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光浪夏海の異世界百合物語  作者: 虹月映
第六部 貴女への恋路
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第75話  草原の微風

 そんなこんなで、テオドラさんとの昼食は楽しく過ぎていった。

 出される料理はどれも美味の極みで、さすがテオドラさんの選んでくれたお店だと断言できる。


 途中、頼んでないのもいくつか来たんだけど、それは店長さんからのサービスだったらしい。直々に持ってきて「お祝いだ」なんて言われたら受け取るしかないので、ありがたくいただかせてもらった。


「あー……お腹いっぱい……」


 メインディッシュまで食べ終えて、今のあたしは一仕事終えた気分。幸せな疲労感が心を満たす。


「まだ終わりじゃないぞ?」

「大丈夫です! 甘いものは別腹ですから!」


 この後にはデザートが来ることになっている。それまでしばしの休憩タイムだ。


 不意に生まれた空白の時間に何をするか。

 その答えは言うまでもなく、常にあたしの一番近くにいてくれる。

 食事のために開いたわずかな隙間を埋めて、あたしは再びテオドラさんにくっつく。


「テオドラさん……今日は、ありがとうございました」

「な、夏海?」

「ここにつれてきてくれて、とっても嬉しかったので……そのお礼です」

「そ、そうか。私も来て良かったと思っている」


 言葉はぎこちなくても行動は迷いがなく、テオドラさんはあたしの肩を抱き寄せてくれた。

 それだけで空気は変わる。食事というイベントが抜けた席に、今度は触れ合いというお得意様が座った形だ。


 空腹が落ち着けば、それだけ他のことに没頭できるだけの余裕ができる。食後に眠くなるのと原理は同じ。

 窓からの景色だって、今なら少し違って見える。ただ眺めているだけで、なんだかほんわかした気分が味わえるくらいには。


「テオドラさん、このお店にはよく来るんですか?」

「ああ、仕事終わりに寄ることが多くてな。シャンタルに付き合わされているうちに、いつの間にか常連扱いさ」


 確かに他のことを考える余裕ができたとは言った。

 でも、テオドラさんには他のことなんて考えてほしくない。少なくとも今、この時だけは。


「あたしもテオドラさんと……また、来たいです」

「そうだな、また来よう。他にも夏海を連れて行きたい場所があるんだ」

「はいっ!」


 めんどくさい嫉妬はテオドラさんの言葉ですぐ消えた。

 体を預ければ、そんな黒い感情があったことすら忘れてしまう。


「テオドラさん、好きです……」


 代わりに溢れてくるのは狂おしいほどの想い。言葉にしないと破裂しそうだ。


「な、夏海……」

「あたしを連れて行きたい場所、まだあるって言いましたよね」

「あ、ああ」

「あたしに色んな景色を見せてください。どこまでもついて行きますから」


 窓の外に広がる絶景は今日の思い出。

 これから見せてくれるであろう景色も、きっとそのどれもが大切な思い出になってくれる。


「色んなところに行って、テオドラさんといっぱい思い出を作って……もっと、あたしにテオドラさんの想いをぶつけてほしいんです」

「私の……想いを」

「もちろん、その……これからじゃなくて、今すぐにでもいつでもぶつけてくれたら嬉しいです、けど」


 至近距離で目を合わせてこんなことを言う意味くらいあたしも理解してる。誘っていると思われても当然だし、期待はいつも抱えている。

 交わす対象が視線から呼吸へ、そして唇へ変わっていくのも予定調和。一足早いデザートでもなく、かと言ってメインディッシュでもない。

 そんな枠組みから外れた特別な瞬間、けれどすぐ近くで手が届く存在。今あたしが味わっているのはそういうものだ。


「んっ……」


 ぶつけてほしい、と願ったテオドラさんの想いが流れ込んでくる。体と、唇と、舌を通じてとめどなく。

 あたしからの攻勢も忘れない。受け取った想いを返して、また受け取って。循環の中でこぼれて空気に溶けていく熱い吐息すらもったいない。全部、あたしの何もかもをテオドラさんにもらってほしいのに。


