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光浪夏海の異世界百合物語  作者: 虹月映
第五部  異国への旅立ち
58/85

第54話  膝枕の温もり

 都会だった。

 フリアジークを一言で表すならば、それが最も適した単語になるだろう。

 あたしの中では比較対象がラクスピリアしかないけど、そこよりも賑わっているし人が多いから間違ってはいないはず。


 さっきまでの自然風景を周囲に残しつつ、人工的な建物を密集させて栄えた城下町がそこにあった。山や丘といった高低差のある周辺とは違う地形には、洗練された建物が溢れながらも規則正しい街路が走る。

 パッと見た感じだけど、商店街のような下町情緒を覚えたラクスピリアよりも、いくらか近代的な空気を感じた。電車は通ってないけど主要ターミナル駅周辺みたいな……そもそもこの世界に電車はあるのだろうか。近くを見る限りそんなものはない。


 あちらをちらり、そちらもちらり。

 キョロキョロと忙しいあたしはまるで観光客だ。客引きが見たら絶好のカモになること請け合いだろう。

 そうならないのは、あたしの手を引いて守ってくれる人が隣にいるからだ。そよ風に揺れる黒のショートヘアがその凛々しさを浮き上がらせる。

 生まれ育った故郷とも言える国に来たわけだけど、テオドラさんに変わった様子はない。孤児院とか襲撃とか別次元みたいな話を聞いたからどうかなと思っていたので、少なくとも見てわかるくらい落ち込んでいないのがわかって一安心。


「このままフリアジークの中央庁へ向かおう。まずは到着の報告をしなくては」

「はいっ!」


 テオドラさんに手を引かれて道を行く。人前で手を繋ぐなんて! と慌てふためいていたのは過去のあたし。それくらいじゃ動じませんよ。

 それにほら、人が多いからはぐれると大変だもんね。初めて来る土地だし、慣れているテオドラさんについてく方がいいに決まってる。迷子になったら大変だ。

 なので、これは最高に効率的で頭脳的な行動なのである。テオドラさんの存在を強く感じられるのは、あくまでも副作用であってそれが目的ではないけどやっぱり手が温かいからもっとこうしていたい。



 


 

 


「ほぉー……」

 

 到着したフリアジークの中央庁。その大きさに思わず声が出た。

 都会的な風景に溶け込むオフィスビル、というのが第一印象。頂上まで見上げていたら首が痛くなるに違いないので、全景を拝めるのは遠くにいる時だけだった。

 

 そして、入口が近付くにつれて起こった変化がもう一つ。なぜかテオドラさんがソワソワし始めたのだ。なんとなくという雰囲気レベルだけど、繋いだ手からこれでもかってくらい感情が伝わってくる。

 一体どうしたんだろう、と横顔を窺っても考えが読めるはずもない。綺麗なほっぺだなあ、といつもあたしが考えてるレベルのことしかわからなかった。


 そのまま目が離せずにいたら、テオドラさんが一大決心したような顔になって行動を起こした。

 それは単純だけど重要な一手。

 テオドラさんが、繋いだ手を離したのだ。思わず落とした視線の先にあるのは、独りぼっちになったあたしの手。

 

「あっ……」


 薄れていく温もりを追うようにテオドラさんへ目線を戻す。

 そこには真剣な顔があった。迷いの欠片すら残していない、あたしの憧れる凛々しさに溢れた色彩。


 そうだ。ここからは相手の領域。空気を切り替えていかなければいけない。あたしも気を引き締めよう。テオドラさんとくっつくのは後のお楽しみだ。

 目前の中央庁を魔王の城とでも考えようか。もちろんそんなことはないに決まってるけど、これから大きなことに立ち向かうという点では似たようなものだろう。

 

 交わした視線は、同時の頷きを経て前に向けられる。

 フリアジークの本拠地へ、いざ行かん。

 おっ、入口の先にすぐ受付があるぞ。初陣はそこのお姉さん、あなたに決定!


