第48話 絶体絶命の窮地
「――それで、セレナを探しに旅立った私は最初にこの町へ立ち寄ったんだ」
「じゃあ思い出の場所なんですね! それで次はどこへ向かったんですか?」
「情報を集めるため、セレナの通った道を辿って――」
しばらくして気持ちを落ち着けたあたしは、テオドラさんとそんな話をしていた。
まだ多少は心の揺らぎが残っているけど、このままじゃダメだとなけなしの気力を振り絞った結果だ。
テオドラさんの昔話を聞いていると、どんどん新しいことが知れてワクワクする。もっと、もっと知りたいと心の中で尻尾をブンブン振っている気分。
話を聞きながら机の地図を眺め、その道筋を目で辿る。テオドラさんはこの港町を出た後はフリアジークへ向かったらしい。これからあたしたちが進むルートと同じだ。
「……ん?」
改めて地図を見ると、ふと気になることがあった。ちょうど話がいい感じで区切りがついたので、それを何気なく口にしてみる。
「フリアジークって、この地図だとそんなに離れてないように見えますね」
「そうだな。その気になれば二日以内で到着できるだろう」
「……もしかして、あたし足引っ張っちゃってます? あたしがいるせいで余計な日数かかったり」
「そんなことないさ。その気に、と言うのは休みなく夜通しで旅を強行した場合だ。そんなことは私一人でもしないよ。そう教えられてきたんだ……」
「それって、セレナさんからですか?」
「ああ。セレナの教えを破るわけにはいかないからな」
テオドラさんの言葉から固い決意を感じる。そんなに尊敬できる人がいるってのは素晴らしいことなんだけど……。
なぜだろう。なんだか心の奥がスッキリしない。テオドラさんについて知るたび嬉しくなるはずなのに、セレナさんのことを語る姿を見ると気持ちがざわつく。
なんだこれ。どうしたあたし。
まあ……とにかくあたしがお邪魔虫ってわけじゃないみたいでよかった。それでいいじゃないか。
「ま、まあ……別に時間がかかっても、私としては構わないんだがな」
「そうなんですか? もし予定に遅れるようなことがあったらいけないと思うんですけど」
「確かにそうなんだが……夏海との時間も大切にしたいんだ」
「えっ」
「仕事は大切だ。セレナのことも重要だ。けれど、今こうして夏海と一緒にいる時間は……何よりも貴重だ」
「あ、ありがとう……ございまひゅ」
小細工なしの直球に、言葉も喋れないくらいテンパった。見ればテオドラさんも目を潤ませて頬を染めている。
位置関係は当然のように隣同士だから、お互いが何をどうしているのかが筒抜けだ。接近戦の長所と短所を一気に体験させられる。
そんなに照れるなら言わなければいいのに……と考えるあたしと、言ってくれたことに嬉しさを感じるあたし。二人のあたしが頭の中でわちゃわちゃ喧嘩して騒がしい。
一度にいくつもの渦が体内を駆け巡ってどうにかなりそうだ。既になっちゃってるかもなんだけど。
一旦落ち着け。なんとか場の空気を変える絶好の材料はないだろうか。思案するあたしを、別に変える必要なんてないだろと考えるあたしが小突いている。喧嘩はやめなさい。
自分で自分を窘めるという割と珍しいことをしながら泳がせた視線が、机に置かれた地図の一点を捉えた。
そうだ、前にも少し話には出ていたけど深く聞いてはいなかったことがあるじゃないか。
「あの、テオドラさん。これから向かう先なんですけど……森がありますよね」
「ああ、明日そこを通る予定だが、何か気になるか?」
さすがテオドラさん。仕事に関するっぽい話になるとすぐに気持ちを切り替えてくれる。
そういうところがカッコいいんだけど、テオドラさんは気付いてないんだろうなあ。そこがまた魅力だということも。
「結構広い森みたいなので、大丈夫かなーと思いまして」
「心配する必要はない。何度も通っている森だから勝手は知っている。確かに広いが道は作られているし、途中に村もある。そこで宿を取ることになって――」
ふと、テオドラさんがそこで言葉を切った。何が起こったのだろうか、と理由が浮かばないあたしは首を傾げるしかない。
「どうかしましたか?」
「ああ、そういえば詳しい話をしていなかったなと思ってな」
「話って、その村に何か?」
「大したことではないんだ。ただ夏海には話しておくべきかと――」
今度のぶつ切りはテオドラさんのせいではない。もちろんあたしでもない。
では原因は何か。それは部屋に響いたノックの音だった。
