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光浪夏海の異世界百合物語  作者: 虹月映
第五部  異国への旅立ち
62/85

第58話  決意の対峙

「お帰りなさい。どうでした?」


 今日も今日とて会談は続く。進み具合が気になってしまうのは自然の摂理。

 

「それなんだがな、一つ興味深いことがあった」

「興味深いこと、ですか」

「ああ、先日聞いたあの噂が気になってな。それとなく突っ込んでみたのだが、かすかに動揺したような仕草が見られた。奴も何か思うところはあるのかもしれないな」


 見られた、ってそれを見抜く観察眼はさすがテオドラさんだ。あと、それをなんでもないことのように言っちゃうところも素敵すぎる。どんな称賛の言葉も力不足になるだろうけど、すごいと思ったあたしの気持ちを口にしたくなる。

 したくなるんだけど、今はテオドラさんが喋ってるからこうやって考えるだけにしておく。少しだけ我慢だ。


「だが、それが何かを明かすような素振りはなかった。相変わらず食えん奴だ」

「そうですか……なんなんでしょうね一体」

「それがわかれば苦労しないんだがな。真意の片鱗すら見えてこない。私の目も曇ってきたか……」

「えっ、そんなことないですよ。ロビンハルトさんが動揺したのを見たって言ったじゃないですか。そうさせたのも見抜いたのもテオドラさんなんですから、すごいと思います」

「……そ、そうか」


 あ、照れてる。これくらいはあたしでも見抜けるよ。頬の耳に近いところが薄く染まってるのがそのサイン。

 さっきまでカッコよかったのに、今じゃこんなに可愛らしく思えてしまう。テオドラさんといるとあたしの心が休まる暇なんかないみたいだ。幸せな無休っていう概念もあるなんて異世界は広い。

 

 それよりも注目すべき新発見は、やはりロビンハルトさんが動揺したということ。何かあるのは間違いなさそうだ。

 少しだけ見えた心の奥。揺れ動いて広がったその隙間、あたしにはそこを突ける可能性がある。テオドラさんが認めてくれた干渉の力が。

 

 テオドラさんだけが頑張って苦労するなんておかしい。解決のために何かしたい。それはあたしの個人的な考えでしかない。

 だけど、それの何が悪い。あたしの抱える感情は、人目を気にする余裕がなくなるくらい鋭くまっすぐな代物なんだ。

 気にするのはただ一人、テオドラさんだけ。その大切な人の手助けができるとなれば、そんなのやるに決まってるじゃないか。

 

 今も照れが抜けないのか、視線を泳がせているテオドラさん。

 そんな表情を眺めていられる幸せを感じつつ、不思議と安らかな心持ちのままあたしは決意を固めたのだった。


 

 

 




「では行ってくる」

「行ってらっしゃい、テオドラさん」


 今日はいつもより早めにテオドラさんは会談へと出かけた。始まる前に関係各所への面通しを済ませておく目的と、もしロビンハルトさんが決められた時間よりも前に来たらそれだけ長く話せるという策略を兼ねた素晴らしい考えに基づく行動だ。さすがはテオドラさん。


「……よし」


 声に出して気を引き締める。テオドラさんの会談を成功させたいという意志。あたしだって手助けしたいんだ。

 認めてくれたあたしの能力――マインドを使って!

 

 胸に手を当てて、なんとなくのキメ顔とポーズを誰に見せるでもなく披露。

 ふむふむ、名前をつけるとなんだかしっくりくるじゃないか。心や精神を意味する英語、マインド。実にわかりやすくてセンスのある名前ですな。

 

 目を閉じてマインド、と心の中で呟くとスライムイメージちゃんも嬉しそうに震えている。さすがあたしの精神だけあって、感情もリンクしてるのかな。

 アニメや漫画で能力名を叫んでから発動するのを見るたびに無駄だとか相手にバレるじゃんと過去のあたしは突っ込んでいたけど、それは愚の骨頂ってやつだ。黙ってても発動できるし今までもそうだったけど、浪漫ってやつには勝てないのが人間って生き物なのだ。

 頼むよマインド。あたしも頑張るからさ。

 

 さて、いつまでもクネクネダンスをして自己満足に浸ってもいられない。

 テオドラさんから遅れること体感数分、あたしも部屋を後にした。後ろ手に閉めた扉から押し出された空気が髪を小さく揺らす。

 いざ出発だ!


