第43話 前置の日常
あたしが自分の能力を意識的に使えるようになって数日が過ぎた。なんとなく疲れが出やすくなったような気がするのは、新たな自分に目覚めた副作用みたいなものなんだろうか。
だから、ここらで少しダラダラしちゃおう――なんて適当に過ごしてきたわけじゃない。そんなことしたら元に戻れなくなる性格だってのは自分でよくわかってる。
日々の積み重ねが大事だってことで、自主トレーニングらしきことは欠かさずに続けている。ちゃんと使いこなせるようになりたいし、何よりテオドラさんと一緒にいるためってところが大きい。明確な目標があるからか、飽き性のあたしにしては長続きしている方だと思う。
ちゃんと結果も出ているようで、体が能力の扱いを覚えてきたような手応えがある。頭でアレコレ考えなくても、内側の奥深くにある魔力を感覚で自在に操れるようになりつつあった。
一度コツを掴んでしまえば、そんなに難しいことじゃない。自転車の乗り方だって似たようなところがあるだろう。ビクビクしながら乗ってたのが、いつの間にかスイスイ乗りこなせちゃうあの感じだ。
そういえば、この世界って自転車ないのかな。それなりに長く生活してるつもりだけど、今まで一度も見たことがない。そりゃ異世界だし、そんなのがあったら逆に驚いちゃうか。
「ナツミちゃん、どう?」
「んー、多分大丈夫。選んでもらっていい?」
そうやって余計なことを考えながら能力を使える程度には鍛錬を重ねてきた。あれからもバルトロメアが進んで実験相手に志願してくれたから、あたしも遠慮なく色々と試させてもらったわけだ。
方法はあの時と同じカード選び。あたしが考えた通りにバルトロメアが動けば成功。どこか違えば失敗。単純なルールだからこそ回数を重ねられる。
「えっとね、そしたら――これと、これ! どうかな、合ってた?」
「うん、問題ない。バルトロメア相手だと失敗知らずだね」
「さすがナツミちゃん! 上達早いなあ」
「バルトロメアのおかげだよ。ありがとう」
「えへへ、照れちゃうよお」
口元を猫みたいに緩めながらバルトロメアが腕にしがみ付いてきた。その温もりを受け止めながら、あたしは能力の進歩を再確認する。
まず、さっきも実践したように、バルトロメア相手なら簡単に暗示をかけられるようになった。どれくらい進歩したかと言うと、目をじっと見つめなくても近くにいればオッケーなくらい。我ながらよく上達したものだと思う。
そもそも、目を見つめるのはその方が集中しやすいからであって、絶対に必要なことってわけじゃない。それも訓練を繰り返すうちにわかってきたことの一つだ。
バルトロメアに限らず、見知らぬ人が相手でもある程度は能力を使えるようにもなった。着実に力が進歩しているようで内心嬉しい。
ただし、その場合は結構な至近距離まで行かないと効果が薄い。理由もなく近付いたら不審者扱いされること間違いなしなので、現実的には道行く人とすれ違いざまにイメージを飛ばして植えつけるくらいしかできない。
当然、そんな一瞬で大したことはできない。右に振り向けとか、斜め上を見上げろとか、そんなショボくて一見よくわからないようなことをさせるくらいが関の山だ。
「じゃあ、行ってくるから観察よろしく」
「任せて! いつも以上にナツミちゃんのことじっくり見てるから!」
「あたしじゃなくて相手の方を見てほしいんだけどな……」
どのように練習を重ねたかと言うと、あらかじめ何をどうするか伝えているバルトロメアが、離れたところで成り行きを見守っており、終わってから結果を聞きに行くというスタイルだ。
通り過ぎた後に、あたしも自分で確認することもあるけど、それだけじゃ不安な要素もあるからバルトロメアがいつものように半分強引についてきたわけだ。助かるからいいんだけど。
ともかく、あたしとバルトロメア二人の意見によって得られたのは、あたしの能力はほぼ百発百中に近いところまで精度が上がっているという結論だった。たまにうまくいかない場合があったけど、それはジリオラさんが言っていた抵抗力を持った人なんだと思う。
一応というか半分興味もあったからやってみたんだけど、あまりにも難しいことや悪意が含まれることを誘導しようとしても見事に全部失敗した。
多分、これも集中できるかどうかが関係しているんだろう。あたしの中で上手にまとめられなかったり、理性のブレーキがかかったりして能力発動には至らない、というのが自分なりの結論だ。
