第64話 恋愛劇の序曲
「それで昨日もいっぱい甘えられちゃって実は寝不足でね、それと好きだよなんて囁かれちゃってキャーもう思い出したらまた幸せすぎておかしくなっちゃうっ!」
最初はバルトロメアの白熱するノロケ話を聞いていたはずだった。
長旅から帰還した翌日。
おいしそうなお茶菓子を手土産にやって来たバルトロメアと、女子会もどきみたいなことをリビングで始めたのが少し前のこと。
昨日の今日でネタは尽きないようで、バルトロメアはいかに自分が幸せであるかを楽しそうに語ってくれた。
嫌ってわけじゃないし親友が幸せそうなのはいいことなんだけど、よくもまあ話が止まらないものだと感心してしまう。
だって同じことを繰り返してるわけじゃなく、ちゃんと毎回内容が違うんだもん。聞き流してるわけじゃないからそれくらいわかる。
まあ結論はシャンタル様大好き愛してるってなるから、そういう意味では同じようなことなんだけど。
だけど悪くない。日常に帰ってきたって思えるから。
こうやって、くだらない話をして過ごせる優しい時間――はあ、まったり。
そうやって頭を空っぽにできそうなふわふわの時間はどこへやら。女心と秋の空って言葉はこんな場合でも使えるのだろうか。
バルトロメアは、さっきまでとは別の意味で熱がこめられた言葉をぶつけてきたのだ。
「いや、それってもう付き合ってるようなものじゃん! なんでナツミちゃん告白しないの?」
ビシィ! という効果音を背景に掲げてそうな勢いで人差し指を向けられた。人を指差すなって異世界じゃ教わらないのかな?
「どう考えても両想いだしあれですかナツミちゃん無自覚ノロケなのなんなのさっさと告白しちゃいなよじれったい! 膝枕とか食べさせ合いとか好きでもない人とやるわけないでしょ!」
バルトロメアがいつもより強烈な接近戦を仕掛けてきた。あたしは言葉の衝撃波を無防備に浴びせられるばかり。
ネコを被っていないことからもわかるように、テオドラさんは不在。報告や手続きがまだ残っているらしく、今頃は中央庁であれこれ処理していることだろう。
「っていうか、なんか二人とも手繋ぎすぎじゃない? これ絶対意識してるでしょ。お互い変な探り合いしてるでしょ!」
それで、だけども。
なぜあたしはバルトロメアに激しい攻撃を受けているのだろうか。
その原因は単純明快。出張期間にあったことを話していたらこれである。
何があったか聞かせてよー、とバルトロメアが言ったのがすべての始まり。
あたしも色々と話したかったからそれに乗り、最初は和やかな雰囲気で進んでいたのは間違いない。
それが次第に変わっていった。
なんか聞いてる最中から体がプルプルしていたのには気付いていたけど、話を遮るようなことはなかったから続けてしまった。
きっと、途中でガス抜きをしていたらこうはならなかったかもしれない。
その場合も経過が違うだけで、結局は同じ結論をぶつけてきたとは思うけど。
ともかく、一通りあたしが話し終えた途端にそのエネルギーが一気に弾けて、そのあおりをまともに受けてしまったというわけだ。
「それに、これさぁ……昨日は聞きそびれちゃったけど、テオドラ様と一緒に買ったんでしょ? まったく、ナツミちゃんは……いや、この場合はテオドラ様もだけど……」
なんかブツブツ言いながら、あたしの胸元にあるペンダントを睨みつけてくる。近いし視線が鋭いし威圧感が半端ない。
固まっていると、漂わせた雰囲気をそのままにバルトロメアの目があたしに向けられた。こんなに嬉しくない上目遣い初めてだよ。
「大体ね、こんなのお揃いでつけてて何もありませんでしたじゃないよっ! こういうのをつけるって特別な人とじゃなきゃ絶対しないの! わかってる? なのに何度もいい雰囲気になってるのに全然関係が進まないし! どう考えたってこれ買った後の公園で二人きりのところは告白する流れじゃん! ナツミちゃん、待ってるだけじゃダメだよ。好きならこっちから攻めないと!」
バルトロメアの手が肩に伸び、ガッチリと掴んできた。どうやら逃がす気はないらしい。
戸惑うあたしに回避する手段もなく、早口の衝撃波が洪水となって無防備な肉体と精神を思いっきり殴りつけていく。
「それにさ、一人用の部屋で添い寝しましたって? しかも抱き合って寝ましたって? なんでそこで告白しないかなあ? いい雰囲気になってたじゃん! この際はっきり言っちゃうけど、テオドラ様の方も明らかに意識してるっていうかナツミちゃんのこと好きだから! 部屋に案内された後の抱き寄せられたとこなんてどう考えたって愛の告白が始まるところじゃん邪魔が入ってうやむやになっちゃったけどさぁ! ああもう聞けば聞くほどもどかしいよ言い出す機会は何回もあったのになんで進展の一つもないのっ!」
