九話
「あの……」
「だめだ」
まだ何も言ってないです。
「寮を使わせろってんだろ? あんたが砂漠を横断してきた瀕死の状態でもお断りだよ。あたしの目の黒いうちは、男子にここを使わせるなんて、あり得ないからね」
梃子でも動きそうにない。
だが、レイジも引き下がれない。引き下がる場所がないと言った方が正確だが。
「おねがいだよ! 今日一日だけでも助かるんだ!」
「だめったら、だめだ」
「どうしようもないんだ! 一日だけだから!」
タケミの腕にすがりつくレイジ。
「うるさいねえ。交渉も泣き落としもなしだ。それとも、蹴り出されたいのかい」
「何の騒ぎだ」
レイジは振り返る。
寳栄スミカが腕を組んで仁王立ちしていた。
「おや、スミカ様じゃないかい。……ほら、ぼさっとしてないで道を開けな」
タケミがレイジを蹴り転がして、玄関の脇に寄せた。ごろごろ。
「六号。逃げたと思ったら、こんなところにいたとはな」
「スミカ様、知り合いかい? こいつには手を焼いてたんだ。寮を使わせろって、しつこくてね」
「それは無理な相談だな」
「だろ? ほら、スミカ様がそう言ってるんだから、とっとと諦めて別の場所をあたりな」
ぶっ飛ばされるかと冷や汗をかいたが、スミカはレイジを一瞥して廊下を進んで行った。
続いて、スレイ部のメンバーが寮に入ってくる。
エリナは、レイジに気がつくと露骨にそっぽを向いて通り過ぎて行った。
ノブコ先生は、教師なので寮は使っていないのだろう。列に姿はなかった。
堀之内は、礼儀正しくタケミに会釈して、颯爽と寮内を進んでいく。
おい、待て待て。
あまりに自然で見逃しそうになった。
タケミも完全スルーである。
「堀之内くん!」
イケメンメガネは振り返る。
「六号くんではないですか。どうしたのですか、そんな玄関の隅で砂まみれになって」
「どうしたのですか、じゃないよ。ここは女子寮だぞ」
「存じていますよ。私はスミカ様への挨拶が残っていますので、これで」
堀之内が軽く手を上げるとバラが背景に敷き詰められた。歩き去ろうとする。
レイジは咄嗟に襟をつかんで引きとめた。
「六号くん、困りますよ。離していただけますか」
「実は俺も困っているんだ。女子寮しかないのを知らなくて、今夜泊る場所がない。いや、今夜だけじゃない。お金もないんだ。でも、堀之内くんは寮に入っていくじゃないか」
「私はスレイ部ですから」
レイジは首を傾げる。話が見えない。
タケミが話を継ぐ。
「つまりだ、スレイ部は特別だ。スミカ様が奴隷をそばに置きたいと言ったからね。それは堀之内も例外じゃない」
「それで許可されるものなの?」
「そりゃそうさ。あたしもスレイ部だからね」
タケミがにやりと笑う。
どうなってるんだ、この学園は。というより何者なんだ、寳栄スミカ。
大変な人に盾突いてしまったのでは、とレイジは若干後悔し始めていた。
「それではこうしましょう。六号くんがスレイ部に入ればいいのです」
「部室を飛び出して、どんな顔して会いに行けばいいんだ。さっきも、かなり機嫌悪そうだったぞ」
「あんな態度でしたが、スミカ様は六号くんを気に入っていますよ。誠心誠意、奴隷になりたいという純粋な気持ちをスミカ様に伝えるのです」
どんなアドバイスだ。
「そうだねえ。スレイ部に入れたってんなら、あたしも考え直さなきゃいけないね。ただ、スレイ部は誰でも入れるわけじゃない。スミカ様が認めなきゃ、入れないのさ」
「大丈夫です。六号くんなら、きっと認められますよ」
レイジの選択権がまたしても自然に排除されていた。
だが、もうこれしかないのではとも思う。スミカに頭を下げ、入部が認められれば寮を使えるのだ。
だが、奴隷だ。……奴隷、やだ。
「さあ、行ってください六号くん! スミカ様が部屋に入る前に、追いかけるのです」
堀之内が手を廊下の先に差し伸べる。バラが舞う。
廊下の先に、ちっちゃいスミカがちっちゃく見えた。
トクン。
なんだろう、この感情は。
寳栄スミカは無敵だ。単純な暴力だけではなく、教師や寮母まで抱きこんでいる。明日には学園長がペットだった、なんてことがあっても全く不思議ではない。
だが、廊下の先を歩くスミカを見ていると、それらとは全く切り離された思いが湧きあがってくる。
守りたい? そばにいたい?
違う。しっくりこない。
わからない。
だから、レイジは走った。
エリナを追い抜く。何か言われたが、耳に入らない。
スミカに追いつく。彼女は自室のドアを開けようとしていた。
気配を感じ、スミカは振り返った。ふわっとした髪が柔らかく揺れ動く。
レイジは呼吸を整え、跪いた。
心も整えないといけない。このでかいプライドと反骨精神には、少しの間カバーをかけておこう。
息を吸いこむ。両手をつく。額を廊下につける。
「スレイ部に入れてくれ!」
レイジはありったけの声量で、それを叫んだ。
返事がない。
ぐしゃ。
後頭部に固いものが押しあてられた。
あれ、また踏まれてる?
バタン。
ドアがしまる音。
レイジが顔を上げると、そこにスミカの姿はなかった。
「あ……」
そりゃそうだ。虫がよすぎる。
無敵のスミカにとって、レイジの行動は、手を噛んだ犬がお腹を空かしたからと戻って来たようなものだ。そんな犬は彼女にとって必要ない。
レイジは俯いた。
ぽとりと目の前に何かが落ちた。
頭の上に乗っていたらしい。いつから?
それは銀色でピカピカしている。ひっくり返すと〈S〉の字が印刷された小さなピンバッジだった。スミカに踏まれたためか、ちょっとへこんでいる。
「おめでとうございます」
堀之内が追いついてきた。横にはエリナもいる。
おめでとうとは、どういうことだろう。
「スミカ様は何を考えてらっしゃるのか。いいえ、堀之内。これは文句ではなくてよ」
「承知しております」
「文句があるのは、六号がスレイ部に入ることですわ」
今拾ったのと同じピンバッジが二人の胸にぴかりと輝いている。
「それは部員の証。わたくしが、あなたをどんなに気に入らないと思っていようと、それをいただいたということは、スミカ様に認められたのですわ」
不満は百では収まらないという顔でエリナが言う。
「でも、思い上がらないでいただきたいですわ。わたくしは、あなたを同じ奴隷とは認めなくてよ!」
彼女はつかつかとレイジの横を通り過ぎて、スミカと同じ部屋へと入っていった。
レイジは小さなバッジを拾い上げる。
これが部員の記章。
堀之内がレイジに手を差し伸べ、微笑む。
もちろんバラつきで。
「ようこそ、スレイ部へ」
レイジはその手をしっかりと握った。