誇る全天照射パネルの光が、彼女を覚醒させた。レースのカーテンの役立たず、と無体な文句を心の中で呟き、シーツを胸元まで引き寄せつつカルロは上体を起こした。彼女は全裸であった。昨夜、カイムと濃厚な愛し合い方をし、久々に女の愉悦に耽溺した。カイムとは、これが始めてであった。職務上、必要とあれば男女を問わず女の武器を用いる事も厭わない彼女が感じられた、ほぼ唯一の至福の時。それまで快楽はあっても、幸福は無かったと言ってよい。幸福を感じようとする努力は虚しいものであった。

 サイドテーブル上の情報端末には、音声メッセージ有り、のアイコンが表示されていた。そっとタッチすると。

『お早う。任務があるのでお先に失礼するよ。またいつか、再会する時を楽しみにしているからね』

言葉とは裏腹な、無機質な微笑を浮かべたカイムの映像が消える。まるで二人の間には何も無かったかの様な態度。知らず、頬を涙が伝う。きっと彼は、自分が誰かから異性として愛されているなどと、微塵も考えてはいないのだ。いや、その様な事は理解していた筈。昨日の事も、何らかの目論見があって報酬の前払いをした程度にしか考えていないに違いない。そういった面を、完全には否定出来ない。しかし、それだけではない…涙を拭い、両手で頬を叩く。自分に喝を入れた。そう、私は計算高く強かな女でなければならない。組織、上司、そして何より彼を失望させないために。深呼吸を何度か。全裸のままベッドを降り、浴室へ向かう。

 拝謁日時の返答メッセージを受信したのは午後、統治顧問団への挨拶回りを済ませた後であった。

「明後日、ね。連絡しておかないと」

情報端末からメッセージを消し、ポケットに仕舞う。イヤホンマイクに向かい、暗号らしい名へ電話を掛けるよう指示したのであった。


第四章

 朝のオフィスで、カイムはミリナから報告を受けていた。

「やっぱりそうか。今回の一件、一筋縄ではいかなそうだね」

モニタに表示されていた映像を見終わるや、開口一番カイムが呟く。

「目的が別のところにあるとすれば、少佐が口にされていた時期の問題も氷解します」

モニタからメディアを抜きつつミリナ。それには狙撃手の記憶映像を編集したファイルが納められていた。

「…ちなみに、一応確認だけれど、あの女性の素性は?狙われる様な事情はある?」

ミリナは首を振った。

「少なくとも、傭兵団に狙われる様な事は。共和国出身で、あちらのタレント事務所に所属しており、三年契約でこちらに来ています。黒社会などとの繋がりらしきものも見当たりません」

「そうか。じゃあ、まぁ、決まりだね。問題は、本当の標的だけれど」

頭の後ろで両手を組む。

「少佐には、心当たりが?」

「ん、何で?」

「…昨夜旧友の方と再会された後、装甲外殻装備の者達に襲撃されたとか。生け捕りにしたその者達を、皇室警護隊に引き渡されたそうですね?」

「そうだけれど?」

「つまり、旧友の方が標的と判断されたからでは?」

「うーん」

組んだ手をほどき、カイムは座り直した。

「証拠は無いけれどね。相手は市街地で装甲外殻姿だよ?随分と警戒される理由があるとすれば、暗殺未遂事件で私の戦い方を確認したからだと思うね。まぁ、ただの装甲外殻じゃあ役に立たない事は、生け捕りにした連中から連絡済みかな?」

「随分と…嬉しそうですね」

カイムは大概笑顔である(心からか否かは別として)が、それともまた少し違う様である。

「そう?ところで、不審な船舶がここを離脱した様子はない?」

「現状、その様な情報は有りませんが」

「だとすれば、諦めていない、って事だね。脱出用の船舶を探索しておいてよ」

「期日は?」

「今日中くらいかな?そんなに時間は無いと思う。必要な人員は幾らでも投入して」

「了解」

敬礼すると踵を返し、退室しようとして。

「…昨夜は、帰宅されなかった様ですが?」

「ん?ああ、何か問題でもあったの?」

いつまでも立ち去ろうとしないミリナに、少々心配げに訊ねる。

「いえ、何も。どうされたのかと、少々気に掛かったもので」

「そう?別に問題は無かったよ。色々あって遅くなったから、ホテルの彼女の部屋に泊めて貰っただけでね」

「…そうですか…」

背中越しに一礼し、今度こそ退室する。その足音は、心なしか怒っている様であった。

 扉の前で立ち止まると、カイムは制帽を被り直した。いつも微笑を張り付かせているその面には、今は若干の緊張が現れていた。それも当然ではあろう。彼は今、上官のオフィスを訪ねているのであるから。儀礼的なノックのあと。