「お待ちしておりました。テオドラ様と、ナツミ様ですね」

「……あっ、ひゃい」


 受付のお姉さんが放った先制パンチに、あたしの返事は風前の灯にすらなれず霧散した。


 小さ過ぎて誰の耳にも届いてない様子なのは幸か不幸か。判断できないほど硬直したあたしの前で、テオドラさんと受付さんが何事もなかったようにやり取りをしている。

 うん、変に意気込むのはやめよう。普通が一番。飾らないあたしでやってこうじゃないか。

 

「それではご案内致します。こちらへどうぞ」


 受付さんに続いて歩き出す。こんなにサービスがいい魔王城があってたまるか。

 いくら市街地が都会的でも、こんなところにまで近代化の波が押し寄せるなんてないない。


 もちろん、すべて冗談以下の戯言だ。石像が動いて襲ってくることも、玉座の裏に隠し階段があるはずもない。そもそも入口からすぐの場所に玉座なんてなかった。

 内装は役所ってだけあって、無難というか単調というか奇抜なものではない。一般的な会社のオフィスがこんな感じかも。変にゴテゴテしていない点は、どこかラクスピリアの中央庁に似ていてなんとなく親近感。


「こちらが滞在していただくお部屋でございます。どうぞ中へ」


 階層をいくつか移動して案内された先、短い廊下の突き当たりにその部屋はあった。雰囲気が違うことは到着する前に察した。

 さっき黒服ガードマンみたいなのとすれ違ったし、他に扉も見当たらない。あたしだって学習する。なんとなく、部屋の規模が想像できた。


 扉を開けてくれた案内係のお姉さんに会釈して入った部屋は、やはり想像とそう違ってはいなかった。

 見渡す限りという言葉が似合う広さは、港町で泊まった宿を思い出させてくる。しかもここはそれ以上に広く、部屋なんてリビングや寝室などを含めて全部で七室という具合だ。

 当然のように、それら一区画ごとが何畳かもわからないほどの広さだ。そりゃ同じフロアに他の部屋が作れないわけだよ。贅沢な設計だこと。


 こんなに部屋があっても使わないんじゃないだろうか。テオドラさんとあたしの二人しかいないんだから持て余すに決まってる。

 そもそもテオドラさんと離れるつもりないし……いや、また心配かけるようなことがないようにって意味で。


 そうだ、決して変な意味じゃない。ついベッドに視線が行くのも城だけにキングサイズなのかなと思っただけで、あれなら二人で並んで寝ても狭くないなと考えたわけじゃない。

 でもさ、ベッドが大きいということは隣にいるのに離れてるという状況にならないかな。手を伸ばせば届く距離なのか、ここからだと目算しにくい……ギリギリいけなくもないこともない?


「――となりますので、お部屋につきましてはご自由に使っていただければと思います。以上となりますが、何かご不明な点などはございますか?」

「いや、大丈夫だ。丁寧な説明、感謝する」


 どうやら、あたしがアレコレ妄想している間にお姉さんが部屋の説明をしていたらしい。

 テオドラさんが対応してくれたおかげで、あたしのみっともない姿は目に入っていなかったと信じたい。何を言っていたのかは後で確認しておこう。


「それでは失礼いたします。後ほど準備ができましたらご連絡致しますので、それまでどうぞおくつろぎください」


 深々と頭を下げて、案内お姉さんは去っていった。準備というのは会談のことかな。到着して時間が合えばすぐ話を進めたい、とテオドラさんが言っていたし。


「ふぅ、やっと落ち着けるな……夏海も楽にするといい」

「そうですね」


 持ちっぱなしだった荷物を置いて、肘掛けが外向きにクルリとなっているソファーに腰を下ろす。何かしらの羽毛が入っているのか、体が吸い込まれていくような座り心地。人をダメにするソファーって異世界にもあったみたい。

 テオドラさんも別室に荷物を置いて身軽になっていた。どこに座るのか気になって、つい目で追ってしまう。いつ隣に来てもいいように体を少しずらして場所を空けておこう。

 待てよ、それなら逆に狭い方が密着できていい感じなのでは。このソファーやけに幅があるし……よし、このまま待機だ。テオドラさん、いつでもどうぞ。


 あまりガン見しても不自然なので、横目でチラチラ様子を窺う。どうやら部屋の設備を確認しているようだ。これだけ広いと何がどこにあるか先に知っておかないと大変だもんね。

 あ、目が合った……と思ったらこっちに向かってくるじゃないか。ぶつかった視線は外せずに絡め取られ、だんだんと距離が近くなっていく。

 