「失礼致します。テオドラ様、お部屋にいらっしゃいますか。少々お話があるのですが」
「女将……? 一体なんの用だ」
テオドラさんが、ちらりとあたしの顔を窺う。話が途中で遮られたことを気にしているのだろうか。
「待ってますので、どうぞ行ってきてください」
「……そうか、すまない」
ノックの方へ向かうテオドラさんの顔が、どこか名残惜しさを漂わせていたのは気のせいだろうか。
それとも、あたしがそう感じていた故の錯覚か。早く戻ってこないかな。
それにしても一体なんの用事だろう。食事の時間にはまだ早いし、女将さんが言っていた話ってのも気になる。
入口の方から話し声が聞こえる。けれど詳細な内容はわからない。だからって聞き耳を立てるのは憚られる。
どうしようもないもどかしさを抑えられず、意味もなく部屋中を歩き回る。この部屋ってこんなに広かったっけ。テオドラさんと一緒なら気にならなかったのに。
「……夏海、何をしているんだ?」
いつの間にかテオドラさんが戻っていた。気付かずにウロウロしていたあたしの姿はバッチリ見られていたというわけだ。
「あっ、いえ別に。女将さんの方はもういいんですか?」
「そのことなんだが――」
――――
波の音が近くで聞こえる。昇りきった太陽が少しずつ落ちていく時間だが、気温はまだ心地良い。
振り返れば、さっきまでいた旅館が見える。中を知ってから改めて見ると、その豪華さもまた違う味があるように思えた。
「本当に申し訳ない。すぐに済ませるから、それまで待っていてくれないか」
テオドラさんの声が思い出される。申し訳なさそうに告げるその姿まで克明だ。
話を聞いてみると、あの宿にとある国の要人が泊まっているらしい。そのお偉いさんがロビーであたしたちを見かけ、テオドラさんにぜひ挨拶がしたいと女将さんに申し出があったのだ。
どうしても無視できない立場の人間らしく、それでなくても国同士の付き合いがあるから断れるはずもない。テオドラさんが苦悩の表情を見せる必要だってない。
「気にしないでください。待ってる間、その辺を観光がてら歩いてきますから。海でも眺めてれば退屈しないでしょうし」
だからテオドラさんもごゆっくり……とその背中を押した。あたしと国際問題を天秤にかけるなんて前提から間違っている。
「そうか……だが、すぐに戻るからな」
それでもテオドラさんは渋々といった様子だったけど、最終的にはどこぞのお偉いさんとの会合へ向かっていった。
もちろんあたしは笑顔で見送った……つもりだ。一応テオドラさんの前では繕っていたけれど、こうして一人になると隠せないしその必要もない。
「はぁ……どうしよっかなあ」
そんなことがあって、あたしは今こうして海沿いの道を歩いている。仕事という体裁はあるけれど、せっかくラクスピリアの外に出たんだから旅行気分くらい味わったっていいだろう。
というわけで、まずは道の端にある適当な手すりに体を預けて海を眺めてみた。ここの下は砂浜がなく直接波が石壁に当たっているようで、また違う波音を届けてくれる。
これから夕焼けに色を変えるであろう日差しは髪を揺らす潮風と混ざり合い、心地良い空気を存分に演出してくれる。海上に何か面白いものがあるわけじゃないのに、このままずっと眺めていたくなる気分だ。
だからって素直にそうするわけがない。港町なんて場所、都会のコンクリートジャングルで育ったあたしにとっては珍しい場所でしかない。それにここは異世界。隅々まで見たくなるのが常ってやつだ。
海を横目に見ながら、どこを目指すわけでもなく歩みを進める。なんてことない建物に見えても、あたしにとっては興味の対象だ。たとえばあそこ、観光客向けの土産物屋ってところだろうか。ちょっと覗いてみるのもいいかも。
左には海、右には旅館街、そこから視線を上げれば山の緑。カメラでも持っていたら、写真家気分までも味わおうとしていたかもしれない。そして撮影された写真たちは数日間だけちやほやされて、あとはデータの海の中……たまに見るかもしれないけど。
「ふぅ……海はいいねえ」
不意にそんなことを呟いてしまう。旅行テンションってやつだろうか。
無理もない。こんなに広くて大きい海はなかなか見られるものじゃない。だから少しくらいはしゃいだっていいじゃないか。今は一人なんだから好きにさせてよ。
あそこにあるのは漁船かな。漁師っぽい人たちが網を整備してる。あっちは他にも船が多いし港なんだろうな。桟橋がいくつもあるし。