「カイム少佐、お召しにより参りました」

金属製の扉は異様に頑丈で、その内側には来訪者の姿が表示される。反乱等の勃発時、叛徒の進入を許さない為の工夫であった。

「…入れ」

渋い男性の声に続き、扉が内側に開く。

「失礼します」

ゆっくり入室する。扉は自動的に閉じた。机に着いた年長の男性の前まで進み出ると敬礼する。男性は一つ頷いた。

「ご用件は何でありましょうか?」

「…掛け給え」

背後の椅子を示す。失礼します、とカイムは腰を下ろした。腰の大小はそのままであった。制帽を脱ぎ、膝上に置く。

「中間報告書は読ませて貰った」

机上のモニタを指さしつつ、男性は言った。名をフランシス・コノエといい、統治顧問団諜報部門統括責任者の准将である。現在の、カイムの上司である。

「何か疑問点が?」

「…私は君の洞察力に信頼を置いている。この点については理解して貰えていると思う。しかし、今回の一件が皇帝陛下暗殺未遂事件では無い、というのはな」

「その点に関しましては」

フランシスは、手振りでカイムを制止した。

「…失礼しました」

「良い。狙撃手から抽出した情報の信頼性について、評価が高すぎではないか?ダミーという事はないか?」

「抽出情報の再検証に関しましては、残念ながら狙撃手死亡により限界がありますが、収集し得たデータやログを検討する限り、信頼性は高いとの結論に到っております。他にも、現在裏付け確認中でありますが、結論を支持する疑問点が」

「疑問点、とは?」

「はい。彼らがなぜ、狙撃などという古くさい方法を用いたか、という疑問であります。より確実性を高めるならば、小型高速の対人誘導弾を用いるべきであったでしょう。未確認ではありますが、持ち込み、入手等不可能であったとも思われません」

「狙撃に自信があった、という事では?」

「可能性としては。しかし、計画に不確実性を介在させる事は、通常極力避けるべきでありましょう」

「プランを切り替えざるを得なかった事情があったのでは?」

「それは可能性ではありますが。同じ可能性で言うならば、この様なケースも考えられましょう。つまり、この計画には不確実性が必要であったと」

「どういう意味だね?」

「こういう事です。テロリスト達は、皇帝陛下暗殺未遂事件に見せかけたかったのだと。もし誘導弾を用い、狙われる理由のない司会者が死亡すれば、それは暗殺未遂事件でなくなってしまいます」

「…つまり、司会者は誤って殺害されたのでなければならなかった、と?」

「はい。捜査当局にそう結論付けさせる為の不確実性と考えられます」

「うむ…しかし、そんな事をする意図は?まさか、単なる嫌がらせ、という訳でもあるまい?」

「もちろんでしょう。この事により、皇帝陛下はマニュアル通り移動されます。その事がどの様な意味を持つのかは検証中であります」

「見当は、ついているのかな?」

フランシスの眼光が鋭くなる。ここまでの推論展開が出来ているという事は、既に結論に到っているのであろうと、カイムの事を知る彼には予想できていた。

「曖昧な輪郭は見えておりますが。検証を進め、報告いたします」

「うむ、可及的速やかにな。下がって良し」

「はっ!」

一礼し、制帽を取って立ち上がると被り直し、敬礼をして退室して行く。その様を、フランシスはどこか冷めた目で見送ったのであった。


 拝謁の日がやってきた。それが済めば即座に帝国を離れられるよう準備は完了していた。ホテルをチェックアウトし、指定時刻より一時間近くも早く、カルロはタクシーを呼んだ(自動操縦の無人である)。ホテル前に着けたタクシーに旅行鞄を押し込み、自らも乗り込むと静かにタクシーは走り出した。

