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10 王女殿下の大変な一日

 シャレル=フィアロッド=ハイラの朝は、優雅に始まる。

 定刻になると、窓にかけられた幕が開かれ、陽光差し込む位置にある寝台で、シャレルは目覚める。


 侍女たちに手伝われながら髪をとかし、顔を拭き、着替えを済ませ、食卓に着く。

 リンゴやブドウといった生の果物、チーズ、クルミとザクロやナツメヤシのペーストをベースに作られたスープ、砂糖をまぶした薄焼きのパン。どんな貴族の食事と比較しても豪勢と言える品々が、王女である彼女の前には並べられる。


 そしてシャレルの好物であるシャーベット。

 氷の魔法は近年、研究が進み、それなりの質のものが生み出されるようにはなってきた。しかし、人々にとってあまり馴染みがない氷というものは、イメージすること自体が難しく、そのため天然のもののほうが良質とされる。高山で切り出されて地上まで運ばれ、溶けてなくなるまでのわずかな間のみ楽しめるという、その贅沢さもあいまって、天然のシャーベットは非常に美味といわれた。


 ──というように過ごしたかったところだが、今日だけはシャレルもそういった贅沢を味わっているわけにはいかなかった。

 魔法学校の野外演習の日である。


 彼女が父親にねだって実現させた、野外演習への同行。シャレルが思っていた以上に朝早く出発するようで、慌しく平服に身を包み、朝食は薄焼きパンにかぶりつき、ふたりの護衛を伴って、彼女は城下へと赴くのであった。


「シャレル王女殿下、おはようございます」


 まずはじめにファリシアが、ついで魔法学校の生徒三人が、膝をついて深々と頭を下げる。


「いいの。今日はシャレルは演習の仲間のつもりなんだから、頭を上げてちょうだい。ファリシア、よろしくね」


 シャレルの言葉に、三人の生徒がほっとしたような表情を見せる。いずれも貴族の子弟だが、王女が相手ともなれば緊張しよう。


「そういうことなら王女殿下、出発予定時刻に遅れたことを叱らなければいけませんな」


 真面目くさって不敬を働くファリシアに、慌てて護衛のひとりが、ファリシア殿!と食ってかかる。

 ファリシアは、冗談だ、と笑った。


「本来であれば市場で必要なものを買うのですが、王女殿下をこの人ごみで押し潰させるわけにはいきませんので、申し訳ありませんがあらかじめ用意したものをお使いください。護衛に持たせますか?」


「せっかくだから、シャレルが持つわ。この外套は羽織るのね。あとは水と乾肉と……固そうなパンね」


「今日は蜂蜜もチーズもなしです。どうしても甘味が欲しければ、私が干しアンズを持っていますので。それでは行きますよ」


「そのくらい、シャレルだって我慢できるわ。出発ね!」


 シャレルが期待に満ち溢れた顔で、出発を宣言すると、一行は比較的混雑していない通りを選んで、北の城壁にある狼の門を目指した。


 歩きながら、魔法学校の生徒たちは名前をそれぞれ名乗った。いずれも末流というほどではないが、あまり大きな家の出ではなく、シャレルの興味を引く名はない。

 あるいは、ファリシアがそういう生徒を自分の統率班に選んだのかもしれない。


「そういえば、先月だったかしら。平民が入学しなかった?」


 シャレルの質問に、ファリシアが軽く驚きを覚えながら、答える。


「おや、よくご存知ですね。私が試験を担当しましたが、不思議な魔法マジックを使う少年だったので、とりあえず入学させておいたのです。名は、ユウキ=センドーといいます」


