四十話
「それじゃー、出発しんこーう!」
ノブコ先生がハンドルを握って、元気よく右手を大きく挙げた。
タケミはいつの間にか助手席にいて、ぐったりしている。
え? は? 何が起こったの?
ノブコ先生は目の前の席にいたはずだ。車は停車どころか、減速もしていない。
ノブコ先生がアクセルを踏み抜く。
バンは暴れ馬のように前後に揺れながら坂道を猛スピードで駆けあがっていく。
レイジは天井に何度も頭をぶつける。
窓から見える風景はもはや線のようで、車の跳ねまわる動きと合わさって何がなんだかわからない。
しかし、この戦慄すべき体験の本番はここからだった。
ふわっと重力がなくなった。車が頂点からジャンプしたのだ。サスペンションを軋ませながら道から外れるギリギリに着地したかと思うと、ゴムが擦れる甲高い音をさせながら進路を強引に戻す。摩擦が路面を捉えるとバンは凄まじいスピードで坂道を降下し始めた。
誰かが悲鳴を上げた。いや、これはレイジ自身の悲鳴だった。もうそれすら判然としない。
しっかりとした箱の中にいるはずなのに、体むき出しで走行しているような恐怖を感じる。これがジェットコースターなら進路が見えて覚悟もできようが、ノブコ先生の運転はそれさえ許さない。
レイジは目をぎゅっとつぶり、無我夢中で手が触れたものにしがみついた。
「――はーい、到着しましたよー」
実際には数分だろうが、地獄のような時間がようやく終わった。
生きた心地がしなかった。まだ心臓がバクバクいっている。
レイジは恐る恐る目を開く。
「レイジくん……」
目の前に堀之内の顔がある。背景にはバラ。視線がばっちり合った。
どうやら数分間、レイジと堀之内は固く抱き合ったままだったようだ。
レイジは乾いた笑いを残しながら、彼からそっと離れる。
堀之内よ、なぜ君は頬を染めている。
ノブコ先生は実に満足げだが、他のスレイ部は肩で息をしていたり、放心状態だった。
「ろーくーごーうー……」
目をらんらんと光らせたスミカが迫る。
「あの、そのっ、知らなかったんだ!」
レイジはバンから、どべっと蹴り出される。スミカも車外へ降り立つ。
「ほんと、ご……」
バコーン!
問答無用のスミカパンチがクリーンヒット。天高く、きらきらとレイジは舞う。蝋の翼の記録は塗り替えたに違いない。
「高っけー」
窓から見上げたキョウが感嘆の声を上げた。
たっぷり時間をかけてレイジは頭から墜落。地面に突き刺さった。
キャンプ場に無事到着……でいいのだろうか。
倒立状態だったレイジの体がかくっと折れた。
そこはコテージなどのない、だだっ広い草原だった。
他に人の姿はなく、貸切のようでちょっと嬉しい。
「よし、テントを設置するぞ」
バンから荷物が運び出される。
あっという間に黄色いテントが三つ、少し距離を空けて立った。簡便さを重視したものだったが、この穏やかな気候では十分だろう。
公園の水飲み場みたいにぽつんと水道が引かれていた。そこからやや離れて四角い建物も見える。これはトイレだろう。
レイジは喉が渇いていたので水を飲み、ついでに顔をばしゃばしゃ洗った。
レイジは滴る水ををふきふき、三つのテントの中心に向かう。もうみんな集まっている。
テントを見ながら、なぜだか難しい顔だ。
レイジはテントを振り返る。特に問題はないようだが……。
「困ったねえ」
「そうねえ」
「何か問題が? ほんのちょっと傾いてる気はするけど、倒れやしないよ」
「そうじゃないんだよ。六号と堀之内は一緒でいいよな」
「もちろんです、名護山さん」
「そのテントにもう一人振り分けようと思ったんだけどさ、どうもまずくてね」
レイジは要領を得ないと首を傾げる。レイジ、堀之内の二人で一つのテントを使っても、テントはもう二つある。人数からすると十分のはずだった。
その疑問はノブコ先生が明らかにしてくれた。
「タケちゃんの寝相がすっごいのよー。学生時代、こんなテントで一夜を過ごしたら、朝になって隣に寝てた子が瀕死の状態で発見されてねー。病院に搬送されちゃったのよー」
うわあ。何となく想像できるのが嫌だ。
「そういう事情だから、あたしはテント丸々ひとつ使わせてもらうよ。悪いね。代わりにかさばる荷物は全部預かるからさ」
「それより、問題はレイジなのですわ」
「ええっ、俺かい?」
「堀之内はともかく、レイジとあの狭い空間で一夜を共にするのは不安ですもの」
「ええー、なんもしないよ」
キョウが頭の後ろに手を組みながら、ぶらぶらしている。
「俺はレイジと一緒がいいんだけどなー」
「鷲嶽さんは逆にいけませんわ。何か間違いがあってはいけませんもの」
「固いこと言うなよ。つーか、間違いって何さ」
「それは……ともかく! だめですわ。もちろん、スミカ様をレイジと一緒にしておくわけにもいきません」
スミカは無言で肯定した。
「あっ、私なら大丈夫よー。六号くんは人畜無害そうだしー」
「恩田もだめだ。女性教師が男子生徒と同じテントで寝たとなれば、あっという間に噂になる。尾ひれもつく。一等級学園にはいられなくなるぞ」
「ああん、それは困るわねー。ごめんね、六号くん。やっぱり私も無理みたいー」
つまり俺と一緒の部屋は嫌だって、それで揉めてたのか。ちょっとショック。キョウだけが癒しだが、どうも一緒のテントにはなれそうもない。