「隣……いいか?」

「は、はい」


 よし、我ながら自然な返事だ。一瞬言葉に詰まったのも普段通り、何も変なところはない。ないったらない。

 二人分の体重を受け止めてもソファーはびくともしない。揺れそうなあたしの心とは大違いだ。

 柔軟になれあたし。二人きりの静かな空間だからって変に意識することないぞ。テオドラさんの座った位置が微妙に離れているのも特に意味はないぞ。


「はぁ……」


 右側から聞こえてきた溜息はテオドラさんからで、かすかな空気振動を残して溶けていった。長いようで短い旅も一段落したわけだし一息つきたくもなるだろう。

 きっと、またすぐに忙しくなる。それまでに少しでも体を休めてほしい。そのためなら、あたしは。

 

「お疲れですか?」

「いや、そういうわけではないのだが……」


 なんだろう、歯切れが悪い。

 あっ、もしかして中央庁の入口で気を引き締めたことが関係してるのかな。まだまだ気が抜けないぞって考えて素直に休めない、とかあり得るかも。

 ここはあたしの出番だ。束の間に訪れた休息をじっくり味わってもらいたい。そのためにできることがあるなら、あたしはどこまでも突き進む。


「テオドラさん」


 呼びかける顔はテオドラさんに向けながら、腿から膝にかけて素早く手を払う。森歩きのお供としてあたしの両脚を包んでくれた旅行用ズボンの感触は悪くない。

 スカートではないけど、果たしてそれはどう転ぶのか。生脚の方が触れ合いのパーセンテージがどうのこうのとあるかもしれないけど、難度も比例して上昇するから今のあたしでは届かない。


 だから今は、こうして届く範囲に手を伸ばす。

 身近で、とても大切な人に触れたくて。


「その……どうぞ」


 軽く腿を叩いてそう告げた。何がどうぞなのかと具体的に言ったら熱暴走して空回りしそうなので行動で示してみたけど、言わんとしていることは伝わっただろうか。

 テオドラさんはあたしの顔と膝を交互に見たかと思えば、数回瞬きして目元を揺らしている。察してくれたかな。

 

「な、夏海……何を突然」


 たぶん考えを読み取ってくれたみたい。頬を薄く染めて戸惑う姿、なんだかずっと見ていたくなる。

 でもそれだと先に進まないので、もう一度そっと自分の腿を叩いてみた。ぽふ、と気の抜けたような音が部屋に響く。

 

「……それは、そういうことなのか?」

「はい、寝心地はあまり良くないかもしれませんけど」

「そんなことはないだろう、夏海の脚なんだから」

「どうでしょうね……確かめてみますか?」


 それ以上の返事はなかった。その代わり、テオドラさんの体がゆっくりと近付いてくる。

 まずは繋がった視線を辿るように顔が急接近。不安が滲んだようなテオドラさんの瞳に向けて、あたしも負けないくらいの勇気を込めて頷いた。

 

 そこからは幻想的な光景が目前に広がった。

 近付いていたテオドラさんの顔はゆっくりと下りていき、あたしの腿という枕にその重みを委ねてくれたのだ。

 見下ろす先にはテオドラさんの側頭部があり、髪の隙間から魅惑の耳がチラリと覗いている。薄桃色に染まったそこは精巧な水晶細工のようで、触れてみたい衝動が胸の奥から溢れて頭のてっぺんから噴き出しそうだ。

 

 テオドラさんの顔は、あたしと反対側に向けられている。もしこれが逆向きであたしの方に向いていたら、きっとあたしは冷静じゃいられなくなる。そのままお腹に顔をうずめられたら……。

 と、妄想はここまでにしておこう。少なくとも今のあたしにはそれくらいの余裕がある。このまま固まっていてもしょうがないぞ。


 膝枕の心得はバルトロメアが何度もノロケという形で話してくれた。する方もされる方も両方安らげるよ、という言葉の意味を今あたしは身を持って実感中である。

 でも、これじゃ不十分。あたしの両手がお留守になっているじゃないか。行き着くべき場所はすぐ近くにある。

 

 そして、思わぬ壁もまた目の前にあった。右手と左手、どちらを動かすべきかという問題だ。

 

 右手となれば、位置的にテオドラさんの肩とか腕を目指すことになるだろう。いつもは頼もしく見える姿が、こうしてあたしの手に収まる距離にある。なんだか触れたら壊れそうで、手を伸ばしていいのか迷ってしまう。

