第73話 未来の思案
色々とあった中央庁からの帰り道。
日が傾くにつれて人通りの数も増え、ただ寄り添って歩くだけだとはぐれる危険性が出てきた。
なので手を繋ぐことは当然の流れであり、そもそもテオドラさんから差し出された手を無視することなどあたしにはできないのだ。
とまあ、こんなちょっとしたイベントと呼べるかどうかもわからないことはあったけど。
あとは夕食の買い物をして二人きりの時間が待っている……はずだった。
家に帰るまでがなんとやら、とでも言うべきなのか。
歩いていると、不意に声をかけられたのだ。
「あ、あのっ!」
「テオドラ様、ナツミ様!」
「本日はお日柄もよく、出会えたことを光栄に思います!」
対面したのは数人の女性。見た目はあたしと同じくらいの年齢だろうか。気の合う仲良しグループって感じがする。
初めて見る人たちだけど、名前を呼んでるからあたしたちのことは知ってるらしい。
「こんにちは。元気がいいな」
戸惑うあたしに代わって、テオドラさんが受け答えをしてくれた。仕事モードの凛々しい笑顔がものすごく美しい。
横から見てるからまだ大丈夫だけど、真正面から受けたらあたしは無事ではいられなかっただろう。
「はぁっ! あ、ありがとうございましゅ……」
「あうぅ……」
そう、今まさに骨抜き状態となってしまった名も知らぬ女の子たちのように。テオドラさんと二人きりの時、あたしもああいう風になってる自覚があるし。
別にこれくらいで嫉妬なんかしない。心に余裕ができた、って言うのかな。むしろ、それほどまでに魅力があるテオドラさんと婚約してるんだぞ、と誇らしく思えてしまう。
「その……お聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
むっ、なんとか耐えた子もいるみたいだ。その気力に免じてなんでも聞くといいぞ。
「なんだ? 遠慮なく言うといい」
まあ、お察しの通り返事をするのはテオドラさんなんだけど。あたしは人見知りなので初対面の人とそうそう気軽に話せる性格をしていないのである。
「……おっ、お二人はっ! お付き合いをされているんですかっ?」
ぶっ飛んだ質問だった。まさか面と向かってそんなことを言われる日が来るなんて。こういうことを言ってくるのはバルトロメアくらいだと思ってたのに。
それにしても直球すぎる。もしかして手を繋いでるのを見られたのだろうか。まあ今も離さずそのままだけど。
えっと、なんて答えたらいいんだ。
こういう場合のうまい切り返しなんて、あたしのデータベースには入ってない。だって恋愛談義の当事者になったことなんてないし。
認めるのはなんだか照れるし、けれど否定するのも違うような。
どうすれば……と悩んでいると、またしてもテオドラさんが喋ろうとしていた。
やっぱり頼れるテオドラさん! そんなところも好き! さあ上手な答え方を見せてください!
「……ああ、そうだ。私と夏海は、結婚を前提とした真剣な交際をしている」
いや、テオドラさん正直!
「ひゃあっ、やっぱりそうなんですね!」
「それに婚約済みだなんて!」
「一生応援していきます!」
なんか喜ばれた。ふやけていた残りの面々も復活してるし。
直球には直球で返すのが正解だったのだろうか。あたしはテオドラさん以外を相手にしてそんなことできそうもない。
「いつご結婚なさるんですか?」
「あっ! もしかして中央庁の方から来たのって……」
「その日は間近なんですね!」
彼女たちが大きな声を発していることからもわかるように、今のあたしたちはとても目立っている。
道のど真ん中ということも手伝ってか、あちこちからの視線が刺さっている感覚がひしひしと。
しかし、人だかりに揉まれるようなことにはなっていない。見えない壁でもあるかのように、あたしたちから一定の距離を保ったところで成り行きを見守っている。
マナーがいいと言えばそうなんだけど、じゃあ最初に踏み込んできたこのガールズグループはなんだって話になるわけで。
ちょっと不安になって、思わずテオドラさんに寄り添う。その瞬間なぜか周囲がざわめき、息を呑む音が聞こえた。
「いや、まだ決めてはいない。近いうちにとは考えているが」
「そっか、今はお二人の時間を大切にしたいですもんね!」
「美しいお二人が結ばれて……あぁ……」
「結婚日を祝日にするべきでは?」
今度は周囲のギャラリーからも同調するような空気が伝わってきた。深く頷いている人もいるし間違いない。
いや、ジリオラさんみたいなこと言わないでほしいんだけど。まさかこの人にその権限あったりしないよね。人は見かけによらないことはあたしもよく知ってるし。
こういうのもテオドラさんとお付き合いする上での有名税みたいなものなんだろうか。
悪意や心無い言葉じゃなく好意や心温まる言葉なのはいいことなんだけど、それでもやっぱり慣れないしくすぐったい。
あと、よく考えたらこれって公開婚約発表会見みたいになってない?