 各階層の天井近くには、主に全天照射パネル保守用のキャットウォークが縦横に走っている。滅多に上がる人のないそこに、今一人の男が電動スクータを背景にホテルを注視している姿があった。”ワイルド・ウィーゼル”の監視員である。HMD状のスコープが、ホテル玄関先のカルロを鮮明に捉えていた。

「A-4よりA-1、標的が動き出した」

『了解。ゲートまで追跡せよ』

「了解」

電動スクータに乗り、動き出したタクシーに併走する様に走り出す。

 帝国領内で刑事物ドラマの様な張り込みなどはほぼ不可能である。道路上に設定された、特定の駐停車区画以外に車を停車させるや、警察車が文字通り飛んで来るであろう。故に、監視役はキャットウォークを利用せざるを得なかったが、これには追跡対象に気付かれ難いという利点もあった。障害物も無く、電動スクータはタクシーを追跡していた。

 追跡開始より十五分余り。A-1は奇妙な報告を受けた。

「エルマンド宮に?」

タクシーがエルマンド宮に立ち寄った、というのである。皇帝の不在を知らない筈がないであろうに。

『タクシーは駐車場に入ったので、今は見えませんが』

「どういう事だろうな?また誰かに会いに?」

「何か忘れ物かも。まさか、美術館という事も無いだろうし」

C-5とC-6が、憶測を語り合う傍らで。

「いずれにせよ、大した問題とは思えませんが?こちらに来る事は明白なのですから」

A-3の落ち着いた声。

「計画に狂いを生じさせる様な、行動でなければ良いのですが」

不安げにC-6が呟く。これまででもう充分に計画は狂っている、とは誰も突っ込まない。

『出てきました。離宮へ向かう様です』

安堵の息が誰からともなく漏れた。

「では、我々も行動開始だ」

「「「了解!」」」

暗闇が騒々しくなり始める。


 離宮のゲート前には、二台の車が止まっていた。一台はもちろんカルロの乗るタクシーであり、もう一台は共和国の公用車であった。身元及び入門許可のチェックが済み、二台は次々にゲートを潜った。ここからは一本道である。唯でさえ皇室警護隊警備兵の目があるため、監視カメラの類はさほど多くはない。二台の車は併走しながら数十メートルを進んだ(公用車は手動運転であった様である)が、突然公用車はUターンし、引き返していった。その周辺には、監視カメラは設置されていなかったのであった。


 オテルドルレアン宮周辺の地下部は、当然ながら厳重に管理、監視されている。他区画との連絡通路も閉鎖され、その重厚な扉の開閉も離宮でモニタされている。危険物持ち込み警戒のため、チューブシステムも設置されてはいても、常時停止していた(必要な物は、皇室警護隊が搬入している)。今、そのコンテナが通る事のないチューブ内に、四つの装甲外殻があった。検問所より数十メートルの距離である。その周辺には、ミサイルランチャや小銃などが壁に立て掛けられている。

『間もなくです』

検問所近くの監視カメラをハッキングした映像を内部モニタで見ていたA-3からの一斉通信。

『よし、装備の最終チェック』

A-1の指示で、四人はそれぞれ武器に手を伸ばした。弾倉や安全装置などを確認する。

 タクシーは検問所ゲート前で停車した。後部座席のカルロへ警備兵が声を掛けようと、ゲート官制室を出かけた、そのとたんであった。

『何!?』

アクセスハッチを出、タクシーにミサイルを撃ち込もうと構えていたC-5が、驚愕の声を上げた。タクシーが爆発、炎上したのであった。警報が鳴り響き、歩道アーケード天井から消火弾が射出され、瞬く間に鎮火してゆく。消化剤の泡が舞い上がり、場の状況とは不釣り合いなメルヘンチック感を醸し出していた。

『成功したのか!?』

『いえ、攻撃前に爆発を!』

『!?構わん、離宮へ向け攻撃を!』

次々と残る三人が姿を現す。検問所ゲートの向こうへとミサイルを発射するが、機関砲座が全自動で迎撃、悉く撃墜された。突然の爆発で混乱していた警備兵も、爆発音に駆けつけた同僚と共に、四人への攻撃を開始する。小銃で応戦しつつ、四人はアクセスハッチへ飛び込んだのであった。

