第34話 秘密の言葉
「……どうですか?」
「夏海の料理は、なんだか温かみがあるね。とてもおいしいよ」
「あ、ありがとうございます。その、食べてもらえて嬉しいです」
奇妙な見つめ合いの硬直も解けて。
いつまでもドギマギしてたら、せっかくの料理が冷めてしまう。本腰を入れて料理を味わってもらわないと。
そういうわけで食べてもらっているんだけど、おそるおそる感想を探ってみたら思いがけず直球の賛美を投げられて焦っているのが今のあたしだ。
テオドラさんにはこういうところがある。つまり、思ったことを素直に言葉として出す性格なのだ。
そのくせ、後から自分が言ったことの意味を理解してうろたえるから放っておけない。
こうしてあたしに被弾しても、それも楽しみの一環だ。照れるけど、なんだか心地良かったりするし。変な意味は一切ない。
「まだまだありますから、たくさん食べてくださいね!」
嬉しさが言葉に乗っているのが自分でもわかる。料理に力を入れたのは本当だから、早く食べてもらって反応を見てみたい。
テオドラさんが料理を口に運び、咀嚼し、飲み込むまでの一連の流れ。一瞬たりとも見逃さずに凝視するあたしは、さながらショーケースに張り付いて中のおもちゃへ熱い視線を向ける子供のようだった。
とまあ、そんな感じでテオドラさんには存分に食べてもらっているわけだけど。
よく考えてみたら、少し食べすぎな気がしないでもない。
胃の容量なんて人それぞれだから一概には言えないけど、さっきからテオドラさんは休みなく食べ続けている。
たまにあたしの方を見て、小さく頷いて微笑を向けてくれるのが小休止みたいなものか。
そのたびにあたしはほっこりした気持ちになっているけど、そこは置いておくとして。
「あの、多くないですか?」
こういう場合、気分が乗って作りすぎちゃいましたーなんてことがお決まりなんだろうけど、ちゃんと分量は考えてある。
でも、あたしはほとんど手をつけておらずテオドラさんが一人で食べている状況だ。もしかしたら無理をさせちゃったのかもしれない。
そう思って訊ねてみたんだけど、返ってきたのはまたしても真っ直ぐな答えだった。
「夏海の料理なら、いくらだって食べられるさ。私のために作ってくれたんだ。当然だろう?」
食事の手を止め、言葉を大切にしながら告げてくれる。
あたしは何も言えず、ポカンと口を開けた間抜け面さえ繕うことができなかった。
「それに、今日はなぜか特別おいしい気がするんだ。なんでだろうな」
心臓が跳ねた。
速さを増した脈拍が胸の奥に切ない苦しみを生み出す。テオドラさんを見つめ続けていた視線は力なく逸らされ、太ももの上で所在無く組まれる自分の指へと落ちた。
ここまでが無意識の領域。気付いたときには何が起こったかわからず混乱するあたしがそこにいた。
えっ、何これ。
なんであたしはギャルゲーに出てくる不器用主人公みたいなことになってるわけ?
