第4話 運命の明晰夢
その夜、あたしは夢を見た。
今までに経験したことがないくらい意識が明確で、自分が夢の中にいるということがすぐに理解できた。
あれ? なんか前にもこんな夢を見たような気がしなくもない。
うーん……思い出せないけど夢なんて忘れるものだから、前にもこんなことがあってもおかしくない。
とりあえず今は目の前に集中だ。
夢だと自覚していればなんでも思いのままだって聞いたことあるし、こんな機会そうそうないから無駄にしたくない。
周囲は薄紫の霧に包まれており、いかにも幻想的な雰囲気ですと言わんばかりだ。
それなのに見通しがよく、地平線の果てまで何もないのが見て取れる。
だだっ広い空間に一人だけ。あたしは謎の空間で立ち尽くしていた。
いくら思い通りになるといっても、こんな場所で一体何ができるのか誰か教えてほしい。
「ふぉっふぉ。どうじゃ? 自分の心の世界に入った感想は」
「うぇっ?」
え、誰このお婆さん。
いつの間にあたしの後ろを取ったのだろう。全然気付かなかった。
緑色のローブという魔法使いみたいな格好をしているし、水色の水晶が光るその杖で何か理解できないことをしたのかもしれない。夢の中だし。
どう見ても普通の人じゃないのに、喋る言葉が日本語なのも夢のせいだろう。夢の主がわからないことは起こらないと相場が決まっている。
「あ、あの……あなたは?」
「名乗るのが遅れたな、申し訳ない。ワシはジリオラ・カルディナーレという老いぼれじゃ。長くて呼びにくいじゃろうしジリオラで構わんよ」
ふむ、ジリオラさんね。
……やっぱりどこかで聞き覚えがあるような。
最近やったゲームの敵幹部がそんな名前だったっけ? こんなに特徴的な言葉遣いだったら印象強くて忘れるはずないんだけど。
記憶の海を漂っていると、ジリオラさんの横に別の人物が登場した。突然現れたのもそうだけど、何よりその風貌に驚いた。
だってプロレスラーみたいな体つきなんだもの。
何あの筋肉量は。あたしくらいなら片手で簡単に持ち上げられてしまいそうだ。身長だって二メートルは超えているんじゃないだろうか。
喫茶店のマスターみたいに立派な口髭を生やしている。それに似合う柔らかい微笑みを浮かべてはいるけれど、絶えず放出されている威圧感を軽減する効果はない。むしろ少し近寄りづらいかも。
「この強そうな奴がナサニエル・マトルージ。見た目はこんなじゃが……なあに、怖がることはない。根は優しい男じゃよ」
紹介されたナサニエルさんは一歩前に出て、とても丁寧な仕草で礼をした。執事でもやっているんだろうか。
それともジリオラさんのボディーガードかな。スーツがはち切れそうな筋肉は明らかに格闘家っぽいし、その方がしっくりくる。
「こやつはそちらの世界の言葉を喋れないので黙っているが、そういうもんじゃと理解してくれ。どうしても自分の目で見ておきたいと言うのでな」
「はあ、そうですか……」
何を見ておきたいのかは知らないけど、向こうから襲いかかってくるなんてことはなさそうでよかった。
それにしても……なんだろう、この展開は。
いくら夢の中でも無視できないことが多いと思うんだけど。まるでファンタジー世界に迷い込んだみたいじゃないか。
あたし疲れてるのかな。それとも寝る前にネトゲやり過ぎたせいかも。
「して、お主の名はなんと申すのじゃ?」
「あ、はい。光浪夏海っていいます」
つい反射的に答えてしまったけど、よく考えたらこの二人って怪しさ全開じゃないか。簡単に個人情報教えて大丈夫だったかな。
いや、夢にそんな突っ込みは野暮かもしれないけどさ。今の時代ってそういうのは繊細な問題になりかねないからね。
「ふむ、ナツミか。良い名じゃな」
ちょっと名前の発音が独特だった。片言の外国人が話す日本語みたいだ。
なんだか異文化に触れた気がしてちょっと興味出てきたかも。
そもそもファンタジー系って嫌いじゃないんだよね。明らかに作り物ってわかってるからこその面白さって言うのかな。
漫画や小説もそういうのを選んで読んでいた時期がある。
頭の中で自分だけの世界を作り上げたことも何度か……って、そこは別に触れなくてもいいか。あいにく黒歴史暴露の趣味はない。
それに、やっぱりここは夢の中なんだから楽しまないと損だ。明晰夢を見たら好き放題するって日々妄想していたじゃないか。
あるがままを受け入れよう。そうすると気になることがまず一つ。
「あのう、ジリオラさんとナサニエルさんはどうしてここに来たんですか?」
最初はそこから訊いてみよう。一体どんな設定でこの二人は現れたんだろうか。
もしかしてあれかな。伝説の勇者を探しにきた的なやつ。異世界ストーリーの定番だもんね。
「ふむ、話が早くて助かるぞ。さすがは稀有な素質の持ち主じゃ」
「素質……ですか?」
つい繰り返しちゃったよ。だって予想通りの切り出し方だったんだもの。
