第62話 密着の夜
雲一つない晴天。風は穏やか。
まるで旅立ちの無事を暗示しているかのよう。出発には持ってこいのロケーションじゃないか。
「お二人の旅路に幸多からんことを」
そして偉い人の見送り。
ロビンハルトさんは相変わらず言葉に大袈裟な礼を添えてくる。それでも微動だにしない長髪は一体どんな整髪料で固めているんだろう。少し気になるけど答えは闇の中。
「わざわざロビンハルト殿が見送りに来られるとは恐縮です」
「何をおっしゃいますか。女性に誠意を尽くすのは当然でございます」
ロビンハルトさんの言葉や態度にもいつの間にか慣れていた。最初は正直なんだこの人って思ってたのにね。やっぱりフィルターってあるみたい。
テオドラさんも長い付き合いから慣れているのだろう。動じることなく話を進めている。再建の日程や進み具合の連絡がどうこうって内容が聞こえるけど、ちょっと専門用語みたいなのが出てくると理解が追いつかないのでテオドラさんの横顔を見ながら待つことにした。
「では、私たちはこれで」
「今度はぜひ私的な旅行でいらしてください。誠心誠意の歓迎をさせていただきます。もちろん、婚前婚約新婚旅行どの場合でも……どうされました、お二人とも?」
ロビンハルトさんは疑問符を浮かべて首を傾げているけど、あたしたちの方が放心レベルの高い顔になっている自信がある。
だって今、なんか漢字いっぱいみたいな謎の言葉が聞こえたじゃん。空耳を疑おうにもジリオラさんがくれた自動翻訳機は優秀なのでその可能性はゼロだ。
「あ、あふ」
そしてテオドラさんも固まっているから、あの言葉が本物だったことも裏付けられる。
顔が赤いのは、少しでも反応して考えてくれたのかな。どこまで考えたのかな。あたしには刺激が強すぎてポワポワしてしまうので漠然としたイメージしか浮かばなかったけど。
「おや……どうやら不要なことを申し上げてしまったようですね。ですが将来、その機会がありましたら」
「もっ、申し訳ない! 予定の時間が迫っているので失礼いたします!」
テオドラさんが慌てて去ろうとするので、あたしも慌てて一礼してついてく。
「テオドラ殿、ミツナミ殿! どうぞお幸せに!」
最後まで爆弾発言を止めない人だった。やっぱり苦手意識は残るかも……。
あんなこと言われたから意識するなってのが無理な話なわけで。
二人して口数も少なく横目で牽制し合いながら歩くハメになった。
そんな空気に飲まれたあたしは手を繋ぐタイミングがわからなくなって、なんとなく緩いながらも微妙な空気を勝手に感じてしまう。不本意な自由を得た手は胸元のペンダントへ……なんかもうこれを触るのが癖になってる。
やけに早足で歩いてしまったせいか、もうフリアジークの市街地は後方の景色。草原の道で緑に囲まれながら、赤い顔のあたしが歩く姿は絵にしたらきっと目に悪い。
空に視線を逃がせば澄んだ青空。眩しくて目を細めてしまい、逃げ道なんてないと知る。進むしかないよね、旅路も恋路も。
現時点で向き合うべきは直近のこと。すなわち、あたしたちの進む先に待つ未来。
「テオドラさん、えっと……今夜泊まる部屋が狭くなるんですよね」
「そう言っていたな」
「一人部屋だとか」
「宿を提供してくれるだけでありがたいから文句は言えまい」
「そしたら……たぶん、布団も一つですよね」
「……だろう、な」
「一緒……ですよね」
「あ、ああ」
手と足が一緒に動きそうになった。
あたしは現代人なんだからそんな歩き方はしなくていい。テオドラさんの歩き方もなんだかぎこちなくなっているのを見て、同じことを考えてたのかなと妄想して嬉しくなってればいい。
どうやらあの村では一緒に寝る運命にあるらしい。ちょくちょく行きたくなるキャッチコピーになりそうだなと考えて、ロビンハルトさんの旅行うんぬんまで連想したあたしの顔色はまた平穏から遠のいてしまった。
心の凪が遠ざかるにつれて、その原因を抱えた森が近付いてくる。色々なことを考えてしまったせいか、時間感覚を司る脳細胞が仕事をしなかったんじゃないかってほど、いつの間にこんな場所まで来ていたのかがわからない。
「あっ……」
どうやら距離感を測る部分も仕事をしていなかったようで、テオドラさんと手の甲同士がわずかに掠った。ほんの少し動かせば、そこにはテオドラさんの手が。
「……」
こんなときなのに、いやこんなときだからこそ働く恋心細胞があたしの体を突き動かす。
普段通りを装って滑り込ませた手は、何事もなかったように繋ぎ返された。求めていた温もりが全身に心地良い熱さとなって広がっていく。
悩む必要なんてなかったんだ。胸の中で渦巻いていたものが一気に晴れた気分。
やっぱりテオドラさんといると安心できる。ずっとこんな気持ちを味わっていたい。あたしだけがこの位置を独占したい。
そのためには何をすればいいか。
たとえば……想いを打ち明ける?