 チューブを出、四人は予定通りの脱出経路を辿っていた。今頃、皇室警護隊の兵士達は偽の連絡通路扉開放の情報に踊らされ、無駄な探索を行っている筈であった。そうして今、一枚の扉の前に立っていた。

『ここは常時”閉塞”してあります』

A-3がコンソールを操作すると、それは開いた。これより先はろくな監視システムの無い区画であり、安全に小型船を隠してある最外部(かつてミサイルランチャや対空機関砲座などを針鼠の如く備えていたのを、多数撤去したためよほどの大きさでなければ隠し場所には事欠かない)まで辿り着ける筈であった…。

『ああ、やっぱりここだったんだ』

向こう側には、やはり装甲外殻が一体。左の腰には、いつもの大小。言わずと知れたカイムであった。

『貴様は、タカツカサの…』

『はい、カイムと申します。ま、憶えて貰っても仕方ないでしょうけれど』

いつもの軽い調子。この状況でそれは不気味ですらあった。

『なぜここが!?』

A-3の上げる驚嘆の声に。

『それは、まぁ、脱出経路を逆算すれば、ここに辿り着くでしょう?』

さも当然、といった口ぶりであった。その意味する所を、四人は即座に読み取った。

『貴様、脱出船を!』

『もちろん、確保してありますよ。後は貴方達だけですね』

腰の物に右手を伸ばす。通路は剣を振り回すには少々窮屈だが…。

『こんな狭い所で!』

四人は一斉に銃撃を開始した。しかし、それらは左手に展開した盾と、装甲外殻の追加甲鈑に命中するや、その場に零れ落ちてゆく。

『そんな豆鉄砲では、傷一つ付きませんよ?』

『貴様、全て特別仕様か!』

弾丸の尽きた銃を、四人は捨てた。盾を仕舞うカイム。

『だがな、特別仕様はこちらも同じだ!』

C-6が叫ぶや、その小さな装甲外殻が全体的に淡く白く輝き出す。他の三人も同様であった。

『…なるほど、剣対策ですか』

高周波振動剣の刃部分をプレート状にし、防御用に追加したのである。

『防御だけじゃないぞ!』

放たれた矢の如く、C-6は襲い掛かった。その拳には、同じくプレートが追加されていた。剣の刃と同様、物体と接触すればその結晶構造を破壊する。突き出された拳を、剣が迎え撃つ。一際甲高い耳障りな音と共に、白い粒子が飛び散った。高周波振動塗膜が、瞬時に劣化、剥離しているのであった。

『ご自慢の剣が、いつまで保つかな!?』

小さな体が狭い通路では有利に働き、嵩にかかって格闘戦を仕掛けてゆく。カイムはじりじりと後退した。高周波振動塗膜は、半永久的といったものではない。物を切るのはもちろん、起動しているだけであっても劣化、剥離してゆくのである。もちろん再生は可能であるが、そのためには劣化部分を一旦溶解し、再度塗布処理を行う必要があった。

『それはお互い様でしょう?』

手足の攻撃を、あるいは剣で捌き、あるいは下がって凌いでいたカイムは、攻撃の間隙を縫い、剣を鞘に収めた。

『死ね!』

隙有りと見て、拳を打ち出す。それは、腹部の運動量吸収甲鈑を僅かに削った、が。

『残念』

俊敏な足捌きでその背後に回り込むや、カイムは抜いていた短剣をそのうなじに突き立てた。そこは光っておらず、短剣は生体ユニットに達し、絶命させた。

『貴方達の特別仕様にも、穴があるようですが?』

短剣を引き抜くと、C-6は前のめりに倒れた。この防御方法には、手足の関節や首周り、腹部や背部など、体を動かした時プレート同士が干渉する様な部分はカバー出来ない、という欠点があったのである。