 って、どこへ?


「んー……」

 

 早速壁にぶち当たったぞ。どこに行けばロビンハルトさんに会えるか全然考えてなかった。意気込んでいた気持ちが行き場をなくして瞬きを増やす。


 いや、止まってちゃダメだ。とりあえず歩こう。いつも予期せぬタイミングで現れるから、適当に庁内をうろつけばどこかでバッタリなんてことがあるかもしれない。

 しれないけど……確率は低そうだ。こういうのは会いたい時には会えないものだと相場が決まっている。何かこう、少しでも取っ掛かりになることがあればいいんだけど。

 

 自分でも難しい顔をしているなあ、なんてことを理解しながら当てもなく歩き回る。すれ違う役人っぽいお姉さんが横目で見てくるのも気付いているけど今はそれどころじゃない。

 こうしている時間がもどかしい。だけど焦ってもいいことないし……ホント空回りが得意だなあたしは。

 耳の近くに手をやって髪の毛をいじっていると、不意に気付いたことがあった。周囲を見渡してそれは確信へと変わる。

 

「ここって、前にロビンハルトさんと会ったところだ」


 そう。右手奥に伸びる廊下からあの日ロビンハルトさんはやって来た。立て板に水のごとく喋り倒したその言葉の内容も思い出す。

 あの時、彼はこの奥に自室があると言っていたじゃないか。

 

 多忙な人だ。今も自室にいる保証なんてどこにもない。だけど、ただうろつくよりも可能性は上がるはず。

 あたしは真っ直ぐ目的地へと歩を進めた。もう会談へ向かってすれ違いになったかもしれない。

 それでも、望みがあるなら賭けないといけないんだ。勝ちの確率が低くたって、ゼロじゃなければ張る価値がある。

 

「……ん?」


 早速、新たな関門が現れた。

 通路の前方、その傍らに兵士さんが立っているのだ。軽装鎧に長槍というあからさまな姿。きっと見張りだろう。要人の部屋があるとなれば当然のことじゃないか。

 もちろん対策や準備なんてものはない。なので兵士さんに止められても仕方ないとは思っていたんだけど。

 

「……」


 兵士さんは一瞥をくれただけで、それ以上何かをしようとする動きはなかった。多少のことには動じない精神を持つ守護者の鑑だね。

 いや、いいのかそれで。あたしとしては好都合ではあるけどさ。不審人物だったらどうするの。

 一応お辞儀はしておこう。あ、会釈を返してくれた。悪い人じゃなさそう。

 

 でも本当に通っていいのか色々と心配だったので、兵士さんの横を通り過ぎながらこっそりオーラを覗き見てみた。不動の姿は見せ掛けで実は警戒しているとかだったら、その色が見えてくるはず。

 杞憂と言うべきかなんなのか、兵士さんのオーラは安定そのものだった。完全にあたしを無害な存在だと思い込んでいる。もしかして、あたしが一応はゲストだってことを聞いているのかな。


 通っちゃダメってわけじゃないなら……いいよね。振り向いても兵士さんは追ってくるどころか微動だにしていない。

 プライベートエリアだからか、周囲は静かで人の気配もしない。廊下は一本道でいくつか扉が並んでいる。ショッピングモールの従業員通路にでも迷い込んだ気分だ。

 今更かもだけど、これ勝手に開けて覗いてもいいのかな。この中にロビンハルトさんの部屋があるかもしれないし。


 さて、どうする。

 あたしの取るべき選択肢は大きく分けて二つ。真っ直ぐ奥へと進むか、それとも扉を片っ端から開けていくか。

 具体的な部屋の場所がわからない以上、やっぱり適当にドアを当たっていくしかないか。ちょっと気が引けるけど……逃げるなあたし。

 

 意を決して近くの扉に手をかける。

 あっ、ノックとかした方が良かったかな……という心配はする必要がなかった。鍵がかかっていて開かなかったのだから。

 

