第77話 攻勢の膝枕
夕食を済ませた後のまったりタイム。
あたしはテオドラさんに膝枕をしていた。
「はぁ……夏海……」
熱っぽい吐息をダダ漏れにしつつ、手とか太腿とか色々と触ってくるテオドラさん。
正直この状況は色々と堪らないけど色々と溜まってくる。
「……ぅ」
待て待て、まずは落ち着こう。
そうだ、なぜこうなったかを思い返そうじゃないか。
お昼にケーキを食べるという予想外な展開はあったものの、その後は大体突拍子もないことは起こらなかった。
甘い物は別腹という理論は食前でも当てはまるのか、テオドラさんは昼食もしっかり食べてくれた。
午後は残った家事を合間に済ませつつ、メインはテオドラさんとの時間。
なんでもないことを話しながら、たまに生まれる変な間に二人で笑っちゃうような時間を過ごして。
夕食も誕生日仕様で頑張って、美味しいと言ってくれただけじゃなく片付けまで手伝ってくれた。たぶん朝と同じようにあたしと離れたくないってことなんだろうけど、それならそれで二重に嬉しいので問題ない。
それでお腹も膨れたし食休み、って空気になって……ああ、そうだ。例のソファーに並んで座った時にはもうテオドラさんが距離を詰めてきたんだ。
確か、テオドラさんがあたしの太腿に手を置いて膝枕してほしそうな顔をしていた……ような気がする。
本当にそうだったのかは推測でしか語れないけど、実際こうして膝枕してるんだからおおむね正解ってことでいいんじゃないかと。
……と思い返してはみたものの、なぜこうなったかと言えば特に理由なんてない。なるべくしてなった、というのが正解じゃないだろうか。
テオドラさんがあたしを求めてくっついてくれる。だったら受け止めてその気持ちに応えるのが恋人ってものだ。
そういえばテオドラさんに膝枕をしてあげるのも久しぶりだ。フリアジーク以来かな。
テオドラさんったら、こんなに安心しきった顔をしちゃって……そんなに心地いいのかな、あたしの脚は。
「テオドラさん……膝枕、気に入っちゃったんですか?」
疑問はすかさず口にする。
これがきっとあたしたち流の円満術。
「ああ、最高だよ……ずっとこうしていたいくらいだ」
「ふふっ、いいですよ。テオドラさんが望む限り、ずっとずっと……」
テオドラさんの頭を撫でてあげると、目を細めてそのまま本当に眠ってしまいそう。
もっと甘えてほしいな……あたしにできることは全部してあげたい。
何をしてあげられるか、少し考えてみよう。
幸いなことにテオドラさんはあたしの手をふにふにするのにご執心なので時間ならある。
とりあえず空いている方の手で頭を撫で続けていると、ふにゃっと表情が蕩けたので間は持たせられそうだ。
太腿と顔。人の全体像で考えると離れていそうなイメージだけど、座った状態だとそんなに遠くない。
そこに頭が乗っかれば、それだけ更に近くなる。
何が言いたいかって、テオドラさんの顔が結構すぐそこにあるってこと。手を伸ばせば触れられるどころじゃなくて、なんなら頑張って背中を丸めたらキスできそう。
近いから触れ合うのはいつものことだけど、今は位置関係が違う。ここぞとばかりにテオドラさんの髪を触っていると、見え隠れする可愛い耳にどうしても視線が吸い寄せられる。
「ひぅっ」
耳に触れた瞬間、テオドラさんが可愛く震えた。驚かさないように、そっと触ったのが逆効果だったかもしれない。悪くはない。
「ここ、くすぐったいですか?」
「……んっ」
明確な声じゃなかったけど、体にしがみついてくるのが答えだ。あたしは止まらなくていい。
ふにふにとした触感を楽しんでいると、じわじわと耳が熱と色を帯びていく。
あたしが、あたしの手がそうさせたんだ……。
これが、テオドラさんにしてあげられること。背筋を駆け上る甘い震えがそう告げてくる。
完璧な理想形をしているテオドラさんの耳は、触ることすらためらってしまうほどの造形美を帯びている。
だけど人間、とりわけあたしは欲深い。俗に言われる「綺麗なものを壊す快感」ってのもわからなくはない。
いや……壊す、までは言いすぎか。
ちょっと触って形を変えて、それでテオドラさんが何かしらの反応を見せてくれたらそれでいい。
どうしたら、またあの可愛い反応を引き出せるのだろう。耳たぶをつまんでいるだけで息が少し荒くなるくらいだから、何をしてもよさそうだけど……。
