第59話 真実の追憶
フリアジークの市街地には人が多い。
歩いてすれ違うのは住人だったり旅人だったり、それと仕事をしている人だったり。あたしも最後のに含まれるのかな一応。
かくして、そんな仕事も会談の進展によって終わりが見えてきた。テオドラさんが言ってたんだから間違いない。
孤児院再建の話が軌道に乗ったことで、ロビンハルトさん以外にも話を通さなければいけない関係各所に顔を出すために、ここ数日は忙しそうに動いている。
疲れてないのかな、と思ったのは杞憂。テオドラさんの顔は活力で溢れていた。やりがいを感じている姿ってああいうのを言うんだろうな。あたしまで元気になってくるよ。
まあ普段からテオドラさんの近くにいるだけで生きる気力を貰ってますけども。
それくらいあたしの心に大きな影響を及ぼすテオドラさんのことを考えない瞬間なんてない。イキイキとしているように見えてもストレスを抱えているかもしれないから、会談の進展祝いも兼ねて何かプレゼントしたいなと考えてしまうくらいにテオドラさんのことで頭がいっぱいになっている。
何を買おうかな、と色々なお店を渡り歩くたびに浮かぶのはテオドラさんの姿。可愛らしいアクセサリーを送ったらどんな顔を見せてくれるかな。甘いものは好きな方だから喜んでくれるかも。よくわからない動物の木彫り細工は……好きな人は好きなんじゃないかな。
うーむ、迷っちゃうなあ。全部買うと財政事情が破綻するから選ばなきゃいけないんだけど、優柔不断な性格がここぞとばかりに出しゃばってくる。
なかなか難しいけど……こういうときは単純に考えるべきだ。疲れたら糖分。スイーツは女子のガソリン。これ異世界でも常識。
よし、甘いものだ。それにこれで終わりじゃない。今日はひとまずの軽めなお祝いということで、また何度でもそういう機会はある。テオドラさんとの日々は毎日が記念日だもん。
目標も決めたところで、次はお店探しだ。テオドラさんとのビラ配りであちこち歩いたから、周辺の地理についてはそれなりに詳しいつもり。
あーでも甘さってくくりでも種類は多いよなあ、なんてことを考えながら一歩を踏み出した。けれどあたしの視線は全く違う方へ向いてしまう。
「あれって……」
思わず呟いた声を掻き消す喧騒。その人波を越えた先に見えた白い姿は遠くても間違えようがないほど目立っている。実際、人だかりができている原因にもなっているくらいだし。
礼服だけでなくマントまで羽織った姿は正装なのか趣味なのか。音楽家を連想させるカールした髪を群衆の目に晒し、柔和な笑みを惜しみなく振り撒いている。イケメンアイドルみたいな扱いじゃないか。目立つという点では間違ってないかも。
そんなロビンハルトさんは握手を求められて応じながらも歩き続け、どこかへ向かっているような雰囲気だ。相変わらず忙しそうな人だなあ。
でも、ここで会ったのも何かの縁。この前は変なこと言っちゃったし、話もまとまってきたことについてもお礼というか、謝罪というか……ともかく一声かけておくべきだと思う。
あっ、ヤバい見失っちゃう。仕方ない、お菓子を探すのは後回しだ。待てぇいっ。
そんなわけで、あたしの尾行劇が始まった。どうしてこうなったかは考えないでおく。
さっさと追いつければよかったんだけど、相手は有名人。道行く人にちょくちょく声をかけられるものだから、話に割り込む度胸のないあたしには気が引けてしまうのだ。
それにしても、すべてに嫌な顔一つせず応じている姿にはさすがだなと実感させられる。
身分的には厳重なガードつきで送迎されるような人っぽいのに、そうしないのはなんでだろう。じっと観察しても髪型が立派なことしかわからない。寝起きのセットとかどうしてるんだろう。
さて。
今のところはバレる様子もなく尾行できている。物陰を俊敏に移動して対象の意識から退避する……我ながら完璧な隠密術だね。忍者アニメを見てイメージトレーニングを繰り返しただけのことはある。
まったく気付いていない様子のロビンハルトさんは途中で花屋に寄って花束を買った後、何やら自然味の溢れる道を進んでいく。こんな町外れに何があるのかと気になる前に、あたしの記憶が答えを教えてくれる。見覚えのある景色を忘れるような頭はしていない。
