第45話 旅立ちの日
天気のいい朝だった。
太陽が光る空には程よく雲が泳いでいる。風も穏やかで、朝の陽気は心地良い。お出かけ日和ってやつなんだろうけど、こういう時こそ逆に家でゴロゴロするのも最高だろう。
「どう、ナツミちゃん。今の心境は」
「うーん、緊張と期待が半々ってところかな」
もちろん、そんなだらけたことをしていられるような状況じゃない。今日はとても大切な日なのだから。
「ラクスピリアから出るの初めてだもんね。でも、テオドラ様が一緒だから大丈夫だよ。いっぱい頼って甘えて急接近だね!」
「あはは……」
そんな雑談をするあたしたちは、国外へ続く門の近くにいる。役所で出発の手続きをしているテオドラさんとは、ここで合流することになっている。
前に見た時も思ったけど、近くで見上げると門の大きさに圧倒される。なんのためにこんな巨大にしているのか不思議だ。でかい何かを搬入出しているのか、それとも威厳のためか。どちらにしても、いかにも城下町って雰囲気にぴったりの門だと思う。
「あっ、来たみたいだよ」
バルトロメアが指差す方に振り返ると、見慣れた人影が四つ見えた。テオドラさんはすぐにわかった。そして並んでいる三人は……。
「ジリオラさんとシャンタルさんに……ナサニエルさん? どうしてみんな揃ってるんだろ」
「シャンタル様は前から見送りたいって言ってたけど、あとのお二人は……ナツミちゃんの見送りじゃない? ナツミちゃんは有名人だから」
「いやいや有名人ってそんなまさか」
どうしたんだろうなーと思いつつ見ていると、テオドラさんと目が合った。向こうも気付いたようで、すぐにクールな微笑を返してくれる。えへへ。スーツ姿でかっこいいなあ……。
シャンタルさんも相変わらず小さいけど、独特の魅力的な雰囲気が溢れてる。ジリオラさんもいつもの賢者っぽいローブでオーラが出てる。ナサニエルさんは久々に見るけど相変わらずガタイがいい。最後に会ったのは結構前に事務手続きをしに役所へ行った時だったっけ。
そんな有名人が集まったら民衆の関心をひくのは当然のようで、わらわらと野次馬が集まり始めている。まだそんなに人はいないけど、ほっといたらなんだか大変なことになりそうだ。
注がれる視線から逃げるように、小走りでテオドラさんの元へ向かう。距離が縮むにつれて思わず頬が緩む。テオドラさんも受け止めるようにふんわりと微笑んでくれて、芽生えそうだった不安はあっという間にどこかへ消えてしまった。
「なんだか人がいっぱいですね」
「いつの間にかこんなことになってしまってな……注目を浴びるのは苦手なのだが」
苦笑するその表情を見て、あたしのいたずら心が騒ぎ出す。人の目があるにもかかわらず、あたしはテオドラさんの耳元でそっと囁いた。
「不安なら……手、繋いじゃいます?」
「あっ……いっ、いや。衆人環視の状況でそれは」
あ、一瞬迷った。そういうところ本当に可愛いからいい意味で困る。
本当に繋いだっていいのに。そうじゃなければこんなこと言わないし。むしろ繋いでくれたら嬉しいし。まあ、テオドラさんが迷ってるから無理にとは言わないけど。
「さて、テオドラとナツミよ。二人とも準備は万端かの?」
いつの間にかジリオラさんがあたしたちの目前にいた。話の内容を聞かれていたらどうしよう。どうもしないか。
「はい、いつでも旅立てます」
「あたしも同じくです!」
テオドラさんの凛々しい返事に続いて、あたしは緊張した声を出してしまう。ぐぬぬ、もっと華麗な受け答えができるようになりたい。
「うむ、良い返事じゃ。見送りに来た甲斐があったというものじゃわい」
うう、いよいよ出発かあ……。
そわそわしながらテオドラさんにそっと視線を送ると、やっぱり少しも緊張していないようだ。慣れてるその様子が心強い。
「見送るのはワシだけではないぞ。皆とも話をしてやるとええ」
視線を横にやれば、見慣れた人たちと目が合う。その中から先んじて一歩踏み出してきたのは、大切な親友だった。
「ナツミちゃん、行ってらっしゃい!」
「うん、行ってくる!」
ぎゅっと握手を交わす。この世界で初めてできた友達の手は、ふんわりとした温もりを伝えてくれる。
