第15話 一時の離別
「ねえ、ナツミちゃん」
「ん?」
あれからバルトロメアはすぐにいつもの調子を取り戻した。
やはりこの顔が一番似合っているし、あたしも笑顔を向けられる方がいい。
それはいいんだけど、一度くっついたのに味を占めたのか離れようとしない。
嫌というよりむしろ嬉しいけれど、色々と体に押し付けられてどんな顔をしたらいいのかわからなくなる。
今はまだなんでもないようなふりをしていられるけど、果たしてこれがいつまで続くことやら。
「戻ってきたらまた一緒にお話したり、ご飯食べたり、お散歩したりしようね」
「うん。あたしも同じこと言おうと思ってた」
「そっかー……えへへ」
こんな純粋無垢の権化みたいな笑顔を見せられてキュンと来ない人なんているのだろうか。
あたしだって少し心がざわついてしまうくらいだ。身構えていなければ危なかった。
「じゃあ、ナツミちゃんは今日アタシと一緒に過ごして、少しでも癒された気分になってくれた?」
「そりゃあ、ね。バルトロメアと友達になれて嬉しかったし、一人だったらもっと違ってたと思うから」
「アタシも嬉しいよ。ナツミちゃんと過ごせたのもそうだし、癒してあげられたってことも」
その言葉を聞いて何かが閃いた。
曖昧な形のそれは徐々に明確な姿へと変化していく。その基礎となっているのは、最初にあの会議室でバルトロメアが発した言葉。
そう。
あたしのリトリエになると言ったのだ。それを通してリトリエとは何かを教えると。
「もしかして最初からそのつもりで」
「半々ってとこかな。アタシの気持ちと、リトリエとは何かをわかってもらう部分。過程が同じなら両方一緒にしちゃった方がいいじゃない?」
バルトロメアを見る目が変わりそうだ。もちろん悪い意味なんかじゃない。
ただ底抜けに明るいだけではなく、しっかりと考えを練り上げる明晰さも兼ね備えている。
そんな意外とも言える一面を持っていることが尊敬できるし、うらやましくも思えてしまう。
「でも、やっぱり一番はアタシがそうしたかったからだよ。ナツミちゃんを一目見た時に、絶対この子と仲良くなりたいなって思ったもん。だから、ナツミちゃんにもアタシを気に入ってほしくて頑張ったの」
「……そう」
返事は冷たいけど、あたしの頬は熱い。
心の片隅に転がっていた寂しさは跡形もなく消え去った。バルトロメアがあたしの欲しい言葉をくれたことが嬉しく、そして癒される。
もしかすると、バルトロメアは人が望んでいることが何かを見抜く目でも持っているのかもしれない。
それが魔法の一種なのか才能なのかわからないし、そもそも実在するかもわからない。
でも、一つだけわかることがある。
バルトロメアは仕事への義務感からあたしに接しているのではないということだ。
真っ直ぐで単純極まりない、好意というエンジンを吹かして突っ走っている。
「バルトロメア」
「なあに?」
「ありがと」
色々なことへのお礼を告げると、バルトロメアは小さく首を傾げてきょとんとした顔になった。
まるで自分は感謝されるようなことしてないですよと言っているようで、実際そう思っているような気もする。
その表情はすぐに満開の笑顔となり、白い歯を輝かせながら全身で喜びを表現してきた。
具体的に言うと、あたしを抱き寄せて頬を擦り付けてきた。
昔のあたしなら過剰なスキンシップにうんざりしつつも適当に応じていただろうけど、今はそんな気にならない。
あたしの中でもバルトロメアに負けないくらいの嬉しさが溢れているのだから。
ゆっくりとバルトロメアの背中に手を回す。
全身で何かに触れていることが、こんなに安心できるなんて知らなかった。温かくて心地良い。
あたしの周りにいた子たちは知っていたのだろうか。自らの欲望を果たすために触れていたとしたら。
別に自分のことを重視するのは当然だし問題ではない。そうやって不均衡な関係は気楽で切れやすい。
