第25話 緊張の対面
住宅街のど真ん中。
テオドラさんの家は相変わらず普通で目立たない。気を抜いたら通り過ぎてしまいそうだ。
ここに来るのは、あの面談の時以来だから二度目になる。どこにでもありそうな二階建ての一軒家。前に見た時よりも少しだけ大きく感じるのは気のせいだろうか。
引越し作業や必要な物の搬入があったけど、それは担当の人が済ませてくれている。元からそんなに私物があったわけじゃないし、その点は簡単だったらしい。
あの時と同じように、玄関扉の前に立つ。その横にある呼び鈴を鳴らせば、すぐにテオドラさんが迎えてくれるだろう。
もう一度だけ確認する。
いくら周囲に溶け込んでいるからって隣家と見分けがつかないほどではない。
間違いなく、ここはテオドラさんの家だ。
小さく深呼吸をして、呼び鈴を押す。
この前と変わらない響きがわずかに聞こえた。手汗に気付いてそっと拭う。
どんな顔をしてテオドラさんに会えばいいんだろう。いや、別に身構える必要もないか。ああでも一応は新たな門出になるわけだしどうしようか。
やっぱり最初が大切だよね。
まずは礼儀正しく頭を下げて、開口一番で挨拶をしよう。そうしたらテオドラさんも同じように返すだろうから、あとは少しずつ流れに任せて雰囲気を和らげていけば完璧だ。
まだ一回しかまともに会話していないけど、それでもテオドラさんの性格はなんとなく読み取れた。寡黙そうに見えるけど実は話好きな方だとか、その辺も含めて全体的に不器用っぽいとか。
あと、全体的にあたしと似てるとか。そりゃ外見の端麗さは敵わないけど、内面とか雰囲気がそんな気がする。波長が合う、って言うのかな。
だから変なことにはならないと思うんだけど、やっぱり緊張は消えてくれない。
仕方がないので最初からシミュレーションをやり直しては適当に完結させて振り出しに戻る作業を繰り返すことにした。
「……どうしたんだい、難しい顔をして」
そして、そんな行動が変な結果を導いてしまうのも予定調和。
気付けば扉が開いてテオドラさんが顔を覗かせていた。首を傾げて疑問符をいっぱい浮かべている。
こうしてあたしはよくわからない表情でテオドラさんと向かい合うことになってしまった。
よく考えたら初対面じゃないんだからやっぱり普通にしておけばよかった。ああ後悔先立たず。
「い、いやそのえっと」
「待っていたよ、夏海」
困惑するばかりだったあたしだけど、その声を聞いたら肩の力が抜けた。
どうしてだろう。まるで魔法の言葉でもかけられたみたい。
「よ、よろしくお願いします!」
少し残った緊張を言葉に乗せると、テオドラさんはなぜか得意気に家の奥へと手をかざした。
「夏海の部屋を用意したんだ。元は物置だったのだが、自分なりに改装してみた。やはりリトリエを迎えるなら相応の準備をしなければと思ってな」
自信満々に語るその姿は、まるで百点を取って周囲に見せびらかす子供のような無邪気さに溢れている。
なんだろう。とてつもなく可愛い。
テオドラさんはどちらかと言えばかっこいい系だけど、こんな一面も持っているようだ。
ギャップ好きなあたしの心を狙い打ちにしてくるから嬉しい悲鳴が出そう。今はそんなヘンテコ方面へ気持ちを切り替えるだけの余裕がないから何もできないけど。
「ほら、ここが夏海の部屋だよ」
優雅な足取りに導かれて、あたしのために用意された部屋の前に立つ。
この扉を開けばテオドラさんの気持ちを受け取れる。もちろんすぐにでもそうしようと思っていた。
「……なんですか、これ」
けれどあたしは自分でも驚くほど冷静な声でそう訊ねていた。ついでにさっきまで心を満たしていた嬉しさが急激に引っ込んだ。
それもそのはず。扉の両脇に積み上がった有象無象を目の当たりにしたからだ。即興で作られたであろう二つの塔が、なんとも不安定なバランスで揺れている。いつ崩れて大惨事を引き起こしてもおかしくない。
