第16話 待望の再訪
慣れ親しんだ町に舞い戻ったあたしがしたことは、一言で済ませれば親孝行だった。それ以上は詳しく説明する必要も意思もないので想像に任せる。
別に大したことはしてないけど、仮にも家を空けるわけだし今まで育ててくれた親に感謝しておくのが礼儀ってものだろう。それを言葉ではなく態度で示したわけだ。
これ以上あたしの親孝行事情を話すと羞恥心が爆発しそうなのでこれくれらいにしておこう。
それよりも時系列順に流した方がわかりやすいだろうし、それが定石ってものだ。
漫画喫茶の個室で目覚めたあたしは、まず携帯電話の時刻を修正した。正確には現在時刻を確認しようとしたらその小さな異常に気付いたと言うべきか。
ジリオラさんが言ったようにこちらの時間はほとんど進んでいなかったけど、あたしと一緒に向こうで長時間過ごした携帯電話は深夜二時という的外れな時刻を示していた。
こうしてあたしは時刻設定という身近だけどあまりしない作業をするハメになった。
ちなみにネットを使った自動補正機能でなんとかならないかと少し待ってみたけど何も起こらなかった。異世界に行った影響で変なことになってなければいいんだけど。
ともかく。
これが割と面倒だったので、これからは持って行かない方がいいという結論に達した。
電波が届くわけないから通話もメールもできないし、暇潰しならゲームをするよりバルトロメアと散歩でもした方が楽しいに決まっている。
それから真っ直ぐ家に帰り、母の手伝いをしたり父を交えて食卓を囲んだりした。
いつもと変わらないのは見た目だけで、あたしはその一つ一つを大切に噛みしめて過ごした。
二度と会えないわけじゃないけど、一応親元を離れて暮らすことになるわけだし胸が苦しくなる。
だから、その内容を語ったりはしない。
自分勝手なけじめを付けてきたってことにしてくれればいい。大差ないし。
両親の方も変わった様子などなく普段通りの日常を見せてくれた。
それでいいじゃないか。
いつも通りということが、どれだけ安心できる貴重なことかを知れただけで。
こうして心を切り替えたあたしは布団に潜り込んで眠り、目覚めたら豪華なベッドの上というお決まりの流れでラクスピリアに戻ってきた。
起きたら違う場所というのはどうしても慣れないけど、そんな頻繁に往復するわけでもないしあまり気にしない方がいいかも。
そんなことをぼんやり考えながら眠気をごまかして起き上がる。
今日からこの部屋があたしの暮らす場所になるんだ。
見る限り生活に必要な設備は整っているみたいだし、ホテルの一室と言った方がイメージとしては合っているかも。
窓から朝日が差し込んで部屋を暖めている。昼夜の区別と太陽があるという、ともすればすんなり受け入れてしまいそうな異世界の摂理には慣れてきた。
これがもし一日中夜の世界とかだったら困り果てて悩んで怯えて二度と来ないって宣言していたことだろう。
部屋の中を探索していると、コンコンとドアが叩かれた。
このタイミングのよさ、きっとジリオラさんだな。
「はーい、どうぞ」
「ナツミちゃん、おかえりなさい!」
扉を開けた瞬間に勢いよく部屋に飛び込んできたバルトロメアが、そのままあたしの胸に突進してきた。
たまらず数歩下がって受け止めたけど寝起きにこんな運動をさせないでほしい。
それにしても相変わらずスキンシップが激しい。そのうちこれにも慣れる時がくるのかな。
もし慣れたら……あたしからも同じようなことをするようになるのだろうか。考えたら少し頬が熱くなった。
「バルトロメア、どうしてここに?」
「もうすぐナツミちゃんが来るってジリオラ様に教えてもらったんだ。だから絶対お迎えしなきゃって思ったの!」
なるほど。
よく見れば頬が染まって息が少し荒くなっているみたいだし、走ってきてくれたのかな。そんなことしなくても逃げたりなんかしないのに。