「ユウキ、センドー。ふーん。変わった名前ね。確かに不思議な魔法マジックを使ってた……」


 シャレルは魔法学校で出会った、種を花へと成長させる手品マジックを思い出す。

 そしてふと、花を挿してもらった辺りの髪に手をやる。今日はそこには、花をかたどった美しい髪留めがつけてあった。


「でも、普通の魔法は何も使えない落ちこぼれなんですよ」


「剣だってまともに触れないし、王女殿下がお気に留められるような人ではないと思いますが」


 シャレルがユウキを気にしている風だったのが気に入らなかったのか、生徒が次々とユウキの悪口を述べる。


「うるさいわね。シャレルは今、ファリシアとお話してるの」


 思い出を否定されたような気がして、シャレルは思わずきつい口調になる。生徒たちは慌てて口をつぐんだが、シャレルの態度に不服なのが見てとれた。


「王女殿下。お気持ちは分かりますが、仲間に、うるさい、というのはおやめになってください」


 ファリシアの言葉に、今度はシャレルが不満を顔に出す。しかし、仲間に、という語句が彼女に文句を言うのを留めさせた。


「シャレル殿下は、ユウキとお会いになったことがあるのですか? そういえば、殿下が魔法学校にいらっしゃった日は、ちょうどユウキの入学試験の日でしたね」


「そうよ。シャレルが道に迷ってたら、声をかけてくれたの」 


「なるほど。そういうわけでしたか。……おい、お前らも王女殿下の恩人を悪く言うのはほどほどにしておけよ」


 ファリシアがじろりと生徒たちを見回すと、三人はシャレルへの謝罪の言葉を口々に述べた。


「もういいわよ。それより、そろそろ城壁が見えてきたのじゃないかしら。ほら」


 遠く横一直線に広がる城壁の上の部分を見つけて、シャレルが言う。


「ほ、ほんとですね! そういえば、狼の門というのは……」


 気を取り直して王女にいいところを見せようと、生徒のひとりが得意げに狼の門の説明を始める。おそらくハイリアの外に出たことがあるのだろう。


「だから、北大門より狼の門が──」


 長々とした彼の説明は、別の生徒の言葉で遮られる。


「何か騒がしくない?」


「これは、馬蹄の音? ……いけない! こっち!」


 何かを視界の端に捉えたファリシアが、シャレルと生徒に向かって叫んだ。

 たちまち近付いてくる馬蹄の音に、焦ってシャレルたちは通りの端まで下がり、ファリシアと護衛の騎士ふたりが前に出る形になる。


 最悪なことに、姿を現したのは馬に乗った五人の盗賊だった。

 

「こいつら、身分の高え貴族さまに違えねえ!」



   ☆   ★   ☆



 牙軍(ヴィカ・シーン)の一員である、ジイル=ロハゲス。

 彼はよく仲間に、欲をかきすぎだと言われる。自分でもその自覚はある。ちょっとした目先のことに捕らわれるのだ。だが、それで失敗したことはない。幸運の星の下に生まれたから、きっとこれからも失敗しないのだ、とジイルは勝手に思っている。


 そのジイルが幸運にも──不運にも、かもしれないが──欲をかけそうな相手に出会ったのは、まさに偶然であった。


 北大門を破った牙軍(ヴィカ・シーン)は数人ひとかたまりとなり、あらかじめ狙いをつけておいた店、宝飾店や高利貸しをそれぞれ襲う手はずである。

 ジイルも自分を含む五騎で北東地区にある宝石店を目指していた。その途中で、ジイルが見かけたのは、子供四人を含む集団だった。


 子供を庇うように動く女性。護衛らしき騎士がふたり、前に出ようとする。道を避けて離れようとする子供たち。


「こいつら、身分の高え貴族さまに違えねえ!」


 躊躇うことなく曲刀を抜き放つジイル。それを見とがめて仲間の盗賊が言う。


「おい、ジイル! おかしらは余計なことすんなって言ってたろ! 行くぞ!」


「待てよ、この護衛を見ろよ。騎士さまをふたりも連れてるなんて、相当身分の高え奴だぞ! 宝石なんかより身代金のほうがよっぽど儲けにならあ!」


「おい! クソが!」


 ジイルが曲刀をひらめかせ、騎士がそれを迎え撃とうとした瞬間、仲間の盗賊が矢を放って騎士の手を射抜く。剣を振れなくなった騎士は、そのままジイルに馬上から切り伏せられる。

 鍛えられた連携だった。


 そしてひとりめの騎士が地面に倒れ込む間に、もうひとりもふたりの盗賊に挟まれ、あっとういう間に背中から斬りつけられて命を落とした。


「ひいっ!」


「う、うそ……そんな……」


「ファリシア先生……! 助けて……」


 一瞬で物言わぬ死体となった騎士を見て、子供たちが女性──ファリシアに助けを求める。

 ファリシアは、生徒のほうを見向きもしない。とっくに攻撃態勢に入っていて、魔力を集中させていたのだ。


「お頭にどやされても知らねえからな!」


 そう盗賊のひとりがジイルに声をかけた時。

 ファリシアの魔法マジックが具現化した。


 空中に雷を走らせるイメージ。走った雷が、敵を焼き尽くすイメージ。

 最大級の、雷の魔法マジック

 ファリシアの両手から、稲妻が走った。


 バリバリバリバリッ!!