『またしても、仲間を!』

歯の軋る様なA-1の呟き。短剣を鞘に収め、カイムは肩を竦めてみせる。

『どうします?面倒ですから、二人一遍とかでもいいですよ?貴方達には勿体ないですけれど、セイシンコウカ流の神髄をほんの少し、見せてあげます』

言って腰を落とし、居合い抜きの体勢になる。

『ぬかしたな!』

C-5が飛び出した。両者の距離は十メートル余り。左手で腹部をガードし、右手の拳を引いているC-5との間合いを、カイムは測っていた。間もなく剣の間合いに入ったが、狙っている弱点を捉えられない。即座に左手を短剣に掛ける。弱点が見えた。打ち抜かれた右手の下をかい潜り、神速の抜刀術で薙ぐ。

 左膝を切断され、C-5は体勢を崩した。膝は脛当てから伸びるプロテクタで保護されており、曲げていなければ膝頭は露出しないのであった。つんのめるC-5を足捌きで避けつつ背後に回り、短剣を、これもうなじに突き立てた。と同時に、剣に右手を掛けていた。仕方なし、とばかりにC-5に続いたA-3であったが、その眼前に突然、と言ってよい感覚の出現をしたカイムに、思わず頭部をガードする様な格好になって足を止めてしまう。カイムが振り向きざま抜刀した剣は、その腹部を深く切り裂いていた。同じく前のめりに倒れ込んでくるのを同様に避け、背後から両膝を切り落とす。一回転し再度振り返った時には、剣の切っ先を油断無くA-1に向けていた。全ては数秒の出来事であった。

『まぁ、こんなところですか。要点としては、両手を利き手とする事と、どの様な状況でも次の斬撃のため足捌き、体捌き、剣捌きで体勢を崩さない、という事ですかね』

後ろ向きにC-5へ歩み寄り、切っ先をA-1に向けたまま短剣を引き抜く。鞘に収めると、剣も収めた。

『さぁ、残るは貴方だけですけれど?』

剣に右手を掛けたまま、油断無く近付いてゆく。

『…なぜ、剣が使えた?』

C-6との一戦で、刃はボロボロの筈であった。

『ああ。別に、つまらない事ですよ。鞘の中で再生処理を行っているだけで。まぁ、多少時間のかかるのが玉に瑕ですけれどね』

鞘を小さく叩く。

『そうか…全く、持てる者は疎ましい』

そう呟くと、ヘルメット内で何かの爆ぜる音がした。ゆっくりと、倒れてゆく。

『生体ユニットを、爆破しましたか』

知らず、カイムの口から長い溜息が漏れた。

 こうして、帝国領内に侵入した”ワイルド・ウィーゼル”メンバは全員が捕縛ないし死亡し、皇帝暗殺未遂事件は終息した。ハナ・クリスナⅡは、数日後、安全が確認された後エルマンド宮に戻ったのであった。


エピローグ

 出国手続きを終え、彼女は今ロビーのソファに腰掛け、乗船案内が流れるのを待っていた。出入口の上に設置された巨大モニタには、キャノンランドのCMが流されている。

『正アクイナス帝国に入国された皆さーん!目的は観光ですか、それともビジネス?どちらでもぜひ、お暇が有ればキャノンランドへ!』

司会者の女性が左腕を振り上げると、キャノンランドの全体図がバックに現れる。

『国家元首であらせられるハナ女王陛下の治めるキャノンランドには、楽しい!、が一杯!でもぉ、どこへ行けばいいか判らなぁい、というそこの貴方!今一番のお勧めスポットは』

『待つがよい!』

不意に左隣に出現した少女が待った、を掛ける。プールの時と同じドレス姿のハナ女王であった。

『これは女王陛下!』

畏まってみせる司会者に。

『よいよい、直るがよい。お勧めスポットは余が紹介する。それは…”亡霊王宮”じゃ!この王宮では、長い王国の歴史の中で、様々な凄惨な事件が起こっておる。中でも、最も痛ましいのは、余の六代前の王が残した二王子にまつわる悲劇であった』

背後の表示が、いかにも、な古びた城に変わる。そんな映像を見上げていた彼女の元へ、宇宙港の職員が近付いてきた。

「アイリス・ブルックナーさん?」

そう声を掛けられ目を向ける。その顔立ちは、カルロによく似ていた。ただ、肌の色は抜ける様な白色であるが。

「何か?」

声もそっくりである。いや、多少高いか?