 なら左手はどうかと言われれば、その行き先はテオドラさんの頭しかないわけで、あたしなんかがテオドラさんの頭を撫でていいのだろうかと迷ってしまう。

 

 どちらにしても迷路が入り組んで抜けられそうにない。まともに正面から挑んでも堂々巡りになってしまうのが目に見えている。

 ならばここでワイルドカード。どちらか片方を選ぼうと迷うなら、いっそ両方選べばいい。ここで両利きを活用しなくていつするんだ。


 ゆっくり迫るとなんだか妙な気分になってしまいそうなので、あくまで自然な動きを装って手を伸ばす。我ながらぎこちない動作だな、と他人事のように両手がテオドラさんに近付いていく。

 背後からの手にテオドラさんは気付いていないようだ。どうかそのままじっとしていてくださいね。もう少し、もう少しだけ。

 

「……」

 

 すっ、という音もなく。

 両手が同時に目的地に触れた。


 瞬間、指先から途方もない熱が神経を逆流してあたしの脳髄を貫いた。静電気に似ている感覚だけど決定的に違うのは、手を離してしまうことがなく吸い寄せられてしまうことだ。震えなんてとうに消えている。

 触れた手に反応したのだろう。テオドラさんが横目であたしを見上げてくる。でもすぐに目線を戻して何も言わずにいる。つまり少なくともダメじゃないってことだよね。きっとそうだ。

 

 そうだよね?

 なら、手を動かしてもいいよね?

 

 テオドラさんの頭を撫でるなんて滅多にできることじゃない。手を置くだけで髪のさらさら具合がわかるんだから、指の間にもそれを感じたらどうなるのか……怖さと期待が混ざり合う。

 思い切って、頭の丸みに沿って手を滑らせてみた。

 

「……は、あっ」


 熱っぽい吐息はどちらの口からこぼれたものか。

 それすらわからなくさせるほど、テオドラさんの髪は危険な触り心地を帯びていた。夜の闇より深い黒は、これ以上進んだら戻れない迷宮にあたしを誘い込もうとしている。

 

 肩から腕に滑らせた右手も同じようなことだった。服越しとはいえ体の線が指先に感じられて、強くテオドラさんの存在を意識してしまう。

 このまま腕をなぞり落ちて、その先にある柔らかな手に指を絡め取られたい欲望が、気付いたら血流に乗って全身に満ちていた。

 

 膝枕は危険な行為だった。

 こんなことを毎日のようにしているらしいバルトロメアは、一体どんな人生経験を積んできたのだろうか。確かに安らげる部分はあるけど、それ以上に心の奥底に秘めた感情を炙り出す火力が強くてたまらない。

 いつかあたしも膝枕をしたりされたりするのが当たり前になるのだろうか。その相手がテオドラさんであることを願うばかりなんだけど、まずはこの状況をなんとかするのが先だ。

 

「……ど、どうですか? 寝心地は」


 空気を変えようと、カラカラに乾いた喉から言葉を絞り出す。少しでも潤そうと生唾を飲み込もうにも、それすら出てこないってどういうことだ。

 

「……いいな。とてもいい」


 呟くような声に、あたしは何もかもが救われたような幸福感を味わった。

 

「だが、どうして急に……その、こんなことを」

「さっき、溜息をついてましたよね。疲れてないとは言ってましたけど、あたしにはそうは見えなくて……それで、少しでも休んでもらえたらと思いまして、その、こんなことを」

「そうか……だが、あれは本当に疲れていたわけじゃないんだ」

「えっ」


 それじゃあ、この膝枕は一体。

 んー……まあ、いいや。別に悪いことをしたわけじゃない。幸せなのはいいことだよね。

 

「先程の案内係も話していたが、フリアジークの外交担当のことで考え事をしていてな」


 あっ、お姉さんの話を聞いてなかった弊害がここに。いや、害はないか。

 えーっと、リマドさんもその人について話をしてたよね。名前は確か……。

 