目を合わせれば自然にこぼれる微笑み。こういう相手がいることって本当に幸せなことだと思う。
「でも……ナツミちゃんともしばらくお別れかあ」
「寂しくなっちゃう?」
「そりゃ当然だよ。でも、その分シャンタル様に甘えちゃおっかな」
「バルトロメアらしいや」
あたしたちがそんな他愛もないことを喋っている横では、テオドラさんも話をしているようだった。
「テオドラ、お前もようやく大舞台に立つんだな」
「よしてくれ、そんな大袈裟な」
「そんなことよりも、だ。お前ちゃんと……」
相手はシャンタルさんのようだ。何を話しているのかは気になるけれど、顔を寄せて内緒話みたいなことを始めてしまったのでそれ以上は聞き取れなかった。
いつの間にか握手していた手を好き勝手にいじり始めたバルトロメアを横目に、なんとか断片だけでも聞き取れないかなと向こうの二人に注目する。あ、ちょっと、手の甲をくすぐるのやめてくれないかな気が散るから。
「……なっ、何を言って……そんな……」
おや、テオドラさんの表情が固くなったみたいだ。あれは照れている時によく見る顔なんだけど……シャンタルさんに何か妙なことでも吹き込まれたのかな。
仕掛人と思われるシャンタルさんは、悪巧みを持ちかける裏社会の住人みたいな笑みを浮かべている。しかし容姿が幼いので、ちびっこギャングと言った方がぴったりかもしれない。
「ナツミ殿、ご立派になられましたな」
渋くて低めのいい声に向き直ると、ナサニエルさんがそこにいた。近くに上司がいるのに手を離さないバルトロメアは流石と言うべきなんだろうか。
「いえいえ、あたしなんて」
「謙遜することはありません。聞きましたぞ。ご自分の能力を開花させたそうですね」
「ええ、まあ一応は」
「誰にでもできることではございません。ここまで育ってくださるとは、私はもう……感激、で……っ」
「え、ちょっとナサニエルさん」
突然感極まって男泣きを始めたナサニエルさんに驚く。どうしたらいいのか慌ててバルトロメアに救難信号を送ってみたんだけど。
「気にしないで。ナサニエル様は涙もろいって有名なの」
「って言われても……」
「ナツミ殿! ご武運をお祈りしておりますぞぉ!」
「は、はひいっ!」
剣幕に圧倒されて変な声が出た。バルトロメアに手を掴まれていなかったら、漫画みたいに軽く飛び上がっていたかもしれない。
「二人とも、無事に戻って来るのじゃぞ。帰りを待っているのはワシらだけではないのじゃからな」
ジリオラさんに言われて周囲を見回すと、さっきよりも大勢の群衆があった。遠巻きながらも円状に囲まれていて逃げ道がない。
その誰もがザワザワと思うままに言葉を投げ交わしている。その中から、いくつか聞き取れる声が届く。
「ジリオラ様がわざわざ出向かれるとは……」
「あっ、今テオドラ様と目が合ったわ!」
「やはりナサニエル様の肉体はいつ見てもお美しくて感激するぜ……俺もああなりたいものだ」
「シャンタル様は今日も可愛いよ!」
「ナツミ様ーっ! こっちも見てくださーい!」
なんだか騒がしくなってきたぞ。気になる言葉が目立つのは、それが他と比べて浮いているからか。
それより、あたしまで様付けされてるのは一体どういうことだ。いつのまにそんな偉くなってしまったのか。特に勲章を貰った覚えはないんだけど。
「仕える主人の身分がリトリエの栄誉にも繋がります。ナツミ殿が立派になられて、私は……私はっ!」
「いや、ナサニエルさん感動するのはいいんですけど人払いとかしなくていいんですか」
「人気者になっても、アタシのこと、ほんの少しでもいいから覚えててね……?」
「バルトロメアもふざけてないでさあ、いいの? この状況」
「おう、テオドラ。こりゃ相当の成果をあげて凱旋しないとラクスピリアの土を二度と踏めないんじゃねえか?」
「シャンタル、背中を叩くな。騒ぐと目立つだろう……」
「ナツミよ、これが国民の意思じゃ。皆がお主らに一目置いておる。信頼と期待を寄せてしておるのじゃよ」
「そ、そうなんですか。恐縮です、あはは……」
「さて、と……皆の者! 静まれ!」
カツン、と杖で地面を突いてジリオラさんが一喝する。たったそれだけで騒ぎは静まり、シーンとした空気が辺りを支配した。