「ええ、実はホテルの方から、忘れ物が見つかったとの事でお預かりしました」

差し出されたのは、小さなカードケースであった。怪訝げにそれを見詰める。

「これを、私が?」

「はい。間違いなくアイリスさん、貴女です」

笑顔を崩す事無く、職員はより差し出してくる。

「そう…ありがとう」

その意図を汲み取り、彼女は受け取った。足早に職員は立ち去った。

 共和国本星へ向かう小型旅客船の、自分の座席に納まり、プライベートシェルを展開(緊急時には脱出ポッドになる)すると、カードケースを開けてみる。中からは一個のメディアが出てきた。それを座席のディスプレイに挿入し、イヤホンマイクを装着すると再生した。

『初めまして、でいいのかな?アイリス・ブルックナーさん。私はカイム・タカツカサと申します。突然こんな映像をお渡ししてすみません。実は、貴女に聞いて欲しい話があるのです。きっと興味深い話だと思いますよ』

いつもの笑顔でカイムが語り掛けてくるのを、彼女は無表情で見詰めていた。

『私には、カルロ・ドミンゴという女性の、ええ、女性です、友達が居ました。過去形で言ったのは、彼女はテロリストに殺されてしまったからです、うううう』

わざとらしい泣き真似。

『なぜ、彼女が、殺されなければ、ならなかったのか…実は、ハナ・クリスナⅡ暗殺計画の巻き添えとなったのです!』

泣き真似から一転、カイムは真顔になってみせる。アイリスの口の端が少し綻んだ。

『私は納得出来ませんでした!そして独自に調査しました。すると!帝国発表とは少し異なる真実が浮かび上がってきたのです!』

下手なオーバーアクトに、思わず噴き出しそうになる。と、不意に疲れた様に肩を落としたカイムは、元の微笑に戻った。

『はぁ、やっぱり慣れない事はしないに限るね。さて、話を進めますと、実は皇帝暗殺計画は、カルロ暗殺をカモフラージュするためのダミーだったのです。全く皇帝陛下にとってはいい迷惑ですねぇ。カルロは、彼女は皇室の凍結資産管理人としてアブシデ協商同盟に派遣されていました。アクイナス共和国市民の彼女は、国家保安情報管理部所属のエージェントでしたが、あちらで国益に資する様な情報、例えば同盟理事が密かに凍結資産を私物化していた事態であるとか、そういう情報を入手したのでしょうね。もしその一件が露見すれば、帝国は同盟領への投資を全て引き揚げるくらいの強硬措置をとるでしょうが、より恐ろしいのは、凍結資産の分配を狙う他の連合諸国でしょうね。同盟が最多の凍結資産を抱えているのですから。つまり、絶対に彼女を生かして皇帝陛下に合わせる訳にはいかなかった、という事ですね』

一旦言葉を切り、呼吸を調える。

『ただ、単純に彼女を殺せばいい、というものではなかったでしょう。もし彼女が標的と判る様な方法なら、その周辺が徹底調査され、情報が、回収前に露見する危険がある。なら、誰かの暗殺に巻き込まれた形にしてしまえばいい。幸いな事に、任期を終えた彼女は最後の管理報告と同時に、皇帝陛下への離任の挨拶をする事になっている。ならばその時に、という事ですね。しかし、次には場所が問題になる。エルマンド宮は官庁街にあり、政府要人や他国の役人なども大勢いる。そういったVIPに被害が出れば、皇帝暗殺計画はダミーで本命はこちら、という可能性が考えられ被害者リスト中の彼女も調査されかねない。場所を変えねばならない。と、こう考えたのでしょう。そこで一度、ダミーの皇帝暗殺未遂事件を起こす。ハナ女王に扮した皇帝陛下を狙撃するつもりで、誤って司会者を殺してしまったという体裁にする。マニュアル通り、皇帝陛下は離宮に退避され、場所の問題は消える。後は彼女が離宮を訪れる頃合いを見計らい殺害、カモフラージュに離宮を適当に攻撃し、後は脱出すればよい。と、これが彼らの計画の概略でした。まぁ、結局のところ、計画は悉く失敗に帰しましたが』