「ロビンハルトさん、でしたっけ?」

「ああ。私達の到着予定時刻は事前に伝えていたのだが、席を外しているようでな。戻り次第連絡が来ると言うが、いつになることやら」


 よし、合ってた。けどそんなのどうでもいい問題だぞこれは。テオドラさんが溜息ついちゃうくらいなんだから。

 向こうも忙しくて予定があるんだろうけど、それはテオドラさんだって同じこと。焦ることないですよ、なんてあたしが言うべき言葉じゃないし今の状況にふさわしくもない。

 あたしにできることといえば、テオドラさんの好ましいように事態が動くのを願うくらいだ。

 それと膝枕とか、そういうの。


「……だが、こうしていられる時間ができたと考えれば悪くないな」

「……そう、ですね」


 両手が熱い。

 何もしていないのに痺れるようで、手汗とか大丈夫だろうかと心配になる。だけど、確認するには手を離す必要があるわけで、そんなことする気にはなれない。

 どうしようかと迷いながら不意に動いた左指がテオドラさんの髪を払って、その奥から美術品みたいな耳が全貌を現した。どんな季節の花よりも可憐に色付いたテオドラさんの右耳に息を吹きかけたらどうなるんだろう。

 いつの間にか悩みは消え、あたしの脳内は人に見せられない妄想を展開するのに忙しくなっていた。

 

「なんだか……このまま眠ってしまいそうだ」

「いいですよ、寝ちゃっても。何かあったら起こしてあげますから……」


 眼下の耳に向かって、囁くように告げる。どうしてなんの変哲もない耳のはずなのに、こんなに視線が引き寄せられるのだろうか。

 答えが出るはずもなく、強欲なあたしは更なる陶酔を求めてしまう。テオドラさんの肩に置いていた右手を動かして二の腕を滑り落ちる。肘を通過して手首の寸前までを、ゆっくり反応を窺いながら進んでいった。


 テオドラさんは少しだけくすぐったそうに身じろぎしたけど、払い除けるようなことはしなかった。それどころか、まるで受け入れるかのように伏せていた掌を返してあたしに向けている。

 手の止め方さえ今ではわからない。吸い寄せられて繋がれた手に加わる力加減が絶妙だということならわかる。右手同士を繋ぐのはなんだか珍しくて、もっとこの感覚を味わい続けたいという願いがあたしの吐息を染め上げていった。


 なんとなく手を繋ぎ直す。力の入れ方を加減したり、位置を変えたりといった微調整。

 動きがわずかでも反動は膨大で、膝枕をしているあたしの方が眠ってしまいそうにすらなる。テオドラさんの手ってこんなに温かかったっけ……?


 気を抜けば意識が飛んでしまいそうな夢見心地の中、もう片方の手が自己主張を始めた。テオドラさんの頭に置かれた左手が、もっと撫でたいぞと騒ぎ立てる。

 あの甘い触感をもう一度味わうのはとても魅力的だ。でも、これ以上の心を沸騰させる行為は不可逆な何かをあたし自身に刻み付けそうな予感もする。

 既に戻れない場所に踏み込んでいる気もするけど、それ以上の話だ。それはきっと、理性という概念がどうにかなることを意味するのだろう。


 でも手は止まってくれなくて、テオドラさんの頭を撫でてしまう。ああ、やっぱり髪の質感は最高だ。どんな伝統を誇る織物だってこれ以上の触り心地を出すことなんてできない。

 テオドラさん、じっとしてる……本当に寝ちゃったのかな。それならもっとこうしててもいいよね。もうあたしの中にブレーキって言葉は存在しないんだから。

 

 と思ってたらいきなりジリリリ! と大きな音が鳴り響いたのでテオドラさんとあたしは一緒になって体を跳ねさせてしまった。

 

 なんだなんだとキョロキョロしたら、すぐに発生源が見つかった。部屋の隅にある機械がリンリンと鳴っているのだ。確か魔法通信機だっけ。魔力が込められていて遠くの人と会話ができる、あたしの世界で言うところの電話ってやつだ。

 

「わわ私が出よう」

「おおお願いします」


 唐突に空気を崩されて顔は真っ赤に染まり、俯いたままでないと喋れなかった。テオドラさんもなぜかこっちを見ずに早口で言いながら身なりを整えている。別に誰か来たわけじゃないから慌てる必要なんかないんだけどね。

