第32話 情熱の種火
「ここは……?」
扉の中に入ると、そこには棚やら箱やらがずらりと並んでいた。
物量は多いのに雑多な印象を受けないのは、それらがきっちりと整理整頓されているからだろう。ちゃんと人が通ることを想定した道も確保されている。
けれど隠せない事実。ここどう見ても物置なんだよね。一体どんな仰天の秘密が隠されているんだか。
「驚くのはまだ早いよ」
バルトロメアは、まるでここが自分の城だと言わんばかりに胸を張っている。どこからその自信が出てくるんだろう。それを無条件に信じてしまうあたしも大概なんだけどね。
この物置は横に広く、入口との対角線上にもう一つ扉がある。位置的に考えると、多分あそこが目指すオフィスへと繋がっているのだろう。
そう思い至ったせいか、話し声や書類をめくる音などが耳に届く。本陣へ近付いていることを強く感じて胸が苦しくなる。
大丈夫、大声を出さなければバレたりはしないはず。だから静まれあたしの動揺。
こんな時は違うことを考えて気を紛らわせよう。といってもネタがないので、キョロキョロと辺りを見回して何かないかと探ってみる。
真横にあるのはガラス戸が付いた収納棚だ。その中には過去の様々なデータが入っているであろうファイルが並んでいる。全部を確かめたわけじゃないけど、かなりの量があることは簡単に想像できた。
ここって資料室の役割も兼ねてるのかな。こういうところに左遷された冴えない主任が実は裏の顔を持っていて……とかいうドラマを前に見たことがあるような気が。
なんてことを考えつつ視線を更に上へと向ける。そこでふと気付いたことがあった。
「あれって……」
「おっ、さすがナツミちゃん鋭いねえ」
見上げた先にあるのは隙間だった。あたしの頭が通るくらいの縦幅だろうか。壁と天井の間にできたその空間のおかげで、あっちの物音が聞こえてきたってわけだ。
もしかして、と考えながら上げていた視線を下へとずらしていく。
目的を持って並べられたのか、はたまた偶然か。規則性を持って積まれた箱たちが階段状になっていたのだ。
手を伸ばして触れてみると、それがとても丈夫だということがわかった。中身がみっちりと入っているのだろう。女子一人くらいなら乗ってもびくともしないはずだ。
「アタシが先に見てくるから、ちょっと待っててね」
いたずらな笑みと共にバルトロメアは箱に足を乗せ、身軽な動作で上っていく。
ひらり、と揺れるスカートが気になるけど気にしちゃダメだ。中が見えるほど短くないし、何よりもまずそんなことを考えること自体がよろしくない。
そんなことで頭の中をぐるぐる巡らせている一方で、バルトロメアはざっと視線を走らせて戻ってきた。
「いたよ、テオドラ様。すぐそこにいる」
告げられて、改めて隙間を見上げる。あの先にテオドラさんがいる。あたしの見たことない姿のテオドラさんが。
「……行ってくる」
決意表明のつもりで小さく呟いた。誰に聞かせるわけでもなかったけど、バルトロメアは深く頷いて送り出してくれた。
第一歩、慎重に箱を踏みしめる。多少の沈み込む感じはあるけど、中身が詰まっているおかげで潰れることはなさそうだ。新しい光景に向けて、一歩ずつ足を進めていく。
最後は隙間に手をかけて、背伸びをするように目を覗かせる。その先には、予想通りあたしの知らない世界が広がっていた。
「うわあ……」
思わず吐息混じりに感嘆の声が出てしまった。あたしをそうさせたのは、想像以上に広い空間がそこにあったという事実だった。
まず天井が高い。ここまで上ったからそんなのわかりきってることだけど、実際に目の当たりにするとやはり違った。通常のワンフロアではなく、中二階までを取り入れたような高さだ。
そして横いっぱいに広がるのは、ドラマでよく見るオフィスの風景だった。仕事用のデスクが並び、熱心に作業をしている人たちがたくさん見える。
書類に筆を走らせていたり、数人で集まって何かを話していたりとその様子は様々だ。それほど忙しく動き回ってる人はいないけど、静寂に飾られた真剣な空気はひしひしと感じられる。
なんだか大企業って感じがするけど、一応ここって役所なんだよね。それでもすごいことに変わりはないけど。