 伝え合って、分け合っているのに。

 好きという想いは減ることを知らない。

 理由は単純で、与えたものが何倍にもなって返ってくるから。


 これ以上続けたら危ないという警告音はさっきまで頭の中で鳴り響いていた。

 そう、過去形。今ではあたしの心音の方がやかましく叫んで勝利を掴んでいる。


 だから止まらない。

 止める必要なんかない。

 満足するまで終わらない。


「……」


 長いキスの後、しばしの沈黙。見つめ合うとろんとした瞳は、きっと鏡うつし。

 ぼふっ、と飛び込んだ先はテオドラさんの胸。感じる鼓動は余韻に浸る体にうってつけのリズム。聞いていると全身が軽くなって浮き上がってしまいそうになる。


 天にも昇る心地と言うべきか。

 この感覚が癖になる。

 だから止められない。


「夏海……好きだ」

「……あたしも好きです」


 あたしの心はふわふわと漂い続ける。

 場の空気が変わるまで。


「テオドラ、最後の一品持ってきたぜ」


 声をあげなかった自分を褒めてあげたい。

 それでも体はビクンと跳ねてしまい、頭の片隅から「これさっきも似たようなことあったよね」と突っ込みができるだけの冷静さが生まれていく。

 この声は店長さんだ。口ぶりからしてデザートが運ばれてきたのだろう。


 二人で居住まいを正して、アイコンタクトをして、招き入れて。

 どこまでもリフレインな流れで用意されたデザートは、カットフルーツの盛り合わせだった。鮮やかな色合いと安らぎの甘い香りがあたしの五感に早く味わえと忍び寄ってくる。


 だけど、その誘惑に負けるあたしじゃない。

 理由は簡単。あたしの心は既に誘惑されているから。

 色付いた空気はそう簡単に霧散しない。


「テオドラさん……一緒に食べませんか?」


 返事は待たない。本当の質問はこれじゃないから。

 言いながら適当なフルーツを取り、口にくわえる。もちろん全部じゃなくて、半分ほどを出した状態で。


 そのままテオドラさんに顔を向ける。

 本当に応えてほしいのは、こっちの方。

 一緒にというのはそういう意味。


「……っ」


 ゆっくりと近付いてきたテオドラさんが、フルーツの先端をかじる。本当に、ほんの少しだけ。さっきはもっと寄ってくれたのに。

 でも、物足りなさは全然感じない。顔を真っ赤にしているテオドラさんは、どんなフルーツでも出せない甘さを与えてくれるから。


 それに、フルーツはまだいっぱいある。

 この時間はまだ終わらない。

 終わらせたくなんかない。





――――――――――





 色々な意味でお腹いっぱいになった昼食の後、あたしたちは腹ごなしも兼ねたお散歩タイムに興じていた。

 どこ行こうかな、とか決めることもなく歩く。目的地のない小規模で無計画な旅。こうやってどこまでも歩いていけたらな、なんて。


 あちこち歩いたせいか、人目が気になるというか実際何度か声をかけられた。さすがにあたしも慣れつつあったから、それなりにうまく対応はできたと思うけど……全部が平気ってわけでもなく。


 さっきまで二人きりでいい雰囲気だったからかな。落ち着かないと言うのは少し違うような、おめでとうと言われるのは嬉しいんだけど……。

 まあ、言ってしまえばもっとテオドラさんとの時間がほしい。あの続きとまではいかなくてもいい。ただお互いがお互いしか見えてない場所で寄り添えたなら。


 ……ほんと我ながらテオドラさんのことしか考えてないな、あたしは。そんなの家に帰ったらいくらだってできるでしょうに。


 だからって家にいた方が良かったなんて思いたくないし、そもそも今日こうして外に出たからああなれたわけで、でも外には他の人の目が合って……。

 うーっ、もにょもにょする。


「夏海、歩き疲れたか?」

「いっ、いえ! 大丈夫ですっ!」


 あたしが難しい顔をしてたのに気付いて心配してくれたんだろう。

 嬉しいんだけど、そういうところですよ……とは言えるはずもなく。


「でも、ちょっと落ち着いたところに行きたいかなーなんて」


 とりあえず注目の的になっている現状を避けたい。どこに行っても見られているというのは、むずがゆくて安らげない。


「そうか、では……少し休憩していくか」


 ああ、なんてありがたい。その気持ちだけであたしは体力気力完全回復ですよ。

 でもテオドラさんと二人きりで落ち着きたいのは変わらないから休憩したいのはやまやまなんだけど……この辺に休めるところなんてあるのかな。

 ここは色々なお店がある中心地からは離れてるし、パッと見渡したところで目に入るのは民家と壁と通行人の方々くらい。もしかすると、知る人ぞ知る隠れ家的なところがあるのかも。