ああいうのがこんな状況になる理由といえばすぐに思い浮かぶのがあるっちゃあるけど。
まさか、ね。
とにかく、喜んでくれたってことは素直に受け止めよう。褒められることに慣れてないから戸惑っただけ。
そうだ。そうに違いない。
「残すなんてとんでもない。ちゃんと食べることが、私から夏海への感謝の気持ちになるだろう?」
どうやらテオドラさんは追い打ちを好むらしい。あたしの精神力は極限までガリガリと削られている。
あたしはただ、テオドラさんに喜んでもらいたかっただけなのに。どうして変な流れになってしまうんだろう。
いや、待てよ。
だったら今から巻き返せばいいじゃないか。別に取り返しが付かなくなったわけじゃない。
もっと食べてもらって、今以上に喜んでもらおうじゃないか。
そうと決まれば行動に移すのみ。いつまでも変な気持ちじゃいられない。
早速あたしはアプローチをかける。
「こっちのも自信作なんです。食べてください!」
目をつけたのは野菜炒め。ラクスピリア特産の野菜をあたしなりに調理してみた一品だ。少なくとも見栄えは悪くないと思う。
特にそれを選んだ理由はない。ただ近くにあったからそうしたまでだった。自信だったら全部の料理にお墨付きをあげたくなるレベルだし。
何をしたかといえば、それを一口分取ってテオドラさんの前へ差し出したのだ。
箸ではなく、スプーンのような食器に乗せられた一口大のキャベツっぽい野菜に二人の視線が集中する。
そう。いわゆる「はい、あーん」と呼ばれるアレだ。こんなことができたのは、変なテンションが抜けきってなかったせいだろう。
「……えっ?」
テオドラさんがポカンとしてる。こっちを向いたまま固まるから、その顔がまるわかりだ。また新しい表情を見つけちゃった。
なんだかさっきまでと攻守交替した気分。そんなに緊張することないのにな、と客観的に考える余裕も出てきた。
この勢いを逃す手はないよね。
「はい、どうぞ」
更にテオドラさんの口へ近付ける。真一文字に結ばれたその口がわななき、少しずつ開いていく。反対に目はぎゅっと閉じられて、少し変な顔になっちゃってる。
こんなに無防備な姿を見られるのもあたしだけの特権ってやつかな。これからも、たくさんこういう新しい発見をしていきたい。
おっと、そんなこと考えてないで食べさせてあげないと。
ゆっくりと口の中へ野菜炒めを運ぶ。チラリと見える白い歯に当たらないよう、慎重に奥を目指す。
この辺りかな、というところで舌に触れたのを合図に、テオドラさんの口が閉じた。
そして最後の仕上げ。くわえられたままのスプーンを引き抜く大仕事が待っている。
それ自体は難しいことじゃない。力も必要なく、するりと抜けた。
ただ問題なのは、その一部始終を目の当たりにしてしまったということだ。テオドラさんの唇を艶かしく擦り、割って出る銀色の食器が辿る道筋。
それを持つ手にまでわずかな振動が伝わり、まるでこの指でテオドラさんの唇を撫でているかのような錯覚に襲われる。
その虚像が全身に絡みつき、見えない海の底で溺れてしまいそうな幻惑さえ現れる始末だ。
……ふう。
想像してたのより数段レベルが高かった。主導しているはずのあたしがドキドキするんだから、もし逆の立場だったらどうなってしまうかなんて考えたくない。
こんなのを人前で堂々とやるような奴らは、頭のネジがどうにかなっているに違いない。あたしはあんな風にはならない。なろうとしても無理だろうけど。
「……どう、ですか?」
ありきたりどころか、さっき訊ねたことを繰り返してしまう。このまま沈黙の中にいたらどうにかなってしまいそうだった。
そこで自然と口からこぼれたのが、その言葉だった。返ってくる答えを期待して想像が膨らむ。
受け入れて欲しいと、強く願った。
「……おいしいよ、夏海」
わかっていた。テオドラさんなら、きっとそう言ってくれると。だって、今までもそうだったから。
なのに、なぜだろう。嬉しさが今までにないほどこみ上げてきた。お腹の奥がじんわりと熱くなって、目が潤んでしまう。
これが、受け入れられた喜びなんだろうか。
こっちの世界に来るまで誰とも深い関係を持とうとせず、一歩引いていたあたしが必要とされている。一人じゃないんだという確かな証拠。
それはバルトロメアに対して抱いた感情に似ている。似ているけれど、大切で温かいものに変わりはない。
やっぱり間違いなんかじゃなかった。テオドラさんを選んでよかった。
テオドラさんとの時間を大切にしていかなきゃ。
「でも、その……見られていると、やっぱり食べにくいんだが」
