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光浪夏海の異世界百合物語  作者: 虹月映
第六部 貴女への恋路
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第71話  婚姻の方式

 世界が変わるとは、こういうことを言うのだろう。

 テオドラさんと交際、もとい婚約をしてからは幸せの過剰摂取をする毎日が続いている。


 目に見える何かが変わったわけじゃない。

 変わったのは、あたしとテオドラさんの気持ち。

 ふよふよとしてた気持ちが固まって、同じ一点を向いただけ。

 たったそれだけで、何もかもが眩しく綺麗に思えてくる。


 一緒に眠って夜を明かす場所は、日によってあたしの部屋だったりテオドラさんの部屋だったりする。どちらにしても同じベッドで寝ることは変わりないけどね。

 一緒に過ごすのはお風呂も同じことで、最初こそドキドキが危険水域だったけど何度も続けるうちに少しだけ慣れた。

 もちろんそれはガチガチに緊張して記憶を飛ばすようなことがなくなったという意味であって、あの素晴らしい肉体美を目にするたび心臓はバクバク高鳴って両目はパチパチと瞬きが増えてしまうけどこれは愛ゆえの反応であって何も問題なんかない。


 短期間に色々とありすぎたせいで、変な耐性がつくんじゃないかと実は少し心配になったこともある。

 でも、全然そんなことはなかった。取り越し苦労にも程があるってレベルで。

 倦怠期が訪れる理由、あたしには一生わからないかもしれない。それならそれで好都合。倦怠期という言葉を忘れてしまおう。


 自分で言うのもアレだけど、あたしの愛情は想像以上に深くて際限なしだ。

 むしろ定期的に愛情表現の大規模セールみたいなことをしないと心がザワザワする。


 明らかに重症だ。諸症状が色んなところに複合攻撃を仕掛けてくる。

 しかも特効薬には依存性があり、一度味わうともう戻れない。恋愛とは不治の病である、とは誰の言葉だったか。


「テオドラさん」

「なんだ?」


 すぐそばに一番好きな人がいるってことも、くっついたら反応してくれるのも、ちょっとした外出なんかにも一緒に行けるのも、全部どれも何もかもが特別でかけがえのない瞬間の積み重ね。

 そうだよ、あたしはずっとテオドラさんとこうなりたかったんだ。今まで抑え続けてた何かを解き放ってるだけなんだ。

 だからこれでいい。治らないなら上等だ。どっちみち一生の付き合いなんだから。


「ふふっ、なんでもありません」


 こんな幸せがずっと続けばいい。

 ありきたり過ぎて使い古されたどころじゃない言葉だけど、あたしは確かにそう願った。





――――――――――





 こんなことを言うとフラグが立った、と断定されがちなのは世の常だけど、果たしてそれは異世界でも通用することわざになるのだろうか。

 ……と生産性のないことを考えるくらいには余裕と落ち着きがあるけど、ある意味深刻ではある疑問に気付いてしまったのだ。


 この世界では、結婚というものは何をどうしたら成立するものなのか。

 あまりにも根本的なことで気付けなかった。灯台下暗し、ということわざは異世界でも通用しそうだ。


 ここは異世界。あたしが元々いた社会とは違う文化によって発展してきた場所だ。

 あたしの常識が通用しない部分があっても不思議じゃない。むしろ通用することが多い現状の方がおかしい。

 現状に疑問を持て。テオドラさんと相思相愛であるという事実以外の現状に。


 たとえばの話。

 結婚するには条件があって、生命を拒絶するような断崖絶壁にちょこんと張り出した足場に一年の中で三日間くらいしか咲かない花を勇気の証として持って来いとか言われたらどうする。無理ゲーすぎるぞ。