そうだ、耳をふさいでみるのはどうだろう。こうやって広げた手を乗せて、隙間をなくすように意識して。
「ん……」
あっ、くすぐったさがなくなって安心したような顔になった。もっとしてほしかった、みたいな雰囲気が感じられるのはたぶん見間違いじゃない。
今、テオドラさんの耳には塞いだ時に聞こえるあのくぐもった音が届いているはず。
それと、テオドラさん自身の呼吸音も。外からの音が聞こえないと、内側からのあれこれがよく響くから。
なんかモジモジしてるけど……自分の呼吸を意識しちゃったのかな。隠そうとしたって無駄なのに。さっきからちゃんと気付いてるんだから。
パッと離して、またふさいで。手を当てながら動かしてみたら、肩を強張らせながらあたしの服を掴んできて一つの収穫が生まれた。
でも足りない。もっと、もっとテオドラさんの可愛いところを見つけたい。
「テオドラさん……こんなのはどうですか?」
「ひゃんっ!」
耳にふうっ、と緩い吐息を吹いてみた。予想通り、体と声からいい反応を引き出せた。
本当に耳が弱いんだなあ……それなのに逃げようとも止めようともしない。
そういう無言の誘いが、あたしをどれだけ惑わせているか……テオドラさんはわかってやってるんだろうか。
「テオドラさん、可愛い……」
吐息攻撃を仕掛けた至近距離のまま、今度は囁き声を浴びせる。意識してやったというよりは、湧き上がる気持ちが声になってこぼれていったというべきか。
なので、可愛いだけで終わるわけがない。
「好き、好き、好き、好き……」
「なっ、ななな夏海?」
何その裏返った声。そんなに意外だったかな。
それならもっと言わないと。あたしの好きって気持ちがちゃんと伝わるように。
「なんで、そんな急に……」
「なんでって、好きだからですけど?」
好きだから好きと伝える。
そこに一体どんな問題があるというのか。
「……っ」
またぎゅっとしがみついて……。
やっぱり誘ってるよね?
もっとしていいよってことだよね?
返事や答えはいらない。
そんなのを待ってるだけの余裕は持ち合わせていない。
囁きに吐息を混ぜて、同時に耳の輪郭を撫でる。全部一緒だと声が我慢できないみたいで大変素晴らしい。
「そんなにくすぐったいんですかぁ……? ふふっ、敏感なんですね……」
ふと考える。このまま耳を甘噛みしたら、テオドラさんはどうなっちゃうんだろう。
見たい気持ちはもちろんある。けれど、そこまで進んでしまったら何かとても危険な領域へ踏み込んでしまうような気もする。もう半分以上足を突っ込んでるようなものだし。
想像すれば生まれるのは期待と興奮と小さな不安。
小さくても確かな存在を主張するそれが、頭の片隅で縮こまっていた冷静な理性を舞台上へと引っ張っていく。
結果、攻めの手が止まった。我に返ったとも言うべきか。本当に一線超えちゃうところだったかもしれないじゃん……まあ超えてもいいんだけど。
なんだか気分が変わってしまったので、茹で上がったテオドラさんの顔を至近距離で眺めながら頭を撫でるのに専念することにした。変に高ぶっていた心が落ち着いていくのを感じる。
もう片方の手はテオドラさんに明け渡すことにした。あんなに余裕なさそうな反応だったのに、テオドラさんはすかさずあたしの手を包み込んで離さない。可愛い。好き。
まだあたしが何かするんじゃないかと思ったのか、しばらくテオドラさんは肩に力を入れたままだった。
それも次第に抜けていき、表情も安らいだものへと変わっていく。どちらにしても無防備であることには変わりないので、あたしにとっては得しかない。
テオドラさんの誕生日なのに、あたしがもらってどうするんだろう。ちゃんと返せているのだろうか。ついさっきまでのあれこれだって、本当に喜んでくれたのかな……?
少しだけ大きくなりかけた不安は、テオドラさんが手をにぎにぎしてくれたことで砕け散った。とりあえず今はお気に召してもらえたらしい。
そうやってしばらく静かな時間を過ごしていると、なんだか静かすぎるような気がしてきた。
横向きだけどテオドラさんの目が閉じられているのはわかるし、呼吸だって穏やかで規則的なものになっている。好きにされていた手も今では普通に繋いでいるだけ。
えっ、まさか寝落ちしちゃった?
どうしよう、唐突な寝顔鑑賞会の始まりですか?