けれどバルトロメアは自分の中であたしの比重を対等にまで引き上げてくれている。どちらが上や下ということを考慮せずあたしのことを考えてくれる。
きっと、そういうところが理由なんだと思う。詳しく突き詰めるのは得策でないしする気もない。
ただ、あたしが変わるきっかけとなったバルトロメアのことはもっと知りたい。仲良くなって、楽しい時間を共有したい。
それだけのことだ。小難しい言葉も必要ない。
「ナツミちゃん……」
「ん?」
「えへへ」
「どしたの」
「なんでもなーい」
「ふうん」
短く囁かれる言葉たちに囲まれて、あたしは今までとは違う親友ができた喜びに浸り続けた。
バルトロメアと抱き合うのは確かに癒されるけど、いつまでもそのままでいるわけにもいかない。
自分の世界に戻るというのが口だけになってしまう。そうしたら今までの雰囲気が台無しだ。
「えーっと、ジリオラさん聞こえますか?」
ペンダントを手に乗せて声をかけてみる。
ここが異世界じゃなかったらあたしの行動は痛いことこの上ないよね、と思っているうちに返事がきた。
「聞こえておるぞ。どうかしたのう?」
「一度あたしの世界に帰ろうと思いまして」
「おお、そうか。すぐに向かうから待っておれ」
とても簡単なやり取りで声が消える。
あたしが今いる場所を伝えてなかったことに気付いたけど、きっとペンダントに発信器的な機能があって問題ないって仕組みだろう。
「それにしても、ジリオラ様って働き者だよね。アタシには真似できないなあ」
様子を見ていたバルトロメアがあたしのペンダントに目をやりながら言う。
「うんうん、あんなお婆ちゃんなのにね」
「いや、そうじゃなくて」
バルトロメアと視線が重なった。
よく見るとその瞳は薄い青色をしている。綺麗だな、という簡単な感想を浮かべるのと同時に言葉が続く。
「ジリオラ様ってラクスピリアの元首様でしょ? 国の内政を動かしながら自分もあちこち飛び回るなんてすごいなってこと」
「えっ?」
バルトロメアの発言には驚かされっぱなしだけど、今回は種類が違う。
まずは思考回路がチカチカ光って目が見開かれる。ついでにボカンと開いた口から自然と言葉がこぼれるおまけ付き。
「ジリオラさんが元首様って、それ」
「そうだよ。この国の最高責任者で一番偉い人がジリオラ様」
次に口の中が乾いて背中に変な汗が滲み始める。
同時並行で今まであたしがジリオラさんに接してきた態度や言動を振り返ってみたけど緊張を増長させるだけだった。
「もしかして、知らなかったの?」
「……うん、初耳」
そこでようやく、あたしは国の長である人をこき使っていたことに思い至った。
ついさっきも、ペンダントを使って呼びつけるという無礼極まりない失態を演じている。よく考えなくてもあたしが向かうのが当然じゃないか。
あたしはなんて愚かなことをやらかしてしまったんだ。
「ど、どうしようバルトロメア」
「えっ、なんでナツミちゃんそんなに震えて泣きそうな顔してるの? よしよし、よくわからないけど大丈夫だよ」
頭にバルトロメアの手が置かれる。ポンポンと軽く触れられて少しは落ち着けたけど、それであたしの行動が水に流れるわけじゃない。
やっぱり一言謝っておくべきだよね。
「ワシじゃ。入るぞ」
なんてことを考えていたら、ノックに続いて開いたドアからこの国で一番偉い人が顔を覗かせた。ヨレヨレのローブ姿も今では一流のファッションに思えてしまう。
すぐに立ち上がって姿勢を正す。
その勢いで手が離れて寂しそうなバルトロメアの顔が見えたけど今は後回し。
「待たせたのう。では早速準備を始め……どうしたナツミよ」
「ジリオラさんって、ラクスピリアの元首様だって聞いたんですけど」
「そうじゃが、それが何か……ああ、ナツミには言っておらんかったか。年老いると細かいことを忘れてしまうからいかんな。うっかりしておったわい」