「それにしても、ナツミちゃん本当に成長早いよね。あの日からまだそんなにたってないのに」
「いやいや、それほどでも」
抑えられない照れ笑いと共に頭を掻く。確かに実感はあるんだけど、それを真正面から指摘されるとね。あたしって日本人なんだなあって感じがする。
今日の練習を終えて、あたしの家でバルトロメアと軽くお茶しながら他愛もない会話を交わす。それだけで疲れが消えちゃうんだからあたしの体は単純だ。
テオドラさんは、この時間だとまだ仕事をしていることだろう。出張に向けた準備をしているのかな。あたしと同じように。
能力の使い方が上達しつつあることは、もちろんテオドラさんにも伝えてある。ほんの些細なことでも見せてくれるあの優しい笑顔……それもあたしの重要な原動力だ。
今日もまた褒めてくれるかなあ。ウズウズしちゃう。
「ナツミちゃん、なんだか嬉しそうだね」
「えっ、そ、そうかなあ?」
まずい。また顔に出てたみたいだ。
案の定、バルトロメアが獲物を見つけた猫みたいな表情になっている。
「そりゃそっかあ。能力を自分のものにしちゃえば、テオドラ様と一緒に出張行けるもんねえ。二人っきりの時間をいーっぱい過ごせるもんねえ。嬉しくもなっちゃうよねえ」
ねっとりと伸ばされる語尾に微妙なトゲを感じるような。あと視線が痛い。
もしかして、自分がシャンタルさんと一緒に行けなかったのをコンプレックスみたいに思っているんだろうか。だからあたしが羨ましい、というのは意外と的外れじゃないのかもしれない。
「この調子でテオドラ様との距離も急接近しちゃったりして……ねえねえ、何か計画とか考えてたりするの?」
「計画って、出張の予定とか?」
「そうじゃなくて! テオドラ様と親密な仲になるための秘策、あるんじゃないの?」
「……いや、特には」
「そんなあ、せっかくの出張なのに」
「だって、一応これ仕事だし」
とは言ったものの、あたしだってそういう部分を意識しないわけでもない。仕事なのは確かだけど、二人きりになれるというのもまた揺るがぬ事実なのだから。
きっと、いい機会になるだろう。あたし自身を見つめ直し、テオドラさんとのことも改めて考えてみよう。バルトロメアが言うように、お互いの心へ一歩踏み込んで深い仲になれる可能性だってゼロじゃない。
「でもさ、テオドラ様だって何も考えなしでナツミちゃんと一緒に行きたいって言ったわけじゃないと思うよ」
「そう、なのかな」
急に真剣な顔で言われて、つい考えてしまう。テオドラさんにも何か思うところがあるのだろうか。
もしそうなら……やっぱり嬉しい。テオドラさんがあたしのことを考えてくれている。そう思うだけで、なんだか胸の奥がポカポカしてくる。
なんだろう、この気持ち。不思議だけどなんだか安心できる。
「ナツミちゃんって、テオドラ様とどうなりたいのか考えたことある?」
「どうなりたいかって……えっと」
「いきなり決めろ、なんて言わないけどさ。少しずつ考えてみてもいいんじゃない? 頭の片隅に置いておくだけでもいいし」
突然の質問だったけど、向き合うべき問題だというのは間違いじゃない。そもそも一つ屋根の下で暮らすってこと自体が特別な意味を持つわけだし。
でも……どうなりたいか、って言われるとなあ。今は主人と従者みたいな関係なんだろうけど、ここからどう変わっていくんだろうか。なぜかバルトロメアはあたしとテオドラさんをくっつけようとしてるみたいだけど、それもどうなんだろうかと思う。
うぅっ、頭の中がグルグルしてきた。後でゆっくり考えを整理する必要がありそうだ。
「きっとテオドラ様もナツミちゃんともっと親密になりたいって思ってるはずだよ。心当たりとかない?」
「うーん……特には」
「それならナツミちゃんから攻めないと!」
「どうしたの急に張り切って」
「前にも言ったかもしれないけど、たまには思いっきり甘えてみてもいいんじゃないかな。嫌な顔なんてされるはずないし、むしろ嬉しく思ってくれるよ!」
若干身を引くあたしの様子にも構わず、バルトロメアは力説をぶつけてくれた。
まあ……言ってることがわからないわけじゃないけどね。実際、前に思わず抱き付いちゃった時は優しく受け止めてくれたし、頭も撫でてくれた。あれだけのことをしたわけだし、あたしだって何も考えてないわけじゃない。
