閑話 彼女の現在
無用な戦いは回避しろ。
セレナから受け継いだ戦闘術の基本はそんな言葉だった。
外交官として諸国を飛び回るセレナの戦闘力は高い。並みの相手ならいざ知らず、熟練の戦士さえも力の差を思い知らされるほどである。
しかし、セレナは積極的な戦いを好まなかった。戦わずして事が済むに越したことはない、といった考えがあったのである。
そのために何をするか。
答えは簡単。不用意な行動を避ける。その一点である。
長年セレナと暮らした国を後にした彼女が向かったのは、数時間程度で辿り着く港町であった。
大規模な移動は極力明るいうちに済ませ、闇が支配する夜は翌日の計画立案と休息に費やす。
彼女にはセレナに教えられた知識があった。地理と言語は特に役立った。どの道筋を選んでいけば効率が良いかを算出し、地域ならではの情報を集めてその助けにする。
目指すのは、セレナが出張していた国だった。そこへ行けば何かがわかる。そう信じて彼女は行動している。
むしろ、何もせずにいることが耐えられなかったのだ。
目的の国へ到着した。自然の緑に囲まれた領土を涼しい風が撫でている。気候も穏やかで、木々が育つには最適の環境が揃っていた。
当時、彼女はまだ幼さの残る姿であった。通常ならば親の保護下で緩やかに成長している年齢である。
そんな少女の来訪など誰にも予想できなかったに違いない。情報収集の厳しさは生半可なものではなかった。
それでも彼女はセレナを捜し出すという気迫を失うことはなかった。ただ貪欲に、些細な手がかりまでも食らいつく。
得られる情報がどれも信憑性の薄いものばかりであるとわかれば、周辺の町や国を巡った。
少しでも気になった情報があれば躊躇なく海を越えた。言語の壁に阻まれた時は独学でその国の言語を習得した。
危険な地域へも足を踏み入れ、襲撃を払い除ける延長線で盗賊団を壊滅させていたこともある。
挙句の果てには、そういった集団の頭領ならば幅広い情報を握っていると考え、自ら巣窟へ乗り込むようになった。
一つの賊を潰せば、また次の獲物を求めて目を光らせる。もはや手段など選んでいる余裕はなかった。
ここまでの無茶を成し得たのは、彼女が持つずば抜けた戦闘能力があってこそである。セレナに教えを請わなければ、ここまで強くなることはなかった。
しかし、彼女の行動には大切な部分が抜け落ちていた。
無用な戦いは回避しろ。
セレナが重んじた心得は、いつしか遠い所へと追いやられていた。
この段階で、セレナが姿を消してから年単位の時が過ぎていた。
彼女の噂は徐々に、しかし確実に広まっていた。女性一人ながら凄腕の放浪者がいる。意図せず彼女は時の人となっていた。
そうなれば様々な方面から声がかかる。腕利きのハンターや名門ギルドからの誘いも数え切れないほどあった。
けれど彼女は首を縦に振ることはなかった。破格の報酬と待遇を約束されていても、それらに一切の関心が湧かなかったのだ。
彼女が重要視する事柄はただ一つ。セレナの消息についてだけである。
時は過ぎ、ついに彼女は限界を感じた。
たかが自分一人では先が見えている。その事実に気付いてしまったのだ。
諦めたわけではない。新たな方法を模索し始めたのである。
やがて一つの結論を出した彼女は、思い出を残してきた古巣へと帰ることにした。
孤児院のあった国ではない。セレナとかけがえのない時間を過ごした家のある国へ。
数年後、彼女は目標を達成した。
しかしそれは終わりの意味ではない。ここから新たな始まりの一歩を踏み出すのだ。
セレナを見付け出す。それだけを考えてこの日を迎えたのだから。
そのために、狭き門をくぐり抜けたのだ。難関である長期間の訓練も、彼女はあらゆる分野で近年稀に見る好成績を叩き出した。
すべてはセレナと再び会うために。
今の彼女には大きな力がある。後ろ盾もある。揺らぐことのない地位さえもある。
今、彼女はセレナと暮らした家の前に立っている。以前セレナがそうだったように、職務に必要な住居として国から与えられたのだ。
当然、そうなるように尽力は惜しまなかった。
何年も主を失っていた我が家の空気は冷たかったが、一日が終わる頃には慣れていた。元よりそこが彼女の居場所だったのだ。
彼女は手に持っていた書類を開き、思い出が染み込んだ机に広げた。それをセレナに捧げるかのように目を閉じて思いを馳せる。
現在の自分を定義する就任通知書。その文面は、このような内容となっている。
テオドラ・ベルトイア
上記の者、ラクスピリア中央庁・グナルタス外交課への所属を命ずる。