この先にあるのは、前にテオドラさんと来た墓地だ。テオドラさんの一面を垣間見ることができた思い出の場所。記憶の映像が勝手に脳内再生される。
ロビンハルトさんもお墓参りをして、ご先祖様に挨拶でもしに来たのかな。会談が進展したってことは向こうにとってもいいことだろうし、節目の儀式みたいな感じとかだったりして。
いや待て。ロビンハルトさんって貴族の家系だよね。だったらもっと豪華な専用墓所とかありそうなもんだけど。ピラミッドとか古墳とか、気品溢れるそういうのが。
前に来た時に見た墓標の名前では普通の家柄の人々ばかりだったはず。尾行しながら周囲を見ても、少なくとも豪華な装飾やお供え物があっていかにも偉い人が眠ってますというのはない。
でも花を用意してきたわけだし、やっぱりお墓参りなんだろうな。家族じゃなくて友達とか知人とか、いくらでも可能性はある。
そういえば、ロビンハルトさんが持ってる花にも見覚えがあるような。紫と白の小さな花びらが風に揺れ、記憶の中で明確な線を描いていく。
キキョウに似ている花。ロビンハルトさんが胸につけているブローチの家紋。テオドラさんと来た時にも同じ花が――。
答え合わせの時間はすぐに訪れた。
思い出の終着点、孤児院の子たちが眠る共同墓地にロビンハルトさんがその花を供えたのだ。見つからないように離れている上に後ろからという状況だから確かなことは言えないけど、じっとしているから黙祷でもしているのかな。
これで、あの時あたしたちよりも先に来ていたのがロビンハルトさんだという可能性は限りなく正解へと近付いた。迷わずにここまで歩く足取りからして、おそらく何度もここへ来ていたに違いない。
でも……なぜここに?
肝心な理由がわからない。孤児院の再建が決まったから、というのもあるだろうけど……なんか、それだけじゃ弱い気がするんだよね。忙しい身でありながら、わざわざここまで来たことに意味がなかったら酔狂にも程がある。
後姿をじっと見つめてもわからない。見事な髪型についてもセット大変そうですねという考えで打ち止めだ。
ぴっちりとセットされた髪は、ああやって急に振り返っても崩れない。うーむ、さすが貴族様は髪の手入れにも一流の技術を使っているのかな。
って、まずいじゃん!
視線がぶつかった衝撃を体現するような勢いで身を隠す。
見られた? いや、ギリギリのところでやり過ごせたかも。この辺は大きな木や草花も多いし、何よりも距離がある。どっかの先住民並の視力がなければ見分けることなんて不可能のはずだ。
「そんなところで見ていないで、どうぞこちらへいらしてください、ミツナミ殿」
どうやら貴族様はこんなところまで規格外らしい。異世界怖い。
名指しで呼ばれた以上、しらばっくれることもできない。なんとも気まずい空気の中、無意識に髪をいじりながら出て行く。
「ど、どうも」
「相変わらず麗しいですな。市街地からここまで気を張っていたようですが、その疲れすら感じさせません」
どう考えてもお世辞だ。
尾行に気付くほどの察知能力があるなら、あたしの内面くらい目を閉じていたって見透かせるはず。
「……どうしてわかったんですか?」
「これでも外交官ですから。周囲の気配くらい読めて当然です」
本当はスーパーマンだったりするんじゃないだろうか。外交官の基本スペックが高すぎないか疑問に思うけど、今はもっと気になることがある。
「あの、どうしてこのお墓に?」
「孤児院の皆に、再建の進展を伝えようと思いまして」
これは……もしかして。
あたしの中に一つの答えが導き出された。成り上がりという名のファンタジー要素を取り入れた簡単な推理だ。
「もしかして、孤児院の出身なんですか?」
「いいえ、両親は共にフリアジーク古来の貴族です。この体には純然たる栄光の血が流れております」
違った。アホみたいな考えを口にしたことで、あたしの顔は真っ赤だ。木陰の涼しさなんて焼け石に水よりも効果がない。