反対側に目をやると、砂浜が向こうに伸びている。観光地の役割もあるせいか、海水浴客がちらほらと見える。思ったよりもまばらなのは太陽が傾きつつあるからだろう。こんな時間まで泳ぐのは物好きくらいだ。
そうしてしばらく気ままなウォーキングを続けるあたし。
気付くと町の入口付近まで来ていた。テオドラさんと一緒にここへ立ったのが思い出される。
相変わらずここは静かで居心地がいい。さっきは時間がなかったけど今は状況が違う。隅々まで目に焼き付けておこうじゃないか。
砂浜に繋がる道の上から、ぼんやりと遠景を眺めてみる。遠く水平線に太陽が沈みゆく様子は絵になりそうな芸術性を感じる。美術の成績はイマイチだったけど、それくらいの感性はあるつもり。
あいにく風景を切り取る道具なんて持ってないので、目に焼き付けておくだけにしよう。あまり見続けてると本当に焼き付いて目を閉じても残像が映っちゃうようになりそうなので、適当なところで切り上げる。
あとは海なんだけど……水遊びするキャラじゃないし、そもそも水着ないし。じゃあ砂のお城でも作るかといえばそうでもない。砂が爪や髪や靴の中などに入ったらどうなるかは想像したくもない。
「こっちは何があるのかな……」
まだ夕食の時間には微妙だろうし、もっと奥の方へ行ってみる。マッピングの楽しさは空想世界だけの話じゃない。
しばらく進むと、こういうところにありがちな倉庫が立ち並ぶ一角に出た。レンガと思われるブロックで組み上げられたそれらは、ドラマのロケ地にぴったりだなと思った。
ここに掘り出し物のお宝があったりしそうだ。この中にある倉庫のどこかに地下室があってクリアに必須のアイテムが宝箱で眠っている、というのはゲームの定番だよね。
……そろそろお話も終わったころかな。テオドラさん、何してるんだろう。夕焼けに照らされて、ふと我に返る。
会いたいな、と思った時にはもう足が旅館の方へ向いていた。一度、いや今ここに来たのを含めれば二度通った道だ。迷う要素がない。浮かんでしまった想いに乗って、歩く速度はどんどん増していく。
「んでよ、アレの用意は――」
それなのに歩みが鈍ったのは、野太い声が聞こえたからだ。出所は横手にある倉庫の一角みたい。
「焦るなって――は逃げたりなんか――」
さっきとは別の声。少し高めだけれど、こちらも男。
距離があるせいか、すべては聞き取れない。けれど、何やら普通じゃない雰囲気だけは感じられる。
ごくり、と生唾が喉を鳴らす。
当然、こんな会話は無視してまっすぐ帰った方がいいに決まってる。
それでもあたしの足が声の方に近付いた理由は単純で簡素。好奇心の三文字だ。
足音を立てないように、ゆっくりと声の方へと近付く。
「でも待ちきれねえよ。品質の保証はあるんだろうな?」
接近したおかげで、会話の内容が明確に聞き取れる。何をそんなに楽しみにしているんだろう。
「もちろんだ。今回はとびきりの上物が揃ってるらしいぜ」
「そりゃ楽しみだ。久々に絶品の味を堪能できると思うと……グヘヘ」
あっ、これ完全にヤバいやつだ。聞いちゃいけない会話の雰囲気がビシバシ漂ってる。
非常にマズい。さっさと立ち去らないと。あたしは何も見なかったし聞かなかった。気付かれないように、ゆっくりと踵を返す。
だが。
「おい、お嬢ちゃん。こんなところで何してんだい」
振り返った先にいた三人目に、あっさり見つかってしまう。しかも無駄によく通る声で言うもんだから、さっきの二人も何が起こったんだとばかりに歩いてくる。
やってきたのは筋骨隆々でゴツい格闘家みたいな奴と、ひょろりとした体だけど目付きが鋭い嫌な雰囲気の男。そして目前であたしを見下ろす冷徹な瞳。
いやいやいや、何よこの状況。なんであたしがこんな目に。
「なんだなんだ、女一人でこんなところで」
「旅人か? にしては軽装だな」
「……よく見るとなかなか美人さんじゃねえか。そういや若い女を見るのは久々だなあ……グヘヘ」
追い詰められるあたし。背後は壁。前方には三人の男。
どう考えても逃げ道がない。
「えと……あの……」
「あん? なんだい、よく聞こえねえなあ」
どうやら話し合いが通じる相手ではないようだ。
足が震える。少しでも気を抜いたら腰が抜けて地面にへたり込んでしまいそうだ。
背中から下半身にかけての筋肉が強張り、言うことを聞いてくれない。そのくせ変な汗はジワジワと滲んで神経を鋭敏にさせている。
沈んでいく夕日からの陽光も頼りなくなってくる。
闇に染まりつつある港の片隅で、あたしは絶体絶命の窮地に追いやられていた。