そんなことしたら感情の嵐に全身をズタズタにされてしまいそう。でもこのまま隠し続けたら、いつか感情の破裂で内側からバラバラにされてしまいそう。
一体どうしたら……ああもう悩むことないってわかったばかりなのに。
恋は怖くて、楽しくて幸せで、そんな混ざり合いがちょっと憎い。
きっと感情は表裏一体で、ふとした拍子に反転する気分屋。すぐ近くに正反対の気持ちが居座って隙を窺っている。
だから恋に下心があるのは字の通りなので仕方ない。刻一刻と迫る添い寝に心臓がうるさく弾んでも普通のことなんだ。
……今日、寝られるかな。
いや、むしろ眠らなければ一晩中テオドラさんの温もりを堪能できると考えればそれでいいのでは。しかしそうすると明日の朝は強烈で残酷な眠気との死闘を覚悟する必要があるわけで、それなら極上の眠りに身を沈めるべきではないかと心の天秤が安定しない。
恋路ってこんなに複雑な迷路だったとは……どうする、あたし。
薄暗い森に踏み入って振り返れば、今まで歩いてきた草原の明るさに目が眩む。晴天と夕立の狭間に立ったらこんな感じだろうか。
迷い、惑い、ためらって。
それでもあたしは歩くしかないのだった。
答えは村に着いても出なかった。
村に入るなり過剰とも言える丁重さでリマドさんの館へ案内された。
応接間のソファーに体を沈めて心地良さに浸っていたら、リマドさんが現れるなり村長の立場がどうのと言いながら両の膝と手を床につけて謝罪してきたので、いきなりの展開にあたしはオロオロするしかない。
「この度は大変なご無礼をいたしまして、このリマド我が身をもって贖罪を」
「待て、頭を上げてくれ。そのことは気にしてなどいない」
せっかくの礼服がシワになるのも構わないと言わんばかりの土下座を披露するリマドさんをなだめるテオドラさんの横で、あたしもこくこく頷いて同調しておく。気にしてないのは本当だし逆に感謝したいくらいなんだけど、これ以上ややこしくするのはよくないので黙っておこう。
こんな場だから手は繋いでないけど、なんだか見えない部分で繋がってる気がする。ペンダントの効果すごい。
まあテオドラさんはすぐ隣にいるから寂しくなんかないんだけど。むしろ少し離れたことで首とかうなじとかが見えて大変眼福です。
「ですが我々の不始末、何事もなく不問などとされるべきことではございません」
「いや、本当にいいんだ。宿を提供してくれることに感謝したいくらいなのだから」
このままだと腹を切って詫びるとか言い出しそうな雰囲気に、テオドラさんもたじたじな様子。焦ってるところって珍しいからまたちょっと眼福。
でも本当にそんなことされたら困るどころじゃない。テオドラさんがなんとか説得してわかってもらうまで、それなりに時間がかかった。
「ありがたき幸せでございます、このご恩は必ずっ……!」
妙な力強さは消えなかったけど、これでよしってことにしよう。
それからはリマドさんも席について、フリアジークでのこととかを話し始めた。やっぱり会談が成功したことはすごいことらしく、リマドさんがしきりに賞賛の言葉を述べていた。
テオドラさんは上手に受け止めているようだけど、あたしにはなんだか少し照れているようにも見えた。錯覚とかフィルターかもしれないけど、可愛いのでこれでよしってことにしよう。便利な言葉だね。
それからしばらくして。
「では、私たちはそろそろ」
「もうこんな時間でしたか。話し込んでしまい申し訳ない」
再び謝罪表明しかけたリマドさんが手を叩く。それに呼ばれた使用人っぽい青年、のように見える背丈と雰囲気のトカゲ人間さんに案内されて、あたしたちは宿の部屋へと向かった。
案内された部屋は確かに狭かった。二人分の荷物を置いたら、きっと歩くのもやっとなくらい。あとベッドは一つだった。ここ一番大事だから確認しておかないと。
「それでは、後ほど追加の寝具をお持ちしますので」
えっ、と思いながら案内係さんを見たら深々と頭を下げている。続けざまにテオドラさんを見たら目が合った。
目と目で通じ合えたらいいんだけど、そこまでの境地には指先すら届いてないと思うので、きゅっと服の裾を引いてみた。二人きりじゃないので、あまり目立つことはできない。
「……いや、このままでいい」
「は、このまま……ですか?」
「ああ。追加は必要ない」
「しかしそれでは」
「構わんと言っている」
