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二十話

 夕食はパスタがメインだった。野菜たっぷりのトマトソースが絡んでいる。アラビアータというやつだ。


「ちょっとニンニクが効いてるからね。朝や昼は選びづらいんだが、味は絶品だよ。野菜も無理なく取れるからね」


 それにオニオンスープがついていた。コンソメのいい香り。


「冷めないうちに頂こう。いただきます」


 スミカが合掌する。


「いただきます」


 皆が続く。

 なんだかいいな、みんなでいただきますを言うのって。

 それに大人数で食事をすると、なぜだかおいしく感じるね。


 事細かく味を表現しようとしたレイジだが、パスタを巻き取る手がぴたりと止まった。

 黒紫の表皮。トマトソースの赤を十分に吸ったスポンジ状の実。一列に並ぶ小さな種。


 ナ、ナスだー!


 レイジはナスが嫌いだった。同じナス科のトマトやピーマンは平気だ。なんでだろうね。

 レイジは精密なフォーク捌きでナスをソースから分別していく。かなり入ってるぞ。『野菜たっぷりアラビアータ』と名付けられているのは伊達じゃない。

 ……仕分け完了。これで安心して食べられる。ぱくぱく。うん、おいしい。


「六号、何をやっている」


 レイジはびくっと動きを止めた。冷や汗をかきながらスミカを見る。

 間違いなく、ナスの山をスミカは見ている。その目がレイジにスライドするにつれ、半眼になった。じとー。

 ここはウンチクを披露して、話題を変えるしかない。


「ナスはもちろんナス科の植物なんだけれど、トマトやピーマンもナス科の植物なんだ。それにこの辛味の元、トウガラシもナス科! このパスタのソースにはナス科植物ばかり入ってるんだよねー」


 みんな手を止め、レイジを見た。ナスの山を見た。


「……まさか、レイジくん。残す気ではありませんよね?」

「はあん、好き嫌いは感心しないね、六号」

「えり好みをしているから栄養が偏ってそんなアホ面になるのですわ」

「ナスだって農家の方が丹精込めて育てたものなのよー。料理を作ってくれた人にも悪いわよー」


 話題逸らし失敗。

 総叩きである。

 だが、レイジは見た。スミカの皿の隅に緑の山があるのを。


「スミカだってピーマン残してるじゃないか! 子供か!」

「バ、ババ、バカ者。残しているのではない!」

「じゃあ、なんで寄せてるんだよー」


 スレイ部のメンバーが目くばせした。


「何を言ってるんだい。スミカ様が好き嫌いするわけないじゃないか」

「そ、そうだ。私は好き嫌いなどしない」

「スミカ様は何でもおいしく頂きますからねー」

「そ、そのとおりだ。わかったか、六号」

「むしろ、スミカ様はピーマンが大好きなのですわ」

「ええっ」


 スミカがびくっとなる。


「スミカ様は好きなものを最後に取っておきますからね。今にもりもり食べ始めますよ」

「はひっ?」


 スミカがまたびくっとした。小声で「おまえたち!」と言ったが、レイジには聞こえない。堀之内たちも聞こえぬふりをした。


「そうなのか? スミカ」


 スミカは唸っていたが、


「当たり前だ。好き嫌いのわけがないだろう。おまえと一緒にするんじゃない」


 と言い放った。


 うわあ、嘘だろそれ!


 こうなるとレイジも引けない。


「俺も好きだから最後に取っておいたんだ」


 語尾が弱々しくなってしまった。この紫の魔物を目の前にしては、どうも威勢が出ない。

 案の定、スミカは怪しんでいるぞ。

 このままではいけない。魔物にフォークをずぶり。


「わーい、ナスだ。俺、ナス大好きー」


 これ以上ないほど棒読みになってしまった。レイジは口元までナスを持っていく。

 だが、だめだ。ナスはだめだ。間に伸ばし棒が入れば、非常に結構なのだが。


「どうした? 食べないのか?」


 スミカが、やっぱりといった顔をする。小馬鹿にしている。


 むか。


 こうなれば自棄だ。レイジはなるべく目を逸らしながらナスを口に放り込む。噛む。うおおお、この歯触り。これが嫌なんだよー。

 口の中にナスの味が広がるぞ、ほら来るぞ、さあ来たぞ。

 ……あれ、案外いけるじゃないか。もぐもぐ。

 トマトソースが染みて、ナスの味が気にならないのではない。むしろ、ソースがナスを引き立てている。一噛みごとにとろりとした旨みが染み出す。ソースの酸味と他の野菜の旨みがナスの甘みと合わさり、絶妙なハーモニーを奏でる。ナスってこんなに甘いんだ。