視線を奥に移すと、大きな窓が並んでいるのが見える。あたしの身長を軽々と超えるであろうそこから眺める景色は格別に違いない。真剣に仕事をしている人たちの前で考えることじゃないかもだけど。
それにしても。
こんなに広いとテオドラさんを見つけるのも一苦労だ。簡単だよーなんてバルトロメアは言ってたけど、ここまで観察してもそれらしい人影すら見当たらなかった。
ここから見渡せる範囲にも限界がある。もしテオドラさんの席が隅っこの死角に近かったらお手上げだ。なんのために奇妙な変装をしてまでここに来たのかわからなくなる。
というより、テオドラさんが本当にそんな窓際職員だったら、あたしはこれからどんな顔をして接すればいいんだろう。今まで通りに振舞える自信がない。
別にテオドラさんが変わってしまうわけじゃないんだから、あたしさえ頑張ればいいわけで。だから何をどうこうするってのは問題じゃなくて……。
ダメだ。油断するとまた悪い癖が出ちゃう。一度気分転換して考えを切り替えよう。
ありもしない妄想を遠くに映し出していた視線を戻し、俯き気味になりながら目を閉じる。入ってくる情報を制限することで、余計な考えたちがひっそりと姿を消していく。
よし、これでいい。目を開くと視界もどこか澄み渡っている。
気を取り直してもう一度探してみよう。バルトロメアが嘘を言うはずもないし、きっとあたしが見落としていただけだよね。
なんて軽く意気込んでいたら目の前にテオドラさんがいた。
嬉しさや喜びはもちろんあったけど、それよりまず突然のことに出そうになった声をなんとかしなければならなかった。
テオドラさんと直面したわけでもないし、目が合ったわけでもない。ただあたしが覗いている場所の真下がテオドラさんのデスクだったというだけだ。
なんとなく振り返ってみると、何かを察したのかバルトロメアが楽しそうに手を振っていた。
やれやれ、またバルトロメアにしてやられちゃった。いつかお返しするからね。
さて。
灯台下暗しを体験したことだし、テオドラさんの仕事ぶりを観察してみよう。隙間の広さと見える範囲の角度が絶妙で、無理な体勢をすることなく見続けることができる。
バルトロメアのことだから、きっとここまで計算していたに違いない。その心遣いを無駄にしないためにも、じっくりと見させてもらおうじゃないか。
コソコソするような真似をしてごめんなさい、とテオドラさんに心の中で謝っておくとして。
……うん。真面目に仕事をしている姿を見続けるのって、意外と体力使うね。
それにこっちはバレないようにコソコソしている負い目みたいなのがある。なんだか複雑な気分。
それでもあたしなりに観察はしてみた。分厚い本とにらめっこしながら、開いたノートに何かを書いている。文字までは判別できなかったけど、たまに髪が揺れてその隙間から見える顔が破壊力抜群だった。だからどうしたってわけじゃないけど、きっと色々な要素が重なって直視できなくなっていたんだと思う。
テオドラさんって、あんな表情もするんだ……。
初めてみる姿に、なぜだか喉から胸の奥が鈍く詰まった感覚を味わった。
気付いた時には瞬きの回数も多くなっていた。一度それを意識してしまうと止められない。最後には舌の置き場までも困る有様だった。
何もかもがどうしようもなくなってしまったので、一度下へ戻ることにした。
ずっと覗いてるとバレるかもしれないし、この辺でひとまず休憩ってことで。
「どう? テオドラ様いた?」
あたしたちがここにいることを悟られないためとはわかっていても、耳元で囁かれるとくすぐったい。
しかも今はよくわからない心の高ぶりを抱えているのでなおさらマズい。バルトロメアは自分の声が甘ったるくて破壊力が高いことを自覚してほしい。
いや、これは多分した上での行動なんだろうけど悪意がなさそうだから逆に問題というか。
「……うん、熱心に仕事してた」
特に深い意味もなく、大声を出せないからという理由で耳打ちを返す。吐息混じりにしたのは別に仕返しって理由がメインじゃない。
バルトロメアが嬉しそうな表情になったのはそのせいか、それともテオドラさんを見つけられたことに対してなのか。ここにいることがバレやしないかというスリルくらいしか確かなことはない。