まあ待て、まずは起こさないように落ち着いて……そう、こうやってテオドラさんの顔をみて心を静めようじゃないか。
いや全然静まらないが。
だってこれ、あたしだけが見られる最高に特別な瞬間だし。膝枕されて眠っちゃうテオドラさんとか、可愛いなんて言葉が陳腐になるくらいの最高を超えた最高じゃないか。
しかも、そのおかげであたしの動きが制限されて、なんだかテオドラさんに全身を支配されているようで……こっちは深く考えるのは辞めたほうがいい気がするので保留。
テオドラさんの顔が上ではなく横を向いているのは惜しむべきことなのか、それとも嬉しく思うべきなのか。
上向きならそのすべてがあたしに向けられて様々な感情のミックスジュースを味わえる。しかし横向きというのはあたしのお腹に密着していることを意味しており、それ自体が十分過ぎるほどにあたしを打ちのめす武器になっている。
両方ともそれぞれの良さがあるわけだし、今はこの現状を受け入れよう……と結論付けたのも束の間、テオドラさんの目が開かれた。
顔を向けられたわけではなく、視線だけが横目であたしを射抜いてくる。つまりは流し目であり雰囲気と状況も相まって非常に魅力的なパワーで静まりかけた心が再び騒ぎ出してしまう。
しかも寝ぼけているのかなんなのか、太腿に頬をスリスリさせてくるという追い討ちまでかけてくる始末。危うく「うぐ」みたいな声が出そうになるのを必死で飲み込む。
不意打ちみたいな攻め返しに耐えかねたあたしの取った手段は逃亡。
と言っても膝枕によって身動きの大半は封じられているので視線を逃がす。ついでに顔も動かして顎の向く先と床を平行にすれば天井を見つめるあたしの完成だ。
もう……攻められると弱いな、あたしは。さっきまでの勢いはどこにいったのか自分でもわからない。テオドラさんの存在自体があたしの弱点みたいなものだから仕方ないと言えばそうなんだけど。
こんなのを毎日毎時毎分毎秒され続けたら、本当にあたしはダメになりそうだ。今もそれなりにダメな気はしなくもないけど、それ以上にダメと言うか……あたしという存在がとろとろに溶けて別の物体になりそう、なんて思えるくらいには重症だ。
……あたしもテオドラさんに甘えたら、同じような気持ちにさせられるのかな。
だったらなんて嬉しいことか……いや、でもテオドラさんが本当に溶けちゃったら困るから、いい具合にとろけるくらいがベストかも。
よし、くだらないことを考えられるくらい頭が回るようになった。
そろそろテオドラさんに首を見せ続けるのは終わりにしよう。ちょっと恥ずかしかったし。
視線を天井から元の場所へ戻すと、こちらを見上げているテオドラさんと目が合った。味気ない天井一色だった視野が急激に色を取り戻し、純真な眼差しに心が揺れる。
決して咎めるような視線じゃない。そこにあるから見る、見たいから見る……そんなテオドラさんの瞳。
だけど、あたしは思い返す。雰囲気とノリで流されていったさっきまでの行動を。よく考えるまでもなく、やり過ぎ感は否めない。
「あの……テオドラさん。ごめんなさい。なんか色々としちゃって」
ずっと黙っていたせいで間が持たない、という考えもあったのだろう。
何か言わなきゃ、と焦ったあたしから発せられたのは謝罪の言葉だった。
「夏海、謝らないでくれ」
返ってきた言葉は、あたしを許してくれるものだった。
そうか、こう言ってくれることを心の奥では期待していたのかな。だからあたしはつい謝ってしまったのかも。
「その……嫌じゃなかったから」
でも、続く言葉は想定外だった。
「私は、夏海になら……何をされても嬉しいんだ」
「はうっ」
もう変な声は抑えられなかった。
だって当たり前でしょ。顔を真っ赤にしながらこんなこと言われて正常でいられる人なんている?
てか、あたしだって一応理性とかあるからね?
無意識なのかなんなのか壊しにきてる人いますけどね!
「それなら……また、してもいいですか?」
壊された理性の隙間から欲望がこぼれ落ちる。あたしとしても、またテオドラさんのお耳を堪能させてもらえるのならば願ったり叶ったりなわけで。
「……ん」
甘く短い声と、小さな頷き。
どれを取っても小さなそれらは、しかし密着した太腿にはしっかりと伝わってきた。
「ふふっ、ありがとうございます」
こんなやり取り、そういえば前にもあったっけ。テオドラさんの太腿へお邪魔したときに、謝罪側と受け入れ側が逆だったけど。
ほんと、あたしたちって似たもの同士。いつも同じことを考えて、同じ気持ちを抱いて、同じ感情を想っている。
それなら……今したいことも同じはず。
理性の隙間からは欲望が滲み続けているようだ。
「でも、やりすぎたのは事実ですから……お詫びの気持ち、受け取ってくれますか?」
言い終わって数秒の間。顔を寄せていくとテオドラさんも察したのか、手を伸ばして頬を撫でてくれる。
やっぱり同じだった。
答え合わせを終えたキスは役割を証明へと変え、衝動の伝え合いが始まる。
触れそうで触れられなかった距離は二人次第でくっつけるようになる。
背筋は全然痛くならなかった。