 さて、出鼻をくじかれたぞ。

 ここまで来たら同じだろうってことで隣の扉もあけようとしたけど、得たものは施錠されたドアノブからの無慈悲な反動だけだった。ロビンハルトさんは防犯意識の高い人らしい。

 こうなったら、まずは奥まで進むべきか。せっかくここまで来たんだ。間取りくらいを把握してお土産にするくらいはやっておかないと。


「おや、そこにいるのは……」


 突然の声に振り向いてみれば、その瞬間あたしの目標は第一段階をクリアした。

 

「やはりミツナミ殿でしたか。こんなところでお会いするとはなんたる偶然。天の導きに感謝しなくてはなりませんな」


 通路の向こうではいつもの大仰な仕草と言葉を携えて、ロビンハルトさんが人好きのしそうな笑みを浮かべていた。

 ここまで来たら、もう後には引けない。引いてなんかやるもんか。




 




「いきなり来たりしてすみません」

「とんでもない。ミツナミ殿は大切な客人でございます。我が国に見られて恥ずかしいものなどありません」


 どこから出ているのかわからない自信に溢れる声が室内に響く。ここはミュージカル会場か。

 もちろんそんなことはなく、立ち話もなんだからと招かれた近くの小部屋にあたしたちはいる。簡単な椅子と机があるロビーのような間取り。応接室にしては簡素すぎるし予備室ってとこかな。あたしだったら物置にしているに違いない。

 

「でも、お忙しいでしょうし……テオドラさんとの会談に遅れてしまうのでは」

「ご心配なく。今日は他に予定もございませんし、始まるまでまだ時間はありますから」


 うん、知ってた。

 だからこそテオドラさんは早く出たわけだし。あたしがここに来なければ狙い通り会談の時間を長めに取れたんじゃないかと思うと、これって裏目に出たんじゃないかと気が気じゃない。

 けれどロビンハルトさんは逃がしてくれそうもない。背筋を伸ばして真っ直ぐ見つめてくる姿勢からは、隠しようのない興味が注がれているのがわかる。

 

 そしてもう一つ。あたしには筒抜けで丸見えの判断材料があった。

 肩パッドでも入ってるんじゃないかと思いたくなるほどに幅広い、首筋から続くライン――そこから滲み出るオーラがあたしへの関心を強く訴えている。別に面白いネタなんか持ってないんですけど。

 

 とにかく収穫はあった。

 ロビンハルトさんにあたしの能力は通用する。秘めた内面、このマインドで干渉できる可能性は十分ありそうだ。

 

「それでミツナミ殿、話というのはなんでしょうか?」

「えーっとですね……」


 濁した言葉は宙に溶け、沈黙が耳に突き刺さる。あたしたち以外誰もいないという状況のせいで喉は狭まり胃は重い。目線はどこに向けたらいいんだ相手の目なんか見られないぞ。

 なんとなく流した視線の先には穏やかなオーラの色。敵意や警戒心が全然感じられない。変なことを言っても一発でブチギレモードなんて事態にはならなそうだ。大丈夫だ。おそらく。


「その、テオドラさんとの会談はどうなってますか?」

「ご安心ください。少しずつではありますが着実に進めている最中でございます」


 ありきたりな質問に無難な答え。そんなことが聞きたいわけじゃない。本質はもっと先。

 

「なかなか時間が取れずにいるみたいですが……」

「確かにこちらの予定と都合で不自由させている部分もございます。ですが、焦らず慎重に事を運んでいる次第なのです」

「抱えてる仕事を他の人に回すとか、そういうことはしないんですか?」


 一瞬の間があった。

 天使が通るなんてほんわかしたものじゃない。鋼の糸をピンと張ったような音さえ聞こえそうな緊張に満ちた瞬間だ。

 

「……一つの案、ではありますな」


 その声色に変化はない。表情も穏やかそうな笑みのままだ。姿勢だってシャキッという効果音が似合いそうな状態を崩していない。

 けれどあたしは気付いた。この場を走り抜けた緊張感はもちろん、それを感じるきっかけになった揺らぎを。

 俯きながらも向けた視線の先、ロビンハルトさんの肩から滲むオーラは動揺の色に染まっていたのだ。

 やっぱりこの人、何かを隠している。


「ですが、実施できるかは別問題です。他の者も仕事を抱えておりますゆえ、手を回す余裕があるかどうか」

「本当に、そうなんですか?」


 オーラが揺れる。新たに滲んだ不安の色は、あたしの言葉が突き刺さった結果だと考えていいのか。

 