「これより我が国グナルタス所属テオドラ・ベルトイア、そのリトリエ、ミツナミ・ナツミの旅立ちを見送る! 道を開けい!」
杖をかざした先の人波が、バッと開いて道が作られる。まるで海を裂いた預言者になった気分だ。やってのけたのはあたしじゃないけど。
バルトロメアの手を離れ、テオドラさんへと近付いていく。シャンタルさんも既に一歩引いているので、小さな二人だけの空間ができたみたいだ。
静かな場では目立つだろうけど、それでも極力声を抑えて囁いてみる。
「なんだか大ごとになっちゃいましたね」
「普段はこんな大々的に送り出すようなことはしないのだが……」
「ちょっと恥ずかしいですけど……実はあたし、嫌じゃなかったりします」
「……奇遇だな。私もだ」
小声で確かめ合った思いは、きっと二人だけの秘め事になったはずだ。もし聞こえてた人がいたら、どうか知らんぷりをしてくれないだろうか。
「二人の旅に幸あらんことを……達者でな」
荘厳な声にあたしたちは揃って頷く。そっと向けた視線はタイミング良くテオドラさんと重なり、ほんの数秒見つめ合った。
そして同時に振り返り、国外へと開いた門へ足を踏み出す。見送りに来てくれた皆に向けて手を振りながら、あたしたちはラクスピリアを後にした。
――――
のどかな草原に吹くそよ風が緑を揺らす。どこからか運ばれてきた花の香りが嗅覚をくすぐり、甘く穏やかな気持ちにさせてくれる。
ラクスピリアから出ると、そこには広大な自然が広がっていた。前に中央庁から見た時に知ってはいたけど、実際にその場に行くとやっぱり違う。全方位どこを見回しても地平線がくっきり確かめられる景色なんて初めてだ。
……いや、ちょっと誇張した。
本当はまだラクスピリアが遠目に確認できる。自然がいっぱいってのは本当だけど、ちゃんと街道が整備されているから歩きやすい。ぼんやりとだけど、遥か遠くに山や海らしきものも見える。
盛大な送り出しからしばらくした今、あたしたちは小高い丘を進んでいる。傾斜はなだらかなので特別疲れるということはない。
野生動物はまだ見ていないけど、ラクスピリアへ向かうという旅の商人と一度すれ違った。そういうことをしている人は、やっぱり腕に自信があるんだろう。いかにも腕っぷしが強そうな人だったし。
旅といっても、そうそう危険があるわけじゃないとテオドラさんは言っていた。あたしの中では、フィールドに出たらモンスターやら盗賊やらが襲ってきて倒しながら進むってイメージだったんだけど、そんなことはないらしいので一安心。
でも、もしそんなことがあっても、テオドラさんが守ってくれるはずだ。ヒロインのピンチに颯爽と現れるのはヒーローのお約束だもんね。かっこいいテオドラさんにはピッタリの役じゃないか。
……ん? そうするとヒロインはあたしになるの? またまたご冗談を。
軽く頭を振って、手元の地図に目線を向ける。ラクスピリア周辺の地形が記されたそれは手軽な大きさで持ち運びやすい。それでいてフリアジーク付近への道まで書かれている便利アイテムだ。
しかし、ここて悲しい問題が一つ浮上する。あたしは地図を読むのが壊滅的に苦手なのだ。
「テオドラさん、この後はどうやってフリアジークまで行くんですか?」
あたしの疑問にテオドラさんは足を止め、地図を指でなぞりながら丁寧に答えてくれる。
「今日はこの先にある海沿いの大きな町で一泊する。翌日はフリアジークに近い森の中にある村まで進むつもりだ。何度も通ったことのある道だから危険はないだろうが、多少長い距離を歩くことになる。休憩は適宜挟むつもりだから辛抱してくれ」
「ということは、フリアジークに着くのはあさってになるんですか?」
「そうだ。ラクスピリアからフリアジークへ行く者は大体がこの道を通る。だから道中立ち寄る場所はどこも顔馴染みばかりなんだ。初めての夏海もきっと受け入れてもらえるだろう。緊張することはない」
「テオドラさんが言うなら安心ですね」
それから再び並んで歩き始めたけど、すぐに今しがたの言葉が自分で恥ずかしくなり、ごまかすように来た道を振り返った。
