八話
寮母の姿は外にはない。当然のことだが、寮の中にいるのだ。
玄関の掃除のために出てきたりしないかと、小一時間ほど待ってみたが出てくる気配なし。
ずっと玄関を見張っていたので、通りすがる女子生徒に不審者のレッテルを貼られてしまった。転入初日にして学園生活が危ぶまれる事態の連発。
こうなれば、寮の中に乗りこんでいくしかない。捨て鉢である。
レイジは玄関をくぐった。心の中で、学園長に言われてきたんです、という看板を掲げながら。だが、残念ながら、それは他の人には見えないんです。
寮内にざわめきが起こる。
悲鳴を上げられたら、色々と終わる。レイジは素早く目を走らせ、寮母らしい人物を探す。
「ほほう。あたしの寮と知って、こんな真昼間、しかも正面から乗りこんでくるとはいい度胸じゃないか」
背後から声がかけられた。後頭部が締めつけられる。痛い痛い! 頭をがっちりつかまれている。なんて握力だ。
みしみし。
頭蓋骨が軋む音がした、気がする。これ以上は危険だ! ヘルプミー!
周囲にはたくさんの女子生徒が集まっている。だが助けはなく、代わりに白い目がレイジに向けられた。
誠実に手紙を見せて要件を話そう。そうすれば、わかってくれるはず。レイジは懐に手を入れる。
ゴシャ!
「ほぎゃー!」
レイジは顔面から壁に叩きつけられた。
「何か出そうったって、そうはいかないよ!」
レイジの手からはらりと手紙が落ちる。背後の人物はレイジの頭をぱっと離し、それを拾い上げた。
レイジはずるずると壁をずり落ちる。
「おや、学園長からじゃないか。お使いかい」
レイジは震えながら、体を仰向けにし、壁に寄りかかった。
目の前の女性はタンクトップにダメージの入ったジーンズパンツというラフな出で立ちだが、首に三角巾を括り、腰巻のエプロンをつけている。
ええっ! まさか、これが寮母か。
「あんたたち、見せもんじゃないよ! こいつはただのお使いだ。散りな、散りな」
人の輪がクモの子を散らすようにいなくなった。
寮母がしゃがみ、近い距離からレイジの顔を覗きこむ。おお、いい臭いが。
寮母は想像していたよりずっと若い。そして美人だった。
大変酷い目に遭わされたというのに、レイジはなんだかドキドキしてしまう。くそう! 俺の免疫ゼロ野郎!
凛とした顔つきに、ベリーショートのツンツンしたヘアスタイルがよく似合っている。屈んでいるのでわかりにくいが、身長が高い。レイジと同じぐらいか、それ以上ある。
スレイ部は可愛いどころが揃っているが、それとはまた違う、美人、綺麗なタイプの人だ。
あれー、何でスレイ部の人たちと比較したのだろう。ううん。
「瞳孔よし、傷よし。ちょっと顔が赤いが、正常だね。あんた、丈夫だ。名前は?」
「レイジ……。六郷レイジ……」
「そうかい、じゃあ、この手紙はあんた宛だ。あたしじゃなくてね」
寮母は人差し指と中指に手紙を挟み、ひらひらと振った。
手紙の内容はなんだろう。
学園長が便宜を図ってくれたのかもしれない。女子寮に男子が入るなど、立場上は口に出せない。だから、あの不審な態度をとっていたのだ。そう考えると納得がいく。
「読み上げるよ。ええと、レイジくん。まずは転入おめでとう。しかし、君に伝えなければいけないことがある。とても大事なことだ」
とっても深刻そうな書き出しである。
「鈴ヶ森学園は以前、女子学園だったと知っているだろうか。その様子では知らなかったのかもしれないね。我が学園が共学の道を歩み始めたのは、わずか三年前のことだ。男子生徒を勉学、部活動に励ませる準備に不備はないと自負しているが、それでも女子と全く同等の設備を用意できているとは、まだ言えないのだ。端的に言えば、鈴ヶ森学園に男子寮はない。期待に胸をふくらませ、不安を抱えてやって来た青少年の転入初日に伝えるには、あまりに忍びない内容だ。よって、この手紙を寮の管理者、名護山タケミに託す。面と向かって伝えることができなかった私をどうか許してほしい。そして、男子寮がないことを学園の汚点とは捉えず、レイジくんには前向きに学園生活を送ってほしい。ただただそう願うばかりである。――学園長、だとさ」
タケミは手紙をたたむ。
それだけ?
都合よく考えすぎた自分を、レイジは恥じた。穴があったら入りたいとはこのことか。
あの学園長め、男子寮がないだけの内容を大げさにしすぎである。
「あのじいさん、人はいいんだが、上に立つ人物にしては、ちっとばかし度胸が足りないね。そのぐらい自分で言えってんだ」
「ははは、そうだよね……」
学園長をじいさん呼ばわりである。ただの寮母さんなのかどうか、怪しく見えてきた。
タケミは手紙を封筒に戻すとレイジに手渡す。
「用事は済んだだろ。もう出ていきな」
それは困る。今日、泊るところがないのだ。