前に読んだ本でも書いてあったじゃないか。確かに本では書かれていない裏事情とかありがちだけど、結局そんなのは妄想の域を出ないのだった。
「ではどうして……」
「そうですね……償い、とでも言うのでしょうか」
おや、なんだか聞き捨てならない言葉が出てきたぞ。
「えっと、償いとは?」
「それは……いえ、つまらなく無駄に長い話ですから」
「構いません。もしよければ聞かせてください」
踏み込みすぎたかも、という今更感溢れる心配は後になって訪れた。ここまで来て引けるかっての。気になる引きに釣られようじゃないか。
とは言え、バッサリ断られると今以上に気まずくなって、豆腐メンタルなあたしに耐えられるはずもないので、保険としてマインド能力を使っておいた。
「ふむ、ここで話すというのも何かの縁かもしれませんね。それでは、しばしお聞きください――」
うまくいったのか、それとも最初から多少なりとも話す気があったのか。
風のざわめきに合わせて光がちらつく景色の中で、ロビンハルトさんは背後の墓石に視線を流した。
「孤児院が襲撃された当時は幼く、自分一人では何もできませんでした。けれど、要職に就く大人たちも満足のいく国政ができたとは言えない状況でした。後手に回り続ける対応はもちろん、襲撃自体を防げずに許してしまったのですから」
吹く風が少し強くなり、一瞬目を閉じたあたしは髪をそっと払う。ロビンハルトさんは動じる様子もなく、マントをたなびかせただけだった。
「残された孤児すらも見ようとしない姿勢を目の当たりにして、幼心に失望すら覚えておりました。そんな時、襲撃の解決に一役買った他国の外交官が啖呵を切ったのです。助け出したこの子を引き取る、とね」
「その子って、もしかしてテオドラさんのことでは……」
「ご存知でしたか。それではセレナ殿のことも聞いておりますか?」
「それなりには」
あたしの返事を聞いて満足そうに頷くロビンハルトさん。細めた目が見ているのは、きっと今ではなく遠い記憶なのだろう。
「一人ですべてを背負おうとするあの姿、気品、勇気。それらは衝撃という範疇を超えるものを刻み付けてくれました。いつか自分もああなりたい、この国を変えたい、同じ職に就いて再び相見えたい――心から湧き上がる衝動のまま走り続けてきたのです」
そっか……だからなんでも自分で抱えようとしていたんだね。必死になって、セレナさんの背中を追って、憧れの存在に近付きたくて。
でも、その目標は今。
「その……セレナさんは行方不明なんですが、何か心当たりはありませんか?」
あたしの問いには首を振る、という答えが返ってきた。
「ですが個人的な意思だけでなく、我が国としてもセレナ殿の行方は現在捜索中です。お二人も市街地で情報を探しているようですね。こちらも何かわかり次第、すぐにご連絡差し上げるつもりです」
そっか、やっぱり探してるんだ。テオドラさんも、ロビンハルトさんも、共に憧れたセレナさんのことを。
「前を向いて走り続ければ夢は叶うと思っておりましたが……そのせいで、引きずり続けていた過去に囚われていたのかもしれません。時には周囲を見渡すことも必要だったのですね。自分で作り上げてきた国や組織を、自分自身が誰よりも信じなければならなかったのに。けれど、これからは再建に尽力しましょう。悲劇を繰り返すことのないように」
宣言したロビンハルトさんの顔を見れば、その言葉に嘘がないことは明らかだった。計画が滞ることは、もうないだろう。
と思ったら、いきなりビタースイートな笑みを浮かべてきた。どうしたの急に。
「なぜでしょう、つい話し込んでしまいました。こんなに自分のことを誰かに話したのは久しぶりです……ミツナミ殿には、何か人を和ませる力があるようですね」
それはその、当たらずとも遠からずと言いますか。
能力がどうこうといった具体的なことは秘めておこう。ここは取っておきの愛想笑いだ。うまくいったかは不明。
「そんなミツナミ殿がいらっしゃる影響もあるのでしょうか。テオドラ殿の雰囲気が以前とは違って見えました」
「テオドラさんが、ですか?」
なぜかドキリとした。あたしがテオドラさんを変えたって? 何をどうしてどうやって?
