7 ハイリアの市場の目覚め
8話の投稿から、残酷描写のチェックが入ります。忌避する方はご注意ください。
蜥蜴の月の一日。
王城のとある一角で、ファリシアはひとりの男と会っていた。
ファリシア=ドゥレーダム。ハイラの王城において、一、二を争う魔法の使い手だ。国王から幾度となく正規軍への所属を望まれながら、魔法研究や教育といった自分の趣味を優先させ続けている。
そんな立場でいられるのは、彼女が貴族と奴隷の間にできた婚外子であり、己の魔法の才以外、失うものは何もないからかもしれない。
「……つまり、第四軍まで全部出払ってしまうってことなのか?」
ファリシアは困惑していた。思わず出た文句のような問いかけに、男は生真面目に答える。
「そのとおりだ。ネメエの状況はそれほど逼迫しているし、あそこにはトレジア様がおられる。国王陛下自ら出征なされるとのことだ」
ハイラより南東、砂漠の中の巨大なオアシスに、都市国家ネメエはある。ハイリアと同じく交易で栄えるネメエは、砂漠一帯で最大の水源を持ち、ナツメヤシや砂漠ニンジンといった特産品も多いため、都市国家群の中でも力を持っているほうだ。
ハイリアからも程近いネメエをハイラは無視できるはずがなく、ネメエの国家長の長男の元には、ハイラの第一王女トレジア=フィアロッドが嫁いでいた。
そのネメエに、同じくハイラの同盟都市であるはずのサージィが侵攻したのだ。理由はなんでもサージィの国家長の暗殺未遂があり、そこで捕らえられたのがネメエの手のものだったというが、真偽のほどは不明だ。ネメエは当然否定している。
どちらに非があるにしろ、ハイラにとってはネメエとの結びつきのほうが強く、サージィの征伐は急務であった。
「それじゃ、やはり魔法学校の野外演習に騎士は借りられないんだな。そうすると、一般の兵士や事務員で対応せざるを得ないが……」
それはしたくない、という表情のファリシアに、男は頭を下げるしかないようだった。
「すまない。ハイリアに残るのは第五軍のみだが、彼らは防衛のための予備兵力。他の任務には回せないのだ」
「何か問題が起こったらどうするつもりだ? 貴族の子弟たちだぞ。やはり念のため中止するか……」
「国王陛下は平常どおりやってほしい、とおっしゃっておられた。命令ではないがな」
「それは、どういう意味だ?」
やってほしい、という微妙な物言いに、ファリシアは怪訝な顔をする。
男は軽くため息をつくと、実はな、と事情説明した。
「出征が決まる際、貴族たちがごねたのだ。ハイリアを空にする気か、とな。陛下は、第五軍がいれば何も問題はない、万が一どこかの国が侵攻してこようものなら、すぐに軍を返す。だから普段どおり過ごしていろ、と言い返したのだが……カッツァ公が、ならば息子が楽しみにしている魔法学校の野外演習も予定どおり行うのでしょうな、とやり返した。それで陛下は思わず、もちろんだ、任せておけ、言ってしまったのだ」
その時のことを思い出したのだろう、男は苦々しい顔をして、自分の頭を手で押さえた。
やれやれ、とファリシアも肩をすくめてみせる。
「そんなくだらない理由か……。陛下も若くていらっしゃるな」
「陛下より遥かに若いおぬしが言うと、陛下の立つ瀬がないぞ。それと、もうひとつ」
「まだあるのか」
「シャレル殿下のご希望だ。演習の時におぬしに同行したいという話があったろう。このような状況だが是非に、とのことだ」
ファリシアはわざとらしく深いため息をつく。
「まったく、貴族も王族も好き勝手言ってくれる。……仕方ない。国王陛下には予定どおり行うとお伝えしてくれ。あと、馬鹿野郎、も頼む」
「馬鹿野郎、のほうは聞かなかったことにしよう。おぬしに感謝する」
男は少し安堵した様子で礼を言い、窓の外に目をやった。遠く、砂色の地平線が朝日を受けて輝いているようだった。その向こうに、ネメエはある。
「気にするな。ご武運をな、サナトゥス将軍」
ファリシアと、ハイラ騎士団第三軍の軍団長アグラー=サナトゥスの密やかなる対談が終わったのだった。
そしてこの朝、ハイラ国王は大将軍と三人の軍団長と共に、ハイラの第一軍から第四軍までを引き連れ、大軍勢でハイリアを進発した。
☆ ★ ☆
市場の朝は早い。ユウキがこの世界にやってきた頃と、ちょうど同じような時刻だろうか。日が上り、ゆっくりと目覚めはじめるハイリアの市場、その王城側の入口に、ユウキたちはいた。
ユウキ、オロゾ、マーセン、ラウラ、そして同行者のエルザードの五人である。