「……かしこまりました。もし何かありましたらお呼びください。お食事は間もなく準備が整いますので、用意でき次第お声かけさせていただきます」
平身低頭のまま案内係さんは出て行った。あれならきっと裾をつかんだところも見てないはず……いや、下を向いていたならむしろモロバレだったのではないか。
そんなことよりも、だ。曖昧な過去より確かな今に向き合おう。
「……夏海、これでよかったか?」
「はいっ……!」
二人きりになったのでまた手を繋ぐ。感謝の意味も込めて。あとはっきり言ってくれたことに対しても。言わせちゃった感じだし。
「これで一緒、ですね」
「そ、そうだな」
寄り添うのは今夜の予行演習というわけでもなくもない。いくら予習しても慣れないのは意味があるのかないのか。
わかるのは、そういう適当なことを考えてないとこのまま甘いぬるま湯に溺れてしまいそうなことだけだ。
ベッドに並んで腰掛ける。深い意味なんかなくて、そこしか二人で座れる場所がなかっただけのこと。狭い部屋って素晴らしい。
考えることがあれこれあったはずなのに、今じゃ頭の中はテオドラさんのことばかり。いつも似たようなものだけど、そんなの好きなんだから仕方がない。手を繋いでいるのにどこか物足りなくて距離を詰めるのも仕方がない。
たとえるならチョコミントの香り。甘さとクールさが混ざり合ったテオドラさんの匂いがあたしを包む。手を伸ばしてその気になればどこにだって触れることができる。テオドラさんの存在を強く感じる。
繋がった部分から溶け合ってしまいそうなんてよく見る表現だけど、これがそうなのかと思い知らされた。本当に一つになれたらいいのに。
テオドラさんはどう思ってるのかな。近くに寄り添ってもそれがわからない。あたしのこと、どんな目で見てるんだろう。嫌われてるなんてことはないと信じたい。
けど、それだけ?
あたしは単なるリトリエで、それ以上には見られていないとしたら。
届かない想いはどうやって処理すればいいんだろう。捨てられるはずもない感情は胸の中で積み重なって崩れるのを待つだけか。
きゅっ、と手を繋ぎ直す。
せめて今だけは。こうして触れ合うのが許されている間だけでも。テオドラさんのことを感じたい。
ぼんやり眺めていた視界を、テオドラさんの目が独占した。変なことを考えていたせいか、瞳が潤んでいるのが自覚できる。目前のテオドラさんは小さく口を開いたけど、何も言わずにあたしを見ている。
綺麗な唇……そこに触れたいという欲望は前からあったし今も湧き出てくる。叶わなければ向こうから触れてくれるだけでもいい。欲深いあたしに慈悲深い恵みを落としてくれるなら、それだけであたしは……。
そんな妄想をしていると、本当にテオドラさんが近付いてきた。というか抱き寄せられた。背中に回された手が心地良くて、少しくすぐったい。
テオドラさんは何度も口を開きかけては閉じ、短く溜息みたいなのをこぼしている。まるで何かを言おうとしながらも戸惑うような仕草。
どうしたんだろう。思考力が極限まで低下したあたしにはよくわからない。唇が近い……視界と距離が曖昧になって、なんだかクラクラして、自然と瞼が閉じつつある。
テオドラさん……あたし、このままどうなってもいいです……。
「お待たせいたしました! お食事のご用意ができました!」
唐突なノックの音と誰かの声。扉越しにもはっきり聞こえるくらいの声量は、あたしたちを正気に戻すには十分すぎる力があった。
「わかった! すぐに向かう!」
負けじと声を上げて返事をしたテオドラさんの頬はまだ赤かった。
さっき、閉じかけた目が最後に見たテオドラさんの口が何かを言いかけていたような……そんな疑問の答えを求めて視線を頬から唇へ移しても、そこにはあたしを更に惑わす色香しかない。
うるさい鼓動と熱い顔。
すぐに食事へ向かうなんて無理だってことは、きっと誰が見ても明らかだった。
歓迎の食事はとてもいい味だった。魔族の料理だからといって禍々しい色のスープが出てくることもない。前に食べたのと変わらない美味しさ。
余興みたいな感じでお祝いの伝統的らしい踊りを見せてくれたけど、なんというか貴重な経験をさせてもらった。簡単に言うと魔力が吸い取られそうなステップだった。念のため確認したけど、マインド能力がどうこうなってたりはしなかったので無害な踊りだったことは断言できる。