「はい。テオドラ殿とは以前から何度か会談の席を設けさせていただいておりますが、今回は見たこともないほど活力が満ちているというか、ご自身のあるべき場所を見つけたような……それはおそらく、ミツナミ殿がいるからなのでしょう」
はう、第三者からそういうこと指摘されるのはどんな羞恥プレイよ。今度はこっちが苦笑を浮かべる番ですかそうですか。
「ミツナミ殿には不思議な魅力があるのでしょう。セレナ殿がいなくなってどうなることかと思いましたが……杞憂だったようです。ミツナミ殿、どうかテオドラ殿と末永く添い遂げられますように」
「すっ、すえながっ……」
話しすぎるのまだ直ってないじゃないですか。おかげであたしの顔はとても熱くなっているんですけど。
今そんなこと言われたらテオドラさんのことを意識しちゃう……ほら、会いたくなっちゃったじゃん。そろそろ用事も終わって部屋に戻ってるかな。はやる気持ちが目線を泳がせる。中央庁ってあっちの方だったっけ?
おや、なぜかロビンハルトさんも遠くを見ている。何かに気付いたような素振りだけど、次の予定でも思い出したのかな。相変わらず忙しいことには変わりないだろうし。
「さて……それではこれにて失礼いたします。よろしければミツナミ殿も皆に声をかけてやってください」
一礼してロビンハルトさんは去っていった。なぜかここに来たのとは反対方向に歩いているけど、あっちにも出口があるのかな。
まあいいや、墓前に手を合わせておこう。お供え物が何もないので念入りに――と目を閉じかけた瞬間。
「……夏海?」
短い草を踏んだ音とその声は同時にあたしの鼓膜を揺らし、心を震わせた。
振り向けば、そこには会いたいと思っていたその人が立っている。幻覚かな、というくだらない発想はすぐに消え、代わりに満ちていくのは甘い切なさと充足感。
離れていても、存在を感じた瞬間にあたしの世界は一気に塗り替えられる。ひりついたような痛みの発生源は喉か、それとも更に奥の深い部分か。
テオドラさんがそこにいるだけで、あたしはこんなにも心がかき乱されてしまう。
「偶然だな。どうしてここへ?」
「えーっと、その、なんとなくと言いますか、気分と言いますか……」
まさかロビンハルトさんを尾行してましたなんて言えるはずもないので、急ごしらえの言い訳を考えてはみたものの完成度は限りなくゼロに近い結果に終わった。
去り際にロビンハルトさんが遠くを見ていたのはこれだったわけね。気配察知は外交官の基本スキルって本当なのか。
なんてことを考えながら手と目を泳がせるあたしに向かって、テオドラさんはゆっくり歩み寄ってくる。
その姿に視線を奪われたあたしだから断言できるけど、疑問や疑念といった様子はまったく感じなかった。いつもの優しい笑みの奥にある考えが知りたいのに。
「皆に報告をしようと思ったのだが、先を越されてしまったな」
「いえ、さっき来たところですから一緒みたいなものです」
「そうか、では――」
寄り添って、黙祷を捧げる。
あたしにできるのは、悲しい思いをする子たちが増えないよう祈るだけ。
きっと、孤児院の発展再建は結果を出してくれる。テオドラさんのことはもちろん、ロビンハルトさんも信じていいかなという気持ちが芽生えていた。