生い茂る草木の向こうに見えるのはラクスピリアの城壁。見上げるほどに大きかった門も、ここからだとミニチュアみたいだ。
思えば、あの小さくて大きい国でそれなりに長い時間を過ごしてきたんだよね。いきなりこの世界に連れてこられて、住むことを決めて、バルトロメアと知り合って、テオドラさんと出会って――。
記憶を辿れば短く、しかしその中身はどれもが濃密な思い出。かけがえのない時間がいっぱい詰まっている。あの国があたしの居場所なんだから。
……っと、まだ出発したばかりなのに感慨深くなってどうする。
こんなことしてたら置いてかれちゃうよ。旅の序盤から迷惑かけてたら話にならないじゃないか。
自分を戒めながら向きを変えると、すぐ近くにテオドラさんが立っていた。てっきり先に行ったものだと思っていたテオドラさんが、目を細めて微笑んでいる。
「もういいのか? 時間の余裕はあるから、じっくり見ていてもいいんだぞ」
どうやら何もかもお見通しだったらしい。そんなにあたしってわかりやすいのだろうか。別に悪い気はしないからいいんだけど。
「いいんです。ちょっと気になっただけですから」
「そうか。そっ、それなら……」
おずおずとテオドラさんの左手が差し出された。開いた状態から、わずかに掌が弧を描く。
一体どうしたんだろう。何か渡す物あったっけ。真意がわからずに首を傾げてしまう。
「ほら、その……こうしていた方が何かあってもはぐれずに済むだろう。それに今は人目もないし、さっき夏海もそうしようと言って」
「テオドラさんっ!」
感激のあまり、皆まで聞かずにその手を取る。何それ反則でしょ言動全部可愛すぎるから!
「それと……これからは特に断りを入れなくてもいいからな」
「断りって、なんのですか?」
「……こういうことを、だ」
小声に合わせて、繋いだ手が数回にぎにぎされる。絶妙な力加減が伝わってとんでもなく心地良い。
えっと、これってつまり……。
「いいんですか?」
「だから、そう言っているだろう……」
テオドラさんの頬が朱に染まっていく。可愛いなあ、なんて思いつつあたしも釣られて顔が熱い。ここが人通りの少ない場所で本当に良かった。
「……はいっ、わかりました。でも、ちゃんと場所は選びますからね。その……あたしも人目が気になったりしますし」
「夏海ならそう言ってくれると信じていたよ」
うっ、またテオドラさんはそうやってあたしのハートにダイレクトアタックを。
こうなったら仕返しだ。手を繋いでいるのをいいことに、テオドラさんに目一杯密着してやる。ふふん、歩きづらくなったでしょ。
いや、これはあくまで仕返しであって決してあたしがこうしたかったというわけではなくて断じて違うんだけど、テオドラさんにくっついたらそんな雑念どうでもよくなった。
テオドラさんがやけに積極的なのも、旅のテンションってやつなのかな。それならあたしも旅の恥は掻き捨てじゃないけど、それに応えなきゃだよね。
「夏海、疲れてないか? あそこで一度休憩を挟もう」
テオドラさんの指先を追うと、横に広い平屋のような建物があった。なんとなく郊外のホームセンターを連想する。
「あれって、どんなところなんですか?」
「旅人向けの休憩所だ。食事や仮眠などを取ってくつろげるようになっている。主要な街道沿いには、いくつかそういうのが作られているんだ」
「そんな場所があるんですねえ……」
サービスエリアとか道の駅とか、そんなイメージの場所だろうか。地域の特性を使った名物なんかがありそうだ。
もちろん人も大勢集まっているんだろうけど……手って繋いだままでいいのかな。今のところは変わらず離れる気配もない。
まあ……いいよね、このままでも。まだ休憩所まで距離があるし、仮に道の途中で見られたとしても知り合いじゃなければどうということもない。
なるようにしかならないわけだけど、少しくらい足掻いてもいいんじゃなかろうか。というわけで歩幅を狭めてみる。ほら、急いで歩くと疲れるし転びやすいしいいことないからさ。
そんな変化をすぐに察して、テオドラさんも歩くペースを合わせてくれる。
なんだか同じ考えを持っているように思えて、やっぱり一緒に来て良かったなあ……なんて早くも実感してしまうのだった。




