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光浪夏海の異世界百合物語  作者: 虹月映
第一部  異世界への招待
3/85

第3話  夏海の一日(2)

「……ふぅ」


 自室のベッドに体を預け、過去を振り返る。後ろだけ見ていると前には進めないとわかっているのに意識は勝手に時間を遡ってしまう。

 

 どうしてこうなってしまったのだろう。


 この浪人生活が始まったのは受験に失敗したまま卒業した時なのだが、そこに至るまでには多少の思惑と苦悩があった。

 

 あたしが通っていた高校は特に進学校というわけではなかった。それでも周囲はみんな大学を目指していた。

 輝かしい目標などそこにはなく、一応進学しておいた方が色々と有利だからという考えがほとんどだった。

 

 あたしも似たようなものだった。ただ一つ違ったのは、そこに目標を持ったことだ。

 今考えればバカみたいなことだったが、当時のあたしは本気で国立大学を目指していた。

 理由は簡単。学費が安かったからだ。ちょうど電車で三駅という近場にその大学があったことも決め手になった。

 

 そこに通うことで家計の助けになり、今まで育ててくれた両親への恩返しになると信じて疑わなかった。

 だから滑り止めの私立受験もせず、国立一本で突っ走った。

 

 その結果、足下に転がっていた石につまづいて盛大にずっこけた。

 転倒地点には浪人生活へと続く深い穴があり、あたしは見事そこへ落下したというわけだ。


「今日はどうしよっかなあ……」


 いつまでも黄昏気分でいたってしょうがない。ボケっとしている時間が無駄になってしまう。

 とりあえずベッドから離れて机に向かうことにする。

 

 参考書の一つでも読もうかと思ったが、やはり手が伸びてしまうのは違う方向。

 椅子に座るのと同時にパソコンのスイッチを入れてしまう。

 すぐに起動画面が現れる。新古品だからと侮ってはいけない。浪人生活に入る直前、情報を早く得るためとか適当な理由を付けて買ったのは正解だった。貯金を崩しただけのことはある。

 

 マウスを左手で操作しつつネットの海に飛び込んでいく。右手が届く範囲には携帯やメモ帳など、ネットを見ながら片手間に使えそうな物を揃えている。

 これこそ両利きの利点なんだよね。あたしが誇れる数少ない特技の一つだ。


 

 

 

 

 カチカチとクリック音を不定期に響かせてぼんやり液晶画面を眺める。

 今は何時だろうかと右下に視線を向けてから、開始時刻があやふやなことに気付いた。


 お気に入りサイトを巡るのは特に理由はない。頭を空っぽにしてできるのがそれくらいだというだけのことだ。

 そのせいか、またしてもいらないことを思い出してしまう。どうせ無駄な抵抗だとわかっているから、今はもう止めようとすら考えない。


 受験の空気が濃くなっていく中で、我が家の財政事情は特別ピンチというわけではなかった。

 それどころか十分な貯蓄があったと思う。

 その時父はもう支店長になっていたし、そもそも余裕がなかったらこの一軒家を買うなんて無理な話だったはずだ。


 けれど、父がその立場を得るまでには相当な苦労があったことを理解したのもその頃だった。

 あたしが小さい頃は夜遅くに帰ってくることが当たり前で、朝は母よりも早く起きて仕事に向かっていた。

 もちろん土日も家にいないことが多かった。仕事以外にも付き合いが色々あるんだろう。

 あたしもグズグズしていられない。何か大きなことを成し遂げてみせるんだ。

 

 そうして自分の中で余計なことを抱え込み、一人で勝手に突っ走って盛大に転んで挫折したのが誰かというと、今ここでネット廃人になっているあたしである。

 人はほんの些細なきっかけで変わってしまうものなのだ。


 おっと、馴染みのネトゲでイベントやってる。そういえば今日からだったっけ。始まってすぐに参加できるってのも、この時間に融通がきく生活の醍醐味ってやつだよね。

 女性というのはネットにおいて強い武器になる。

 ゲームでも絶大な効果を発揮し、無課金ながらイベントでは毎回ランキング入りを果たしている。こういうのは協力し合うゲームだからね。

 

 そう。これはあたしだけのスタイル。

 同じように、何かきっと自分にしかできないことがあるはずだ。今はそれを探す大切な充電期間なんだ。

 今はまず、目先のイベントに集中しないとね。最初から遠く大きな目標を立てると失敗するのはもう痛いほど学んだ。人は挫折を乗り越えていくようにできている。

 

 というわけで、あたしはネトゲの世界に没頭していくのだった。

 目指せ上位ランカーの仲間入り!