 凄まじい音を立てて、ふたりの盗賊と二頭の馬に、横から、雷が、落ちる。

 悲鳴を上げる間もない。湯気や肉の焼けつく臭気が立ち上り、髪や馬のたてがみが燃え、全身を震わせながら馬ごと地面に折り重なって倒れる。


「うげぇっ……」


 その光景に盗賊のひとりが吐き気をもよおす。

 子供たちは頭を抱えて目を背けるようにうずくまる。

 何と強力な魔法だろう、それはあまりにも、凄惨な光景だった。


「お前らも、こうなりたいか」


 ぞっとするほど冷たい声が、ファリシアから発せられた。

 その気迫にジイル以外のふたりは逃げ腰になったが、ジイルだけは諦めなかった。


「くそおっ!!」


 彼はファリシアのほうへは向かわず、曲刀を振り回しながら子供を狙った。

 ファリシアがまだ次の魔法マジックを放てない、その一瞬で、ジイルは子供のひとりを捕まえると、馬上に抱え上げる。


「きゃああああ!」


 外套がめくれ、少女の美しい金髪が現れる。花を模した髪留めが外れ、地面へと転がった。


「下手に魔法を打ってみやがれ! こいつも道連れだぞ!」


 子供の喉を腕で抱え、ジイルは自分の前に少女を座らせる。

 抵抗する少女などお構いなく、すぐさま曲刀を腰に差すと、空いた手で手綱を握った。


「ずらかるぞ! てめえら!」


 ジイルが馬首を巡らせて走り出し、慌ててふたりが続く。


「届け!」


 思わずこぼれたファリシアの叫びに、ジイルに続いたふたりの盗賊が後ろを振り返ると、そこには、炎があった。


 ファリシアの手から放たれた火のかけらは、前方に伸びながら水平に広がり、炎の波となって馬の脚を襲う。

 瞬く間に八本の脚が飲み込まれ、馬は絶叫を上げながら騎手を放り出す。炎は、波のように一瞬通り抜けると消えてしまい、ふたりの盗賊は何もない地面に投げ出された。


 乗っている相手を燃やさぬよう、慎重にイメージされた炎の波。


「ちくしょう! 魔法使い(マジシャン)め! なんだよあれは!!」


 先頭を走っていたジイルは、何とか迫る炎から逃げようと馬を飛ばす。

 必死だった。


「おろして! やめなさいよ!!」


 少女が腕の中でもがくが、ジイルの力には敵わない。


「うるせえ!」


 時間にすればわずか十秒にも満たない追いかけっこだったろう。

 ファリシアの放った炎は、ジイルの馬の蹄を少し温めただけで届かず、消えていった。


「よっしゃ! もう狼の門だ! ここまで来れば……」


 諦めない少女が、まだ暴れている。


「いいかげん離して! 後悔するわよ!」


「もうしてるよ! 仲間を四人も殺しやがって!」


 ジイルは少女を捕まえている腕の力を強めて、言った。

 そして誰もいない門の様子を眺めて妙に思う。


「なんだ? ゲザのおっさんは……?」


「誰かぁっ! 助けてえっ!」


 男が少し馬の速度を落としたためか、少女が助けを求める。よく通る高い声が、妙に静かな通りに響いた。


「黙れよ。仕方ねえ……予定の場所に向かうか……」


 仲間の姿が見えない狼の門の様子をおかしくは思いながらも、ジイルはひとまず合流予定の場所を目指し、勢いよく門から外へと飛び出していった。

 その姿をしっかりと見つめる五人の存在には、当然気付くこともなく。

あ、主人公出てこなかった。

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