第61話 唯一無二の絆
幸せな胃もたれを起こしそうな食事を済ませても、テオドラさんとの時間はまだまだ終わらない。食べた後は体を動かすものだと相場が決まっている。色々とお腹一杯になったんだからなおさらでしょ。
商店街に立ち並ぶお店はどこも賑やかで、よそ見をしていたら衝突事故が起こりそう。もちろんそんなことにならないのは繋いだ手が証明してくれる。
「ここは何代も続く名店で、その味を求めて遠方からの客も多く訪れるんだ」
「すごい行列ですね」
「慌しいな……あの道を曲がった先に落ち着ける広場があったはずだ。そこへ向かおう」
「はいっ!」
何度も来ているだけあって、テオドラさんはフリアジークの知識がたくさんある。頼れるオーラが遠慮なく出ていて簡単にあたしは溺れてしまう。優しく手を引かれたら、もうどこまでもついて行きますって気分になっちゃうよね。
そう……好きって気持ちを認めちゃったから。こういう何気ない時間がとても価値のあるものだって知ってしまった。目的地なんかいらない。ただ、テオドラさんと一緒にいられればそれでいい。
「おや、ここは……」
なんてことを考えたら気になる場所が現れるのは世の常ってやつか。テオドラさんが予想外の物を見るような目をしているので、あたしも釣られてしまう。
ここは……アクセサリーショップっていうのかな。店先にオシャレな宝石や装飾品がキラキラ輝きながら並んでいる。なんとなくハンドメイドな雰囲気を感じる。
「このお店が、どうかしたんですか?」
「いや、前に来たときは空き店舗だったので、新しくできたのかと思ってな」
改めて店頭を観察。目を引くアクセサリーが並んでいるけど、奥にも色々とありそうだ。
一歩前へ踏み出す。テオドラさんの視線があたしに向く気配がした。見なくたってそれくらいわかる。好きな人からの視線は特別だから。
そう、特別。特別な人には特別な物を贈りたいというのは前から考えていたことなんだ。
「テオドラさん、ここに寄ってみませんか?」
「そうだな。何か買うならば遠慮なく言ってくれ」
「えっと、そうではなくてですね……」
買ってくれるという言葉は嬉しいんだけど、今はそうじゃない。あたしがテオドラさんにプレゼントしたいんだ。もらってばかりじゃ嫌だから。
「あたしじゃなくて、テオドラさんにあげたいんです」
「……私に?」
「はい。会談もうまくいったみたいですし、お祝いにどうかなーなんて」
言いながら視線が斜めに流れる。テオドラさんを真っ直ぐ見られない。照れ笑いのような何かが顔に張り付くのは、きっと恋の病の諸症状ってやつだ。
横目でちらちら窺ってみると、テオドラさんは何かを考えている様子。瞬き多めの仕草をしているときは、その合間にこちらをこっそり見ていることをあたしは知っている。
「では……私も夏海に何か買おう」
「あたしに、ですか?」
「ああ。夏海がいたから……その、頑張れた。だから夏海のおかげであって、受け取ってほしいのだが……」
「あ、ありがとうございます……」
語尾はほとんど吐息みたいになり、そのまま固まってしまった。二人きりじゃないときにこういうこと言われるのは、どうしても慣れないというか照れるというか嬉しすぎるというか。
確かなのは繋いだ手が熱いということくらい。こんな状態でも手を離さないのは、他のどんな感情よりも幸せが大きいから。好きな人に触れて繋がっていると安心する。単純明快な理論があたしにとっては大切なんだ。
こうして店頭で置物みたいになっているあたしたち。他のお客さんや店員さんからしたら邪魔なことこの上ないんだろうけど、もちろん今のあたしにそんなことを考える余裕なんてない。
「夏海、何があるか見てみよう」
「……っは、はい!」
テオドラさんの言葉でもたらされた呪縛を解くのもまたテオドラさんの言葉だった。状態異常魔法が異常回復効果も兼ねてるなんて珍しいじゃないか。
ともかく余裕が戻ってきたので品定めに移ろう。パッと見た感じでは、キラキラした物よりもデザインの細工にこだわったアクセサリーが多い印象。展示されているサンプル品が気に入ったら、店員さんが商品を持ってきてくれるシステムらしい。量販店みたいに在庫たっぷりさあどうぞ、みたいな陳列じゃないのはポイント高い。
どれにしようかな、と考えながら目線がペアリングの方へ向かっていく。いやいや、さすがにそれは……まあ悪くないんだけどそういうのは将来的にというか待てよこの世界に結婚指輪の概念ってあるのか確かめるのが先ではなかろうか。
こっそり横目を向ければ、テオドラさんも指輪コーナーに釘付けだった。何か気に入ったのでもあったかな、と思った矢先にテオドラさんからの流し目をもらって視線の衝突事故を起こしてしまったので謎の流れに乗って場所を移した。