 これはまずい。早急に確認する必要があるじゃないか。

 思えば婚約はテオドラさんとの口約束。それだけで成立するならいいけど、何か手続きが必要かもしれない。

 テオドラさんとの未来が曖昧なのは困る。もっと明確で輝かしいハッピーライフを目指さないと。


 家の掃除をしながら考えていたせいだろうか。ものすごい勢いで思考の触手が伸びていく。

 どれくらいの勢いかって、掃除が終わったらノータイムでテオドラさんのところに飛び込んでしまうくらい。


「あのっ、テオドラさん!」

「どうした?」


 ソファーでくつろぐテオドラさんへ向かって猪突猛進。

 いきなりのことでも驚かず、むしろ待ち構えていたように受け止めてくれる。きっと想定の範囲内だったのだろう。


「結婚って、どうやったらできるんですか?」

「……んんっ?」


 しかし、この質問は想定外だったらしい。

 テオドラさんは困惑するように眉を下げて首を傾げていた。

 めちゃくちゃ可愛かった。





――――――――――





「――そうか。夏海が疑問に思うのも無理ないな」


 さすがはテオドラさんと言うべきか。

 戸惑っていたのは数秒で、すぐにあたしの疑問を引き出して答えてくれた。


「世界が違えば文化も変わる。違いを相互に理解するのも大切な一歩だな」


 テオドラさんの言葉は壮大だ。

 しかし後ろからあたしを抱き締めて頭を撫でながら話してるので、威厳の欠片も感じさせない。


 でもそれがいい。

 髪に頬擦りするついでに匂いも嗅いでるのがわかるけど、恥ずかしさがすごいけど、それでテオドラさんが幸せならあたしも幸せだから構わない。


 結局甘くなってしまったわけだけど、得られたのはそれだけじゃない。

 ちゃんと話し合って知れたこともいくつかあった。


 まず、この世界とあたしの認識に特筆すべきズレはないということがわかった。

 つまり結婚というものは双方の合意によって成立するものであり、その上で役所に書類を提出すれば晴れて名実共に結ばれるということだ。

 もちろん性別も愛の前では問題ない。これについては前にバルトロメアが、好きな人同士が結ばれるのは普通だってことを言ってたからあまり気にしてなかった。


 特徴的だったのは、結婚するにあたって何かをプレゼントし合う風習があるということだ。

 あたしの感覚で言うなら婚約指輪に近いんだけど、送るものは指輪に限らず人それぞれらしい。上流階級のようなスケールが大きいところになると、家や土地をやり取りすることもあるとか。

 必ずやらなきゃいけないってわけじゃない。けれど、そうやって互いの大切なものを贈り合うことで絆を確認して将来を誓う……みたいな意味があるらしい。


「そっか……じゃあ、あたしたちも何か用意しちゃいますか?」

「……それは、その」

「どうしたんですか、テオドラさん……あっ」


 そこまで言って気がついた。

 既にあたしたちは世界に二つとない宝物を交換しているということに。


 テオドラさんがもじもじとしながら触れてきたのは、もはや体の一部になりつつある胸元のペンダント。遠慮がちに突かれた星がぷらぷら揺れる。

 婚約と順番は前後してるけど、紛れもなくあたしたちの絆を示す最重要アイテムじゃないか。


 そして何よりも。

 背中に感じる体温が徐々に上がっていく。それがすべての証明だった。


「もしかしてテオドラさん、そのつもりでこれを……?」

「そ、それが全部というわけではないが……」


 こんなにわかりやすい嘘が存在していいのだろうか。

 答えは当然イエス。こんなに害がなくて可愛い嘘なら大歓迎。


 あたしもペンダントに手を伸ばす。単純に触れたい。そう思ったから。

 星の出っ張りを弄びつつ、テオドラさんの指先と戯れの触れ合いを交わす。


 耳元に感じる吐息に負けないくらい、あたしの呼吸も熱を持ち始めていた。





――――――――――





 家を出てみたら、外の世界も一変していた。

 人が変われば世界も変わる。意味不明な精神論だったけど、あたしは愛と共にその答えを得ていたみたいだ。


 空は青く、雲はない。晴れ渡る陽気でありながら気温は穏やか。湿度も適切で極めて過ごしやすい日だ。

 そんな空気もまた、あたしの思考に一枚噛んでいるのかもしれない。


「テオドラさん、今日の夜は何が食べたいですか?」

「うむ……急に言われると悩むな。夏海の料理はどれも美味しいから」

「帰りに買い物していきますから、それまでに考えておいてくださいね」


 唐突な攻撃をサラリと回避した、というのは見せ掛けで内心はドキドキである。

 気を紛らわせようと前を向いたら、なぜ二人で外出しているのかという原因を意識してしまい逆効果になった。


 テオドラさんとこうして仲睦まじく歩いている理由。

 それには色々とあったんだけど、一番の根っこにあるのは婚姻届を実際に見てみようという話が出たことだ。

 なんでって、そんなのあたしが聞きたい。

 話の流れで気付いたらそうなってたんだもの。


 確かにいずれは必要になってくる物ではあるけどさ。いざ手にするとなったら意識するなって方が無理な話でしょ。

 今のあたしは十八歳より上で二十歳より下という、日本では中途半端な扱いを受ける位置にある。

 綱渡りをしていたと思ったら、いつの間にか舗装された道に立っていたような気分。戸惑うのも当然だ、という自己弁護をするのがやっとだ。


「帰るまでに、か……まあ、思いつかなかったら明日にでも言うとしよう」

「はい。いつでも言ってください。腕によりをかけちゃいますから」


 明日と言わず、将来この先ずっとリクエストは受け付けてますよ!

 まあ、リクエストがなくてもテオドラさんの好きな料理くらい作れますけどね!

 そういうことができるくらいにはテオドラさんのこと知ってますからね!