「あの、お忙しいのに呼び出したりして、その……すみませんでした」
予定ではここで体育会系も驚くような勢いで床に頭を付けて謝罪をするはずだったのだが、現実はそうもいかなかった。
プライドだかなんだかわからない何かがあたしの体を支配し、蚊が鳴くような声でそう告げるのがやっとだった。体だって直立不動のままだ。
だからジリオラさんの様子がはっきりと見える。
探るような表情から疑問の色が消え、深い溜息をつくまでの流れがよくわかった。
「何を気にしておるかと思えばそんなことか。ナツミが気に病むことではないぞ。今まで通りにしておればええ」
本当に何事でもなく気にしてなどいなかったとばかりに言いながら、ジリオラさんは部屋の奥へ歩いていく。
「人任せにするばかりでなく自分の目で見て確かめたいというのがワシの性分でな。玉座でふんぞり返るだけなどまっぴら御免じゃわい。それに、これしきのことで回らなくなる国など作っておらんぞ。ワシをみくびるでないわ」
最後に高笑いをして話を締めたジリオラさんは、あたしの心配など些細なことだと思わせてくれた。
これで終わりってことにしていいんだろうか。なんて言ったらいいかわからないので、とりあえず無難な感じにしておこうかな。
ジリオラさんが気にしてなければそれでいいわけだし、異世界にあたしの常識を持ち込むのは筋違いってやつだろう。
「こんなあたしですけど……これからもよろしくお願いします」
「うむ。次の来訪を心より待ち望んでおるぞ」
「アタシも待ってるからね!」
よし、なんとかなった。
この世界に招いてくれた人に無礼な態度取ったままなんてお互いに後味悪いもんね。
今すぐ帰る流れになってるけど、こういうのは長引かせると別れがつらくなるだけだからちょうどいい。
今までバルトロメアがやたらくっついてきたものだから、いざ離れてみるとなんだか胸の奥底が冷えたような気分になってしまう。
もしかするとバルトロメアって他の子より体温が高めなのかも。
でも、寒さの理由がそこにはないことをあたしはよくわかっている。
そして、そんな心の底冷えを一般的には寂しさと呼ぶことも。
「ナツミよ、そこに腰掛けて楽にしておれ。眠るにはうってつけの場所じゃろうて」
何かとお世話になっている豪華なベッドに座る。あたしの部屋にある安物と比べるのが申し訳ないくらい体が沈んだ。
きっと寝ているだけで骨格の歪みを矯正してくれそうだ。低反発とか立体構造とか、なんかそういう感じで。
これからこのベッドが世界間を移動するゲートみたいな扱いになるのだろうか。
意外とアリかもしれない。眠っている間に移動するってだけならよくある設定だし。
ついでってわけじゃないけど、どうせ眠らされるならと考えて横になる。あ、沈むっていうよりも包まれるって感覚の方が近いかも。
毛布の裏側みたいにモコモコした天蓋を眺めながら今日あったことを思い返す。
バルトロメアの顔ばかり浮かぶけど、他にも色々なことがあった。
触れるものすべてが新鮮で、知識が増えるたびに異世界を身近に感じていった。今ではもうこの世界が夢だなんて思うこともない。
こっちではもう夕方みたいだけど、元の世界に帰ったら昼過ぎのはずだ。
向こうでは一瞬でも、その中にはラクスピリアでの経験が詰め込まれている。言ってみれば、一秒間に何時間分もの運動をしたことになるだろう。
経験したことないけど、これが時差ボケみたいな感覚なのかな。魔法でなんとかしてくれたらいいんだけど。
あ、ジリオラさんが詠唱を始めた。前にも聞いた高度な睡眠魔法ということをペンダントと記憶の両方が教えてくれる。
即効性があるこの魔法って眠れない夜には重宝しそうなんだけど、この世界の人はそういう使い方をしているんだろうか。
まあ、いいか。色々考えるのは今じゃなくてもできる。
すぐ戻って来るから、それまで少しだけ待っててね。