やけに熱く感じる店内を巡るうちに、ふと目に留まったアクセサリーがあった。その作りとギミックを眺めていたら気になって仕方がない。値段もそれなりだし……よし。
「テオドラさん」
「夏海」
今度は言葉の衝突事故が起こった。
「すまない、どうした?」
「あの、これいいなと思いまして」
「私も同じことを言おうとしていたんだ」
これが以心伝心ってやつですか。二人で目を向けたそれは、二つで一つのアクセサリーだった。
言ってしまえばネックレス。ペンダントトップをあしらった、言葉だけなら一般的なアクセサリーだろう。
けれどその装飾は、メタリックなリングの中に星のような形をした宝石が噛み合っている金属細工。一見取れなそうだし振ってもカチカチ音がするばかりだけど、リングと星を工夫して移動させれば実は外せる……こんな知恵の輪、どこかで見たことあるような。
そんな一品を気に入ってしまった。他の同種商品では形が合わず、繋がれるのは選ばれた一点同士のみ。そこから絆という単語を連想するのに一秒もかからなかった。
他のでは一緒になれないというのが何よりもいい。あたしとテオドラさんの繋がりが増える感じがするのもいい。リングと星どちらをつけるか気分で交換できるのもいい。星の方は小さいけれどリングに噛ませておけば紛失防止になるのもいい。囚われることの暗示とか変なことは想像しなくていい。
……これ、重くないよね?
いや重量がってことじゃなくて。実際手に取ってみても軽いし、派手さも薄目でさりげない感じなんだけどそうじゃなくて。
だけど、テオドラさんもこれが気になっていた。今もあたしの手元に目を向けている。
ここで勢いに乗らないと、あたしはいつまでも迷ってしまう。難しいことなんて考えなくていい。
欲しいものは欲しい。後悔なんてしたくなったらすればいい。
あたしはテオドラさんを好きになったことを後悔なんかしていない。
「……これ、買いましょう」
「そうだな。では」
「待ってください」
勢いが止まらないのは、ここが店内の奥まったところだからかもしれない。つまり周囲の視線から隔離された場所であり、擬似的な二人だけの空間でもあるのだ。監視カメラという概念がここにないのもラッキーだった。
「さっきも言いましたけど、あたしにも出させてくださいね?」
テオドラさんの手が止まるのが見えた。繋いでない方の手が潜り込んだポケットに、こっちで言うところの財布が入っていることは把握済み。そういうことを自然にしようとするところも好きだし嬉しいけど、今は一歩引いてほしい。
これは二人で買うことに意味があると思う。言ってしまえば共同作業。そんなのやりたいに決まってるじゃないか。
「だが……」
「二人で買うの、嫌ですか?」
「そういうわけではないのだが」
「お祝いしちゃいけませんか? あたしの気持ち、テオドラさんに伝えたら迷惑ですか?」
「いや、そんなことは」
「じゃあ……いいですよね?」
質問が全体的にズルいのはわかってる。特に最後のやつ。
きっと直前に好きとか考えていたのがいけなかったんだ。
「……ん」
小さく頷くテオドラさんを見たら、少しだけ心が痛んだ。これじゃ言い負かしたみたいじゃないか。そんなことがしたいわけじゃなかったんだけどな。
「……すみません。変なこと言っちゃって」
「いや、いいんだ。今のは夏海の本当の気持ちだったんだろう?」
「その……はい」
「ならば私も正直に言わせてもらうが――」
思わず身構える。緊張した肩と脳裏。何を言われるのだろうかという推測は悪い方へと傾き続ける。
それでも倒れずにいられたのは、テオドラさんが繋いだ手をぎゅっと握りなおしてくれたから。程よい刺激が意識を繋ぎ止めてくれる。
「――嬉しかったんだ。今日ずっと夏海と一緒にいて、あちこち巡って、同じものを食べて、同じものを見て、嬉しくて、だから」
なんというか、防御の上からガード不可の攻撃を受けた感じ。あっさりと障壁を貫いた言葉はあたしの心にダイレクトアタック。あたしの顔は真っ赤になった。
「だから、つい自分勝手に舞い上がってしまったんだ。私の方こそ、すまなかった」
「いえ、そんな……じゃあ、おあいこってことで」
「ありがとう……夏海は優しいな」
こうして再び赤面の彫像にされてしまったので、アクセサリーのお会計を済ませるのはもう少し先送りにされてしまったのであった。
今まであたしの首にぶら下がっていた便利アイテムこと翻訳機には、名残惜しくも退場を命じなければならなかった。あたしは何個もネックレスをジャラジャラさせるようなキャラじゃない。