あたしたちの関係、めっちゃ大勢の人が知ることになっちゃったけど。
外堀が埋められた、と言うべきだろうか。逃げ道が塞がれて後戻りできない状況だけど、戻る必要も考えもないからそれはいいとして。
「あっ、すみません! 私たちったらお二人の時間を邪魔してしまいました!」
「すぐに道をお開けいたします!」
「末永くお幸せに!」
彼女たちが横に動くと、他の野次馬さんたちもザッと音を立てて通り道を作ってくれた。世界史で学んだ預言者の気持ちをこんなところで味わうことになるなんて。
文字通り道はそこにしかないから進むしかないんだけど、こんなの緊張するってレベルを遥かに超えてあたしのキャパじゃ対応できない。
でもテオドラさんは人々の視線を受けるのに慣れているのか、手を振ったり微笑んだりと余裕たっぷりな様子。
そんなテオドラさんの隣にいるあたしが、こんな俯いてばっかりでいいのだろうか。生涯を共にするって宣言したばかりだし、一緒にいても恥ずかしくないようにしなきゃ。
とりあえず手でも振っておこうか。なんかたまにあたしの名前を呼ぶ声も聞こえるし少しくらい需要もあるだろう。
あ、なんか目が合った女の子がめっちゃ力強く手を振り返してくれてる。あたしをアイドルかなんかだと思ってるんだろうか。
いつまでこれが続くのか不安になりかけたところで、テオドラさんが手を引いて脇道へと導いてくれた。人通りが少なくて、ようやく落ち着けた気分。
「夏海、大丈夫か?」
「はい……ちょっと驚きましたけど」
今の言葉だけで十分に癒された。
テオドラさんがあたしを心配して、気にかけてくれる。それがわかっただけで安心しちゃうほどに、あたしの心は単純にできている。
その後、予定通り夕食の買い物をしたわけなんだけど。
なぜか会う人みんなが訳知り顔でこちらを見てくるのがとても気になった。
ついさっきまで向けられていた、あの表情が今ここに蘇る……じゃなくてさ。
えっ、待って。
噂が広まるの早すぎない?
――――――――――
なんだか今日は、いつにも増して疲れた気がする。出張の付き添いで歩きっぱなしだった時よりもガツンときてる。
原因は……やっぱりアレかな。
謎の祝福が連れてきたのは嬉しさだけじゃなかったわけだ。苦笑いが出てしまうのは、心がくすぐったがっているからなのだろう。
夜のまったりとした時間は人を物思いにふけらせる。
あたしの場合はそれに加え、テオドラさんが近くにいないことも理由になるだろう。いくらあたしたちでも、一秒たりとも離れない時間がないというわけじゃない。
「用事を済ませてくる。少しだけ待っていてくれ」
テオドラさんがそう言い残して自室へ向かったのは数分前。一人でソファーを独占するのも飽きてきた。もちろんあたしだけではスペースの無駄遣い感が半端ない上に寂しさも半端ない。
だからこそ軽めの現実逃避が必要なわけで、しかし考えとして浮かんでくるのは直近の印象的なできごとであり、それもまた心をざわつかせるので収集がつかなくなってしまう。
「……はぁ」
溜息に理由なんてない。
ただ気になることができただけ。
交際、婚約、結婚。
あたしたち二人のことなのに、他の誰かが言葉にするたびに実感が固まっていくのはなぜだろう。
今まで経験したことのない感覚。そういうのを、あたしはこれからテオドラさんと一緒に積み重ねていくのだろう。
今はまだ白紙に近い未来地図も、きっとあたしの中では既に自分の想像以上に巨大な感情の建設予定があるのだろう。
だろうだろう、と並ぶ推論。
その中から、こちらは確かな二つの疑問が浮かび上がる。
思えば、テオドラさんには今まで様々なものをもらってきた。
たとえば今もつけている二つで一つのペンダント。
これは二人で買ったものだけど、あたしの中ではプレゼントされた感が強い。
あとは記憶に新しい鉢植え。立ち上がって近寄ってみれば、青々とした葉の中に小さなつぼみが芽吹きつつあった。
テオドラさんが望むように、この鉢植えにはすくすくと育ってあたしたちの未来を見守り続けてもらいたい。
既にファーストキスやらなんやらを見られてはいるけど……それが養分になってくれるなら良しとしておこう。責任は取るように。
とまあ、すぐに例が出てくるくらいテオドラさんからはもらいっぱなしなわけで。
じゃあ、あたしからあげたものは?