「ロビンハルトさんがなんでも自分でやろうとするから手が空いて仕方がない――偶然、そんな話を聞いてしまったんです」


 警戒の色が見え始める。それは初めて突きつけられた拒絶の証。

 だけど、まだほんのわずかな予兆程度だから止まる必要もない。逃げるなあたし。

 

「その人たちも仕事を回してほしいと言っていました。自分たちも国に貢献したいのにって。なら仕事の分配ができるじゃないですか。そうすればテオドラさんとの話だって順調に進んでそれで」

「どこで、そのような話を耳にされたのですか?」


 唐突に投げられた質問。

 オーラを見るまでもない。その声色は硬く低いものだった。

 

「客人であるミツナミ殿がいらっしゃる場所で、そのようなことを口にするとは――国に仕えているという意識が薄いと言わざるを得ないでしょう」


 まずいぞ。まさかマインド能力で意識を誘導しましたなんて言えるはずもないし、食堂で聞きましたなんてもってのほかだ。そんなところで公務に関することをベラベラ喋るなんて守秘義務がどうのこうのってことは簡単に想像できる。

 そう、できたはずなんだ。なのにあたしは。

 こんな流れは望んでいない。もっと違う方向に、どうか……っ!

 

「……ですが、そうまでさせてしまった責任はあるのかもしれません。叱責する立場ではありませんな」


 自己嫌悪の沼に沈みかけた時、その言葉は届いた。ぽつりと呟くような自戒は新たな変化を生み出す。

 見れば、ロビンハルトさんの表情は穏やかなものへと戻っていた。えっと……なんとか意識の誘導ができたの、かな?

 必死だったからまともに制御できてなかったと思うけど、結果オーライってことにしていいのかな。いいか、うん。

 

「あの、出しゃばったこと言ってすみませんでした。あたしなんて政治のこと何もわからない素人なのに」

「いいのです。客人に指摘されてしまうとは……そこまで視野が狭くなるほど抱えてしまったことを恥じるのはこちらの方です。それとも、ミツナミ殿がよほど鋭い観察眼をお持ちなのか……」

「いえいえそんなことは全然」

「ご謙遜を。あのテオドラ殿のそばにいらっしゃるというだけで只者ではないことなどわかっておりますとも」


 テオドラさんのそばに。

 そっか、そう見えるよねやっぱり。いや合ってるし間違ってないんだけど改めて第三者視点でそんなこと言われると照れるというかむず痒いというか心がいい具合にもにょもにょする。


「おっと、そろそろ時間が迫って参りました。ミツナミ殿、貴重なご意見をいただけたこと感謝致します」

「こちらこそありがとうございます。お忙しいのに時間を取らせてしまって」


 部屋を後にするロビンハルトさんを見送って、あたしは手応えを探っていた。自分にできることはやった、つもりではある。

 でも、あの様子を見ると悪くはない結果に転んだんじゃないかな……と考えたくもなる。

 

 どちらにしろ、あたしはやるべきことに取り組むだけだ。

 今しなくてはならないのは、部屋でテオドラさんの帰りを待つことだ。会談の進み具合がどうであろうと、それも含めてテオドラさんごと受け止めたい。

 

 もちろん精神的な意味で。

 肉体的な意味でも構わないし受付中だし大歓迎だけどね。

 よーし、張り切って待つぞー!




 




 遅い。

 いつもならとっくにテオドラさんが戻ってくる時間なのに、あたしは部屋に一人きりだ。お出迎えするぞと意気込んだ心の高ぶりをとこに持っていけばいいのか。

 もしかして……あたしが色々とやらかしたせいで何か悪い影響でもあったかな。どうしようテオドラさんに顔向けできないよ。

 

 部屋の外に繋がる扉の前でうろうろしてみる。よくわからない呻きを吐き捨てながら、しかめっ面をして壁に寄りかかったり首をゆらゆらさせたり。

 そんな落ち着きのないことをしていたので、前触れなく扉が開いた瞬間に驚きが限界まで跳ね上がってビクンとした全身が更に変な動きをしてしまった。

 