身につけなくても近くにあれば効果があることは今までの経験でわかっているので、とりあえず上着のポケットに押し込んでおく。万が一ここでジリオラさんからの通信が入ったら向こうの耳には雑音の嵐が届いてしまうだろう。ごめんなさい。
「えへへ……」
それはともかくとして、今は新しいアクセサリーに意識を集中させよう。まあとっくにしてるけど。
頬が緩んで表情が崩れているのが自分でもわかる。こういう顔は人前とか外でするものじゃない。
でも仕方ないじゃん。星型のペンダントを触っているとなんだかいい気分になれるんだから。
それに、ここは町外れの静かな公園。ベンチに座るあたしたちの周囲にいるのは木々の揺れる音くらいで、あとは離れた遊歩道に散歩中と思われるご老人方がちらほらと。テオドラさんは場所選びのセンスもあるから好き。
素直な好意が溢れてしまうのも、きっとこのペンダントがあるからだろう。嬉しさでいっぱいのはずなのに、ちょっとだけ苦しいような気持ち。それはなんだか、幸せな今に対する不安に似ている。
だけど、あたしは全部ひっくるめて大切にしたい。このペンダントが首元にあれば、たとえ近くにいなくてもテオドラさんを感じられる気がするから。好きになると、こんなことも考えちゃうんだ……。
テオドラさんはどう思ってるのかな。考えはわからないけど、あたしと同じようにペンダントに触れているのは見える。横顔もなんだか嬉しそうなのは恋愛フィルターを通したからだろうか。好きになると、こんなものが勝手に装備されちゃうんだ……。
あたしと同じ気持ちだったらどんなに嬉しいか。身勝手で自分本位な欲望は目を背けただけ存在感を増していく。
好きになると、こんな願いを持ってしまうんだ……。
「テオドラさん」
「なんだ?」
「もう少し……そっちに行ってもいいですか?」
「……あ、ああ」
繋いだ手だけじゃなく、腕や肩もぴったりとくっつける。そこまでするつもりはなかったけど、自然と頭を傾けてテオドラさんに預けてしまった。体がテオドラさんを求めてるのかもしれない。
「……」
温かくて静かな今に浸りながら、あたしは過去に思いを馳せていた。懐かしいけれど遠くない、テオドラさんとの濃密な記憶たち。
初めて会った日のことは何度も思い返しているから、いつだって鮮明に浮かんでくる。あのだらしない姿をまた見てみたいと考えてしまうのも、きっと好きになったからに違いない。実際ある種の魅力があったわけだし。
こっそり職場にお邪魔したこともあったっけ。普段とは違うテオドラさんの姿。あの時に感じた胸の高鳴りが今はもう末期症状なんだから恋心って怖い。
だって一度意識しちゃったら毎日あたしの好きって気持ちが更新されていくんだもん。
初恋は厄介だ。想う相手は一人きりだけど、想う気持ちは一度きりなんかじゃないんだもん。
テオドラさんのことが好き。
一度きりで終わらせたくなんかない、あたしの気持ち。
「……っ」
短く息を切るような声がしたかと思うと、あたしの肩に手が置かれ、ただでさえくっついていた体を更に引き寄せられた。
温もりは遅れてやって来て、同時にあたしの頭は混乱する。
えっと……テオドラさん、なぜいきなりそんなことを?
いや別に嫌じゃないしむしろ嬉しいんだけど、今そういうことされると色々なものが溢れてパンクしちゃうんですが。
それに何か言ってくるのかと思えば無言だし、それもまた心地良いなとか思っちゃうし、さっきから聞こえるあたしのと違う心音の出所はもしかしてとか考えちゃうし、なんか遠くからご老人方のと思われる優しい視線を感じるし、もう何も考えられなくなっちゃうし。
でも、とても幸せで。
この時間が永遠に続けばいいなあ、なんてありきたりなことを願ってしまうのだった。
夕暮れに寂しさを感じてしまう理由。それはきっと、楽しかった一日を思い返すから。今日が終わってしまう……その予感が切なさに変わって胸を締めつけるんだ。
染まりゆく景色を眺めながらそんなことを考えてみたんだけど、別にあたしは寂しくも悲しくもない。今日は楽しかったし、明日も楽しくなる気がするから。むしろこれからの方がテオドラさんとの時間がいっぱい作れそうだから楽しみに決まってるじゃないか。
中央庁への帰り道、あたしの胸中は幸せな未来の妄想で忙しく跳ね回っていた。いわゆる自分の世界に没頭ってやつ。
だから、急にテオドラさんが足を止めたことにびっくりしてしまい体のバランスが崩れてしまった。転ばなかったのはテオドラさんがさりげなく支えてくれたおかげで、反射的に赤くなった顔は夕焼けに紛れていた。たぶん。
「テオドラ様! ここでお会いできるとは」
「お前は……リマドの使いか」
誰と話しているんだろうと顔を上げれば、そこには立派な体躯に鎧を着込んだリザードマンが!