 


 

 

 

「……目が痛い」


 あれから一日中パソコンに張り付いていたおかげで、イベント参加初日からランクイン安定の順位まで食い込めた。

 母に作ってもらった昼食をパソコンの前で食べて、人として大切な何かを犠牲にした甲斐があった。

 窓の外は夕焼けを通り越して暗くなっており、階下からは空腹を誘ういい匂いがする。そろそろ夕食ができたから来なさいと母が呼ぶ頃だろう。


 右手が届く範囲に常備している目薬を手に取って、いつものように点眼する。染み渡る爽快感に浸っていると、なんだか一仕事終えた気分になれる。

 まあ実際そうなんだけど。ネトゲは遊びじゃないんだぞ、ってね。


「夏海、ご飯できたわよ。お父さんも待ってるんだから早くいらっしゃい」

「今行くー」


 予想通りの呼び出しに返事をし、パソコンを休止状態にしておく。食後にまた続きをやるためだ。

 体力とかスタミナが回復してるだろうし、そのまま放置したらもったいないからね。


 部屋を出ると踊り場も階段も真っ暗だ。

 けれどあたしは電気を付けずに歩を進める。足を踏み外すなんてヘマはしない。何度も上り下りしているので、体が覚えているのだ。

 それに、こうすることで少しくらいは電気代の節約にもなるだろうし。パソコンを長時間使ったせめてもの償いってことで。

 

「お待たせー。あ、お父さんお帰り」

「ただいま。よし、じゃあ食べるとするか」


 父の号令で夕食が始まる。

 昨夜の残り物が少しと、今日作ったおかずが数品のいつもと変わらないメニューだ。今朝あたしがキンピラごぼうを食べたけどそれは誤差の範囲だろう。

 

 テレビではバラエティ番組が流れており、父が時々その内容を拾って突っ込みを入れている。

 画面の向こうと会話するようなこの行為、昔はなんとなく受け入れられなかったけど最近では許容できるようになった。

 思えばあたしも変わったものだ。それがいい意味とは限らないのがポイントだけど。

 

 小学生の頃は、帰りが遅く休日も寝てばかりの父に不満ばかりがたまっていた。

 友達はみんな楽しい所につれて行ってもらえるのに、どうしてあたしはそうじゃないのかと言っては母を困らせていた。

 父は家庭で仕事の愚痴を一切こぼさなかった。母も同じ職場に勤めていたおかげで理解があったのだろう。毎日身をボロボロにして働く父を寛大な心で支え続けていた。

 

 一方で何も知らないあたしは好き勝手なことを考え続けていたのだ。

 その愚かさに気付いた時、あたしは何か恩返しをしなければと強迫観念にも似た思いにとらわれた。

 子のワガママをなだめるのも親の楽しみだ、なんて綺麗事で片付けるつもりもなかった。


 けれど、あたしは思った以上に無力だった。

 未成年で親の世話になりながら学校に通う。そんな身分で何かをやってやるなんて夢物語が関の山だった。

 できることすら浮かばぬまま時は過ぎていく。

 

 いつしか父の勤務時間は安定し、家族の時間が増えていた。

 住む場所も今までとは比べ物にならないほど好条件になっている。転校の必要がない程度の引っ越しだったのも、そこに思惑があったことが容易にわかってしまう。

 だからこそ焦った。

 

 ちょうどその頃あたしは高校二年の冬を迎えており、周囲では受験の雰囲気が色濃くなっていた。

 そこで閃いてしまったのだ。国立大学を目指すという滑稽な目標を。学費だけでなく、国立という名前が持つ影響力も夢見ての暴挙だった。

 

 一度決めてしまうと視野が狭くなるというのは本当だった。あたしは自分の足元すら見えていなかったのだから。

 そして、大切な存在であるはずの両親さえも視界から外れていた。

 進路についてまともな相談をした記憶はもちろんない。

 

 浪人生活が始まってからも両親の対応は完璧だった。

 急かすこともせず、放任主義にもならず、今までと変わらぬ態度で生活を続けている。外から見れば何事もなかったように思えるだろう。

 

 友達もみんな同じだった。

 あたしはこんな性格だけど、なぜか昔から友達だけは多かった。特に何もしていないのに、向こうから好意を持って接してくれるから苦労はない。

 けれど、この時はそうもいかなかった。

 腫れ物に触れるようなこともせず、自分たちの大学生活を語って聞かせることもなく、高校時代と同じままでいてくれた。あたしが望むままの姿で仲良くあり続けてくれた。

 

 あたしはその空気が痛くてたまらなかった。

 自分で招いた結果だとは十分わかっている。誰が悪いというわけでもないのに、どこかにこの積もり積もった感情をぶつけないと壊れてしまいそうだった。

 そうして行き着いた先がネットだった。顔の見えない電脳的な繋がりは気楽で、あたしにぴったりだった。

 連絡をくれる子からは自分から距離を置くようになった。最初のうちはそれでも気にかけてくれることが多かったが、次第にそれも少なくなっていく。

 

 今ではあたしと定期的に連絡を取り合う子なんてほとんどいない。ネトゲ仲間との方が多く語り合っている有様だ。


 両親との会話量は普通だと思う。

 ただ、今は食事中だから最後にこんなやり取りをするくらいだけど。

 

「ごちそうさま。悪いけど、お茶もらっていいか?」

「お茶ね。夏海も飲む?」

「いや、いい。あたしまた部屋に戻るから」


 使い終わった食器を流しに置いて、あたしは逃げるように居間から立ち去った。いつものことだから何かを言われることもない。

 

 そしてあたしは再びネットの世界へ飛び込んでいく。

 胸に抱えた黒いわだかまりは、この生活を始めてから消えることなくこびりついたままだ。

 

 それを消す方法をあたしは知らないし、知ることさえもできないのだろう。

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