第31話 秘密の潜入
「じゃあ、テオドラ様が働いてるところを見てみるってのはどう?」
どうしてこうなったのかよくわからない。
気付けば話の流れがそんな方向へ進んでおり、後戻りができなくなっていた。
考えとしては悪くないと思う。
実際、仕事中のテオドラさんはどんな姿なのか見てみたいし興味もある。
でも、部外者のあたしが行くのもなあ……とためらっていたんだけど。
「大丈夫だよ。ナツミちゃんは有名人だもん。テオドラ様のリトリエになったことだってみんな知ってるんじゃないかな」
それはそれでなんだか困るんだけど。
って、今更そんなこと悩んでもしょうがないか。
幸せなことに、ご近所さんは人柄が良くできた方々が多いようで、芸能人を見かけたミーハーな人みたいに騒いだりしない。
多少は視線を感じることもあるけど、それはテオドラさんと一緒に住んでいるというオプションあってのことだろう。
そんな住みやすい場所だから、居心地の良い環境に浸って新しい動きを望まない心理もあったことに気付かされた。
そのきっかけとなったバルトロメアは、今度はあたしを家の中から引っ張り出そうとしている。あたし一人だったら、きっと踏ん切りがつかずにいたと思う。
「そうと決まれば今すぐ行っちゃおっか。アタシが案内するね!」
というわけで、今あたしは中央庁の廊下を歩いている。なんだかここに来るのも久しぶりだ。今日は懐かしい気分になることが多くて忙しい。
あたしの手を引くバルトロメアは迷うことなく突き進んでいる。地図が頭の中に入っているんだろうか。あたしなんて方向音痴だから、適当に歩いたら一発で迷子だろう。
相変わらず中央庁の内部は複雑だ。廊下は直線がほとんどで入り組んでいるわけじゃないけど、どこも似たような雰囲気で油断すると現在地がわからなくなる。
そもそも今、あたしは何階にいるんだっけ。窓から見える景色が広く突き抜けているから、割と上の方だとは思うんだけど。
「着いたよ。ここがテオドラ様の職場」
指差された先にあるのは半開きの扉。上部に取り付けられたプレートには、確かに「グナルタス外交課」という文字が書かれているし間違いなさそうだ。
……本当に来てしまった。
あまりにも唐突なことだったせいか、胃が締め付けられるような感覚と共に冷静さが失われていく。
うう、やっぱり慣れない場所は厳しい。それにこの雰囲気。緊張感がひしひしと伝わってくる。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。悪いことしてるわけじゃないんだから」
「そうなの? なんだか勝手に入ってるような気がするんだけど」
「だって、アタシたちもこの中央庁に雇われてる人間でしょ? 関係者なんだから堂々としてればいいの」
言われてみればそうか。形式上の話をすれば、あたしはここからテオドラさんの家に派遣されているってわけだし。
ジリオラさんも特に中央庁内の移動を制限するようなことは言ってこなかった。それどころか、この中は自由に歩いていいって言われたような気もする。
「そりゃ偉い人しか入れないようなところもあるけど、基本ここは開放された場所にするってのがジリオラ様の考えだもん」
でも、このいかにもオフィスですと主張する雰囲気に飲まれないほどのレベルには、まだあたしは到達していない。
ふとした拍子に届く新品家電を開封した時のような匂いが、これまたその空気を強めているから困る。
「ところで、ここからどうするの?」
扉の隙間から中をチラチラ見ながら訊ねてみた。受付っぽいカウンターに女性が一人座っているのが見えるだけで、もちろんテオドラさんの姿なんて影も形もない。
「どうするって、中に入るつもりだけど」
「えっ……なんかちょっと、入りづらい雰囲気なんだけど。それにさ、あの受付さんに止められたりしない?」
「それはアタシに任せて。まあ見ててよ」
やけに自信満々だけど何か秘策でもあるんだろうか。
……あるんだろうなあ、きっと。
一見するとバルトロメアは猪突猛進タイプだけど、それが実は綿密な観察と計算による行動だってことは今までの付き合いでわかってる。
だから、軽い会釈をしただけで受付を素通りできたのには大して驚かなかった。まあバルトロメアなら仕方ないよね、みたいな気分。
そして、そのトリックが単純明快だということもなんとなく予想はしてた。
「実はね、アタシよくここに来てるんだ」
「もしかして、雇い主さんの関係で?」
「そうそう。シャンタル様っておっちょこちょいなところがあってね。忘れ物を届けたり、仕事が終わる頃にお迎えしたり……何回もそんなことしてたから、顔を覚えられちゃってさ」
「確か、テオドラさんと同じ職場で働いてるんだっけ」
「それに同期だから仲も結構いいらしいよ。研修の時に仲良くなって、それからずっと息の合った働きで頑張ってるみたい」