 急速に頭が冷えていく。両手を眺めても、そこにテオドラさんの体はない。

 てか、あたしは何をやっているんだ。思い返したらめっちゃ恥ずかしくなってきた。なんだよ頭を撫でるって調子乗ってる生意気な娘だとか思われたらどうしよう。


 テオドラさんの様子が気になって仕方ない。背中をチラチラ見ていると、ちらほら言葉が聞こえてくる。そうか、わかった、ではすぐに、とかなんとか。

 あたしとしては少し待ってほしい。どんな顔をしてテオドラさんと向き合えばいいのか考える時間をくれませんか。

 

「夏海、ロビンハルトが間もなく戻るそうだ。先程の者が迎えに来るから、それまでに準備をしておこう」

「わ、わかりました」


 どうやらそんな時間はないらしい。見ればテオドラさんはもう意識を切り替えたような顔になっていた。甘い感覚を引きずっているのはあたしだけみたいで、恥ずかしさの中に少しだけ寂しさを感じる。

 

「あの……あたしも行っていいんですか? 大事なお話をするならお邪魔かなぁ、なんて」

「今日は顔合わせをする程度だ。会議の同席が無理でも、今は夏海も一緒に来てほしい。邪魔なものか」


 必要とされている。

 それがどんな形であれ嬉しいことに変わりはない。テオドラさんが求めるなら応じたい。

 

「夏海」

「……なんですか?」

「あの続きはまた後でも……いいか?」

「っ、はい!」


 唐突な囁きが全身に浸透すると、寂しさなんて一瞬でどこかに飛んでいって跡形もない。

 あたしは単純な人間なのだということを再認識させられてしまった。別に問題はないからいいってことで。



 


 

 

 

「それでは、今しばらくお待ちください」


 定型文を残して案内のお姉さんは去っていった。あたしとテオドラさんは円卓に沿って並ぶ椅子に並んで腰掛ける。

 入口の扉にも書いてあったけど、ここは会議室のようだ。これから例の遅れがち外交官のロビンハルトさんが来るらしいけど、本当なら向こうが先に待っているべきじゃないのかな。ここじゃ待たされて時間を持て余しても膝枕ができないじゃないか。


 頭の中でまだ見ぬロビンハルトさんに減点をバンバン食らわせているあたしの意識は、コンコンというノック音でこちら側に呼び戻された。

 扉が開き、姿を見せた長身の男は開口一番に早口でまくし立てた。


「いやいや、お待たせして申し訳ない。すぐにでも駆けつけたかったのですが降りかかる事態は紆余曲折で四苦八苦。議題が膨らんでいく会談は長引くしてそうなったようなもので」


 気取ったような高めの声を引き連れて、すらっとした体躯が室内に滑り込んでくる。

 この人がロビンハルトさんか。過剰なほど開いて曲線を描く襟に、クラゲみたいなヒラヒラが装飾された肩。高貴な雰囲気だけど、なんだか礼服よりは軍服って感じがする。国が違えば外交官の色も違うってことなのかな。


「ロビンハルト殿、ご無沙汰しております」

「相変わらず麗しいですね、テオドラ殿。お会いできて光栄に思います」


 立ち上がったテオドラさんに合わせてあたしも椅子から離れたその時には、もう二人が握手していた。相手は白い手袋をしているようだけど、だからなんだ直接じゃなきゃいいってわけじゃないぞ。

 

 その部分を見ているのがなんだか嫌で、どんな奴だと視線を上げてロビンハルト氏の顔を眺める。

 彫りが深くて鼻が高い。金色の瞳が人好きするであろう笑みを湛えている。グレーの髪は肩手前でカールさせており、ジェルか何かで固めているのか崩れる様子がない。不動のヘアスタイルを見ていると、額縁に収まったどこかの音楽家を思い出してくる。


 はっきり言えばカッコいい部類に入る面構えだった。加えて全身をぴっちり包む絢爛な服もポイントアップの一端になるんだろう。左の襟元に光る、何かの花をあしらったブローチも同じだ。あたしにとっては全部が逆効果だけど。

 興味ないながらも露骨に見過ぎただろうか。貴族風イケメンと目が合ってしまった。貼り付けた笑みのように思ってしまうのはフィルターかけすぎかな。


「ほほう……こちらが噂の異世界から来た客人ですか。世界が違っても女性の美しさは不変だと証明するかのようなお姿。神の御業を目の当たりにしている心地です」


 なんだろう。言葉は丁寧なのに、どこか慇懃無礼な雰囲気を感じてしまう。芝居がかった声色とセリフもそれに拍車をかける。

 以上、外見と発言から判断してみる。この人は性格が軽い方に分類されるだろう。言うなれば、あまり良くない意味で眩しい人だ。

 近付かないで済むならそれがいいんだけど、たぶんそうも言っていられない。さあどうするあたし。

 