五人の目の前で、ハイリアの市場は冬眠から目覚める熊さながらに動き出していた。それは、平民出であるエルザードにとっては馴染みのある光景ではあったが、市場の外れに放り出されたユウキや、そもそもほとんど城下に出ない貴族の子らにとっては、まさに壮観であった。
たくさんの天幕が慌しく起こされ、組み立てられる。立ち並ぶ石造りの建物の窓は開かれて、朝の空気を部屋いっぱいに吸い込んでいる。倉庫から次々と荷が引き出されては、通りに積み上げられていく。
サシャ麦などの五穀をはじめ、塩漬けの魚や肉、様々な香辛料、目にしたことのない獣の毛皮や角、陽光きらめく岩塩。数え切れないほどの種類の品々を扱う露店が順々に出来上がっていった。しかし、ここはあくまで食料品やそれに類するものが集う市場。これだけの商品すらも、ハイリアの市場全体から見ればその片鱗でしかなかった。
「す、すげえな……」
思わずこぼれるオロゾのつぶやきに、ラウラとマーセンは心の中で同意しながら、その景色に見入っている。
この地上で手に入るありとあらゆるものが集まる、とハイリアの商人達が豪語するほど市場は、訪れる者が皆その言葉に納得させられるほどの大きさと豊かさを備えているのだ。
石造りの建物の中に店を構える商人達も、店を開けていく。引戸を押し開いて暖簾を下げ、大窓の前に箱を下ろしてはせっせと売り棚を作る。客ではなく店を開く人々のための飯店や雑貨店にはすぐさま行列ができ、値切ったり競ったりする声でたちまち辺りは騒がしくなった。まだハイリアの外門は一つも開いておらず、本格的な喧騒には程遠いのにこの有様である。
もちろん大通りから三本ほど裏に入れば、すぐに静かな店が見つかるだろう。客を選ぶ店、喧騒を好まない業種の店は、看板をひっそりと出すだけで門戸を閉じたまま客を待つのだった。
「やあ、これはこれは。プジョーのご機嫌はいかがですか?」
「ぼちぼちですなあ。おたくは?」
「ぼちぼちですよ」
昨日も何十万回と繰り返された商人特有の挨拶が、今日もあちこちで飛び交う。
プジョーとは、蓄財を保障する商売の神である。蛇の似姿をしていると言われ、その機嫌を損ねないようにと、ほとんどの商人は蛇の皮や肉を商わない。しかし中には、稀少品として高値で取引される蛇皮を密かに売る店もあるらしい。
「なかなかの活気でしょう? こういう城下の姿を、知ることも演習の大きな目的のひとつだ──とファリシア先生が言っていましたよ」
エルザードの言葉に、ユウキたち四人は黙ってうなずいた。
人々はせわしなく行き交い、どんどんと目覚めていく市場を駆けずり回る。
軒からぶら下げられた燻製肉を狙う野良犬。それを追い立てる店の主人。転んで壷を割ってしまった小僧。商品を検分する兵士。朗らかに恋の歌をうたう娘。路地裏に佇む占い師。これから朝食をというイルトの商人。わけもなく落ち着きのないガバの田舎者。顔に不思議な化粧を施したビビアの民。旅行中だろうガリアの裕福な家族連れ。ありとあらゆるものがここに集まるならばまた、ありとあらゆる人もここに集まるのであった。
「さあ、それでは予定どおり、市場で必要なものを買って、外に出ますよ」
「よ、よし、行くぞ、お前ら」
エルザードの言葉を受けて、我に返ったオルゾが偉そうに仕切る。早朝に起きたのがきついのか、その表情はとても眠そうだ。
「お前に仕切られる筋合いはない」
やはりマーセンは冷ややかだった。
ユウキたちは水や食料、日よけの外套などを買い込むと、大通りをそのまま北上して市場を抜け、北の外門へと向かう。そこから徒歩で四半日ほどの距離のところにある村を訪れ、すぐに来た道を戻る予定になっていた。
北には大小ふたつの外門がある。大きいほうは北大門と呼ばれ、交易専門の門──商人たちが交易品を持ち入れ、あるいは持ち出すための門になっている。そこで兵士たちが物品の種類や数、質といったものを記録し、市場全体の品物の量を把握するのだ。小さいほうが、それ以外の通行人のための門で、名を狼の門と言った。
人のための門より品物のための門のほうが大きいとは、さすが交易都市といったところだろうか。そういうわけで、ユウキたちは狼の門の横にある詰所の中へと入る。
「本来であれば、ここで兵士からいろいろ調べられるんですが、今日は許可証があるので、特に手続きもなく出入りできるはずです。一応、手荷物だけは確認されるでしょうけれど」
その他、こまごまと注意事項を並べるエルザードの話を聞きながら、通行を希望する人々の列に並ぼうとした時。
異変は起こった。
市場、マーケット、バザール。いいですよね。
私は市場の雰囲気が大好きです。