 ごめんなさい。食わず嫌いというやつだったようです。

 幼少期に食べたナスはぶにっとして青臭くて、とても食べられたものではなかった。レイジの中のナスはもう、そのイメージだった。

 母上の味付け、あるいは調理方法が生み出した異次元の産物で、あれはナスではなかったのかもしれない……。

 レイジは遠い目をした。セピア色のナスの幻影よ、さようならだ。


 スミカは、続けてナスに手を伸ばすレイジを信じられないといった顔で見ていた。

 レイジはこみ上げてくる笑いを噛み殺すのに苦労する。

 ――この勝負、もらった。


 その自信満々な顔が癪に障ったのか、スミカが眉間にしわを寄せた。無言でピーマンにフォークを突きたてる。

 重なったピーマンが串刺しだ。まるで処刑である。


「ピーマン大好き」


 あまりにもぶっきらぼう過ぎる! 表情も険しい。それ、嫌いですって言っているようなものだ。ピーマン愛ゼロ。

 だが、スミカは口に入れた。ピーマン、入りました!

 スミカは噛まずにオニオンスープに手を伸ばす。


 レイジはにやにやとそれを眺める。もはや、克服したナスを肴に高みの見物である。

 おやおやぁ、スープで流し込むのは反則ではないんですかね。スミカ様ともあろう方が……まあ、俺は構いませんがねぇ。

 ゲスの極みである。もちろん声に出してはいない。

 だが、雰囲気を察したのかスープに伸びたスミカの手が止まった。


「むぐぐぐー、ふんぐむむー!」


 スミカは何か言っているが、ピーマンが口に入ったままだ。何を言っているのかさっぱりわからない。

 目を白黒させていたが、レイジをキッと睨むと、あごを工場のプレス機のように力強く単調に動かし始めた。

 しかし、その表情がだんだんと和らいでいく。すんなりと飲みこむ。


「……ふふ、ふふふふふ」


 なんだ、急に笑い始めたぞ。悪いピーマンでも食べたか?


「どうだ! みたか、ピーマンを食べたぞ!」

「だって、スミカはピーマン好きなんだろ」

「うっ、そうだった。だから、これは当然のことだ」

「そうだよ。まだ残ってるよ」


 ナスを食べ終えたレイジは気楽なものである。


 ひょい、ぱく。


 だが、スミカはあっさりとピーマンを口に運んだ。


「なにー!」

「レイジくん、叫んでますよ。あと、席から立ち上がっています」


 レイジは堀之内に席へと引き戻された。いかんいかん。つい興奮してしまった。


 しかも、スミカは味わって食べている。これは演技じゃない。ちらりと横目でレイジを見る余裕さえある。ふふん、どうだと言わんばかりではないか。

 まさか、彼女も食わず嫌いだったというのか。あんなに嫌そうだったのに、もう克服したというのか。

 優位に立ったと思ったのに。ちぇー。


 ふと周りを見ると、スレイ部のみんなが微笑ましく二人を見ていた。

 あれれ。まさか、まさか。上手く乗せられて、好き嫌い克服の材料に使われた?

 ナスが食べられるようになって悪いことではないのだが、してやられた気分だ。


 ごちん。


「いて」


 スミカに頭を殴られた。


「主人を敬わない顔つきをしていたからだぞ」


 そうは言いながら、スミカのパンチはいつもよりもソフトだった。

 彼女もピーマンが食べられるようになって、まんざらではないらしい。

 それでも十分強烈に痛いのだが。

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