 どんなところなんだろう……なんて期待と妄想を膨らませながらテオドラさんに手を引かれていくと、国内外を隔てる壁の方に歩みが進んでいく。

 よく見ると、壁というよりは外と繋がる門へ向かっているようだった。高い石塀が作り出す日陰と、堂々とした重厚な門が近付いてくる。

 なんだろう、テオドラさんが何をするつもりなのか全然読めない。不意にミステリアスなことをされるとすぐあたしの胸はキュンと甘い悲鳴をあげてしまうのでもっとしてほしい。


 ラクスピリア国内と外界を繋ぐ出入口はいくつかあり、ここはその一つ。あたしたちがフリアジークへの旅に向かったのは別のところ。どちらかと言えば、あっちがメインみたいなものなんだろう。大通りに繋がる「いかにも」って雰囲気だし。

 だからって今目の前にある門がしょぼいというわけじゃないし、警備をしてる門番の皆様も真剣な顔をしていて……。


 それが一斉に姿勢を正して敬礼のポーズを取った。それはもう訓練とリハーサルを何度も繰り返してきたかのような一体感で。


「ご苦労様。今の私は休暇中だ。楽にしてくれ」


 あたふたしそうなあたしに先駆けて、クールに言い放つテオドラさんは最高にかっこいい。

 テオドラさんに見惚れつつある視界の片隅で、敬礼を解いた門番さんの一人が前に踏み出した。


「テオドラ様、このような場所にいらっしゃるとは……一体どのような用件でありましょうか?」


 英国紳士っぽいヒゲが立派なこの人、よく見ると他の門番さんよりも制服が少し豪華な気がする。ここのリーダーみたいな人かな。


「実は折り入って頼みがあってな……」


 そう言うとテオドラさんはあたしの方を向いて「すぐ戻る」と囁いて繋いだ手を解いた。

 途端に入り込んできた外気がひんやりしてちょっと寂しいけど、ここはテオドラさんを信じて我慢しよう。何か考えがあるんだろうし。


 リーダーさんとテオドラさんが至近距離でヒソヒソと内緒話をしている。そんなに離れてないけど聞き取れない。

 内容よりも二人の距離感が気になってしまう。男性だろうが女性だろうが、テオドラさんに近付くあらゆる人間があたしの心を揺さぶってくる。

 決して捨て去れない独占欲。けれど自覚してるから制御もできる。今はおとなしく見守るべきだ。


 でも一応、リーダーさんの顔は覚えておこう。もし今後テオドラさんに変な気を起こそうものならそのダンディな顔をめちゃくちゃにして……。


 なんてことを考えていたらその顔が驚きの色に染まり、かと思えば感動に震えながら深く頷き始めた。

 えっ、何が一体どうしたの。あたし別に何もしてないよ?


「すまない。恩に着る」


 話が終わったようでテオドラさんが戻ってきた。当然のように差し出された手を握り、あるべき温もりに心が安らぐ。


「もったいないお言葉を。テオドラ様の願い、どうして無碍になどできましょうか」


 願いってなんだろう、という疑問の答えはすぐに出た。

 重厚な音を立てて、立派な門が開かれたのである。


 なるほどね。ここを開けてくれ、というのがテオドラさんのお願いってやつだったわけか。

 簡単な推理で一気に解決、やったね!


 ……いや、なんで?


 この先に何かあるの?

 見渡す限りの草原なんだけど?

 まさかこれから突発旅行?