……そんな賑やかな時間を終えて。
食事を終えて部屋に戻れば、また静かな時が訪れる。
刻々と迫る一日の終わり。意識するなというのは無理な話。
いざ近付いてくると緊張するというか、落ち着かないというか、一緒に眠る初めての夜ってわけでもないのに慣れない。いや初めてって変な意味じゃなく変ってなんだよ何考えてるのあたしって奴は。
くだらないことを考えても時は進む。テオドラさんとの距離は縮まっていく。食事前の再現でもしているようにベッドへ並んで腰掛けていたことに気付いたのは、テオドラさんの透き通るような香りを感じるよりも後だった。
体が熱いのは、さっきお風呂に入ったからだけじゃない。好きだということを自覚すると体に様々な変化が起こるらしい。あたしはあと何回自分の変貌に振り回されるのだろうか。
「……そろそろ、寝るか」
「そ、そうですね」
クラクラしそうな雰囲気の中。
意を決して電気は消して。
ゆっくりと、動きを確認し合いながら狭いシングルベッドに入り込む。肩とか手が触れるのは狭いから仕方なくて嬉しい。
布団を被って最高潮に達した緊張によって生み出された冷静な部分が、添い寝ならこの村で前にもしたことあるだろと騒ぐけど、あの時と今じゃ心持ちが一変しているので同じだなんて思えない。
最初にわかったことも、そこからの連鎖的なものだった。
魔族と人間のシングルサイズに認識の違いがあったのかなんなのか、横になってみると意外に窮屈じゃない。まったく動けないわけでもなく、腕二本分くらいは端までの余裕がある。ベッドから落っこちる心配も薄そうだ。経験でわかっていたことでもある。
ただし、それは今の状況を維持できればの話。すなわち落っこちたくなければテオドラさんと密着したまま一晩過ごせ、というわけだ。繋いだ手を離してしまえば、あたしは身も心も暗い底へと落ちてしまうだろう。
思い描いていた未来図が現状に映し出され、すぐにあたしはテオドラさんにくっつかないと自分を保てない不安定な存在と化した。
自分の呼吸が気になるほどの暗闇でもテオドラさんの姿だけはよく見える。横になっても乱れないショートヘアが周囲とは違う黒色で浮かぶ。また触りたい。触って指先から溶けてしまうような、あの感覚を味わいたい。
布団なんかよりも温かくて柔らかい肌が薄いナイトウェア越しに感じる。もし直接触れることができたら、指先が溶けるのを通り越して気化するかもしれない。
こんなに近くにいるのに、あたしが知らない部分があるなんて……もっと知りたい。見たい。暴きたい。あたしが、あたしだけがテオドラさんの特別な存在になりたい。
寝る前に物事をあれこれ考えてしまう癖が、テオドラさんのいい香りで増幅されたのだろうか。こんなにくっついてたら無理もない、ということにしたい。あたしがおかしいわけじゃない、はず。
好きになるってことは多少の差異はあっても、基本的には相手を自分だけのものにしたいってことだから。今まで読んできた漫画や小説にもそう書いてあった。
「テオドラさん……」
気付けば名前を呼んでいた。ほんの小さな声だけど、狭い部屋にはよく響いた気がした。
好きすぎて声に出ちゃうなんて……あたしは、なぜ、こんなに。
……こんなに恋心へと溺れてしまうのだろう。
「夏海、どうした?」
髪と枕が擦れる音を引き連れて、テオドラさんがあたしを見た。やっぱり聞こえてしまったらしい。はうぅ、どうしよう。
「いえ、なんでもありません……」
「そうか……」
そして再び訪れる静寂の時間。
なんでもないわけないし、色々ありありなんだけど言えるわけないし、そもそも最初からあたしの脳内思考スペースに余裕なんてないし。
一人で勝手にオーバーヒートしかけていた、そんな時のこと。
テオドラさんが動くのを感じた。布団の中を腕が移動する音が、鼓動を押し退けて耳へ飛び込んでくる。
「あっ……」
あたしを抱き寄せるテオドラさんの腕。もしかして、やっぱりこれはさっきの再現なのかな……。
腕を回されている上に、もう片方の手は繋いだまま。あたしの体は完全に自由を奪われた。もっと奪って制限してほしいと考えてしまうのも愛ゆえの変化だろうか。
どうして抱き締めてくれたのかなんてわからない。きっと何か理由があるはず。別になくてもいいけど、あるなら知りたい。