 気分が浮かれてドキドキと混ざり合い、いい具合に中和されていく。テオドラさんが隣にいる意味を再確認する程度の余裕は生まれた。

 婚姻届を取りに行くあたしたちが向かう先は役所、つまりは中央庁である。そして、あたしたちは二人とも中央庁には深い関係がある立場。


 何が言いたいかって、あたしたちが結婚するということは紙一枚で済む問題じゃないのでは、という疑問。

 この世界にとって異世界人であるあたしは国賓とも呼べる立場らしいし、一方テオドラさんはエリート街道まっしぐらな有能外交官。


 そんな二人が結ばれる。簡単に言ったけど、それって割と大きなニュースになるんじゃなかろうか。

 自分のことを過大評価してるわけじゃないけど、客観的に考えたら国の重要ポストにある二人がくっつくという事実が見えてくるわけで。


 とまあ、そんな風に話はどんどんと膨らんでいき、それならジリオラさんに話を通すべきだという結論に落ち着いた。

 そのついでに婚姻届もいただこう、と見事に目的が原因を打ち倒した形になったのである。


 こうしてテオドラさんと一緒に中央庁へ歩いていると、フリアジーク出発前のことを思い出す。あの時もジリオラさんに話をしに行ったんだっけ。

 そういえば、あれ以来中央庁に顔を出してないな。出張の後処理なんかは全部テオドラさんがやってたみたいだし。うわ、あたしって甘えすぎじゃない?


 と、そんな心配を抱えつつ中央庁の入口をくぐったわけなんだけど。


「ようこそ中央庁へ。ご用件は……って、テオドラ様とナツミ様!」

「ご苦労様。すまないが頼みた」

「来賓室へご案内いたします! さあどうぞこちらへ!」


 人の話を聞かない受付さんである。

 通りやすい声と跳ねるようなぴょこぴょこムーブのせいで、あたしと同じくらいの身長なのに大きく見えてしまう。


 通された来賓室はその名に恥じない作りで、不思議な模様の絨毯と革張りのソファーが特徴的だった。もちろん座り心地も抜群。

 ご無沙汰だった中央庁だけど、塩対応という言葉を知らないんじゃないかってくらいの手厚いもてなしをされてしまった。そんなにあたしたちはすごい存在になっていたのか……。


「あの、私ずっと前からお二人に憧れていて……こうしてご奉仕ができて本望の極みです! どうぞなんなりとご用件をお申し付けください!」

「では、ジリオラ様への謁見を取り次いでもらいたい」

「かしこまりました! 少々お待ちくださいませ!」


 パタパタと出て行く受付さんを、いい香りのするお茶から立ち上る湯気越しに見送った。うん、美味。

 なんだか大事になってる感じがしなくもないけど、国家元首であるジリオラさんに会うのだから当然なのかもしれない。あたしは客観的に物事を見る視点を身につけたぞ。


 しばらくしたら受付さんが戻ってきて、ジリオラさんの都合がつくまでしばらく時間がかかると教えてくれた。


「そうか。ではその間、他の用事を済ませてくるとしよう。夏海、それでいいか?」

「はい。そっちも大切なことですからね」


 婚姻届という具体的な単語は出さない。受付さんという第三者がいると恥ずかしいし。

 そんな受付さんのキラキラした視線を背中に受けながら来賓室を後にする。そんな目で見られても何も出ないんだけど、なぜか受付さんは満足そうな顔をしていた。


 これは婚姻届をもらうにも一悶着ありそうだなあ、と思いながらテオドラさんについていく。

 しかし幸か不幸かお役所仕事か、あっさりともらえてしまった。さっきみたいな騒ぎになる気配すらない始末。あの受付さんが特殊だっただけなのかも。


「これが……婚姻届」


 待ちきれない気持ちを汲んでくれたのか、テオドラさんは今ここで実物を見たいという願いを認めてくれた。

 廊下の脇にある長椅子に並んで座り、もらいたてホヤホヤのそれに目を落とす。


「どうだ、夏海の世界と違う部分はあるか?」

「……いや、ほとんど同じだと思います」


 考えてみれば当然だった。結婚を証明する書類に好きな食べ物や視力を記入する欄があるはずもない。

 言ってしまえば一枚の紙に過ぎないのだ。これ自体には世界を変える力なんてないし、なんなら書き間違えたとしても新しい紙をもらえるだろう。


 そもそも、元の世界のがどうだったかをはっきり思い出せない。

 左上に婚姻届とか書いてあって、妻になる人と夫になる人とかいう記入欄があって、住所とか電話番号って書くのかな……うん、詳しくはよくわからない。

 もし違いがあったところで、だからなんだということもない。妻とか夫とかいう限定的な単語がないだけだ。左右にある記入欄のどちらにあたしの名前を書くか考えた方が何倍も有意義に違いない。


「そうか。なら書くときに悩むこともなさそうだな」

「はい。いつでも書いちゃいますよ」


 これが外じゃなかったらリミッターの概念をぶっ壊してくっついていたところなのに、人の目を気にして指先をちょこんと触れ合わせることしかできない。

 家に帰るまで我慢できなかったのは間違いだった。更に大きな我慢をしなければならなくなったのだから。

 帰ってからの楽しみが増えたとも言える。きっと今日もあたしたちの間には何も入り込めない。

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