 あ、それはそれでアリかもだけど……。


 答えがわかっても真意はわからぬまま。

 あたしとテオドラさんは門をくぐり、ラクスピリアの外へと出たのだった。





――――――――――





「いい風ですね……」

「そうだな……」


 足を伸ばせば疲れが抜けて、そよ風が体を適温へと冷ましていく。


 遮蔽物がないと風通しがいい。

 当然のことだけど実感しにくいその事実を、今まさにあたしたちは体感していた。


 確かに国の外へは出た。

 けれど文字通りすぐ背後にはラクスピリアがある。正確にはラクスピリアの塀。


 つまり、あたしたちは壁に背を向けて自然を満喫しているというわけだ。門から壁沿いに歩いて数歩といったところだろうか。


 壁際に備え付けられた小さなスペース。東屋って言うのかな……こういうところで学園アニメの生徒会メンバーが優雅なお茶会を開いてるのを見たことがある。

 本来の用途は、旅人や商人さんなどが入国時の手続きをしている間に時間を潰す休憩所みたいなものらしい。入国審査が大変なのは異世界も同じってことかな。


 だだっ広い草原を見た時には一体これからどこへ行くんだと戸惑ったけど、実際はとても小規模な旅だった。散歩の延長と言った方がしっくりくるかも。


 当たり前の話だけど、普通はこんな簡単に国外へ出ることはできない。だからこそ堅牢な門があるわけで。

 それでも今こうして二人きりになれているということは、それだけテオドラさんの人望と信頼が厚いってことなんだろう。


 後ろからは国のざわめき。前方に広がるのは草原のさざめき。

 考えてみるとあたしたちは、こういうところに縁がある。風に舞い上がりそうな髪を押さえていると、フリアジークで孤児院の跡地を眺めた記憶が蘇る。


「夏海、ここは気に入ってくれたか?」

「はい、とても……」


 会話は時折。密着は絶え間なく。

 隙間なく繋いだ手は風に冷まされることもない。

 草原の緑は目に優しいけど、もっと上の眼福を与えてくれる存在はいつでも近くにいる。

 隣に目を向ければいつだって視線がぶつかる。それはテオドラさんが常にあたしを見ている証拠であり、愛されている実感を生み出してくれる。


 開放的だけど、閉ざされた世界。

 今この瞬間はテオドラさんと二人きりだ。


 そっと、肩に頭を乗せてみる。もっと密着して構ってくださいというアピールだ。

 するとテオドラさんも頭を寄せて頬を当ててくれた。あっ、これヤバい癖になるやつじゃん毎日毎分毎秒してほしい。


 このまま時が止まればいい、なんて使い古されたテンプレみたいなことを考えてしまう。

 もちろんそんなのは不可能で、時間は一定の速度で流れていく。傾きつつある太陽が作り出す陰影は徐々に広くなっていく。


 止まってなんかいられない。あたしが見るべきは未来だ。

 近い未来で言うなら今日の夕食をどうしようかってことだし、少し先ならテオドラさんの誕生日をどうするか。


 ……あと、結婚はいつになるのか、ってことも。あれだけ周りから囃し立てられたら嫌でも考えるっての。まあもちろん全然嫌じゃないけど。


 それと、もう一つ重要なことがある。

 あたしの問題というよりは、テオドラさんに大きく関係してくる事柄が。


「テオドラさん」

「どうした?」


 二人きりで、塀の影に染められるあたしたち。

 聞いている人がいないからこそ話せることもあるし、根拠のない勢いだって生まれてくる。


「セレナさんが見つかったら……どうするんですか?」

「見つかったら、か」


 考えている素振りと、思案する小さな唸り声が届く。これも密着しているから楽しめる特権だ。


「……わからない。ただ探すことだけを考えていたからな。会えたらそれで満足なのかもしれない」


 風が吹いても影は生まれない。

 空には雲ひとつないのだから。


「ただ……もう一度セレナの姿を見た時、私の中で何かが閃くかもしれない」


 それがきっと、テオドラさんの心に根付いた迷いなのだろう。過去に置いてきた忘れ物。

 悔しいけれど、あたしだけじゃ完全には解決できない問題だ。セレナさんを見つけなければ進めない。


 探し出して、再会して。

 そこから未来が作られていくんだと思う。


 空を見上げれば、澄み渡る広い青。

 どこにいても同じ空の下で繋がってる、なんてのは使い古されたフレーズだ。


 それでも、あたしはその言葉を信じたい。

 時間よ止まれ、よりは現実的だと思うから。

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