三十八話
「レイジさあ、恋人とかいねえの?」
キョウの方を見ると、顔を赤らめながら少しもじもじしている。か、可愛い。
例えば、これがイケメンメガネの堀之内なら熟練の闘牛士のようにさらりとかわすのだろうが、レイジはこんな経験をしたことがない。かと言って、怪力無双のように真正面から受け止めることもできない。
数え切れないほど妄想でシミュレートはしていたのだが、はっきり言って何の役にも立っていなかった。思考回路停止。
キョウは顔が赤いままだが、にやりと笑う。
「あー、その顔。いねえんだろ! じゃあ、俺が立候補してやるよ」
り、り、り、立候補!? 思考回路から火花ボーン。
急展開すぎる。運命の黒子も予想外すぎてシーンチェンジに失敗していることだろう。一時間ほど前には、殴られ蹴られていたのだから余計に信じられない。
だが待てよ。これはめったにないチャンスなのではないだろうか。
はっきり言おう。レイジはモテたことがない。勇気が出なくて告白経験もゼロ。振り返ると恋愛平野には草一本なく、不毛の大地が広がっていた。
しかし、ここで突然、前触れなく天空から一粒の種がこぼれ落ち、キョウという一輪の花を咲かせたのだ。
よーし、ここは思い切ってオーケーするべきだ。
ちょっと派手だが間違いなく可憐な花へ、水がたっぷり入ったじょうろを傾けようとする。
「だめですわ」
エリナ、なんでだー!
じょうろは手からはたき落とされ、どくどくと中身を乾いた大地に吸わせている。
早く拾わないと……。
「六号は変態だよ。やめときな」
うわあ、タケミまで酷いよー!
じょうろに致命的な追い撃ち。スパーンと地平線の彼方へと消えて行った。
「俺は変態でも構わないぜー。健全な男子ならそんなもんだろ」
キョウは恋する乙女にありがちな、意外なまでの寛容さを見せつけた。
これにはエリナとタケミも、ぐうとしか言えない。
それより変態なのは決定事項なのだろうか。あの、もしもーし。
「で、レイジはどうなんだ。それとも、俺じゃだめかよ」
キョウの目がレイジをまっすぐに見つめる。
じょうろが世界を一周して手元に戻ってきた。中には最後の一滴。まさに奇跡。
これを逃しては、もう次はないかもしれない。
「俺は……」
急にスミカが机を叩いて立ち上がった。
「六号は私のものだ!」
しんとした。
スミカは、はっとして頬を染めた。そそくさと座り直す。
「ごほん。六号は私の奴隷だ。つまり、私の所有物ということだ。勝手に他の誰かのものになるのは許さん」
「うーん、そうか」
キョウは自分を納得させるように何度も頷いた。
「残念だけど……スミカ様が言うんじゃ、しょうがねーな」
「わかればいいのだ、わかれば」
ああ……グッバイ、青春の甘い一ページ。
悲しみに沈むレイジを余所に、スレイ部のメンバーはほっと小さく息をついた。
なぜか堀之内までほっと息をついていた。やめろ。
何はともあれ、週末はキャンプ……じゃなかった、合宿だ。
詳細は何も知らされていないがスレイ部での初めてのイベントだ。レイジは待ちきれない思いだった。楽しみだなあ。
びゅおう、ざんざん。ばばらばら。
猛烈な雨風が叩きつけるように降る。まだ日が落ちる時間ではないというのに、辺りは暗い。時折、空には稲妻が走る。
ここは私立天ノ橋学園。二等級の学園だ。
ピシャーン!
稲光が断続的に校庭を照らした。
天ノ橋の生徒があちこちに倒れている。
校庭の中央にはマントをなびかせた五人の影があった。
「さあ、残るはあんただけだぜ、生徒会長さんよぉ」
天ノ橋の生徒会長は辺りを見回した。誰一人として動くものはいない。全員やられた。しかもたった一人にだ。
だが彼の眼にはまだ光がある。五人を鋭く見据える。
「ここは天ノ橋学園。最も一等級に近いとされる学園だ。私にも二等級としての、そしてこの学園を任された誇りがある!」
生徒会長はばしゃばしゃと泥を跳ね上げながら駆けだす。
「無理……。勝てない……」
ぼそりと影の一人が呟いた。
中でも一番体格のいい男が進み出て、生徒会長の頭をわしづかみにした。足が地面から離れる。
「は、離せ」
生徒会長はばたつくだけで何もできない。
にわかに風が強まった。大男のマントの裾がめくれ上がる。
その中を生徒会長は見た。見てしまった。
雷光にきらめく六角龍の記章。
「バカな……! なぜだ……信じられない! まさか、君たちは!」
中央の影が言う。
「そのまさかだ」
「ぐはぁ!」
生徒会長が地面に叩きつけられる。
腕をぶるぶると伸ばすが、ぱしゃりと落ちた。もう動かない。
男は再びマントで体を覆った。
「ふん、何の手応えもねえな。これじゃあ弱い者いじめだぜ」
「ずいぶんと楽しそうに見えたけれどね。なにせ一人で全員を倒してしまうぐらいだ」
気取った声の持ち主が鼻で笑う。
「なんなら、お前がやってもよかったんだぜ。負けない自信があるならな」
「この僕が負ける? 君にしてはなかなかのユーモアだねえ。なに、今回は手柄を譲っただけのことさ。ありがたく思いたまえ」
大きな影はむっとした様子を隠さない。
「当然、勝ったでしょう。負ける要素がありませんでしたから」
凛々しい知的な声が険悪な雰囲気に割って入る。
「そうだ。これは勝負ではない。――見せしめだ」
中央の少女の言葉に合わせるかのようにカッと稲妻が空を割った。五人のシルエットをくっきりと映し出す。
次の稲光が瞬いたとき、校庭にあった五つの影は忽然と消えていた。
風が止んだ。
校庭に転がった生徒たちに敗北を染み込ませるように、静かに雨は降り続いた。
こうして天ノ橋学園は陥落した。