あの温もりをまた味わいたいだろうと問われたら、ためらうフリをしつつ、最後は首を縦に振ってしまうだろう。テオドラさんといると、なんだか安心できるし。バルトロメアと一緒の時とはまた違う安らぎだけど、あたしにはそれも必要なんだと思う。
そうすると……やっぱりバルトロメアが言うこともある意味では正しくなるんじゃなかろうかという結論に達してしまうわけで。
そんなことばかり考えてたら、なんだかテオドラさんに会いたくなってきちゃった。そろそろ帰ってくる時間かなあ。窓の外を見ると、傾き始めた太陽の光に景色が照らされていた。
「ナツミちゃん、外なんか見ちゃって……あっ、そうか。そろそろそんな時間だよね」
「いや別に深い意味は」
「いいのいいの。アタシもシャンタル様をお迎えしないといけない頃だし。応援してるよ、ナツミちゃん!」
相変わらずバルトロメアは無駄に勘がいい。軽く肩を叩きながら届けてくれた激励の言葉があたしを支えてくれる。
夕焼けの街路で小さくなっていくその背中に手を振りながら、ありがとうと小さく呟きを投げかけておいた。
――――
「――というわけで、能力の扱い方もいい感じになってきたんです」
「おめでとう、頑張ったな」
その夜。
これまでの成果を報告したあたしに、テオドラさんは労いの言葉をかけてくれた。単語だけだと単調っぽいけど、そこに含まれた温かみはあたしだけが堪能できる最高のご褒美だった。
「夏海ならきっとできると信じていたよ」
「だって……テオドラさんと一緒にいるためですから。そのために、それだけを考えて頑張ってきたんです」
「そっ、そうか……ありがとう」
「ふふっ、お礼なんて言われるようなことしてないですよ。あたしは自分のやりたいようにやっただけです」
そして、もう一つの楽しみ。
照れたテオドラさんの可愛い顔を見ると、心の底まで癒されるような気分になる。この表情は他の誰にも見せたくないな、なんて少し危険な思想さえ浮かばせるくらいに中毒性が高い。
「だが、油断は禁物だぞ。旅の道中で何が起こるかは私にも完全には予想できない。不慮の事態に直面する場合もあるだろう」
「……はい」
唐突に真剣な表情に戻ったテオドラさんから、圧倒的な現実を突きつけられる。凛々しい顔を見られたのは嬉しいけど、落ち着いた声色に思わず背筋が伸びた。
「すまない、不安にさせるつもりはなかったんだが……その、なんだ。私が守るから安心していいぞ」
「えっ?」
「夏海のことは私が守る。何があろうとも、夏海に傷一つ付けさせないことを誓ってもいい」
「……う、あぅ」
ちょっとこれは予想外だった。
その表情で詰め寄られて壁際に追い込まれそうな勢いで「お前を守る」なんてことを言われたら、何をどうしたらいいのかわからなくなってしまう。そんな経験今まであるはずもないし視線を斜め下に向けて固まっちゃうのは仕方ないだろう。
秒速五回くらいに増えていた瞬きをなんとか抑え、テオドラさんの顔に視線を戻してみる。
……が、ダメだった。あまりにも眩しすぎるってか恥ずかしすぎる。
あんなの時と場合によってはプロポーズとイコールで結ばれるような言葉じゃないか。少なくともあたしが今まで触れてきた本やゲームではそうだった。
まさかテオドラさんもそういう意味で? いやいやまさか。でも、もしそうだとしたら返事はどうしたらいいのか。
……そもそも返事ってどう答えればいいんだろう。
別に嫌じゃないどころかむしろ嬉しい部類の心境にあるわけだけどそうしたら素直にはい喜んでみたいなことを言えばいいのか、それともここは逆に何も言わないってのも一つの手段かもしれない。言葉じゃなくて態度で示すってのは大事だし、そうするとあたしはテオドラさんに体を預けるべきなのかってなんかそれはマズくないか色々と。
「……どうした夏海、急に黙ってしまって」
「えっ、いや、その」
「夏海を守るのは主人として当然だからな。何も心配することはないぞ」
「……あっ、主人として、ですか」
だよね、そうだよね。そんなことだろうと思ってましたとも。だからこれっぽっちも動揺なんかしてませんでしたしガッカリなんてこともないですよ、はい。
「ふふっ、夏海は今日も見ていて飽きないな」
「あうぅ……」
いつもは心地良いテオドラさんの微笑みが、ちょっとだけチクチク痛い。
だけど、それも悪くないなと思うあたしがいるのも事実で……喜んでくれているみたいだし、まあいいか。
今はもう少し、このなんとなくホワホワした空気を楽しむことにしよう。