 なんてことを思っていると、テオドラさんから離した手を大仰な仕草で下ろしながら挨拶を投げてくる。

 やっと手を離してくれた。大切なのはそれだけで他のことは正直どうでもいい。


「お初にお目にかかります。我が名はロビンハルト・コールマン。偉大なる祖国、フリアジークにこの身を捧げる外交官でございます。どうぞ末永くお見知り置きを」

「……どうも、光浪夏海です。よろしくお願いします」


 なので、返事はあっさり風味にしておいた。気のきいた言葉も出てこないし。

 それよりこいつは苦手なタイプだ、とあたしの直感がけたたましく警戒警報を発令している。なんとなく相容れない空気があるというか、住む世界が違うというか。いや実際違うんだけどさ。

 

「ふむ、ミツナミ殿。どうぞこのフリアジークを余すところなく見聞なさってください。いかに素晴らしい発展を成してきたか、その軌跡を持ち帰り、ラクスピリアの方々に広く伝えてくだされば」

「お待ちください。ロビンハルト殿、夏海は外交担当の人間ではございません。その辺りにしていただけますか」


 熱弁するロビンハルトさんとタジタジになるあたしの間に、テオドラさんが半身を割り込ませて守ってくれる。視界いっぱいに広がるテオドラさんの背中、頼もしいしなんかいい匂いがする。

 待てあたし、嬉しいのはわかるけど頬を緩めるな。二人きりじゃないんだぞ。無心無心。


「これは失礼。異世界人と会うのは初めてなもので、少々気分が高ぶってしまったようです」


 慇懃な苦笑で誤魔化して居住まいを正すロビンハルトさん。襟元を直す仕草が妙に似合って見えるから憎らしい。

 本当にこの人は頼りになるんだろうか。時間にルーズってだけで首を傾げたくなるんだけど。

 観察して確かめようにも気が進まない。でもそのまま決め付けるのもなんだかなあ。うーむ、どうすればいいのか。

 

 堂々巡りの思考迷路を歩いているうちに、二人は何やら話を進めている。内容は簡単な確認程度で、すぐにロビンハルトさんが話を切り上げた。

 

「おっと、もうこんな時間ですか。これから顔を出さなければならない懇談会がありまして……続きはまた後日、話を詰めてまいりましょう」

「相変わらずお忙しいようですね」

「なに、これくらい大したことではございません。それではこれにて失礼いたします。お二人がフリアジークで過ごす日々に幸多からんことを……」


 二度目だけど見慣れない大仰な礼を披露して、ロビンハルトさんは会議室から去っていった。

 なんだか想像よりあっけなく終わったなあ。初日であたしがいるとはいえ、もう少し深い話の入口くらいは触れても良かったんじゃないか。

 他にもやることがあるのはわかってるけど、テオドラさんを優先してくれと思うくらいはいいよね。内心プンスカですよあたしは。

 

「部屋に戻ろう。明日からの計画を練りたい」


 そんな心情は、テオドラさんの仕事モードになった顔で溶けていく。鋭ささえ感じる視線でロビンハルトさんが去った扉を見据えている。そんなの見てないであたしを見てほしいんですけど。

 

「えっと、あたしに手伝えることは……」

「そうだな……では、私が手を抜かないよう隣で見張ってくれるか?」


 その表情が、ふと柔らかくなってあたしに向けられる。滲み出るような包容力を感じる視線を受けるのが、あたしは弱い。つまりテオドラさんに見つめられること自体が弱点ということだ。


「そんなことでいいのなら」


 あたしは一歩、テオドラさんに近付く。

 テオドラさんは嬉しそうに微笑んで頷く。


 それだけで意思の疎通はおしまい。あとは部屋に戻って実行するだけだ。


「あと、膝枕の続きもご希望でしたらいつでも」

「……そうだな」


 ここから先の時間は、あたし達だけの秘密。

 二人だけの空間に第三者の目なんて入り込む隙間があるわけない。

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