想いが込められた何か。そういうものを互いに贈るのがこの世界で愛し合う二人の形なのでは?
これが一個目の悩み。
もらってばかりじゃ一方的すぎないか、ということだ。
「さて、何をあげるべきか……」
呟いて答えが出るほど世間は甘くない。生み出した問題を解決するのは、いつでもどこでも自分自身と相場が決まっている。
改めて考えるとプレゼントって難しい。あげて満足はいオシマイ、じゃなくてテオドラさんが喜んでくれるものじゃないといけない。
正直なところ、何をあげても喜んでくれそうではある。その辺で適当なお菓子の詰め合わせでも買ってくれば、それで済んでしまう話だ。
でも、だからこそ考えちゃうというか……そう、なんでもいいと言われると逆に困ってしまう感覚に似ている。自由研究に自由という意味がないのと同じこと。
まったく見当がついてないわけでもない。形に残る何かをあげたいな、というぼんやりした輪郭は浮かんでいる。
たとえば、そう。この鉢植えみたいに。
「見守ってくれるついでに名案も授けてくれよぉ……」
霧吹きでシュッと湿らせてあげれば、それで水やりは十分。あげ過ぎるのは当然よくないし、なんなら一日くらい水をあげなくても問題ない品種なのだとか。
簡単に育てられる強い植物を選んでくるテオドラさんのセンスやっぱり最高。
「ってお願いして本当に教えてくれたらいいんだけど」
答えは出ない。
そんな時は思い切って保留するに限る。こういうのって、そのうち名案がひょっこりと出てくるもの。頭の片隅に置いておけば十分だろう。
それに、考えたいことは一つじゃない。
結婚はいつするんだとか、日程教えろとか……そんなことばかり聞かれたら、意識するに決まってる。
その日は一体いつ訪れるのだろう。
あたしたちはいつ正式に結ばれるのか、というのが二個目の悩みだ。
テオドラさんは「近いうちに」なんて言ってたけど、きっとジリオラさんの指摘通りセレナさんのことが頭の中にあって色々と考えてるんだと思う。
あたしとしては明日にでもいけるくらい心の準備はできてるから、テオドラさんの迷いが解消されるのを待つばかり。
もしすべての問題が解決して、ようやく結ばれるとなったなら。
そこには結婚記念日という二人だけの大切な日が生まれるわけで、これは適当に決めちゃいけないと思うんだよね。
もちろんテオドラさんが告白してくれたあの日も既に記念日だし、むしろ毎日が記念日だって真剣に思ってるけど。
身近な存在で参考になりそうなのは、やっぱり両親だろう。小学生の頃、家族の記念日を調べましょうとかいうある意味残酷な宿題があったことを思い出す。
そこで知ったのは、二人の誕生日のちょうど中間が結婚記念日だということ。
お祝い事が定期的にできるようにね――とか言ってたっけ。誕生日とクリスマスが重なると一緒にされて損する理論への対立だろうか。
もしその考えを拝借するとしたら……まずあたしの誕生日はどうしたらいいんだろう。
元々の誕生日を異世界換算するのは面倒っぽいから、この世界に来た日を誕生日ってことにしようかな。いきなり連れてこられた時じゃなくて、ちゃんと決意して来た日の方で。
そこからテオドラさんの誕生日との中間地点を取ると……。
ん? あれ?
テオドラさんの誕生日って、いつだっけ?
「えっ、ウソ……」
あたし、テオドラさんの誕生日を知らないじゃん!
いやいや、一大事じゃん!
恋人が生まれた記念日を知らないとか絶対ありえないじゃん!
個人的に知りたいって気持ちは確かにある。
でも、それ以上に知らないという事実があたしの心を圧迫してやまない。
これは早急に解決する必要があるぞ。
「――私の誕生日を知りたい、と?」
ということで、早速質問してみた。
戻ってきたテオドラさんに寄り添って身を預ける。それがこのソファーの正しい使い道だ。
「そうか……言われてみれば、もうすぐだったな」
「えっ?」
もうすぐ?