今後の展開が一瞬で頭の中に構築されていく。これは流され系のお話になるのかな。強引に勇者的な何かにされて連行されるみたいなの。
そんなことを考えていたら、いつの間にかジリオラさんが真剣な目つきをしている。
なんだか品定めでもされているようで居心地が悪い。視線を逸らしても突き刺さる眼差しから逃げることはできなかった。
「のう、ナツミよ。お主は今、自分だけができることはないかと探しておるのではないか?」
「えっ、なんでそれを」
知っているんだろうか、と考えてから今自分は夢の中にいることに気付く。
なんでもありの世界では心を読むのも簡単ってことか。
「ワシらはのう、そういった感情を秘めている者を探しておるのじゃ。それが素質になり、あらゆる才能の芽となる。自分にしかできないことがあるという強い思いは確かな力となるからのう」
「それってつまり……あたしが特別な力を持っているってことですか?」
「さよう。ナツミほどの素質を持つ者はなかなかおらんじゃろうて」
あたしは選ばれし者だったのか。まさに夢のような展開じゃないか。
いいね。どんどんファンタジーの色が濃くなっていく。
これだよ。あたしが望んでいたのはこういう話なんだ。
あたしを求めてくれるならその期待に応えるのが当然だよね。さすが夢世界。あたしのことをよくわかってる。
ところで、あたしにしかできないことって一体なんだろう。
ジリオラさんがそれを教えてくれるのかな。
「ジリオラさんは、なんでそういう人を探してるんですか?」
「それはな、ワシらの世界に招待するためじゃよ。できればそのまま移り住んでもらいたいとも考えておる」
「その後は?」
「我が国のために貢献してもらいたい、というのが最大の願いじゃな。素質を思う存分発揮してほしい」
やっぱりそうくるか。
するとこの後に待っているのは異世界を冒険する流れだろう。
いつの間にかあたしは秘かに握り拳を作っていた。夢の中で大冒険というのも悪くない。
一緒に旅をする仲間はどうしようか。ミステリアスな無敵の戦士と、国家を揺るがすほどの策略家と、魔術教会から異端者の烙印を押された魔法使いとかいいんじゃないかな。
そしてあたしは……いまいち自分の姿が想像できないけど、勇者っぽい何かに落ち着くだろう。
キャラが濃いみんなの突っ込み役になりつつ、重要な場面ではビシッと決める。これぞ頼れるリーダー像ってやつだよね。
「ってことは、もしかして……あたしをスカウトしに来たってことですか?」
「いかにも。ナツミのような逸材をこのままにしてなどおれぬからのう」
「あ、あたしがそんなすごい才能を持っていたなんて……」
「どうじゃ? まずはワシらの世界へ来てみるというのは。このまま立ち話では疲れるじゃろうて」
来た。異世界への招待状。
ここで乗らずにいつ行くのって話だ。どうせ夢なんだから目が覚めるまでとことん付き合ってやろうじゃないの。
「……わかりました。その誘い、お受けします」
「うむ、良い返事じゃ。では早速始めるとするかのう」
満足気に深く頷いたジリオラさんが杖で地面を軽く突いた。きっとそれが転移魔法発動の合図なんだろう。
もちろん初めてのことだから緊張する。とりあえず衝撃に備えて身構えておこう。
ジェットコースターみたいな感じかな。それともフリーフォール?
絶叫系は得意じゃないけど、異世界のためなら耐えてみせようじゃないの。
ほら、あたしの決心が鈍らないうちに!
早く早く。
……あれ?
「あの、ジリオラさん」
「どうかしたかのう」
いつになったら異世界に飛ばされるんだろうか。
あれからジリオラさんも黙っているし、ナサニエルさんは相変わらず直立不動だし、今まであんなに熱心な勧誘をしていたのはなんだったのかと問い詰めたくなる。
「異世界につれてってくれるんじゃないんですか?」
「慌てなくとも既に招待は終えてある」
「んー?」
どういうことだろうか。あたしの周囲は変わらず幻想的な世界のままだ。
まさか最初からここが異世界だったってオチ?
「どういうことなんですか?」
「ナツミの肉体はもうワシらの世界へ転移させておる。あとは目が覚めるのを待つだけじゃ」
「それって、どういう意味、で……」
あれ、どうしたんだろう。
なんだか体が重くなって思うように動かない。脚にも力が入らずフラフラする。
「覚醒が近いようじゃな。先に向こうで待っておるぞ」
その言葉を残してジリオラさんとナサニエルさんは煙のように姿を消した。
取り残されたあたしは、夢の中にいるのに強烈な眠気と戦っていた。
いや、戦いなんて対等なものじゃない。一方的な支配と言うべきだろう。
何日も徹夜を続けた後に訪れるような、抵抗する意志さえも失わせるほどの睡眠欲があたしの全身から平衡感覚を奪っていく。
今あたしは立っているのか座っているのかもわからない。
上も下もなく、心地良い浮遊感に包まれている。
これがゆりかごの寝心地なのだろうか……とぼんやり考えた時には、もうあたしの意識は暗転して闇に塗り替えられていた。