肩をガクガクと揺さぶられて、頼りない呻き声があたしの喉から抜けていった。
なんだかいつもよりバルトロメアの声が大きいし、それに早口なのに全然噛まない。息もよく続くな肺活量どれだけなの。
色んな意味で頭が痛くなりそうだったけど、ナツミちゃんも何か言ってよと振られたので応じてやろうじゃないか。
喋れなかったのはお前のせいだろ……なんてことではなく、ちゃんとした弁明を。
「い、いやほら、ちょっとは進展したと思うんだけど」
「そんなの誤差だよ! ナツミちゃんだってそう思ってるんじゃないの?」
あたしの反論はいとも簡単に切り捨てられた。スライムやゴブリンにも勝てそうもない戦闘力のあたしは、容赦ない正論に何も言えず口を閉ざすことしかできない。
この恋愛脳ちゃんは痛いところを的確に抉ってくるから困る。
もっと困るのは、そう考えてしまうってことは言われたことがすべて正解であたしにも心当たりがあるってところ。
いくらなんでも、そこまでおめでたい頭はしてない。テオドラさんの様子に気になるところはないかと言われたら、いくらだって具体例を挙げて答えられる。
だけど、それらは全部ただの推察。
確証なんてどこにもない。
一つだけ確かなものがあるとするならば。
「一応の確認だけしときたいんだけどさ。ナツミちゃん、テオドラ様のこと好きなんだよね?」
「……うん」
自分自身の気持ち。
テオドラさんのことが好きなのは嘘偽りない本当の感情。
足元を照らすどころか目を眩ませてしまうほどに、確かな光があたしの中にはある。
「じゃあ突撃あるのみだよ! なんで告白しないの!」
「……だって、うまくいくかわかんないし」
「だーかーらー! テオドラ様もナツミちゃんのことが好きだって言ってるでしょ! 見てればわかるのに、そんなにナツミちゃんって鈍感だったの?」
なんとなく、そんな気はしてた。
テオドラさんもあたしのことを好きだったらな、という希望を含んだ展望は何度も考える。
それでも踏み出せないのは確実じゃないから。橋がかかっていても、崩れる確率はゼロじゃない。
気弱なあたしは、そうやって眺めることしかできないんだ。
「でも……もし失敗して、一緒にいられない空気になっちゃったら」
「ナツミちゃん、これ持ってみて」
バルトロメアはどこから取り出したのかピンクのリボンを持っていた。今つけてるやつの予備だろうか。
よくわからないけど、差し出されたのでとりあえず受け取ってみた。
「で、これ何?」
「ナツミちゃん、それ取るときに何か色々考えた? 落としちゃうかもーとか、ほどけちゃうかもーとか」
「いや別に何も」
「それはなんで?」
「なんでって……」
「当たり前だから、でしょ?」
微笑みを向けられて、やっと気付く。
バルトロメアが伝えようとしている、その意味を。
「アタシから見たらね、当たり前のことでなーに悩んじゃってるのって思うの。どう考えたって両想いなのに」
「そう、なのかな」
「告白しちゃえばさ、なんでこんなことで悩んでたんだろうって思えるようになるよ」
ふわっ、とリボンを握る。さらさらの感触に指が沈んで気持ちいい。
もしテオドラさんと本当に両想いだったら。想いを伝え合えたら。関係を進められたら。
あたしだって本当は踏み出したい。後ろ向きな理由をいくら並べても、好きという感情はどうしようもなく走りたがる性分なんだ。
もし、テオドラさんの気持ちを確かめる手段があれば、きっとあたしは頼ってしまう。
「うーん……そうだナツミちゃん」
何やら考え込んでいたらしいバルトロメアが頭上に電球でも浮かんでそうな閃き顔をしていた。
「テオドラ様が本当にナツミちゃんのことを好きなのかどうか、知りたくない?」
「知りたい!」
「おおう、食い気味だね。いいよーその感じ」
考えていたことを言い当てられた気分だけど悪くない。やっぱりバルトロメアは何かしらの能力者なのではないか、という考えは頭の片隅へ。
「ふふん、ではナツミちゃん。悩める乙女にアタシが助言を授けましょう」
「お、お願いします」
言う前からドヤ顔を見せつけてくるバルトロメア。
きっと、あたしには思いつかないような名案を教えてくれるに違いない。
期待を胸に秘め、テオドラさんへの想いを確かに自覚したままで。
あたしはバルトロメアの話に耳を傾けたのだった。