視線を泳がせながら、ささやかな抗議をするテオドラさん。残念ながらそうは問屋が卸しません。
「見てちゃだめですか? テオドラさんの食べてるところ、とっても可愛いのに」
「なっ、か、かわ……」
あ、顔真っ赤。氷を乗せたら一瞬で溶けちゃうんじゃないだろうか。
何度も見た反応だけど、なぜか新鮮さが薄れない。だからもっと見たくなっちゃう。
「もう一口どうぞ」
再び同じことを繰り返す。あたしの行動もテオドラさんの反応も、すべてがリプレイ動画のように変わらない。
違うのは内面くらいだ。あたしの胸中では、楽しさと嬉しさと心地よさを混ぜ合わせた新種の感情がどんどん膨らんでいった。
こうしてテオドラさんを見ているだけで、なんだかお腹いっぱいになってくる気分。
だからあたしはあまり料理に手をつけてなかったんだけど。
「……夏海も食べたらどうだ? 自分で作ったのだから、味を見たくもなるだろう」
そう言われたら食べるしかない。
味見なら作りながらちょくちょくしてたんだけどね。そうでもしないと自信持って出せないし。
体重増加への第一歩かも、という予感からは目を逸らしておく。そんなことより目の前の現実だ。
「そうですね。では」
目についた玉子焼きを口に放り込む。選んだ理由はこれまた近くにあったから。
うん、やっぱりおいしい。さっきまで本当にお腹いっぱいだと思えてたのにちょっと不思議。異世界の調味料にも慣れてきたのかな。
元々そんな違いがあったわけじゃないけどね。玉子料理を食べる風潮もあったし、実に暮らしやすい。
例えるなら、ちょっとした田舎にでも越してきた気分だ。文化や習慣が少しだけ違うけど、本質的な部分は変わらない。自然が多い風景に静かな夜、と言っても寂れてるなんてことはないけどね。
……ん? なんだか妙な違和感が。肌に熱っぽい何かを感じる。
その正体はすぐにわかった。テオドラさんの視線をひしひしと感じるのだ。
バレないように横目でこっそり見ているつもりなんだろうけど、隠し事ができない性格はここにまで現れるらしい。
どうしたんだろう。そんな興味津々な目をしちゃって。もしかして、さっきのお返しのつもりだったり?
確かにあたしも同じように見つめちゃったし、ずっとそうしてても飽きないなって思ってたけど。
だけど、ね。
いざ自分がされる対象になると照れてしまう。テオドラさんもこんな気持ちだったのかなあ。
そう考えたらちょっと嬉しくなっちゃうかも。同じ感覚を共有してるみたいなものだし。距離が縮まったって気がする。
こうなるなら、もっと早く行動するべきだった。遅れを取り戻すってわけじゃないけど、これからはもっと積極的になってみようかな。テオドラさんの色々な姿、見てみたいし。
どんな風になっちゃうんだろう。頭の中はとっくに妄想でいっぱいだ。
ふふっ、楽しみだなあ。
色々とあった夕食だけど、ようやく一段落した。主に視線が交わってはどちらかが俯いてドギマギするってことの繰り返しだったけど。
まあ、これでようやくまったりした時間になりそうだ。結果オーライということで。
「おいしかったよ。夏海、ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
「それにしても、どうして今日はこんなに力を入れたんだ? そういう気分だったにしろ、何かあったんじゃないかと思うのだが」
「えっと、それは……」
どうやらまだ波風は静まってくれないらしい。深い意味はないんだろうけど、テオドラさんの言葉は隠したい部分を探ろうとしてくる。
てか、さ。
あたしが職場まで行ったことって、本当に隠しておかないといけないのかな。
黙ったままだと……なんかその、罪悪感みたいなのが湧いてくる。良心が痛むってこういうことなんだろうか。
隠し事をするのって嫌な感じだし、でも言ったらテオドラさんに不快な思いをさせちゃうかもだし、でもでも。
「まあ、ただ単に気が乗ったというのもあるだろう。わからなくもない」
冷笑でも嘲笑でもなく、純粋に緩められたテオドラさんの表情。その透き通った微笑を目にして、あたしの中で何かが揺れ動いた。
言ってしまおう。
これ以上隠し続けるなんてできない。気分を損ねてしまったら許してもらえるまで謝ろう。いつまでも言えずに抱えるより数段マシだ。
テオドラさんだって、あたしに素直な気持ちを隠さずにぶつけてくれたんだ。そこであたしが逃げてちゃダメに決まってる。
あたしはテオドラさんを真っ直ぐ見据え、カラカラに乾いた喉から声を絞り出した。
「あの、実は――」