テオドラさんの心音にはリラックス効果があるのかもしれない。わずかに理性を取り戻した頭脳で考えるうちに一つの推測が浮かんだ。
フリアジークへ向かう途中、この村で泊まったあの夜……あたしは暗闇を怖がり、まあ色々あって今日と同じような状態になったわけですけども、ってなんで思い出しただけで体の熱さが増長するかなあ……。
気を取り直して考えをまとめよう。
大事なのは今日と同じ、というところ。
つまり考えも同じだとすると、あたしが恐怖を感じないように抱き締めてくれたのではないか、というのがあたしのぼやけた脳細胞が推理した結論。好きな人にハグされながら正常な思考ができる人がいるかわからないので信憑性は薄い。
それでもなんとなく導き出した結論を受け止めていると、今度は別の疑問が浮かんできた。
言葉だけ取ればくだらない中身。だけど考えずにはいられない。
テオドラさんは怖くないのかな……と。
冷静で凛々しいテオドラさんが恐怖する。そんな姿は想像できないし見たこともない。
ないからこそ、内面に秘めているのではないかと勘繰ってしまう。あたしのマインド能力で覗けないのもあって、知りたい気持ちが膨らんでしまう。
魔族に襲われた記憶、孤児院の壊滅、セレナさんという恩人の失踪、手がかりのつかめない捜索……もし、テオドラさんが消化しきれない悲しみを抱えているのなら。
あたしはそれを癒してあげたい。癒せる存在になりたい。
だから、あたしもテオドラさんを抱き返す。背中に回した手が感じる熱は、理屈をこねないと行動できないあたしへのご褒美だ。
理由をつけて盾にする性格、直したいとは思うけど……そうしたらブレーキも緩くなるから、きっとテオドラさんにくっついてないとダメになっちゃう。今も似たようなものだけど、たぶんこれ以上に。
でも……こうやって温もりを交わらせると、そうなっちゃってもいいかなと思える。弱くなってもいいなって。悪くなんかないし、幸せだから。
薄靄のかかった思考。浮かぶことすべてにその残像がくっついている。
これが幸せの色というやつなのかな。
密着して思うのはテオドラさんとの日々。出会ってからの日々は楽しくて、嬉しくて、ずべてが幸せな色に染まっていた。
これからもそんな日々を過ごしたいと思うのは、あたしが恋をしたから。テオドラさんを好きになれたから。
そして、欲望が膨れ上がるのも恋をしてしまったから。
このままじゃイヤだ。伝えたい。受け止めてほしい。あたしだけを見てほしい。
でも……常につきまとうのは悪い未来。
もしうまくいかなかったら。
気持ちが届かなかったら、あたしはどうなってしまうのだろう。どうすればいいのだろう。受け入れられなかった想いはどこへ落ちていくのだろう。
失敗の味はもう知りたくない。入試結果発表に並んだ数字たち……自分の受験番号が書かれていない事実を知り、世界すべてが色を失ったあの瞬間。誰もあたしを必要となんかしていないことを突きつけられたあの日。
刻まれた用済みの烙印が痛む。テオドラさんがこんなに近くにいるのに寂しい。色んな感情が混ざった涙が、閉じた瞼をこじ開けて滲み出そうになる。
伝えたい。
全部吐き出して溢れる想いをぶつけたい。
隠したい。
壊れてしまうかもしれないならそのままでいい。
こんな自分でもわからないほど絡まった想い、一体どうすれば……。
答えなんてどこにもない。入口も出口もない迷路の中で、いつしかあたしは眠りに落ちていった。
その夜、あたしは夢を見た。
夢の中でもあたしはテオドラさんに抱かれたままで、現実と繋がっているかのように夢の境目が曖昧だった。
それなのに夢だとわかったのは、こんな声が聞こえたから。
――夏海、好きだ。
きっと眠る前に考えを複雑に絡ませたせいだ。あたしが望んだ世界を自分で思い描いているにすぎない。
明晰夢に近いようでそうじゃない。自分では操れず、ただ流されるまま夢の景色は移り変わる。
――あたしもテオドラさんのことが好きです。ずっと隣にいさせてください。
夢の中なら簡単に言える。
当たり前のように受け入れられた気持ちが幸せを叫び、空想の将来を誓い合う。
だけど。
一緒にいたいと体が望めば心は一緒に痛くなる。
夢の中まで苦しい反作用は追いかけてくる。
それならいっそ夢でいい。
たとえ夢でも。いや夢の中だからこそ。
せめて夢の中だけでも。
あたしはテオドラさんと深く繋がりたいと願うのだった。