ホントに?
そういうサプライズは心臓に悪いんですけど?
聞いてみると確かにもうすぐで、なんならすぐそこと言ってもいいくらいだった。
具体的には出張休暇の終わりに近い頃。休み明けには一つ歳を取った新生テオドラさんがいることになる。
それは喜ばしいことなんだけど、テオドラさんの誕生日を何もせず迎えるなんて真似ができるわけもなく。
どうしよう。新たな問題が生まれてしまった。
というかプレゼントの件がここに繋がってきたな。二つの悩みが一つに交わる瞬間を経験することになろうとは。
でも交わっただけで、実際には二つとも変わらず悩みの種であり続けるからややこしい。
ともかく真っ先に考えるべきことは。
何をあげて、どうやってお祝いするか。
「んー……」
恋人同士、記念日、贈り物。
思い出に残るサプライズを、大切な日に。
思い浮かぶ単語たちと、答えの出ない今の状況。
きっとそれらが化学変化を起こしたのだろう。
プレゼントはあたし、なんて安直すぎる上に少し危ない考えが浮かんでしまった。
いやほら、いつ結ばれるのとか考えてたし。結ばれるってそっちの意味じゃないけど。そっちもいいけど。なんだそっちって。
まあ待て。そもそもテオドラさんはあたしをもらってくれるのだろうか?
結婚という意味ではもらってくれるみたいだけど、そうじゃなくて。あたしはテオドラさんのこと欲しいですよ正直。
って、もうその話はいいから!
もっと他に考えることあるから!
「んむむぅ……」
「夏海?」
「ひゃいっ?」
気付いたらテオドラさんに顔を覗き込まれていた。
びっくりして体を引いてしまいそうになるけど、ぎゅっと抱き寄せられているからそれもできない。
驚きと幸せ、どちらを感じたらいいのか。答えはきっと両方だ。
「どうしたんだ、さっきから唸っているようだが……まさか体調でも悪いのか?」
うっ、さすがに変だと思われちゃったかな……。
「あう、いやそのそういうわけでは」
ご存知の通り、あたしは嘘が苦手だ。取り繕おうにも目が泳いでいたら説得力は皆無。
なので正直に白状することにした。何をプレゼントしたらいいか迷ってます、と。
どんな風に言ったかは想像にお任せする。情報公開に伴う柔らかな緊張の空気は二人だけの秘密にさせてほしい。
「ふむ、そうか……」
意外と言ったら失礼かもしれないけど、テオドラさんは動じることなく思案顔になっている。
夏海からの贈り物なんてそんなそんな……ってわちゃわちゃするところも見たかったけど、それはまた今度のお楽しみということで。
「ならば、こういうのはどうだろうか」
私が自分で言うのもなんだが……と前置きをして、テオドラさんは続ける。
「夏海が思いついたら、それを私に贈ってくれ。一度だけじゃなく、何度でもいい。どんなものでも構わない。私も夏海に色々なものを与えたいから……」
なんて素晴らしいアイデアだろう。
たとえそれが使い古された発想でも構わない。誰が言い、どんな想いを込めたのか。何よりも重視すべきはそこだから。
「テオドラさん……」
「夏海……」
気持ちは言葉に乗って通じ合う。
雰囲気だって、それに応じた色へと変わっていくもの。
いつもと似ているようで、確かに異なる色合いへと。
「そもそも、私は夏海から毎日もらってばかりだ」
「えっ、何かあげましたっけ?」
「夏海と暮らす日々。それこそが何物にも代えられない大切な贈り物だ」
「あ、あぅ……」
不意打ちのストレートはあたしに対して効果抜群。主導権という概念を根こそぎ奪っていく。
見つめ合ってテオドラさんが近付けば、あたしはそれに従うしかない。
まるであたしたちは磁石のよう。似た者同士だけど違う部分があって、だからこそ惹かれ合う。
一度くっついて離れても、またくっつくのが特徴だ。
「ふふっ、また一つ夏海からもらってしまったな」
「それなら、あたしだってテオドラさんからもらってます……」
言葉はクッションとなって、新たな口付けへの橋渡しをする。
贈り物は何度でもしていい、というテオドラさんの言葉を今まさにあたしは実行していた。
だから、あたしは一応の結論を出す。
この触れ合いが、今この瞬間テオドラさんにあげられるプレゼントなのだ、と。




