十二話
「ぼぶべ」
レイジは早くも本日一発目のスミカパンチを食らっていた。
堀之内がさりげなく耳打ちする。
「レイジくん、あの挨拶はよくなかったですね」
「だめなの? 『おはよー、スミカ。今日もいい天気だね』って、朝のホリーを参考にしたんだが」
「だめですよ。挨拶ははきはきと『おはようございます』。お呼びするときは『スミカ様』、あるいは『ご主人様』です。返事ははっきりと伝わるように『はい』、その後に『スミカ様』と名前を添えるのが理想的です」
抵抗感マックス。どうもスミカの前では素直になれない。
「どうした、六号。もう一回だ」
うぐぐぐ……この態度である。可愛くない。いや、容姿は可愛いんだ。
だが、あのアルティメットなパンチをそう何度も食らっていては、明日まで命が持たない。ここは従うしかない。
「お、おはようございます、スミカ様」
スミカはじとっとレイジを見た。これでもだめ!?
「棒読みっぽいのが気になるが、まあいいだろう」
ふう。セーフ。
エリナがめちゃくちゃ睨んでるけれど、スミカに殴られなかったのでセーフでいいよね。
ノブコ先生とタケミの姿はない。彼女たちは大人で、それぞれ仕事がある。朝からスミカに付き合うのは、なかなか難しいのだろう。
スミカを始めとし、堀之内、エリナ、そしてレイジの四人で園内の散歩が始まった。
奴隷と言うから何か特別なのかと思ったが、何のことはない、ただおしゃべりしながら中庭を散歩するだけだった。
中庭は驚くほど静かで、柔らかい朝日が草木に優しい色を与えている。散歩にはとてもいい日和だ。朝早いためか、他の生徒の姿は見当たらない。
エリナはしきりにスミカに話しかけながら、ゆっくりと歩く。スミカは庭の風景を眺め、たまに朝露に濡れた草花に手を触れながらそれに続く。平和な光景だ。
エリナの話はとりとめがないが、それでも、よくもここまで間を空けずに話せるものだと感心した。
気づくと堀之内の姿がない。どこへ行ったのだろう。
「スミカ様、少し失礼しますわ」
「うむ」
スミカが立ち止まり、花に触れたタイミングを見計らって、エリナはその元を離れた。
レイジの方へやってくる。
「ちょっと、あなた。何のつもりですの」
「あれ、交代かな?」
「まっ! 堀之内ならともかく、六号にスミカ様のお相手はさせられませんわ! あなたの仕事は別ですのよ。それなのに、スミカ様の視界をうろちょろうろちょろして……。全くなってませんわ」
「別と言われても、初めてでわからないんだ」
「そうでしょうね。そうでしょうとも。ポンコツで礼儀知らずの六号にもわかるように、私が説明しないといけないのですわ」
エリナは露骨にため息をつく。
レイジはむっとするが、ここで顔に出してはだめだ。教えてくれるそうだし、感謝の念を持って笑顔で聞くのだ。
にこ。
「気持ちの悪い顔をしていないで、真剣に聞いて下さらない?」
レイジのスマイル作戦はエリナには逆効果だった。気持ち悪いとまで言われるとは思いもしなかったのだが。
レイジが落ちこんでいるのを殊勝と捉えたのか、エリナは話を続ける。
くそう。いつか見返してやるんだから。
「いいですこと? あなたは、スミカ様が気持ちよく散歩できるように、あらかじめルートを先行しなさい。そして、目につくゴミや汚れを徹底的に排除するのですわ」
「なるほど。それでホリーはいないんだ」
「感心してないで、さっさとお行きなさい。堀之内が待ってますわ」
「わかった。ありがとう、エリナ」
きちんとお礼を言ったのだが、エリナはふんと鼻を鳴らして不満げだ。だが、スミカをこれ以上待たせるわけにもいかないらしく、彼女のところへと戻って会話を再開した。
奴隷らしくなってきたなあ。お散歩かと思ったら、ゴミ拾いだ。
ゴミを探しながら、レイジは中庭をうろうろしていたが、もともとこの学園は綺麗に整備されているし、ゴミを捨てて歩くやつなんていない。
ゴミは見つからなかったが、堀之内の姿が見えてきた。いかにも楽しそうにゴミ拾いをしている。笑顔の横にはバラ。やっぱり変なやつだ。
「レイジくん、はかどっていますか」
「酷いよ、ホリー。何をするのかわからなくて、エリナに怒られちゃったよ」
「だから、私の真似をするようにと伝えたのですが……もしかして、ついて来ていなかったのですか?」
「真似って、挨拶だけのことかと思ってたよ」
堀之内は首を振る。
「勘違いがあったようですね。まずは経験のある私がお手本になりますから、挨拶だけでなく、スミカ様に対する全てのことを真似してみてください。それが身につけば、自然とレイジくん独自の奴隷スタイルが出来上がっていくはずです」
奴隷スタイル――一見、恰好よさそうな字面だが、結局は奴隷である。
だが、この堀之内の話を聞くに、奴隷のあり方は一辺倒ではないらしい。この散歩でも、エリナはスミカの話し相手になり、堀之内はルート上の整備に努めている。それぞれができることをやっているのだ。
はて、とレイジは考える。自分のスタイルか。さっぱり思いつかない。
ただ漠然と、奴隷スタイルが確立されれば、スミカを筆頭にスレイ部のみんなと仲良くなれそうな気はする。堀之内も喜んでくれるに違いない。
「わかった。ホリーから学ぶよ」
堀之内はバラを背景に咲かせながら微笑む。