「何って、夏海の部屋だよ。ほら入って」
テオドラさんはあたしの変化に気付かないようで、ムズムズする心を隠さずに純粋な目を向けてくる。
そのせいか、あたしは逆に冷静さを取り戻していた。心に余裕も生まれている。緊張とかしてる場合じゃない。
まったく……しょうがないな、テオドラさんは。
「そうじゃなくて、この二つの山のことなんですけど」
「ああ、中にあった不要な物を出したんだ。運び出すだけで一仕事だったよ」
どうやらここまで言ってもまだ気付かないらしい。
きっと悪気はないのだろう。あたしのためを思っての行動ということはわかっている。だから嫌な気はしないどころか嬉しさで胸があたたかくなったんだけど。
でも、このままにしておくのもよくないよね。これからテオドラさんと一緒に暮らしていくんだし、あたしがしっかりしないと。
「もしかして埃っぽいだろうと思っているのかい? 安心して。ちゃんと空気の入れ替えも済んでいるよ。さあ、遠慮せずに」
拒否するつもりはないので、ひとまず中に入ることにした。こんなに真っ直ぐで熱心に勧めてくるんだし、邪険にもできないよね。
扉を開いて、すぐ横の適当な場所に荷物を置く。ざっと見渡した室内はすっきりしていて、元が物置だなんて感じさせないくらいだった。必要最低限の家具や事前に運び込んでもらった私物は揃っているみたいだ。
なんてことを確認してすぐに引き返す。
以上、五秒ほどの流れるような動作。
「……どうしたんだ、夏海。しばらくゆっくりしていていいんだぞ」
「そういうわけにはいきません」
はっきりと言い放ち、扉に向かって左側の山に手を伸ばす。大小様々な無秩序の塊を見ていると、よくもまあこんなになるまで溜め込んだものだと感心さえしてしまう。
むう、まずはどうやって片付けようか。上から順番に取らないと崩れそうだし慎重にいかないと。なかなか骨のありそうな案件だ。
「何をしているんだ?」
首を傾げるテオドラさんの頭上には、さっきとは違う種類の疑問符が浮かんでいる。
なるほどね。こういった生活に慣れているから、あたしの行動が不思議に映るのだろう。
何かで聞いたことがある。掃除ができない人は模様替えが好きだって。先人はいつだって答えを示してくれるものなんだね。
「どうやって片付けようか考えているんです。これ、そのままにしておくなんて無理ですよ」
「……別にいいんじゃないか?」
「ダメです」
「ダメか……でも、それならどうするつもりなんだ。まさかまた部屋の中に戻すわけにもいかないだろう」
確かに。そんなことをしたら意味がないし、せっかく用意してくれたあたしの部屋も潰れてしまう。
何かいい案ないかなあ。
「……そういえば、さっき言ってましたよね。これはみんないらない物だって」
「いや、今は確かに使っていないが、きっと将来何かの役に立つはずで」
「わかりました。全部捨てましょう」
「な……なんてことを」
本気で絶望したようなリアクションを見せるテオドラさんに、あたしはこれまたどこかで聞きかじった掃除の心得を説く。
「この中にある物で、最近使った物はどれですか?」
「そうだな……それを確か半年前に、いやこっちの方だったかな? 待てよ、あれもなんとなく見覚えがあるような」
「つまり記憶があやふやになるほど放置していたってことですね。わかりました。捨てましょう」
今までろくに使わなかった物は、これからも使うことがない。
これが物を捨てる心得だ。必要なのは区切りを付ける勇気だけ。ついでに未練も捨てればベスト。
さてと、それじゃ一仕事始めちゃいますか。
「夏海……本気、なのか?」
テオドラさんの呟きに、あたしは深く頷き返したのだった。