「どうする? まだ見てくならアタシも付き合うけど」
「そうだなあ……ところでさ、ここって物置みたいだけど誰か来ちゃわないのかな」
「それは平気。扉に鍵も付いてるし、誰かが来そうになったら隠れるだけの時間はあるよ」
「でも、入ってきたのとは反対側にも扉があるし、もしそっちから来たら……」
「それも大丈夫。あっちからは入れないようになってるから」
「どういうこと?」
「見ればわかるよ」
そう言ってバルトロメアが指差したのは、さっきまであたしがいた上方の隙間だった。自分で確かめなさい、ってことか。
何も心配がいらないなら、まだいても構わないよね。バルトロメアの言葉を確かめつつ、もう少しテオドラさんのことを見ていたい。
なんだかまた誘導された気もするけど、この際だから深く考えないことにしよう。
小手先でどうにかなるような相手じゃないし、この波に乗ったからといって損するわけでもない。
「じゃあ、もうちょっとだけ見ていく」
「ごゆっくりー」
再度、箱で作られた階段に足を乗せる。安全だということはわかっているから足取りも軽い。
覗いてみると、テオドラさんは変わらずデスクに向かっている。大した動きもないのに、なぜか安心できた。
バルトロメアの言葉を確かめるため、視線を右の方へ走らせる。扉の反対側と思われる場所を見て、その意味がすぐにわかった。壁際に何かの機械や棚などが並べられており、扉を完全に塞いでしまっている。
あれなら向こうから人が来ることなんてないだろう。よくもまあ、こんな穴場を見つけたものだと今更ながら感心してしまった。
おっと、なんだか動きがありそうだ。テオドラさんの近くに人がちらほらと集まり始めている。
何かを話しているようだけど、いまいち声が届いてこない。断片を繋ぎ合わせると、ナントカという国の内情がどうとか担当者が出張しているとかいう内容のようだ。
でも理解には程遠い。なんとなく察するのは、これから会議を始めるらしいということだ。例の件がどうとか言っているし、大きなプロジェクトでも動き始めようとしているんだろうか。
それからいくつか言葉を交わしたかと思うと、テオドラさんを含めた一同は奥の方へと移動し始めた。
あたしはテオドラさんの背中が扉に吸い込まれていくまで、身動き一つせずにじっと見つめていた。
夕暮れの空は眩しく、いつもより目に突き刺さる気分だった。俯き気味になってみても緩和される様子はない。地面から反射することでむしろ強烈になっている気さえする。
中央庁からの帰り道。住宅街の路地を、あたしとバルトロメアは並んで歩いていた。
今も頭の中がグルグルしている。あたしの考えが自己完結しているせいか、あまり会話もなく静かな道中だった。
「ナツミちゃん、どうだった? テオドラ様の新しい姿を見た感想は」
「……今日、来てよかった」
ちゃんとした会話はそれくらいだった。
「そっか」
バルトロメアはそれだけ呟くと、あとはもう何も言わなかった。その顔はいつもの笑顔ではなく、すべてを見通しているような達観に染まっているように思える。
あたしの考えていることも手に取るようにわかっているのだろうか。この衝動にも似た意思を。
テオドラさんに何かをしてあげたい。そして喜んでほしい。認めてもらいたい。今以上に近付きたい。
そんな欲求を抱えたせいで、頬が熱くなって鼓動は早まる。夕焼けの光線に熱せられただけならば、満腹感のような胃の締め付け感などは出てこないはずだ。
自分勝手な欲望をダダ漏れにしてるくせに緊張してこんな有様だ。どうしたあたし。
とにかく何かがしたい。家に戻ったら何から始めようか。じっとしているなんて無理な話だ。
テオドラさんの凛々しい姿を見て、やはりあたしは今まで通りに振舞うことなんてできなくなってしまったようだ。
日陰に入ったおかげか、眩しさが緩和された。そっと空を見上げてみる。太陽の反対側には藍色が広がりつつある。夜も近い。
今夜は長くなりそうだ。
変な意味じゃなく、それだけ中身が盛りだくさんになりそうってこと。誰もあたしを止められない。
この自分でもよくわからない気持ちを開放してみせる。それがきっと、一番正しい選択だと思うから。