「待たせちゃったかな。ただいま」
「えへへ、待ってる間ずっとナツミちゃんのこと考えてたんだよ。向こうで何してるのかなって」
うう、相変わらず笑顔が眩しい。
それに感情を真っ直ぐぶつけてくるし、そういうことをされると頬が緩むからいけない。
けれど素直じゃないあたしは、照れ隠しのつもりで言葉を簡素に済ませてしまう。
「大したことはしてないよ。家の手伝いをして、両親とご飯食べたくらいだし。バルトロメアは?」
「アタシはお父さんやお母さんにナツミちゃんのことを話してあげてたよ。異世界から来たお友達ができたって自慢しちゃった」
「あたしって自慢されるほどのことはしてないと思うけど」
「そんなことないよ。異世界から来た子がいるってことは、もう国中に知れ渡ってるんだから。ジリオラ様が直々に連れてきたんだし、全国民が注目してるんだよ」
「そんな大げさなことにはなってほしくないんだけど……」
なってしまったものは仕方ないけど、その辺を歩いているだけであれこれ言われるかと思うと少し変な気分だ。芸能人が変装する理由がわかったかも。
「大丈夫だよ。ナツミちゃんにはアタシがついてるから。変なのが来たら追い払っちゃうもん」
心を読んだような言葉に安心する。
やっぱりバルトロメアは鋭い観察眼を持っているようだ。こうやってマメに気付けるような人間にあたしもなりたい。
リトリエになれば、あたしも変わることができるのだろうか。
「ねえ、バルトロメア。今日はリトリエについて教えてくれるんだよね?」
「そうだよ。まずはリトリエ課の方に行って、申請手続きから順を追って説明するつもりなんだけど……」
言葉を切ったバルトロメアがあたしの体をじろじろと眺めている。
見て楽しい肉付きはしていないはずだけど、なんてことを思いながら自分でもその視線を追ってみる。
「あ」
そこでようやく自分がひどい格好をしていることに思い当たった。
ボロボロということではなく、とんでもなく場違いという意味で。
いや、確かにくたびれてシワだらけなんだけど、それがメインの問題ではない。
眠っている間に移動したので、あたしはパジャマ代わりに着ていたジャージのままだったのだ。
着る機会がなくなった高校時代の遺物を使うという貧乏性が露見してしまった。胸の部分に刻まれた校章とあたしの名字がものすごく恥ずかしい。
ああ、バルトロメアがとてつもなく微妙な苦笑を浮かべちゃってるよ。
「それがナツミちゃんの世界の私服なの?」
「いや、これはその……寝る時に着る特別な服みたいな、ね?」
「パジャマみたいなもの?」
「そうそうパジャマ」
パジャマ、という部分には聞き慣れない単語があったけど、ペンダントのおかげで意味のある言葉に変換されたようだ。
ありがとう便利アイテム。寝巻きとかいうちょっとイメージ変わりそうな言葉を採用しないでくれて。
「そっか。じゃあ着替えないとね。待ってて、似合いそうな服をアタシが探してあげるから!」
ぱっと表情が明るくなったかと思ったら、バルトロメアは部屋の中にある衣装棚に駆け寄った。中身を物色して引っ張り出しては何やら呟いて自問自答している。
ちょっと走り気味なところはあるけど、それがあたしのためを思っての行動ってことはよくわかる。
こうやってバルトロメアに翻弄されるのが楽しみになっていることは否定できない。ちょっとくすぐったい気分だけど、素直に嬉しいと思えてしまう。
あたしも誰かをこんな気持ちにすることができるのかな。
もしそれを成し遂げたら、あたしもきっと心が満たされるだろう。なんとなくそう思った。
服を選ぶバルトロメアの後ろに近付いてみる。
肩越しに手元を覗き込もうとしたら、振り向かれて視線が重なった。満開の花にも似た笑顔があたしに向けられている。
あたしはそのままバルトロメアの隣で、自分に着せられる服が決まるまで眺めていた。