「今戻った……夏海?」

「ひゃうっ! ごごごめんなさいぃっ!」


 何に対して謝ったのかなんて自分でもはっきりしていない。

 漠然と抱えていた不安の種が、急激な驚愕という究極の肥料を得たせいで一気に開花したのが原因だ。そもそもこんな状態のあたしに冷静な思考を求められても無理な話に決まってる。

 

「帰りが遅いので、何かあったかなと思って、その何かはあたしのせいかもしれなくて!」

「そうなんだ、夏海聞いてくれ。会談が驚くほど順調に進んだんだ」

「えっ?」

「ああ、そんな顔をしてしまうのも当然だ。今までの牛歩が嘘のように事が運んでな。この調子なら近く再建に取り掛かれそうなんだ」

「えっ?」


 よく見るとテオドラさん、なんだか嬉しそうな顔をしているじゃないか。見ているだけで、こっちまで幸せになりそうというか実際なってる。テオドラさんがここまで喜びを表に出すのって珍しい。

 貴重で尊いそんな顔を見ていると、あたしの心が徐々に落ち着きを取り戻していく。いや、正しくは別のざわめきが胸の中に満ちて余計なあれこれが押し流されたと言うべきか。


 ともかく、テオドラさんの話を聞いて理解するだけの余裕は生まれた。


 その内容をまとめると、会談が今までとは比べ物にならないくらい進んだらしい。さっきテオドラさんが言ったことの繰り返しになるけど、それだけ重大な事実ってことだ。

 明確な建設計画とか予算とかをポンポン提示されて、なんで今まで出さなかったのか不思議だとも言っていた。

 もしかして、今日までその計画裏付けと根回しに奔走してたのかも……なんてことを思ったのはあたしの主観。


「ところで、夏海が何かしたようなことを言っていたが……」

「あう、それはその」


 どうしよう、言っていいものだろうか。

 そりゃ能力は自分の信じるように使えと言われたけども、なんかこう出すぎた真似をしたような気もするわけで。


 なんてことを戸惑っていたら、不意に襲い来る安らぎの感触。手を握られたのは見るまでもなくわかるけど、だけど。

 ちょっとそんなこと今の心境でやられたら、顔が、その、熱い。


「……また、夏海に助けられてしまったみたいだな。ありがとう」

「あ、あたしは別にそんなたいしたことは」

「でも、してくれたんだろう? 私はその気持ちが嬉しいんだ」

「……はい」


 プスプスとなんか変な色の煙が出そうな気分の真っ只中にいるあたし。実際それはオーラとして出ているのかもしれない。自分で自分の顔を見ることができなくて本当によかった。

 でも、テオドラさんからは見られている。正面で向き合っているんだから当然だ。


 そういうわけで逃げることにする。

 と言っても後退なんかしない。前進して距離を詰めることで、見つめ合い状態から解放されるという寸法だ。密着度合いが増えるのは弱点だったり利点だったりする。


「おめでとうございます、テオドラさん」


 そっと背中に手を回し、分け合った温もりを離さないよう抱き締める。

 気分の高揚に任せた後先考えない行動でしかない。それでも一応ゆっくり迫ったので避けようと思えばできたはず。


 なのにテオドラさんがそうしなかったのは、つまりそういうことだよね。なんだかテオドラさんが可愛く思えちゃう。きっと魅惑の香りに包まれたせいだ。悪くない。

 あ、テオドラさんも背中に手を回してくれた。ちゃんと抱き返してくれて嬉しくなっちゃう。なのでもっと密着する。実に合理的な理由だよね。


「会談がうまくいって、あたしも嬉しいです」

「ん……」


 交わした言葉はそれだけ。あとは互いの呼吸を確かめ合えばいい。

 会談が進んで本当によかった。あたしのやったことは無駄じゃなかったんだ。


 そして、無視できないほどに進んだもう一つの事柄。あたしの中で膨らむ感情は、名前をつけて認めろと切ない疼痛を引き連れて叫んでいる。


 今にも溢れそうなこの気持ち。

 人はそれを愛情や恋心と呼ぶのだろう。

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