そんな凄い人のリトリエという立場なら門前払いされることもない、ってことか。
うん、納得した。
あたしも何度か来るようになれば顔パスで通れちゃうのかな。なんだかあの受付さんが「私は全部わかってますからね」みたいな目であたしのことを見ていたのが気になるけど。
「もしかして、あたしがテオドラさんのリトリエになったことって知れ渡ってるのかな」
「そりゃそうだよ。前にも言ったじゃない。ナツミちゃんは時の人なんだよって」
なんだか実感があるような、ないような。
自覚すると自意識過剰に思えるけど、認めないのも逃げてるだけのような気がする。
うむむ、考え方変えていかないとなあ。
「そうだナツミちゃん、これ」
「んー?」
どこから出したのか、バルトロメアが帽子や眼鏡といった何やら意味ありげな装備品を渡してくる。
いや、そんな漠然とした表現はやめよう。どう取り繕っても、それは変装セットにしか思えないのだから。
種類も揃っていて本格的、というか付けヒゲなんて本気で使うつもりだったんだろうか。探偵コメディードラマじゃないんだから。
「なんでこんなの用意してるの」
「見つからないように、念のためだよ」
「念のため、ねえ……」
せっかくなので装着してみる。念のため、ってことでね。もちろん変なのは無視して当たり障りのなさそうな物を選んでいる。
あ、意外と通気性が良くて助かる。
一足先に不審者の装いとなったバルトロメアは、やけにウキウキした様子で大胆な忍び足を披露していた。
あれじゃ目立ちすぎて逆に目を逸らされるパターンだ。この世界にも、そういう見ちゃいけません的な精神があればの話だけど。
それにしても静かだ。
課内の廊下を進んでいる間、誰かとすれ違うことはなかった。それはあたしたちの目立って仕方ない姿を知られずに済んだということである。
しん、と静まり返った空間。
いくら仕事中とはいえ、多少の物音くらいはあるんじゃないだろうか。それとも防音設備がしっかりしてるのかな。
いくつかの扉を素通りして進んでいるけど、バルトロメアはそれらに目もくれず歩いていく。
きっと目的の場所はもっと奥にあるのだろう。中央庁自体がとても広いし、テオドラさんが働くところ以外にも色々と部署があるみたいだ。なんとなく会社っぽい。
ちょっと危ういところはあるけれど、バルトロメアを信用して間違いってことはない。少なくともあたしはそう信じているから黙ってついていくだけだ。
決して声を出すと誰かに見つかりそうだからというわけじゃない。そんなこと二割くらいしか思ってないし。
なんて余計なことを考えて歩いていたせいで、急に立ち止まったバルトロメアにぶつかりそうになった。
寸前で激突は免れたけど、少し残念そうなバルトロメアの表情は見逃さなかった。
どうして背中ではなく正面がこちらを向いていたのか、広げようとして行き場を失ったその気まずそうな両腕はなんだとか、叩けば色々と出てきそうだけど、これは後のお楽しみに取っておこう。
「ここにテオドラさんがいるの?」
今はやるべきことを済ませるのが先だ。ここまで来たら当たって砕けずにやり遂げてやろうじゃないの。
「そうだよ。この扉の奥で、テオドラ様がお仕事してるはず」
ようやく着いた、なんて大それた道のりじゃなかったけど、あたしはそんな気持ちになった。
なんの変哲もない内開きの扉だ。テオドラさんはこの向こうでどんな風に働いているんだろうか。もうすぐその答えが明らかになる。
ただし、目の前にある問題を解決できたらの話だけど。
「で、どうやって中に入るの?」
これ以上の正面突破は無理というか無謀でしかない。
今までの話や受付さんの対応からして、入ること自体は可能だろう。あたしたちの奇妙なファッションを見られてしまうというのは置いておくとして。
でも、ここに来た目的を忘れてはいけない。テオドラさんの働いている姿を見るためだ。飾らない、ありのままの様子を。
そのためには、テオドラさんに気付かれることなくこっそりと観察しなければならない。ちょっと後ろめたい気もするけど、ここまで来たら引き返せない。意地だよ意地。
「ふっふっふ、実は秘密の場所があってね。そこからなら誰にも見つからず部屋の中が覗けちゃうんだよ」
自信満々な様子に期待が膨らむ。隠し扉でもあるのかな。
たとえばそこの壁がどんでん返しになっていて、奥には秘密の階段があって、その先にポツンとある小窓から人知れず中の様子を見ることができるとか……。
「ナツミちゃん、どうしたの? ほら、こっちだよ」
というあたしの妄想は数秒で粉々に砕け散った。すぐそこの扉を開けたバルトロメアはそんなあたしの様子を気にすることなく手招きしている。
一体その先に何があるって言うの?
疑問はあるけど、今のあたしはバルトロメアに従う以外の選択肢など出せるはずもなく。
その誘いに乗るしかなかったのである。