ひえっ、と怯えるような真似はしない。ちょっと驚きはしたけど、人間は慣れる生き物なのである。さっきの言葉からなんとなく想像もしてたし。
道端に魔族さんがいる光景。まさに異世界って感じがする。通り過ぎる人々も悲鳴を上げることなんてせずに歩いているから、自然なことなんだろう。あたしの感覚で言えば、外国人がいるぞってくらいのことなのかな。
道のど真ん中にいたら邪魔なので、端へと寄ってから改めて向き合った。
「お世話になっております。実は早急の連絡がございまして、中央庁へと向かう途中だったのです」
「わざわざ出向いてくるとは……何があった?」
「はい。先日のご一報を受けまして、我々は歓迎の準備をしておりました。ロビンハルト様との会談が成就なされたことへの祝賀になればと思いまして」
そういえば、この前テオドラさんが魔力通信機でどこかと話していたっけ。あれはリマドさんに宿泊予定を伝えていたってことか。
それなら確かに、通信機じゃなくて使いをよこしてってことは不安になる。リザードマンさんもなんだか言葉を濁して言いにくそうだ。
「ですが突発的な事態が発生しまして、対処に手を取られてしまい、なんとか取り得る最善の手段を尽くしたのですが……」
「要領を得ないな。結論を言え」
「実は……当初ご用意するはずだったお部屋が提供できなくなってしまったのでございます」
「えっ! それじゃ、あたしたち野宿しちゃうんですか?」
突飛な妄想から思わず出た声は場の空気を固めるのに十分だったらしい。きょとんとした二人の視線が、唐突な侵入者であるあたしに向けられている。あ、リザードマンさんって意外と瞳が澄んでいる。
気を取り直して弁解させてもらうけど、だって宿がないってそういうことでしょ。途中に他の町や村がないことは通ってきたから知ってるし、夜は動かないというテオドラさんのルールに従えば野宿しかないと思ったんだけど。
「いえいえ、とんでもない! 予定していたお部屋が使えなくなっただけですので、別の場所をご用意させていただくつもりでございます」
「ふむ、そういうことか……」
なんだ、それなら問題ないじゃん。わざわざ来るほどのことでもないと思うんだけど、リマドさんなりの流儀と礼儀かな?
テオドラさんもそこが気になったらしく質問したんだけど、それにはこんな言葉が返ってきた。
「実は、一人用のお部屋しか手配できなかったのでございます。他の来賓者様方との兼ね合いもございまして、どう手を尽くしてもこれが限界だったのです」
「一人用、か」
「もちろん必要なものはすべて取り揃えさせていただきますし、何かあればお申し付けください。ただ、一人用の広さだと窮屈な思いをさせてしまうのではないかと……」
「ふむ……夏海、どうだろうか?」
「えっ」
そこであたしに振りますか。さっきの余計な一言に怒っている様子がないのは一安心。
うーん……別にいいと思うんだけど。あたしとしては部屋を用意してもらえるだけでありがたいし。野宿と比べたら何万倍もいいに決まってる。
あとは、まあ、その……狭いとその分、二人の距離が縮まるというか、物理的にも近くなるというか、そういう効果ってあるよね。
フリアジークでお世話になったベッドでは、結局一緒の布団に入れなかったし、その分を取り戻したいという欲求と本音があったりもするわけで……。
だから、あたしが拒否する理由なんてどこにもない。てか狭くていいです。二人で同じ寝袋に入らざるを得ないほどの狭さでお願いします。
「あたしは構いませんよ。特にこだわりもありませんし……テオドラさんさえ、いてくれれば」
「そっ、そうか。よし、それでいいと伝えてくれ。気に病むことはない。私としても宿を提供してくれるだけでありがたいのだから」
「もったいないお言葉でございます。それでは早速村へ戻り、歓迎の準備へ取り掛かります」
深々とお辞儀をしたリザードマンさんを見送って、あたしたちも帰り道を歩き出した。
いつしか夕焼けの色は薄くなり、夜が滲むように濃くなっていく。中央庁も近い。
今日という一日が終わりつつあった。
「テオドラさん」
「なんだ?」
「狭い部屋って好きですか?」
「……嫌いではない、な」
返事の前にあった少しの間。
そこでテオドラさんがどんなことを考えたのか。わからないからこそ、あたしは妄想を膨らませてしまう。
好きな人のことをもっと知りたいし、もっと近付きたいから。