殆ど貴方のせいでね、という小さな呟き。

『…さて、実は、この計画を利用しようとしていた者達が居ました。彼女と、その属する国家保安情報管理部です。彼らは、同盟に対する外交カードを欲していました。それを入手出来たは良いが、しかし皇室に報告せねばならない。それでは外交カードにならない。ならば皇室には虚偽報告をし、本物は本国に持ち帰る?しかし、それでは報告後何もリアクションが無い事で、同盟側に虚偽報告を察せられ、弱味を握られてしまう。ではどうするか?最悪の場合を考慮し、全ては彼女個人の目論見によるものという事にして全てを背負わせ、その死をもって事実は闇の中、という事にしてしまえば良い、と、こういう事でしょうね。そのためには、彼女の”死体”を用意する必要がありました。暗殺時に身元確認でDNA鑑定などは必須でしょうから。もちろん彼女の遺伝子情報を元に培養された臓器や手足を、人の形にまとめ上げたものです。暗殺直前、どういう訳かエルマンド宮に立ち寄り、共和国の職員に報告書と、後任への引き継ぎメモを託しましたが、その間にタクシー内に”死体”を隠しておいたのでしょう。そしてゲートを通過後、それを残し、自分は仲間の車で脱出する。しかし、未だ問題が。検問所を通る際、”死体”では当然警備兵に気付かれるでしょう。そこで爆薬も持ち込みます。検問所に到着直後爆発するよう、しかも自然な様に対戦車ミサイルの弾頭を使用する入念さです。テロリスト達は理由が判らないながらも、当初の計画通り離宮を攻撃するふりをして脱出しました。全ては彼女らの思惑通りに』

一旦言葉を切り、画面の向こうから見据えてくる。

『職員が託された報告書は、特に問題無し、というものだったそうです。これが同盟の知る所となっても、暗殺事件の首謀者である同盟は、この件にはこれ以上深入りしないでしょう。逆に共和国側は、入手した情報をいつ、どの様な経路でもリーク出来ます。今回は共和国側の勝利、という事でしょうね。可愛そうなのはカルロ、彼女です。死人となってしまい、カルロ・ドミンゴとしての人生は絶たれました。後から思えば、彼女は不安だったのでしょう。ひょっとしたら、自分が本当に死体役をやらされるのでは、と。それを紛らわすために、別に好きでもない男と一夜を共にしたりもしました』

馬鹿、と彼女は呟いた。

『この男は、結局のところ彼女の望み通りに動きました…まぁ、共和国の利益になるなら問題ありませんが。その男、つまり私は、彼女の生存及び現在の身分を、かなりの自信をもって断言出来ます。そう、つまり貴女です。これは秘密ですが、私達は常時、帝国滞在者情報及び入国審査、出国手続きのリアルタイム情報を収集、照合しています。帝国では滞在者情報と出国手続きリアルタイム情報との照合のみですけれどね。それはともかく、結果的に入国審査リアルタイム情報と滞在者情報に不一致があったのが、唯一貴女、アイリス・ブルックナーという訳です。その滞在者情報は、三日ほど前唐突に登録されていたものです。貴女はどこから入国したのですか?誰として?カルロ・ドミンゴとして、ではありませんか?もしそうなら全身の色素調整処置は大変だったでしょう?時間も掛かった筈で。しかし、肌の色や容姿がどうなろうと、友達の生存は喜ばしいものです。またいつか、友達として再会の時が来る事を』

映像が途切れる。モニタを暫く見詰めながら、アイリスは考えた。なぜ、この映像を渡したのか、と。きっと、友として再会した時、答え合わせがしたいのであろう。実際のところ、ただ一点を除き彼の言う通りであった。その一点とは、不安を紛らわせるためにカイムに身を任せた、という部分であった。もちろん彼の指摘した様な懸念を完全否定できた訳でなかったのは事実であり、不安も心の片隅にはあった。しかし、そうならない自信はあったのである。つまり、不安ゆえではなく、これまで押し止めてきた一線を越える、自分への口実としての不安であった。因果関係が逆なのである。しかし、それを話す事はないであろう。

 宇宙港のゲートを通過した小型旅客船は、やがて全推進機を全開にした。アクイナス共和国本星との衝突コースに乗り十時間余り後には、懐かしむべき故郷の地にタッチダウンしている筈であった。

END

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